廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

テレキャスターでジャズを演ると

2016年08月28日 | Jazz LP (70年代)

Ed Bickert / Ed Bickert  ( 加 PM PMR-010 )


とにかく、テレキャスターでジャズをやっている、というのだから、もうそれだけで泣かせる。 テレキャス、サイコー。 

1975年に自己名義としては初めてリリースされた遅いデビュー作ということになる。 トロントの "George's" でのライヴ演奏だ。
ここがどういうクラブなのかはわからないけれど、グラスや食器の触れ合う音や会話の声や人が歩いているような様子も伺えるなど、結構騒がしい。
地味なギター・トリオというフォーマットのせいか、観客はあまり熱心に聴いている感じがなく、演奏者と観客はそれぞれ別の方を向いている
ような感じだ。でも、そんなことには慣れているのか、特に気にすることもなくビッカートは趣味のいい選曲を淡々と演奏していく。

スタン・ケントン楽団のレコードを聴き漁って独学でハーモニーの勉強をしたというだけあって、コードワークを中心にした演奏スタイルで、
その和声には独自の感覚がある。 アメリカの巨匠たちの弾くハーモニーよりももっと複雑で繊細なコードを使っているようだ。 
それがこのギタリストを孤高の存在へと押し上げているのかもしれない。 

トーンコントロールもトレブルを絞り切っているようで、テレキャスを弾いているとは思えないような暖色系で輪郭をぼかしたジャズギターらしい
音を作っている。 チョーキングも多用していて、フルアコを抱えてなめらかに指を動かして弾いて行く従来のジャズギターのスタイルにも
あまり縛られていない。 ただそれは新しいことをやろうという野心から出ているのではなく、ジャズの中心から遠く離れた周縁ではごく普通に
使われている語法だから、という風情でしかなく、まあそういう細かいところまで意識しなければ至って普通のジャズギターだ。

演奏されている曲は旧いスタンダードが中心でシナトラの愛唱曲が多いが、最後に収録された「黒いオルフェのテーマ」が原曲の雰囲気をうまく
活かした名演になっている。 ポール・デスモンドとジム・ホールの名演を意識したものだろうけど、切ない情感が出ていて心に残る。 
全体的に保守的ながらも静かなサウンドで統一された落ち着いた雰囲気が好ましい。 デスモンドがジム・ホールから教えられて、わざわざトロント
まで飛んでいって2週間地元でセッションを繰りひろげたという話だが、彼らと同じ傾向の音楽家がカナダという大きな片田舎にもいたという
当時の驚きがよくわかる作品だと思う。



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やはり素晴らしい晩年のエヴァンスのライヴ

2016年08月27日 | Jazz LP (復刻盤)

Bill Evans / Live at Lulu's White in Boston - October 30,1979  ( 英 DOL DOR2085H )


エヴァンスの最後のトリオによる、死の1年前にボストンで行われたライヴ演奏。 この音源自体は前からリリースされていて愛好家にはよく知られたものだが、
私は聴いたことがなかった(というか、エヴァンスの音源は多過ぎてカヴァーし切れない)ので、安価でLP化されたのを機に聴いてみることにした。 

大好きな曲 "Re : Person I Knew" で始まるうれしいプログラム内容で、以下お馴染みの曲が続いて行く。 エヴァンスのピアノはいつもと変わらず
音が美しく、運指もなめらかで、フレーズの構成の仕方もエヴァンス・マナー。 若い頃はブロックコードを多用していたが、後年は広い鍵盤の上を
静かに波を切って進んでいく帆船のようにシングルノートで音を紡いでいく。 

"I Do It For Your Love" ではポール・サイモンが工夫を凝らして編み込んだ複雑でデリケートなコード進行の彩を何とも妖しく再現していて、
エヴァンスが如何に原曲の曲想を適確に捉えてそれを表現できるかというのを証明している。 これを聴けば、きっとポール・サイモンも満足するだろう。

最後の "My Romance" はアップテンポでベースやドラムのソロスペースを大きくとって観客を興奮させて、ライヴは終了する。 こうやって観客を
楽しませる演出も忘れない。 そして、メンバー紹介とお礼の言葉を述べるエヴァンスの声に、涙、涙・・・

観客たちの賑やかな話し声やグラスの触れ合う音が上質なトリオの演奏と混ざり合った至福の時が流れていく。 部屋の中がまるでジャズクラブになった
かのような錯覚に襲われる。 なぜか、こんなに演奏内容が心と身体に沁み込んできたのは久し振りだった。 際立った演奏ということではなく、いつもと
変わらないエヴァンス・トリオの演奏なのに、レコードから流れてくる音が私の心に直接響いてくる。 このレコードはうちのいささかくたびれたオーディオ
セットとは相性がいいのかもしれない。

