廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

"ジャズの街" という地味なレコード

2020年07月30日 | Jazz LP (Dawn)

Gene Quill, Charlie Rouse / Jazzville '56 ( Vol.1 )  ( 米 Dawn DLP 1101 )


Dawnレーベルには他レーベルでは聴けないようなタイプの音楽が何気に残っていて、マイナーレーベルとしての存在感が際立っている。 "ジャズの街" と
題された4枚のアルバムも地味ながらも地に足が着いた演奏が刻まれていて、じわじわと良いレコードだなという想いが湧いてくる。

この第一作にはチャーリー・ラウズとジュリアス・ワトキンスのグループとジーン・クイルのクインテットの演奏が半分ずつ収録されている。両方いい演奏だが、
特にジーン・クイルの演奏が抜群に良くて、他にはあまり録音が残っていないだけに、貴重な1枚だと思う。相方のディック・シャーマンはビッグ・バンドでの
活動が主だったのでリーダー作が残っておらず、一般には知られていないトランペッターだが、奥ゆかしい演奏スタイルでクイルとは適切なバランスを取る。

クイルがワンホーンで切々と歌う "Lover Man" は心に刺さる演奏で、忘れ難い。フィル・ウッズとよく似た音色で、これぞアルト・サックス、というフルトーンが
素晴らしい。リーダー作がほとんど残っていないのが本当に悔やまれる。この録音もLP片面分しか残っておらず、これだけしっかりとした演奏をしているのに、
フル・アルバムが残っていないのが不思議だ。アメリカのレコード制作は結構業界の隅々まで目が行き届いていて、無名のミュージシャンのレコードが山ほど
残っているんだけれど、なぜかこの人は網に引っかからずに漏れてしまっている。

このレコードはフラットエッジで両面とも手書きのRVG刻印があり、カゼヒキもなく、音が凄くいい。特にラウズやクイルのサックスの音が素晴らしく、
いかにもヴァン・ゲルダーらしいサウンドだ。適度な残響の中、楽器の音が輝かしく鳴り、Dawnのレコードのイメージを覆す。にもかかわらず、こういう
コンピレーション系のアルバムは人気が無く、安レコとして転がっているもんだから、ありがたく思いながら拾うことになる。


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より外縁に近い音楽

2020年07月27日 | Jazz LP (Dawn)

Randy Weston / The Modern Art Of Jazz  ( 米 Dawn DLP 1116 )


ランディ・ウェストンを語る時にセロニアス・モンクとの類似性が出てくるのは尤もな話だ。調子外れのリズム、不協和音、へんてこりんなフレーズ、
そのどれもがモンクを彷彿とさせる。物真似をしている様子はなく、この人もモンクと同じ空間に生きているんだなという感じがする。

ただ、よくよく聴いていくと、モンクよりも中心からずっと離れた外縁部に近いところにいるように思う。モンクは意外とジャズという音楽のコアの傍にいて、
演奏面でもラグタイムなどの古いジャズがベースにあることからもそれが明確だ。それに比べて、ランディ・ウェストンはジャズというアメリカ音楽ではなく、
第三世界の土着的音楽が根っこにあるような感じで、そういう器にジャズの要素をブレンドしたような音楽を聴かせる。そういう意味では、よりラディカルと
言えるかもしれない。

初期の活動にはセシル・ペインと活動を共にし、バリトンという異色の楽器を暗い隠し味として使っているような感じで、メロディアスに歌わせることは
させなかった。スタンダードを演奏してもメロディーを美しく奏でることもなく、音楽全体が奇妙に歪んでいる。その歪みをそのまま楽しめるかどうかで、
この人への評価は変わってくるのだろう。

そういうこともあって、高名な割には人気はなく、その音楽を語られることもないけれど、意外にレコードはたくさん残っていて、当時は今よりもずっと高く
評価されていたことが伺える。白人をメインに使った作風が多いこのレーベルに、急にポツンとこの人のアルバムが出てくるのも不思議だが、彼の知性が
レーベルカラーに違和感なく溶け込んでいる。カゼヒキ盤ばかりで通常とは違う意味で中々買えない盤だが、フラットディスクのきれいなものが転がって
いたので、ようやく家で楽しんで聴けるようになった。カゼヒキもなく、値段も安かったが、こればかりは気長に待つしか手がない。


