廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

一生モノとなる素晴らしいレコード

2015年07月26日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / Misterioso  ( Riverside RLP 12-279 )


ニューヨークのクーパー・スクエア五番地にあったファイヴ・スポット・カフェはとにかく狭い店だったようで、ドルフィーのレコードジャケットを見れば
それがわかるし、このレコードの観客のざわめき声の大きさからもその様子が手に取るようにわかります。 ステージに立つ演奏者の目と鼻の先に観客席の
最前列があるような感じです。 

セロニアス・モンクの演奏活動のピークの1つがこの店に長期出演した時だったことは間違いなくて、1度目は57年7~12月にコルトレーンを加えたカルテット、
2度目は58年6~8月にグリフィンを加えたカルテットで、このレコードはその2度目の出演の際の演奏を収めたものです。 

”セロニアス・モンクのいた風景”を読むと、当時のファイヴ・スポット・カフェが最先端の文化人たちの溜まり場になっていて、数多くの一流ジャズ
ミュージシャンたちの演奏を聴いていた熱い様子が描かれていますが、ジャズというのは本来そういう音楽だったわけです。 

そこに描かれている雰囲気そのままがこのレコードには収録されています。 その時、カフェの中で起きていた事の一部始終が丸ごと、です。
そして、その中心にセロニアス・モンク・カルテットがいて、楽しそうに演奏している。 グリフィンのサックスが全面繰り広げられて、と言われることが
多いのですが、私にはそういう印象はあまりなくて、やはりモンクのあまりにモンクらしいピアノのフレーズの印象のほうがはるかに強く、目一杯モンクを
聴いたなあという深い満足感に浸れます。 グリフィンはとてもなめらかで上質な演奏をしており、この人を見直すいいきっかけになるのではないでしょうか。
”飾りのついた四輪馬車”のフレーズを挟んでみたり、とこの人がロリンズの影響を色濃く受けていることがよくわかります。

とにかく全体的な雰囲気がとても良くて抜群に素晴らしい、一生モノになるレコードです。 なぜかはかわりませんが、どの演奏にも穏やかな優しさが
溢れており、聴いていると胸にグッと来るものがあります。 PC画像ではその魅力があまり伝わりませんが、実際に初版の発色のいいジャケットで見ると、
デ・キリコの絵の雰囲気にも圧倒されます。 これぞ、ジャズです。



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2枚のピアノのレコードを聴いて思ったこと

2015年07月25日 | Free Jazz
今週の中古CD漁りは何も収穫がありませんでした。 8月に廃盤セールをやるので、目ぼしいものはみんなそちらへ廻されているようです。
セールが終わるまで、しばらくは不漁が続くでしょう。 去年もそうだったので、さっさと見切りをつけてレコードを見に行くと、これがありました。



Keith Jarrett / The Koln Concert  ( 西独 ECM 1064/65 ST )

ECMのレコードへの再認識により今までは眼中になかったこういうレコードが目に留まるようになり、よく見ると市場にはたくさん流通しているんだな
ということがわかりました。 新しい窓が開かれたわけです。

これは西独オリジナルですが、初版はでなく、第2版です。 ただ、私はこの作品にはあまり思い入れはないので、これで別に構いません。
店頭で検盤のために試聴したら、やはりそれまで聴いていたCDとは明らかに別の種類の音だということがわかりましたので、即買いです。

キース・ジャレットの音楽的基礎の一番底流に流れているのはアメリカのフォークミュージックで、それが良い悪いは別にして、あまりに無防備に
露呈されたこの作品への評価が真っ二つに分かれるのは当然です。 私自身はフォークやカントリーが元々好きなので、別にこれが悪いとは全然
思いません。 ただ、これを最初に聴いたのが多感な時期を過ぎてしまった頃だったので、このセンチメンタルさに飲み込まれることはなかった。
ジャズを聴くという前提で接するからいろいろと異論が出てくるのであって、ただのピアノ音楽として聴けばそれでいいのではないでしょうか。


