廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

洗練されたポーギーとベス

2018年06月30日 | jazz LP (Atlantic)

The Modern Jazz Quartet / Plays The Music From Porgy And Bess  ( 蘭 Philips 840 234 BY )


どのアーティストがどんなスタイルでやっても素晴らしい音楽になるのは、やはり原曲が素晴らしいからに他ならない。 決定的名盤はたくさんあるけれど、
このMJQのアルバムも他とは一線を画す。 様式美と自由なアドリブラインの混ざり合い加減はもはや神業と言いたくなる。 必要最小限の音数で静かに
進んで行くこの音楽には究極の洗練がある。 ジャズという音楽にこういうアプローチで臨むこのグループの姿勢には逆説的なアブストラクトさが充満しているけど、
それが嫌味なく徹底されていて高次元に音楽として結実しているというのは驚き以外の何物でもない。

ゆったりと静かで優雅にスイングする。 まるで、眠っている赤ん坊を起こさないように静かに揺り籠を揺らすように。 原曲のメロディーを大事にしながら
ジョン・ルイスの音楽の統制とミルト・ジャクソンのひんやりと冷たいシリンダーの音色が音楽全体を支配する。 パーシー・ヒースとコニー・ケイのデリケートな
リズムが背景に映し出された影絵のようにゆったりと動いている。 ガーシュインのメロデイーがゆっくりと流れて行く。

MJQのアルバムは結構出来不出来があって何でもかんでも素晴らしいと言うわけにはいかないけれど、これは無条件に素晴らしい。 楽曲の良さを上手く
描いていて、このグループにしかできない新しいポーギーとベスの世界を作っている。 オリジナルのアトランティック盤は未聴だけど、このフィリップス盤は
音質も良好で、雑念に気を取られることなく音楽の世界観に集中できる。


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滲む哀しみ

2018年06月27日 | Jazz LP

Joe Albany / Portrait Of An Artist  ( 独 Elektra Musician MUS K 52390 )


ジョー・オーバニーをちゃんと聴くのはこれが初めて(のはず)だが、あまりの良さに驚きながら、もっと早く聴いておくべきだったと後悔している。
パーカーと共演した白人ピアニストという枕詞から(他に言うことはないのだろうか)、アル・ヘイグの亜流か?という誤った先入観を植え付けられていた。
そうやって聴き逃しているアーティストや作品はたくさんあると思う。 それらをできるだけ拾っていくことが今の自分の課題だと自覚している。

運指の覚束ないところもそれなりに多いけれど、それでもこの人のピアノの独特な硬質な音と、仕立てのいいスーツを着た時に感じるような折り目正しい
雰囲気を持った弾き方に心惹かれる。 特に野心的な音楽をやった訳ではなく、スタンダード集しか作ってこなかったけれど、その時間の重みのようなものが
彼のピアノからはにじみ出ている。 こういう濃厚なムードで聴かせるピアノは、イマドキの新世代ジャズには望めない。 レコード屋に行き、中古として
無造作に並べられている束の中を根気よく掘らなければ出会えない。 そういうタイプの音楽が確かに存在する。

この人はアルバム制作の機会に恵まれなかった。 50年代にはほとんどレコードが残せていない。 リヴァーサイドに1枚あるくらいではないだろうか。
70年代以降にようやくポツポツとその名前が出てくるようになる。 もしかしたら何か問題を抱えていたのかもしれないけれど、それにしても力がありながら、
ジャズが一番良かった時代に自身の足跡が残せなかったのは痛恨の極みだったんじゃないだろうか。 失ってしまった時間はもう取り戻せない、という
深い哀しみみたいなものがこのアルバムの中から聴こえてくるような気がする。


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晩年のグリフィンの成熟

2018年06月24日 | Jazz LP

Johnny Griffin / Live Jazzbuhne Berlin '84  ( 東独 Amiga 856 089 )


1984年にベルリンで行われたジャズ・フェスティバルでのライヴの模様を収めたものだが、これがとてもいい。 グリフィンも他のジャズ・ジャイアンツ同様、
モノラル期のレコードは有難がられるけれど、それ以降のものとなると人気はさっぱりない。 というか、誰も聴こうともしないのが実態だろう。
そういう人気の度合いは中古の値段に如実に反映される訳で、例えば、こういう盤は捨て値同然でエサ箱の中で打ち捨てられている。 

最近は安レコ漁りも円熟の極みに達してきたようで、これは、と思って引っこ抜いた盤はハズれ知らズ。 このレコードも手にした瞬間、これはきっとイケる
とピンときた。 そして聴いてみると案の定素晴らしい演奏で、もう、シビレまくっている。

ワンホーンで自作とスタンダードをバランスよく演奏している。 グリフィンのテナーの音色は深みを増し、バックのピアノ・トリオはみずみずしくて覇気がある。
カルテットとしての纏まりも良く、飽きることもダレることもなく、一気に聴かされる。 誰からも褒められないレコードだけど、この演奏はすごくいい。