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1 / 2,000

2020年07月26日 | Jazz LP (Dawn)

Cy Coleman / S/T  ( 米 Seeco CELP 402 )


新宿で安レコが2,000枚出る、というので見に行った。枚数が多いので2回に分けて、1,000枚ずつ出すという。1回目は空振りで出ぶらで引きあげたが、
2回目に750円のこれを拾って来た。2,000枚探して、1枚。この2,000分の1という数値がこの趣味の実態を現わしている。世の中にはレコードが溢れている
けれど、実際に買うレコードはそのくらいの比率でしかないのだ。これは時たま見かけるレコードで別に珍しい物ではないけれど、値段が今まで見た中では
最安値だったので、拾って帰ることにした。

サイ・コールマンはショー・ビジネスの人という印象で、誰もジャズ・ピアニストとは思っていないだろう。そのピアノもただのカクテル・ピアノ扱いされている。
でも、実際に聴いてみると、そういうのとはちょっと違うんだなというのがわかる。しっかりとしたピアノの腕、卓越したリズム感、しっかりとフレーズが歌う
アドリブ、とジャズ・ピアノとして一級品だ。彼にしてみれば、ジャズという音楽は自分には簡単だし、カネにならないし、というので早々に引き上げたんじゃ
ないだろうか。

朗らかで、デリケートで、しなやかなピアノ・トリオで、あまりの良さに聴きながら正直驚いた。バックでピアノを支える無名のベースとドラムも上手過ぎるし、
何なんだこれは、と唸りながら、ピアノ・トリオとしての一体感に呆然としながら聴くしかなかった。

ただ上手いだけではなく、音楽にタメが効いていて、深い余韻が残る。上っ面だけで流暢に音楽が流れて行くことなく、意志を持ってコントロールされている。
自分の中で音楽が消化されて、血となり肉となって演奏されているのだと思う。

Seecoというレコード会社にはジャズをメインに取り扱うDawnレーベルがあるが、このアルバムはそちらではなくSeeco本体からリリースされているせいで、
ジャズファンの盲点になっているのは何とも皮肉なことだ。違いの判る人には、この演奏の良さがきっとわかるだろう。言うまでもなく、ジャケットのデザインは
バート・ゴールドブラッドで、このアルバムの内容に相応しい意匠だと思う。


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結局、みんなこれが好き

2020年07月24日 | ECM

Keith Jarrett / My Song  ( 独 ECM 1115 )


このアルバムをオスロのスタジオで録音した頃は、並行して "Byablue" や "Bop-Be" をニューヨークで録音していて、叙情派の側面が作品に色濃く
出始めた時期だった。特に、ECMの方はガルバレクという傑出したサックス奏者のおかげで、そういう要素が前面に表出して、1つの完成形に至っている。

キースのソロ演奏、特に観客を前にしたソロ・コンサートを聴いていると、フレーズの随所に美メロの断片が出てきて、あれがストック・フレーズなのか、
それともその場で天から降って来たメロディーだったのかはよくわからないにせよ、これだけメロディーに溢れた音楽をやる人なら、このアルバムのような
作品が生まれてくるのは当然だろうと思う。1つの断片、例えばここでは表題曲のメロディー、を核にそれを増幅して1枚のアルバムにしたような印象がある。

ここまで可憐なメロディーをいい歳した大人が真面目にやるなんて、と気恥しい気分を覚えながらも、頭の中でリフレインするんだからこればかりは仕方ない。
2006年に出したカーネギー・ホールでのコンサートでアンコールにこの曲をやった際の観客の反応でもわかるように、結局、みんなから愛されているのだ。
これはそういうアルバムだ。

如何にも北欧を想わせる冷たく澄みきった空気感という印象でコーティングされているけれど、ECMは基本的には難解な部類のジャズをやっている
レーベルで、本来ならごく限られた人だけが聴くような作品群だったはずだけど、このアルバムに代表される真逆の音楽がヒットすることで幅広く
支持されるようになったのはこのレーベルにとっても、ジャズ界にとっても幸運だったわけで、それはひとえにキース・ジャレットのおかげだろう。
この人がいなければ、ジャズという音楽はマーケット的にはもう少しニッチな音楽になっていたかもしれない。