前置きが長くなりましたが、今回の主題はこちらのほうです。



Cecil Taylor / Solo  ( 日本Trio PA-7067 )


ケルン・コンサートとほぼ同時期に録音されたこの作品は、オーディオ評論家の重鎮として有名な人がエンジニアを務めたことで知られています。
そのせいか、どこを見ても「音がいい」という話になっていますが、キースのレコードを聴きながら、もういい加減にしてくれ、と改めて思ったのです。

セシル・テイラーのこの作品は昔からの愛聴盤なのですが、とにかく生気のない痩せ細ったピアノのサウンドで、この欠点さえなければ、とずっと
恨めしく思いながら今日に至っています。 CDの音もレコードと同じような音で、これはメディアの種類の問題ではありません。
オーディオマニアの間でこの評論家がどういう評価をされてるのかはよく知りませんが、この人はピアノの生音を聴いたことがないのか? と
あり得ない馬鹿げた疑問が頭をもたげてくるような録音です。

この人はハイエンドオーディオだけがオーディオであって、ローエンドオーディオは認めない、という持論を展開した人で、日本で初めて
ルディ・ヴァン・ゲルダーやロイ・デュナンの名前を持ち出したことや「レコード演奏家」という概念を提唱したことでも知られていて、なんだか
「とても偉い人」というイメージがあります。 そんな人ですから、うちのようなローエンドでは決してわからない、高級オーディオでしか
いい音が出てこないような魔法がこのレコードにはかけられているのかもしれません。 でも、この人はうちにある機器のことを何かの雑誌で
べた褒めしていたので、そんな理由でいい音が鳴らないということでもないはずです。

セシル・テイラーのこの演奏を聴いて一番驚くのは、ミスタッチがあまりないことです。 ドの音を弾く時、指が隣の鍵盤にあたってしまい、
レの音やシの音が同時に鳴ることがあります。 もちろんプロの演奏家では滅多にないことですが、でもそれはあくまで平均律上の規則内の演奏の
話であって、その縛りを解こうともがくこういう試みの場合は話が別じゃないかと思います。 訓練だけで回避できるような問題とはとても思えない
のですが、それをやっているのにまず驚かされる。 まるで目の前に楽譜があって、十分練習してから録音に臨んだかのようです。

ピアノの上に並んでいる全ての鍵盤の音の組み合わせは調性外のほうがはるかに多いんだから、その方が表現の可能性は大きいに決まっている、
だからこういう演奏をするんだ、といわんばかりの演奏で、私がこの人が好きなのは演奏の中にそういうものを感じるからです。

そういう純粋なピアニズムをもっと感じたいのに、この拡がりのない音は一体何なのかと思います。 これが深夜のコンサートホールに鳴り響いた
本当の音なのか? それに比べて、キースのレコードではピアノが何と生々しく響いていることか。 実際にピアノを自分で弾いた時に、自分の
身体の腹の奥に音が響くあの感じがあります。 しかも、このコンサートで使われたピアノが調律が悪いベーゼンドルファーで、音色に不自然な
ところがあるにも関わらず。 CDではあまり感じなかった違和感が、このレコードだとよくわかります。 そういうところまで録れているのです。

もちろん、70年代の日本のコンシューマー向けオーディオ機器の特性や当時の日本の平均的な家庭環境などを考慮したのかもしれませんが、
それにしてもこの不自然なくらいこじんまりとしたフラットな音はないんじゃないか、と思います。 普通、こんな風にピアノを弾いたらもっと
音の塊りが飛んでくるような響きになるはずで、そういうのを敢えて殺したんだとしたら、同時に音楽自体をも殺してしまったことになる。

