廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

最近の猟盤事情

2015年10月31日 | Jazz雑記
今は1年で一番気候のいい日々で猟盤歩きをしていても気持ちのいいものですが、狩場であるDUには肝心の獲物が見当たりません。 この時期、彼らは
年末セールが来るまで冬眠、いや秋眠していて、巣穴からは出て来ない。 店頭にあるブツは夏場に華々しくデビューを飾ったものの見染められることなく
売れ残った大量の在庫の山で、名前を変えて週末セールのブログに再掲載される順番が来るのをおとなしく待っているその姿には涙を誘うものがあります。

そんな訳で、私が家に連れて帰るのはジャズとは関係のない音盤ばかり。 





ジャズのレコードで買えているのは唯一ECMだけで、こちらのほうはこの2カ月くらいで20枚近くまで膨れ上がってしまいました。 なにせ安いので、
自然と枚数が増えていく。 内容も私には新鮮なものが多いので、他のものにはまったく関心が向きません。 ただ、店頭に行けば必ず何かしら
在庫が転がっているECMにも、買い進めていくうちにいろいろと課題があることがわかってきます。

まず、ECMのジャケットには日焼けしたものがとても多い、ということ。 ひんやりと冷たい北欧の音楽が詰まったレコードにも関わらず、君たちは
南国からやってきたのですか? と尋ねたくなるものばかりです。 他のレーベルに比べてもその日焼け度合いは圧倒的に高く、うっすらと小麦色に
焼けた健康的なボディーのものから、渋谷の日焼けサロンにでも通ってるの? と言いたくなるような強者までいます。 元々丁寧にラミネートで
コーティング加工されている箱入り娘のはずだったのに、いつの間にか悪い遊びを覚えてコーティングが浮いたり剥がれたり、と見るからにやつれて、
「私、遊んでますけど、なにか?」という開き直ったものもある。 少しくらいのやんちゃなら別にいいのですが、これは連れて帰ると何をされるか
わからんぞ、と二の足を踏んでしまうものが多くて、おかげでタウナー&アバクロの "Sargasso Sea" などは3枚見送って未だに買えません。

過去の所有者の保管状況の悪さに加えて、どうも元々ジャケットの材質が日焼けに弱いものが使われているような感じがします。 白が基調のデザインが
多いのでそういう印象が残りやすいこともあると思いますが、白に限らず日焼けはしているので、やはり素材に問題があったんだろうと思います。

それとは逆に、盤質はほとんどのものがきれいで、盤質が悪いという理由で見送ることは基本的にありません。 50~60年代のレコードに傷盤が多いのは
当時の人たちが乱暴に扱ったからではなく、その頃のプレーヤーがカートリッジを手動で動かして針を手で直接盤に載せるタイプが多かったからです。
だから改良を望む声が多くあがって、その後のプレーヤーは自動で針を落とすようになったので、ECMの盤面はきれいなのです。

あと、プレス枚数は少なくはなかったはずなのに、結構後期プレスの盤もあるということ。 これにはちょっと気を使います。 
まあ、そこにマニアックな愉しさもあるので、これは別に悪いことではありません。 楽しんで検盤すればよろしい。

そんな訳で、店頭で手にする枚数はかなり多いけれど実際に買えるものは少ないし、欲しいと思うアーティスト自体がまだ限られているので、
嗜好の幅はまだまだ狭いですが、今のところはこれが一番の楽しみになっています。 当分、ブログのネタにも困らないでしょう。


それに引き換え、CDの猟盤に成果がありません。 いろいろと物色はするものの、どうもこれはというものにぶつかりません。 DU店員殿や他ブログ様の
お勧めの新作も試聴してみるもなかなか自分にはうまくフィットしない中、唯一とてもよかったのが今更ですがこれでした。



Kamasi Washington / The Epic  ( Brainfeeder BFCD050 )

最初に店頭で試聴した時は久々にぶっ飛びました。 こりゃあ現代版 "至上の愛" じゃんか。 いや、"ビッチェズ・ブリュー" か。 女性コーラスが
いきなり妖しい感じだぞ。 おいおい、3枚組だってよ、マジかよ。 それに、このジャケットに漂う懐かしい感じ、なんかちょっと、ヤバくない?
そういう感じです。

