廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

短信 ~ 安レコで聴くマリアーノ

2019年01月30日 | jazz LP (Fantasy)



よく転がってる安レコ、よく見たらチャーリー・マリアーノが入ってることに気が付いた。

初出の10インチにはどうも縁がないので、これを拾って来た。 この12インチはプレスが良くて、音もいい。 

マリアーノのアルトが朗々と歌う素晴らしい演奏に聴き惚れる。 

ナット・ピアースの方は凡庸なウエストコースト・ジャズで、聴いているといつの間にかウトウト・・・・



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哀感漂うクラリネットのジャズ

2019年01月27日 | Jazz LP (Urania)

Jimmy Hamilton / Clarinet In High Fi  ( 米 Urania UJLP 1208 )


高名なエリントニアン達がたくさんのソロ作品を残したことを思えば、ジミー・ハミルトンの作品数は少ないかもしれない。 でもそれは彼の評価が低かったから
ということでは当然なく、バップ期以降のクラリネットという楽器の一般的な需要の低さが影響している。 パーカーの出現でバップ期におけるサックスの地位は
不動のものになり、クラリネットは片隅に追いやられた。 管楽器の演奏を習得する場合はまずクラリネットから始めるのがいいというのが教育上の定説だったので、
パーカーも高校時代に最初に手にしたのはクラリネットだったけれど、サックスに持ち帰ることで彼は "バード" になった。

ジミー・ハミルトンのクラリネットの音色はマイルドで哀感がこもっている感じで、例えば先輩のバーニー・ビガードのスーパー・プレイと比べるともっと身近で
親しみやすい。 だから、こういう小編成での音楽には非常に上手く馴染むように思う。 

ウラニアのこのアルバムは2つのセッションから成っていて、1つはジミー・ウッドとサム・ウッドヤードがバックのワンホーン、もう1つはラッキー・トンプソンや
アーニー・ロイヤルらウラニアお抱えのメンバーと演った多管編成。 どちらも穏やかな表情の上質なスイング系の好セッションで、聴いているとその心地よさに
時間が経つのを忘れてしまう。 ラッキー・トンプソンとアーニー・ロイヤルは一切出しゃばらず、ハミルトンの引き立て役に徹しているのが何とも立派。
堅牢なリズム・セクションに支えられて、音楽は流れて行く。

ベイシー楽団のソリスト達のソロ作品はテンポのいい明るいものが多いのに対して、エリントニアンたちのソロ作品はゆったりとした雰囲気のものが多いような
気がするのは無理なこじ付けだろうか。 でも、何となく母体のオーケストラの特質がある程度ソロの方にも自然と反映されているような印象がある。
ハードバップはうるさくて耳障りに感じる気分の時に、こういう音楽の存在はありがたいと思うのだ。

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ジャケットの酷さは忘れて

2019年01月26日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans Trio with The Symphony Irchestra  ( 米 Verve V-8640 )


ビル・エヴァンスの美音に溢れた傑作にも関わらず、おそらく一番まともに評価されず、聴かれることのない作品だろう。まずジャケットが最悪で、
これが人を寄せ付けない。おまけに素材がクラシックで交響楽団がバックとくれば、普通のエヴァンス・ファンでも避けて通る。エヴァンス・ファンの
熱心さというのは本当に凄くて、ネットを見ているとその探究度合いには驚かされるけれど、そんな中でもこのアルバムへの関心は高くないようだ。

ジャズのピアニストがクラシックへ接近しようとするのは珍しいことではなく、レーベルが要求するピアノ・トリオ物をある程度作り終えると、
腕に自信のある者はそういうことを考えるようになる。 ただ、今まで聴いたこの手のアルバムで感心したものはあまりなかった。
やはりクラシックのピアニストと比べると技術的に大きく劣るのはどうしようもなくて、そういう粗ばかりが目立つし、作品の解釈もちょっと
違うんじゃないかという違和感を感じることが多い。純粋なクラシックじゃないんだからというのはわかっているし、そんなに厳格な聴き方を
することはないんだけれど、でもどうしたって本流と比べてしまう。