グリフィンのテナーは若い頃のウネウネ・ブリブリ系が顔を出すと正直聴けたものではない感じだけど、ここではそういう感じは微塵もなく、大人のテナーへと
成熟しているのがよくわかる。 ツボを心得た安定した技術力が隅々にまで浸透していて、テナーサックスの快楽が滾々と湧き出ているような感じだ。

そして、そういう演奏の素晴らしさをアシストしているのが録音の良さで、これがずば抜けて音がいい。 さすがは国営レーベルの現代音楽部門、
録音レベルの次元が違う。 

グリフィンが苦手だという方にこそ、聴いてもらいたい。 きっと印象がいい方向に変わるだろうと思う。


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凛として鳴るピアノ・ソロ

2018年06月23日 | Jazz LP (70年代)

Paul Bley / Axis ( Solo Piano )  ( 米 Improvising Artists Inc IAI 37.38.53 )


迷いの生涯だったのかな、と思う。 一般論としての「人生は迷いの連続」というような話ではなく、この人の音楽の軸はどこにあったのだろうといつも
思うけれど、結局のところはよくわからない。 そのカタログを見ると、常に何かを探して彷徨っていたような無軌道とも思えるような軌跡が描かれている。

このアルバムの中にも様々な季節のシークエンスが幾度となく出てくる。 A面の "Axis" という自作の大曲もピアノの弦を弾くノイズから始まるけれど、
次に現れるのは2コーラスのブルース・ラインで、その後はフォーク調の断片も混ぜながらの現代的なインプロヴィゼーションになっていく。
様々な心象風景のようなものが現れては消えて、を繰り返しながら、やがて曲はクローズする。

B面はガーシュインの "(I Loves You,)Porgy" で始まるけれど、こちらも時々ブルースやフォークタッチなフレーズを持ち出しながら瞑想の森に入っていく。
まるで、後でちゃんと帰って来れるよう、目印の白い小石を道端に置いていくかのように。 

バップ系としてスタートしながらもフリーへ行ったり、電化へ行ったり、耽美系へ戻ったり、モンク風だったり、と振れ幅の大きい作風の中で、彼自身の
ピアニズムはどこかに置いてきぼりのまま進んでしまっているような印象があった。 普通、楽器を演奏する人は誰もがその人だけの音色やスタイルを
持っていて、一聴すればすぐに誰の演奏かがわかるものだが、この人のピアノにはそういうものが希薄というか、聴いてすぐにこれはポール・ブレイだと
わかるようなところがなく、どうもピアニストとしての魅力に欠ける人だと思っていた。

でも、そういうあっちに行ったりこっちに行ったりしている最中に、ふと何気なく残されたこの静謐なピアノ・ソロは彼のピアノが寂し気でありながらも
凛として鳴っていて、心を持っていかれる。 初めて彼のピアノをまともに聴いた、という気持ちにさせられた。


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トロンボーンの神様

2018年06月19日 | Jazz LP

Bill Watrous / Coronary Trombossa!  ( 米 Famous Door HL 136 )


DUの試聴機の前で思わずのけ反ってしまった。 これは一体何なんだ、こんなになめらかでしなやかなトローンボーンは今まで聴いたことがない。 
凄いアルバムを聴いてしまった、と頭がクラクラしながら帰る道すがら調べてみると、これがその筋では有名な人だということがわかった。
知らないのは私だけ、といういつものパターンである。

軽音楽部でトロンボーンを吹いている若者たちには概して3人の神様がいるそうで、それはJ.J.ジョンソン、カール・フォンタナ、そしてこのビル・ワトラス
ということで相場は決まっているらしい。 知らなかった。 

数々のビッグ・バンドで活躍するという常道を歩んでいるために、私のようなレコードで音楽を聴くのがメインの人種にはその名前はなじみがない。 
なんと晩年のアート・ペッパーと2管アルバムも出しているそうだが、復帰後のペッパーを嫌うレコードマニアの世界ではこの手の話は語られることがない。
これも初耳だったが、いずれは聴いてみたいと思う。 

ワンホーンで、半分の曲がフェンダー・ローズで、ボサノヴァ・タッチの曲もあるという泣かせる内容だが、何にも増してワトラスの伸びやかで音の継ぎ目のない
トロンボーンが最高の出来だ。 J.J.はドラマチックなフレーズで聴かせるが、この人の場合はブレが一切ない完璧な音程感にヤラれてしまう。
B-2の超絶技巧はどうだ。 こんなトロンボーン、聴いたことがない。

そして、出色は2曲のバラード。 最後の "Goodbye" はこの楽器で演奏されたバラードの最高峰ではないだろうか。 ローズの音色も切ない。

トロンボーンの世界は語られることの少ない、まだまだ未知なる領域の感がある。 でも、この人について行けば大丈夫かもしれない。


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エリントンとストレイホーン

2018年06月17日 | Jazz LP (Riverside)

Duke Ellington, Billy Strayhorn / Great Times! Piano Duets  ( 米 Riverside RM475 )


これはもちろんオリン・キープニューズが録ったわけではなく、1950年にマーサ・エリントンとレナード・フェザーが録音して、Mercer Records から10インチとして
発売されたものに、オスカー・ペティフォードとジョー・ジョーンズが加わった別セッション分を加えて、フル・スケールで発売された。 