気になる音質だが、旧いモノラル盤を聴き慣れている耳には音圧はやや低めかなと感じるかもしれないが、音自体はとてもきれいに録れている。
人為的にいじった形跡もなくとても自然な音場感だし、シンバルも粒度の細かいきれいな音で録れている。 ラジオ放送用に録音されたものなので、
十分な設備の下で録られたようだ。 これならMPS2枚組の時のような論争は起きないだろう。



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きちんと踏み止まるということ

2016年08月21日 | Jazz LP (Prestige)

Tommy Flanagan / Moodsville 9  ( 米 Prestige MVLP 9 )


"Overseas" を名盤にしているのはエルヴィンのブラシワークと "Verdandi" という曲の力だと思うけど、よくよく聴くと全体的にかなり硬い演奏で、
横揺れ感も意外と希薄だ。 フラナガンのピアノはミスタッチも目立つし、かなり雑に弾いているけど、そういう粗いところをエルヴィンのブラシが覆い
隠してくれている。 本場のジャズメンが来訪してくれたということで、スタジオには大量の酒が差し入れされて、彼らはレコーディングしながらそれらを
全部飲み干してしまい、かなり酔っていたそうだ。 だからピアノトリオの名盤と言われる割には粗っぽい演奏になっている。 ただ、出てくる音の雰囲気が
如何にもスウェーデンの旧いスタジオで録音されました、というレトロな感じを醸し出していて、それが名盤の風格を出すのに一役買っている。

それとは対照的なピアノが聴けるのがこのアルバム。 レーベルコンセプトに沿ったムーディーな選曲になっているせいもあるが、ここでのフラナガンは
万全のデリケートさで鍵盤を撫でるように弾いていく。 普段は欠点とされるRVGが創るピアノの水に溶かした水彩絵具の滲みのような色彩感も、ここでは
このレーベルが描こうとする世界観を映し出す上では逆に好ましい効果を挙げていると思う。 ムード音楽スレスレのところできちんと踏み止まっている
ところに、当時のジャズメンの力量を感じることができる。 

これはまだ廃盤だオリジナルだなんてことを知らなかった学生時代から好きだった作品で、未だに飽きずに愛聴できている1枚。 冒頭の "In The Blue
Of Evening" が始まると、独特の雰囲気が立ち上がる。 個人的にはトミー・フラナガンはピアニストとしてはoverestimateされていると思うけど、
Moodsvilleという企画はこの人にうまくハマっている。 同レーベルにもう少し作品が残っていても良さそうなものだが、当時のアメリカではあまり
評価されていなかったようだ。 マイルスもこの人にはまったく興味を示さなかった。


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レコードでライヴを聴く限界

2016年08月19日 | Jazz LP (Riverside)

Wes Montgomery / Full House  ( 米 Riverside RLP-434 )


友達から連絡がきて、来月武道館で行われるクイーンのコンサートに行かないか、と言う。 別にいいけど、人妻と2人で行くのはまずいだろう、という
ことで、あと2人誘ってうち1人が都合が付かず、結局3人で観に行くことになった。 アダム・ランバートという歌手が歌うそうだが、こいつが何者なのか
よくわからない。 フレディのいないクイーンなんて・・・という気がしなくもないが、まあ、あまり小難しいことは言わず、気楽に愉しめばいいかと思う。

そこそこの値段のチケットにも関わらず行く気になったのは、やはりライヴは目の前で観ることに意味があるからだ。 私がクイーンを熱心に聴いていたのは
中学生の頃だったが、その時は「ああ、クイーンのライヴなんて一生観れないんだろうなあ」と思っていた。 でも、今じゃ映像でいくらでも観ることが
できるわけで、未来なんてどうなるかわからないものだ。 でも、今ネットでフレディがくねくね踊りながら歌うのを観ていても、さほど愉しくはない。
画面を眺めているだけでは、どうも有難みが感じられないのだ。 それに音楽にもイマイチ乗れない。 やっぱり、その場にいなければ駄目なんだろうと思う。

ウェスの代表作として名高い "Full House" にも同様のことが言えると思う。 グリフィンがオブリガートに徹しているおかげでウェスのギターがよく
鳴っているのが聴こえて、ジャズギターの快楽度が高いとてもいい内容になっている。 全編がノリノリ、というよりかなりのハイテンポで演奏されており、
観客の反応もすごぶる良く、さぞや素晴らしいライヴ演奏だったんだろうなあ、とただひたすら羨ましい。

