廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

本当に名盤?

2016年10月30日 | Jazz LP (Blue Note)

Sonny Rollins / A Night At The Village Vanguard  ( 米 Blue Note BLP 158 )


このアルバム、本当に名盤なのだろうか。 30年前からずっと聴き続けているけど、未だに良さがわからない。

サックスを実際に吹く人が褒めるのはよくわかる。 こんな演奏ができる人は他にいないからだ。 楽器を演奏する、という語感をとっくに超越している。
フレーズの触感も心なしか当時は表立っては見えていなかったフリーに接近しているようなところもあり、実はかなり野心的で進歩的な内容でもある。 
そういう文脈で称賛されるのならわかるけれど、そんな話は聞いたことがない。 ただ、名盤である、と人は言う。

単なるリスナーとしてこれを聴くとどうだろう。 全編に渡ってロリンズは吹きまくっているけれど、どのフレーズももっさりしていて、いつものキメが
まったく効いていない。 どうも何かを試していたような気配があるんだけれど、上手くいっていない。 ロリンズはフレーズで聴き手の感情を揺さぶる
ことができる数少ない人だけど、ここでの演奏にはそういうところがほとんどない。

でも、一番ダメなのはRVGの録音で、正直、この録音は明らかに技術的な失敗作だ。 全体に膜で覆われたような鮮度の悪さと平面的で興を削ぐ音場感の
悪さは手の施しようがない。 特に酷いのはエルヴィンのドラムで、もはやおもちゃの太鼓を叩いているようにしか聴こえないし、ベースの音も小さく
埋没していて、演奏の凄みみたいなものが何も聴き取れない。 何とかロリンズのテナーを一番前に持ってくるようなデフォルメをしているけど、サックスの
音色自体がふさがったような不自然な音なのだ。

RVGは管楽器の管にマイクを突っ込むようにしたりグランドピアノの弦の傍にマイクを置くことで個々の楽器の音をニアフィールドで拾って音圧の高さを
担保していたけど、ライヴでは当然そういう録り方ができないので、この人の弱点が露呈してしまう。 狭いヴィレッジ・ヴァンガードには十分な機材は
持ち込めないだろうけど、それでも他のアーティストのヴァンガード録音と比べるとその酷さは歴然としている。

当時最高のジャズミュージシャンとして君臨していたロリンズの演奏として本来はレコード3枚分の曲が収録されたのだから、ブルーノートとしては全部
出したかったはずだ。 でもこの内容を勘案して、1枚に絞ったのだろうと思う。 ブルーノートだから、RVGだから、50年代後期のロリンズだから、
そういうキーワードだけで名盤扱いにするのはおかしいんじゃないだろうか。


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ジャズミュージシャンがテクノを齧ったら

2016年10月29日 | Jazz CD

Robert Glasper Experiment / ArtScience   ( 米 Blue Note 4797050 )


手堅くまとめてきたなあというのが第一印象だが、よく考えればこの人の作品はいつもそうだから、これでいいんだろう。 とても真面目な音楽だ。

今回はテクノ系の要素が目立つ。 ヴォーカルのエフェクト処理にそれが顕著で、そういうヴォイスが活きるサウンドの風味も全体に施されている。
だから、Black Radio系ブラック・コンテンポラリーが苦手な人には歓迎されるだろう。 その象徴としてヒューマン・リーグのヒット曲 "Human" を
カヴァーしていて、ああそうか、彼はそういう世代なんだなあ、ということが垣間見れて親近感が沸く。 私もヒューマン・リーグは好きだから。

様々な音楽的要素が高度にブレンドされていて、これはちょっと一筋縄ではいかないぞ、というところは相変わらずだが、それでいて口当たりの良さは
群を抜いているので、高いポピュラリティーを獲得しているのは当然だと思う。 自身の黒人としての強いアイデンティティーを基盤にして全方位的に
アンテナを張って常に尖り続けながら、最終的なアウトプットは非常にわかりやすい形に仕上げるというところに誰よりも秀でた才能がある。 だから、
この人の音楽には専門家の解説が必要ない。 