以降、ピアノ音楽の録音はジャンルを問わず、その多くがケルンを目指すようにようになります。 セシル・テイラーのほうは、そうはならなかった。

ほぼ同時期に制作された2枚のピアノのレコードを聴きながら、オーディオ評論家って一体何なの? と思わずにはいられませんでした。




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特別に好きな1枚

2015年07月20日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / Trio 64  ( Verve V-8578 )


ビル・エヴァンスの中でも特別に好きな作品です。 この人に関してはリヴァーサイド時代の話ばかり聞かされるのはもううんざりだし、そのせいか
今ではそれらのアルバムを手に取ることはほとんどなくなりましたが、それでもそのピアノを聴きたくなった時はこのヴァーヴ時代以降のものを
よく聴きます。 初めて聴いたのはもう25年くらい前だったけど、これを聴いて受ける感銘の種類は今も変わりません。

まったく新しいレパートリーで固めたこのアルバムの新鮮さは群を抜いていて、ピアノのタイム感やドラムのアクセントの付け方はリヴァーサイドの
名盤たちとまったく同じなのに、このアルバムが同様の評価をされないのは奇妙なことです。 "A Sleeping Bee" でのエヴァンスのコードワークや
ハーモニーの輝きは素晴らしい。 まだ若かったゲイリー・ピーコックはこのトリオの中で自分に求められている役割に嫌気がさして二度とここには
戻らなかったけれど、それでもラ・ファロそっくりのベースをきちんと弾きあげている。 彼はポール・チェンバースと同い年で、この録音の半年後には
アイラーの "Spiritual Unity" に参加していくような自意識の高い性格だったので、こうなったのは仕方がありません。

クリード・テイラーが難解さを排除するよううるさく指示を出したせいで全体の印象から芸術感が幾分損なわれてしまっただけであって、エヴァンスの
素晴らしさは以前と何も変わっておらず、更に "Little Lulu" の愛らしさも忘れ難い、特別な1枚です。



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リズム・ギターは脇役ではない

2015年07月19日 | Jazz LP (RCA)

Freddie Green / Mr. Rhythm  ( RCA Victor LPM-1210 )


フレディ・グリーンの唯一のリーダーアルバムとして知られる1枚。 
そして、ギタリストのアルバムなのに、ギター・ソロが全く出て来ない不思議な内容としても知られています。

実際に楽器を触って、バンドを組んで演奏したことがあればわかることですが、音楽を創ったり演奏する側からすればギター・ソロのパートというのは
実は無用の長物で、あれは基本的に我の強い第一ギタリストと聴衆のためにあるものです。 本当にその音楽がどこまで良くなるかは、リズム隊の
作りだすリズムや全体のハーモニー次第です。 グループで演奏していれば、それが否が応でもわかってきます。 だから、リズム・ギターというのは
演奏する人たちの中では何より重要で、それは理屈以前の問題なのです。 

フレディ・グリーンが偉大と言われるのはあくまでそういう文脈においてであって、ギタリストに速弾きのソロを期待する向きにはこのレコードは
全く評価されないかもしれません。 でも、そうじゃない人には、ベイシー・オーケストラの巨大なサウンドの中では埋没してしまいがちなこの人の
コードの音色やカッティングの音がよく聴こえる内容に、嬉しくなるのではないでしょうか。

この人はギターをアンプに通さず弾くので、バンドの中では音がどうしても小さくなってしまうから、ヘビー・ゲージを強いテンションで張って
できるだけ大きい音が鳴るようにしていた。 だから、弦とネックの指板の間にできる弦高が非常に高く、指が1本入るくらいだったといいます。 
そんなに高い弦高ではソロのフレーズを弾くのは無理だし、そもそも普通の人ならコードを押さえることすら難しい。 きっとすぐにギターのネックが
反ってしまって、何度もギターを取り換えたんだろうなあ、と思います。

ここで聴かれる音楽はベイシー楽団からのピックアップメンバーを主にしたスモールコンボで演奏されるお手本のようななスイングジャズ。 
オールド・ベイシーのミニ版です。 簡単なテーマ・リフで始まり、各管楽器の無拓なソロがあり、リズム隊のお披露目があって、全員の合奏による
クロージングで終わります。 ただ、それだけ。 それがスッキリとスマートで、とてもいいです。 中でも、アル・コーンのソロが非常に秀逸です。

