廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

若き日の姿が尊い

2024年12月29日 | Jazz LP (Storyville)

Lee Konitz / In Harvard Square  ( 米 Storyville Records LP 323 )


ストーリーヴィルのリー・コニッツは10インチが3枚あるが、このハーヴァード・スクエアが1番内容が落ちる。ヴァーヴの演奏のように弛緩したものが多く、触ると手が切れる
ような鋭敏さや触れた指先が痛くなるような冷たさもない。フレーズにも閃きがなく、緩慢だ。マスタリングに失敗したのか、音もナローレンジでコニッツのサックスの音色が
不自然。にもかかわらず、なぜか昔からこれだけが他の2枚よりも別格扱いされてきた。ヴァーヴ時代の演奏は "Motion" を除いて総じて評判がよくないのに、不思議な話だ。

ただ、ここでやっている音楽はリー・コニッツの独断場。含まれているスタンダードは一聴してその曲とはわからない。楽曲のメロディーが歌われることはなく、コード進行に
沿ってまったく別の旋律が吹かれていく。"My Old Flame" は中盤あたりでほんの少し原曲のメロディーが出てくるので、それでようやく何の曲をやっているのがわかる程度。
このやり方の元祖はパーカーで、コニッツはアルトの音や吹くフレーズはパーカーからできるだけ遠ざかろうとしたが、音楽の考え方やアプローチはパーカーにどっぷりと
心酔していた。残された音楽はパーカーの方がずっとスマートだったが、それでもコニッツも頑張ってアドリブの尽きない連鎖を繰り広げている。

ストーリーヴィル時代のコニッツにはそういう彼の若い頃の呻吟の跡が残っているからいいのだろう。トリスターノの元を離れて、1人で自身の音楽に没頭していた姿が尊い。
だから、我々はこの演奏に惹かれ続けるのだろうと思う。



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新緑のような若い才気

2020年04月20日 | Jazz LP (Storyville)

秋吉敏子 / Toshiko  ( 米 Storyville STLP 912 )


このアルバムを聴くと、いつもエヴァンスの "Everybody Digs Bill Evans" を思い出す。才能溢れる若いミュージシャンが世に打って出る際に創造する
真面目で真剣な音楽だけが持つ、ある独特の雰囲気がよく似ているからだ。それはデビュー後まもない、ごく短い時期にしか現れない特質なのかも
しれない。しかし、それは必ず現れる。そして、それがうまく記録されることは稀だ。だからこのアルバムが残っていることは貴重なのだ。
それはまるでみずみずしい新緑に覆われた若い樹木のようだ。

バド・パウエルのようなピアノを弾く日本人女性がいる、とノーマン・グランツを驚かせた秋吉敏子が「それだけではないぞ」と実力をみせつける。
緩急自在にフレーズを操り、単純なハード・バップのピアノ・トリオには終わらない。オリジナル曲でみせる憂いや複雑な曲想が控え目ながらも
克明に刻まれている。このアルバムはヴァーヴ盤には収録されなかったそこが聴き所になる。単なる興行師では終わらなかったジョージ・ウェイン
のアルバム作りの上手さがキラリと光る。

ポール・チェンバースやエド・シグペンがバックにいる、ということがなぜか嬉しい気持ちにさせてくれる。このトリオの演奏には不自然なところは
何もない。ブラインドで聴けば、長年活動を共にした常設のトリオか、と感じる向きもあるだろう。そういう演奏だ。

あの時代に単身で渡米し、現地で生きたジャズを学び、共に演奏したこの人の前で「和ジャズ」という言葉を使う者はいないだろう。
秋吉敏子は、その言葉の不適切さを教えてくれる。


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リーダー作があまりない人 ~その4~

2019年08月18日 | Jazz LP (Storyville)

Ellis Larkins / Perfume And Rain  ( 米 Storyville LP 316 )


エリス・ラーキンスをこのタイトルで括るのはおかしいかもしれない。 デッカにリーダー作が数枚残っているし、近年にも数枚リリースされているし、
伴奏者としても多くの演奏が残っている。 しかしデッカのアルバムは軽音楽の度合いがより強くて私のようなジャズオヤジには手を出しにくいし、
伴奏物はあくまでも伴奏者としての演奏なので本人の本領が発揮された内容とは言えない。 そう考えると、目ぼしいところはストーリーヴィルの
2枚ということになる。 実際のところ、エリス・ラーキンスのアルバムは?と言われれば、その2枚以外は頭に浮かんでこないのである。

趣味の良さでは右に出る者はおらず、レイドバックした内容とは言え、完成した世界がある。 このピアノを聴いていると、案外レッド・ガーランド
なんかもここを目指したんじゃないかと思えてくる。 2人の音楽の質感には似ているところがある。 

歌伴でもソロでも決してペースを崩すことなく、出しゃばったり脱線することなく、淡々と弾き続ける。 そういう穏やかな演奏を聴いているうちに、
音楽は目に映る光景や記憶の中にじわじわと溶け込んでいき、ピアノ音楽を聴いているという感覚はゆっくりと消えていく。 時間の感覚を失った
ようにゆらゆらと漂う感じが続き、気が付くと音楽が終わっている。

誰かと競うことなく、争うこともなく、自分らしさを貫いた人だけが作れる世界だろう。 それを維持し続けるには相応の厳しさも必要だったはずで、
そういう中で贅肉は落ち、純度は上がっていき、まるで美しく研ぎ澄まされた工芸品を見ているような感覚になる。