3枚組にも関わらず、何の苦もなく最後まで聴き通せます。 やってることは恐ろしいくらいに前時代的なのに、その質感は非常に上質でスムーズで
わかりやすく聴きやすい。 若い彼の眼には、こういうのは極めて新鮮で斬新に映ったんだろうなあ、と思います。 あっけらかんとこういうのを
やってしまっていることに、逆に衝撃を覚えました。

まあ、かつての天才たちが見せた「初めて聴く異形さ」や「理解不能な衝撃」はまだ見られず、どちらかと言えば枠内に賢くコントロールされて
納まっているのですが、ここには溢れ出てどうしようもなく止められない「過剰なもの」があります。 これが貴重で、何よりも尊いのです。
現代の芸術が失ってしまって久しいこの宝物をみんなで大事にしなければいけません。

彼は、新しい時代のマイルスになってくれるでしょうか?


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秋の深まりと共に

2015年10月25日 | ECM

Hajo Weber, Ulrich Ingenbold / Winterreise  ( 西独 ECM 1235 )


もともとは耽美的なピアノや氷のサックスというイメージだったECMですが、レコードを聴き進めていくうちに、このレーベルはギターのレーベルだ、
と思うようになってきました。 それだけ優れたギターのアルバムがたくさんあるのですが、こういうのはとても珍しいことです。 ジャズのレーベルでは
どこもギターの作品はほんの気持ち程度という扱いで、ギター好きとしてはいい作品を探すのにいつも苦労しているから、これは嬉しい誤算です。

本作は2人の無名のドイツ人ギタリストによるアコギ2本によるデュオ作品で、アクセントをつけるように2曲でウルリヒがフルートを吹いています。
1人がアルペジオで全体のサウンドを作り、もう1人がリードを取るという形を基本としていますが、とにかくこんなに美しいアコースティック・ギターは
滅多に聴くことができないんじゃないかと思います。 音の粒立ちの良さや乱れや濁りの無さはちょっと信じられないほどで、その技術力の高さは
ハンパじゃありませんが、それ以上に音色の美しさが際立ちます。 

録音の素晴らしさも頭一つ抜き出ている感じで、ギターが鳴れば鳴るほど、静寂感がより増していく感じがします。 まるで、静寂を録るために2本の
ギターに演奏させているかのように錯覚してしまうほど。 秋が深まっていくこれからの時期に、これ以上相応しい音楽は他にないと思わせてくれます。

音の美しさだけで中身がない凡百の作品とは違い、2人の持ち寄ったオリジナル作品はどれもクォリティーが高く、ピアノや他の楽器によるグループでも
演奏してもらいたいと思わせる出来です。 聴く人それぞれが自分だけの様々な情景を思い浮かべることになるであろう、優れた音楽。
自分の中でECMのベストワークの序列が大きく変わることになるかもしれない作品です。 

これが未CD化だというのは信じられない。 このレーベルは他にもそういう作品が多く、どうもCDを軽視しているようなところがあります。
それだけレコードの完成度に自信を持っているということなのかもしれませんが、この作品はオートリピートでいつまでも鳴らし続けたい。



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オーディオの不思議

2015年10月24日 | オーディオ
先日、散らかりっぱなしだったクローゼットの片付けを意を決して敢行したのですが、その時に棚の隙間に何かが挟まっていたので引っ張り出してみると、
それは随分前に処分したものとすっかり思い込んでいたレコードで、これには思わず、うおっ、と声が出てしまいました。


Rita Streich / Singt Lieder von Mozart  ( 西独 DGG LPEM 19080 )

リタ・シュトライヒがモーツァルトの愛らしいリートを歌った小品集で、その道では大変な稀少盤として知られるものですが、声楽というのは四六時中
聴くという類の音楽ではなく、たまにすごく聴きたくなる時があるのでそういう時に聴いて満足していた1枚です。 メジャーレーベルのDGでその看板
歌手のレコードがなんで稀少盤になっているのかよくわからないのですが、とにかく15年前くらいにおそろしく安い値段で見つけてしまい、レコード屋から
走って逃げるように持ち帰った想い出のあるレコードで、それがなんでこんな処に潜りこんでしまっていたのか、今となっては見当もつきません。

