廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

猫が不思議そうに見つめるもの

2020年06月30日 | Jazz LP (Milestone)

Lee Konitz / Spirits  ( 米 Milestone MSP-9038 )


非常に攻めた演奏を聴かせる。長いフレーズを悠々と聴かせるいつものプレイではなく、鋭利な短剣で次々と突き刺していくような強い意志が
込められた演奏だ。音色への配慮などはお構いなしで、どんどん切り付けていく。

収録された9曲のうち、5曲がトリスターノ作、1曲がウォーン・マーシュ作、残りがコニッツ自作というトリスターノの世界を描いたアルバムで、
タイトルの "スピリッツ" というのはトリスターノのことを指しており、アルバム自体がトリスターノに捧げられている。1971年という時代に、
既に忘れられたトリスターノの音楽を再び世に知らしめようとしたのだろうと思う。

マイルストーン・レーベルに残した作品は皆コンセプチュアルで、プロデューサーのオリン・キープニューズとコニッツで練り上げられた音楽が
作品として結実している。世評としては"デュエッツ" の方ばかりが褒められるが、このアルバムも明確なコンセプトに基づいた力作で、他のレーベル
に残したアルバム群とは一味も二味も違う。

当然、コニッツとサル・モスカによるユニゾンの箇所が多く、トリスターノ学派の不思議な音楽構造が浮き彫りになっている。古い音盤で聴くと
あまり感じないことだが、こうして後年の時代のアルバムとして聴くと、ジャズという音楽の中ではそれはなんと不思議な世界観だろうと思う。
音楽理論ではうまく割り切ることができないこの感覚はコニッツに染み付いていて、彼の音楽のインナーマッスル的エンジンになっているんだなあ
と思う。

このアルバムを聴いているとトリスターノの暗い顔が浮かび上がってくるかのように感じられて、アルバム・タイトルは "スピリッツ" ではなく、
"ゴースト" でもよかったんじゃないか、という気がしてくるのだ。


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寂寥感に感じ入ることができれば

2020年06月28日 | Jazz LP (Enja)

Lee Konitz / Strings For Holiday ~ A Tribute To Billie Holiday  ( 独 Enja ENJ-9304-1 )


ノンビブラートの穏やかな音色が伸びやかで心地いい。とてもリラックスして吹いている。最初から最後まで、歌心で溢れている。私が知っている
コニッツのアルバムの中では、最も優しい音色で吹かれている。

ウィズ・ストリングスといっても大編成ではなく弦楽六重奏がバックなのでイージーリスニングの雰囲気はなく、もっとジャズらしい仕上がりに
なっているのがいい。弦楽のアレンジも変に凝ったものではなく、適度に現代的で過度に甘くならず、ちょうどいい匙加減だ。音の隙間が多いので、
コニッツのアルトがよく聴こえて全体のバランスもとてもいい。

このアルバムの雰囲気はアート・ペッパーの "Winter Moon" に少し似ていて、孤独な寂寥感が全体を覆っている。寂しくならざるを得ない、大人の
男の音楽である。だから、聴く人を選ぶ。この演奏の雰囲気の良さは、おそらく若い人にはピンとこないだろうと思う。自分が若かった頃の感覚を
思い起こすと、きっと途中で投げ出している様子が想像できる。

難しいことは何もしておらず、何かの野心があるわけでもない。老齢にさしかかった音楽家が、永く好きだった伝説の歌い手のことを想って作った、
素朴なアルバムだ。その音楽家の素直な心が感じ取れる。もし、今聴いて理解できなかったら、10年後にもう1度聴いてみるといい。
きっと、あなたが聴くにはまだ早かったのだ。


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仏盤で聴く "A Portrait Of Thelonious"

2020年06月27日 | Jazz LP (Columbia)

Bud Powell / A Portrait Of Thelonious"  ( 仏 Columbia S 63.246 )


パリのスタジオでの録音だが、これはアメリカ盤がオリジナルということでいいだろう。ただ、家にあるのはモノラル盤で、ちょうどステレオ盤は
聴いたことがなかったので、まあいいかと拾ってみた。フランス盤にはモノラルプレスがない。

