廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

カイ・ウィンデイングはこれだった

2025年01月25日 | Jazz LP (Verve)

Kai Winding / Solo  ( 米 Verve Records V-8525 )


カイ・ウィンデイングという人がジャズ愛好家からどのような評価をされているのかよくわからないが、大方の人は無視しているんじゃないだろうか。
というか、正確に言うと、好き/嫌いになる前に評価しにくいタイプのレコードばかりで、正直、手に余る存在というところだろう。

一番ポピュラーな "Jay & Kai" だって、ただでさえ取っつきにくいトロンボーンが2本で絡み合うということで敬遠されがちだろうし、聴いたところで違いもよくわからず、
という感じかもしれない。ただ、実際はそんなことはなく、よく聴けば2本のトロンボーンの音色はまったく違っていて、鼻のつまったようなくぐもった音色の方がJ.J.で、
大きく張りのあるビッグ・トーンの方がカイである。フレーズもJ.J.の方が歌うようになめらかで自然な感じなのに対して、カイの方は音圧一発という感じだ。

そんな訳で過小評価という以前に評価対象外となっているカイ・ウィンディングだが、彼の等身大の良さがわかるレコードにぶつかった。その名もずばり "Solo" という。
このアルバムのいいところは全編ワン・ホーンであること、音楽はメイン・ストリームど真ん中、音が非常に良い、という3拍子が揃っているところに加えて、とどめは
値段が安いということだ。私が拾ったのは680円で、このレコードの立ち位置というものをよく表している。

ピアノ・トリオに数曲でディック・ガルシアのギターが加わりながらバックを務める。ピアノはロス・トンプキンスで、この人はジョー・ニューマンのコーラル盤や
ジャック・シェルドンのジャズ・ウェスト盤でピアノを弾いていたデトロイトのピアニスト。そういうシブいメンツに支えられながら、カイのトロンボーンがまるで
落雷のような音圧で鳴り響くなかなかすごい演奏になっている。とにかく、このレコードは耳が痛くなるくらい音圧が高い。

ロリンズが吹いて有名になった "How Are Things in Glocca Morra" のアップ・ビートで始まり、他にもセンスのいい選曲が並ぶ。フレーズは起伏に富んだイマジネイティヴな
ものでダレるところはまったくない。トロンボーンはサックスやトランペットに負けることのないリード楽器だということがよくわかる。モダン・トロンボーンのワン・ホーン
はそもそも数が少ないので、そういう意味でもこれは貴重な1枚と言える。



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ヴォーカリストが作った大作

2025年01月13日 | Jazz LP (Vocal)

Mel Torme / Sings His California Suite with Chorus And Orchestra  ( 米 Capitol Records P-200 )


メル・トーメは1949年にコーラスを含むオーケストレーションをバックにした「カリフォルニア組曲」という大作を自身で作詞・作曲した。ニール・ヘフティやビリー・メイら
が編曲に加わり、フェリックス・スラットキンらハリウッドの一流奏者らがオーケストラを編成し、メル・トーンズやスター・ライターズらのコーラスも加わり、満を持して
1950年にキャピトルからレコードをリリースした。

長く続いた世界大戦で国力が低下したアメリカでは人々が復興に向けて動き出していて、そんな中での明るい希望の地としてのカリフォルニア賛歌となっており、
当時の世相が色濃く反映された内容となっている。娯楽としてのジャズもそういう世の中の動向とは無縁で、というわけにもいかなかったのだろう。

都会の喧騒だったり、西部劇風だったり、夜の静寂の雰囲気だったりとアメリカの様々な風景が走馬灯のように浮かんでは消える一大絵巻物という作りになっており、
ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」の系譜につながるタイプの音楽になっている。メル・トーメという人はこういう才能もあったのだろう。

音楽やレコード作りにふんだんに予算をかけることができた時代のゴージャスな音楽が詰まった素晴らしいレコード。今から30年前、神保町のTONYの2Fで盤面はザーザー
雨降りのコンデイションがガタガタの古びたものが13,000円で置いてあった。西さんが付けた値段なんだから相当な貴重盤なんだなということが頭に刷り込まれたが、
それ以来縁がなく月日は流れ、30年が経過したこの年明けになって無傷のレコードに出会うことができた。1,500円。当時はレコード屋の主人の見識で値付けされていたが、
今は買い手側の人気・不人気で値段が決められる。世の中は変わった。




Mel Torme / Mel Torme's California Suite  ( 米 Bethlehem Records BCP-6016 )


