永六輔さんが書いた「坂本九ものがたり」をやっと読み終えました。文庫本で300ページほどの本ですけど、やっと読めました。
なかなか本を集中して読めない年ごろなのかもしれません。1日1冊とか、バンバン読めたらいいのだけれど、もう私には無理とわかっているので、自分のペースで目についたものをポツリポツリ読むしかありません。
坂本九さんは、亡くなって37年が経過してしまいました。著者だった永六輔さんももうおられない。やがては、私もいなくなるのだけれど、九ちゃんの「上を向いて歩こう」は、100年後の日本でも流れているはずです。どうしてなんだろう、日本が盛んだった時期の最後の栄光を飾る歌だったのかもしれません。ドラマをつくるにしても、この歌を通して100年前の日本をふり返ってもらうしかないくらいに、戦後の日本のある一面を伝える歌だったのだと思われます。
不滅の曲になってしまいました。
特に強いメッセージはない感じもします。涙がこぼれないように、上を向いて歩こう。泣きながら、ひとりぼっちで、夜を過ごそう。人間はみんな、生まれてきた時も、死ぬ時もひとりなんだよ。そういう当たり前の内容です。
だから、適当にスルーしていたら、なんということもない内容です。
でも、ちゃんと中村八大さんのメロディーがあります。何ということもない内容も、メロディーに載せてしまうと、何だか心に引っかかりやすくなってしまうし、何ということもないからこそ、どんどん心のすき間に入り込んできます。
何か、忙しくてあれもしなきゃ、これもしなきゃ、という時には、「上を向いて歩こう」と歌われても、今は忙しいから、それどころじゃないんだよ。曲はいいし、内容もシンプルでいいし、歌い手さんも遠いところにあるかと思うと近くにいるし、神出鬼没の雰囲気で、私たちがどんなに無視しても、何となく入り込んできそうだし、不思議な魅力があります。
たぶん、耳に残ると思います。
かくして、日本だけではなく、アメリカのヒットチャートでも1位になり、ついでに別バージョンが生まれ、「スキヤキソング」みたいなのも歌われるようになりました。
♬かわいいスキヤキ、胸に抱きしめ、思いはつのるナガサキの……
何だかよくわからないけど、アメリカの人たちの新しい日本感を作ることになってしまいました。でも、もう何十年も過ぎているから、アメリカの人たちも、かわいいスキヤキなんて、そんなものはどうでもよくなっているかな。
1961年に「上を向いて歩こう」を出したんですね。60年代は、たくさんのヒット曲もあったし、スターの道を歩いておられた。70年代は、司会、役者、ドラマ、小さい頃にNHKの夕方の人形劇で見せてもらった「新八犬伝」のナレーターなど、歌の仕事がしたいのに、なかなかそういうチャンスが来なくて、他の仕事をしていたんだとか……。
そして、80年代に入り、航空機事故に巻き込まれてしまうのでした。
それから後は、もう何を悔やんでも、何を嘆いても、もう取り戻しがきかなくなりましたし、坂本九というスターは、もっと輝くチャンスがあったのに、いなくなりました。
1961年に、どうして「上を向いて歩かなくてはならなかったのか」、どうしてこの歩く人は「涙がこぼれ」そうだったのか、やはり、時代の何かを反映していたのだと思います。どんなに好景気の時代でも、その背後に、取り残される不安感みたいなのがあったんじゃないかな。それを詩人の永六輔さんはとらえ、歌にして、仲間である八大さんは曲を作り、若手歌手の九ちゃんは、この出会った数字のつく二人(六輔さんと八大さん)にかわいがられて、歌を担当することになった。
そうした奇跡があったのだ、と思います。また、いつか読み直す時もあるだろうけど、とりあえず家に置いておいて、いつでも読めるようにしておきます。