当然、元々はステレオ録音だろうから、自然なサウンドだ。品のいい適度な残響を纏っていて、良好な音場感。モノラルは芯のしっかりとした骨太な
音楽を聴かせるが、こちらはもっと演奏の表情が明るい。ピアノの演奏の中に映るパウエルのいろんな表情がよくわかる。こういうところがさすがの
コロンビアだろう。音楽をより音楽的に再生してくれる。

ベースの音もクリアで輪郭がはっきりしていて、サウンドの中に埋没していない。ドラムのブラシが擦れる雰囲気もよく出ている。それぞれの音の
分離がよく、見通しのいいサウンドだ。

アメリカ盤のステレオは聴いたことがないが、おそらく国籍の違いはあまりないんじゃないかと想像する。コロンビアは元々欧米各国に製造工場を
持っており、クラシックのレコードではそれぞれ意匠は異なっていても音質は均一な仕上がりだから、ジャズでもきっとそうだろうと思う。
コロンビアの場合は国の違いよりも、モノラルかステレオかの違いの方が重要になる。このアルバムはモノラルとステレオのそれぞれに良さがあり、
甲乙は付け難い。

これでバド・パウエルの公式なレコードはすべて聴いたことになると思う。全部が手許に揃っているわけではないけれど、コレクションを目的に
しているわけではないので、これで十分だと思う。どれを聴いても、この人の演奏には感じ入るものがある。ここに載せていない盤もまだ他に
たくさんあるので、機会があればまたぼちぼちと取り上げていく。


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独盤で聴く "Affinity"

2020年06月26日 | Jazz LP (Warner Bro.)

Bill Evans / Affinity  ( 独 Warner Brothers WB 56 617 )


好きなアルバムだけど、これは成功作とは言えない。ラリー・シュナイダーが邪魔なのだ。この人の存在がアルバムの成功の足を引っ張っている。

トゥーツとエヴァンスが創る世界観にまったく合わないプレイと楽曲を持ち込んでいて、全体を台無しにしている。テナーの音はきれいとは言えず、
他の楽器の美しさにまったくそぐわないし、オリジナル曲も曲想がアルバムに合っていない。なぜ、このアルバムでコルトレーンのような時代錯誤の
演奏をする必要がある? そういうのがやりたいのなら自分のアルバムでやってくれよ、と言いたくなる。この神経が私には理解できないし、
このままアルバムとしてリリースする感覚もさっぱりわからない。

と、まあ、聴くたびに頭にくるんだけど、そこを除けば美音とロマンティシズムに溢れる素晴らしい世界だ。イージーリスニングとかフュージョン
なんて陰口を叩かれるけど、それのどこが悪い? 2人のマエストロが提示する音楽は、うかつに近寄るのが憚られるような美しさだ。

その世界観を支えているのがコロンビア・スタジオで録音した高品質なサウンドだけど、やはりアメリカ盤だとバター・ホイップのデコレーション
ケーキのような重い口当たりで、両面聴き通すのがしんどい。ラリー・シュナイダーの件もあって、困ったアルバムだなあ、と長年思っていたが、
独盤で聴くと電化処理したような油分は除去されていて、アコースティックな響きを取り戻している。トゥーツのハーモニカが純度の高い深く
美しい響きで鳴っていて、これがいい。エヴァンスの音も自然で、きれいだ。やはり、空間処理がアメリカ盤とは違うのだ。

些細な話かもしれないが、こういう違いは感動の質に直結することを我々はよく知っている。だから、こだわるのである。


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独盤で聴く "What's New"

2020年06月25日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / What's New  ( 独 Verve V6-8777 )


ユニオンのエサ箱にはよく国籍違いや版違いが転がっているので、財布の中に小銭が残っていて、且つ気が向いたら拾ってきて、聴き比べを
楽しんでいる。安レコだし、まあいいじゃん、という感じ。このアルバムも先日独盤が転がっていたので、拾っておいた。

オリジナルは米盤だけど、製品としての品質は元々イマイチで、ジャケットも盤も粗雑で質感が悪い。ただ、時代背景を考えると仕方ないよな、と
諦めている訳だけど、独盤はさすがの品質の高さだ。ジャケットはコーティングだし、盤のプレス品質も米盤よりも高い。この品質に匹敵するのは
当時の日本のペラジャケ盤だけである。ドイツ、日本の量産品に関するモノづくりは他を圧倒している。

