廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

普段はあまり見せない表情

2020年06月24日 | Jazz LP (Steeplechase)

Lee Konitz / Jazz A Juan  ( デンマーク Steeplechase SCS-1072 )


1974年アンチーブ・ジャズ・フェスティバルでのライヴ演奏で、マーシャル・ソラール、ペデルセン、ユメールらがバックについている。

ライヴということもあってか、ダニエル・ユメールがやたらとシンバルをよく鳴らしていている。マーシャル・ソラールはキレのある演奏で、
50年代のレコードで聴ける退屈なピアニストというイメージを払拭してくれる。どことなくコルトレーン・カルテットの匂いがする瞬間があり、
非常におもしろい。そういうバックの演奏に感化されて、コニッツも普段のスタジオワークでは見せない表情で臨んでいる。

コニッツはこんな風にも吹けるんだぞ、と言わんばかりに太い音を出して吹いていく。フレーズもいつものなめらかな流れではなく、モーダルでも
バップでもない短めの強いアクセントをつけた独特のものだ。でも、そこはコニッツらしく聴き易いフレーズで、決してフリーキーでもなければ、
アヴァンギャルドでもない。誰かの物真似ではない演奏になっているから感心させられる。

ミュージシャンは時間の流れの中で様々に変化していく。変われない者は脱落していく。聴き手は自分の好きな時代の演奏スタイルを常に望むもの
だけれど、ミュージシャン本人はそんな話を相手にするわけにはいかない。だから、聴き手は好きな時代のレコードを好きなように聴いていれば、
という話になる。こうやって両者の距離は拡がっていく。コニッツの場合も、この時代の演奏まで聴いている人の数はグッと減ってくる。

でも、後期の演奏にもいいものが結構ある。長く活動できたミュージシャンの作品は、その変化を楽しむところに音楽を聴く楽しさがある。
幸か不幸か、どれも例外なく安レコなんだから、もっと広く聴かれるようになったらいいのにと思う。


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ゲッツの名演をどう克服するか

2020年06月23日 | Jazz LP (Steeplechase)

Lee Konitz / Windows  ( デンマーク Steeplechase SCS-1057 )


スティープルチェイスがジャズ界で果たした役割は大きかったと改めて思う。全盛期ととうに過ぎて、仕事を求めてアメリカからやってきた巨匠たち
を丁寧にサポートしていて、そのラインナップを眺めると今更ながら凄い。バド・パウエル、ケニー・ドリュー、デューク・ジョーダン、デクスター・
ゴードン、チェット・ベイカー、ジャッキー・マクリーン、と目も眩むようなラインナップで、このレーベルが受け皿となっていなければ、ジャズは
70年代で死滅したんじゃないかとさえ思えてくる。

ここではチックの "Windows" をやっているのが興味の中心となる。この曲には何と言ってもゲッツの名演が聳え立っていて、実際に録音に挑んだ
アーティストはほとんどいない。あの演奏を超える自信がある心臓の持ち主は中々現れないようだけれど、コニッツは堂々とアルバム・タイトルに
掲げている。

印象的なテーマ部をコニッツにしては珍しくきちんと吹いている。不思議な浮遊感を漂わせるコード進行に沿ってアルトは無理のないなめらかな
フレーズを紡ぐ。コード進行を丹念に追っていてトリッキーさはなく、できるだけ原曲の曲想を生かそうとしたようだ。この曲は元々が幻想的な
雰囲気を持っているから、コニッツとしてはそれを残したかったのだろう。ゲッツのように鋭く切り込んでいくアプローチではなく、あくまでも
楽曲をメロディアスに慈しむように演奏しているのが素晴らしい。コニッツの音楽的信条がよく表れていて、優れた先例を意識する必要はなく、
自分の音楽をやることが大切なのだと言っているような気がする。

