廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

最後を締め括るに相応しいレコード

2017年12月31日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / At Shelly's Manne-Hole, Hollywood, California  ( 米 Riverside RM 487 )


2017年の最後は、お気に入りのアルバムを聴いて締め括りたい。

親密な空間の中から、静かにエヴァンス・トリオの音楽が聴こえてくる。 ニューヨークのクラブと比べると、ここの観客はずっと静かに、そしてより熱心に
音楽に耳を傾けている。 拍手の大きさからもそれが伺える。 ニューヨークの観客の拍手は疎らで投げやりで、どこか寒々しかった。

冒頭の "Isn't It Romantic" から "The Boy Next Door" へと流れていく、この2曲が何よりも好きだ。 メロディ-の歌わせ方がとてもいい。
エヴァンスのピアノは以前よりも穏やかな表情へと変化している。 風のない日の湖面が陽光を反射させながら静かに佇んでいるように。

チャック・イスラエルのベースは正確なリズムをキープしながらもシックな深い音で、そしてラリー・バンカーのブラシは軽やかでタメの効いた間合いで
エヴァンスに寄り添っている。 3人の一体感は、先代のトリオとはまた違う別の種類の極みへ向かって進んでいる。

イスラエルのベース・ラインが大人しいので、トリオの音楽がより内向的で暗く沈んでいると言われがちだけれど、そんなことはないとは無いと思う。
特にエヴァンスのピアノは音に芯があって、おだやかで明るい表情だ。 レコードで聴くと音の分離もよく、彼の調子の良さがよく伝わって来る。

とても好きなレコードで、個人的にエヴァンスのリヴァーサイド盤では1、2位を争う。




Bill Evans / Time Remembered  ( 日 ビクター音楽産業 VIJ-4035 )


エヴァンスのこの時のシェリーズ・マンホールへの出演は2週間で、最初の週はイスラエルとのデュオ、後の週がバンカーを加えたトリオだった。
それらの中から、当時未発表に終わった演奏をエヴァンスの死後に掘り起こしたものがここにまとめられている。 演奏は同様に素晴らしく、何の遜色もない。

特筆すべきは、このビクター盤の音質。 何と優雅で上質な音なんだろう。 上記の第1集とはまた傾向の違う素晴らしい音質で、エヴァンス・トリオの
演奏に花を添えている。 おそらくはマスターテープの状態が良かったのだろう、そしてそれを上手くここにトランスファーしている。 ビクターは頑張った。 
一聴をお薦めしたい。


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何かが忍び寄ってくるような

2017年12月30日 | Jazz LP (Prestige)

Curtis Fuller And Hampton Hawes With French Horns  ( 米 Status 8305 )


これは評価が難しい作品だ。 今までとは違う新しい何かを模索しようとしている様子があるけど、従来の延長線上の単なる相似形のようでもある。
何かやらなければいけないという切迫感に追われながらも、どうすればいいのかよくわからない、そういう戸惑いも感じる。

カーティス・フラーにアルトのサヒブ・シハブ、ハンプトン・ホーズという組み合わせだけでも珍しいのに、そこにフレンチ・ホルンが2本加わっていて、
そういう異色の組み合わせをすることで新しい何かが出てくるんじゃないかという狙いがあったのは間違いない。 確かにあまり聴いたことがないような
サウンドになっていてそこは印象に残るけれど、各人の演奏が従来の演奏をそのまま持ってきているので、そこに新しさが見られない。

その一方で、テディー・チャールズやホルンのデヴィッド・アムラムが作ったオリジナル曲の雰囲気が独特なテイストで、そういう不思議なムードを持った
楽曲だけで固められたところは新しい。 従来の方法論でそういう新しい空気感を演奏しようとしたところに、振り切れていない手探り感が生まれるのだと思う。