聴き比べて音質に違いがあるのはあまりに明白だ。とにかくノイズを一切拾うことが無く、クリーン・ルームで演奏されたかのようなクリアな
音場感に感心する。これは盤の材質や溝の切り方の丁寧さがそのまま音質に反映されている感じだと思う。

モレルのシンバルの音はとてもきれいで繊細な金属音で、これが美しい。エヴァンスのピアノの音も違う。例えるなら、丁寧に磨かれた琥珀の
工芸品のような感じ、とでも言えばいいか。エヴァンスのピアノの本来の音はこちらではないか、という気がする。
全体的には他の独盤と同様、音圧は低めで、繊細な表情をしているのは変わらない。楽器の音が違うから、マスタリングも変わっていると思う。

他方、米盤は音圧が圧倒的に高く、演奏に覇気が感じられる。楽器毎の音の粒度は粗いものの、疾走感では明らかに勝っている。
エヴァンスのピアノの音はモノラル盤のような音で、ピアノ本来の美しさは感じられないが、ガツンと音が飛んでくる感じがある。

こういう違いがある中で、このアルバムに何を求めるかでどちらを好むかが分かれるだろう。ビル・エヴァンスのピアノのファンで、そこを軸に
聴きたいということであれば、独盤のほうがいいかもしれない。スタイグが牽引する全体の高揚感を味わいたいのなら、米盤が向いている。

同じ一つの演奏であっても、音場感の違いで演奏から受ける印象がこんなにも変わるのだから、この遊びは止められない。私自身はこの作品の
価値はスタイグの暴れっぷりにあると思うので、米盤の方が自分の価値観には合うけれど、独盤が展開する新しい風景にも心奪われた。
どちらで聴いても、好きな演奏であることには変わりはない。


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普段はあまり見せない表情

2020年06月24日 | Jazz LP (Steeplechase)

Lee Konitz / Jazz A Juan  ( デンマーク Steeplechase SCS-1072 )


1974年アンチーブ・ジャズ・フェスティバルでのライヴ演奏で、マーシャル・ソラール、ペデルセン、ユメールらがバックについている。

ライヴということもあってか、ダニエル・ユメールがやたらとシンバルをよく鳴らしていている。マーシャル・ソラールはキレのある演奏で、
50年代のレコードで聴ける退屈なピアニストというイメージを払拭してくれる。どことなくコルトレーン・カルテットの匂いがする瞬間があり、
非常におもしろい。そういうバックの演奏に感化されて、コニッツも普段のスタジオワークでは見せない表情で臨んでいる。

コニッツはこんな風にも吹けるんだぞ、と言わんばかりに太い音を出して吹いていく。フレーズもいつものなめらかな流れではなく、モーダルでも
バップでもない短めの強いアクセントをつけた独特のものだ。でも、そこはコニッツらしく聴き易いフレーズで、決してフリーキーでもなければ、
アヴァンギャルドでもない。誰かの物真似ではない演奏になっているから感心させられる。

ミュージシャンは時間の流れの中で様々に変化していく。変われない者は脱落していく。聴き手は自分の好きな時代の演奏スタイルを常に望むもの
だけれど、ミュージシャン本人はそんな話を相手にするわけにはいかない。だから、聴き手は好きな時代のレコードを好きなように聴いていれば、
という話になる。こうやって両者の距離は拡がっていく。コニッツの場合も、この時代の演奏まで聴いている人の数はグッと減ってくる。

でも、後期の演奏にもいいものが結構ある。長く活動できたミュージシャンの作品は、その変化を楽しむところに音楽を聴く楽しさがある。
幸か不幸か、どれも例外なく安レコなんだから、もっと広く聴かれるようになったらいいのにと思う。


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ゲッツの名演をどう克服するか

2020年06月23日 | Jazz LP (Steeplechase)

Lee Konitz / Windows  ( デンマーク Steeplechase SCS-1057 )