所々に出てくるアコースティックピアノの音がみずみずしい。 この人のピアノは若い頃のハービー・ハンコックを思わせる。 音楽へのアプローチの仕方も
マイルスとよく似ていて、マイルスの遺伝子が引き継がれているのを強く感じる。 こういう人が出てくるのだから、ジャズの世界はまだまだ健全なのだろう。

家の中でじめっと聴くのではなく、街中に持って行って聴くのが相応しい生き生きとした音楽なのが何よりうれしい。 何だか気持ちも若返る気がする。



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唯一の失敗作という誤評

2016年10月23日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Quiet Nights  ( 米 Columbia CL-2106 )


一般的にこの作品はマイルス唯一の失敗作だと言われている。 でも、それは本当だろうか。

マイルス・デイヴィスの音楽を聴くということは、マイルス・デイヴィスの生きた軌跡そのものを聴くことに等しい。 普通のジャズミュージシャンは
スタンダードや過去の名演というテンプレートを使って音楽を展開していればそれで話は済むが、この人はそのテンプレートを作った張本人であり、
更に自分が作ったテンプレートを再利用することを拒み続けた。 そうやって晩年には帝王とまで言われるようになったけれど、この人の人生を個人史として
辿っていくと、何ら特殊な人生だったというわけではないことを知ることになり、いささか驚くことになる。

マイルスの人格形成に最も影響を与えたのは彼の父親だったことは間違いない。 チャーリー・パーカーがマイルスの実家に訪れた際に絶句したというくらい、
当時の黒人ミュージシャンには異例な裕福な生活を営んでいたこの一族の首長だった父親の存在は、マイルスのありとあらゆる部分に影響を及ぼした。
プロのミュージシャンになることを決意したマイルスに「自分だけの音を持て」と諭したのはこの父親だったし(マイルスは終生その教えに固執した)、
麻薬中毒で身も心もボロボロになり、死を意識した時に頼ったのもこの父親だった。

その父親が1962年に60歳で亡くなった。 カンサス・シティのクラブで演奏していたさ中に、J.J.ジョンソンからそのことを知らされた。 それからしばらく
マイルスは茫然自失の抜け殻状態となる。 彼の人生を知る者にはそれは当然のことだということがわかる。 でも、スターだった彼のことを誰もそっと
しておいてはくれなかったし、仕事もどん底に堕ちた状態から回復するのを待ってはくれなかった。 そういう時期にこのレコーディングは行われたのだ。

心ここにあらずの状態で音楽に集中することは当然できなかったし、コルトレーンやキャノンボールやエヴァンスらがマイルスの元から巣立って自己のバンドを
持たなくなって何年も経っている空白の時期だったし、そもそもこの企画はコロンビアからの押し付けだった。 気合いの入らない状態で始まった演奏だったが
シングル用の録音ということだったので、後でもう一度録り直そうとマイルスとギルは考えていた。 ところがこの頃からアメリカでは空前のボサノヴァ
ブームが起こり、コロンビアはマイルスの許可を取らずに勝手にテオ・マセロに編集させてアルバムとして発売してしまった。 それを知ったマイルスは
激怒し、コロンビアの社長へ電話し「テオをクビにしろ!」と怒鳴ったが、「本当にテオのクビを切りたいのか?」と訊かれてマイルスはそれまでの日々を
思い出して何も答えずに電話を切った。

そういう裏話を知れば、失敗作だと一言でかたずけるわけにはいかなくなるだろう。 それに、そもそもがそんなに悪い演奏なんかではないのだ。

マイルスの深い悲しみが憑依したかのようなギル・エヴァンスのスコアはどこまでも深く憂いに満ちた響きに揺れて、それまでのスタジオ3部作のサウンドより
更にスケールが大きくなり、色合いも極彩色的に複雑に編み込まれている。 レコードで聴けるギルのオーケストレーションでは、私はこれが最高の出来
だと思う。 そしてマイルスは天上的に淡くくすみがかった音色で迷いのないストレートなフレーズを吹いていく。 それらが完璧に溶け合って一体となり、
無上の陶酔感を憶えるのだ。 最後に置かれた "Summer Night" はこの曲の決定稿として、その後一体何人のミュージシャンたちがフォローしただろう?