管楽器の演奏はどれもしっかりとしていて、聴き応えは十分。 サヒブのアルトが音圧が高くこちらに迫って来るし、フラーのトロンボーンも安定している。
フレンチ・ホルンはあまりハーモニーに貢献していない感じだけど、これはアレンジが悪いせいだろう。 アディソン・ファーマーのベースがいい音で録れていて、
これが重低音としてかなり効いている。 残念なのは、ホーズのピアノ。 一人だけバップのピアノを弾いていて、空気が読めていないのか、これしかできない
からなのか、何にせよここでみんながやろうとしている音楽に全くそぐわない演奏をしている。 これは人選ミスだった。

楽曲がスタンダードの類いではないので、演奏者たちが共通のイメージを掴みきれずに音楽を進めているようなところがあるし、聴いているこちらも耳慣れない
曲ばかりなので、この音楽に関わる全員が暗黙の合意を持てない状態に置かれる。 こういうのは共通の約束事に満ち溢れたハード・バップの時代にはないことで、
未知の何かが足音もなく忍び寄ってきているのを感じずにはいられない。

録音はヴァン・ゲルダー・スタジオで、本人のカッティングでレコードは作られている。 完成したRVGのモノラルサウンドが聴ける。

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2017年の猟盤を振り返る

2017年12月29日 | Jazz雑記
2017年を振り返ると、今年は言うまでもなく安レコ探しに明け暮れた日々だった。 最後に買った1万円を超えるレコードは5月に吉祥寺で買ったコニッツの
10インチ盤で、それ以降はすべて3ケタ、4ケタのレコードばかりだった。

安レコとは基本的には2千円未満のレコードのことを指す訳だけど、私の場合はここにいくつか条件が付く。 まず、それはオリジナル盤でなきゃいけない。
"サキソフォン・コロッサス" の国内盤が1千円で売られていても、これは安レコとは言わない。 それは「適正価格レコ」なのである。

次に、相場よりも著しく安い場合は、2千円を超えても安レコと言っていいだろう。 例えば、こういうレコード。



このレコードの初版はフラットディスクで、弾数はかなり少ないはずだけど、3,240円だった。 ジャケットは少しくたびれているけど、盤はきれい。

ラッキー・トンプソンには名盤がない。 この人はスイングがやりたいのかモダンがやりたいのかがよくわからない。 他人のリーダー作に客演したものには
いい演奏が結構あるのに、本人名義のアルバムには印象に残るものは1枚もない。 このウラニア盤もスコープがはっきりしなくて、名盤だとはお世辞にも
言えない人気の無い盤だけど、それでもフラットは珍しい。 唯一の聴き所はバラードの "Where Or When" で、これはシブくて趣のある名演奏になっている。





ドリス・パーカーが興した "Charlie Parker Records" には法廷相続人だった彼女にしか出せないパーカーの珍しい音源のレコードが何枚かある。
これはその中の1枚で、1951年のボストンのクラブで行われた演奏の私家録音。 音質は悪く、パーカー・マニア以外には聴かれることのないレコードで、
安っぽい作りのせいでエサ箱の隅に追いやられて埃をかぶっているのが常だけど、こんな見開きコーティングの豪華なジャケットがあるなんて初めて知った。
2千円という値段は微妙だけど、これはこれで珍しいんじゃないかと思う。

パーカーは調子が良かったらしく、演奏の出来はかなりいい。 とにかくこの人にしか出せない音とフレーズが圧倒的に凄い。 普段のライヴはこんな感じで
やってたんだなあということがよくわかる。 





このレコードは溝無しがレギュラープレスで、それでオリジナルということでいいと思う。 掃いて捨てるほどあるレコードだから相場は900円くらいだけど、
稀にこういう溝有りのイレギュラープレスがあって、4,320円という値段が付く。 何か違うのかと思って買って聴いてみたが、何も違わなかった。
そして年末セールになると、お値段は更にその倍に。 だからそういうのにはバカバカしいから行かない。 そもそも、「セール」という言葉は「大安売り」
という意味で使われるのが一般的なんじゃないのかなあ。