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不気味な暗示

2020年07月23日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Death And The Flower  ( 米 ABC-Impulse ASD-9301 )


この時期の代表作というのが定説になっているようだが、これがまったく面白くない。哲学的とか瞑想的と言われるが、そこまで切羽詰まったものは
感じられない。まあ、如何にも評論家が評価しそうな音楽ではある。 "至上の愛" をコルトレーンの最高傑作と言ってしまう、あのノリだ。
時代背景もあったのだろうと思うので仕方ないのかもしれないが、「キース・ジャレット」の名前が無くても、本当に同じ評価がされていただろうか。

音楽自体はこの時代の他のいろんなアーティストがやっていたタイプのもので別に変だとは思わないが、キースがこれをやる必要はなかっただろう、
ということだ。これはこういうタイプの音楽しかできない人に任せておけばよかったのであって、キースにはキースにしかできない音楽をやって欲しい。
ここには本来のキース・ジャレットの音楽に見られるみずみずしい新鮮な感性の発露が感じられない。「冴え」がないのだ。

長い音楽活動の中では誰だって波はあるから、そのこと自体が問題なのではなくて、近年の演奏ができなくなってしまった不幸な病のことを想うと、
何かを暗示しているような気がして、それが不気味だなと思ったりする。


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デックス愛に溢れた佳作

2020年07月22日 | Jazz CD

Vasilis Xenopoulos / Dexterity ~ The Music of Dexter Gordon  ( AVJ Productions 0006 )


デックスに捧げたアルバム、となれば聴かずに済ますわけにはいかない。特に、私の好きな "Tanya" と "Tivoli" が入っているところに、
このサックス奏者の本当のデックス愛を感じとった。初めて聞く名前で、何者なのかはわからないが、ネットで "Tanya" をちょい聴きして、
これは "買い" だとわかった。

若者らしからぬ、デックス譲りの重厚なテナーの音が素晴らしく、惚れてしまった。素直にデックス愛を披露している純朴さがいい。
ワンホーンを主軸にしているところも潔くていい。ちゃんとオリジナル曲を書いているところもエライ。
10代の頃に最初に買ったレコードが "Go" だった、というのも泣かせる。

"Tanya" は重量級戦車のような出だしのイントロからシビれてしまう。そのあとで始まるテナーのずっしりと重い音色で吹き切る様に
聴き惚れっぱなしだ。素晴らしい。オリジナルはレコードA面全部を使った長い演奏だが、ここではトランペットがいない分だけ短い。
これを持ってきたセンスが素晴らしい。

"Tivoli" もデックスらしい素敵なワルツの曲で、原曲の良さを最大限に生かした演奏になっているのが素晴らしい。
ありがちなチーズケーキではなく、この曲を選ぶセンスがエライ。

「デクスター・ゴードンの音楽」というタイトルもいい。デックスの演奏を「音楽」として愛したことが伺えるではないか。
この若者はよくわかっている。今の状況では難しいかもしれないけれど、いつか来日してくれたら聴きに行きたいと思う。


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非アメリカンなメランコリー

2020年07月21日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Byablue  ( 米 ABC-Impulse AS-9331 )


ヨーロピアン・カルテットの雰囲気にかなり寄せたような印象があるアルバムで、他のどれとも似ていない。このカルテットの引き出しの多さには感心する。
デューイ・レッドマンがガルバレクのような音色で吹いているせいかもしれない。サックスが多重録音されていたり、と作りにもそれっぽいところがある。
録音の質感もECMを意識したかのような雰囲気がある。

ピアノ・トリオで演奏される "Rainbow" はやはりスタンダーズのようで、バンドの後期のアルバムになるとこういう要素が目立ってくる。 "宝島" なんかと
比べると同じグループの音楽とは思えず、目まぐるしいスピードで音楽が変化していたようだ。この変化の様子が持ち味の1つだったのかもしれない。
ECMが好きな人なら、このアルバムはきっと気に入るだろう。アルバム・ジャケットもそれっぽい。

