廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

セカンド・プレス愛好会(2)

2023年04月27日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / A Love Supreme  ( 米 Impulse! AS-77 )


どうもこのレコードはオリジナルに縁がない。他のタイトルに比べてプレス数が少ないということはないと思うけれど、なぜか私の場合は
巡り合わせが悪い。まあ、誰しもそういうタイプのレコードがあるんじゃないかと思う。尤も、インパルスの場合はこのセカンド・レーベルの
プレスであってもオリジナルとの質感にあまり差はない。ジャケットや盤の手触り感もそうだし、VAN GELDER刻印があれば音質も特に違いはない
ように思う。もちろんタイトルにもよるけど、ただ貼っているラベルの種類が違うという程度のことに過ぎないのではないか。なので、さほど不満も
なく長年この版で聴いている。

「至上の愛」という邦題の語感の影響を多分に受けて最高傑作と言われてきたけれど、どうかなあと思う。最高傑作という言葉は、その本来の意味と
は別に、裏を返すと「万人受けする」という側面がある。特にコルトレーンのような特殊なミュージシャンの場合は、「コルトレーンらしさを十分
残しながらも最も拒絶感が少なく聴ける作品」という観点での話になっているような気がする。

コルトレーンについての私見はこれまで散々書いてきたのでここで繰り返すのは避けるけど、この作品がインパルスの作品群の中で比較的万人受け
しやすいのは、とにかく事前に非常によく作りこまれた楽曲群であったということに尽きる。延々と果てしなく続くインプロヴィゼーションは
影を潜めて、4つの組曲としてのがっちりとした構成感が最優先となっていて、とにかくこの時代のコルトレーンにしては例外的に聴きやすい、
ということだ。特にパートⅠ、Ⅱには印象的な主旋律のメロディーがあって、すぐに覚えらる。ここにコルトレーンという人の本質的な特性が
よく出ていると思う。誤解を恐れずに言うと、全体的にまったりとして即興感の薄い歌謡曲っぽさがあるだ。

コルトレーンがライヴでこの楽曲をほとんど演奏しなかったのは、マイルスがライヴで "Nefertiti" を演奏しなかったのと同じで、単にこれらが
当時のジャズ・ライヴ向きの曲ではなかったからだろう。コルトレーンはレコードとライヴはまったく別の物として明確に区別していた。

私が「どうなかあ」と感じるのは、そういう刺激の薄さのせいだと思う。音楽的な感動の大きさでは "Africa/Brass" やそのスピンアウトのアルバム
のほうが遥かに勝るし、演奏の臨場感で言えば "Ascension" には遠く及ばない。この「至上の愛」には硬質なダンディズムがあって、そこはいいと
思う。なりふり構わずの純粋さもあり、演奏力も極まった時期なので素晴らしいと思うが、判で押したように「最高傑作」と言われると、一言
モノ申したい気持ちになってしまう。



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剥き出しの姿

2021年10月23日 | Jazz LP (Impuise!)

Sonny Rollins / East Broadway Run Down  ( 米 Impulse! A-9121 )


1966年1月にコルトレーン・グループから脱退したエルヴィン・ジョーンズ、まだ在籍中だったジミー・ギャリソンらを使って同年5月に
ピアノレスで制作されたアルバム。プロデューサーの意向だったのか、ロリンズの意志だったのかはわからないが、コルトレーン・バンドに
似たサウンドになることは予め承知の上で録音されただろうから、コルトレーンに逆影響されて、という批判は当てはまらない。