その点、このエヴァンスのアルバムはそういうジレンマを感じることがまったくない。 なぜなら、これは根本的にクラシックのアルバムではなく、
まっとうなジャズの作品だからだ。 主題は原曲のものを使っているけれど、その後は普通にビル・エヴァンス・トリオの音楽をやっている。
だからディズニーの楽曲を演奏しているのと何ら変わらない。バックのオーケストラもトリオの演奏を邪魔しておらず、全体のバランスが
とてもいい。クラウス・オガーマン指揮のオーケストラも一糸乱れぬアンサンブルで硬質でスマートでデリケートなスコアを演奏する。
このオケは一流だ。

取り上げられている楽曲は美メロで物憂げな曲想のものばかりなので、翳りのある優美な音楽となっている。録音はRVGで、ピアノの音は
くっきりとしていて音質も良好。 決して企画先行のお仕着せの内容ではなく、エヴァンス自身が真剣に取り組んだヴァーヴ時代の傑作だと思う。


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短信~気長に探して

2019年01月23日 | jazz LP (Atlantic)

The Modern Jazz Quartet / One Never Knows ~ Original Film Score for No Sun in Venice  ( 米 Atlantic 1284 )



気長にMJQを探して、安いのがあれば拾って聴いている。 別に慌てる必要もないし。

MJQは聴けば聴くほどジャズだ、と思う。 昔はこんなのジャズじゃない、と思ってた。

あの頃はジャズの何たるかが全然わかっていなかった。 


アトランティックは、びっくりするくらい綺麗なのがよく転がっている。 まるで新品のような。

こういうのは、他のレーベルじゃ考えられない。 よっぽど人気がないみたい。

この「たそがれのベニス」、アトランティックの中では珍しく音もまずまずの仕上がり。


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レイ・エリス・オーケストラの美しさが乗り移った最高傑作

2019年01月20日 | Jazz LP (Columbia)

Billie Holiday / Lady In Satin  ( 米 Columbia CL 1157 )


ヴォーカル・アルバムの成否はバックの伴奏の出来で決まる。 歌手の歌唱がどんなに良くても、伴奏の演奏がつまらないとアルバムとしての魅力は無くなる。
更に、バックの演奏は歌手に大きな影響を与える。 伴奏が雄大であれば歌もそうなるし、バックが薄っぺらいと歌唱も自然と表面的なものになる。
そういう意味で、ヴォーカル・アルバムは総合芸術的色合いが強い。

ビリー・ホリデイ晩年の最高傑作であるこのアルバムを聴けば、この音楽的感動はレイ・エリスのオーケストラの素晴らしさに依るところが大きいのは明白だ。
そして、この伴奏がやつれたビリー・ホリデイの歌唱を前へ前へと強く引っ張っていっているのがよくわかる。 そういう相互作用が働いている様子が生々しく
捉えられているところに、このアルバムの深みの1つがある。 単にビリーの歌声や40人編成のフル・オーケストラの弦楽の重奏の美しさだけでは、ここまで
感動させられることはなかっただろうと思う。

それにしても、彼女のしゃがれた歌声とオーケストラの美しさの対比の凄さは壮絶すぎる。 オーケストラの美しさが彼女の声を際立たせながらも、
その美しさが彼女に乗り移っていく様が凄すぎる。 ビリー・ホリデイ自身の人格やその背景の物語を大きく超えた力がこのアルバムには働いている。
そしてコロンビアが最高の音質でこれを録音した。 圧倒される音場の広さと深さで、すべてを録り切っている。 この音の良さはちょっと次元が違う。
この録音がコロンビアで本当に良かった。

このアルバムは1958年2月の録音で、彼女は翌年の7月に亡くなる。 この録音時の彼女の酷い衰え様にレイ・エリスは驚いたそうだし、マイルスは1959年の
初め頃に彼女に会ったのが最後だったそうだが、その時のクスリを買う金を彼に無心してくる彼女は見るに忍びない様子だったという。 そんな状態で録られた
というのがとても信じられない、傑作という言葉だけでは表現しきれないアルバム。 これは何があっても外せない1枚である。

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日本人にしか作れないレコード

2019年01月19日 | Jazz LP (国内盤)

Duke Jordan Acoustic Trio / Kiss Of Spain  ( 日本 3361*Black No.3363 )


