廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ナット・アダレイは歌う

2022年07月31日 | Jazz LP (Riverside)

Nat Adderley / Little Big Horn  ( 米 Riverside RM 474 )


ナット・アダレイは、実際のところ、まったく評価されていない。演奏家としても、音楽家としても、コレクター的見地からしても。
彼のプレイが素晴らしいと褒められることはまずないし、"Work Song" というヒット曲があるにも関わらずその作曲力や音楽を創る力を
評価されることもないし、レア盤として羨望の眼差しを集めるアルバムもない。有名な割にここまでないないずくしの人も珍しい。

コルネットというシブい楽器をファーストとしていたこと、兄のキャノンボールの影に隠れがちであったこと、ジャズ界では比較的メジャーな
レーベルを渡り歩くことができたこと(もちろん、これはラッキーなこと)などが原因のように思えるけど、それにしてもあんまりだと思う。
録音の機会には恵まれてアルバムがたくさん残っているので、そのすべてを聴くところまではいけないけれど、いくつか聴いた範囲ではどれも
聴き応えがあったし、印象的なものも多い。

このアルバムはジュニア・マンスのトリオにジム・ホール、ケニー・バレルが交互に加わったところにワン・ホーンで取り組んだもので、
ナットの実像がよくわかる作品だ。

彼のコルネットは音に濁りがなく澄んでいて、非常に伸びやか。コルネットはトランンペットと音色は変わらないが、構造上、管が一重巻きの
トランペットに対して二重巻きとなっているから大きさが一回り小さく、小柄なナットには扱いやすかったのだろう。楽器のコントロールが
よく効いている感じがする。

そして印象的なのは、彼のフレーズはどれも非常によく歌っているということだ。アップテンポの曲もスローな曲も実によく歌っている。
ミュートを付けて静かに流れる "Loneliness" やタイトル曲での雰囲気はマイルスばり。全体的にバリバリとアドリブを披露することを避け、
ライトなタッチで吹き流しているのが特徴的だが、それがこの人の音色の良さや歌心を際立たせることに一役買っている。

スタンダードは入れず全曲自作で臨んでいるけど、メキシカンなものもあればジャズ・ロックっぽいものもあるなど、変化に富んだ内容で
全編通して飽きさせない。それだけ引き出しが多かったということで、感性が豊かだったということの現れだろうと思う。
どの楽曲もセンスよく纏まっていて、好感度が高い。

バックのメンバーもいい意味で肩の力が抜けてリラックスした、それでいて手堅いサポートをしており、全体が上手く纏まった
素晴らしい演奏に終始していて、両面聴き通した後に「ああ、いいアルバムを聴いたな」という心地良い余韻が残る。
これは持っていることが嬉しくなる、幸せなアルバムなのだ。


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若き日の別顔

2022年07月23日 | Jazz LP (Riverside)

Chuck Mangione / Recuerdo  ( 米 Jazzland AM 84 )


チャック・マンジョーネと言えば、奇妙な帽子を被った長髪の男がラッパを抱えて能天気に笑っている姿を反射的に思い出す。
実際に抱えているのはフリューゲルホーンで、彼の大ヒット作の "Feel So Good" でもその甘い音色を聴くことができるが、ジャズの愛好家
からはこういうのはジャズから脱落した音楽として嫌われる。だから、それをやっているマンジョーネ自身も相手にされない。

そんな彼も、デビューした時はリヴァーサイドに籍を置き、短い期間ながらもハード・バップをやっていた。兄弟名義がメインだったが、
こうして本人名義のアルバムも残している。ウィントン・ケリーのトリオをバックにした本格的な内容で、これがなかなか聴かせる。

サックス奏者のジョー・ロマーノとの2管編成だが、冒頭のタイトル曲のダーク・ムード漂う曲想をミュート・トランペットの切ない音色が
物悲しく歌い、このアルバムの核になっている。ビ・バップ調の曲もあれば、渋めのスタンダード、マイルスへの敬意としての "Solar" など、
一筋縄ではいかない凝った構成で、かなりよく考えられた内容だ。ウォーレン=ゴードンの "I Had The Craziest Dream" での抒情感は
その若さに似合わない成熟感があり、彼がこの時点で既に優れた音楽家であったことを証明している。

純度の高いストレート・ジャズであり、ロマーノの好演も手伝って、変な色の付いていない好感度の高い内容だ。アドリブ・ラインもよく
歌っており、演奏もしっかりとしている。ウィントン・ケリーのトリオもいつもの明るい音色でバンド・サウンドのカラーに貢献している。