スティープルチェイスがジャズ界で果たした役割は大きかったと改めて思う。全盛期ととうに過ぎて、仕事を求めてアメリカからやってきた巨匠たち
を丁寧にサポートしていて、そのラインナップを眺めると今更ながら凄い。バド・パウエル、ケニー・ドリュー、デューク・ジョーダン、デクスター・
ゴードン、チェット・ベイカー、ジャッキー・マクリーン、と目も眩むようなラインナップで、このレーベルが受け皿となっていなければ、ジャズは
70年代で死滅したんじゃないかとさえ思えてくる。

ここではチックの "Windows" をやっているのが興味の中心となる。この曲には何と言ってもゲッツの名演が聳え立っていて、実際に録音に挑んだ
アーティストはほとんどいない。あの演奏を超える自信がある心臓の持ち主は中々現れないようだけれど、コニッツは堂々とアルバム・タイトルに
掲げている。

印象的なテーマ部をコニッツにしては珍しくきちんと吹いている。不思議な浮遊感を漂わせるコード進行に沿ってアルトは無理のないなめらかな
フレーズを紡ぐ。コード進行を丹念に追っていてトリッキーさはなく、できるだけ原曲の曲想を生かそうとしたようだ。この曲は元々が幻想的な
雰囲気を持っているから、コニッツとしてはそれを残したかったのだろう。ゲッツのように鋭く切り込んでいくアプローチではなく、あくまでも
楽曲をメロディアスに慈しむように演奏しているのが素晴らしい。コニッツの音楽的信条がよく表れていて、優れた先例を意識する必要はなく、
自分の音楽をやることが大切なのだと言っているような気がする。

ハル・ギャルパーとのデュオというシンプルな故に難しい構成だが、ピアノが徹底してコニッツを尊重してしっかりと支える立ち位置をとっている
ので、コニッツよりはギャルパーの方が大変だったろう。なにせ相手は生きる伝説のような人であり、大物だから、まあ順当なスタイルだ。
コニッツはそういう盤石な基盤の上で朗々とフレーズを紡いでいて、かつてのトリスターノの呪縛から解き放たれた、自由な姿を見せてくれる。
そういう雰囲気が聴き手に心地好い解放感を与えてくれるように思う。


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ユセフ・ラティーフを見直す(2)

2020年06月21日 | Jazz LP (Impuise!)

Yusef Lateef / Jazz Round The World  ( 米 Impulse! A-56 )


第三世界の国々の民謡を題材に、リチャード・ウィリアムスとの2管で取り組んだ意欲作。ラティーフの本領発揮と言えるかもしれない。

当時はコルトレーンを筆頭に、意識の高いアーティストの間では新しい題材をジャズに取り入れるのがトレンドだった。このアルバムも明らかに
コルトレーンの影響を受けていて、テナーのプレイも、おそらくは意図的に、コルトレーン風になっている。

ジャズというのは元来どこか無国籍の雰囲気が漂う音楽である。枠組みも緩く、いろんな要素が出たり入ったりすることに寛容だ。このアルバムを
聴いていると、ジャズって元々こういうところがある音楽だよなあ、と何か大事なことを思い出させてくれる。

西洋音楽の平均律の世界と対峙する第三世界の音楽の言語や語法に敏感だったために、バスーンやオーボエなど複数の楽器を手掛ける必要があった。
この人はオーボエも非常に上手い。この楽器は演奏するのが難しく、下手な人が吹くといわゆるチャルメラ風になるが、ラティーフの音色は
まるでソプラノ・サックスのように美しい。

アルバムの最後には、美空ひばりの「リンゴ追分」が取り上げられている。短い演奏だけど、テナーでざらっと吹き流すいい演奏だ。
こういう題材を殺さずに、上手く音楽としてまとめている。コルトレーンなんかは途中から訳が分からくなって、自己表現が音楽を食い潰して
いくけれど、ラティーフは決してそうはならない。あくまで音楽としてコントロールしていて、それも洗練されている。音楽のことがよく
わかっていないと、こんなことはできない。この人はそこがいいのだ。訳の分からないことには決してならない。


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ユセフ・ラティーフを見直す

2020年06月19日 | Jazz LP (Impuise!)

