廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

チック・コリアが吹かせた新しい風

2018年03月31日 | Jazz LP (Contemporary)

Joe Henderson / Relaxin' at Camarillo  ( 米 Contemporary 14006 )


チック・コリアの素晴らしいピアノが全編に渡って聴けるのが印象的だ。 コンテンポラリーの高品質な録音がチックのピアノの音を眩しく輝かせている。
こうやってテナーのワンホーンの中で聴くと、チックという人は本当に過去の巨匠たちからの影響を感じない人だ。 一体どうやってジャズピアノを
習得したんだろう、と不思議に思う。

このアルバムはゲッツの "Sweet Rain" に似ている。 窓が大きく解き放たれて部屋の空気を入れ替えたような感じがあり、そういうところが"Sweet Rain" に
似ているのだ。 その新鮮で汚れていない空気の中で、ヘンダーソンのテナーはよく鳴っている。 彼のプレイは以前のそれよりもずっと上手くなっている。
ヘンダーソンのテナーは旋律がはっきりしないところはベニー・ゴルソンと似ている。 ベニー・ゴルソンのテナーを嫌う人は多いけれど、ヘンダーソンは
唯一ゴルソンの系譜を継いでいる人だ。 ヘンダーソンのテナーは褒められて、ゴルソンのテナーは褒められないというのは私にはよくわからない。
ゴルソンは作曲家のイメージが強く、ヘンダーソンのように演奏家として見られることは少ないからなのかもしれない。

また、ドラムスにトニー・ウィリアムスとピーター・アースキンが参加していて、これが演奏全体を強力にグルーヴさせている。 トニーはいつものように
煽情的なシンバルワークで全体を煽るし、アースキンはスティーヴ・ガッドとよく似たドラムの叩き方をしていて、これがなかなか板についている。

このアルバムは1979年のロス・アンジェルス録音だが、ちょうどこの70年代はアメリカでも過去のバップ系は1度きれいに清算されて、新しい雰囲気を持った
ジャズが始まった時期。 それは世界を席巻したロックの影響も大きいし、60年代のフリージャズがバップを焼け野原にした後の必然でもあっただろうけど、
このアルバムはそうやって自浄的な新陳代謝として最初の新しい現代ジャズが始まっていた時期に作られた作品で、その当時の新鮮さを愛でることができる
絶好の内容だと思う。 演奏力の尋常ではないレベルの高さ、クリアな音場を提供する好録音、どれをとっても文句なく愉しめる。


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迷いのない晩年の傑作

2018年03月24日 | Jazz LP (70年代)

Joe Henderson / An Evening with Joe Henderson, Charlie Haden, Al Foster  ( 伊 Red Record RR 215 )


最初に驚かされるのは、演奏の前にこのレコードの音。 我が家の部屋の中で演奏されているみたいな音でビビってしまう。 ヘンダーソンの管の
鳴りっぷりがあまりにリアル。 チャーリー・ヘイデンの弦のビリつきがリアル。 久し振りに「原音再生」という言葉を思い出した。 
スピーカーから溢れるように流れ出す音の粒子の細かさや濡れたようなみずみずしさが他の音盤とは違う。

ヴァンガードのライヴと同様のピアノレストリオのライヴだが、一番の違いはベース。 チャーリー・ヘイデンはオーネットとやっていた頃と
比べると明らかに演奏のキレが落ちているけれど、それでも持ち味である重低音を重く響かせ続けるところは健在で、これがベースらしくて
実に気持ちがいい。
この演奏を聴くと、ロン・カーターのベースラインが如何に音程が甘くて、フレーズの腰の高さが音楽を軽いものにしているかがよくわかる。 
尤も、ヘイデンのソロパ-トは相変わらず面白味がなく、ここはカーターと大差はないように思う。