私はこの作品は傑作だと思う。 こんなに心かき乱されるジャズの作品はそう多くはない。


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幻で終わった夢

2016年10月22日 | Jazz LP (Savoy)

Chuz Alfred, Ola Hason, Chuck Lee / Jazz Young Blood  ( 米 Savoy MG-12030 )


オハイオ州で生まれ育った3人の若者~テナーのチュズ・アルフレッド、トロンボーンのオーラ・ハンソン、ピアノのチャック・リー~が地元のクラブで演奏して
いるのをサヴォイのオーナーであるオジー・カデナが聴いてその場でスカウトし、レコーディングさせたのがこのレコードだ。 ベースはヴィニー・バーク、
ドラムはケニー・クラークを充てて、録音はヴァン・ゲルダーが担当しており、ヤングブラッドというユニット名まで冠してかなり本気で売り出そうとしたようだ。
でもこの後が続かず、結局シングル3枚とこのアルバムだけを出して表舞台からは消えてしまう。 そういう意味では、幻のユニットと言っていい。

さすがにレーベル創設者の鑑識眼は見事なもので、とてもいい演奏をしているのに驚かされる内容だ。 バリバリのテクニシャンという感じではなく、
非常に落ち着いてペーソスに富んだ演奏になっている。 テナーは若い頃のズートのような感じで初々しく、トロンボーンは穏やかによく伸びるトーンで、
黒人の若者たちの粗削りで熱っぽい演奏とは対照的な端正でよくこなれた演奏だ。 若者らしい新鮮な感覚が隅々まで行き渡っていて、よくよく考えると
こういう雰囲気をもった当時のレコードはあまり他には思いつかないのに気付く。 逆に現代の若い演奏家が出す新作のCDなんかのほうに雰囲気が近くて、
サヴォイというレーベルは現代の新進気鋭のレーベルが有能な若者を積極的に紹介しているのと同じことをやっていたんだなあということを教えられる。

それに何と言っても、RVGの録った音が素晴らしい。 サヴォイのRVGは粗い音質のものと素晴らしい美音のものがあるけど、これは後者のサウンドだ。
楽器の音がくっきりと生々しく、音の1つ1つが輝いている。 立体感のある空間表現も見事で、適度な残響感も素晴らしい。 演奏が魅力的に聴こえる
後押しをしているのがよくわかる。 1枚しか残せなかったとはいえ、こんなにいいレコードに仕上がったのは幸運だったんじゃないだろうか。



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米コロンビアのマトリクス風評の嘘

2016年10月16日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / 'Round About Midnight  ( 米 Columbia CL 949 )


いつ頃から言われるようになったのかよくわからないが、米コロンビアのマトリクス番号の話がまことしやかに流れている。内周のデッドワックスに
刻まれた番号のお尻2桁が「1A / 1A」とか「1B / 1C」という記号になっているが、「1A」が最初版で、その後「1B」→「1C」→「1D」・・・と回次が
上がっていき、それに従ってプレス時期が後になっていると言われている。だから「1A」が最も音が良いとされ、その分値段が高くなっているようだ。
ただ、私は個人的にこの話は眉唾だと思っていて、まったく興味がなかった。 でも、先日DUでマイルスのこの有名盤の「1A / 1A」が2万円で
売られていたのを見て、ちょっとこれは・・・・と思うようになった。

うちにあるこのレコードはたまたま両面とも「1A」で、3~4年前に8千円くらいで買った。 こんなありふれた盤に8千円も、と思ったけれど傷のない
きれいな盤だったので渋々払った。その時はマトリクスのことなんて触れられていなかったし、こちらもそんなことはまったく気にもしなかった。 
でも少し前からそういう記載が目に付くようになったので、このレコードを持っている友人のところへ行って聴き比べをしてみた。彼はロックや
ソウルを聴く人だけど、この定番は持っていて、彼の番号は「1E / 1G」だった。 結果は予想通りで、スピーカーから聴いてもヘッドフォンで
聴いても、特に目立った違いは感じられなかった。 