キースのピアノの音色もその美しさを際立たせており、急に大人びて落ち着いた音楽に変わってきている。楽曲もメランコリックなメロディーなものが多く、
物憂げなトーンで全体が統一されている。アルバム単位でこんなにも表情が変わるのだから、このグループを評価するのは難しかっただろう。

多くの人が期待するキース・ジャレットの音楽が集約したような内容で、聴かれる機会が少ないせいで話題にのぼることがないのなら、勿体ない。
キースのまったくの新作はおそらくもう出てこないだろうし、出たとしてもそれは皆が期待するような内容ではないだろう。だから、これまで聴いて
こなかったアルバムを探索するしかない。その中で、きっと気に入るものに出会うことができる。これはその1枚に成り得るアルバムではないだろうか。


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現代のジャズの匂い

2020年07月20日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Shades  ( 米 ABC-Impulse AS-9322 )


のっけから王道の明るい現代ジャズで始まり、面喰う。このカルテットの現代ジャズを予言する感覚には驚いてしまう。こういうのを聴いていれば、
イマドキの新譜なんて買う必要はないんじゃないか、と思ってしまう。1曲目と2曲目の境目に気付かず、気が付くとA面が終わっていた。

現代の感覚でこれを聴くと、50年近く前に今のジャズと変わらない音楽を既にやっていたんだ、という感慨に打たれるが、発表当時に聴いた人々は
どういう感想を持ったのだろう。こんなのはジャズじゃない、と多くの人が感じたんじゃないだろうか。フリー・ジャズの影響がある、とかいう見当違いな
評論もあったのかもしれない。

このグループへの評価が低いというのは、結局のところ、昔のジャズから離れられない人々の見解がベースになっているんだろうと思う。現代ジャズを
ちゃんと聴いている人なら、何の違和感もなく聴けるんじゃないだろうか。キース・ジャレットをめぐるいろいろな見解については、とにかく、その底流には
常に古き良き時代のジャズがもう2度と戻ってこないことへの落胆と激しい懐古の念が流れていて、この人なら何か奇跡を起こしてくれるんじゃないか、
という身勝手な期待を勝手に背負わせてしまったところにいろんな混乱が生じた原因があるような気がする。そのことがありのままの音楽を鑑賞する
ことを邪魔してきたんじゃないだろうか。そして、そのことに一番いらだっていたのが、キース本人だったように思える。

耳障りのいいヨーロピアン・カルテットの音楽はあれはあれで見事だと思う反面、こうやってこのカルテットのアルバムを1つずつ聴いていくと、
こちらのほうがジャズとしては本流だと感じる。ECMの音楽は独特の強固な美学が創り上げた1つの世界ではあるが、それは元々あったジャズという
音楽と融合することを、根本のところでは拒み続けている。その距離の置き方に、私はいつまでたっても親友になれないよそよそしさを感じる一方で、
アメリカン・カルテットには古着のTシャツを着た時のような親しみやすさや解放感を感じるのだ。


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ブートレグとは信じられない内容

2020年07月19日 | Jazz LP (ブートレグ)

Stan Getz / The Canadian Concert  ( カナダ Can-Am 1300 )


いつも素敵な K's Jazz Days さんのブログで目から鱗が落ちたので、これまたユニオンで探すと、あるある、ちゃんと転がっている。
昔からよく見るお馴染みのブートだが、聴くのはこれが初めてだ。ブートは廃盤狂たちが嫌って見向きもしないので、当然3ケタ盤。

1965年3月のヴァンクーヴァーでの録音で "コンサート" というタイトルだが、観客の拍手はなく、ゲッツ自身が曲ごとにナレーションを付けているので、
ラジオ放送用に収録されたものなのではないだろうか。さしずめ、リスナーが聴衆ということなのかもしれない。

ゲイリー・バートンがいた時期で、ピアノレスのカルテットの演奏だが、とにかくゲッツの演奏が素晴らし過ぎる。繊細でありながら太く大きな音で、
浮遊するメロディアスな旋律が美しい。いつも通りと言えばいつも通りだけれど、聴くたびに新鮮で、美しいと感じるのだ。

バートンのヴィブラフォンはまるでフェンダーローズのようだと感じる瞬間があり、ミルト・ジャクソンが築いた王道とはまったく違う石清水のような清らかさだ。
ゲッツが好んだのはきっとそういう新しい感覚だったのだろう、この音楽の雰囲気は他の誰からも聴くことができない。至福の時間が流れる。