国内盤をバカにする人は、きっとこういうのを見逃している。 このレコードは国内盤の中古コーナーの中でいつも静かに眠っているからだ。 
そして、心ある人に貰われていって、いつの間にか静かに在庫から姿を消している。 

これは正真正銘、日本人にしか作れないレコードだ。 デューク・ジョーダンから哀感を100%引き出していること、日本の至宝である富樫雅彦が
ドラムを奏でていること、アコースティックにこだわった究極の音質で録音していること、この3点を実現できたのは日本人だからこそだ。 
海外レーベルのステレオ録音でこれを凌ぐ満足感を味わえるレコードは、"Live In Japan" を除いて、1つもない。 言っちゃ悪いけど、"Flight To Denmark"
なんてこのレコードの足許にも及ばない。

富樫雅彦の謳って語りかけてくるドラムが圧巻だ。 ジョーダンのピアノを聴かせるユニットであることを十分に踏まえた大胆で且つデリケートを
極めたタッチはまるでもう1台のピアノのよう。 この感じはドラムを聴いているという感覚ではない。 こんな風にドラムを奏でられる人が
果たして他にいるだろうか。

山中湖畔にスタジオを構える3361*Blackというブランドのアコースティック・サウンドへのこだわりはHPを見ればよくわかる。 そのコンセプトの
結晶である純度100%の深みと透明度はまさに深い山間に佇むカルデラ湖の湖水のよう。 高音質を誇るレーベルは数あれど、そのどれとも異なる
空間表現と楽器の音を聴かせてくれる。 ウッドベースの音が生々しい。

デューク・ジョーダンもゆったりと無理のないプレイをしていて、その余裕が自身の持つ哀感をうまく解放できているようだ。 
相変わらず素晴らしい旋律の表題曲も含め、ありふれたスタンダードがまるでジョーダンのオリジナル作のように響いている。 
我々が日本のプロダクトを誇りに思わなくて、一体どうするのだ。





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短信~ そんな虫のいい話はなかなかないけれど

2019年01月16日 | Jazz LP (RCA)



相変わらず素晴らしいピアノを聴かせる、バーバラ・キャロル。 RCA盤は出れば必ず安レコで綺麗なんだけど、これが意外と出てこない。

RCA以外のレーベルにも録音は少しあるけど、結構いい値段が付くからそちらには手を出す気になれない。

だから、手がすべって安くしちゃった! というのが転がってないかなあ、などと虫のいいことを考えながらエサ箱を漁る日々。

でも、エサ箱の前ではみんな同じことを考えてるよね、きっと。


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1曲のためだけに聴くレコード

2019年01月14日 | Jazz LP (Riverside)

Zoot Sims / Zoot !  ( 米 Riverside RLP 12-228 )


私が初めて聴いたズートのレコードがこれだった。 もちろんOJCの薄っぺらいレコードだったけれど、音は良かったと思う。 片岡義男のエッセイの中に
彼の手持ちのレコードを写したスナップショットが載っていて、その中に確かこのレコードが写っていた。 それでこのレコードのことを知ったんだと思う。
当時はそういう限られた情報を頼りにレコードを探していた。 そこにはジョン・アードレーの "Seven" なんかも一緒に写っていた。 

ニック・トラヴィスとの2管編成の演奏はどれも軽くて特にいいとは思わなかったけれど、1曲だけ心奪われた演奏があった。 それが "Fools Rush In"。
短い演奏時間でさらっとした吹き方だけれど、こんなに素晴らしく歌っているバラード演奏は聴いたことがなかった。 これがきっかけでズートのレコードを
片っ端から探すようになったし、この人はバラードプレイヤーだと頭の中にイメージが刷り込まれた。

アドリブのはずなのに、まるで譜面に書かれたような練りに練ったソロ・フレーズがすごいし、吹く息の緩急の付け方も完璧じゃないだろうか。
この演奏でこの曲も好きになり、シナトラの若い頃の名唱も知った。 1つの名演から手繰っていって、音楽の嗜好は拡がっていった。

若い頃に感銘を受けた音楽は一生忘れない。 それ以来、状態のいい完オリを探し続けて30年、ようやくまともなものがやってきた。 30年、である。
指折り数えてみると、それは気の遠くなるような時間に思える。 もちろん許容できる金額の範囲内で探したからこれだけの時間がかかった訳だけれど、
そういうこだわりを持ってかける時間というのは苦痛ではない。 