でも、このアップテンポにこちらの身体がうまく乗れないのだ。 ソファーにもたれかかって聴いているこちらの気分とこのレコードの中に込められた
熱気の間には、どうにも乗り越えられない大きな壁がある。 こういう状況でこんな熱いライヴ演奏を聴くこと自体が間違っているんだろうと思う。

やはりその場にいて、目の前で彼らの動いている姿を目撃して、初めて自分の身体に火が付くのだ。 それが大事なのであって、庭にマイ電柱を建てたら
フレディが目の前で歌っているように聴こえた、という類の話とは本質的に違うということだ。 生演奏とレコードとどちらが優れているか、というような
とんちんかんな話ではない。 それは体験としての種類が違う。

レコードで聴くライヴ演奏が熱ければ熱いほど、それに乗り切れないもどかしさの総量は大きくなるような気がする。 やっぱり、たまにはライヴ会場へ
足を運び、全身で音を浴びることも必要なんじゃないかな。



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溢れ出るリズムの中を泳ぐ

2016年08月17日 | Jazz LP (Columbia)

Stan Getz / Captain Marvel  ( 米 Columbia KC 32706 )


リズムが溢れ出て止まらない洪水の中を力強く泳ぐテナーサックス。 熱っぽい南米の空気への強い憧憬。 この音楽を聴くと、日本なんか飛び出して
南の国へと旅したくなる。 人はなぜ南国に憧れるのだろう。 くちばしの大きく曲がった鳥たち、色とりどりの果物、身体にまとわりつく熱風、そういう
楽園のありふれたイメージが頭から離れない。

基本的には "Sweet Rain" の延長線上にある内容だけど、"Sweet Rain" は少し抽象度合いの高い内容だったのに対して、こちらはもっとわかりやすい
音楽になっている。 集められた楽曲のコンセプトが明確だからだろうと思う。 ジャケットからもわかるように、郷愁にも似たある種の憧憬がテーマに
なっている。

ただ、だからと言って、ヤワな内容とは程遠い。 トニー・ウィリアムスのドラムが爆発しているからだ。 そこにアイアートのパーカッションが被さる
のだから、祝祭のムードは冒頭の "La Fiesta" から一気に高まる。 マルケスやリョサの描いた世界の中で鳴っているような音楽だ。 煽るトニーの
シンバルの風圧に対しても一歩も引かないゲッツのテナーが逞しく、全体的に巨大な音楽になっているという印象が残る。 

にもかかわらず、どれだけ強く激しく吹いても、スタン・ゲッツのテナーはどこまでも涼し気なトーンだ。 下品になることもなく、嫌味なところもなく、
その天賦の清らかさぶりには唖然としてしまう。 こういうところが、コルトレーンなんかとは違うところだ。

先日発掘されたキーストーンコーナーのライヴを聴いてもわかるように、日常的なライヴ活動では普通のオーソドックスなジャズをやっていても、
いざレコードを作るとなるときちんと考えられた新しい音楽を志向していて、こういうところが芸術家だったんだなあと思う。 ドラッグで汚れている
イメージがある一方で、彼が創った作品にはそういう日常を想像させる気配すらないところが、いつも驚異的だと思うのだ。


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若き日のサラ・ヴォーン その3

2016年08月14日 | Jazz LP (Vocal)

Sarah Vaughan / Linger Awhile  ( 米 Columbia CL 914 )


サラ・ヴォーンはコロンビアに3枚のアルバムを残したが、"After Hours" や "In Hi-Fi" はジャズのインストでも演奏されるスタンダードが中心に
収録されているので昔から定番としてよく取り上げられるが、このアルバムはインストでは演奏されることのないポップスばかりが収録されているせいか、
ジャズの世界では相手にされてこなかった。 でも、それは間違っている。 若き日のサラ・ヴォーンの最もスイートな歌声が聴けるのがこれだからだ。
収録された楽曲の良さは、このアルバムが1番だ。

彼女がコロンビアと契約していたのは1948年から53年までで、この時期にたくさんの曲を録音した。 コロンビアのレコードにはレコーディングの詳細が
書かれていないが、この時期の彼女のマネージャーで音楽指導していたのはジョージ・スレッドウェルで、彼自身がトラペッターだったこともあり、彼が
レコーディング時にスタジオに集めたミュージシャンはなかなか凄いラインナップだった。 曲によってはマイルス・デイヴィス、J.J.ジョンソン、
バド・パウエルも参加してる。 