彼の見解では、ジャズの世界でコロンビアのマトリクス番号の話が出ているのはロック側からの影響だと思う、とのことだった。ロックのビッグネーム
たちのレコードは初版から何千・何万枚もプレスされて、その後も同じ単位で追加プレスされるから、他人と差別化を図りたいコレクターたちが
早くからマトリクスに着目していたそうで、きっとその話がジャズ側にも流れていったんとちゃうかと言っていた。 なるほどね。

じゃあ、ロックはマトリクスの違いで音が違うわけ?と訊いてみると、それは盤による、違うように感じるのもあれば別に変わらんのもある、
とのことで、そのへんはジャズと同じらしい。

聴き比べをしたのはこのアルバムだけなので決めつけることはできないけれど、コロンビアの場合はあまりこだわる必要はないんじゃないだろうか。
このレーベルは大手でプレス枚数がたくさんあるから、友人の彼が言うように、コレクターがちょっとでも差別化を図りたいがために無理やり
こじつけた側面が強いような気がする。 中には違いが感じられるものもあるのかもしれないけれど、だからと言って何でもかんでも同じ切り口で
処理するのは適当過ぎる。大きく眺めれば何らかの傾向は認められるのかもしれないけれど、最後は是々非々で判断するしかない。

尤も、これは店側が悪いのではなく、買う側に問題があるのだ。 マニアはこの手の話に非常に弱くて、すぐに風評に流される。 正解がない世界
だから常に不安にさらされていて、一方で店側は商売だから買い手が金に糸目をつけなければそれに合わせて高い値段にするだけのことなので
あって、中古品の値段を決めているのは、結局のところ店ではなくマニアなのだ。 おかしな値段のものは買わないという形で意思表示をして
いかない限り、高額廃盤たちの値段が下がることはないだろう。 心配しなくても、レコードなんていつでも買えるのだ。 


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寒いパリの空気の中で

2016年10月15日 | Jazz LP (OWL)

Gil Evans, Steve Lacy / Paris Blues  ( 仏 OWL 049 )


当時フランスに住んでいたスティーヴ・レイシーがギル・エヴァンスを招いて録音が実現した素晴らしい作品で、ギルの最後のスタジオ録音となった。
ジャズという音楽は時代や年代に翻弄されて目まぐるしく変容していったけれど、ここにいる2人の巨匠はそういう時の移ろいに自己を流されること
はなかった。彼らは寒い季節のある2日間をフランスのスタジオで過ごし、ミンガスやエリントンの古い曲を静かに静かに演奏した。 

ミンガスの曲が多いのはギルの意向を受けてのものだったが、冒頭の " Reincarnation of a Lovebird " から漂う寂寥感が初冬の冷たい空気の中で
人々の口から洩れる白い息のように儚い。 深い群青色に沈むエリントンの "Paris Blues" は、レイシーがパリの街で過ごす日々の中で自分の中に
降り積もっていく澱のようなものを表現するために選ばれた曲だ。 単なるブルースには終わらない、心地好い浮遊感の中に揺れている。

そうやって、彼らは自分たちの内に感じる様々な想いを取り出すために曲を吟味し、どう演奏に取り組むかを語り合い、ギルがアレンジを譜面に
起こす。彼のピアノ演奏がこんなにも生々しくたくさん愉しめる作品はおそらくこれだけではではないだろうか。 レイシーのソプラノも静かに
抑制されて、音もキラキラと輝いている。 

静かに物悲しく、穏やかに透き通った至高の音楽になっている。 誰にも邪魔されない時間に、1人静かに聴き入りたい。


---------------------------------------------

ようやく邂逅できた。 1年くらい探しただろうか。 これはCDの音が悪くて、何とかしてレコードで聴きたかった。 80年代後半の成熟した
アナログ技術が堪能できる素晴らしい録音で、これはどうしてもレコードで聴かなければならない。 安いレコードなのに、この時期のアナログ
原盤は難しい。でも、これは待った甲斐があった。 東京にももうすぐやって来るであろう冬が待ち遠しい、そんな気分になる。