元々ロリンズは共演者には無頓着で誰でも受け入れたし、自己のレギュラーバンドにも興味を示さなかった。バンドとしての総合音楽で
勝負したマイルスやコルトレーンとは違い、いつも自分の身体1つで音楽を体現していて、タイプがまったく違う。ここでもエルヴィンや
ギャリソンがやるとどうしてもそうなってしまうコルトーン・バンド・サウンドなどには一向に意に介せず、好きにやらせている。
背景がどうであれ、ロリンズは自分の歌を歌い続けるから、音楽トータルで見た時にバックとロリンズの一体感がなく、そのせいで
この時期のロリンズは分が悪いのである。ミュージシャンではない一般のリスナーは音楽をバンド・サウンドとして聴くことしか
できないから、ロリンズのレコードを聴いた時に完成度の低い音楽という当然の感想しか持てない。また、ロリンズは最初からフリーを
やろうとしていたわけではないから、そもそもフリー・ジャズにもなっていないし、そちらから見ても中途半端な音楽にしか見えない。

アルバム・リリースの後、インパルス経営陣にボロかすに酷評されて気落ちしたロリンズはスタジオから離れてしまう。
役員たちが怒ったのは売れそうにないレコードを作ったからだが、ロリンズは自分のプレイや理念を否定されたと思ったのだろう。
最初からボタンの掛け違いがあったのだ。

音楽リスナーの立場から見ると、A面のタイトル曲はハバードが入り、かつての新主流派+コルトレーンサウンドのミックスという
プロデューサー的お仕着せの建付けがどうにも凡庸でつまらないのであって、ロリンズの爆音号砲はそれまでのスタイルを究極にまで
推し進めた形に完成していて、とにかく圧巻でしかない。どう考えてもこんなに切れるようなサックスを吹いた人はパーカーを除けば
後にも先にもいないのであって、彼が誰にも追従できないプレーヤーになっているのは明らかなのだ。

そういう意味では、このレコードはB面の方がよりロリンズの本音に近かったのではないかと思う。”偽装の息遣い”という何とも意味深な
タイトルの、モードとブルースのハイブリットのような1曲目と愛らしい2曲目のスタンダードは境目なく繋がっていて、長い長い前書きの
末にそっと本題に入るかのような、如何にも繊細な照れ屋さんらしい演奏ではないか。ロリンズのサックスの音色は究極の美しさで、
ヴァン・ゲルダーがそれを上手く録っている。"We Kiss In A Shadow" のメロディーが始まった時にバックの2人が戸惑ったように演奏を
スロー・ダウンさせていくぎこちない様子がしっかりと記録されているところから、おそらく、これは演奏前の打ち合わせにはなかった
展開だったのではないだろうか。ロリンズは単純なリフを繰り返す前半の演奏の中で、突然歌い出したくなったんじゃないかと思える。

聴けば聴くほど、ロリンズの本質が剥き出しになったようなレコードであることがわかる。当時の状況への違和感のようなものを
誰よりも早く最初に演奏の中に持ち込んだブルーノートのヴァンガードライヴ、RCAのチェリーとのセッション、そしてこの作品は
中々その根っこの部分への理解が進まないアルバム群のように思えてならない。



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ステレオプレスで聴くべき盤

2021年07月24日 | Jazz LP (Impuise!)

Milt Jackson Quartet / Statements  ( 米 Impulse! A-14-S )


ヴァン・ゲルダーのステレオ録音の美しさを実感できる1枚。このアルバムはステレオプレスで聴くべき。
ヴィブラフォンのシリンダーが響く音色が涼やかで何とも美しい。きらきらと輝きながら宙を舞う様が見える。

バックはハンク・ジョーンズ、ポール・チェンバース、コニー・ケイだが、この3つの楽器の音も見事に捉えられている。
コニー・ケイのショット1つ1つが広い空間の中に響き、そこが奥行きのある空間であることがよくわかるし、チェンバースのベースの
質感も実にリアルに録られている。インパルスのステレオ録音は非常にいい。

手垢の付いたスタンダードを入れず、自作やジャズメンのオリジナル曲で固めたところもいい。ムードに流さたイージーな雰囲気にならず、
質感の高い硬派な内容になっている。ミルト・ジャクソンはそれらをハードに演奏することなく、あくまでも優雅にゆったりと膨らませる。
こういう独特の雰囲気はこの人にしか作り出せないだろう。