Yusef Lateef / The Golden Flute  ( 米 Impulse! A-9125 )


聴けば腰が抜ける大傑作である。どうして誰も褒めない? やっぱりスキンヘッドは怖いのか?

マルチ・リード、イスラム系中東文化、スキンヘッドとなると、大方のファンは引いてしまうのかもしれない。そう言えば、ロリンズもモヒカンに
したころから人気に陰りが出始めた。マイルスもダサいパンタロンを履きだしたころからファンが離れ始めた。エヴァンスも長髪に髭を生やすと
途端にレコードが安くなる。そんなに見た目に左右されるかなあ。

このアルバムはパッケージの仕方がおかしくて、それも敬遠される理由かもしれない。実際にフルートを吹いているのは2曲だけで、基本的には
テナーのワンホーン・アルバムだ。その音は太く、ずっしりと重く、なめらかでとにかく美しい。フレーズはわかりやすく、よく歌っている。
こんなにいいテナーはそう簡単には聴けないだろう。

フルートも他の奏者たちよりも音色が深く落ち着きがあり、まったく質感が違う。わざわざクラシックのプロの奏者に付いて学んだそうだが、
それがうなずけるプレイが聴ける。とにかくすべての楽器の演奏が正統的で、音色が美しい。

ゆったりと落ち着いたバラードがメインのプログラムで、圧倒される。スタンダードを交えた至極正統派の内容で、ここには中東の匂いも
ニュー・ジャズの匂いもない。どの楽曲も完全に自分の物として消化されていて、借り物ではない、本物だけが持つ説得力に満ちている。

ヴァン・ゲルダーの録音も最高の仕上がりで、空間を深くえぐったような拡がりを創出した凄みのある音場感で音楽を鳴らす。このあたりが
ヴァン・ゲルダー録音の最終到達点だろうと思う。

凄い、という言葉でしか表現できない稀有なアルバムだ。


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初めて聴く「大名盤」

2020年06月17日 | Jazz LP (Verve)

Oscar Peterson / We Get Requests  ( 米 Verve V6-8606 )


40年近くジャズを聴いてきたが、初めてこの「大名盤」を聴いた。こんなのいつでもいいやと跨いでいたら、いつの間にかそんな時間が経っていた。
ここまでくると何かきっかけがないと手に取るのも憚られてくるが、エサ箱を漁っていて目ぼしいものが何もなく、これが750円で転がっていたので、
まあこれが潮時かなと思って拾って来た。

こんなレコードにも浮世の風は吹いているようで、コーティング・ジャケット、DG、モノラル、というのが1番有難いらしい。でも、MGMのT字は
溝の有り無しは何も意味がないし、大方のタイトルがステレオ・プレスの方が音がいいから、先の仕様を有難がる意味が私にはよくわからない。
このアルバムもステレオで聴くのが正しいはずだという理解なので、750円は底値だろうと踏んで拾うことにした。

私はピーターソンのレコードは買わないことを信条としている。この人はレコードで聴いてもどうも面白くなくて、持っていても聴くことがなく、
私には買う意味がない。こういうアーティストは他にもいて、例えばフリップ・フィリップス、ルイ・スミス、ロイ・エルドリッジなんかもそうだ。
家にはレコードが1枚もない。

そういう中でこの「リクエスト」を聴いたが、やはり複雑な気分で聴き終えた。もちろん圧倒的な演奏だし、わかりやすいし、構成もいいし、
ということで、どこにもケチを付けるべきところはないと思うけれど、これが何かスペシャルな内容かと言うと、どうもそうは思えないのだ。
過去に名盤100選を編んだ人たちは、他に山ほどある秀作たちを差し置いてまで、どうしてこれを選んできたのだろう。

プリーズ・リクエストという邦題が付く割りには、選曲の内容はスタッフ・スミスの楽曲を取り上げるなど意外にシブくて、少なくとも初心者向きの
プログラムには思えない。ピーターソンはスローな楽曲でみせる繊細で抑制された表情が素晴らしいけれど、アップテンポになると人が変わった
ように情感の薄い演奏になってその落差が大きく、アルバム全体としては散漫な印象が残る。ピアノ作品という名盤の宝庫において、果たして
これがデビーやケルンと肩を並べる名盤なのか、というと「どうなんだろう?」という歯切れの悪い言葉でお茶を濁してしまうことになる。

