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廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

寄せ集めの悲劇

2020年07月13日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Backhand  ( 米 ABC-Impulse ASD-9305 )


この時代の代表作と言われている "死と生の幻想" と同日に行われた録音で、明るい色調の楽曲がこのアルバムにまとめられた。2枚組としてリリースしても
よかったのかもしれないが、それでは重いと判断されたのかもしれない。結果的に "死と生の幻想" は名盤とされ、こちらは忘れられる存在となった。

その理由は、A面に収録されている、メロディーの無い、延々とエスニックなリズムが10分間続くような楽曲のせいだろう。聴いている側からしてみると、
「一体、これは何ですか?」と問いたくなる。規模の大きなアルバムの中で出てくるならその意味もわかるだろうが、単発のアルバムの中ではこの楽曲の
存在理由は希薄だ。

B面には出来のいい演奏が収められているので、おそらくはこれらを捨てずに残すために、止む無く1枚のアルバムとしたのではないだろうか。
A面の2曲はクオリティーに問題があるが、アルバムとしての体裁のために収録されたように思う。残念ながら、これでは残飯処理と言われても仕方がない。

このバンドのウィークポイントは、言うまでもなく、デューイ・レッドマンというサックス奏者の凡庸さだ。なぜ、彼をメンバーにしたのかよくわからないが、
ガルバレクのようにサックスがバンドを牽引するような芸当はできないので、楽曲の良さに頼らないとこの人はまったく生えない。
そういう意味で、このアルバムでの彼はまったく冴えない感じだ。こういう時こそ、サックスという楽器の力が爆発していれば別の聴き方もできたと思うが、
あまりに従属的な演奏で、才気の無さが痛々しい。

あまりこういうことは言いたくはないが、このアルバムは私には失敗作を通り越して、存在の意味がよくわからない内容だった。残念だが、嘘は書けない。


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すべてのものが哀しみに生きている

2020年07月11日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett /  Mysteries  ( 日本コロンビア YQ-8510-AI )


このカルテットの演奏を聴いていると、70年代半ばにジャズを演ることが如何に困難だったか、を思い知らされる。懐かしきハード・バップに戻るわけには
いかず、フリー・ジャズの空虚さを目の当たりにした後で、これから果たして何をやるべきか。そこには大きな壁があったに違いない。

キースのように美メロが書ける人なら、ロックの世界でいくらでも成功できたに違いない。大金を稼ぐことは容易だっただろう。
にもかかわらず、まったく金にならない音楽をやり続けた、その心の中にあったのは一体何だったのか。

私がジャズという音楽が好きなのは、この音楽のすべてに通奏低音のように流れているそういう音楽家たちの心根のようなものに惹かれるからかもしれない。
本当に金にならないこの音楽に生きる意味を見出し、そこに己のすべてをかけた人たちが生み出した音楽は、それが名盤であれマイナー盤であれ、
そこにある何かが私の心を打つ。

このアルバムの外見上は、例えば調性の縛りがゆるく解けた楽曲だったり、エスニックな香りが漂う楽曲だったり、と統一感が見られないという面は
あるかもしれない。そういうところに気が散ってしまい、自分の感想がまとめきれないもどかしさを覚えるかもしれない。しかし、ここには抽象芸術に
こだわって、こだわって、こだわりぬいた果ての音楽がまとめられているように思う。時々、ふと気が抜けると、つい美メロが顔を出してしまい、
慌ててそれを袖の下に隠すようなところが微笑ましい。そういう何気ない動作に、彼らのこの音楽に賭ける想いのようなものが見て取れる。

ただ、このアルバムは最後に置かれたタイトル曲がメインテーマだろう。何かを祈り、探るようなムードが表出した含みのある演奏だ。
そして、"すべてのものが哀しみに生きている" と題された、キースにしか書けないであろう、究極の美メロのバラード。ただ美しいというだけではなく、
最後は高揚感へと昇華されており、生き生きとした楽曲になっている。

誰それの影響が、などというコメントを許さない、100%創作されたオリジナリティーで、ジャズは抽象芸術であることを教えてくれるアルバムだ。


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ノスタルジックな物語性がもたらす厚み

2020年07月06日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Treasure Island  ( 米 ABC Impulse AS-9274 )