これは聴かねば、ということで10数年振りにターンテーブルに乗せたのですが、聴いていくうちに記憶の中に刷り込まれた音とどうも違うぞ、ということに
気が付きました。 買った当時に聴いていた音はいかにもDGのモノラルらしい硬質で引き締まった音だったのに、今聴こえてくるのは透明度と解像度が
上がって残響感豊かな柔らかいリタの声です。 伴奏のピアノもずっと艶やかで澄んだ音。 以前は全体的に硬くフラットで線も細かったのに、今はもっと
奥行き感と立体感があり、音が「起っている」感じがする。 


そこで、これが記憶違いがどうかを確認したくなって、同じように10年以上聴いていないレコードを引っ張り出してきて、久し振りに聴いてみました。



Ⅰ. Gewandhaus Quartett, Leipzig / L.V.Beethoven Streichquartett, Op.131  ( 独 Polydor B29064~72, 78rpm )
Ⅱ. Stross Quartett / L.V.Beethoven Streichquartett, Op.18-4  ( 独 Polydor 15312~4, 78rpm )
Ⅲ. Amar Quartett / G.Verdi Streichquartett, E-Moll  (独 Polydor B29103~107, 78rpm )

長らく聴いていなかったこの辺りのSPはただ単に取り扱いが面倒だから、というだけの理由で埃を被っていただけで、耳にタコがができるくらい聴いて
いるので、記憶はバッチリです。 この3セットも見る人が見れば腰を抜かしてしまう稀少盤ですが、SPは何せマーケットが限られているために
処分するのがとても難しく、聴かなくなっても未だに家にあるわけです。 最後はもう図書館あたりに寄付するとかしかないのかもしれない。

ゲヴァントハウスは何といっても第一ヴァイオリンがエドガー・ヴォルガントの時代のものだし、シュトロスのベートーヴェンの4番はこれでしか聴けないし、
アマールは大作曲家のパウル・ヒンデミットがヴィオラ奏者として参加していた伝説の団体。 値段を付けて売り買いするのは何だか間違っているような
気がします。 インディ・ジョーンズじゃないけど、こういうのは博物館に収めるべきもののような気がする。

で、順番に聴いてみると、やはり以前聴いていた音とは違う音で鳴っています。 どれも音が以前よりも澄んでいて立体的で、雰囲気が全く違うのが
わかります。 特にシュトロスのベートーヴェンはSP末期の録音なので、もう50年代のモノラルLPとまったく同じような鳴り方をしている。
時間が経って、うちのオーディオは音が変わっていたことがわかりました。



音楽マニアにとって、オーディオの問題は避けて通ることはできません。 いい音で聴きたい、というのは万人に共通する想いです。
私もオーディオの四方山話はもちろん好きですが、結局、それが趣味になることはなく、今日まで門外漢のままです。

理由は簡単で、1つはそこにつぎ込むお金がないからです。 だからオーディオ機器のあれが欲しい、これが欲しい、と言ってみてもしょうがない。
お金の話は気合いと熱意で何とかなる、と言われても、物事には限度があります。 もう1つは、やはりオーディオのことを考えるよりも、音楽のことを
考えるほうが自分にとっては楽しいからだと思います。 要するに、優先順位だけの問題です。

オーディオ愛好家の話はいろんな所で目にしますが、いつも不思議に思うのは、頻繁にアンプやらスピーカーやらを取り替える話です。
マメだなあ、元気があるなあと感心する反面、そんなに短期間に取り替えて本当に大丈夫なの?とも思います。
つまり、機器がある程度のパフォーマンスを出すのにはそれなりの時間がかかるんじゃないのかなあ、ということを経験的に知っているからです。 

例えば、携帯音楽プレーヤー用につかっているイヤフォンは1週間のうちの5日、最低でも2時間近く通電していて、猛暑の日も雪の日も雨の日も外気に
さらされて、ケーブルは折れ曲がったり引っ張られたりしながら酷使の限りを尽くされます。 で、結局、一番いい音で鳴っているのは壊れる直前、
つまり使いだしてから3~4年後くらいの時期な訳です。 イヤフォンというのは、つまりスピーカーです。

家の中にあるスピーカーをこれと同じくらいエージングするには一体どのくらいの時間が必要なんだろうと考えると、ちょっとぞっとします。
少なくとも同じ3年とか4年で、というわけにはいかないんじゃないでしょうか。 それなのに、買ってまだそんなに時間が経ってるわけでもないのに、
これはダメだと見切ってしまっていいのかなあ、と疑問に思います。