後期エヴァンスの中では比較的弾数が少なく、入手に時間がかかった。 但し、出れば安くて1,800円。 まあ、それはさておき、問題は1/3だけ残った
シュリンクラップ。 この未練がましさはどうだろう。 この状態で一体何人の手を経て私の手許にやってきたのかはわからないけれど、こういうところに
レコードマニアの執念を感じる。 笑ってしまうけど、嫌いになれない。 


こんな風に安レコには安レコなりの愉しみ方があるわけで、そういうのにかまけていると1年なんてあっという間に終わってしまう。
そういうのんびりとした猟盤生活だった。 来年もこれくらいのゆるさで行きたい。


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吉田野乃子というサックス奏者

2017年12月24日 | Free Jazz

トリオ 深海ノ窓 / 目ヲ閉ジテ 見ル映画 Blind Cinema                    吉田野乃子 / Lotus


遅ればせながら、吉田野乃子さんの作品を聴くことができた。 心ある愛好家から静かに支持される、アヴァンギャルドなサックス奏者/作曲家である。
2006年から2015年までニューヨークで単身修行し、帰国後は北海道岩見沢を拠点に活動しているということで、まだまだ彼女についての情報は少ない。
先日30歳になったばかりの若さで、これからキャリアを積み上げていく人だから、そういう意味では同時代的に見守っていくことができる愉しみがある。

評判のいい "目ヲ閉ジテ 見ル映画" はピアノ、ベース、サックスのトリオ形式だが、硬質な抒情に貫かれた素晴らしい作品だ。 こういう言い方は不本意かも
しれないけど、ピアノが奏でる主旋律たちはまるで "風の谷のナウシカ" の中で流れていてもおかしくないような寂しげな美メロで、風景や映像を意識した
音楽になっているのはアルバムタイトルが示す通りだ。 そういう風景の中にそっと忍び込むようにサックスの旋律が鳴り始め、やがて高ぶった感情が
溢れ出るように激しい咆哮へと姿を変えていく。 そういう情感の生々しさが美しいヴィークルの上で移ろうように流れていき、これは心に深い印象を残す。
この音楽は作り物じゃなく、生きているなあ、というのが素直に感じられる。

"Lotus" はサックス1本だけで臨んだ本気度満点の作品で、無伴奏ソロだったり、オヴァーダブで複雑に編み込まれていたり、という渾身の1枚。 
鳴っている音には只ならぬ強い想いが込められていて、生半可な気持ちで近づくと触れた途端にあっという間に弾き飛ばされてしまいそうな張りがある。
それはまるで、"ウォール・オブ・サクソフォン" だ。 ただ、それは例えばブロッツマンのような巨大な音の塊というのではなく、1曲1曲にその成り立ちの
ストーリーがあり、それが楽曲の中に埋め込まれている。 感情だけに任せた音楽ではない。 そこがかつての「日本のフリー・ジャズ」とは決定的に違う。
どちらかと言えば、この作品のほうが彼女の本音に近いんじゃないだろうか。

彼女のサックスの音色は重く硬質で少し濁りがある。 この「濁り」がとてもいい。 この音が聴きたい、と思わせる何かがある。

まあ、褒めてばかりじゃ何だから少し違うことも書いておくと、所々で硬さを感じるところがあると思う。 何というか、それは身体的な硬さのようなもので、
それが音楽を縛っているようなところがあるのを感じる瞬間があった。 これは時間が解決するのかもしれないけれど、これがほぐれた時にはどんな音楽が
出てくるのかなあと思ったりもする。

この時代に、しかも日本で、こういう音楽をやっていくことの困難さについては私の想像を絶するものがある。 彼女はこの難問をどう解決していくのだろう。
それをこれからも見守っていきたいと思った。 東京でライヴをやる時は観に行きたい。

今のところ、これらの作品を含めて、彼女のアルバムは自主製作でご本人に直接コンタクトして入手するしか手がない。 送られてきたCDには、手書きで
彼女のメッセージが書かれた小さなメモと、"Lotus" に関する彼女が書いた解説書が同封されていた。 それらを読みながら、アーティスト本人がこういうことを
しなければいけない音楽界の現状を恨めしく思った。 日本の資本はどうして志のある若い芸術家に手を差し伸べようとしないのだろう、というこれまで何度も
口にしたボヤキが、ここでもまた口をついて出てしまう。 尤も、「野乃屋レコーズ」という屋号は秀逸だけどね。