どのレーベルからも引っ張りだこだった人だが、このレーベルのアルバムは録音の良さから頭一つ抜きんでている。



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存在の耐えられない重さ

2021年01月30日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Duke Ellington & John Coltrane  ( 米 Impulse ! A-30 )


赤ん坊が眠っている揺り籠をゆっくりと揺らしているような "In A Sentimental Mood" で始まるこのアルバムは、概ねアーロン・ベル / ウッドヤードの
演奏とギャリソン / エルヴィンの演奏という2つの雰囲気の異なる楽曲群のミックスになっている。前者はエリントン主導の音楽で、
後者はコルトレーンが主導する。コルトレーンが終始恐縮してエリントンに追従しているわけではなく、この2つは音楽的には対峙している。

2人の音楽性は水と油のように混ざり合うことはなく、物別れに終わっている。交わり切れなかったのか、最初から独立並行させる
つもりだったのかはよくわからないが、「共演」ではなく「競演」になっている。そのため、統一感には欠ける内容になっていて、
聴いていて居心地の悪さが残るだろう。尤も、ジャズはそういう刹那的な瞬間を捉える音楽なのだということであれば、こういう内容に
なったのは自然な流れだったのかもしれない。飛ぶ鳥を落とす勢いだったコルトレーンの音楽要素は何としても生かしたかったのかもしれない。

そういう意味では、B面冒頭のストレホーン作 "My Little Brown Book" が一番理想的な形に収まった演奏だったように思う。
エリントン / ストレイホーンの不可思議な世界観とコルトレーンの控えめなアドリブ美学が奇跡的に溶け合った美しさが聴ける。
現状は巨匠同士の共演という点でしか認知されていないが、もし全編がこういう内容になっていたら、このアルバムへの評価は
大きく変わっていたことだろう。

ただ、それにしても、この存在の耐えられない重さは一体何だろうかと思う。音楽家一人ひとりの存在感がこんなにも重く生々しく
感じられる作品は他にどれほどあるだろうか。このアルバムはそこが恐ろしい。



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ホールに化けたヴィレッジ・ヴァンガード

2020年09月10日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / The Other Village Vanguard Tapes  ( 米 ABC-Impulse AS-9325 )


1961年11月1~5日、ドルフィーと共にヴィレッジ・ヴァンガードに出演した記録はいろんな形でリリースされていて、今では完全版も
あるから、内容は広く知られている。今となっては、伝説の4日間ということだろう。新しい扉を開けて大きく飛躍した音楽が展開する
折り紙付きの演奏なので、どのフォーマットで聴いても感銘を受けるが、個人的にはこのアルバムに一番愛着がある。

コルトレーンの死後、未発表曲集として1977年にリリースされたアルバムだが、このアルバムの音場感が非常に独特だからだ。
ヴァンガードのライヴ録音と言えば、デッドな音場で演奏者が観客の近くにいるような雰囲気が売りだが、このアルバムの音場感は
まったく違う。まるでどこかの大きなホールで演奏されたような音場感なのだ。

盤面にはKENDUN刻印があるのでロスのKendun Recorders Sutdioがカッティングしたということ。ジャズでは全く取り上げられないが
ロックの世界では有名な独立系のマスタリング・スタジオだから、プレス品質はとてもいい。録音自体はヴァン・ゲルダーが録ったが、
このアルバムのマスタリングは別の世界観で行われている。そのおかげで、暑苦しいと敬遠されがちなコルトレーンの音楽がここでは
違った表情を見せている。そこがいいのだ。

ホール・トーンの中で響くコルトレーンのサックスは雄大で、どこか遠くで鳴っている雷鳴のように聴こえる。それは何らかの予兆を
孕んでいて、我々は常にそれに耳を傾けることになるだろう。