我が家のオーディオ機器は、もう17年くらい使い続けています。 お金のない若い頃の贅沢なことは当然言えない中で、自分が最終的に鳴らしたい音の
目標を決めて、構成を組みました。 その目標とは簡単で、「50年代のヨーロッパで作られた弦楽四重奏のモノラル盤を一番綺麗に鳴らすこと」でした。
で、たぶん、この目標は現在はジャンルを問わずに実現できているような気がします。 こんなに魅力的な音で鳴らしているのはきっと俺だけだ、と本気で
思っていたりする。 もう今さらこの完成された世界を壊したくないので、オーディオには触るつもりはありません。
まあこういうのは、うちの仔が世界で一番かわいい、と言っているすべての動物の飼い主たちと一緒なんでしょうけど。

10数年振りに出てきたレコードを聴きながら、久し振りにオーディオの不思議さに想いを馳せました。


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最初の大きな飛躍

2015年10月18日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Miles Ahead  ( Columbia CL 1041 )


ある作品を聴いて、その良さがわからなくてディスクを投げ出してしまうことは日常的によくあることです。 それは疲れていて音楽に集中できなかった
からかもしれないし、再生環境が適していなくてうまく鳴り切っていなかったせいかもしれないし、単に好みのタイプではなかっただけかもしれない。
でも、諦めるのはまだ早いということも、稀なことですがあるにはあります。 

このアルバムもそういう1枚で、若い頃はどこがいいのかさっぱりわかりませんでした。 当時はリズムのはっきりしたハードバップしか知らなかったので、
ギル・エヴァンスのリズムセクションをあまり重視しないオーケストレーションは薄もやのかかった曖昧な音楽にしか聴こえなかったのだと思います。
ホルンやチューバ、バス・トロンボーンなどクラシック音楽の響きを取り入れたアンサンブルの音にも慣れていなかったし、当時は不自然な響きに聴こえた
ヴォイシングやコード進行もその意味や効果を理解できなかった。

でも、人は変わるものです。 30余年の間に音楽への理解は鍛えられ、研ぎ澄まされ、成熟していきます。 ジャズ以外の音楽に夢中になる時期も経験
するし、知識が感性をうまく補強するようにもなる。 一般に優れた芸術は、世の中の平均的な感性のレベルを常に大きく飛び越えようとし続けるもの
だから、感性だけに頼る接し方ではついて行けなくなることも色々出てくる。 そんな時、それを理解することができる知力みたいなものが必要になる
こともありますが、年を取るにつれてそういうものは自然と備わってくるものです。

1957年5月にこの作品が作られた、というのは驚異的なことです。 その年にアメリカの他のジャズ・ミュージシャンたちが何をやっていたかを考えれば、
このアルバムの尋常ではない飛び越え方に言葉を失ってしまう。 

穿った見方をすれば、クロード・ソーンヒル・オーケストラをバックにマイルスがフリューゲルホーンを吹いてるだけじゃないか、という言い方だってできる
かもしれません。 ただ、サウンドカラーは似ていても、オーケストレーションはソーンヒル時代よりも遥かに緻密で複雑で抽象的になっているし、
音の拡がり方や内声部の豊かさは比較にならない。 昔はわからなかったそういうことが、今はしみじみとよくわかります。

これは本当に傑作だと思います。 そして、それは評論家だけが褒める近寄りがたい歴史的な名盤という意味ではなく、誰もがいつも身の回りに置いて
気軽に聴くことができる親密な音楽だとも思います。



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風景画のような音楽

2015年10月17日 | ECM

Jan Garbarek / Places  ( 西独 ECM 1118 )


ヤン・ガルバレクがビル・コナーズのギター、ジョン・テイラーのオルガン、ピアノ、デ・ジョネットのドラムをバックにワンホーンで叙情的に綴った
まるで風景画のような作品。 

ジョン・テイラーの音を小さく絞った控えめなオルガンが透明感のある背景の淡い色を作っており、これが素晴らしい。 まるでオルガンではなく、
シンセサイザーのような使い方をしています。 ビル・コナーズも必要最小限ながらも繊細な音色でデリケートなフレーズを印象的に紡いでおり、
バックの演奏の質感の高さは群を抜いています。 ベースがいないお蔭でドラムまでもが浮遊感を漂わせている。