おまけに、このレコードは音がいい。65年の音源とは思えないクリアさで、楽器の音が美しい。音圧も問題なく、言われなければブートだなんて誰も思わないし、
言われても信じられないだろう。ただし、このシリーズはタイトルごとに音質にはバラつきがあるので、注意が必要。見境なく手を出すと火傷する。

音質に問題がなく、安レコであれば、ブートも毛嫌いする必要はないんだなと改めて勉強した。正規盤に負けない感動を覚えることができる。




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"Blue" の系譜

2020年07月18日 | Jazz LP

Paul Horn / Something Blue  ( 米 Hi-Fi Jazz J 615 )


いつも楽しいsenriyanさんのブログで教わったアルバムで、探してみるとあと1歩で安レコ、という美品が転がっていた。さすがはユニオンである。
探しに行くと、かなりの確率で見つけることができるのだ。

聴いてみると、なるほど、という感じだ。冒頭の曲は "So What" そっくりのコード進行に沿ってベースがズンズンと重低音で響き、リードを取る管楽器が
モードの旋律を取る、完全に "Kind Of Blue" のスタイル。あのアルバムのように静謐で落ち着いた雰囲気ではなく、演奏は倍速くらいのスピードがあるし、
楽器の構成も違うので、そのことに気が付く人がどれほどいるかはわからないけれど、明らかにマイルスのアルバムにインスパイアされている。

そして、その演奏スタイルはほぼ全面で採用されている。この人のアルトはキャノンボール・アダレイと質感がよく似ていて、A-3ではキャノンボールが
1人で "So What" を吹いているような感じだ。すべての楽曲でジミー・ボンドのベースが不気味な重低音で迫ってくる雰囲気がたまらない。

ただ、単なる "Kind Of Blue" の剽窃ではなく、自身の音楽として消化されている。しっかりとしたアドリブで構成されている筋金入りで、演奏力は高い。
だからこそ、音楽的に充実していて、この夜の雰囲気が上手く演出されているのだと思う。

"Blue" という言葉はジャズの世界では特別なニュアンスを持った言葉としてたびたび登場するが、このアルバムも "Blue" の系譜に連なるに相応しい
雰囲気を帯びている。こういうアルバムをしっかりとグリップできる力が私も欲しい。レコード棚にいい音楽がまた一つ加わって、とてもうれしい。


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スタンダーズの到来を予感させる感性

2020年07月16日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Bop Be  ( 米 ABC-Impulse IA-9334 )


これは非常に素晴らしいアルバムだ。展開されている音楽の感性がまるで現代ジャズそのもので、感覚的には何十年も先取りした感じなのが驚異的。
楽曲毎の変化が無軌道に感じられないのは、新鮮な感覚で1本のスジが通っているからだろう。

デューイが抜けたピアノ・トリオによるタイトル曲の "Bop Be" と "Blackberry Winter" は後のスタンダーズ・トリオそのもので、非常にメロディアスで
情感が溢れる佳作。スタンダーズが最も良かった頃の雰囲気があって、ここでも大きく先取りした感性が発揮されている。これは聴いていてうれしい演奏だ。

また、ヘイデンの代表作である "Silence" が取り上げられており、短い演奏ながら心に残る。ペトルチアーニが名演を残しているけれど、こちらも負けていない。
メロディーを奏でるのではなく、和音の響きがもたらす揺らぎで曲を構成するという斬新な楽曲のコンセプトが上手く表現されている。

モチアンのリズムも歯切れがよく、音楽が快活だ。暗く停滞したところがなくて、演奏の意図が非常にわかりやすい。デューイもいいソロをとっており、
吹っ切れた感じがある。全体的にキースのピアノが大きく前面に出ていて、キースのレコードをたっぷりと聴いた、という充実感が残る。

バンドの最終作で録音が一番新しいせいか、このレコードは音がいい。それまでのアルバムの音質とは明らかに違っている。
そういう面が音楽の明確さを表現するのに一役買っている。

ひねくれたところがなく、聴いていて無条件に楽しめるアルバムで、これはとてもいいと思った。明らかにスタンダーズ到来の予感がある。
これはキースの傑作の1枚に挙げていいだろうと思う。