フレディ本人の作ったシンプルなブルース曲がほとんどですが、最後に "星に願いを" が収録されており、スイングスタイルでこの曲が演奏されるのは
珍しく、ほのぼのとハッピーな気分で聴き終えることができます。 演奏にはシビアだったそうですが、優しい人柄だったことが伺えるレコードです。



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今週の成果

2015年07月18日 | Jazz CD
急に暑くなった今週も、相変わらず軽くつまみました。 





■ Count Basie Orchestra / Long Live The Chief  ( DENON COCY-7101 )

結成50周年を記念して日本で制作された作品で、2人の日本人プロデューサーはこの企画を会社が認めなかったので、退社して別の会社に移ってこの作品を
作ったそうで、これは気合いの入り方が違います。 

84年に亡くなったベイシーの代わりにフランク・フォスターがリーダーで、フレディ・グリーンを筆頭にベイシー健在時の主要メンバーらによるこの楽団
でしかきくことのできないドライヴ感溢れる黄金のサウンドが聴けます。 やっぱり、カウント・ベイシー・オーケストラはSP音源ではなく、LP録音のほうが
その魅力をより享受できるように思います。

この楽団の演奏は当たりハズレのようなものは基本的にはなく、どの時代(つまり、アレンジャーが誰か)のものが好きかで聴く音盤を選べばいいのですが、
そういう特定の色がついていないこういう演奏だとバンドの素の姿が剥き出しになるので、このバンドの魅力が却ってよくわかります。

スターソリストがいたオールド・ベイシーはそのトップ・ホーンのソロを聴くのが何よりの愉しみでしたが、ニュー・ベイシーの魅力は何と言っても
このキラキラと眩しく輝く分厚い金管楽器のハーモニーと最高にドライヴする黄金のテンポ感。 クラーク・ボラーン・オーケストラも一生懸命真似ようと
したこの恐るべきサウンドは、やはりこの楽団の演奏でしか聴くことはできません。 実際の速度はミドルテンポなのに、体感速度はその倍のスピードに
感じてしまうこの不思議な感覚は一体何なんでしょうか。 

"April In Paris"、 "Corner Pocket"、"Lil' Darlin'"、"Shiny Stocking" などのベイシー・スタンダードを網羅した日本企画ならではの内容です。
私はDENONのこのPCM DIGITAL録音物がその痩せた音のせいで昔から大嫌いなのですが、この音盤は低音不足気味の腰高なところがイマイチながらも、
楽器の輝きや鮮度は珍しく悪くない感じだし、とにかくフレディ・グリーンのギターの音がよく聴こえるのでそれだけで合格です。


■ Sun Ra / Lanquidity  ( Evidence ECD 22220-2 )

赤と黒のまだら模様を見るとサン・ラーを思い出す、ということでもないですが、DUに行けば必ずチェックするサン・ラー。
ようやくこの名盤に辿り着きました。

これは、傑作です。 紫煙が漂うかのような妖艶なムードの完全レア・グルーヴ・アルバムで、ジョン・ギルモアの最高のテナーサックスが聴けます。

切ない雰囲気のエレピで始まるアルバムタイトル曲の冒頭のメロディーはジミー・ロールズの "The Peacocks" の出だしと同じ旋律で、これが何とも
物悲しい。 その雰囲気がアルバム最後まで全体を支配していき、ゆったりとした心地い気怠さに身体が包まれて行く。 そんな半覚醒状態の中から
突然現れるテナーサックスの劇的に素晴らしいソロ。 