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ロリンズ 至高の演奏

2016年10月10日 | jazz LP (Metro Jazz)

Sonny Rollins / And The Big Brass  ( 米 MetroJazz E 1002 )


やっぱり、レコードというのは聴くべき人のところへちゃんとやって来るんだなあと思う。 ミュージック・インでのライヴに開眼した途端、メトロジャズの
もう1枚が目の前に現れる。

1958年のN.Yでの2種類のスタジオ録音が収録されている。 1つはアーニー・ウィルキンス率いる多管編成のラージグループをバックにしたもの、もう1つは
ピアノレス・トリオによるもの。 どちらも私の好きなスタイルで、こんなに美味しいレコードはない。

ビッグブラス・サイドではナット・アダレイのコルネットとルネ・トーマのギターがソロをとる箇所があり、各々が存在感をみせる。 ロリンズはバックの
厚みのあるサウンドの中でも埋没することなく、7人の管楽器群よりも大きな音で彼らを軽く凌駕していく。 こうやって他の管楽器奏者と直接対比することで
ロリンズの音色が如何に傑出したものであるかがよくわかる。 このスタイルでソリストの個性が逆に際立って音楽的に成功したのはパーカーとロリンズだけだ。

ピアノレス・サイドは当時のロリンズのメインコンセプトだったスタイルで、もうこれ以上ないくらい自由に何にも制約されることなく歌う姿が録られている。
フレーズは弾力に富み、次から次へと溢れてきて止まらない。 音階も一か所に固まることなく、低域から高域まで自在に操る。 最後の "Body And Soul"は
無伴奏ソロ。 ピアノレスの考え方をさらに推し進めた究極の姿で、サックス1本なのにたくさんの楽器による伴奏が付いているかのような豊かな音楽に
なっているのが驚異的だ。 実際には鳴っていない音まで聴こえてくるこの感覚は一体なんだろう。

このディスクも録音・再生が非常に良く、モノラルなのにステレオのような音場感で楽器の音が鮮度高く分離よく鳴る。 ヴァン・ゲルダーやデュナンだけが
優れたエンジニアだったというわけではないし、ブルーノートやコンテンポラリーばかりが名演だったわけでもない。 ブランド志向に囚われず音楽を
愉しめるようになれれば、ジャズはもっと親密な音楽になるだろう。



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HMV 新宿レコードショップ探索

2016年10月09日 | Jazz雑記



金曜日の夜、新規開店したHMVの新宿レコードショップへ行ってみた。 渋谷の事例があるので、特に何も期待せず。 新宿には毎週来ているけれどアルタに
入るのは一体いつ以来だろう、もう前回の記憶がない。 これは典型的なおっさんあるあるである。 こんなとこ、用事なんかあるわけないのだ。

エレベーターで6Fへ上がるのだが、まあ、一緒に乗る若い女子達に混じると居心地が悪い。 ヒジョーに場違いな所に来てしまった感じがする。
扉が開いてフロアに入ると、レコード屋というよりはユニクロに来たような感じだ。 清潔感たっぷりで新興住宅地のように計画的に区画整備された棚の
配置もゆったりとしていて、通路も広い。 エサ箱も高い位置に置かれていて、レコードが探し易い。 試聴コーナーにはプレーヤーが6台くらいあって、
待つことなく試聴もできる。 中古レコード屋らしからぬ快適さに却って落ち着かない気分になるのもオヤジあるあるだ。

ジャズの在庫枚数は結構あるが、ほとんどが国内盤。 高額オリジナルはまったくなかった。 翌日から廃盤セールをやるので、みんなそちらにまわされて
いるのだろう。 値付けは安くもなく高くもなくという感じで、後発参入のお得感もオープン記念のスペシャル感もなく、店側の意志は見えなかった。
隣がラテン、その隣がロックで、そちらには1万円以上の値が付いたものがチラホラ見えるが、その内容については門外漢の私には評価不能である。