ベツレヘム時代にマーティー・ペイチのアレンジと指揮で再録している。古びたキャピトル時代のサウンドを刷新した状態で人々に改めて聴いてもらいたかったのだろう。
旧録にはなかった管楽器を大きく取り入れていて、サックスの泣きの演奏が心地よい。セールス面ではまったく期待できない内容であっても、こういうレコードをきちんと
作る時代だった。それだけ、メル・トーメは信頼されていたのだろう。



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ジャズを破壊する変容の生々しさ

2025年01月01日 | Jazz LP (Columbia)

Festival Mondial Du Jazz, Antibes / Juan-Les-Pins, 7 / 26 / 1963



Festival Mondial Du Jazz, Antibes / Juan-Les-Pins, 7 / 27 / 1963



Festival Mondial Du Jazz, Antibes / Juan-Les-Pins, 7 / 27-28 / 1963


1963年7月にアンチーブで行われた国際ジャズ・フェスティヴァルに出場したマイルス・クインテットの記録は公式アルバム "Miles In Europe" としてリリースされている。
このアルバムは7月27日のライヴが収録されたが、その前後を含む3日間の公演の模様が今回完全収録された。27日の演奏はとにかく名演で、前後の日にちの演奏が出たと
なれば、これは聴かないわけにはいかないのである。

この時のテナーはジョージ・コールマンだが、マイルスが彼を高く評価していたことがよくわかる素晴らしい演奏をしている。この時期に去来したハンク・モブレーや
サム・リヴァースらとは実力のレベルが違うのは明白。この時期のこのバンドの演奏についていけたのはおそらく彼くらいしかいなかったのではないかと思わせる、
説得力のある演奏だ。当時のコルトレーンにも決して引けを取らないシーツ・オブ・サウンドで音楽を構築する。

それにしても、これは果たしてジャズなのか?という疑念が抑えきれない演奏だ。ここで聴かれる "Joshua" の凄まじさはどうだろう。これは本当にジャズなのか?
パーカーやエリントンやエヴァンスがやったジャズという音楽と同じ類のものだと言っていいのだろうか。

知的に極限まで制御された狂気の爆発というしかないこの音楽は、ジャズの歴史の中で最もスリリングな瞬間の1つだったのではなかったのか。これまでに随分たくさんの
ジャズを聴いていたけど、この時に比類するようなものは私には思い付かないのだ。この時会場にいた人は今目の前で何が起こっているのかを理解なんてできていなかった
だろうと思う。トニー・ウィリアムス18歳、ハービー・ハンコック23歳、ロン・カーター26歳、この若者たちのやっていた演奏を凌駕するトリオ・バッキングを私は未だに
聴いたことがない。管楽器奏者のバックでこんなを演奏を、一体誰がするか?

"Bitches Brew" が出た当時、これがジャズなのかどうかが激しく議論されたそうだが、私に言わせればマイルスの音楽は63年の時点で既に変容している。
もうこの時点で誰も彼にはついて来れない。ジャズを破壊したのはフリー・ジャズではなく、フリー・ジャズを嫌ったマイルスだったのだ。これを聴けば、それがわかる。




Paris Jazz Festival, Salle Preyel, 10 /1 / 1964


今回のリリースの白眉はこの1964年のパリでの公演で、ウェイン・ショーターのバンド加入後間もないライヴ演奏が聴けることだ。つまりまだスタジオに入って "E.S.P." に
始まる4部作を制作する前の、マイルスの古いレパートリーをショーターが演奏しているという1点に尽きる。

もはや同じ曲であって同じ曲ではない、位相の完全にズレた音楽の始まりが幕を切って落とされるのを目の当たりにすることになる。どの曲も歴代のテナー奏者たちが吹いた
のとはまるで別物の演奏で、音楽がまったく違うものに変わっている。ショーターはまるで明後日の方向を向いて吹いているように聴こえる。それに合わせて空間が歪み、
音楽自体も歪んでいく。その歪みがこの後の彼らの音楽の核となることがここで予言される。

ここからあの4部作が生まれるのだというワクワク感を時間を逆行する形で感じるというこのアンビバレンツさの中で正気を保つというのも容易なことではない。





最後に音質について。
63年のアンチーブの録音はもともと公式アルバムの方も音質はあまり芳しくはなかった通り、音場感は極めてデッドでベースやドラムの位置も遠いけど、これはオープンな
会場で録音環境としては最悪の状態だったことによるもので、音質が貧しいのは不可抗力で致し方ない。ただ、それを遥かに凌駕する演奏がもたらす興奮がここにはある。
これを聴いて音が悪いという感想しか持てないのであればそれは芸術を見る目がないということなのであり、自分を諦めた方がよい。

64年のパリの録音はもう少しホール感があり、残響も捉えられていて、より聴き易い。ショーターの太く胴鳴りするテナー音が快楽中枢を深く揺るがす。



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