ハル・ギャルパーとのデュオというシンプルな故に難しい構成だが、ピアノが徹底してコニッツを尊重してしっかりと支える立ち位置をとっている
ので、コニッツよりはギャルパーの方が大変だったろう。なにせ相手は生きる伝説のような人であり、大物だから、まあ順当なスタイルだ。
コニッツはそういう盤石な基盤の上で朗々とフレーズを紡いでいて、かつてのトリスターノの呪縛から解き放たれた、自由な姿を見せてくれる。
そういう雰囲気が聴き手に心地好い解放感を与えてくれるように思う。


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渡欧後のマスターピース

2020年04月09日 | Jazz LP (Steeplechase)

Kenny Drew / Duo  ( デンマーク Steeplechase SCS-1002 )


出歩くことなく家にいる時間が長いと心身共に疲れないせいか、朝はまだ暗い時間帯に目が醒める。ごそごそしているうちに空が少しずつ明るく
なってくる。そこでアンプの灯を入れて、少し時間を置いてからこのスティープルチェイス盤に針を落とす。小さめの音量で聴くともなしに聴いて
いると、今までは感じなかった新しい印象が湧いてくる。音楽というのは環境や聴く時間帯によって感じ方が変わることがよくある。

明け方に聴くケニー・ドリューとペデルセンのデュオは、まるでECMの音楽のように聴こえた。これまではそんな風に感じたことは一度もなかった。
ケニー・ドリューは1961年に渡欧し、93年に亡くなるまで欧州で暮らした。結局、アメリカでは満足な評価を得ることができなかったからだ。
そんな彼が73年に録音した本作には、アメリカ音楽の匂いはない。でも、ネイティヴな欧州ジャズでもなく、どっちつかずの印象だったが、
時間を変えて聴くとまるで欧州土着の音楽のように聴こえる。不思議なものだ。

ケニー・ドリューがアメリカでパッとしなかったのは、ある意味、当然だったように思う。ピアニストとしての個性が弱く、誰が聴いてもケニー・
ドリューだね、とわかるピアノではなかった。リーダー作はそこそこ残ってはいるものの、どれも音楽的インパクトという意味では弱かった。
レコーディング・アーティストという感じだったのかもしれない。

そんな彼が欧州に新天地を求めたのは良かったんじゃないか、と思う。アメリカで受けていたような差別もひどくはなかっただろうし、
落ち着いて音楽活動できたようだ。現地の雰囲気にうまく溶け込んだ演奏をしているように思う。ペデルセンも余裕をもってドリューに
寄り添っており、ここでの音楽的な完成度は高い。録音も良好で、気持ちよく音楽に浸ることができる。現地での評価も良かったようで、
年1回のペースで第3集まで制作されている。この時期、このメンバーでしかできなかった音楽が記録されたのはよかった。


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ベン・ウェブスター最後の記録

2018年10月08日 | Jazz LP (Steeplechase)

Ben Websteer / My Man ~ Live At Montmartre 1973  ( デンマーク Steeplechase SCS-1008 )


ベン・ウェブスターは1973年9月にアムステルダムで亡くなっているが、これはその半年前に行われたライヴ演奏の様子で、ラスト・レコーディングのようだ。
スティープルチェイスには歴史的に見て重要な録音がたくさん残されているが、これもその1つと言っていいかもしれない。

渡欧後は気が向いたら場所を選ばずに古いスタンダードなどを悠々と吹くという、穏やかで静かな生活を送っていたようだ。 心身共に傷ついて流れていった
というわけではないので、途切れることなく活動は続いていて、レコードもかなりの数が残っている。 一般的にはヴァーヴの作品を何枚か聴いて終わり、
という感じだろうが、それ以降の作品もヴァーヴ期と同じ傾向の内容なので、出逢いがあれば聴いてみるようにしている。

このモンマルトルでの演奏はさすがに衰えは隠せないけれど、そもそも隠そうともしていない、ありのままの姿を聴くことができる。 アップテンポの曲では
しっかりとリズミカルに、バラードでは深いサブトーンを効かせて、しっとりとした演奏をしている。 その姿には立ち枯れたという感じはない。
どちらかと言えば、バックの現地ピアノ・トリオの演奏の方が少し木目が粗いかな、と感じるくらいだ。