キース・ジャレットの賢いところは、自分の中にある複数の音楽衝動をレーベル毎に上手く仕分けることができたところだろう。それが上手かった
ので作品の内容には混乱が見られず、アルバム単位で見るとどれも非常にわかりやすい。この整理整頓術の巧みさが他のアーティストたちとは
決定的に違った。こういう戦略をとった人は、ジャズ史上、彼が初めてだったのではないだろうか。

この時期のキースは、アメリカン・カルテット、ヨーロピアン・カルテット、ソロ・ピアノの3つを巧みに使い分けていた。これらの用語は周囲が
勝手に持ち出したものだけれど、自然とそう命名されてしまうくらいに作品毎の性格が明確だったのだ。羅針盤は壊れ、何でもありだった
あの70年代に、ほとんどのアーティストは作品の中で自分の音楽を整理できずにごった煮の様相を呈していたが、キースはそれを上手く回避する
ことができた。そこにこの人の頭の良さというか、勘の良さがあったのだと思う。

「宝島」のタイトルが示すように、自身の中にある「少年性」を全面に押し出したこの音楽には、誰の中にも存在する「夢見る無邪気な男の子/
女の子」性を刺激して、脳内に多幸感をもたらすエンドルフィンが出てくるような感覚がある。フォークソングの抒情的感性で統一された
わかりやすさに加えて、そういう物語性を持ち込むことで作品がより重層的になり、音楽は聴き手の深い部分へと届く。

キースと言えばピアノ・トリオやソロ・ピアノのイメージが強いので、サックスの存在は邪魔だという思い込みからこの時期のアルバムを聴いたのは
キースを聴き始めてからかなり時間が経ってからだったが、それは杞憂だったと後悔したのを思い出す。この音楽にはサックスがいる方がいい。

イントロが終わるとジョニー・ミッチェルが歌い出しそうな雰囲気の曲もあったりして、ペンシルベニアのアレンタウンで生まれ育ったナイーヴな
少年がラジオから流れてくる音楽を胸をときめかせて聴いていた日々を想わせるような音楽で、これを聴いている私までタイムスリップして
しまうかのような気分にさせてくれる。


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ユセフ・ラティーフを見直す(2)

2020年06月21日 | Jazz LP (Impuise!)

Yusef Lateef / Jazz Round The World  ( 米 Impulse! A-56 )


第三世界の国々の民謡を題材に、リチャード・ウィリアムスとの2管で取り組んだ意欲作。ラティーフの本領発揮と言えるかもしれない。

当時はコルトレーンを筆頭に、意識の高いアーティストの間では新しい題材をジャズに取り入れるのがトレンドだった。このアルバムも明らかに
コルトレーンの影響を受けていて、テナーのプレイも、おそらくは意図的に、コルトレーン風になっている。

ジャズというのは元来どこか無国籍の雰囲気が漂う音楽である。枠組みも緩く、いろんな要素が出たり入ったりすることに寛容だ。このアルバムを
聴いていると、ジャズって元々こういうところがある音楽だよなあ、と何か大事なことを思い出させてくれる。

西洋音楽の平均律の世界と対峙する第三世界の音楽の言語や語法に敏感だったために、バスーンやオーボエなど複数の楽器を手掛ける必要があった。
この人はオーボエも非常に上手い。この楽器は演奏するのが難しく、下手な人が吹くといわゆるチャルメラ風になるが、ラティーフの音色は
まるでソプラノ・サックスのように美しい。

アルバムの最後には、美空ひばりの「リンゴ追分」が取り上げられている。短い演奏だけど、テナーでざらっと吹き流すいい演奏だ。
こういう題材を殺さずに、上手く音楽としてまとめている。コルトレーンなんかは途中から訳が分からくなって、自己表現が音楽を食い潰して
いくけれど、ラティーフは決してそうはならない。あくまで音楽としてコントロールしていて、それも洗練されている。音楽のことがよく
わかっていないと、こんなことはできない。この人はそこがいいのだ。訳の分からないことには決してならない。


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ユセフ・ラティーフを見直す

2020年06月19日 | Jazz LP (Impuise!)

Yusef Lateef / The Golden Flute  ( 米 Impulse! A-9125 )


聴けば腰が抜ける大傑作である。どうして誰も褒めない? やっぱりスキンヘッドは怖いのか?