このアルバム、この1曲以外はまったくもってつまらない。 名盤扱いされないのは当然の内容だ。 名盤が多いという印象が強い人だけど、実際のところは
彼のアルバムにはそういうものが多い。 デュクレテ・トムソンなんかもまさにそうだろう。 それでも名盤が多いとされるのは、彼の場合はその1曲の演奏の
素晴らしさがそのままアルバム全体の印象へとうまく転嫁できているようなところがあって、作品というのは多かれ少なかれそういうところがあるものだけど、
ズートはそれが顕著だったように思う。 だた、だからと言ってアルバム作りが上手かった、と言ってしまっていいのかどうかはちょっと微妙な気はする。

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中古レコード漁りの楽しさの原点

2019年01月13日 | Jazz LP (Columbia)
中古レコードを漁るようになって35年が経つ。 その前の7年間は中古レコードなんてものの存在は知らなくて、レコードを買うと言えば駅前のデパートへ行って、
その中にあったレコード屋で新品の国内盤を買うのが当たり前だった。 それは何とも平和な日常だった。 中古レコードの存在を知って、それを漁るようになって
状況は良くも悪くも一変する。 そして、最近は本当に贅沢になってしまったなあと思う。

オリジナル、オリジナルと騒ぐのが未だに気恥しいし、オリジナル盤を買うことに今でも後ろめたい気持ちがある。 よく考えてみると、中古漁りをしていて
一番楽しくて幸せだったのは、中古の国内盤を探して買っていた学生時代だった。 それは間違いない。 とにかく定価で2,500円するレコードが半値以下で
買えることが驚異的で何よりも嬉しかった。 少ない小遣いの中で、1枚買うのにも呻吟に呻吟を重ねたものだ。 それが今じゃどうだ。

中古漁りの本当の楽しさを忘れないようにするためにも、時々は原点回帰する必要があるとつくづく思う。 だから、最近は改心して国内盤も丁寧に漁っている。
そうすると、こういう素晴らしい音楽に出会えて、忘れかけていた楽しい気分も蘇ってくる。



Jeremy Steig / Monium  ( 日本 CBS/Sony SOLP-244 )

ジェレミー・スタイグがエディ・ゴメス、マーティー・モレルのエヴァンス勢と組んで、ティンバレスを加えて自身のフルートをオーヴァーダブした力作。
フルートは強く吹けば吹くほど音がかすれて尺八のような感じになるが、そんなのお構いなしで疾走する。 不思議なもので、スタイグがそうやって力めば力むほど、
音楽の純度が上がっていくような感じなる。 そういう意味では、この人は天性の音楽家だったのかもしれない。 1974年のリリース作品で時代を感じるサイケで
第三世界的要素が濃厚だけど、不思議と心惹かれて止まないお気に入りのレコード。 700円。 ジャケットの絵はスタイグ本人の自筆だそう。




Dollar Brand / This Is Dollar Brand  ( 日本 Trio Records PA-7063 )

名盤100選の常連であるこの人の代表作 "African Piano" は、どうも私にはその良さがわからない。 歴代の大先生たちはこぞって褒めていたけど、
その裏には黒人文化へのコンプレックスが見え隠れしていて、そういう教条主義が胡散臭くて鼻につく。 

それに比べて、こちらは驚愕の大傑作。 こんなに心に刺さるピアノは滅多にない。 "Kanazawa Jazz Days" の kenさんから国内盤の音が良いと教えられて
いそいそとユニオンに行くと、簡単に見つかった。 500円。 この日本Trio盤、本当に音が良い。


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雰囲気の良さを愉しむ

2019年01月12日 | Jazz LP (Prestige)

James Moody / Hi Fi Party  ( 米 Prestige PRLP 7011 )


ジェイムス・ムーディーは50~60年代にレコードを異例なほどたくさん作れた稀有な人だが、代表作に恵まれず、実力に見合う評価を得られなかった。
ビリー・テイラーなんかとその状況は似ている。 知名度は高かったのでレコード会社は喜んでレコードを作ってくれたが、その内容には凄みが欠けている。