以前も思ったことだが、このショップの独自性は何だろうとあれこれ考えてみるけれど、未だによくわからない。 渋谷店の売上が堅調でビジネスモデル
としての proof of concept は正しいと判断したとのことだったけど、もしそうなのだとしたら、中古レコードの購買クラスターは多重構造になっているのかも
しれない。 だからオリジナルの仕様がどうのこうのということにはこだわらずにレコードを愉しむ健全な購買層にターゲットを絞り、他店のごちゃごちゃして
すえたオタク臭のする店内には足を運びにくいと感じているそういう人達向けに清潔に整理して商品を提示する、というところに独自性が発揮されている
のかもしれない。 もしそうなんだとしたら、一定の成果は出ているんだろうなあとは思う。 

開店記念企画としてAKB48のヒット曲が12インチ盤として独自プレスされて売られていて、案外AKBは嫌いではないので手にとってはみたものの、2千円という
値段では買う気になれずに店内をぶらついていたら、家聴き用にレコードをと思って探していたこれが壁にかかっていた。



Keith Jarrett / Still Live  ( 独 ECM 1360 )


新品同様のきれいな状態で、2,500円+税。 まあ妥当な値段だけど、サプライズ感はなく高揚することはなかった。 こういうところがHMVを象徴している。
これって、贅沢な感想なのだろうか?


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DeAGOSTINIの心意気

2016年10月08日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Kind Of Blue  ( DeAGOSTINIジャパン )


色々と話題になっているDeAGOSTINIのジャズ・LPレコード・コレクション、賛否両論振りが面白そうだったし、今週は何も成果がなかったこともあって
私も参戦することに。 DUに行くとたくさん置いてあって、ちょっと驚いた。

早速聴いてみたけど、一体これのどこに貶すところがあるの? というのが率直な感想。 素直に音楽を聴かせる、とてもいいクオリティーだ。
濡れたようなシンバルの音、深みのあるベース、丸みのあるアルト、静謐な空間表現、どれをとっても素直にいいと思う。 "So What" のイントロの
テーマが終わってチェンバースのベースが入ってくる瞬間なんて、身震いがするくらい迫力がある。 これのどこがまずいのか、私にはさっぱりわからない。

オリジナルと比べて云々、とつい言いたくなる気持ちもわかるけれど、そもそも別の工業製品なんだし、制作の目的も違うんだから、微細な所に違いがあるのは
当たり前だろう。 オリジナルにどこまで近づけるか、を目指している訳じゃない。 ジャズを聴いてみようという歓迎すべき人はこの高品質な音で聴けば
ジャズの素晴らしさに気付くきっかけになるだろうし、マニアはオリジナルとの相違点を探しながら愉しめば自尊心を満足させることもできるだろう。

まあ、これが5,000円ならオリジナルとの比較を神経質にやって、少しでも劣ったところが見つかればそれを糾弾すればいいけれど、990円だからね。
マニアを自認するなら、ディアゴスティーニ社の心意気に感じ入るのが正しいんじゃないだろうか。

うちにはモノラルの初版しかなくてステレオ初版との違いみたいなものはわからない。 でも、今からステレオ初版を買おうなんて元気はもうないから、
これで十分過ぎるくらいだ。 元々がモノラルとは根本的にサウンドの建付けが違うレコードだから、その違いをこれで愉しみながら過ごそうと思う。



Miles Davis / Kind Of Blue  ( 米 Columbia CL 1355 )



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取り留めのない話

2016年10月02日 | Jazz雑記
先々週末から風邪をひき、一週間以上心身ともに調子が悪かったせいで、ブログの記事の筆が進まない。 なので、今日は雑文でお茶を濁そうと思う。