何もアドリブの凄さや勢いの激しさばかりに気を取られる必要はない。空からゆっくりと降ってくるような望郷的なサウンドに
身を委ねるだけでも十分ではないか、と思うのだ。いろんな聴き方があっていい。

ジャケット・デザインも秀逸。テナー・サックス奏者は、この角度から見る姿が一番カッコいい。


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ミンガスの頂点

2020年09月08日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / Mingus, Mingus, Mingus, Mingus, Mingus  ( 米 Impulse! A-54 )


新作の組曲構成だった「聖者」に対して、こちらは自作の名曲たちの再演を軸にしている。マリアーノ、クィンティンらの1月録音と
ドルフィー、ブッカー・アーヴィンらの9月録音のブレンドだが、微妙に違うサウンド・カラーが絶妙に混ざり合い、全体が何とも言えない
深い色合いを帯びている。

管楽器たちが皆、泣いている。ある時は物悲しい顔で、ある時は笑顔を浮かべながら泣いている。音楽にそういう表情がある。
ミンガスの深い想いが演奏者たちを通してそのまま表現される。あまりのストレートな感情表現に身がすくんでしまうくらいだ。

そういう情感が、乱暴にむき出しのまま提示されるのではなく、あくまでも高度に洗練された音楽として示されるところに
この人の音楽家としての矜持が見える。ミンガスは楽曲の力を信じていたようで、常に楽曲を大事にした。
曲作りにはキャリアの初期から力を入れてきたし、重要な自作の楽曲は繰り返し録音した。だからこそ、彼の音楽は心に刺さるのだ。

ヴァン・ゲルダーのマスタリングも頂点を思わせる仕上がりで、この音場感こそがミンガスの音楽には相応しい。これを聴いた後では、
他のレーベルのアルバムを聴く気が失せてしまう。チャーリー・マリアーノのアルトの美しさは筆舌に尽くし難い。

ミンガスの音楽については、アルバム芸術という意味では「聖者」とセットにして、これが最高傑作。物悲しく、力に溢れ、音楽が
生き生きとした様があまりにヴィヴィッドで素晴らしい。これを聴いている間は、これ以外の音楽などいらない、といつも思わされる。


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最高傑作の片割れ

2020年09月06日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / The Black Saint And The Sinner Lady  ( 米 Impulse! A-35 )


コルトレーンがそうであったように、ミンガスもこのレーベルと契約するにあたってはラージ・アンサブルで録音することを条件としたのでは
ないか、と想像する。当時のマイナー・レーベルではそれだけの予算を確保することができず、なかなかそういう演奏はできなかった。
インパルスは親会社のABCパラマウントがバックに付いていたので、そういう面では融通が利いたのかもしれない。

エリントン命だったミンガスの頭の中では、常にこういう形態の音楽の構想があったのだろう。アンサンブルのアレンジはエリントンのそれを
踏襲していて、ザ・ダーク・サイド・オブ・デューク・エリントンという雰囲気になっている。サックス群の分厚い通奏重低音が響く中、ホッジス役の
チャーリー・マリアーノのアルトが艶めかしい。驚くことにクェンティン・ジャクソンを招いていることもあり、エリントン・カラーが濃厚に
出ている。エリントン以外でここまでエリントン・カラーに迫った例を知らない。

これを聴いていていつも感じるのはジャズの古い歴史と伝統に忠実に沿ったオーソドックスさで、これがミンガスの本質である。
ここでは黒人社会の民衆的土着信仰を土台に、聖者と罪人というダーク・メタファーを使って舞踏の時間を表現している。
その際にどこまでも深いエリンントン・カラーで音楽に彩色を施している。

舞踏の音楽と題されたこの音楽は、本来は動的であるはずのダンサーの舞をスローモーション、若しくは静止画の無限のシークエンスで
見せるような、時間の流れが変わるような錯覚をもたらす。そして、それは永遠に続く生を意識する瞬間でもある。