ガルバレクはサックスでフレーズを吹いていくというよりは、音で空間に色付けを施していくという感じで、キャンバスに筆ですくった様々な色を
載せていくようなアプローチで、曲が進むにつれてだんだんと絵画が完成していくのを見ているような趣きがあります。 こういうところが既成の
音楽には無かったところで、このレーベルが確立したまったく新しい音楽の形なんだろうと思います。

ガルバレクの誰にも似ていないサックスの音は素晴らしく、この人がいなければ私はECMの音盤はもともと聴いていなかったかもしれません。
そういう意味で、個人的にはガルバレクという人は思い入れのある音楽家です。 レコードで聴くようになって、ますますその孤高の音が好きに
なっていきます。 
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深い夜の闇の奥から浮かび上がる音楽

2015年10月12日 | Jazz LP (Verve)

Gil Evans / The Individualism Of Gil Evans  ( Verve V-8555 )


人生の終焉を迎えて、誰かからあの世にジャズのレコードを何枚か持って行っていいよと言われたら、私はその中にこのアルバムを必ず入れる。
この作品は私にとってはそういう別格の存在で、好きという言葉だけでは自分の想いをとても伝えきれません。

このアルバムには1つ大きな欠点があります。 それは、1枚のレコードに5曲収録されていますが、各曲が短すぎること。 どの曲も、さあ、これから、
というところでフェイドアウトして終わってしまいます。 もし願いが叶うなら、"The Barbara Song" で両面1枚、"Las Vegas Tango" で両面1枚、
残りの3曲で1枚、の3枚組アルバムにして欲しかった。

ギル・エヴァンスと言う人を一言で表すなら、それは「清貧」。 アレンジャーという仕事は参加したアルバムがいくら売れても、その印税はほとんど
懐には落ちないんだそうですが、それでもアレンジャーの仕事は止めなかった。 コロンビアでのマイルスとの契約が終わった後も、マイルスを影の
ブレーンとして支え続けた話は有名です。

この作品も、訳の分からないタイトル名や悲惨極まりないジャケットデザインで、人々がこのアルバムを手に取るのを敬遠させ、商業的に売れることを
頑なに拒絶しているかのようです。 そういうものとは距離を置き、音楽のことだけを考えていたい、そう言っているような気がします。 
でも、表面的にはそういう禁欲さを装いながらも、ここからは音楽だけがもたらす濃厚な快楽の雫がしたたり落ちてくる。

とにかく、夜の深く暗い闇の中からいろんな情景が浮かび上がってくるようなムードが全編に漂っていて、この雰囲気に陶酔させられます。 
"The Barbara Song" では、ウェイン・ショーターのテナー・ソロがどこまでも深くダークな色合いでゆらゆらと漂いながら、こちらへと迫ってくる。 
"Las Vegas Tango" では、ポール・チェンバースとリチャード・デイヴィスのダブルベースにバリー・ガルブレイスのギターが加わって重く暗いリズムを刻む中、
エルヴィンのシンバルワークがネオンライトのきらびやかさのように乱舞し、ケニー・バレルのシングルトーンが孤独な内省の呟きのように鳴り響き、
やがてリード奏者たちが楽曲の主題を、まるでラヴェルの "Bolero" のように急カーヴで上昇させながら、繰り返し繰り返し高らかに吹いて行く。


この時期のヴァーヴは商業主義に堕ちた俗悪なレーベルとして愛好家からは蔑まれているところがあるように思いますが、それは間違っていると思います。
ジャズが変容を余儀なくされたあの時期に、これほどジャズメンを大事にして、多くのレコーディングの機会を与えたレーベルは他にはなかった。
この作品も、これだけの超一流をこんなに大勢集めて、売れる見込みのない無口な傑作に仕上げてしまった。 

ここに集まった人たちは皆ノーギャラでいいから一緒に演奏させてくれ、とギルを慕って来たんじゃないでしょうか。 
ビリー・ホリデイが最晩年にコロンビアに録音した際、ニューヨーク中のスタジオミュージシャンたちが一緒に演奏させてくれ、と騒いだ時のように。
そういう当時の多くの才能たちの大事な受け皿となれたこのレーベルは立派だったと思います。


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祈りの音楽

2015年10月11日 | Free Jazz

Evan Parker / Six Of One  ( 英 Incus 39 )