プレスティッジと契約していた時期はゲッツ、コニッツ、マイルスなど錚々たる顔ぶれの中に彼のアルバムも並んでいて彼らと同等の扱いを受けているけれど、
その内容は多管編成による古風な作風で、且つどのアルバムも同じパターンで作られているのはやっぱりまずかった。 この欠点はアーゴ時代にも顕著で、
フルートやサックスの持ち替えで似たような内容のアルバムを連発しているのには閉口させられる。 サックス奏者なんだから、ワンホーンのスタンダード集を
正面切ってドーンと作るべきだった。 そうすれば、もっと人気者になっていたんじゃないかと思う。

ただ、音楽自体は上質で雰囲気のとてもいい出来栄えだ。 街灯に照らされた夜の道を歩いているようなノスタルジックなムードがあり、独特の質感がある。
バラードで見せるムーディーのサックスの音色はどこまでも深い。 彼の紡ぐフレーズは歌にもなるほどメロディアスなもので、音楽を作り上げる腕は確かだ。
どのアルバムもパターンは同じなので何枚も持つ必要はないが、50年代前半のニューヨークの夜の雰囲気が味わえるような内容はもっと見直されていい。
こういう雰囲気の良さで聴かせる音楽はブルーノートにはあまり無く、プレスティッジのほうに分がある。

プレスティッジの人気の無いアーティストやタイトルは、昔に比べて値段が大幅に安くなっていてずいぶん買いやすくなった。 昔はプレスティッジである
ということだけで一定以上の値段がついたものだったが、今は違う。 そのおかげで、この辺りの音楽が気軽に聴けるようになったのは喜ばしい。


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短信 ~ 盤質「C」の使い道

2019年01月09日 | Jazz雑記



盤質「C」、2,800円、というのが転がっていたので、きれいなのが出てくるまでこれでいいかと拾って来た。

見た目はくたびれているけれど、ノイズは大したことはない。

しかしなあ、盤質は「C」かもしれないが、肝心の内容は「D」くらい。 

ライヴ盤とはまるで別人だ。 たぶん、2度目を聴くことはもうないような気がする。

まあ、とりあえず不要な出費を未然に防ぐことはできた。 「C」にも使い道はある。




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落ち着きと明確なイメージ、「庭」と断片集

2019年01月06日 | Free Jazz

Cecil Taylor / Garden  ( スイス Hat Hut Records ART 1993/94 )


1981年11月、バーゼルで行われたコンサートの模様を収録した、レコードは2枚組のボックスセット。 それだけで、もう聴く前から嬉しいではないか。

まずは、歌のような、唸りのような、祈りのようなヴォーカル・ソロで幕が開く。 そして、ゆったりとピアノが始まる。 不協和音の少ない濁りの無いコードが
流れていく。 コード自体は濁っていないが、その進行(というか羅列というか)が互いの関係性を断絶した並びになっている。 それらがコマ落としで繋がれた
フィルム映像のように、連続性を失った流れる静物画のように進んで行く。 徐々にスピードがアップしていくが、打鍵は正確で、ミスタッチもない。
ピアノを触ったことがある者からすれば信じ難い神技にしか見えないが、まあいつものセシル・テイラーのピアノであり、彼の演奏としてはどちらかと言えば
落ち着いた雰囲気の第一楽章である。

続いて、内省的な雰囲気のフレーズとコードの組み合わせで第二章が始まる。 ここではコードは控えめで、両手で旋律を紡いでいく面積が大きい。
アルバムタイトルにもなっている "Garden" という言葉から連想されるある種のイメージ、例えば休暇で訪れた見知らぬ土地の宿泊客のいない寂れた古いホテルの
よく手入れされた広い中庭に1人佇み、眺めるともなくぼんやりと眺めながら物思いに沈んでいるような、そういう何かを伝えようとしてくる演奏に感じられる。
明らかに何か明確なイメージがセシル・テイラーの頭の中にはあるような、そういう雰囲気がある。 曲の終わり方も、さあ、これで終わりますよ、という
段取りを踏んでいる。 その場の思い付きの即興ではなく、予め1つの楽曲として構想されていたのはまず間違いない。