ベン・ウェブスターはこれでいい。 これ以上のことは何も求めない。 変なことをやられたら、逆にシラケてしまう。 本人もそのことは十分わかっていた
のだろうと思う。 60年代後半以降のモンマルトルにはパウエルやデックスも出ていたのだから、まあ凄いことである。 演奏できる場があり、演奏を聴きたいと
願う人がいて、それを記録する手段もあったわけだ。 後世の我々はありがたく聴けばそれでいいのだと思う。


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自分だけの名盤が増えていく

2017年10月28日 | Jazz LP (Steeplechase)

Duke Jordan / Live In Japan  ( デンマーク Steeplechase SCS-1063/4 )


特に期待もせず拾った安レコだったが、これが予想外に良くてちょっと驚いている。 全部聴いた訳ではないが、それでもこれまで聴いたデューク・ジョーダンの
スティープルチェイス盤の中でも、これは群を抜いた出来の良さだと確信している。

お得意のレパートリーをずらりと並べてただいつも通り弾いているだけなのだが、ピアノの音に深みと輝きがあり、スタジオ録音とは別人が弾いているような
生き生きとしたピアノ音楽が流れてくる。 どの曲も良く似たテンポで弾かれていて、構成としての変化には乏しく、普通なら飽きてもよさそうなところだが、
これがダレるところが全くない。 日本人が愛する彼の哀愁溢れるオリジナル曲が並び、全体がある一つの統一したカラーに染められていく。

技術的には決して上手い人ではないけれど、音楽を魅力的に奏でているこの演奏を聴いていると、ピアニストとしての筋の良さが痛いほどよく分かる。
その音は揺らぐこともなく、まっすぐに聴き手に届く。 楽器の演奏はこうでなくてはならないけど、それができる人はそう多くはない。

ウィルバー・リトルのベースの音は深く重く、ロイ・ヘインズのブラシはデリケートで、この2人の演奏も素晴らしい。 トリオとしてのバランスもとてもよく、
理想的なピアノ・トリオに思える。 観客の反応も良く、3人のご機嫌も上々で、それが演奏にすぐに現れていく。

極めつけは、録音の良さ。 ホール全体に音が響き渡っている様子が非常に上手く録られていて、自然な残響感が心地いい。 楽器の音もきれいに録れている。
音楽が生きている様子が生々しく再現される、見事な録音だと思う。

値段の安さに惹かれて買っただけだったのに、ここまで惹きつけられるとは思いもしなかった。 こうして自分だけの名盤が増えていく。
安レコ買いは愉しい。





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北欧の街で鳴り響いていた音

2017年04月28日 | Jazz LP (Steeplechase)

Stan Getz feat. Niels-Henning Orsted Pedersen / Live At Montmartre  ( デンマーク SteepleChase SCS-1073/74 )


1977年、アメリカや日本でV.S.O.P.が盛り上がっていたその時、北欧でスタン・ゲッツはこういう演奏をしていた。 

スティープルチェイスとしては自国の天才ベーシストの名前を表に出してはみたものの、ジョアン・ブラッキーンのピアノの存在感の大きさに終始押され気味。
それでも、ペデルセンのベースの音はしっかりと録られていて、ゲッツのレコードの中では少し珍しいサウンドカラーとなっている。 この人、ソロはあまり
面白くないけれど、ウォーキング・ベースは最高にいい。 こんなに正確なピッチを刻める人は他にいない。

それにしても、ブラッキーンのピアノはよく目立つ。 抒情味のかけらもない一定のテンションで弾き切っていく。 そのせいか、この時期のゲッツの演奏も
いつになくハード・ドライヴィングだ。 まろやかさや幻想味は封印してる。 だから、音楽家ゲッツというよりはサックス奏者ゲッツの姿が浮かび上がる。