1962年の録音当時、彼は22歳。人生はこれからで夢はたくさんあっただろうが、主流派ジャズは既に瓦解して水は枯れており、
これをやるには残念ながら遅すぎた。もちろん、それは彼の責任ではなく、運が悪かったに過ぎない。ジャズの仕事は激減しており、
ここでは喰うことすらままならなかっただろう。もう10年早く生まれていれば黄金期に一端のトランペッターとしてキャリアを蓄えて
来たる60年代を乗り越えることもできたかもしれないが、経験の蓄積がない状態では路線変更せざるを得なかったのかもしれない。
だから、その後の彼の仕事を簡単に馬鹿にする気にはなれないのである。

後年の姿からは想像できない、この暗い影の中からほんのりと浮かび上がる彼の顔を見ていると、湧き上がってくる憐憫の情を
抑えることができず、つい同情的に聴いてしまう。


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ゴルソン・カラーに染まった佳作(2)

2022年07月18日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jimmy Cleveland / Rhythm Crazy  ( 米 EmArcy MGE-26003 )


この第4作もゴルソンとファーマーが加わり、アレンジはゴルソンのものとジジ・グライスのものが混在している。
第1作や第3作のアーニー・ウィルキンス・オンリーの編曲と雰囲気が違うのは一聴してすぐにわかる。

どこが違うかというと、楽曲が持つ良さがより魅力的に引き立つような編曲に沿って各人の演奏が一直線に進んでいるということに尽きる。
変な小細工が感じられず、非常にストレート。そこにヴィヴィッドや柔らかいハーモニーが施されているから、楽曲に美しい輝きがある。
ジャズの場合、アレンジはマイナス要因と捉えられがちだけど、上手くやれば音楽はより豊かなものへと格上げされる。
ハンク・ジョーンズがピアノを弾いているのも、全体がデリケートに仕上がっている要因の1つだ。

アップ・テンポの曲はキレのいい演奏が素晴らしく、スローな曲では幻想的な美しさが表現されおり、全編を通して質の高い音楽になっている。
その一番いい見本が "Our Delight" で、この曲がこんなにいい曲だとはこれを聴くまでは思っていなかった。彼らが演奏するとただのビ・バップの
単調な曲ではなく、美しい名曲に様変わりする。タッド・ダメロンの頭の中では、きっとこんな風に聴こえていたんだろうなと思う。
これを聴くだけでもこのレコードは買う価値がある。

こんな素晴らしい音楽が詰まったレコードがあまり聴かれていないというのは本当にもったいない。もっと広く聴かれるようになればいいのに、
と思う。そうすればジャズという音楽が好きになる人がもっと増えるだろう。レーベル・デザインも可愛らしい。


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ゴルソン・カラーに染まった佳作

2022年07月17日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jimmy Cleveland / Cleveland Style  ( 米 EmArcy MG 36126 )


ジミー・クリーヴランドはその名前はいろんなところで目にするから我々にはお馴染みのトロンボーン奏者だが、リーダー作は意外にも少なく、
私の知る限りではエマーシーに残された4枚だけ。このレーベルはジャズのレーベルとしてはカタログ数は多いものの決定的名盤と言われるものが
多くなく、かなり格下の扱いになっている。そのため、そのアルバムは埋もれがちで、クリーヴランドの場合も例外ではない。

彼のアルバムが見向きされないのはどのアルバムも多管編成になっているからだ。多管編成は形式が優先されて音楽が定型化されがちなので
とにかく嫌われるわけだが、そこで重要になるのがアンサンブルのアレンジということになってくる。このアレンジにベニー・ゴルソンや
ギル・エヴァンスが絡んでくるとその様相は一変するが、彼の4枚のリーダー作のうち、2枚はベニー・ゴルソンンが絡んでいてこれが傑作、
残りの2枚はゴルソンが絡まないので駄作、というわかりやすい構造になっている。

第2作のこのアルバムはゴルソンやファーマーが加わり、アレンジはゴルソンのものとアーニー・ウィルキンスのものが混在する。
ウィルキンスのアレンジは面白くないことが多いが、このアルバムはゴルソンが演奏に入っていることからその雰囲気がジャズテットっぽく
なっていて、非常にいい仕上がりになっている。

チューバが通奏低音を受け持つことでハーモニーやアンサンブルがしっかりと安定していて、柔らかく上質な質感となっている。
各人のソロも1級品の出来で、クリーヴランドの演奏はカーティス・フラーなんかよりもずっと上手い。これだけの腕前であれば、誰かいい
テナー奏者の相棒を見つけていればトップクラスのコンボを立ち上げることもできただろうに、そういう面では残念だった。

アレンジの形式感が前面には出ておらず、そこが好ましい。通常の2管編成くらいの自由闊達なジャズとあまり変わらない雰囲気があり、
そこにゴルソン&ファーマーのくすんだ色彩感が施されているから、ハード・バップ好きには堪えられない音楽になっている。
知る人がいないが故の無冠の傑作と言っていい。