最近、CDをあまり買わなくなった。 理由はいくつかあるけれど、1番の理由はレコードがかなり値崩れしてきていて、以前よりも随分買い易くなったからだ
と思う。 地方在住で実店舗が近隣にないとわからないことだと思うけれど、今は店頭で流通しているレコードの値段はマクロ的に見れば、明らかに値段は
下がっているというのが実感だ。 

私がレコード漁りを再開した3~4年前はネット上のほうが遥かに値段が安くて、さすが固定費を持たないネット販売はリーズナブルだなあ、流通革命だなあ、
欲しいレコードを探す手間も遥かに少なくて楽だし、これじゃ実店舗が地上から姿を消すのも時間の問題だな、と思った。 まあ送料が馬鹿にならないけれど、
それでも本体価格の差の開き方がそれ以上に大きかったから、私もネットで買う比率のほうが圧倒的に高かった。

ところが、今は状況が完全に逆転している。 一部の老舗専門店は元々が高過ぎる値付けなので比較対象から除外するとしても、もはやネット上でこれは
ラッキーだと飛び付くようなことは皆無になっている。 ネットによる価格情報の均一化という要素もあるけれど、一番の問題は市場価格を無視した無茶苦茶な
値付けをして憚らない素人商売なんじゃないだろうか。 その最たるものが、言うまでもなく、「ヤフオク」だ。

プロが経営する専門店は、昔から厳しいコレクターたちの無言の評価の眼に晒されながらここまで生き残ってきている。 変に色気づいた商売をしたり、
勘違いした偉そうな姿勢を出そうものなら、あっという間にそっぽを向かれ、自然淘汰される。 彼らはレコードに「DUにはないコンディション」だったり、
「DUにはない独自の価値観」を付加価値としてアドオンして商売している。 その一方でDUは「規模の経済」による流通の速さと単価の安さで勝負していて、
この両者は正しいポートフォリオ戦略に沿ってお互いが競争している。 だからこそ、我々消費者は自分達の都合に合わせてこの両者のいいとこ取りをしながら、
自分達なりの愉しい猟盤生活を送ってきた。

この均衡の中で、第三翼のネット販売はその隙間を縫うように発展していけばよかったのに、プロたちの上っ面だけを真似た素人たちがサラリーマンや
リタイア組の副業程度のノリで粗製乱発する転売を展開し始め、まわりが見えなくなったマニアの異常な落札価格が両者の価格にも影響を与えるように
なった。 コンディションのコントロールもされておらず、まあ酷い状況だと思う。

少し前にこんな話を聞いた。 この2年ほどの間に高額廃盤ばかりに1億円をつぎ込んだコレクターが日本にいるそうだ。 サイトに新着商品をアップすると、
いつもこの人が根こそぎ買ってしまう。 ある日、この人が電話をかけてきて、〇〇のレコードはあるかと言う。 店主が「あなた、2カ月前にうちの店で
40万円でそのレコードを買ったじゃない?」と答えると、「えっ、そうだっけ?」と言った、この人は覚えてなかったんだね、でも、40万円の買い物を
普通忘れたりする? と私に言っていた。 こういう人は値段が高くないと買ってくれないんだそうだ。 こうやって、ネットの世界ではレコードの値段が
おかしくなっていく。

そんなこんなで、最近はネットがらみではほとんど買わなくなってしまった。 DUの週末のセールリストですら真剣に見ることもなくなった。 だって、いつも
同じような顔ぶれだからだ。 今は、時間の空いた時に特に目当てもなくDUの店頭にふらりと立ち寄り、リストには決して載ることのない新着品をパタパタと
めくっていき、その中で「おっ、これは」というものを引っこ抜き、週末にゆっくりと愉しむ。 そういう猟盤が1番楽しい。





最近買ったのはこんな感じで、これらはいわゆるミドルプライスという位置づけでリストには載らない。 以前は1万円じゃ買えなかったようなものまで
混ざっている。 ディック・ヘイムズなんて、昔はくたびれた傷盤でも2万円近い値段だったけど、今じゃ無傷なのに1千円台だ。 こうやって値崩れして
いるのは、個人がネットで簡単に海外から買えるようになって、桁違いに日本にたくさんの中古レコードが流入してきているからだろう。 そういう状況が
DUの場合はちゃんと値段に反映されている。 だから、ネットを見るとその落差の大きさに驚いてしまうのだ。