音質の張りの良さとベースの重量感とアップテンポの曲で固められているというところがヴァンガード録音とは違うため、こちらのほうが生き生き
している印象を与える。 ただ、これはヴァンガードでの演奏が評判になったからこその同様のフォーマットであり、前作よりも演奏がこなれている
のはある意味当たり前かもしれない。 前作はトリオ形式の感触を探るようなところがあったけれど、こちらではそういう用心深さは見られない。
ヘンダーソンの音には張りと艶があり、フレーズにも自信が漲っていて、このテナーサックスとしての説得力の強さはマイケル・ブレッカーなんかを
連想させる。

とてもナチュラルな現代的モダンジャズで、何の力みもなければ野心も感じない。 自分の中から滾々と湧き出てくる何かを無心でテナーの
フレーズに置き換えていくような純度の高い演奏で、これを聴いていると60年代に彼がやっていた新主流派と呼ばれたあの音楽は一体何だった
のだろうと考えてしまう。これを聴いた多くの人がジョー・ヘンダーソンの復活を確信したのは間違いなく、晩年の傑作としてこれからも
静かに語り継がれていくのだろう。そういう "本物感" を実感するレコードだった。


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妖しい雰囲気を放つ代表作

2018年03月24日 | Jazz LP (Milestone)

Joe Heendweson / Tetragon  ( 米 Milestone MSP 9017 )


レコーディング・キャリア上のピーク期だった頃の録音で、これを最高傑作と言う人が最も多い。 確かに、他のサルバムにはないある種非常に独特な
艶めかしく妖しい雰囲気が漂う。

このアルバムのそういうムードを作っているのがドン・フリードマンのピアノで、まるでビル・エヴァンスが弾いているような感じなのだ。 彼のリーダー作を
聴いている時は世間が言うほどエヴァンスを感じることはないけれど、ここでのフリードマンはそのフレーズといい、翳りのある表情といい、エヴァンス
そっくりで驚いてしまう。 このアルバムはフリードマン、ディ・ジョネットのセッションとケニー・バロン、ルイス・ヘイズのセッションの2種類が収録されて
いるけれど、この2つは雰囲気がまるで違う。 バロンとの曲は明るい陽が差し込む部屋、フリードマンとの曲は暗く翳りの降りた奥の間。

ディ・ジョネットのドラムもとても良くて、シンバル・ワークはトニー・ウィリアムスのようだし、リズムの作り方も凄まじい。 ロン・カーターは・・・・、
特になし。 まあ、いつも感じだ。 いずれにしても、そういうバックの演奏の素晴らしさに支えられて、このアルバムの名声は成り立っている。

ヘンダーソンのテナー自体はこのアルバムだけが突出して出来がいいということはない。 この前後のアルバムでも素晴らしいプレイはしていて、そういう
意味では完成されたスタイルを長く維持している状態にあったと思う。 この人とショーターはよく似たフレーズと吹き方をしていて、それまでのテナーの
巨人の影響下から最初に抜け出した一群の1人だけど、ショーターはキャリアの浅い時期の録音がたくさん残っているので進化の軌跡が判りやすいのに
比べて、ヘンダーソンはいきなりブルーノートに現れてリーダー作を連発し出したから、怪物としての印象が強く、そういう印象評価が先行している。

でも、この頃の彼のテナーはフレーズのラインは独特だけれど音程の幅が狭いし、音の強弱や色彩は一定なので、他のテナー奏者の演奏と比べると
派手さに欠ける印象が少しある。 偶にテキサス・テナーのような一本調子になる場面もあったりして(つまり長い小節の途中だと息切れする時がある)、
スタイルは完成しているけれど演奏力はまだ頂点を目指した登り坂にいたんじゃないだろうか。

それでも演奏レベルは並外れていて、A面最後の "The Bead Game" の4人の凄まじさは他を寄せ付けない。 これを聴くと、コルトレーン・カルテット
の演奏なんて生ぬるく思える。 フリードマンもディ・ジョネットもまるでいつもとは別人のような圧巻の演奏を聴かせる。


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ジョー・ヘンダーソンの最終作

2018年03月21日 | Jazz CD

Joe Henderson / Porgy & Bess  ( 米 Verve 314 539 046-2 )