歌物のスタンダードを排して、ジャズメンのオリジナルを中心にプログラムを組む。 この時期、ショーターの曲をよく演奏していたようで、特にお気に入りは
"Lester Left Town" だった。 私もこの曲は大好きで、ついついこの曲をやっているサイドCばかり聴いてしまう。

デンマークを訪れるミューシャンは必ずと言っていいくらいジャズハウス・モンマルトルでライヴをやるけど、ここはおよそライヴ・レコーディングには向かない所で、
せっかくレコーディングしても残響感ゼロのオーディオ的快楽度の低い録音になる。 だから、音楽を雰囲気だけで聴くリスナーには不評を買うことが多い。
でも、このスタン・ゲッツ・カルテットの演奏の集中度の高さと質の高さの前ではそんな感想は出てこない。 楽器の音はクリアで曇りもないので、演奏の
素晴らしさがよくわかる、いい録音だと思う。 LP2枚組の作品だけど、あまりに充実した演奏だから尺の長さなんて全然感じないし、もっと聴きたいとさえ思う。

70年代、アメリカではジャズはすっかり廃れてしまっていたけれど、北欧デンマークの中心地でジャズはちゃんと生きていた。 それはまるで近い将来、
息を吹き返すのをじっと待っているような感じだったのかもしれない。 スタン・ゲッツのこの演奏はそれを教えてくれる。


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モンクへの接近

2017年04月23日 | Jazz LP (Steeplechase)

Paul Bley / My Standard  ( デンマーク SteepleChase SCS-1214 )


セロニアス・モンクが80年代まで活動してスタンダード集を録音したら、きっとこんな感じの作品になったんじゃないか。 

ポール・ブレイの音楽の異化の仕方は明らかにモンクのやり方に近い。 だから、このピアノを聴いてエヴァンスの名前が出てくるのはよく理解できない。
ここに並んだタイトルを見た時に連想する演奏と、実際に流れてくる音楽のギャップは相当大きい。 私が長らくこのアルバムを聴いてこなかった理由は、
どうせ退屈なスタンダードものなんだろうという間違った先入観からだった。 でも、実際に聴いてみると全然違っていた。

モンクのような先天的な異化の感覚とは違い、ブレイのそれは長年の研鑽による後天的なものだろうけど、それでも音楽のことを深く考えることでこういう
演奏になっていくというのは私には自然なことに思える。 剽窃としての、ギミックとしての演奏とは質的に違うこらこそ、繰り返し聴こうと思えるのだろう。

そういう解釈の中で原メロディーの断片が現れると、その本来の美しさはより一層際立つ。 崩れたメロディーと整ったメロディーの対比が一定の速度の
中で絡み合う様子は妖しい。 「私のスタンダード」とは、「私の演奏のいつものやり方」という意味合いなのかもしれない。

ECMほどではないにせよ、このレーベルのデジタル録音はなかなか健闘している。 控えめな残響の中で楽器の音は輪郭が明確で、ベースの音が前に出てくる。
こちらのほうが機械を通さずに聴く生音に近いように思う。 そういう音場感が音楽の良さを大きく後押ししてくれている。

見かけに惑わされてはいけない、きちんと意味のあるピアノ音楽になっていると思う。


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少し認識が変わった Flight To Demnark

2017年02月12日 | Jazz LP (Steeplechase)

Duke Jordan / Flight To Denmark  ( デンマーク SteepleChase SCS-1011 )


昔聴いてつまらなかったのに、今聴き直すと印象が変わっているものと言えば、このアルバムなんかもそうだ。 デューク・ジョーダンのトリオの代表作と
名高い作品だけど、若い頃はまあこれがさっぱり面白くなかった。 他のアルバムと比べて選曲がいいので人気があるのはよくわかる、でも何度聴いても
自分の中に引っかかるものがない。 だからレコードは早々に処分して、それ以来このアルバムのことは意識の中から消えていた。