湯浅氏の書物によると、ファンク、ディスコが流行り出した当時、あるディスコミュージックのレコードをサン・ラーが持ってきてバンドのメンバーに
聴かせたところ、バンドメンバー達が「師匠、こんなのは音楽じゃありません」と口々に言い出したが、「こんな音楽でも、ある種の人々には有益な
音楽なのだから、そんなことを言ってはいかん」と諭して、このアルバムを制作したんだとか。 意外ときっかけはお粗末だったんですね。
それでもここまでの極みに達するんだから、サン・ラー、恐るべし。 この振れ幅の大きさは、我々地球人には到底理解が及ばないのでしょう。

このCDはオリジナルの2トラックテープを使って作成されたそうで、すごく音がいいです。 自然なアナログ感が上手くトランスファーできています。



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アイスランドのジャズ

2015年07月16日 | Jazz LP (Europe)

Jazzvaka A Hotel Sogu  ( Jazzvakning Records JV 002 )


アイスランド。 ノルウェーとグリーンランドの間に浮かぶ、北海道と四国をたしたくらいの大きさの島国で、人口は32万人、人口密度は1平方キロ当たり
3人(日本は337人)。 冬場は極夜になるので、人々は外出もせず、家に籠って本を読んだり音楽を聴いたりして過ごす、まさに氷の国。
そんな彼の地にもジャズは当然のようにあって、こうしてレコードだって作られています。 ただ、その種類はとても少ないらしくて、このレーベルも
非営利団体なんだそうです。 

トランペット、テナーを加えた2管クインテットで、1980年9月26日に当地のホテル・サーガで行われたライヴを録音したもの。 写真の中央に写っている
ベースの Bob Magnusson がリーダー扱いになっているようです。 この人はアイスランド出身ですがアメリカでプロとして活動している人で、音盤も
そこそこ出していたり他のいろんなレコーディングにも参加していて、我々に一番身近なところだと復帰後のアート・ペッパーの "Among Friends(再会)"
でベースを弾いています。 他の4人も皆アイスランド出身で、トランペットの Vidar Alfredsson は英国BBCのオケで仕事をしています。

とにかくこの5人は演奏がものすごく上手い。 ライヴでこれだけ一糸乱れず緻密で弾けるような演奏をする技量はファーストコール並みです。
特にテナーの Runar Georgsson は硬質で深みのある素晴らしい音を鳴らしていて、レイキャビクなんかに留まらずにもっと広く世に出て活躍してくれたら
いいのに、と思います。

スタンダードを2つ、地元の作曲家が編曲を加えたアイスランドの民謡をモチーフにした楽曲が3つというプログラムで、リーダーのベースソロに
スペースを大きく与えた演奏になっていますが、もうちょっと管楽器の演奏がしっかりと聴ければもっと良かった。  
録音は極めて良好です。

アイスランド独自の何かが音楽から感じられるかというとそういうことはありませんが(というか、そもそも何がアイスランドらしいのかもよくわかりませんが)、
現代のレベルの高いモダンジャズになっており、世評の定まったありきたりの名盤に食傷した耳には新鮮に響くマイナーなレコードとして愉しめます。



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無視するにはあまりに惜しい1枚

2015年07月12日 | Jazz LP (Riverside)

Red Garland / The Nearness Of You  ( Jazzland JLP 62 )


日本人好みしないジャケットデザインのせいで、おそらくレッド・ガーランドの中では最も聴かれることのないものの1枚でしょう。
ジャズランドというレーベルもリヴァーサイドの廉価レーベルのイメージが払拭されず、格下扱いのままです。

1962年の終わりにガーランドは表舞台から姿を消してしまいますが、その1年前に録音されたこのアルバムは副題にもあるように、全編バラードが
収録されています。 これも評価されない要因の一つかもしれません。 ガーランドといえばアップテンポで疾走するようなリズムが表看板に
なっていて、バラード演奏のほうはまともに評価されているとは言えません。 

選曲もとにかく地味です。 "Why Was I Born" や "All Alone" が入っているのが目を引くぐらいで、あとはどれもありふれたメニューです。
好きな曲目当てで手に取られる、というようなことも少ないでしょう。