この2年間、かなり注意してCDを探してきましたが、ついに1度も出会うことができず、仕方なくレコードで聴くことに。 まあ、レコードの方もまったく
出回ることがないので、まずはこれでよしとしなければいけないのかもしれません。

1980年ロンドンの聖ジュード教会(ここはクラシック音楽の録音にもよく使われる)で録音されたソプラノサックスのソロ演奏で、技術的にも音楽的にも
絶頂期にあったエヴァン・パーカーの最高傑作として名高いものです。 循環呼吸によるフラッター・タンギングと目まぐるしい運指によるポリフォニックな
サウンドが最初から最後まで続く圧巻の演奏です。

これはもう音楽というよりは、聖歌隊の歌う聖歌を背景に司祭が説く祈祷の声、としか言いようがない内容です。 音がどこまでも高い天井へと駆け上って
行き、そこにぶつかって砕け散り、不規則にあちらこちらに降り注ぐような光景を目撃し、音が鳴り終わった後に訪れる静寂の恐ろしさに身震いさせられる。

教会音楽というのは無伴奏による重層的な男性の声楽でなければいけませんが、そういう複数の歌い手が銘々バラバラの旋律を同時に歌っているような
異様さのごとく、1人のサックス奏者だけで演奏しているはずがない、と思わざるを得ないような倍音が重なり合った空間が表出される。 テナーサックスで
これをやられるとうるさくて耳を塞ぎたくなりますが、ここではソプラノサックスの主旋律音は倍音の中に埋もれて徐々に消えていくような感覚があります。

録音の凄さも圧巻で、本当に教会の後方の席に座って教会内にディレイがかかって鳴り響く残響の中で聴いてるような音です。 ジャズの録音音質ではなく、
クラシックの録音技術で録られており、私の感覚ではこれはジャズではなくクラシック音楽に分類するほうがいろんな意味で適切だと思えます。

エヴァン・パーカーのソロ作品ではなぜかこの作品だけがこういう宗教的な雰囲気を持っており、そういう意味ではこれが最高傑作というよりは、
かなり異質な作品になっているということではないでしょうか。



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今週の収穫

2015年10月10日 | ECM

Ralph Towner, Gary Burton / Match Book  ( 西独 ECM 1056 ST )


ネットの世界では既に称賛の嵐が吹いているこの作品、ジャズを33年間聴いてきたのに私はその存在すら知りませんでした。 自分が如何に偏った聴き方を
してきたか、ということを今更ながらに思い知らされます。 音楽への好奇心は人並み以上に強いはずなのに、若い頃は稀少盤蒐集に夢中だったせいで、
自分で自分の首を絞めていたんだなということに今頃気が付く始末です。 こういう類のレコードは廃盤蒐集家だった私の好みにはそぐわず、当時は
バカにして手に取ることすらしませんでした。 でも、自分が変わることができて本当によかったと思います。

ラルフ・タウナーの12弦ギターがとてもいいです。 12弦ギターは6弦よりも左手で弦を押さえるのが厄介だし音も濁りやすいのですが、タウナーは非常に
クリアできれいに響かせています。 ヴィヴラフォンがいるお蔭で和声を作ることにさほど気を使わなくて済むからなんでしょう、ガチャガチャとコードを
かき鳴らすこともなく、非常にすっきりとした演奏に終始しています。 ギターとしては、この楽器構成はありがたいのではないでしょうか。

ゲイリー・バートンもアルバムコンセプトをよくわきまえており、抑制を効かせながらもヴィブラフォンの最大の武器である美しい響きを活かすことを
忘れない演奏をしていて、それをECMの優れた録音コンセプトが後押ししていて、澄んだ清流の水を手ですくっているような気持ちになります。

"Some Other Time" の感動的な演奏が入っていることや、2人の互いを思いやるような寄り添い方から、全体的にビル・エヴァンスのアンダーカレントを
想起させる素晴らしいアルバムです。 何度も繰り返して聴きたくなります。 このアルバムの素晴らしさを書き残してくれた先人たちの足跡に感謝。

発表当初はアルバム番号1055のバートンとスワローのデュオと箱入りセットとしても発売されていたようなので、もう1枚のほうも探して聴いてみたいです。



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ようやく見つけた Tony Lada

2015年10月04日 | Jazz LP

Tony Lada / The Very Thought Of You  ( Sterling Bell Records SB001 )