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人気と実態の乖離

2017年12月22日 | Jazz LP (Savoy)

Lee Morgan with Hank Mobley's Quintet / Introducing Lee Morgan  ( 米 Savoy MG 12091 )


若きリー・モーガンの姿が判る貴重な記録ながら、どうもスッキリせず冴えない内容だ。 その理由の1つは、おそらくビ・バップを演奏しているからだと思う。
なぜ、1956年にこんな時代遅れの音楽をやったのかはよくわからない。 モブレーは無理をせず、ビ・バップの形式に上手く自分を溶け込ましてはいるけれど、
元々がこういうタイプの音楽には似合わない人だ。 しかもフロントの2管にはビ・バップの覇気や高揚感がまったくない。

尤もモーガンはさすがに上手くて、長いソロを何の不安げもなく抜群の安定感で吹き切っていて、フレーズの作り方も上手い。 ただのパワー・ヒッターでは
ないところが当時のミュージシャンたちの間で驚異を以って迎えられた理由だけど、その美質がしっかりと刻まれている。

ただ、ハンク・ジョーンズ、ダグ・ワトキンス、アート・テイラーの3人は鉄壁のリズムを作っていてこちらはハード・バップのマイルドな演奏になっているのに、
フロントの2管がビ・バップのリフをやるものだから、音楽的に全然噛み合っていない。 終盤のバラード・メドレーでようやく5人の演奏がハード・バップとして
統一されて、何とかギリギリうまく着地するという感じだ。 やはり、ハンク・モブレーは音楽監督には向いていない。

おまけに、ヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音でカッティングもRVGなのに、なぜか音質が冴えない。 音圧は高いけれど、音自体は表面が曇っている金属を
見ているような感じだ。 空間的な立体感や奥行き感もなく、オーディオ的な快楽度も高くない。

そんなわけで、昨今のこのレコードの高騰ぶりの理由がよくわからない。 悪い演奏だとは言わないけれど、今現在取引されている値段に見合う内容だとは
とても思えない。 


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「私が殺したリー・モーガン」を観た夜

2017年12月22日 | Jazz雑記



映画館で映画を観るなんて、一体、いつ以来だろう。 同じ姿勢で2時間近くじっとしているのが辛くて、自然と足が遠のいてしまっている。
それでも観に行く気になったのだから、気持ちが冷めないうちに足を運ぶことにした。

東京は渋谷のアップリンクというミニ・シアターだけでの単館上映で、木曜日の夜に全部で50席ほどの小さな小屋は半分ほど観客で埋まっていた。
これを意外と多いとみるべきなのか、やはり少ないとみるべきなのかはよくわからない。 大半は50~60歳代のようだけど、若い人も何人かいた。
ただ、やはりジャズはマイナー芸術なんだということを実感した。

数ヶ月後にはDVDとして発売されて、そこで初めて観ることになる人も多いだろうから、ネタバレしないよう内容には触れるまい。
面白いか面白くないかは、ご自分の眼で確かめられるといい。 ヘレンが彼のことをなぜ "モーガン" と呼んでいたのかもおのずとわかるだろう。

観ていて思ったのは、本人のいない映画というのは寂しいものだな、ということだった。 時間をかけて遠くまではるばる訪ねて来たのに、主人は不在で
結局会うことができなかった、手廻しの悪い旅のように。 リー・モーガンの姿を求めて、雪深いニューヨーク、枯れた雑草以外は何もない田舎街の風景、
とカメラは視点を変えていくけれど、彼の姿はどこにもない。 失われたものを求めて彷徨ううちに、やがて時間が退行していくような感覚に包まれる。
帰る道すがら、タルコフスキーの晩年の映画を思い出したりもした。