エリントンの音楽への深い感応を核にして、入念に用意されたスコアと十分な練習の末に収録されたこのアルバムは、この後に来る
"Mingus, Mingus, Mingus・・・" と対を成すチャールズ・ミンガスの最高傑作。ヴァン・ゲルダーも最高の仕事でこれを後押ししている。


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音楽を超えた何か

2020年09月05日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / Mingus Plays Piano ~ Spontaneous Compositions and Improvisations  ( 米 Impulse! A-60 )


職業ピアニストが弾いているのではないことは一聴して明らかだ。でも、そういうところは気にならない。聴いているうちに、ピアノのソロ
演奏だということは忘れてしまい、目の前にはある情景が浮かんでくる。

厚手のツイードのコートを着た男が陽の光がよく差し込んだ明るい森の中を散歩している。大きな背中を見ながら、その後を黙ってついて
行っているような感覚。乾いた枯葉を踏みしめるカサカサという音だけが聴こえる。

この人の内なる心象風景が無防備にそのまま映し出されたような、音楽を超えた情景そのものを見ているような不思議な感覚に包まれる。
そこには寂し気で孤独な雰囲気が漂っている。これを音楽として評価するのは不可能。そういう類いのものではない。

これを聴いてエリントンや他の誰かを感じることはない。ミンガスの心の中にある想いがメロディーという形をとって流れ出すのを見るだけだ。
それは柔らかい質感で、優しい感情で溢れている。女性が弾いているのか、と思うくらいのおだやかな質感だ。

ヴァン・ゲルダーもいつもの曇ったようなイコライズをかけず、鳴っているピアノの音をそのまま刻み込んだような感じにしてくれたのは
よかったと思うけれど、そういう話もどうでもよくなる。無拓な魂と成熟した音楽が、聴いている私をどこかへ連れて行ってしまう。


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自分を初期化してくれる何か

2020年08月16日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Meditations  ( 米 Impulse! AS-9110 )


コルトレーンの最晩年の音楽にはフリー・ジャズという言葉がどうもしっくりとこない。他に適切な言葉が見当たらないし、それ以上考えるのも
面倒だから、ということでこの言葉があてがわれてきただけのように思う。私も長年ぴったりとうまくハマる言葉は何か、と考えてきたけれど、
未だに見つからない。60年代後半という時代だからこそ産み落とされた音楽であることは間違いないけれど、半世紀以上経った今、この演奏に
当時持っていた意味のようなものを探ってみてもしかたない。それはもはや考古学でしかなく、音楽を聴くということとは別の行為だろう。

私はこの頃の演奏も好きで、折に触れて聴く。聴いていると、不思議と何かが癒されていくような気がする。コルトレーンはとにかく真面目に
ひたむきに音楽に取り組んでいて、そういう誠実さみたいなものが日々の生活の中で知らず知らずのうちに歪んで澱が溜まってしまった
私の心を初期化してくれるような気がする。成熟しきった逞しい内容であるにもかかわらず、そこには純朴な青年の姿が透けて見える。

自分はコルトレーンの音楽には何も貢献できていない、と言ってバンドを去るしかなかったマッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズの
最後の演奏はどこか哀しい。この録音はイングルウッドのヴァン・ゲルダー・スタジオで行われたが、10年前にマイルスの横で緊張した面持ちで
不安そうに立っていた彼の姿を見ていたヴァン・ゲルダーは、この演奏の様子をどんな気持ちで見ていたのだろう。

もはや音楽としての形を成しておらず、瓦解の様子が激しくなればなるほど、哀しみは増していくように感じる。
こんなことになるなんて思ってもみなかった、と哭いているようにすら感じられ、晩年の音楽にはそういう不思議な何かが漂っている。


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「カッコいい」がキーワード

2020年08月15日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / The Africa Brass Sessions, Vol.2  ( 米 ABC-Impulse AS-9273 )