ちなみにステレオプレスの音場感は良好だ。ヴァーヴなのでハイファイで高音質なんてことはまったくないけれど、素朴で自然なサウンドで、
聴いていて不満は何もなく、音楽に集中できる。レイ・ブラウンのベースも重圧に響いていて、とてもいい。


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ジョージ・ルイスとの久し振りの邂逅

2020年06月15日 | Jazz LP (Riverside)

George Lewis and his Ragtime Band / Jazz At Vespers  ( 米 Riverside RLP12-230 )


先日、トラッド・ジャズの巨匠コレクター Cotton Club さんのブログにお邪魔して、「ジョージ・ルイスはいいですねぇ」なんてお話をさせて頂いて、
久し振りに聴いてみたいなあ、などと考えていたら、週末の新入荷のエサ箱でこうして邂逅する。中古漁りではこういうことがよくある。
リヴァーサイドの完オリで盤面ピカピカの安レコ。トラッドは残念ながら人気がない。

トラッド・ジャズは20代の終わり頃によく聴いていたけど、最近はすっかりご無沙汰している。単にそこまで手が回らないという理由からだ。
トラッド・ジャズはアメリカの大地のように肥沃で広大な領域で、いっちょ噛みしたくらいではどうにもならない。今はほんの端っこの一部を
ちょこっと齧るので精一杯。

ジョージ・ルイスはレコードが膨大にあって、素人にはどれから聴けばいいかわからないが、幸いにもブルーノートやリヴァーサイドからも
リリースされているので、お馴染みのこのレーベルあたりから入るのがわかりやすい。ブルーノートの話はまた別途するとして、今回はこの
リヴァーサイド盤である。オリジナルはEMPIRICALというレーベルの10インチで、こちらはライセンス販売になるそうだ。リヴァーサイドは
レーベル立上げ期に自社録音音源が少なかったので、最初はこういう他社ライセンスのレコードを作って売るところからスタートしている。

ニュー・オーリンズやディキシーランドのジャズはアメリカの他の音楽と同様、ブルースやラグタイムなどの原初の音楽から派生した音楽だが、
それらに最も近い距離にある。奴隷制度の過酷な生活の中から生まれたそういう音楽が表現する苦悩を一旦後退させて、白人や白人との混血たち
が好んだ軽い音楽と入り混じることで発展してきた。そのため、注意深く聴くといろんな音楽的要素が随所に練り込まれているのがわかる。

特に、このラグタイム・バンドの演奏はそういう元々の特質に加えて、ある種の洗練さを身に纏っている。それはまるで上質な麻の生地で作られた
ボタンダウンのシャツのような質感だ。苦々しい生い立ちは人目に触れないようにして、成熟した音楽へと昇華することで、人々を楽しませる
一流の芸術として生まれ変わることができた。だから、一見陽気な雰囲気の中にもそこはかとない哀しみのようなものがうっすらと漂い、それが
心地よい哀愁となって聴く人の心を癒す。ルイ・アームストロングのように強烈でわかりやすい個性で売らず、純粋に音楽的で控えめだった
ジョージ・ルイスの音楽がここまで大きくなったのは、そういうところがあったからだろうと思う。

スマホ片手に「続・公爵備忘録」を睨みながら、トラッド・ジャズのレコードを漁ると迷いがなくていい。これに勝る手引書は他にないのだ。


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リー・コニッツ最高傑作の1つ

2020年06月14日 | Jazz LP (OWL)

Lee Konitz, Michel Petrucciani / Toot Sweet  ( 仏 OWL 028 )


コニッツは当然フランスでもレコードを作っている。当時の欧州で最高のピアニストの1人だったペトルチアーニとデュオを残すことができたのは
我々愛好家にとって僥倖の極みだった。そして、それがOWLレーベルだったことも。