冷たく凍えるように寒い冬の夜に似つかわしい映画だった。 久し振りに外で観たということも手伝って、長く印象に残るであろう夜を過ごした。


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またしても独盤のみ

2017年12月17日 | Jazz LP (Columbia)

Dave Brubeck / In Berlin  ( 独 CBS 62578 )


このレコードもマイルスのベルリンでのライヴ録音と同じパターンで、ドイツのCBSからのみ発売されて、アメリカでは発売されなかった。 この辺りの事情は
どうもよくわからない。 逆輸入のような形を嫌ったのかもしれないし、コロンビア・レーベルとして企画した録音ではなかったからかもしれない。 
ドイツ以外では日本のCBS/SONYが発売しているだけで、ブルーベック・カルテットのレコードとしては珍しく触れる機会の少ない音盤かもしれない。

大きなコンサート・ホールだったようで、観客の拍手の量が凄い。 その熱に当てられたように、4人の演奏にも力が入っている。 アメリカのルーツ・ミュージック、
エリントンや自作のキラー・チューンを配した自己紹介的なプログラムだけど、その中に日本の印象を綴った "Koto Song" が入っているのが我々には嬉しい。

ライヴの演奏を聴くと、改めてこのグループの結束力の高さを思い知らされる。 たった4人で演奏しているとは思えないような柄の大きな音楽になっているし、
大衆性と抽象性のバランスも絶妙で、これはなかなか凄いと思う。 デスモンドのアルトのなめらかさもここに極まり、という感じだ。

アメリカのライヴ演奏は余裕たっぷりで洗練さを感じさせる演奏が多いけれど、このベルリンでのライヴは気合いの入った無骨さすら感じる演奏になっている。
いつもとは少し表情の違う彼らの様子が垣間見えるのは面白い。

それにしても、日本のレコード会社は生真面目にこういう音源もリリースしていたんだなあ、と感心する。 ドイツ盤はマイルスのレコードとよく似た感じの音質で、
若干ナローレンジ気味だけれど、こちらはモノラルとしてプレスされているので聴いていて不自然な感触はない。 デスモンドのアルトの音色も良好である。


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深淵を覗き込むような感覚

2017年12月16日 | Jazz LP (Vocal)

Nina Simone / At Town Hall  ( 米 Colpix CP 409 )


無条件に心を揺さぶられる歌声がここにある。 聴いていると、真っ暗な深淵の縁に立って中を覗き込んでいるような錯覚に陥り、何だか恐ろしくなる。
ヴォーカルには稀にこういうアルバムがあるから怖い。 ジャニスにしてもグルヴェローヴァにしても、女性ヴォーカルはちょっと怖い世界だと思う。

ニーナ・シモンはピアノの演奏もヴォーカルに負けないくらい凄くて、ピアニストとしても食っていけただろう。 その歌声があまりに凄すぎて、ピアノの腕が
目立たないけれど、このライヴでは彼女のピアノもしっかりと聴くことができる。 そこにはリヒテルを聴いて受ける衝撃と似たものを感じるだろう。

この音楽が持っている重さは我々の日常生活の軽さとはなかなか相容れず、バランスを取ることが難しくて身近に置いておくのは容易ではないかもしれない。
でも、こういう本物でしか心が満たされない時間というのは必ず訪れる。 そういう時、音楽でしか癒されない類いのものがあるんだということがわかるのだ。

ニーナ・シモンの音楽はそういう音楽だと思う。 趣味の世界、などというような甘えた言葉の中に彼女の居場所はない。 最初から住む世界が違う。
これは日常的に聴いて愉しむというよりは、暗く冷たい地下室の中で静かに寝かされて出番を待っている旧いワインのボトルのように、然るべき時に
封を解かれるのが一番相応しいレコードかもしれない。 


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ジャズ・ギターのお手本

2017年12月10日 | Jazz LP

Joe Beck, Red Mitchell / Empathy  ( 米 Gryphon G-2 911 )