Africa / Brass セッションで政治的な理由から収録しきれなかった "Song Of The Undergroud Railroad" に既発の別テイクを混ぜてコルトレーンの
死後にリリースされたのがこのアルバム。こんなジャケットにしなければもっと多くの人に聴いてもらえるだろうに、不幸なアルバムだ。

コルトレーンのオルタネイト・テイクはオリジナル・テイクとは違う雰囲気で演奏されたものが多く、これらもそうだ。特にここに収められた
"Greensleeves" はゆったりとした長めの演奏で、オリジナル・テイクよりこちらの方が好きだ。原曲の良さがよりわかりやすく出ている。

しかし、このアルバムの白眉は何と言っても "Song Of The Underground Railroad" だ。"Traditional" ということになっているが、このタイトルは
どうやら総称らしく、19世紀の奴隷制度下で人々が日常的に口ずさんでいた無数のワーク・ソングを念頭に置いたもののようだ。その語感が連想
させるイメージをそのまま旋律化したような感じで、これが最高にカッコいい。まるで何かの映画音楽のような、クールでハードボイルドな曲想が
疾走する。この時のセッションは、どれも楽曲としての出来の良さが際立っていて、最高の仕上がりだった。インパルスのコルトレーンを聴く
キーワードは、「カッコいい」だ。

1974年のABC Records時代の発売なのでヴァン・ゲルダーのカッティングではないが、残響が程よく効いた深夜の演奏を思わせる音場感で、
これがかなりいい。正規タイトルの方はヴァン・ゲルダーがインパルスに刻んだ典型的な高音質だったが、こちらはこちらで別の趣きがあって、
病み付きになる。

このサウンドを聴いていると、インパルスの中で好きなアルバムはオリジナルだけではなく、後発のリイシュー盤も聴いてみたいと思うように
なってくる。元の録音がいいから、きっと別の面白さが味わえるだろう。作品の良さに加えて音質のヴァリエーションも楽しめるのだから、
レコードを聴くという趣味には際限がない。


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ドルフィーの賢さ

2020年08月14日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Africa / Brass  ( 米 Impulse! A-6 )


インパルスでの第1作目であるこのアルバムを聴くと、コルトレーンが如何にマイルスから多くを学び、それを糧として成長したかがよくわかる。
アトランティックから移籍するにあたり、ラージ・アンサンブルを使ってレコーディングしたいこと、そのアレンジをギル・エヴァンスに頼みたい
こと、録音はヴァン・ゲルダー・スタジオでやることなど、まるでマイルスのやったことそのままをインパルスに要求している。

結局、アンサンブルのスコアはドルフィーとマッコイへと変更されたが、これが非常にうまくいった。ドルフィーはコルトレーンの意向を汲んで、
楽器の構成やアンサンブルの演奏の間引き方を徹底的にギル・エヴァンス流にした。コルトレーンの演奏を邪魔しないようバックにテナーは入れず、
サックスはバリトン1本と自身のアルトのみとし、フレンチ・ホルン、チューバ、ユーフォニウムで音の壁を作った。そして、アンサンブルには
最小限の出番しか与えず、メインはコルトレーン・カルテットの演奏を置いた。ドルフィーは頭のいい、賢い人だったのだ。

このアルバムと後にリリースされたVol.2は、インパルスの作品群の中では最も音楽的に優れた作品の1つだと思う。急激な発展が始まる途上で、
その予感は十分に孕みながらも普通のジャズの感覚もしっかりと残っている時期で、絶妙なバランスの上に成り立っている。アフリカという
キーワードやブラス・アンサンブルが入っていることから敬遠されるかもしれないが、それらに惑わされる必要はどこにもない。普通のアメリカ人
であるコルトレーンにとって、アフリカという言葉は音楽に異国情緒を与える単なる修辞の意味合いだっただけだろうし、バックのアンサンブルも
音楽に色彩をもたらそうとする手段だったに過ぎないと思う。難解なコルトレーンなど、どこにもいない。