デューク・ジョーダンが腕の達者なピアニストとは言えないことは、マイルスの供述を待つまでもなく、大方の人が認めるところだろう。 但し、だからと言って、
それが音楽家として失格ということではもちろんない。 彼の書いた名曲たちは永遠に輝き続ける。 ベニー・ゴルソンなんかと同じタイプだ。
この2人がいなかったら、ジャズという音楽は随分と味気ないものになっていたに違いない。 

今これを改めて聴いてみると、まずは鍵盤へのタッチの素直さが心地好いことに気付く。 運指はなめらかではないけれど、そこから出てくる音の真っすぐな
ところが意外に気持ちいい。 こういう感じはジャズのフィーリングに欠ける、と捉えられ兼ねない部分で賛否は分かれるかもしれないけれど、今の私には
この音たちが心にうまく響くようになってきている。 だからその感覚に身を任せると、音の触感をトリガーにして音楽が身に染みるようになった。

"No Problem" や "Here's That Rainy Day" というセンスのいい曲が目に付くけれど、このアルバムの白眉は "Glad I Met Pat" というオリジナル。
欧州に移住後、ニューヨーク時代に近所に住んでいた愛らしい少女の想い出を綴ったこの曲は彼らしい慈愛に満ちた優雅で優しいメロディーが素晴らしい。
何気なくこういう曲をアルバムの中に入れるところも、何ともこの人らしい。 もっと前面に出して演奏すればきっと有名な曲になったのに、奥ゆかしい
というか、欲がないというか。

以前は気が付かなかったそういうことが、今はちゃんと受け取ることができる。 私も歳を取り、少しは成長したのかもしれない。
音楽を長年聴いていると、そういう風に自分を相対化できる瞬間がある。 それは決して無為な行為、ということではないのだ。


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デックス・ミーツ・ミケルボルグ

2015年11月08日 | Jazz LP (Steeplechase)

Dexter Gordon & Orchestra Arranged and Conducted by Palle Mikkelborg / More Than You Know  (Steeplechase SCS-1030 )


きりっと冷たい空気が漂うのは何もECMだけの専売特許ではありません。 もう一つの北欧の雄、スティープルチェイスにもそういう作品があります。
欧州に拠点を移したデックスをフォローして支え続けたのもこのレーベルでした。 アメリカのジャズミュージシャンが渡欧した場合、大抵はその後の
様子がわからなくなってしまうものですが、この大物はさすがにそうはならなかった。 ライヴ活動をきちんと追いかけて録音し続けたし、こういう
入念に準備されたスタジオ録音も用意されたところを見ると、その待遇は破格のものだったようです。

先のディノ・サルージの作品でも素晴らしい演奏を残したパレ・ミケルボルグがアレンジャーというもう1つの顔でデックスを支えたこの作品は、後期の
デックスの代表作。 総勢20名を超えるオーケストラ編成のスコアを書いて指揮することに専念し、トランぺッターの席はアラン・ボッチンスキーや
ベニー・ベイリーに譲っています。 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという弦楽器やハープ、オーボエを前面に押し出した独特のオーケストレーションは
優雅で落ち着いた雰囲気を作りだしていて、その中からまるで浮かび上がってくるようにテナーの音が鳴る。 この感じが堪りません。

愛らしいワルツであるデックスが作曲した "Tivoli" が雄大な大曲となってそびえ立つ様は圧巻だし、"More Than You Know" では朗々と歌うテナーが
大オーケストラをゆったりと引っ張って進んでいくようで、こんなことができるのはこの人だけなんじゃないでしょうか。

1975年の2月に録音された本作はその時の冷たい空気も同時に封じ込められたかのようで、そういうところもこの音楽の一部になっているかのよう。
そういうことを感じることができる作品が一体他にどれだけあるだろうか、と考えてみると、この作品の重みは更に増すように思えるし、デックスは
渡欧して本当によかったんだな、と改めてうれしい気持ちになります。


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