ベーシストもドラマーも地味な人たちです。 フランク・ガントって、一体誰よ? という人がほとんどでしょう。 バリー・ハリスのアーゴの人気盤
"Breakin' It Up" やコレクター御用達のトランジションの "Bird Jazz" でドラムを叩いていた人、と言える人なんてきっとそんなにいないし、
ラリー・リドリーって、ああ、ハンク・モブレーの "Dippin'" でベース弾いてた人ね、と言える人だっておそらくいないでしょう。

これだけネガティヴ要素が詰まったアルバムなんだから、無視されて当然です。 本当にアルバム作りがヘタなレーベルだったと思いますが、
だからこそこのアルバムは擁護したくなります。

ガーランドのピアノの音はプレスティッジよりも生々しい綺麗な音で鳴るし、ベースとドラムが静かなおかげでピアノの音は際立つし、
ドラムのブラシ音はサクサクと気持ちいいし、何よりもアルバム全体の深く静かな雰囲気はジョニー・ハートマンのインパルス盤なんかと共通する
ものがあります。 ガーランドのバラードアルバムとしては、ムーズヴィル盤なんかよりもこちらのほうがずっといい。

ありふれたスタンダードを傍まで手繰り寄せてここまで自分らしく仕立てることができるのはマイルスのバンドにいたころから何も変わっておらず、
この人の力量の凄さを素直に感じさせられる素晴らしい内容だと思います。



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己の愚かさを知る

2015年07月11日 | ECM

Keith Jarrett / Standards, Vol.1  ( 西独 ECM 1255 811 0966-1 )


中古レコード屋さんに行くと「 ECM 」の独立したコーナーが大抵あります。 DUにもあるし、廃盤専門店にもある。
昔はそういうコーナーは特に見かけなかったような気がするのですが、今はどこに行っても必ずあるので、不思議に思ってなぜかを訊いてみると、
「今はECMコレクターが結構たくさんいるから」だと教えてくれました。 現に、よく売れるんだそうです。
でも、ECMのように比較的新しい録音ならCDもレコードも別に大差なんかないんじゃないのかな、と何となく腑に落ちない感じが長く続いていました。

ところが、あるブログの記事を遡って読んでいた時に、「キースのECM盤はCDでなく、レコードで聴かないと・・・」という一文に出くわして、
「えっ、そうなの?」とこれが気になるようになりました。 

私はECMというレーベルのコンセプトがどちらかというと苦手で、一部のものを除いてほとんど聴かないのですが、その方はECMの愛好家で、私の知らない
世界のことを色々と教えてもらえるので日頃からそのブログを愛読していただけに、この一節がずっと頭から離れなくなったわけです。
で、今週は中古CD漁りが不調で何も成果がなかったので気晴らしにレコードコーナーに行ってみると、このレコードが転がっていました。

ECMというレーベルは実はオリジナルの判別がかなり難しいようで、まだそういうノウハウはブルーノートのようにきちんと確立されているわけでは
なさそうなのですが、それでもちゃんと研究されている方がいて、そういう情報をアップしてくれていたりします。 

このレコードは一応グリーンレーベルで西独プレスですが、初版なのかどうかは私にはよくわかりません。 グリーンでも細かいところのロゴの有無や
表記の違いがあるようだし、ジャケットもツヤの有無や背中の絞りの有無など、版によっては細かい差異があるらしく、なかなか難しい。
ECMの欧州プレスは音がいい、という話は昔からいろんなところで目にしていましたが、どうやら同じ欧州プレスでも版の違いで微妙に音が違ったり、
アメリカで録音されたものは欧州盤よりUS盤のほうが音がいい、というような新しい情報もあって、これは想像以上に奥が深いようです。