マルチ・リード、イスラム系中東文化、スキンヘッドとなると、大方のファンは引いてしまうのかもしれない。そう言えば、ロリンズもモヒカンに
したころから人気に陰りが出始めた。マイルスもダサいパンタロンを履きだしたころからファンが離れ始めた。エヴァンスも長髪に髭を生やすと
途端にレコードが安くなる。そんなに見た目に左右されるかなあ。

このアルバムはパッケージの仕方がおかしくて、それも敬遠される理由かもしれない。実際にフルートを吹いているのは2曲だけで、基本的には
テナーのワンホーン・アルバムだ。その音は太く、ずっしりと重く、なめらかでとにかく美しい。フレーズはわかりやすく、よく歌っている。
こんなにいいテナーはそう簡単には聴けないだろう。

フルートも他の奏者たちよりも音色が深く落ち着きがあり、まったく質感が違う。わざわざクラシックのプロの奏者に付いて学んだそうだが、
それがうなずけるプレイが聴ける。とにかくすべての楽器の演奏が正統的で、音色が美しい。

ゆったりと落ち着いたバラードがメインのプログラムで、圧倒される。スタンダードを交えた至極正統派の内容で、ここには中東の匂いも
ニュー・ジャズの匂いもない。どの楽曲も完全に自分の物として消化されていて、借り物ではない、本物だけが持つ説得力に満ちている。

ヴァン・ゲルダーの録音も最高の仕上がりで、空間を深くえぐったような拡がりを創出した凄みのある音場感で音楽を鳴らす。このあたりが
ヴァン・ゲルダー録音の最終到達点だろうと思う。

凄い、という言葉でしか表現できない稀有なアルバムだ。


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コルトレーンが残した最高の演奏

2020年05月23日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Selflessness  ( 米 Impulse AS-9161 )


レコードとして残されたコルトレーンのアルバムの中で、最も優れた演奏が聴けるのがこのアルバム。ここに収録された1963年7月のニューポート・
ジャズ・フェステイヴァルで演奏された "My Favorite Things" と "I Want To Talk About You" は、コルトレーンという枠を超えて、ジャズ史において
全てのサックス奏者が残した演奏の中でも筆頭の1つに挙げていい。このアルバムの前では、アトランティックやプレスティッジの作品群などは
存在する価値は何もないと思えてくる。

この演奏が恐ろしいのは、コルトレーンのサックスがゾッとするほどなめらかで美しい質感を見せることだ。パーカーやロリンズとは全く違う、
柔らかくなめらかな音の質感。それは女性の身体を抱き寄せた時に感じる、あの質感と重なる。そして、それがバラードのような形式ではなく、
こういう硬質な演奏の中であっても前面に表出しているということが何十年も聴いてきた今でも信じられない。ただ単に楽器の演奏として頂点を
極めたというだけでは、これほどの深い感銘を受けることはない。この演奏の他にはない凄さというのは、この音色が持つ信じ難い質感にある。

この演奏の前後数年のコルトレーンはスタジオ・ワークでは大人しい表情を見せていた時期だが、ライヴに立つ時はまったく別の姿だった。
ライヴ演奏とスタジオ・ワークはあくまでも別物だとして線引きして考えていたようで、それがこの時期のコルトレーンという複雑な人物の
多面的な姿を漏れなく伝えることになっていて、非常によかったと思う。

そして、それらをまとめて聴くことで、どの姿も根本的は同じ姿だったのだということがよくわかる。インパルスの作品群が優れているのは、
何も宗教的高みを見せたとかフリーをやったからではなく、そういうものも含めてコルトレーンの姿が総合的に映っているからであって、
こういうのはそれ以前のレーベルでは見ることはできない。だからこそ、コルトレーンはインパルスのアルバムを聴くのが圧倒的に面白いのだ。


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謎めいた雰囲気の解決

2020年01月19日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Coltrane  ( 米 Impulse! A-21 )


不動のメンバーが揃っての最初のスタジオ録音として知られるこのアルバムは、それまでのアトランティック時代の焦点の散漫さを脱して、ようやく
カルテットとしてのサウンドの確立と内容の方向性が決まった、ある意味ではコルトレーンの何度目かの「デビュー作」と言っていい内容だ。
ここにはコルトレーン・カルテットの音楽のエッセンスが非常に分かりやすい形で凝縮されている。この後どんどんハードドライヴしていく音楽も
突き詰めて考えれば、このアルバムの相似形による拡大だったんじゃないかと思えるくらい、このアルバムには何か象徴的なものが漂っている。