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手の届かない大人の世界

2020年07月15日 | Jazz LP (Vocal)

Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim  ( 米 Reprise FS 1021 )


キースのアメリカン・カルテットを集中して聴いているが、同じ系統ばかりでは飽きるので、気分転換にまったく違う雰囲気のものを。

シナトラの最盛期はキャピトル時代で、リプリーズ時代になるとかなり落ち着いた雰囲気になるが、そんな中でこの巨匠とのコラボを残している。
テーマはボサノヴァだが、それは露骨なものではなく、しっとりと落ち着いた深い雰囲気の傑作に仕上がっている。

クラウス・オガーマンのオーケストレーションはシックで知的で大人のムードで満点の出来。そういう重厚な背景の中、シナトラは巧くコントロールされた
歌唱で静かに歌っていく。ボサノヴァのリズムは隠し味的な使い方で、あくまでもシナトラの大人の世界が描かれている。ボサノヴァの代表的な楽曲が
並ぶ中で、通常のスタンダードも上手く配置されており、そのどれもが見事にボサノヴァのアレンジが施されている。ジャズとボサノヴァの相性の良さを
改めて感じ取ることができる。

アントニオ・カルロス・ジョビンはシナトラのサポートに徹していて、自身の歌を披露するのも半分以下。残りはガット・ギターで静かにシナトラに寄り添う。
この控えめな立ち振る舞いが如何にもこの人らしい。

50歳を過ぎてこのアルバムを聴いても、こういう大人の世界にはとても手が届かないなと思う。クールで、物静かで、上質なこの世界観の中で
シナトラとジョビンはどこまでもスマートだ。いつかはこの世界の扉を開けることができるようになりたいと思うけど、そんな日はやって来るだろうか。


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寄せ集めの悲劇

2020年07月13日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Backhand  ( 米 ABC-Impulse ASD-9305 )


この時代の代表作と言われている "死と生の幻想" と同日に行われた録音で、明るい色調の楽曲がこのアルバムにまとめられた。2枚組としてリリースしても
よかったのかもしれないが、それでは重いと判断されたのかもしれない。結果的に "死と生の幻想" は名盤とされ、こちらは忘れられる存在となった。

その理由は、A面に収録されている、メロディーの無い、延々とエスニックなリズムが10分間続くような楽曲のせいだろう。聴いている側からしてみると、
「一体、これは何ですか?」と問いたくなる。規模の大きなアルバムの中で出てくるならその意味もわかるだろうが、単発のアルバムの中ではこの楽曲の
存在理由は希薄だ。

B面には出来のいい演奏が収められているので、おそらくはこれらを捨てずに残すために、止む無く1枚のアルバムとしたのではないだろうか。
A面の2曲はクオリティーに問題があるが、アルバムとしての体裁のために収録されたように思う。残念ながら、これでは残飯処理と言われても仕方がない。

このバンドのウィークポイントは、言うまでもなく、デューイ・レッドマンというサックス奏者の凡庸さだ。なぜ、彼をメンバーにしたのかよくわからないが、
ガルバレクのようにサックスがバンドを牽引するような芸当はできないので、楽曲の良さに頼らないとこの人はまったく生えない。
そういう意味で、このアルバムでの彼はまったく冴えない感じだ。こういう時こそ、サックスという楽器の力が爆発していれば別の聴き方もできたと思うが、
あまりに従属的な演奏で、才気の無さが痛々しい。

あまりこういうことは言いたくはないが、このアルバムは私には失敗作を通り越して、存在の意味がよくわからない内容だった。残念だが、嘘は書けない。


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すべてのものが哀しみに生きている

2020年07月11日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett /  Mysteries  ( 日本コロンビア YQ-8510-AI )


このカルテットの演奏を聴いていると、70年代半ばにジャズを演ることが如何に困難だったか、を思い知らされる。懐かしきハード・バップに戻るわけには
いかず、フリー・ジャズの空虚さを目の当たりにした後で、これから果たして何をやるべきか。そこには大きな壁があったに違いない。

キースのように美メロが書ける人なら、ロックの世界でいくらでも成功できたに違いない。大金を稼ぐことは容易だっただろう。
にもかかわらず、まったく金にならない音楽をやり続けた、その心の中にあったのは一体何だったのか。