第三章は、多量の雨を含んだ重い雨雲が拡がる低い空を見ているようなムードで始まる。 空気は湿り始め、風が吹き、雨の予感がする。
低音域で旋律が唸っている中、高音域へ移ったかと思うと、雨が降り出したかのように粒立ちのいい単音の乱舞が始まる。 雨脚が強くなったかと思えば
すぐに弱くなり、更に風に流されて横殴りになる。 途中、風は弱まり小雨へと移行するが、最後はまた雨脚が強くなるなど、大きな起伏を描いていく。
調子が出てきたこの楽章は、流れるフレーズのなめらかさ、劇的なコードの響きが素晴らしい。 曲想の展開も良く、この章が一番内容が優れている。

最後は小さな断片を集めた短編集。 「Zへのイントロダクション」「ドライヴァーは語る」「ペミカン(先住民族の携帯保存食品)」「点」、どれも魅力的な
タイトルではないか。 小品には小品だけの良さがある。 エッセンスだけを抽出した一滴のアロマオイルのようなものかもしれない。

指折り数えてみればもう40年近く前の演奏になる。 この頃の演奏は何かを強く表現したがっていて、それは「表現主義の時代」だったのかもしれない。
何となくセシル・テイラーを聴くなり語るなりする場合は初期のアルバムになることが一般的には多いように思う。 そちらの方が取っ付き易いということなのかも
しれないが、実際は後年の方が音楽的には落ち着きがあり、まとまっていると思う。 怖れることなく、中期以降も広く聴かれるようになればと思う。


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シャーリー・スコットの清楚さ

2019年01月05日 | Jazz LP (Prestige)

Shirley Scott / Scottie  ( 米 Prestige PRLP 7155 )


オルガンのジャズは日本ではとにかく人気がなくて、そのおかげでレコードはどれも概ね安い。 世間的に人気がなくても中にはいい内容の盤も当然あるので、
安いのが見つかればボチボチ拾う。 シャーリー・スコットはこのレコードが昔からのお気に入りで、きれいで安いのが転がっていたので拾ってきた。

管楽器の入らないトリオの演奏で、所々彼女が弾いたピアノがオーヴァーダブされている。 彼女のオルガンはバタ臭さがなく、すっきりと清潔な感じだが、
ピアノが入ることでより涼し気な雰囲気になる。 適度にリズミカルで、適度にファンキーで、非常にバランスのとれた良い内容だ。

RVGの録音も素晴らしく、どの楽器も音が張りがあって輝いている。 特にベースとドラムの音の良さが抜群で、サウンドの良さも満点の出来栄え。
管楽器がいないことで、彼女のオルガンのサウンドやプレイが十分楽しめる。 RVGはオルガンの録り方が上手かったと思う。

日常的にオルガン・ジャズを聴こうとはならないけれど、ほろ酔い気分の時なんかに聴くとツボにハマることが多い。 元々が単純なノリで一発!というタイプの
音楽だから、能書きタレずに音楽に身を任せればそれでいい。 こういうのが音楽本来の姿だよな、と思う。 ジミー・スミス大師匠が最高なのは当たり前だが、
シャーリー・スコットはまた違った雰囲気の演奏を聴かせてくれて、イェ~イ!の幅も拡がるのである。 同じイェ~イ!でも、ソウル・ミュージックと比べると
ジャズの方は音楽的な高級感があったりして、そういう差分を感じながら聴くのも味わい深いものがある。 音楽は「イェ~イ!」を忘れてはいけないんである。


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ビクター・フェルドマンが残した功績

2019年01月04日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Seven Steps To Heaven  ( 米 Columbia CL 2051 )


バンドを再構築するための過渡期の録音でアルバムに作品としての統一性がないため、このアルバムもたいていはスルーされる。 でも、私の認識は違う。
これは非常に重要なアルバムで、且つ愛聴してやまない名演が詰まった傑作。 私自身は "王子様" なんかよりはこのアルバムのほうが遥かに好きだ。

まずは何と言っても、ヴィクター・フェルドマンとフランク・バトラーが加わった3曲の凄さ。 ある意味、マイルスが元々想い描いていたスタンダード演奏の
究極のイメージに最も近づいた瞬間がこの時だったのではないかと思える、透明度が高くキリッと冷たい空気感の中で浮遊する超・モダンな世界。
フェルドマンのバッキングのセンスは凄くて、それまでのガーランドやケリーらとは明らかに一線を画す異次元の感覚。 既定のコードを踏み外して無重力になる
瞬間が何度も出てくる。 この感覚は次のハービーに上手く引き継がれており、この西海岸のセッションは後の方向性に一定の布石を打った重要な瞬間だった。