フランスのOWLレーベルはECMとはまた違ったテイストの高音質を誇るレーベルだ。ECMは透明度を追求し、音の粒度の細かさと精緻さを上げる
ことを至上命題とするような音質だが、OWLはややふっくらとした深い残響をもたらして楽器の音楽性を極限まで押し上げるような音響だ。
だから、OWLのレコードで聴く音楽はそのアーティストの他の作品のものとは感動の質が違う。欧州の人々は大きな劇場やホールで音楽を聴く
文化の中で生きているから、いい音質を目指すとなった場合の考え方が他の地域の国々とは根本的に発想が違う。

そういう深い残響の森の中で、コニッツとペトルチアーニが静かに音を重ね合う、究極のバラードアルバムが出来上がっている。ペトルチアーニの
ピアノは本当に美しく、ジャズというよりはクラシックの響きへと傾倒している。この人の凄さは、バラードの中に甘ったるい情感がなく、
キレの良さとビターな後味の大人の感情でしっかりと弾き切るところだ。一部の隙もない、この意識の高さと集中力の維持が圧倒的に素晴らしい。

そして、コニッツは何十年も積み上げてきたバラード演奏の総決算的な仕上がりをみせる。長尺な楽曲にあっても、滾々と湧き上がり、尽きること
のない泉の清水のようにフレーズが出てきて、この演奏はこのまま永久に終わることがないんじゃないか、と思ってしまうくらいだ。
スタンダードの原メロディーが出てこないいつものアプローチながら、コード感を大事にした演奏なので、何の曲を吹いているかが常に聴き手に
わかる。すべてがインプロヴィゼーションだが、フレーズは柔らかく、とてもやさしい表情をしている。そして、アルトの響きが深く、美しい。

ゲッツとバロンの "People Time" を自然に思い出すのは、私だけではないだろう。そして、こちらはもっと静かな音楽だ。40年代から活動して、
現代まで生き残ることができた巨匠たちは、みんなこういう境地に達するんだな、と思う。音楽が音楽としてのバランスを保ちながら、演奏家の
情感がすべて映されている、コニッツの最高傑作の1つ。聴けばわかる。


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甦った音色

2020年06月13日 | Jazz LP (70年代)

Lee Konitz / Jazz A Confronto 32  ( 伊 HORO Records HLL 101-32 )


60年代終わり頃になるとアメリカではジャズの仕事が無くなり、行き場を失ったジャズメンは生活に窮するようになる。そのため、副業を持っている
ような人を除き、多くのミュージシャンたちが欧州で仕事をするようになる。それは、リー・コニッツのような巨匠ですら例外ではなかった。

幸いなことに欧州には芸術を愛する人が住んでいて、人種差別もアメリカほど酷くなく、本場のジャズミュージシャンたちは敬意をもって扱われた。
そのため、70年代の欧州ではジャズのレコードがたくさん作られている。80年代に入ると主流派ジャズは復興するので、彼らは活動拠点を再び
生まれ故郷に戻すようになるが、それまでは欧州で何とかやっていた。

コニッツもこの時期に欧州でレコーディングを行っているが、このイタリアものはとても素晴らしい。コニッツはストーリーヴィル盤で吹いていた
音色で演奏している。コニッツは初期はクールな音色一辺倒で、後期はその魅力がなくなった、と一般的には言われるけれど、これは単なる誤解
である。プレスティッジやストーリーヴィルのレコードをよく聴くと、彼は楽曲毎に吹き方を変えていて、実際は音色もバラバラだ。その中の
ノンビブラートのひんやりとした部分だけが強く印象に残ってそう言われているに過ぎない。

その代表的な音色がここでは復活している。録音状況の違いで冷たくぼやけたような印象はないけれど、音色の質感は間違いないくボストンの
レーベルで吹いていた頃のものと同一である。ピアノレスで、ギターが弱音で上手くサポートし、ピーター・インドのベースがよく歌っている。
全員がいわゆるトリスターノ・マナーに沿った演奏を再現しており、正にストーリーヴィル時代のアルトが甦った演奏をやっている。
聴いてみないとわからないものだ。

おまけに、このレコードは音質も良く、安定した音場を保証してくれる。このレーベルのこの共通デザインジャケットには食指が動かないけれど、
内容は折り紙付き、私が保証する。