この時期のサラの歌声は素晴らしく、ノンヴィブラートで真っすぐに伸びていく声量の強さや声質の深みには他を寄せ付けない神々しさがある。 そういう
彼女の声をコロンビアの十分な録音設備が非常にノスタルジックな色合いを活かして上手く録り切っており、彼女の歌を最高の形で残すことができた。
このアルバムで聴かれる "A Lover's Quarrel"、"I Confess"、"Sinner or Saint" などは本当に素晴らしい。

ただ、彼女はこういうポピュラーソングを歌うことにだんだん飽きてきて、もっとジャズ色の濃いレコードを作りたいと思うようになった。 契約時期の
後期でマイルスをスタジオに呼んでスモールコンボ形式で演奏してもらったのも彼女のそういう意向からだったが、やがてコロンビアとの契約を解消し、
マーキュリー・レコードへ移籍する。 

後年の大御所扱いされるようになってからのイメージが強いだろうが、彼女にだって若い頃があったのだ。 すらりと細身で、精一杯おしゃれをして、
無心に歌っていたこの時期の作品はどれも本当に素晴らしい。


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明るい表情が印象的な時代

2016年08月13日 | Jazz LP (Vocal)

Teddy Wilson and his Orchestra feayuring Billie Holiday  ( 米 Columbia CL 6040 )


1935~38年にブランズウィックのSPとして録音された若き日のビリー・ホリデイの快活な歌声が聴けるマスターピース。 1940年に版権がコロンビアに
移ってSPとして発売され、その後1949年に10インチLPとして上載を含めて数枚が、更に50年代初頭に下載の12インチLPとして切り直され、と時代の
移り変わりに合わせるかのようにリリースされ続けた。 コモドア盤よりも明るい題材が取り上げられているおかげで、こちらのほうが一般的には好まれて
いるんじゃないだろうか。

ビリー・ホリデイを聴く時にこの10インチというのは非常に適切なサイズだと思う。 正直、12インチだと最後まで聴き通すのはしんどい。
バックを固めるのはベニー・グッドマン、レスター・ヤングら超一流のビッグネームばかりだけど、この時代の典型的スイングジャズなのでどれを聴いても
みんな同じように聴こえるから、2~3曲聴けばもうお腹いっぱいになってしまう。 10インチの片面の歌と演奏が終わるとちょうどよくて、ああ、いい音楽を
聴いたな、と思える。

若い頃に送った壮絶な人生、という紋切り型の話のせいで特定のイメージがついてまわるから敬遠されるのであって、そういうのをいったん横に置いて
聴くと非常に優れた歌手であることがよくわかるのだが、若い頃の歌唱はまだ一本調子なので長時間は聴いていられない。 この人は晩年になると表現の
幅が拡がり彫も深くなるから、アルバムとしてじっくり聴くならそちらのほうがいい。 SP時代の歌は深読みする必要はなく、もっと気楽に接すればいいのだ。

私が好きな "What A Little Moonlight Can Do" が聴けるのが嬉しい。 この曲はビリー・エクスタインの歌が一番いいけど、ビリー・ホリデイの
ヴァージョンも悪くない。 あくまで作品の上だけの様子で見ると、明るく柔らかい表情が印象的な時代だったように思える。




Billie Holiday / Lady Day  ( 米 Columbia CL 637 )



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脚ばかり褒められるけど

2016年08月11日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet / Anything Goes  ( 米 Columbia CL 2602 )


デイヴ・ブルーベックのピアノはスイングしないから嫌い、という人は多い。 でも、ブルーベック・カルテットはものすごくスイングしている。
じゃあ、スイングしているからこのカルテットは好きか、というとそういう話もさほど聞かない。 つまり、スイングしているかどうかと好き嫌いは
直接関係がないということだ。 元々が音楽と身体が直結しにくい人種だから、そういうところを重視するはずもない。

人気がないから、レコードは安い。昨日の仕事帰りに立ち寄ったDUで捨て値同然で転がっていた。 中古CDの世界では廉価シリーズで再発されるまでは
なぜかこの盤だけいつも異様に値段が高かったが、あれはなぜなんだろう。 誰かが持ち上げでもしたんだろうか。

コロンビア時代の演奏は金太郎飴的にどれも同質で、どのアルバムを聴いても特に違いがあるわけでもない。 アルバム毎にテーマが設定されていて、
それが好みに合うかどうか、くらいの差だろうと思う。 大手レーベルで知名度も高くレコードもよく売れたんだろう、中古市場には大量に存在する。
日本では人気がない上に大量に出回っているから、エサ箱リードタイムはいつも長い。 蒐集品としては魅力がないんだろうなあ。