1年ほど前にこの人の "On The Edge" という作品を聴いて、その凄まじいテクニックに圧倒されたトニー・ラダ。 ボストンを拠点に活動するいわゆる
ローカルミュージシャンなので作品として残されたものが少なく、目にすることもなければ実際に聴くことも難しい残念な状態です。 ただ、それは
音盤マニアの間に限った話で、実際はトロンボーンを志す若い後進への指導者として音楽の現場では名の通った人のようで、この人に教えを乞うた
日本の若者も大勢いるということを少し前に知りました。 だから、レコードを作っているようなヒマはなかっただけなのかもしれません。

スライドトロンボーンのワンホーンによる現代のストレートハードバップで、とにかくこんなに音程が正確で安定したトロンボーンは他では聴いたことが
ありません。 音量も豊かで張りがあり、痩せた小さな身体でよくこんな大きな音を出せるなと驚いてしまいます。 アップテンポの曲では最大限に張った
ビッグトーンで一糸乱れぬなめらかさで長いフレーズを繰り出し、ミドルテンポのミュートをつけた曲では繊細な音でデリケートに歌い、バラードでは
陰影に富んだ彫の深い音で抒情的に鳴らすなど、その引き出しの多さや表情の多彩さは圧巻。 トロンボーンという楽器の演奏そのものでここまで
感動させられるのは他に例がありません。

歌物のスタンダードが4曲、ジャズメンのオリジナルが2曲、自身のオリジナルが2曲、という選曲バランスもよく、やっていることは極めて平易でシンプル
ですが、純粋に演奏の力だけで音楽の格を大きく上へと押し上げているのがよくわかります。

また、おそらくはこの作品をリリースするために立ち上げられたのではないかと思われるレーベルにも関わらず、音質が非常にいいです。
各楽器がクッキリと分離して音像もシャープで、楽器の音がきちんと前へ出ている素晴らしい録音です。 1988年5月にボストンのバークレー音楽院の
スタジオで録音された、現代ジャズの傑作です。 ちょっとげんなりするジャケットですが、未CD化のはずなのでそこは目をつぶって。


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ラルフ・タウナーを探して

2015年10月03日 | ECM

Ralph Towner, John Abercrombie / Five Years Later  ( 西独 ECM 1207 )


ECMのレコードが少しづつ増えています。 と言っても何でもかんでも手を出すことはなく、まだ今は自分が知っているアーティストの作品の範囲だけです。
とにかく値段が安いおかげで財布の心配をする必要があまりないし、中古の流通量はCDよりもレコードのほうがなぜか高いような気がします。
これまでほとんど聴いてこなかったことが幸いして音楽に新鮮な気持ちで接することができて、古い名盤の買い直しなんかよりも遥かに快楽度が高い。

もうネットでCDやレコードを買うことは全くなくなって、街の中をよく歩いて探すようになりました。 そのお蔭で体重がかなり落ちて、醜く出ていた腹は
まな板のようになり、「これじゃCDやレコードが増えても怒れない」と相方は溜め息まじりでぼやくようになりました。 しめしめ、です。


そういえばラルフ・タウナーのレコードがうちにはないことにハタと気が付き、探してみるとこれが見つかりました。 アバークロンビーとのデュオ作品で、
このフォーマットでの録音の2回目にあたるものです。 タウナーはアコギ、アバ-クロンビーはエレキで、お互いに対話するように演奏が進みます。

どちらもいわゆるジャズ・ギターにはなっておらず、コンテンポラリーな楽曲を自由に奏でています。 それぞれを単体で見るとなかなかアグレッシヴで
トリッキーに弾いているにも関わらず、出来上がった音楽は空中を浮遊するような、どこまでも透き通ったこの人達らしいものになっているから不思議です。
ともすればお互いに頑張り過ぎてしまって刺々しい音楽になりがちなのに、彼らはそうはならずに遥か遠くのものを見つめるかのように音楽を紡いでいく。
だからこちらも一つ一つの旋律を追いかけるのではなく、全体の雰囲気にただぼんやりと身を任せて漂っていればいいのだと思います。

タウナーのほうはビル・エヴァンスの曲を1曲混ぜたソロ作品が、アバークロンビーはリッチー・バイラークとやった作品がそれぞれまだ未入手で、
それらに出会うのを愉しみにしながらまたしばらく歩いて探す日々が続きそうです。



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