ジョー・ヘンダーソンをボチボチと聴き直している。 勿論安レコの範囲ではあるけれど。 それでも作品はたくさんあるので、気長に楽しめそうだ。

これは最終作ということもあって好意的に語られることの多いアルバムで、私も心情的にはまったく同感なのだが、内容についはもろ手を挙げて素晴らしい
とは言えないというのが正直な感想だった。 好きな題材だし、参加メンバーも豪華で稀代の名盤になってもおかしくないところだが、なかなか難しい。

スティングが参加していることやボブ・ベルデンが音楽監督だというのに惹かれて楽しみにしていたのだが、聴き進めていくうちに最初の期待が徐々に
しぼんでいく。 音楽の核になるようなものが欠けているような気がする。 本来であればそれはヘンダーソンのテナーであるべきだけど、老齢の彼には
それが望めないのは初めからわかっているのだから別のものを用意するべきなのに、どうもそれが見当たらない。 豪華なメンバーを集めたことだけで
終わってしまっていて、後は彼らにお任せしてますから、という感じだ。 普通の作品ならそれでいいだろう、でも、これは "ポーギーとベス" なのだ。

古い時代のサウンドではなく録音当時の現代的なサウンドを志向していてそれはとてもいいのだが、力に欠けていて散漫な感じになっている。 目の粗さが
目立つし、トータルコンセプトみたいなものが最初から設定されていないようだ。 これなら、この題材にする必要はなかったんじゃないだろうか。

楽曲単位で見るといい曲は何曲かある。 スティングが歌う "It Ain't Necessarily So" はさずがに聴かせる。 "Summertime" のサンバ・ヴァージョンは
リズム感が素晴らしく、全体のアンサンブルも纏まっていて、これは圧巻。 ヘンダーソンがワンホーンで唄う "I Love You,Porgy" の深い情感も
素晴らしい。 そういう風に部分部分でみれば魅力的なところは色々あるけれど、アルバム全体から受ける印象がとても弱いのが残念だ。

ヘンダーソンのテナーは悪くない。 もちろん若い頃の覇気や強いトーンはもう無いけれど、私はこういう音や演奏は好きだ。 ずっと聴いていたいとさえ思う。
でも、音楽全体の建付けの悪さがアルバムの最終的な印象の足を引っ張っていると思う。

写真に移るヘンダーソンの小さくなった身体つきを見ると、やはり切ない気持ちになる。 本当は色んなことに目をつぶって聴くべきなのかもしれないけど。


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「研究所」という名前のコンボ

2018年03月18日 | Jazz LP (Columbia)

Donald Byrd, Gigi Gryce / Jazz Lab  ( 米 Columbia CL 998 )


「ジャズ研究所」とは随分御大層な名前だけど、何かの冗談だったのか大真面目にそう思っていたのかはよくわからない。 それでも1年近くユニットとして
活動していたようだから、それなりに意志を持って演奏していたのは間違いない。 ただ、内容はアレンジの効いた普通のハード・バップである。

コロンビアに残した2枚のスタジオ録音はメジャーレーベルらしくアルバムの半分が多管楽器編成によるソフトなラージアンサンブルで、金がかかっている。
サヒブ・シハブがバリトンを吹いているのが目を引くけれど、特に目立って出番がある訳でもなく、贅沢な使い方をしている。 フレンチ・ホルンやチューバを
入れた重奏部分の柔らかい感じは完全にギル・エヴァンスのパクリだと思う。 それをコロンビアというレーベルで堂々とやってしまうのだから恐れ入る。

ただ、ありふれた2管編成のハード・バップだけではなく、変化球を多用しているところに彼らが何かを模索していた痕跡があり、そういうところが如何にも
意識家だったこの2人らしい。 一般的に重奏を好まない多くのジャズ・ファンからはこの手の工夫は評価されず、名盤に認定されることはついぞなかったように
思うけれど、手堅くまとめられた内容は悪くないと思う。