でも、ジョー・モレロのドラムはジャズ界最高峰だし、短く控えめに登場するポール・デスモンドの印象は強烈だし、ジーン・ライトのベースは心地よく
弾むし、で演奏レベルは他とは比較にならないし、どれを聴いてもわかりやすいから、もっと褒められてもいいんじゃないかと思う。 蒐集品としては
三流かもしれないし、特にこれなんかはジャケットに映る脚の美しさへの言及ばかりだけど、内容が一流であることは間違いない。 まさか、中古CDで
高い値段が付くのは、この脚のせいなんじゃないだろうな? まさかね。


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ウェスの作品が霞む傑作

2016年08月07日 | Jazz LP (Riverside)

The Montgomery Brothers / Groove Yard  ( 米 Riverside RLP 362 )


まったく名盤の予感がしないジャケットデザインにも関わらず、これがウェス名義の有名作も霞んでしまうくらいの素晴らしさで、ちょっと唸ってしまう。

このグルーヴ感は筆舌に尽くしがたい。 40年代に確立した「スィングするのが優れたジャズ」という定義は、こういう次世代のグルーヴ感によって
いとも簡単に上書き更新されていったんだなあと思う。 ファンクとも違うし、R&Bの粗野さとも無縁の、最上質のなめらかさでコーティングされた
その質感は、ジャズと言うにはあまりに高級過ぎる雰囲気すら漂っている。 

ウェスのアルバムと似たような構成内容なのにこういう違いがでてくるのは、やはりバディ・モンゴメリーが新しい感覚でピアノを弾いているからだろう。
この時期にリーダー作が残っていないのが残念だと思う。 また、モンク・モンゴメリーのベースが大きな音で録られているおかげで、アンサンブルの
快楽度も高い。 楽曲も適度な長さで、主題のメロディーもキャッチーだ。 非の打ち所がない。 管楽器が入っていないので、4人の緻密な演奏が
よくわかって、そういうところもとてもいい。

ジャズの世界ではグループ名を語るようなやり方はあまり好まれない。 何となく、1人ずつでは力不足で売り出しにくいからグループにしてみました、
という感じがしてしまう。 ジャズは、個人の音楽なんだと思う。 これだって、ウェスでもバディでもモンクでも誰か1人の名義の作品であれば、
おそらくここまで無視されることもなかったんじゃないだろうか。 そう残念に思ってしまうくらいに、出来がいい。

何気なくこんないい作品が混ざっているところに、このレーベルの奥行きの深さがあると思う。 こればかりは、わかる人にしかわかるまい。
この先もブルーノートのように華やかなスポットライトを浴びるようなことはもうないだろうけど、じっくりと腰を据えて付き合っていきたい。


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第三世界への扉

2016年08月06日 | Jazz CD

Daniel Freedman / Imagine That  ( Anzic Recirds ANZ-0054 )


DUの試聴可能な音源を聴いていく中で引っかかった作品。 ニューヨーク出身の若いドラマーのリーダー作で、イスラエル人ギタリストのリオネル・ルエケを
迎えたギターカルテット。 第三世界のムードを基調とした現代ジャズだけど、ドラムのジャズにこだわらない多彩なリズムに乗って風通しのいい、
元気だけど落ち着いた風情に惹かれた。 

元気な頃のスティングが第三世界のムードを取り入れて発表したソロ・アルバムを聴いた時の印象に近いものを感じた。 楽曲は全てメンバー達のオリジナルだし、
ギターもワールド・ミュージック的なアプローチなので、いろんな血が混ざって複雑な要素を絡めた音楽になっている。 メロデイーを聴かせるというより、
リズム感を重視して、たくさんの写真をコラージュして創られた一幅の絵のようだ。 フェンダーローズのようなキーボードの使い方も上手い。

過去の遺産にもたれかかることなく、現在と未来を見つめた音楽をやろうとしている意志を感じることができるのは頼もしい。 この時代にジャズという
音楽をやることにどれだけの意義があるのかを考えるのは辛いことだと思うが、そういう辛気臭さは感じられない。 まだ若い音楽家たちなので深みのような
ものはないけれど、信じるものを見失わずに自分の音楽を続けていって欲しいと思う。 近視眼的に粗探しをすればいくらでも綻びは見えるけれど、
全体的に見ればある種の才能を感じる。 個人的に好きな演奏フォーマットだったせいもあるが、これは好感の持てるいい作品だと思った。


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