★ 妹と妻 「騎士団長殺し」一部・P430
(妹ととても仲良しだったけれど)でももし彼女(妹)が健康になり、十二歳で死ぬことがなかったとしても、そんな親密な兄と妹の関係はそれほど長くは続かなかったかもしれない。
コミ(妹の名前)はどこかの面白みのない男と結婚して、遠くの町で暮らすようになり、日々の生活に神経をすり減らし、子育てに疲れ果て、かつての純粋な輝きを失い、私の相談に乗る余裕なんてなくしていたかもしれない。我々の人生がどんな風に進んでいくか、そんなことは誰にもわかりっこないのだ。
私と妻とのあいだの問題は、私が死んだ妹の代役を無意識のうちにユズ(妻の名前)に求めたことにあったのかもしれない。そういう気もしないでもない。私自身にはもちろんそんなつもりはなかったのだが、でも考えてみれば妹を亡くして以来、精神的な困難に直面したときに寄りかかれるパートナーを、心のどこかで求めてきたのかもしれない。
しかし言うまでもないことだが、妻は妹とは違う。ユズはコミではない。立場も違うし役柄も違う。そして何より共に培ってきた歴史が違う。
突然の引用です。もちろん村上春樹さんの『騎士団長殺し』です。調子よく二部に入りましたが、もうそろそろ元気がなくなって、挫折しそうです。
うちの奥さんは、とっくに読み切ったみたい。特にコメントはないから、良かったのか悪かったのか。私の感じで行くと、どうもハルキさんもちょっと年取ったのかなという感じです。ところどころおもしろいところはあるし、ファンタジーみたいだし、中年の男たちが必死になって自分の世界を守ろうとしているのはわかりました。
でも、それだけみたいな感じです。なんだか突き抜けてない感じ。そうだ。本の装丁もやけに手抜きじゃないですか。わざとこんな無表情な本にしたのかもしれないけど、手に取るときにワクワク感がありません。
やたら重いし、開いて何かが起こる気がしません。それに淡々と進んでいくし、それぞれのおしゃべりが長くて、少し飽きてきましたよ。最後まで読み切ることができるのか、少し不安になってきました。
香川県の友人のおうちの書斎にも行かせてもらったんですけど、彼の書棚にも『海辺のカフカ』がありました。あれはもう少し各地を移動しました。『騎士団』はちっともどこにも行かなくなりました。何だか静かすぎます。
文句を言ってもしょうがないかな。私は、この作品はそれぞれの家族探しなのだ、と書きました。奥さんは、そうだとも、違うとも言いません。途中まで読んだ感じでは、そうでした。
引用部分は、妹さんを探しているうちに、別れた奥さんと出会ったみたいに書いてあるような気がしました。次はどうでしょう。
★ 「騎士団長殺し」二部・P111
(秋川まりえの肖像画を描いているとき)私はふと妹の手のことを思い出した。一緒に富士の風穴に入ったとき、冷ややかな暗闇の中で妹は私の手をしっかり握り続けていた。小さく温かく、しかし驚くほど力強い指だった。私たちのあいだには確かな生命の交流があった。
私たちは何かを与えると同時に、何かを受け取っていた。それは限られた時間に、限られた場所でしか起こらない交流だった。やがては薄らいで消えてしまう。しかし記憶は残る。
記憶は時間を温めることができる。そしてもしうまくいけばということだが芸術はその記憶を形に変えて、そこにとどめることができる。ファン・ゴッホが名もない田舎の郵便配達夫を、集合的記憶として今日まで生きながらえさせているように。
これは、気持ちはその時だけのものなんだけど、それをいっぺんに閉じ込めてしまうことができる、というようなことが書いてあります。
主人公が出会った封印された絵のタイトルが『騎士団長殺し』でした。ここには何か特別の意味があってその意味は生涯秘めておくものとして画家に封印されてしまい、だれもそこから何かを感じることはできなくなっていた。
それを主人公が屋根裏部屋から見つけ、やがてアトリエの火事で絵も消えてしまうということになっているみたいだけど、ここにも何か意味はありそうです。
ああ、わからないのに適当に書いています。最後まで読むべく、今からチャレンジしてみます。