最後に置かれた "クリフォードの想い出" は淡い霞に包まれたような幻想的な仕上がりで美しい。 バックのアレンジはベニー・ゴルソンのスコアよりも
こちらの方が自然な感じで出来がいい。 楽曲が持つ情感がたっぷりと表現されていて、頭でっかちなコンボというイメージを払拭してくれる。


 
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サラ・ヴォーンとチャーリー・パーカー

2018年03月17日 | Jazz LP (Vocal)

Sarah Vaughan / Hot Jazz  ( 米 Remington RLP-1024 )


昔は幻の1枚として高額だったこのレコードも、今じゃ立派な安レコ。 現代においてはもはや「稀少」や「レア」という言葉は本来の意味が機能として
失われている。 そして、ジャズ創成期を支えた大物たちは徐々に忘れられつつあるのかもしれない。 

長年続けられた過去の名盤ばかりを有難がる風潮に飽き飽きした反動で現代ジャズを称える動きが出ているのはいいことだけど、そこでも実態以上の
過剰な称賛がちらほら出るようになっていて、反動としてのモーメントの大きさがそうさせていることは理解できるけど、違和感を覚えることも少なくない。
一線を越えるとクラブ・ジャズや欧州ジャズのような末路を辿ることに成り兼ねないから、適切なコントロールの下に進行してくれるといいと思う。
まあ、たまにはこういう古い音楽も聴いて、バランスを取ることも必要なんじゃないだろうか。

1944年12月31日のセッションと1945年5月25日のセッションの2つの音源が収録されていて、特に後者はパーカーが参加している重要な音源だ。 18歳だった
彼女がアポロ劇場のアマチュア発掘コンテストで賞を取ったのが1942年の秋だから、プロの歌手としてスタートして間もない時期の歌唱ということになる。

フレーズ回しにはまだ未熟さが残っているけれど、この時期の彼女の伸びやかで清楚な声質は素晴らしく、私が最も好きな女性歌手としてのサラ・ヴォーンの
一番好きな時期の歌が聴けるのが嬉しい。 そして、"Mean To Me" で鳴るチャーリー・パーカーの野太いソロも素晴らしい。 それは尺としては短いけれど、
その存在感やインパクトは圧倒的で、今風に言えば「神アルト」ということだ。

当然SP録音で、LP10インチになった時にはジャケットが紙ペラのものや厚紙のもの、レーベルもコンチネンタルやレミントンなどが使われていて、
装丁としては数種類ある。 ただ、どの装丁であっても40年代の録音であるということが足を引っ張ることなく音質は良好で、音楽の素晴らしさを
ありのまま享受できる。


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最後のドイツ公演

2018年03月14日 | Jazz LP

Bill Evans / His Last Concert In Germany  ( 独 West Wind WW 2022 )


ビル・エヴァンスが亡くなるちょうど1カ月前の1980年8月15日ドイツでの録音で、彼のファンにはよく知られている演奏だが、私は初めて聴いた。
愛好家からは高く評価されている演奏だったので常々聴いてみたいと思っていたが、ようやく安いのを見つけた。

最初に驚くのが、レコードから出てくる音。 後期及び晩年のライヴでこれまで聴いた音源の中では、これが一番まともな音ではないか。
ちょっとオーディオ的な手心が加わっている感じではあるけれど、それでも靄で霞んだようなところがない音でエヴァンスのピアノが聴けるのは嬉しい。
ベースも重低音が効いた特殊な処理が施されており、ボリュームを上げると部屋の中が不気味に揺れる。

エヴァンスの演奏はこの時期らしい、フレーズを切れ目なく次から次へと紡いでいくスタイルで演奏を先導し、マーク・ジョンソンとラバーベラがそれを
下支えする。 エヴァンスは若い頃は間合いを十分取りながら短いフレーズを積み上げる弾き方だったが、後期は切れ目なく長いフレーズで演奏するように
なっている。 でも、これはエヴァンスが変化したというよりはジャズという音楽全体の演奏の様式がそういう風に変化したことに影響されている。
ジャズはビ・バップ→ハード・バップ→ニュー・ジャズと進む中で、演奏されるフレーズのセンテンスが徐々に長いものへと変化していっている。 