この先もこの傾向が進むのは間違いない。 中古レコードの流入が止まることはないのに反して、オリジナルにこだわる買い手の数は確実に減っていく。
今のDUのジャズフロアにいるお客の半分以上が老人なのだ。 だから、もう高い値段のレコードは何だか怖くて買えなくなってしまった。 将来暴落して
紙切れ同然になるのがわかっている債券をわざわざ買ったりするだろうか。

今はブルーノートの値段が異常なことになっている。 元々相対的に値段の高いレーベルだったけれど、今の状況はまあちょっと普通じゃない。 これは、
他のレコード群が値崩れしていることへの店側の危機感の現れだろうと思う。 何かの値段を上げなければ利益を維持できず、店はつぶれてしまう。
その際、ブルーノートは値上げする口実を一番つけやすい。 未だにブルーノート神話は健在だからだ。 でも、本当にそうなんだろうか。

私の感覚では、ブルーノートは基本的に、当時の20代の貧しい黒人の若者たちが当時の最もポピュラーなスタイルで演奏した極めて初歩的で単純な音楽の
集合体だったということだ。 もちろん奇跡的な名演もたくさんあるけれど、数としては平均点かそれ以下の演奏のほうが多いというのが事実だと思う。
名演が多いというのは、それだけ普段から手慣れた音楽をやったに過ぎないからだろう。 一貫したサウンドカラーとパッケージの意匠が統一したブランド
イメージを醸成して、100枚近い数の一群が1つの大きな音楽の塊りのように錯覚させている。 4000番台に入ると新しい才能によって音楽は高度になって
いくけれど、少なくとも1500番台はそういう音楽のカタログだ。 だからこそ初心者が最初にはまるのがブルーノートなんだし、ベテランが時間が経ってから
褒めるようになるのは、どちらかと言えばノスタルジーの感情からだろう。

だんだん取り留めのない内容になってきたが、要するに素晴らしい音楽はたくさんあるから、猟盤はそれらと邂逅するのを愉しむのが一番いいなあと思う。
体調が悪いとなぜかジャズは聴く気にはなれず、今週末はバックハウスの古いベートヴェンばかり聴いていた。





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波紋が拡がっていく

2016年10月01日 | ECM

Jakob Bro / Gefion  ( 独 ECM 2381 )


水面に雫が落ちて、そこを中心にして波紋がゆっくりと拡がっていく光景を何度も繰り返し見つめているような感じ、と言えば一番近いだろうか。

そういうこの地上で無限に繰り返されるであろう、永久運動にも似た所為を暗喩しているようなところがある。 人知の及ばぬ遥か遠いどこかで、
我々には解読できない言語で美しく設計された、修正することも消去することもできない律の存在のようなものを感じる。

一応、音楽としてスタートはするものの、やがてそれは森の中で風が通る時の音だったり、深夜の街頭に降り積もる雪の音だったり、断片的な記憶を
思い出す時に聴こえる音だったり、というふうに何か違うところへと我々を誘い、音楽と情景と記憶のようなものの境目が無くなってしまう。

他のECMのアーティストたちのような時には煩わしい自我の強さのようなものがなくて、立ち上がってくるサウンドスケープに無意識のうちに入って
行ける。 誰かの描く世界ではなく、自分の描く世界として受け入れることができるのだ。 そこが他とは違う。

エレキ・ギターでしか描き得ないサウンドスケープが美しい。 エフェクターの使い方が上手く、録音もECMらしい仕上がりで、とてもいい。
ウッド・ベースの木の肌触りやシンバルの柔らかい金属音も分離よくくっきりと鳴っている。 CDは未聴なので質感の違いはよくわからないけれど、
このレコードで聴いている限りでは他の媒体で聴こうという気は起きない。 最新作も同様のトリオ形式なので、できればアナログで聴いてみたい。


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