冒頭の "Out Of This World" の、如何にもこのバンドらしいハードな演奏に注目が集まるのが常だけれど、彼らがいくつかのアルバムの中で時折
見せるミドルテンポで淀んだ感情を吐き出すような瞬間を表現する "Tunji" が私には「らしい」音楽に思える。激しいだけがインパルス時代の
スタイルでは当然なく、よく見ていくと複数の多面的な側面を見せていた中の1つのムードを見事に表現している。

そして、インパルス時代のもう1つの重要な要素である硬質な抒情感の頂点として、"Soul Eyes" の決定打が入っている。コルトレーンの例の3部作は
そのわかりやすさから賛否両論あるけれど私は好きな作品群で、そういう抒情性が見事に凝縮しているのがここに収められた "Soul Eyes"だ。
こんなにも厳しく深刻に歌心を吐露したバラードが他にあるだろうか。これがコルトレーンのすべてのバラード演奏の中での最高峰だと思う。

このアルバムは昔から謎めいた存在だと思っていたが、この秋に突如リリースされた "Blue World" を聴いて、その意味がわかったような気がした。
"Blue World" はこのアルバムで吐き出し切れずに澱のように沈殿して残っていた抒情感が創り上げた演奏だったように思う。この2枚には我々の
眼には映らない深いところで通底する何かがあって、硬質さと柔軟さのバランスがここでようやく取れたんだ、と私は思った。どちらか一方だけでは
常に何かが欠落しているという居心地の悪さを感じ続けることになるが、半世紀を超えてようやくこの "Coltrane" は解決したんだと思えた。


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ホッと一息つくピアノトリオ

2019年12月08日 | Jazz LP (Impuise!)

McCoy Tyner / Nights Of Ballads & Blues  ( 米 Impulse! A-39 )


インパルスというレーベルは後期コルトレーンの印象があまりに強く、60年代のニュー・ジャズ一辺倒だったようなイメージが拭いきれない。
白人ミュージシャンもごく少数だが採用してそれなりにカタログの内容に幅を持たせようとしてはいるけれど、それらはあまりに非力だった。
コルトレーンとその周辺の音楽があくまでも主軸で、それが当時のシーンの状況だったのかもしれない。

ただ、そんな中でも経営を維持するためにセールスを意識したアルバムも作成している。それらが当時どの程度売れたのかはよくわからないけれど、
それはつまり、先鋭的な音楽はあくまでも先鋭的であって、ついて行ける人たちはさほど多くはなかったということだったのかもしれない。

マッコイもこのアルバムのようにスタンダードで固めたわかりやすいピアノトリオ作を作っていて、これはちょうどコルトレーンの "バラード" と
同じような位置付けになっている。ベースにスティーヴ・デイヴィス、ドラムにレックス・ハンフリーズを充てて、敢えてコルトレーン・カラーが
出ないように配慮しているところがポイントだろう。

マッコイ・タイナーはレッド・ガーランドの影響を隠さなかった唯一のピアニストで、リズムの処理の仕方が全く違うので聴いた時の印象はかなり違う
ものの、ピアノの弾き方はよく似ている。但し、バラードがあまり上手くなかったせいもあってピアノの表情がワンパターンで、アルバム1枚通して
聴くのはいささかしんどい。このアルバムも演奏の出来はいいが、片面聴けばお腹一杯になる。楽曲を作り上げようとするアプローチではないので、
どの曲を聴いても同じような印象で、正直言って各々の違いがよくわからない。達者な演奏で見事だけれど、音楽としての成熟はまだこれからの状態
だったことがよくわかる。

ただ、それでも重苦しいインパルスの中ではホッと一息つける内容で、これはこれでよかっただろうと思う。制作の目的は達成できている。
一連のインパルスのカタログの中で見るとギャップの大きさが激しく、コルトレーンの "バラード" 同様、それが評価を難しくしているんだと思う。


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物憂げなムードに包まれたサウンドトラック

2019年09月29日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Blue World  ( Impulse B003015801 )


あまりの良さに驚いている。 これはレコードだけでは物足りない、CDも買ってiPodに入れなきゃ、ということですっかり散財してしまった。

カナダの国立映画製作庁からの要請でフランス系カナダ人映画監督の前衛映画のサウンドトラックとして1964年にヴァン・ゲルダー・スタジオで
録音されたものだそうで、全曲新規録音だったとのこと。 コルトレーンがサントラを? ということで、まずは驚いてしまった。