エヴァンスはゆっくりと時間をかけて進行する病気が原因で亡くなった訳だから、この時も体調は悪かったはず。 でも、この演奏の中からはそんなことは
まったく感じることはない。 意志を感じる力強い音は輝いている。 

私がエヴァンスが好きなのは、何よりもそのきれいな打鍵タッチである。 それがあの独特の強い音を生んでいて、エヴァンスの演奏活動すべての時期で
聴くことができる。 その中でも、これはエヴァンスのピアノがクリアに聴こえるいいレコードだった。


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もう1つのピアノのいないヴィレッジ・ヴァンガード

2018年03月11日 | Jazz LP (Blue Note)

Joe Henderson / The State Of The Tenor, Live At The Village Vanguard, Vol.1  ( 米 Blue Note BT-85123 )


しばらく聴いていなかったジョー・ヘンダーソンを聴き直そうと思ってボチボチ探しているけれど、この人のレコードも最近はすっかり高くなってしまった。
ブルーノートの4000番台なんて昔は安くてゴロゴロ転がっていたのに、今の価格ではまったく買う気が起きない。 金も無いのにレコード屋に行って、
手ぶらで帰るのがイヤだったから何か買って帰ろうという時に4000番台のレコードはうってつけだった。 不純な動機だったけど、そうやって結構たくさん
聴いたものだ。 そんなことを考えながら、週末の夜にボソボソとこういう安レコを探して拾ってくる。

このアルバムは発売当時、結構話題になっていたような記憶がある。 古巣のブルーノートからピアノレス・トリオで演ったヴァンガードのライヴを出す
ということになると、ビビッと反応するに決まっている。 古き良き時代のジャズの幻影に誰もが喜んだのだろう。 このアルバムがリリースされた前年に、
活動停止していたブルーノート・レーベルが復活したことを祝う "One Night With Blue Note" というスーパー・ライヴが行われて、かつての同窓生が
大勢集まり、懐メロ大会を盛大に演奏した。 ヘンダーソンもそこで "Recorda Me" を再演したりしていて、その流れでのアルバム・リリースだったのかも
しれない。

かつてはコルトレーン派の雄として鳴らしたプレイもここではいい具合に枯れていて、ゆったりと余裕のある演奏に終始している。 それは衰えているという
ことではなく、熟成しているという意味だ。 新主流派と言われた4000番台のサックスの礎だったのはショーターではなくこのヘンダーソンだったのは
間違いないところで、当時の彼特有の節回しはここでも健在だ。 だから流れてくる音楽の表情は豊かで、単調さや退屈さを感じる瞬間はなく、あっという間に
最後まで聴き通すことができる。 少ない数の楽器でこれだけ聴かせるというのは並大抵の事ではないと思う。 選ばれた楽曲はどれもみなゆったりとした
テンポのもので、喧騒や激情とは無縁だ。 穏やかな表情で、時にはユーモラスなフレーズを挟みながら淡々と進んで行く。 ブルーノートは豊潤な実りを
刈り取ることができたんだなあと思う。


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アール・ダントって、誰?

2018年03月10日 | Jazz LP (70年代)

Art Lande / The Eccentricities Of Earl Dant  ( 米 1750 Arch Records S-1769 )


週末の仕事帰りに拾った安レコ。 アート・ランデは数年前にECM盤を聴いたはずだけど、内容を全然憶えていない。 あまりピンとこなかった
んだろうと思う。その時の雪辱をはらすべく持ち帰ってきた。

ソロ・ピアノによるスタンダード集だが、副題に Improvisations という言葉が使われていて、フォルムを大胆に崩した抽象画を目指したような
感じらしい。どんな演奏が展開されるのだろうと楽しみに聴き進めていくと、あちこちに古いラグタイム調のフレーズが出てくる。 
楽曲の主旋律もストレートに挟まれて、前衛的な演奏なのかと思いきや、そういう音楽にはなっていない。 手法的にはモンクのアプローチに
似ていて、それをもう少し推し進めた程度の崩し方だった。案外伝統的な古い音楽の感覚が抜けきらない人なんだな、ということがよくわかる
演奏だ。