少しくぐもったような音場感なのに音楽は凛として鳴っている。 脆く繊細なようでいて、容易には壊れない芯の強さをも感じる音楽である。




Ellis Larkins / In An Ellington Mood  ( 米 Storyville STLP 913 )


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1人で静かに聴きたいレコード

2019年07月28日 | Jazz LP (Storyville)

Vic Dickenson / Vic's Boston Story  ( 米 Storyville STLP 920 )


私の知っている範囲ではヴィック・ディッケンソンの最もモダンに寄った演奏で、中間派の独特な雰囲気からは唯一解放された珍しい作品。
ヴァンガードの作品はどれも超一級品だと思うけれど、そんなに熱心に追いかけて聴いているわけではないので、実際はどうなのかはよくわからない。

中間派はニュー・オーリンズ・ジャズやスイング・ジャズの嫡子としてその血統の優位性には誰も口出しできないけれど、その頑なな純潔さ故に
発展することなく、ある時点で時がピタリと止まってしまったように見える。 究極の様式美を誇ったけれど、それは暗黙の閉鎖と排他によって
確立されたものだったように傍からは見える。 いくつかの中間派の作品にある種の窮屈さや息苦しさを感じる時に、そんなことを考える。

その点、このストーリーヴィルのアルバムはそういうものとは無縁の内容だ。 自由で開放された心地よさに溢れている。 トロンボーンはまるで
ディッケンソンの肉声のようだし、ここでは歌声も披露しているけれど、これもナチュラルでとてもいい。 こういう自然な雰囲気は、おそらくは
いつものセッションでのメンバーとは違うメンツでの演奏だからかもしれない。 ジョージ・ウェインがピアノを弾き、トロンボーンのワンホーンで
あるという構成も少なからず影響しているのだろう。 お決まりのヘッドアレンジが必要ないので、それだけでもまったく違う音楽に聴こえる。

ハード・バップのトロンボーン、例えばJ.J.ジョンソンなんかとは奏法そのものが違うので、そういう演奏に慣れた耳にはまるで別の楽器、例えば
フレンチ・ホルンやチューバのような、そういうものを聴いているような感じがする。 更に、"Yesterdays" や "In A Sentimental Mood" のような
モダンで取り上げられる楽曲も演奏していて、全体を通して聴いているとどのジャンルにも属さない不思議な音楽を聴いているような気分になる。
バックのピアノトリオも素朴で穏やかな表情を終始崩さず、ディッケンソンをしっかりと支えている。 ゆるいようでいて、よく纏まっている。

聴けば聴く程、他に似た事例を思い出せないようなある意味で究極の音楽。 採算よりクォリティーを優先したストーリーヴィルというレーベルだから
こそ作ることができた奇跡の1枚と言っていい。 「傑作だ」と騒ぎ立てたくはないタイプのレコード。 1人で静かに聴きたい。


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堕ちた天使

2017年05月07日 | Jazz LP (Storyville)

Lee Konitz / Konitz  ( 米 Storyville LP 313 )


昔、このレコードは憧れの1枚だった。 はっきりとは覚えていないけれど、たぶんスイング・ジャーナル誌でこのジャケットを見たんだと思う。
それまでに見たことがないようなアート・ワークにすっかり心奪われた。 このジャケットを見ていると、それまでは知らなかった未知なる世界の存在を
知った、という感覚になった。 当時の自分の中にあった心象風景の何かを象徴していたんだと思う。 そういう特殊なレコードだった。

当時通っていたヴィンテージ・マインで時々このレコードを見かけるようになったのはちょうどその頃だったと思う。 でも、簡単に手を出せるような値段では
なかった。 そのジャケットを手に取って眺めては、ため息交じりに棚の中に戻していた。 見かけるたびにドキドキしながらも、手の届かない存在だった。

そういう特別な憧れを抱かせたのは、何もジャケットのアート・ワークだけのせいではなかった。 リー・コニッツのアルトが青白い炎が揺れるように漂う様が
何とも妖しく幽玄で、それまで聴いたことが無いようなこの音楽にもやられていたからで、この内容でなければそこまで憧れるようなことはなかった。
当時は新宿のユニオンの地下で見つけた国内盤の12インチ盤で聴いていた (これだって、相当珍しい廃盤だった)。

コニッツがやったこの音楽は、通常のジャズという言葉では括り切れないようなところがある。 それがトリスターノの影響なのかどうかはよくわからないけれど、
彼が他のジャズミュージシャンたちと比べて異質なイメージがあるのは、この時期にやっていた音楽が人々の印象に大きく作用しているのは間違いない。

25年振りくらいにこのレコードを改めて聴いたけど、ものすごくくっきりとリアルで生々しいアルトの音が出てくるのにとても驚いた。 当時とは使っている機器も
聴いている環境も違うから印象が違うのは当然だけど、その頃持っていた盤はそれほどいいコンディションではなかったせいもあるかもしれない。

今ではどこに行っても頻繁に見かけるようになっていて、このレコードは日本に一番たくさんあるんじゃないのか、と思ってしまう。 上記のような昔話からは
考えられないくらい現在の中古市場の状況は変わってしまったけど、何でも簡単に手に入ることがいいことなのかどうかはよくわからない。
憧れのマドンナは永遠にマドンナのままでいて欲しかった、とDUで見かけるたびに寂しい気持ちになる。


コメント (2)
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