取り敢えず勉強のつもりでこのレコードを買ってきてSHM仕様のCDと聴き比べてみると、やはり音には違いがあることがわかりました。

レコードは各楽器の音の分離がよく、輪郭が非常にくっきりしていて、特にベースの音にそれが顕著に現れています。 そのお蔭で、キースが右側、
ゲイリーが左側少し奥、ジャックが一番奥、という奥行きのある三角形という位置関係であることがよくわかる、立体的な音場感になっています。
これと比べると、CDのほうは全体的に平面的な感じで、ベースの音は芯が弱く、輪郭が水彩画のように滲んでぼやけていることがわかります。 
ピアノの音は明るめのエコー処理が施されているようでレコードよりは音のきらびやかさが少し強調されている感じです。 レコードの音がいい、
と言われるのはこの音の締まり具合の違いのせいなんだろうと思います。 このアルバムはCDへのトランスファーがあまりうまくできてないんだなあ、
ということがわかりました。 

長年CDで愛聴してきたので、この違いはいささかショックでした。 ECMのオリジナルコレクターはこういうことに早くから気が付いていて、だからこそ
レコードを集めているんだなと思います。 すべての盤に当てはまることではないんでしょうが、それでも、音に違いなんかねえよ、と思い込んでいた
自分の愚かさに今頃になってようやく気が付いたわけです。 これからは認識を改めて猟盤していこう、と反省しました。



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愛聴する1枚

2015年07月05日 | Jazz LP (Vocal)

Buddy Greco / At Mister Kelly's  ( Coral CRL 57022 )


日本では本当にヴォーカル作品が好きな人にしか認知されていないバディ・グレコですが、アメリカのエンターテイメントの世界ではトップクラスの
大物でした。 このアメリカのエンターテイメントの世界というのはどうも日本ではうまく理解されないところがあって、その実態はほとんどまともに
伝わっていないし、あまりいい印象も持たれていないんでしょう。 

アメリカや欧州のジャズシンガーはみんなこのレコードの舞台になったような音楽を聴きながら気軽に食事ができるクラブに出演することで鍛えられ、
そこで業界関係者に認められてレコードを作る機会を得て、有名になっていく。 日本でジャズシンガーがまったく育たないのはそういう土壌が何も
ないからで、こればかりは文化の違いとはいえ、残念なことです。 だから、ジャズヴォーカルが好きな人はこうやって廃盤レコードをこそこそと
買い漁るしかなくなってくるのです。 

Mister Kelly's は50年代のシカゴにあったナイトクラブで、店の表には "HANG YOUR HAT at Mister Kelly's" という電飾の看板が出ていました。
このレコードジャケットはそれに引っ掛けたデザインになっていて、洒落ています。

バディ・グレコはピアノを弾きながら歌い、ジョン・フリゴのベースがそれに寄り添うように演奏されるシンプルなスタイルですが、ここでのグレコの
ピアノのスイングする様は凄まじくて驚かされます。 とても歌の余技とは思えない、歌を強くドライヴする弾きっぷりです。 

私はこの人の声質やメロディーのコントロールの仕方がとても好きで、どのレコードも愛聴盤になっていますが、このアルバムはライヴであることや
バックの演奏が最小限であることから彼の歌がとても親密な雰囲気に溢れていて、特に好きな1枚です。 心地よくスイングする曲としっとりと穏やかな
バラードがうまくブレンドされていて、いつまでも聴いていたいなあと思わせてくれる素晴らしい内容です。



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今週の成果~ 探し続けた最後の1枚

2015年07月04日 | Jazz CD
今週もブラブラと徘徊しました。 新宿では新着の大量棚出し、Jazz Tokyoは廃盤セール450点、という大盤振る舞いでしたが、買えたのは僅かに1枚。
新宿のほうは枚数は多かったもののこれといって引っかかるものは見つからず、Jazz Tokyoのほうはセールの残滓としては欲しいものは10枚ちかく
あったものの値段が少し高く、1枚以外はすべて諦めました。