そう思いながら裏ジャケットを見ると、テディ・ウィルソン、パウエル、ピーターソン、モンクらに捧げる、という本人の記述があり、そういうこと
なのか、と腑に落ちる感じだった。 偉大な先人たちの音楽の洗礼を受けた自分が、1977年当時の心情でソロ・ピアノを弾きました、という作品
なのだ。

聴く前から前衛チックな音楽を期待して入ったから最初の感想としては肩透かしを喰らった感じがしたが、そういう先入観を排して再度聴き直して
みると、もっとこの演奏の良さがわかってくる。 芯のある硬質な音で表現される楽曲は、例えば "I've Grown Accustomed To Her Face" で
見られるように、どんなに構造を崩してみてもその楽曲が元々持っている魅力が損なわれることはないし、そういう音楽としての魅力が演奏の
振れ幅の大きさを許容するのだ、ということもわかってくる。 そういうことがわかっているからこそ、ジャズ・ミュージシャンはギリギリの
ところまで枠を拡げようとし続けるんだなあと思う。

それに、このレコードはなかなかしっかりとしたいい音で鳴る。 残響でごまかそうとせず、ピアノの音に何も手を加えずに録ったものを
できるだけそのまま再生しようとしている感じだ。 70年代に入るとピアノの音が少しずつよくなってくるのを実感するけど、これもそういう
1枚かもしれない。


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愛憎半ばするピアノ

2018年03月04日 | Classical

Wilhelm Backhaus / Bach English Suite No.6 In D Minor 他  ( 英 Decca LXT 5309 )


私は子供の頃、ピアノの個人レッスンを受けていた。 幼稚園に入る前から中学3年の夏頃までのことで、高校受験の勉強をしなきゃいけないからという
理由で辞めたけれど、それは本当の理由ではなくて、ただ単に練習が嫌いなだけだった。 音大に行くとかプロのピアニストになるというような明確な
目的がない限り、多感な中学生の男子が家で一人ピアノの練習に向かうなんてことは所詮無理なのだ。

ただ恐ろしいことに成長期の経験というのは脳や身体の中に刻まれてしまうもので、ピアノの音や演奏を聴く時の感覚が他の楽器の時とは違う感じに
なってしまっている。 他の楽器は音楽を愉しむためのツールとして純粋に聴けるのに、ピアノだけはその音や演奏の欠点ばかりが無意識のうちに
耳についてしまう。 だから、ピアノの演奏を聴く時はどうしても構えてしまう。 なんて不幸なことだろう、と思う。

鍵盤をどう叩けばどういう音が出るとか、鳴らした音の残響がどのくらいの時間で消えるとか、この旋律を弾くときは身体の筋肉はこういう感じで
動いているとか、そういうことを頭がしっかりと覚えているから、そういう自分が内部に感じる感覚と聴いている演奏の感じが合わなかったりすると、
そこで音楽への興味が失せてしまう。 音の消し方が早過ぎるとか、そんなに雑に走らずにもっと溜めていかなきゃとか、無意識のうちに色んな感覚が
頭をよぎるから、そうなってくるともう音楽どころでは無くなってしまうのだ。

ジャズの場合、50~60年代のレコードで聴く分にはそういうことを意識することがない。 オリジナル盤がどんなに音がいいと騒いだところで、所詮
それは実際のピアノの音とはかけ離れた代物だし、その頃のジャズ・ピアノはピアノ演奏を聴かせるというのとは少し違う意識で弾かれているから、
そういうことを気にする必要がない。 こう言うと語弊があるかもしれないけれど、それはピアノ音楽とは違う種類の音楽だという感覚すらある。