とにかく、かっこいい、の一言に尽きる。最初から最後まで、ジャズという音楽が本来持っている美学のようなもので貫かれている。
生真面目で真剣な音楽で、このひたむきさに惹かれる。もし、コルトレーンの音楽に何か精神的なものを感じることがあるのだとすれば、
それは思想的なものなどではなく、この純粋なひたむきさしかないと思う。

このアルバムの中では、最後に置かれた "Blues Minor" が一番好きだ。こんなにかっこいいジャズは、そうそうないではないか。
この人は生涯を通じて珍しく駄作のない人だと思うけれど、インパルス時代のアルバムはやはり別格的にいいと思う。


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不気味な暗示

2020年07月23日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Death And The Flower  ( 米 ABC-Impulse ASD-9301 )


この時期の代表作というのが定説になっているようだが、これがまったく面白くない。哲学的とか瞑想的と言われるが、そこまで切羽詰まったものは
感じられない。まあ、如何にも評論家が評価しそうな音楽ではある。 "至上の愛" をコルトレーンの最高傑作と言ってしまう、あのノリだ。
時代背景もあったのだろうと思うので仕方ないのかもしれないが、「キース・ジャレット」の名前が無くても、本当に同じ評価がされていただろうか。

音楽自体はこの時代の他のいろんなアーティストがやっていたタイプのもので別に変だとは思わないが、キースがこれをやる必要はなかっただろう、
ということだ。これはこういうタイプの音楽しかできない人に任せておけばよかったのであって、キースにはキースにしかできない音楽をやって欲しい。
ここには本来のキース・ジャレットの音楽に見られるみずみずしい新鮮な感性の発露が感じられない。「冴え」がないのだ。

長い音楽活動の中では誰だって波はあるから、そのこと自体が問題なのではなくて、近年の演奏ができなくなってしまった不幸な病のことを想うと、
何かを暗示しているような気がして、それが不気味だなと思ったりする。


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非アメリカンなメランコリー

2020年07月21日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Byablue  ( 米 ABC-Impulse AS-9331 )


ヨーロピアン・カルテットの雰囲気にかなり寄せたような印象があるアルバムで、他のどれとも似ていない。このカルテットの引き出しの多さには感心する。
デューイ・レッドマンがガルバレクのような音色で吹いているせいかもしれない。サックスが多重録音されていたり、と作りにもそれっぽいところがある。
録音の質感もECMを意識したかのような雰囲気がある。

ピアノ・トリオで演奏される "Rainbow" はやはりスタンダーズのようで、バンドの後期のアルバムになるとこういう要素が目立ってくる。 "宝島" なんかと
比べると同じグループの音楽とは思えず、目まぐるしいスピードで音楽が変化していたようだ。この変化の様子が持ち味の1つだったのかもしれない。
ECMが好きな人なら、このアルバムはきっと気に入るだろう。アルバム・ジャケットもそれっぽい。

キースのピアノの音色もその美しさを際立たせており、急に大人びて落ち着いた音楽に変わってきている。楽曲もメランコリックなメロディーなものが多く、
物憂げなトーンで全体が統一されている。アルバム単位でこんなにも表情が変わるのだから、このグループを評価するのは難しかっただろう。

多くの人が期待するキース・ジャレットの音楽が集約したような内容で、聴かれる機会が少ないせいで話題にのぼることがないのなら、勿体ない。
キースのまったくの新作はおそらくもう出てこないだろうし、出たとしてもそれは皆が期待するような内容ではないだろう。だから、これまで聴いて
こなかったアルバムを探索するしかない。その中で、きっと気に入るものに出会うことができる。これはその1枚に成り得るアルバムではないだろうか。


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現代のジャズの匂い

2020年07月20日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Shades  ( 米 ABC-Impulse AS-9322 )