もう1つは、次の第二期クインテットの重要なレパートリーとなる表題曲や "Joshua" がここで定義されていること。 スタジオ録音なので短い演奏ではあるが、
ジョージ・コールマンがショーターに負けない貫禄の素晴らしい演奏をしている。 そしてこの2曲はフェルドマンが作曲している、というのがミソである。
ヴィクター・フェルドマンの残した功績は大きかったと思う。

マイルスはフェルドマンをバンドに入れたかったが、ハリウッドのスタジオミュージシャンとして大金を稼いでいた彼はその席を望まなかった。
富と名声、両方手にできれば一番いいが、どちらか一方を選ばなければいけない時もある。 彼は前者を選び、マイルスは新しいピアニストを探した。
その重要な瞬間がこのアルバムには記録されている。


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傑作群前夜の素の姿

2019年01月03日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / And Milt Jackson Quintet / Sextet  ( 米 Prestige Hi Fi LP 7034 )


テクノロジーの発達で今は歌が歌えなくても楽器が弾けなくても曲が書けなくてもミュージシャンになれるし、デビュー作から豪勢な作りのサウンドになっていたり、
というのが当たり前になっている。 もう新人とベテランの違いもよくわからないし、アーティスト本人以外の手による音楽への関与率も高くて、一体どこまでが
本人のものなのかすらよくわからない。 標準化した裏方のノウハウが現在の新録作品から魅力を奪うので、それに飽きた者の一部は古い音楽の中へ退避し、
一部はアンダーグランドに閉じ籠り、一部は第三世界へ旅立つ。 まあ、当然である。

私も2018年に出た新譜や世評高きアーティストをそれなりに買って聴いたけれど、ここに載せておきたいと思うようなものは、唯一まともだと思った
吉田野乃子関連以外では、1つもなかった。 ティグラン・ハマシアンもメアリー・ハルヴォーソンもつまらなかった。 それらが如何につまらないかを書こうと
したけれど、つまらなさを論じることほど難しいことはなく、つまらなさは人から思考や言葉まで奪い取るのだということを知った。

大物の未発表作のリリースにも結局乗り切れなかった。 敬愛する先輩ブロガー達のドルフィーに関する記事を読んでも、とにかく微妙、ということで
見解は一致しており、やっぱりアーティスト本人がリリースに関与しない作品には金を出す気にはなれないという想いはますます強くなっていく。 


新年の縁起物ということでマイルスを聴くわけだが、一般的にはスルーされるこのアルバムをかけていると、去年感じた上記のようなモヤモヤ感はどこかへと
消えて無くなっていく。 若い音楽家たちが楽器一本でもって地味なブルースをただ演奏しているだけなのに、マイルスのラッパのみずみずしさ、
マクリーンの若々しいアルトの音色、ミルト・ジャクソンが奏でる穏やかなシリンダーの響きがこれ以上ないくらいに生々しく迫ってくる。 何のからくりもなく、
嘘やハッタリもない。 拍子抜けするほど素朴な演奏だけど、こんなにリアルな手応えが自分の中に残るのは一体なぜなんだろう、と思う。

ビ・バップ風の演奏にしたかったから舎弟のマクリーンを呼んだのに、クスリでハイになり過ぎていた彼がマイルスに甘えてダダをこねて途中でスタジオを
飛び出してしまったから、マクリーンのアルトは2曲でしか聴けない。 しかたなく残りはワンホーンで演奏されているが、最後に演奏した "Changes" は
ミドルテンポの落ち着いた曲で、完成しつつあるミュートでの演奏が心に染みる。

マイルスの有名な傑作群はこの後から始まるけれど、その前夜であるこの作品にはアーティストの生身の姿が実にリアルに記録されている。
こういう音楽はもう聴けないんだろうと思うからこそ、時々引っ張り出しては聴き続けることになるのかもしれない。 
こんなにもマイルスを身近に感じるレコードは他にはあまりないだろうと思う。


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