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「圧」のない、シルキーなサウンド

2020年06月11日 | Jazz LP (Trend / Kapp)

Claude Thormhill / Play The Great Jazz Arrengements Of Gerry Mulligan And Ralph Aldrich  ( 米 Trend TL -1002 )


"Dream Suff !" がスロー・サイドだったのに対して、こちらはアップ・サイドで、快活な楽曲が並んでいる。ジェリー・マリガンの編曲にはさほど感心
するところはないように思うけれど、当時のアメリカでは重宝がられていたようだ。ラルフ・オルドリッチは何者なのかはよく知らない。

ビッグ・バンドが嫌いな人は多数の楽器の合奏がもたらす「圧」が苦手なことが多いが、このオケにはそういううるさい「圧」はない。全楽器が
音を鳴らしても、独特のシルクのような繊細なハーモニーとなって現れる。ビッグ・バンドでこういうハーモニーを出す例を他には知らない、
だから、アップ・サイドであっても穏やかな気持ちで聴くことができる。

テナーやアルトらのリードが活躍する箇所もあり、ちゃんとジャズとしての快楽も味わえる。クラシックと同じような演奏をしても面白くない。
ビッグ・バンド・ジャズにはそれでしか味わえない魅力があるのであり、それが無ければわざわざ聴く価値はないだろう。そういうポイントを
外さずに、素晴らしいオーケストレーションが響き渡るのだ。

ソーンヒルの正規音源はその高名さを考えるとあまりにも少ない。録音にあまり積極的ではなかったようで、それが残念なところだ。
アメリカではビッグ・バンドは人気が高い分野で需要はたくさんあっただろうに、レコードが少ないのがもったいない。

昔、スペインのフレッシュ・サウンズがRCA音源の12インチ盤をリリースして、あれのオリジナルを必死で探したものだが、どうやら12インチ
としてのオリジナルは存在しないらしい。一体どうやって12インチ化したのかよくわからないが、わざわざ自前でそういう編集をしてまで
レコードを作ってしまうあのレーベル・オーナーの見識はすごいと思ったものだ。そこまでやってしまう気持ちは私にもよくわかる。


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音楽であるような、ないような

2020年06月09日 | Jazz LP (Trend / Kapp)

Claude Thornhill And His Orcchestra / Dream Stuff !  ( 米 Trend TL-1001 )


オーケストラやビッグ・バンドを自分の楽器のように自在に操るのが優れたコンダクターだとよく言われる。フルトヴェングラーとベルリン・フィル、
ブルーノ・ワルターとウィーン・フィル、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、高名なオケのリーダーらはみんなそうだ。自分の手でオケの
各楽器1つ1つを演奏しているわけでもないのに、その人でしか鳴らないサウンドがあるから不思議だ。同じオケであっても指揮者が変わるだけで
そのサウンドはガラリと変わってしまう。これは音楽の世界の大きな謎の1つだ。

クロード・ソーンヒルもそういう唯一無二の音楽をやった稀有なオーケストラの1つで、1965年に56歳という若さで亡くなった後、このオケを誰も
継承できなかった。ギル・エヴァンスがメイン・アレンジャーだったこのビッグ・バンドのサウンドは「まるでエーテルのよう」と例えられて、
どこまでも続く濃霧の中を彷徨うような浮遊感と不協和音を隠し味にした不安気な響きで我々を別世界へと連れて行く。

このバンドのテーマ曲である "Snowfall" はソーンヒルの心象風景をありのまま映し出した内容で、このバンドのコンセプトの土台となっている。
それは空から音もなく舞い降りてくる羽毛のような無数の綿雪のように、我々の心の中に降り積もっていく。いつの間にか辺りは静かな雪景色へと
変わっている。空気は冷たく透き通っている。音楽と風景の境目は無くなり、1人ぽつんとその中に佇んでいることに気が付く。

この楽団が残した音楽はそういう無意識下に沈んでいた感覚を呼び戻すようなものだった。ジャズという入り口から中に入るけれど、その後は
各々の記憶や時間の中で如何ようにも変質していく。音楽であるような、音楽ではないような、何か違う物に変わっていく感覚がある。



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