のっけから王道の明るい現代ジャズで始まり、面喰う。このカルテットの現代ジャズを予言する感覚には驚いてしまう。こういうのを聴いていれば、
イマドキの新譜なんて買う必要はないんじゃないか、と思ってしまう。1曲目と2曲目の境目に気付かず、気が付くとA面が終わっていた。

現代の感覚でこれを聴くと、50年近く前に今のジャズと変わらない音楽を既にやっていたんだ、という感慨に打たれるが、発表当時に聴いた人々は
どういう感想を持ったのだろう。こんなのはジャズじゃない、と多くの人が感じたんじゃないだろうか。フリー・ジャズの影響がある、とかいう見当違いな
評論もあったのかもしれない。

このグループへの評価が低いというのは、結局のところ、昔のジャズから離れられない人々の見解がベースになっているんだろうと思う。現代ジャズを
ちゃんと聴いている人なら、何の違和感もなく聴けるんじゃないだろうか。キース・ジャレットをめぐるいろいろな見解については、とにかく、その底流には
常に古き良き時代のジャズがもう2度と戻ってこないことへの落胆と激しい懐古の念が流れていて、この人なら何か奇跡を起こしてくれるんじゃないか、
という身勝手な期待を勝手に背負わせてしまったところにいろんな混乱が生じた原因があるような気がする。そのことがありのままの音楽を鑑賞する
ことを邪魔してきたんじゃないだろうか。そして、そのことに一番いらだっていたのが、キース本人だったように思える。

耳障りのいいヨーロピアン・カルテットの音楽はあれはあれで見事だと思う反面、こうやってこのカルテットのアルバムを1つずつ聴いていくと、
こちらのほうがジャズとしては本流だと感じる。ECMの音楽は独特の強固な美学が創り上げた1つの世界ではあるが、それは元々あったジャズという
音楽と融合することを、根本のところでは拒み続けている。その距離の置き方に、私はいつまでたっても親友になれないよそよそしさを感じる一方で、
アメリカン・カルテットには古着のTシャツを着た時のような親しみやすさや解放感を感じるのだ。


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スタンダーズの到来を予感させる感性

2020年07月16日 | Jazz LP (Impuise!)

Keith Jarrett / Bop Be  ( 米 ABC-Impulse IA-9334 )


これは非常に素晴らしいアルバムだ。展開されている音楽の感性がまるで現代ジャズそのもので、感覚的には何十年も先取りした感じなのが驚異的。
楽曲毎の変化が無軌道に感じられないのは、新鮮な感覚で1本のスジが通っているからだろう。

デューイが抜けたピアノ・トリオによるタイトル曲の "Bop Be" と "Blackberry Winter" は後のスタンダーズ・トリオそのもので、非常にメロディアスで
情感が溢れる佳作。スタンダーズが最も良かった頃の雰囲気があって、ここでも大きく先取りした感性が発揮されている。これは聴いていてうれしい演奏だ。

また、ヘイデンの代表作である "Silence" が取り上げられており、短い演奏ながら心に残る。ペトルチアーニが名演を残しているけれど、こちらも負けていない。
メロディーを奏でるのではなく、和音の響きがもたらす揺らぎで曲を構成するという斬新な楽曲のコンセプトが上手く表現されている。

モチアンのリズムも歯切れがよく、音楽が快活だ。暗く停滞したところがなくて、演奏の意図が非常にわかりやすい。デューイもいいソロをとっており、
吹っ切れた感じがある。全体的にキースのピアノが大きく前面に出ていて、キースのレコードをたっぷりと聴いた、という充実感が残る。

バンドの最終作で録音が一番新しいせいか、このレコードは音がいい。それまでのアルバムの音質とは明らかに違っている。
そういう面が音楽の明確さを表現するのに一役買っている。

ひねくれたところがなく、聴いていて無条件に楽しめるアルバムで、これはとてもいいと思った。明らかにスタンダーズ到来の予感がある。
これはキースの傑作の1枚に挙げていいだろうと思う。


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