とにかく、"Naima" の出来が素晴らしい。 コルトーン自身の演奏はオリジナルヴァージョンとさほど違いはないけれど、バックのマッコイ・トリオが
浮遊する背景を見事に描き出していて、聴き惚れてしまう。 マイルスのバックでハービー・ハンコックらがやった幻想的な演奏にそっくりだ。
音数を減らし、リズム感を崩し、コードの中にセンスのいい装飾音を入れて複雑な響きを作っている。 元々のこの曲に込めた想いがようやくここで
表現されたように思える。

サントラということもあり、基本的にはどの曲もテーマ部の演奏だけでクローズする形なのでこの時期特有のコルトレーンの難解さはない。 どの楽曲
も短く、それが聴き易さを担保する。 そういう意味では音楽の建付けの印象はマイルスの "死刑台のエレベーター" と似ている。 テイク数の多い
"Village Blues" もわかりやすいブルース形式のシンプルさが好ましい。

アルバムタイトルの "Blue Worlld" は "Out Of This World" を下敷きにした曲で、原曲の暗いムードが殺されることなく上手く演奏されており、
この曲だけはコルトレーンの複雑なアドリブが少し挿入されているが、これも前衛映画には相応しかったのではないだろうか。

ジャズ・ミュージシャンは映画のサントラを本当に上手く作るなあ、と改めて感動する。 アルバム全体が物憂げで深い影で覆われた一糸乱れぬ
統一したムードで貫かれていて、1つの世界観が音楽としてここに作り上げられている。 未だ観ぬ映画の内容でさえ想像できてしまうような、そして
もはや観る必要すら感じさせないくらいの、強固な世界観がここにはある。

元々ジャズという音楽は雰囲気を重視する音楽だが、演奏家が自身の主張を取り下げて映像の世界に入って行くと、こうも素晴らしい融合が可能となる
というところにジャズと映像の根本的な親和性の高さというか、ある種の同一性のようなものが感じられる。 ジャズを聴いて深夜の都会の風景を
イメージしたりすることは日常的にあることだが、それはこの音楽が持っているそういう特質に起因するのだろう。

コルトレーンの優しさや素直さや抱えていた影のようなものが無防備に表面化していて、音楽の質感は非常にナイーブ。 同レーベルの名盤の誉れ高い
"Ballads" なんかよりも遥かに深い抒情性を感じる音楽だと思う。 これは、必聴。 音質も良好で、心配無用。


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何かカッコいいジャズを、と問われたら

2019年08月24日 | Jazz LP (Impuise!)

Elvis Jones And Richard Davis / Heavy Sounds  ( 米 Impulse! AS-9160 )


ジャズ好きを公言していると、「何かカッコいいジャズを教えて!」と求められることがある。 そんな時に間髪入れず答えられるようにしておくのが
紳士の嗜みというものであろう。 そして、そういう時は気色ばんで喋ってはいけない。 あくまでもクールに対応してこそ、である。

さらにやってはいけないのは名盤100選の皆さんを挙げることである。 名盤100選のタイトルはもちろん名盤で人に推すには何の問題はないし、
どこに出しても恥ずかしくないものばかりだが、カッコいいジャズを所望している目の前の人はそういうものを期待してはいない。 そういう時に
サキコロだのカインド・オブ・ブルーの名前を出そうものなら、「ああ・・・」と軽い失望感の混ざった力ないリアクションが返ってきて、場は気まずい
雰囲気に覆われるだろう。 相手はディープなジャズおたくしか知らないディープな情報を求めているのであって、そういう機微な感覚を理解しない
野暮なやつだ、と思われるとジャズの話ができる友人は増えていかない。 尤も第一問で正解を出してしまうと、もっと教えて、だの、次は?だのと
矢継ぎ早に質問の刃が飛んできて、それはそれでウザいことになる訳だけど。

私がこの手の質問をされたら真っ先に挙げることにしているのがこの "Heavy Sounds" である。 このアルバムは別にマニアしか知らないディープな
ものということでは全然ないが、このアルバムを推すと2つのいいことがある。 1つ目はこのおどろおどろしいジャケットに恐れをなして半分くらいの
人が実際には聴くことなく終わり、第2の矢が飛んでこないというメリットがあること。 もう1つは本当に最高にカッコいいということである。

エルヴィンとデイヴィスのサウンドを核にして寡黙なピアノとテナーが寄り添うサウンドが非常にハードボイルドでダンディでカッコいいのである。 
私は普段フランク・フォスターのテナーを聴いて感動することなどないんだけれど、ここでのテナーは最高にカッコよくてシビれる。
こういう意外とモダンなフィーリングで吹いていることに驚かされるが、音色もしっとりと深く艶があり、なめらかなフレージングと抑制された
音数に男の色香が漂う。 これこそが我々が求めてやまぬテナーの理想ではないか。

