うちにある、あまり使われていない箱です。素材は何だろう。何かの樹脂ですか? 美術の課題として箱を与えられて、それぞれが好きなテーマで何かを彫りこみ、色を塗って、そのあとニスがけでもしてあるんでしょう。宝物入れとして利用すればいいわけですが、どうでもいいものが入っています。
そもそも、うちに宝物なんてありませんでした。体一つが宝物で、人とのつながりが宝物というべきなんでしょう。でも、ついついサボリがちだから、結局のところ、宝物は何もないスッカラカンが続いています。
たぶん、これからもずっとスッカラカンでしょう!?
タマゴが水の上に浮かんでいます。これは、「モスラ対ゴジラ」(1964)で、嵐のためにインファント島から日本に流れ着いたモスラのタマゴが、たまたま現われたゴジラと対決するあの映画の影響を受けています。
モスラの親は、タマゴを守るためにゴジラと戦い、子どもたちに未来を託して死んでしまい、双子の子どもたちがゴジラを糸でグルグル巻きにしてやっつけて、インファント島に帰る物語でした。
モスラは、繭ではなくてタマゴから生まれるようです。確かに、繭になる時はまた別でしたね。最初はタマゴで、その後に繭を作り、羽化してから翅で飛ぶんでした。
でも、あまりに大きすぎではなかったかな。あんな大きなタマゴを親モスラが生むとは思えないのです。まあ、理屈はどうでもいいか、生んだ後にタマゴが自然に大きくなったということなんでしょう。
タマゴから子供が生まれました。白いヒヨコです。まわりにライオンみたいな生き物がいます。ここはアフリカなんだろうか。
ヒヨコは大きくなり、あちらこちらで暴れているようです。この立派な門が焼けているのは「伴大納言絵巻」のパクリという気がします。いろんなところからパクッて作品作りしてたんですね。
人間たちは、怪鳥とまともに戦うことができず、たまたま火山にいるところを、火山の力を借りて怪鳥をやっつける作戦を立てて、怪鳥を退治します。めでたし、めでたしですけど、これは「空の大怪獣ラドン」(1956)のパクリでした。
ビデオなんていうものはなかったのだから、年末年始や夏休みにテレビで放映される怪獣もので強烈にイメージを焼き付けたんでしょう。それくらいに、自然の力でしか怪獣を倒すことはできなかったのです。
人間も努力しているんだけど、あまりに力に差がありすぎでした。
美術の授業で怪獣を作って提出するんですから、よほど好きだったものと思われます。先生も、それを否定せず、ひとつの物語として受け入れてくださった。何だかパターン化されていて、おもしろみはない気はするけど、生と死を扱おうとしたのは、意欲的だったと思います。
これも、中学の頃にお寺参りを始めて、お釈迦さまの生と死は絵物語として見させてもらう機会があり、その影響があったのでしょう。
生まれ、悩み、他の生物や仲間と関わりながら暮らし、やがて亡くなってしまう。そのまわりには、その死を悼むいろんな生き物たちが取り囲んでいました。あの、法隆寺の五重塔の格子戸から覗かせてもらえる世界でした。
五重の塔は、死を悼むための建物でした。どうしても私たちにやって来る死は、逃れられないけれど、それをこうして嘆き、支えしているんだよ、というのを形で示してくださっていました。
そうだったのか、怪鳥・ラドンの世界観をたどりながら、私は仏様の世界観のフォローをしてたのかもしれないです。
何度も、何度もお参りして、そうかもしれないし、新たな世界観も手に入れられたらいいな。
家にこもってないで、どこかへ出かけなきゃ! 年賀状も書かなきゃ!