ところが最近の新しく録音・リリースされるものはやたらと音質がいいし、ジャズ・ミュージシャンであっても学校に通ってきちんと音楽を勉強している人が
ほとんどで、彼らは明らかにピアノ演奏を聴かせにかかってくる。 だから、私の中で無意識のうちにスイッチが入り、ピアノ演奏やその音へのあら捜しが
始まってしまう。 そうなってくると、本当に無条件に受け入れられる作品というのは物凄く少なくなっていく。 そしてそういう自分に対して自己嫌悪を
覚えることことになる。

だから、私がピアノ音楽を聴くのはそういうややこしいことを意識しなくて済む古いジャズのレコードかクラシックを、ということになる。 クラシックの
ピアニストはさすがに演奏家としての訓練の次元が違うからあら捜しをしてもがっかりすることは少なくて、後は好みの問題だけを気にしていればよい。

クラシック音楽のピアニストはずいぶんたくさんいるけれど、私自身好みにうるさいから聴く人は限られている。 そんな中で、善し悪しなんて感じる
必要もなく、いつだって無条件に自分を託すことができる1人がバックハウス。 「休みの日は何をしていますか?」と訊かれて、「そうですね、暇潰しに
ピアノを弾いています」と真面目な顔で答えるような人だから、そのピアノはまあ完璧だ。 私はその訓練され尽くした先にある彼のピアノが好きなのだ。

これは彼がバッハを弾いた古いデッカのレコード。 イギリス組曲よりフランス組曲のほうがずっと好きだけど、これを聴く際はA面を聴くことが多い。
A面は短調、B面は長調が選ばれているけど、バッハは短調の方が好きだ。 ピアノを弾くのが嫌で辞めたはずなのに、ピアノの記憶の呪縛から逃れられない
私を解放してくれる1人がバックハウスなのだ。


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ライト & メロウ

2018年03月04日 | Jazz LP (Epic)

Horace Silver Quintet / Silver's Blue  ( 米 Epic LN 3326 )


ハード・バップは何も大きな音で弾けるように演奏しなくても十分に傑作をつくることができるということを証明しているのがこの作品。 死語となってうん十年、
思わず赤面してしまうけれど、"Light & Mellow" という言葉が一番ピッタリとくる。 ハード・バップは騒々しくて苦手、という向きにもこれなら大丈夫。

ドナルド・バードとアート・テイラーが入った演奏と、ジョー・ゴードンとケニー・クラークが入った演奏の2つの構成から成っているが、その違いはほとんど
わからない。 それくらい全体の質感が統一されている。 部分的な差異などものともしない、ホレス・シルヴァーの徹底した音楽作りが成功している。
ブルースとファンクを生来の極めて洗練された感覚でコーティングされたシルヴァー特有の音楽が、ここに最良の形で記録されていると思う。

楽曲も秀逸で、"Hank's Tune" の明るい曲想に導かれたモブレーの美しいアドリブ・ライン、"夜は千の眼を持つ" が放つ熱帯の夜のほのかな残り香の妖しさ。
他のアルバムでも演奏された彼らのオリジナル楽曲のわかりやすさ。 それらが非常に丁寧に、そして穏やかな表情で演奏されていく。 

エピックの音質も相変わらず良くて、ノスタルジックな趣の適度な残響感の中、どの楽器も灯に照らされたような輝きを発している。 全体のバランス感も良く、
何かが過剰に突出することもない素晴らしい音場感で、演奏の良さをこれ以上なく引き立てている。 ヴァン・ゲルダーだけがハード・バップの音を作った
というわけではない。 こういう音作りも好ましい。

メジャー・レーベルのジャズということで愛好家からは軽く扱われがちのような気がするけれど、こんなによく出来たハード・バップは3大レーベルの中でも
探すのが難しいのではないだろうか。 ジャム・セッション的要素を排した、完成度高く音楽的にしっかりと聴かせる素晴らしい内容となっている。
20数年振りに聴いたのだが、こんなに出来が良かったっけ?とちょっと驚いてしまった。


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