ジャズ・ギターを愛する人なら、このアルバムは堪らないはずだ。 ジャズ・ギターのお手本のような演奏がぎっしりと詰まっていて、ベースとのデュオなので
ギターの音がメインとなっているし、小さなジャズ・クラブでのライヴなので親密な雰囲気が心地いい。 とても音のいいレコードだし、全編スタンダードで
わかりやすい。 2人とも演奏が上手くて隙が無く、一体感も見事だ。 ジャズ・ギター・アルバムとしては満点の出来だろう。

ジョー・ベックという人はマイルスが最初に採用したギタリストという肩書になっているけど、実際はマイスルが一本釣りした訳ではなく、レコーデイングに
師であるギル・エヴァンスを呼んだ際に彼のオーケストラのメンバーもレコーディングに参加して、その中にベックがいたということに過ぎない。 
当時マイルスが夢中になっていたのはジミ・ヘンドリックスであり、ジョン・マクラフリンであったわけで、ジョー・ベックは残念ながら足元にも及ばない。 
と言うか、タイプが全然違う。

それでもこのライヴのベックは弾きまくっている。 グリッサンドを多用してなめらかなフレージングで音楽を構成していて、柔軟性豊かな楽曲に仕上がっている。
ミストーンも少なく、弦の音がとにかくきれいだ。 コードとシングルノートのバランスもよく、演奏としては理想的な内容だと思う。 上手くなければできない
ことだけど、上手さを感じさせずに観客に聴かせるための演奏に徹しているのが何よりも素晴らしい。 レッド・ミッチェルもここではもの静かな相棒として
寡黙で穏やかなサポートをしている。

肩に力の入ったスタジオ録音ではなく、日常的に行っている街のクラブでの演奏のひとコマを切り取ったようなアルバムで、こんな素晴らしい演奏がいつでも聴けた
アメリカという国が羨ましい。 やはり、ジャズはアメリカの音楽なんだなあと思う。 スタンダードの名曲がずらりと並ぶ中で、ベックのオリジナル作品である
"Juanabara" がひと際素晴らしい楽曲だった。 


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"私が殺したリー・モーガン" のテーマ

2017年12月09日 | Jazz LP (Blue Note)

Lee Morgan / Search For The New Land  ( 米 Blue Note BLP 4169 )


来週末からドキュメンタリー映画「私が殺したリー・モーガン」が日本で公開される。 リー・モーガンはなぜ殺されなければいけなかったのか、そして本当は何が
彼を殺したのかに迫った作品として先に公開されている海外のレビューを読むと概ね評判は悪くないようだ。 彼の私生活のアウトラインはわかっているので
映画の内容は大体想像がつくけれど、私が驚いたのは映画のテーマ曲として、この "Search For The New Land" が選ばれているということだった。

このアルバムはウェイン・ショーターやハービー・ハンコックと組んだ意欲作で、私はブルー・ノートのモーガンのアルバムの中ではこれが一番好きだ。
ショーターはこの共演が縁となって、2ヶ月後の "Night Dreamer" でモーガンを呼ぶわけだけど、ここのでショーターのプレイは際立って素晴らしい。 
グラント・グリーンが入っているのも珍しいが、これはアルフレッド・ライオンの意向だったのだろう。 巷で言われるほど彼の存在が浮いているとは思えず、
彼のホーンのようなプレイが控えめに加わっていてとてもいいと思う。

このアルバムのいいところは全曲がモーガンのオリジナル曲であり、しかもその曲調全体が物憂げなトーンで染められたコンセプトアルバムになっているところだ。 
過去のハードバップとは決別して新しい時代の空気を志向した楽曲を作りあげており、彼の作曲能力が演奏力並みに卓越していたことが判る内容となっている。
彼の作曲力はもっと評価されるべきなのだ。 このアルバムの雰囲気は後続の "Night Dreamer" に非常によく似ていて、私はショーターがこのアルバムに
強くインスパイアされて"Night Dreamer" を創り上げたのだと思っている。