エルヴィンがアコギでブルースを弾く曲も余技とは思えぬ味わいがあり、見事な出来だと思う。 楽曲もメロディー重視の良い曲が並んでいる。
デイヴィスのベースもクッキリとした音像で録れているし、インパルスのステレオサウンドも極めて良好な仕上がりで音楽に多大な貢献をしている。
RVGが絡んでいないので非常にナチュラルな音場感で、そのクセのなさがこの音楽の元々持っているカッコよさをそのままストレートに表現している。

ジャケットから受ける印象からはほど遠いカッコよさで、これではさすがに冒頭のわがままな客もグーの音も出ないだろう。 


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「モノラル VS ステレオ」は大人の贅沢な遊び ②

2018年11月18日 | Jazz LP (Impuise!)

Oliver Nelson / The Blues And The Abstract Truth  ( 米 Impulse A-5 )


ポール・チェンバースのウォーキング・ベースとビル・エヴァンスの崩した和音の響きが全体を支配する "Stolen Moments" はマイルスの "So What" そっくりの
雰囲気で、この1曲でこのアルバムは歴史に残る名盤となったけれど、もう一つの類似点は暗い部屋の中を想わせる残響の効いたダークなサウンドだ。
レーベルも違えば録音技師も違うこの2つのアルバムには不思議と似通ったところがある。 内容は素晴らしいし、録音も凄い、ということで昔からいろんな
切り口で褒められる作品だが、確かにこのアルバムはサウンドの快楽にどっぷりと浸れる愉しみを味わうことができる。

このモノラル盤の特徴はたった1つ、それは限りなくステレオ・サウンドに寄せたモノラル・サウンドだということだろう。 この2つの境界線はかなり曖昧だ。
知らない人にブラインドで聴かせたら、その違いに気付かないかもしれない。 もちろん、細かいところを見れば違いはいろいろあるが、そういう部分が
モノラル盤の印象を決定付けることはない。 ステレオに寄せながらもRVGモノラルのざらりとした迫力が際立っていて、モノラルとステレオのいいところが
互いに殺し合うことなく共存できている。 ドルフィーのアルトが1歩前へ飛び出してくる感じが生々しい。

対するステレオ盤は、RVGのステレオ録音の最高峰の1つではないかと思わせる仕上がりだ。 聴いていて、これは本当にきれいな音だと思う。
楽器の音がとにかくきれいだし、分離がいいので重奏部分も音が濁らないし、何かが突出することもなく全体のバランスが究極的に素晴らしい。
ロイ・ヘインズのシンバルの音の金色の粉を吹くような輝きが特に印象的だ。 この美しさをモノラルの中でも生かそうと腐心したのはよくわかる。

このアルバムは、両者引き分け。 どちらにも他方には無い際立った美点があり、甲乙は付けられない。 そして何より重要なのは、この録音は媒体の種類や
版を選ばないというところではないか。 ちょっと興味があったので70~80年代の再発盤やCDも聴いてみたが、どれもとてもいい音だった。
元がどんな形態にも耐えうる録音だった、というところが本当の凄さなのかもしれない。




Oliver Nelson / The Blues And Abstract Truth  ( 米 Impulse AS-5 )

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一足先に秋の気配

2018年09月09日 | Jazz LP (Impuise!)

Zoot Sims / Waiting Game  ( 米 Impulse AS-9131 )


1966年11月のロンドンで録音されたこのアルバムは、秋のどこまでも透き通った蒼い空の雰囲気や空気感が詰まった傑作だ。 いつまでたっても蒸し暑い東京に
秋はいつやって来るのかわからないから、このアルバムをかけて一足先に家の中を秋色に染めている。

ゲイリー・マクファーランドの編曲を使って中規模の弦楽オ-ケストラをバックにズートがスタンダードをゆったりと吹く、大人のバラードアルバムだ。
オーケストラは控えめで趣味が良く、さすがは英国オケだ思わせる。 マクファーランドのスコアも素直で柔らかく、音楽の情感を静かに演出している。
ズートの円熟味はピークを迎えており、安易なムード音楽に堕することなく、深みのある哀感と上質さに溢れている。 手慣れたスタンダードだけではなく
マクファーランド作のバラードも混ぜられていて、これが陳腐な雰囲気に堕ちることから救っている。