面白いことに、新宿と御茶ノ水は客層が違うせいか中古のラインナップが重なることがあまりなくて、両方をチェックするとかなりの領域をカヴァー
できるのですが、残念なことに御茶ノ水は全体的に値段が新宿よりも2~5割ほど高い傾向があるような気がします。 駅前の目抜き通りにあれだけ
大きな店を構えているわけですから、きっと固定費が高いんでしょう。 

中古漁りを趣味とする者にとってこの「ちょっと高いな・・」という感覚はなかなかやっかいで、これを感じると買うのを躊躇してしまいます。
客観的に見ればその差は大した金額ではないんでしょうが、それでも目に見えない自分なりの基準値が厳然とあるわけで、それを超えると「うーん」と
考え込んでしまう。 1,700円という値段がついてるけど、新宿でこれが出たらきっと1,200円だぞ、と思うと、まあ今日はやめとこう、となります。
たかが500円ですが、長い目で見れば無視できない金額になってしまいます。 





■ V.A / That's The Way I Feel Now ~ A Tribute To Thelonious Monk  ( A&M Records 32XB-29 国内盤 )

25年探し続けて、ようやく出会えたおそらく最後の1枚。 レコードのほうはよく見かけるし、別にこのCD自体も珍しくはないのかもしれませんが、
私にはまったく縁が無かった。 これはどうしてもCDで欲しかったのですが、そもそもまったく中古CDを見かけないので、もしかしてCD化されて
いないのか?とさえ思っていました。 学生時代にFM放送のエアチェックで(懐かしい・・)この中のスティーヴ・カーンとドナルド・フェイゲンの
デュオによる "Reflections" を聴いて以来、ずっと探してきた思い入れのある1枚です。

ジョー・ジャクソンやトッド・ラングレンといった才人がいかにもという演奏をしたり、スティーヴ・レイシーやバリー・ハリス、カーラ・ブレイ、
そしてチャーリー・ラウズらも参加する楽しい内容です。 何か凄いことをやっているということでもないし、音楽的な深みがあるわけでもないですが、
風変わりな音楽だから面白がって演奏しに集まったのではなく、モンクの音楽には普遍的なものがあるからみんなから愛されているのだということが
改めてよくわかるのです。

これを手に入れることが出来て、何だが肩の荷が下りた気分です。 


■ Alexander Von Schulippenbach / The Living Music  ( UMS/ALP231CD )

こちらは少し前に入手したもの。 シュリッペンバッハの初期の代表作として、その道ではよく知られた作品です。
ピアノトリオにブロッツマン、マンフレート・ショーフら管楽器が4本加わったセプテットです。

この2か月ほど欧州フリーは一切聴かずにアメリカの古いフリーばかり聴いていましたが、久し振りに欧州ものを聴くと、その成り立ちの違いに
愕然とするというか、そもそもこれはまったく別のジャンルの音楽じゃないか、とすら思うようになります。

この人は元々現代音楽の巨匠に師事するところからスタートしているので、その音楽はジャズとクラシックのフュージョンになっていて、
フリージャズというような大雑把な言い方はお門違いのような気がします。

どの楽器の使い方も実験色が強く、従来の西洋音楽を否定して新たなものを創ろうとする過程にいることがよく伝わってきます。 
それが成功しているのか、あるいは成功しようとしているのかはではなく、そういう意志があることがわかるということが重要なのであって、
そこがアメリカのフリージャズとは根本的に違うのかもしれません。

でも、ところどころで楽曲のテーマリフのようなものが現れるし、最後の楽曲などは割と普通のハーモニーとメロディーを使ったものだったりするし、
ブロッツマンの作品ような荒々しさはなく、知性派らしい理知的な音楽になっています。

ちなみに、このCDは板起こしです。 オリジナルは自主制作盤だったので(後にFMPからも出されますが)マスターテープの状態が悪かったのかも
しれません。 溝を針が這うチリチリという音がところどころで聴こえます。



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