モーガンは自身のトレードマークであるきらびやかな演奏を封印・後退させて、表現したかった音楽コンセプトを守るスタンスを貫いている。 よく考え抜かれた
音楽がしっかりと刻まれている。 彼の音楽家人生の後半に生み出された作品は前半に負けないくらい濃かったのだということが映画の公開をきっけかに
広く正しく再認識されるといいのに、と思う。



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もう一つのミッドナイト・ブルー

2017年12月03日 | jazz LP (Fantasy)

Kenny Burrell / 'Round Midnight  ( 米 Fantasy 9417 )


ケニー・バレルはアルバムを作ることに熱心で、自分でプロデュースしたりもしている。 だから作品がたくさんあって、我々には恵み多きアーティストだ。
どのレコードも弾数は多く、幻の稀少盤なんてものもない。 ボチボチと拾っていけばかなりの数を聴くことができる。

便宜的に時代を3分割した場合、中期の大傑作がこれになる。 1972年にファンタジー社のスタジオで録音されていて、RVGがカッティングしている。
特にRVGの優位性は感じられないけれど、それでもレコードをかけると部屋が彼らしい深夜のスタジオの雰囲気に満ちた深みのある残響感に染まっていく。

リチャード・ワイアンズやジョー・サンプルがエレピを弾いていて、これがとてもいいムードを演出している。 アルバム全編がスロー・バラードで統一されていて、
この静謐な浮遊感は筆舌に尽くしがたい。 ジャズ・ギタリストは大勢いるけど、こういういわゆるジャージーな雰囲気のアルバムを作れた人はあまりいない。
"ミッドナイト・ブルー" という言葉は、まさにケニー・バレルのためにある言葉だ。 "欲望という名の電車" で始まるというのも渋過ぎる。

エレピがいるので、バレルは自由にシングルノートで飛翔する。 ワイアンズのエレピもほどほどの音数でツボを押さえたプレイに終始する。 それらが絡み合って
1日の終わりの深い時間の静かな空気をじわじわと拡げていく。 理想的なジャズ・ギターのブルーな世界。 ジャズ・ギターはいつもこうであって欲しい。


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自然なコードワーク

2017年12月02日 | Jazz LP (Riverside)

Mundell Lowe / Guitar Moods  ( 米 Riverside RLP 12-208 )


ジョニー・スミスの "Moonlight In Vermont" が入ったルースト盤は当時よく売れたようで、10インチがすぐに12インチでも切り直されて発売されている。
スタン・ゲッツが入っているからジャズ愛好家も1度は聴くけれど、大抵はムード音楽としての退屈さにがっかりさせられてレコードは棚の肥やしになる。

リヴァーサイドがマンデル・ロウを使ってこういう作品を作ったのは、まだまだ経営が苦しかったレーベル立ち上げ間もない時期にジョニー・スミスのヒットの後釜を
狙ったんじゃないかと思う。 このレーベルに残した3枚はそれぞれ少しずつ楽器編成が違っていて、一応は各々に個別の狙いが定められている。

このアルバムはコード・ワークによるギター・ソロを中心に、オーボエやイングリッシュ・ホルンが軽いオブリガートをつける室内楽の要素を持った内容で、
ジャズとしてのスリルには無縁ながらジョニー・スミス的退屈さには陥ることなく、アルバム全体を通して飽くことなく聴くことができる。

マンデル・ロウは手堅い演奏をしており、コードワークも自然で素直な流れで、嫌味のない好感を持てる内容だ。 管楽器も音数少なく控えめで、ギターを
邪魔しない程度の参加で、これも悪くない。 耳当たりのいいスタンダードが中心で、BGMとしては重宝するだろう。

他の2枚は以前聴いていたが、このアルバムだけは状態のいい初版が全然見つからずにこれまで聴く機会がなかったが、ここにきてようやく安くて綺麗なものに
ぶつかった。 リヴァーサイド3部作の中では、これが一番いいと思う。

このレコードもモンクのレコードと同様、ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されたが、本人はカッティングをしていない。
音の質感はモンクの2枚と似ていて、楽器の音が自然な雰囲気で鳴る。 音がいいと騒ぐ感じではないが、この音場感は割と気に入っている。


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