このアルバムはステレオ盤で聴かなきゃいけない。 音質がとても良くて、バックのオーケストレーションが部屋全体に大きく拡がり、その中をズートの
テナーが悠々と流れて行く音場感が最高に素晴らしい。 RVGは制作に絡んでいないけれど、それが却ってよかったのだと思う。

紐付きは敬遠されるのか、あまり人気のない作品のようだけど、私にはその方が好都合だ。 一人静かにこの音楽にいつまでも浸っていたい。


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インパルス時代のコルトレーン

2018年07月08日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Expression  ( 米 Impulse! A-9120 )


コルトレーンの完全未発表作品がリリースされたということで、ネットの世界は色々盛り上がっている。 概ね好評のようだけど、中にはひねくれた意見や
想定の範囲内という声もあるようだ。 私はというと、日頃の安レコ買いが祟って、2LPsで5,000円という価格に腰が引けてしまってまだ買えていない。
こういう時に安レコに慣れてしまっていると何かと具合いが悪い。 

インパルス時代のコルトレーンは好きなので、割とよく聴くほうだと思う。 どのアルバムも聴き所があるので特にこれが、というのはないけれど、それでも
この "Expression" はB面トップの "Offering" が好きなので聴く回数が多いかもしれない。 テナーの音色がとてもいいのだ。

このアルバムは "To Be" の瞑想的な雰囲気に対して「死期を目前にして、悟りを得たかのような」というのがお決まりの解説だけど、なんだかなあ、と思う。
ジャズ界きっての大意識家だったとはいえ、たかだか40歳の男にそう簡単に悟りがやって来たりするのだろうか。 単に病気が悪化して体調が悪かったんじゃ
ないのかなあといつも思う。 それまでのパワー全開の演奏をするには体力も気力もついていけなかったんじゃないだろうか。

その代わりに、"Ogunde" のソプラノや "Offering" "Expression" でのテナーの音色の深みが前面に出てきて、そこに耳を奪われることになる。
マイルスのマラソン・セッションをやってた頃の彼のテナーと較べると同一人物だとは思えないわけだけど、ただそこに精神性の話を持ち込んでくると
話が途端に胡散臭くなる。 そんなこと以前に、とにかく格段に楽器の演奏が上手くなったということだ。 私がインパルス時代のコルトレーンが好きなのは、
彼のサックスのプレイが好きなのであって、彼がやった音楽の精神性や宗教性が好きなのではない。

それまでの天才たちはみんな20代前半で楽器演奏のピークを迎えたから、そこに精神性みたいなものが混入することはなかったけれど、この人の場合は
10年遅れてようやく追いついたから、そこにはそれまでの天才たちには見られなかった大人の感情がセットになっていたということなんじゃないかと思う。

いずれにせよ、卓越したサックス奏者のまだ聴いていないピーク期の演奏が出てきたわけだから、聴く価値は十分にあるだろう。 
あとはお財布と相談するのみ、である。


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ギル・エヴァンス色に染まる

2018年06月09日 | Jazz LP (Impuise!)

Gil Evans Orchestra / Into The Hot  ( 米 Impulse A-9 )


隣接する時期のセシル・テイラーの録音と言えば、これもそうだ。 ギル・エヴァンスの強い推薦でインパルスにも録音する機会を得たが、さすがにテイラーだけで
1枚を作る許可は下りなかったようで、ジョン・キャリシの曲を取り上げたセッションとの折衷となっている。

ジミー・ライオンズとアーチー・シュエップの2管を加えたクインテットでの演奏だが、冒頭のテーマ部にあたる箇所にギル・エヴァンスのペンの痕跡がある。
そういう箇所はさほど長くはないが、それでも明らかにギルの暗示がかかっていて、これが重要なアクセントになっている。 たった数小節のことであっても、
それが楽曲の印象を決定付ける。

ここでのテイラーは比較的おとなしい。 まだ爆発するような演奏は見られず、あくまでピアニスティックに弾いている。 そこには上質な気品すら漂う。
ライオンズの美音は素晴らしく、フレーズもおとなしめ、シェップもまだまだ控えめに吹いており、全体的に音楽としての剛性感は高く、纏まりもいい。

ギル・エヴァンスはテイラーのことを優れたピアニストであり作曲家だと思うと言っていて、私にはその意味がよくわかる。 この頃の彼の音楽には楽曲にX線を
照射すると骨格が透けて見えるんじゃないかという感じが確かにある。 ギル・エヴァンスの色に染まったテイラーの音楽は、どこか幸せそうに見える。