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リヴァーサイドの見識の高さが生んだ傑作

2022年07月10日 | Jazz LP (Riverside)

Billie Poole / Confessin' The Blues  ( 米 Riverside RM 458 )


リヴァーサイドにはポチポツとヴォーカルアルバムが残っているが、そのどれもが深く唸らされるものばかりだ。ネームヴァリュー先行で
アルバムを作ったのではなく、本当に実力のある人だけを取り上げており、その見識の高さには頭が下がる。その最右翼はマーク・マーフィーの
2作だが、その次に続くのはこのビリー・プールあたりだろう。

ダイナ・ワシントンの声質とサラ・ヴォーンの伸びやかな唱法をミックスしたような感じだが、持ち味はもっとすっきりさっぱりしていて、
その真っ直ぐな歌唱が聴き手の心にストレートに刺さってくる。問答無用に上手い歌で、これはもう敵わないなあという感じである。
歌の上手さというのは神から与えられたギフトであることがよくわかる。

ジュニア・マンスのピアノ・トリオにケニー・バレルが入ったバックの演奏が最高の仕上がりで、ミッドナイト・ブルーそのもの。
この時の収録の流れで、この4人の演奏だけでアルバムを1枚作って欲しかった。

ディープなブルースがメインでマーク・マーフィーのアルバムと同じコンセプトだけど、管楽器がいないのでもっと静かで穏やかな時間が流れる。
あまりのインパクトの強さで、一旦こういうのを聴いてしまうと、なかなか他のヴォーカルアルバムに手が伸びにくくなるのが唯一の難点か。
50年代末に欧州で評価されたために大陸を行ったり来たりしていたせいで、アルバムがリヴァーサイドの2作しか残っていないなのが残念である。



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ジョージ・バロウに関する覚書

2022年07月03日 | Jazz LP (Decca / Coral)

The Amram-Barrow Quartet / Jazz Stuidio No.6 ~ The Eastern Scene  ( 米 Decca DL 8558 )


最近聴いて腰が抜けてノックアウトさせられた1枚。並み居る名盤たちを押しのけて、今季の4番打者の位置に座っている。
パタパタしていて何気なく眼に留まって、デッカのよくある凡庸なスタジオ・セッションものかとスルーしかけたが、ふと、" The Eastern Scene"
という小さなレタリングに引っ掛かった。東海岸のジャズなのか、ということで聴いてみようと拾ってみると、これが大当たりだった。

ピアノレスでテナーとホルンという珍しい構成だが、これがちょうどミンガスがサヴォイやベツレヘム時代にやっていた音楽に酷似している。
きちんと作曲された楽曲を使って、ゆったりとして振れ幅の大きい演奏で、アンサンブルも上質で最高の仕上がり。そして楽器のハーモニーの
音色が深く、響きも豊かでこれにヤラれてしまった。その深い響きを演出しているのがジョージ・バロウというテナー奏者の音色だった。

名前は知っていたけどこれまでは特に意識して聴いてこなかったが、結構いろんな作品に顔を出していたようで、一時期よく声が掛かったらしい。
ただ、本人名義のアルバムはこれしか残っておらず、あくまでも多管編成を組む際のサポート要員としての位置付けだったようだ。
確かにステージの中央に立って朗々とアドリブを披露するようなタイプの演奏ができそうな人ではないが、この魅力的な音色には抗し難く、
聴く耳を持った人からは評価されたのだろうと思う。

導入のリフだけ決めて後はアドリブで繋ぐというセッション形式ではなく、デヴィッド・アムラムという後に作曲家として名を成す人が書いた
楽曲を採用することで音楽が構造的にしっかりとしていることが成功の要因となっているが、決して理屈っぽい音楽とはなっておらず、
寛ぎ感に満ちたストレートなジャズになっていて、とてもいい。そこにバロウが加わることで音楽に憂いが刻まれることになった。






彼が参加した他の作品には例えばこういうものがあって、これらに共通するのが非常に深い陰影が刻まれた音楽だということだろう。
"ブルースの真実" の深みはオリヴァー・ネルソンの才能かと思っていたけど、このアルバムの別のメンバーたちによる続編にはそういう深みは
まったく見られず、なぜだろうと不思議に思っていたが、もしかしたらバロウが加わっていないからだったのかと今となっては邪推してしまう。
ミンガスの作品も深夜のニューヨークの静寂が漂うディープな音楽だが、これも実はバロウの存在の影響だったのだろう、と今は思っている。

リーダー作がなくても、印象的な音楽を残すことができた演奏家がいたのだということをこうして明記しておきたい。



コメント (4)
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