2018年の年末、高松から18キップを買って、予讃線で松山までトロトロ走り、本当は西条の石鎚山から来る伏流水を飲んたり、海に浮かぶ今治城を見たかったけれど、すべてをキャンセルして、松山にたどり着きました。お昼過ぎだったかな。松山に来たら、一度も行ったことがなかった松山城を見学して、そして、温泉でもつかろう、そんな計画だったのだと思います。
道後温泉の本館には入りました。いつもの通り、お風呂に入った。鶴と亀の石からあふれるありがたいお湯を感じ、寒かったかし、ずっと鉄道に乗りっぱなしだったから、少しほぐしたんだと思います。
午後の松山城に登り、50万の都市を眺めることもできた。ああ、はるばるここまで鉄道でやって来たという達成感にでもひたりましたか。たぶん、そんなものだったでしょう。
それから、ホテルに入り、さてゴハン食べなきゃということになりました。そう、前の日の夜はフェリーで1時から5時までという睡眠時間ではあったので、起きても寝ても何だかずっとボンヤリはしていたんでしょう。
イマイチ調子は良くないというか、それなりにくたびれてるから、さっさとゴハン食べて、さっさと寝ればよかったのでした。
そう、次の日は松山から八幡浜までまたも鈍行で進み、ついでに大洲城(おおずじょう)も見なくてはならなかった。
つい欲張りになって、あれもこれもとしているうちに、何だか分からないものになって、時間は過ぎ去るばかりというのがよくあることでした。
だから、早いとこお店を決めて、さっと食べたかった。
松山の大街道(おおかいどう)という繁華街近くのホテルでした。あえてそういうところにしたんだけど、繁華街とはいうものの、私がすんなり入れるお店が見つかりませんでした。
何が食べたいの? 中華? 海鮮? ろばた? 居酒屋? 一人で入れる居酒屋って、どんなとこがあるんだろう。
もう、最初っから、腰が引けていました。意気地がないというのか、踏ん切りがつかないというのか、何だか右往左往してしまう。
今の世の中みたいに、すべてが20時で営業終了、お酒は出さない、ということであれば、どういうお店が見つかるのか、これもわからないけれど、3年前の年末の松山はあまりによりどりみどりすぎて、どこに入ればいいのか、全く分かりませんでした。
そういう時は、一番近くの誰もお客のいなさそうな、さびしいところに入ればいいはずなんだけど、それもできなかった。
ああ、なんということでしよう。繁華街をぐるぐるまわり、入れる店を探したけれど、見つからなかった。
そして、飛び込んだお店が炉端料理というのか、海鮮ものをすべて目の前で焼いてくれるお店には入りました。大きな焼き貝みたいなのが食べたかったのかもしれません。
お客はあまり入っていないお店でした。勢いよく海鮮セットを頼んだはいいものの、こんなにお客の入っていないお店で大丈夫? 貝やエビ、サカナ、それは瀬戸内海でも獲れるだろうけど、瀬戸内の海の幸なんだろうか? どこか遠くの海鮮ものではないのか?
そんなギモンもあったけれど、おもしろくなさそうに焼いてくれるお兄さんにビールを注文し、指示されたものをボチボチと食べ、少しずつ食べるものがなくなっていき、いよいよサザエが残ってきました。
もちろん、私はサザエは苦手です。何度か、食べたことはあったけれど、できることなら、サザエは食べたくなかった。でも、食べないわけにはいかなかった。
苦手とわかっていて、おいしいと思ったこともなく、爪楊枝でほじくり出すサザエさんの胴体、あの色、あの味、アレルギーを起こすということは絶対にないのだけれど、とにかく、イヤだったんです。
でも、黙々と食べるしかないし、食べたらすぐにホテルに帰るし、明日の朝は早いし、今はとても眠いし、とにかく、この食事を終わらせるためには苦手であろうが、パリッと食べるしかないと覚悟したのです。
そして、意外にモコモコする大きなサザエを必死になってかみ砕き、モグモグして、これまた生ぬるくなったビールを流し込み、お店を出ました。
何度失敗しようとも、私はこんな風によそでお酒を飲むしかないんでしょうか。もっと地域の味というのをサッとみつけて、しんみり地元の方とお話ができたらいいのに、そういうことがなかなかできていない。
私はもうオッサンというか、もうオジイの領域にも入っているはずなんだけど、でも、まだ大人げがないのです。いつもドキドキしてお店に入っている。
このゆとりのなさは、自分の実家のせいなんだろうか。いや、私個人の問題ですね。
これから、少しでも大人げを身につけるためにも、コロナが終わったら、どこかに行きたいです。