残り半分はジョン・キャリシの楽曲を多管アンサンブルが演奏するが、これも素晴らしい出来だ。 キャリシは "Israel" の作曲者として有名だが、ここでも
第三世界の豊潤なイメージを持った楽曲を提供している。 トランペッターとしてクロード・ソーンヒル楽団にいた頃にギルと知り合い、その後は彼のオケの
常設メンバーとして地味に活動している。

どの楽曲もがギル・エヴァンス色に濃厚に染まっていて、それが楽曲のコンセプトと見事に溶け合っている。 フィル・ウッズら管楽器のメンバーもそれを
しっかりと踏まえた演奏に奉仕しており、誰にも似ていない唯一無二の孤高の音楽を刻んでいる。 

まったく違う内容を持った2つのメンバー構成が交互に織りなすギル・エヴァンスの世界に陶酔させられるアルバムとして、これは忘れ難い1枚になっている。
ヴァン・ゲルダーの録音も深みのある空間表現が際立っていて、音楽の素晴らしさをより引き立てている。 すべてにおいて、非の打ち所がない。


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Ascension への誤解と偏見を解く

2015年05月10日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Ascension  ( Impulse A-95 )


私はコルトレーンのこのアセンションが大好きです。 コルトレーンの数あるアルバムの中でも屈指の傑作だと思いますが、世間一般では逆に
完全に色物扱いになっています。後期コルトレーンについて語る時、ほとんどの人が何となく居心地悪そうに気まずそうになるのは、
その演奏のたくましさや揺るぎのなさには圧倒的なものを感じながらも、あまりに個人的過ぎるその音楽にどう接すればいいのかが
わからなくなるからではないかと思います。 

特にこのアルバムは、たいていの人がジャズを聴き始めた時に手にする「名盤100選」で「コルトレーンがフリージャズ宣言をしたアルバム」として
紹介されていて、その刷り込みで一番敬遠されることになってしまっているわけです。ある程度時間が経ってから恐る恐る手にしても、先の刷り込み
が邪魔をして純粋に音楽に接することができず、こりゃダメだ、と投げ出してしまう。

確かにそれまでの曖昧な感じから脱してこのアルバムから明確にフリーを取り入れるようになっていて、史実としては何も間違ってはいないけど、
このアルバムの素晴らしさは何も説明できていない。人に勧める以上は何か理由があるはずで、何よりもまずそれを先に言わなければいけません。
別にこのアルバムがジャズ史上初めてのフリージャズというわけじゃないんだから、特にそれが重要なこととも思えません。

このアルバムを聴いて「これは凄い!」と感動するのは、コルトレーンが初めてフリーをやったからではなく、ここでの演奏がもう圧倒的に
レベルが高く、凄まじいドライヴ感で疾走するからです。もう、純粋に演奏力の凄まじさに感動させられるのです。

7本の管楽器が織りなす分厚い重奏サウンドの快楽。 ビッグバンドが好きな人なら、この重層的なサウンドの魅力にすぐ気が付くはず。
集まったミュージシャンたちはみな一流の管楽器奏者なので、楽器の音が大きくて綺麗です。これこそがジャズの醍醐味です。

そして2人のベース奏者が轟音を鳴らしながら進むウィーキングベースと、もうこれ以上は望めないほど暴れるエルヴィンのドラムとシンバル。
この3人の創り出すリズムのドライヴ感は本当に凄まじく、音楽全体が大きく大きくグイグイと前に進んでいくのです。楽曲の後半からは、
レコーディングスタジオ内のあちらこちらから興奮したメンバーたちの掛け声や叫び声が出始めます。この臨場感。

フリーといっても無軌道なハチャメチャ感はなく、きちんと抑制すらされています。だから、これを殊更に「フリー」で片付けてしまう言い草に
違和感を覚えるのです。 端的に言ってしまうと、これは最高にドライヴして疾走するビッグバンドジャズ。そういう聴き方でいいんだと思います。

みんな若くて、生真面目で、大事に楽器を演奏しています。変な話ですが、誰もが楽しそうで、そしてすごく心がこもった演奏になっているのです。
こんなのついて行けないよ、と文句や悪態をつかれながらもコルトレーンの音楽がいつまでも残り続けているのは、それが理由なんだと思います。 



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