甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

万華鏡とイソシギ 長浜散歩

2017年01月17日 21時08分38秒 | 滋賀のあれこれ
 ついこの間、といっても2、3年前のお正月、長浜に1人で行きました。ものすごく雪が積もっていて、あわてて駅でビニール傘を買い、それをずっと利用させてもらったのに、最後の最後で駅に忘れてきて、そのままになったことがありました。

 その時に、長浜八幡宮の奥にある舎那院(しゃないん)というお寺で、不動明王さんを見せてもらってから、一度家族を連れて行こうとずっと思っていて、奥さんが行かないというので、仕方なく母を連れて行ったんでした。そんなことをせずに、母も奥さんも一緒に連れてきてあげればいいのに、私は、18きっぷを使いたくて、2人を連れて行くことができなかった。

 そんなに思い入れがあるのなら、クルマで連れて行ってあげればよかった。と、今は思います。でも、お正月は、そんな気分ではなかったんです。

 どういうんだろう。何かものすごく限定されてしまうんですね。もっと広く構えて、何でも受け入れられる余裕があればいいのに、何かこれと凝り固まってしまうのです。それがお正月のこわいところで、今もお正月のブヨブヨの体を引きずったままになっています。



 長岡八幡宮は、たくさんのお客さんで、本殿でお参りするには行列に並ばねばならず、私たち母子はスルーして、適当なところからお参りしました。



 このお堂の中に不動明王さんがおられて、前に来たときは、扉が雪の日なのに全開で、お不動さんを直接生で見ることができて、とてもありがたい気になりました。見せていただくだけでここまで来たかいがあったと思ったくらいです。

 母を連れてやって来たら、拝むことは拝めるのですが、それも格子戸の小さな窓枠の中から見るだけで、遠い感じがしました。そりゃ、ドロボーもいるだろうから、厳重にしてあるにこしたことはないけど、三が日だけの特別サービスで見せてくれるんじゃなかったの? と、少しザンネンな気持ちでした。

 でも、生で見るだけがすべてではないので、こうして母と拝みに来たというのが大事だし、久しぶりに母も電車に乗ったということだし、それだけでよしとしなくちゃいけませんでした。



 長浜の街中は、あまり熱心に見ませんでした。弟が以前仕事できたそうで、その時に印象に残っているのは、そりゃ万華鏡だよ、ということでした。私は、何度かこちらに来ていますが、万華鏡があるなんて全く知らなくて、どこにあるんだろう、それはウソなんじゃないの? と、疑ったくらいです。

 歩き疲れて、ベンチでお茶などを飲んでいたとき、ふと「万華鏡はこちら」という矢印を見つけました。

 確かに、「万華鏡はあるみたいです」どこにあるんだろう。

 導かれるままにすすんでいくと、世界最大の万華鏡を見つけました。



 この建物の下でハンドルを回すと、万華鏡が見えるらしいのです。それで回してみました。



 こんな感じで見えました。そりゃ大きいけれど、ああ、こんなものかという感じで、それほどの驚きはありませんでした。万華鏡って、キレイだけど、何だかズルイですもんね。



 琵琶湖畔に出ました。西の方へだんだん日は傾いていきます。じっと座ったままの女の人がいました。特に何かをするでもなく、じっと座っていた。なかなか琵琶湖畔の夕暮れ前という感じです。そんなに寒くはありませんでした。なんとも淡い、冬の湖です。



 トリを見つけました。調べたら、イソシギの子どもだったようです。だから、人間にもわりと無防備で、みぎわを歩いていたみたいです。あぶない、あぶない。人間は何をするかわからないのに、この子はうっかりとエサ探しに夢中でした。

 こうして1月2日の長浜の旅は終わったんですね。

 何しに出かけたんだろう。ただ18きっぷを消費するためのお出かけであったような気もします。何のためのきっぷだったのかなあ。もっと楽しい使い方、なかったのかなあ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。