私がジャズという音楽が好きなのは、この音楽のすべてに通奏低音のように流れているそういう音楽家たちの心根のようなものに惹かれるからかもしれない。
本当に金にならないこの音楽に生きる意味を見出し、そこに己のすべてをかけた人たちが生み出した音楽は、それが名盤であれマイナー盤であれ、
そこにある何かが私の心を打つ。

このアルバムの外見上は、例えば調性の縛りがゆるく解けた楽曲だったり、エスニックな香りが漂う楽曲だったり、と統一感が見られないという面は
あるかもしれない。そういうところに気が散ってしまい、自分の感想がまとめきれないもどかしさを覚えるかもしれない。しかし、ここには抽象芸術に
こだわって、こだわって、こだわりぬいた果ての音楽がまとめられているように思う。時々、ふと気が抜けると、つい美メロが顔を出してしまい、
慌ててそれを袖の下に隠すようなところが微笑ましい。そういう何気ない動作に、彼らのこの音楽に賭ける想いのようなものが見て取れる。

ただ、このアルバムは最後に置かれたタイトル曲がメインテーマだろう。何かを祈り、探るようなムードが表出した含みのある演奏だ。
そして、"すべてのものが哀しみに生きている" と題された、キースにしか書けないであろう、究極の美メロのバラード。ただ美しいというだけではなく、
最後は高揚感へと昇華されており、生き生きとした楽曲になっている。

誰それの影響が、などというコメントを許さない、100%創作されたオリジナリティーで、ジャズは抽象芸術であることを教えてくれるアルバムだ。


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日常を描いたアルバム

2020年07月08日 | Jazz LP (Columbia)

Keith Jarrett / Expectations  ( 米 Columbia KG 31580 )


いつも楽しいsenriyanさんのブログきっかけで探していた本盤、安レコが転がっていたので拾った。今回、初聴きだ。キースはアルバムが多く、
熱狂的なファンでもない私は未聴のアルバムが多いので、何かのきっかけを利用してボチボチ聴いていくというゆるいスタンスでいる。
このアルバム、どうやら評判の方はあまり芳しくないようだが、そうなると俄然興味が湧いてくる。

キース・ジャレットのアルバムを身銭を切って買うのは、大抵の場合、あの耽美的な世界にどっぷりと浸りたいからだろう。だから、そういうつもりで
このアルバムを聴くと、「金返せ~」となるのは無理はない。そういう気分でレビューすると、当然辛口にもなるだろう。しかし、私の場合は最初から
どういう内容かわかった上での買い物なので、ニュートラルに聴くことができる。

ここには、おそらく、当時の日常の風景が描かれている。8ビートのリズムは街の鼓動であり、ファズ・ギターやソプラノ・サックスが表現するのは人々の
とりとめのない会話であり、それらの中で時々考え事をするかのようにみずみずしいピアノが短く歌う。これを聴いていて目の前に浮かんでくるのは、
彼を取り巻いていた日々の息遣いのようなものだ。街の中を闊歩し、車の行き交う音やクラクションの洪水を抜け、カフェでコーヒーを飲み、
誰かと気楽におしゃべりをする。そういう毎日繰り返される生活の営みが描かれているように感じる。

だから、この世界観は親しみやすい。非日常的な北欧の冷たい空気感などあるわけがない。あるのは、もっと暖かい人の体温のようなものである。
そして、何かを主張するような込み入った感情の重さなどもなく、もっと軽やかだ。よく履き込んだ古びたスニーカーを履いて、友達に会いに行くような
カジュアルさに溢れている。

アメリカン・カルテットが演奏したジャズ作品、というような印象すらない。ジャズという形式など、最初から頭にはなかったのではないか。
ECMとはまったく違う意味で、結構おもしろく聴ける。ある時期からはECM一辺倒になってイメージが固定化してしまうけれど、もっとこういう毛色の
違うアルバムをどんどんやればよかったんじゃないか、と思う。一つの成功体験をなぞり過ぎると飽きがくる。唯一評価を得られることができなかった
これらの分野が放置されたまま発展に至らなかったのは残念な気がする。


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