キープニューズはマーサと復刻プロジェクトを始めたが、マスターテープを保管していたAPEXスタジオが火事で焼け、マザー・メタルが一部しか残っていなかった為、
2人はエリントン・コレクター達のところへ行き、サーフェス・ノイズの出ない10インチのレコードを探して借りてこなければいけなかった。 だから、このレコードは
マザー・メタルと板興しの混在で作られている。

当時パーティーの席で興が乗ったエリントンがストレイホーンと一緒に1台のピアノの前に座っていろんな曲を弾いて、その場にいた人たちを楽しませていたのを
見ていたレナード・フェザーがこの録音を思い付いたそうだが、確かにそういう余興的な高揚感に満ちた演奏になっていて、人々が笑いながら聴いていた
その頃のパーティー会場の光景が目に浮かんでくる。 愉しむために音楽をやっているんだ、ということが痛いほど伝わってくる。

エリントンがテーマを弾き、ストレイホーンがリフで下支えしていたかと思えば、今度はゴツゴツとしたブロック・コードをエリントンが叩き、ストレイホーンが
なめらかな旋律を紡ぐ、といった具合に入れ替わり立ち替わりながら音楽は進んで行く。 録音当時からどちらがエリントンでどちらがストレイホーンかが
話題になっていたそうだが、簡単にわかる箇所もあれば見失う箇所もあって、全てをトレースするのは難しい。 それでも、そういうことを考えながら聴くのは楽しい。
そう、これは楽しいことしかないレコードなのだ。 


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実力が発揮された1枚

2018年06月16日 | jazz LP (Metro Jazz)

Pete Jolly / Impossible  ( 米 Metro Jazz E1014 )


若い頃はピート・ジョリーとジミー・ロウルズの区別がつかなくて、あれ、どっちがどっちだっけ? ということがしばしばあった。 どちらも有名な代表作や
誰もが認める名盤がなく、音楽を聴くというよりはレコードを買うことしか眼中になかった当時の私にはこういう演奏家をまともに認知することはできなかった
のだろうと思う。 

一般的には軽い演奏をする人というイメージだけで話は終わっているだろうけど、これを聴けば案外そうでもないということがわかるはずで、しっかりと
ピアニスティックに弾いている。 フレーズの作り方も個性的で、手垢の付いたスタンダードも一捻りすることで退屈さから上手く逃れている。
弾き流しているようなところもなく、かなり力の入ったレコーディングとして臨んだようだ。

メキシコ・シティで歩行中に自動車事故に巻き込まれて42歳の若さで亡くなったベーシストのラルフ・ペーニャとのデュオという形式で、風通しが良く、
すっきりとまとまったサウンドもとても好ましい。 ベースの音もきれいに録れていて、2つの楽器の絡み合いの上手さがしっかりと聴ける。

BGM的に軽く聴き流すようなタイプの音楽ではなく、オーディオセットの前できちんと正対して聴くのが相応しい、本格的なピアノ・デュオだ。
この人のカタログ・ラインナップを見るとオーセンティックなジャズ専門レーベルへの録音がなく、その実力からすると本人もそういう状況にあまり満足して
いなかったのではないかと想像してしまう。 ここらで起死回生の一発を、という想いがあったのかもしれない。 そのくらい、丁寧に作られている。

しかし運の悪いことに、メトロ・ジャズというレーベル自体があまりに地味で、人々の目に留まることも叶わなかったようだ。 どこまでもツイてない。
何だか地味な存在でいることを義務付けられたかのようだ。 でも、それでもピート・ジョリーを知ろうと思うなら、これから聴くといい。
この人の素の姿が捉えられていると思う。


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静かな子守歌のように

2018年06月10日 | Jazz LP (RCA)

Barbara Carroll / We Just Could't Say Goodbye...  ( 米 RCA Victor LPM-1296 )


聴けば聴くほど好きになっていくバーバラ・キャロル。 やはりこの人の弾くピアノは他の人が弾くピアノとはちょっと違う。 聴くたびに心地好い衝撃を受けるので、
今一番買えると嬉しいアーティストの1人だけど、彼女のレコードは安レコでしか買わないという厳格なルールを自分に課しているので、これが案外難航している。
金を出せば簡単に集まるけれど、それでは何も面白くない。 

全編がおだやかでゆっくりとした子守歌のような演奏で、上品で洗練されている。 ピアノの音数は抑えられていて、決して弾き過ぎることがない。
でも、その演奏はイージーリスニング的ではなく、イマジネーションに富んでいる。 端正で、まっすぐな音で、適切な打鍵の強さで、ここはこう弾くべき、
というタイミングを絶対に外さない完璧なタイム感。 誰かに似ているとか、誰の影響を受けているとか、そういう話を彼女のピアノは拒絶する。

魅力的とは言えないジャケット・デザイン、レーベルが押し付ける陳腐なイメージ戦略、そういうものでどれだけの数のリスナーを失っていることか。
このアルバムだって、お世辞にも買う気をそそる意匠だとはとても言えない。 でも、私はそのピアノの魅力に気付いてしまった。
ということで、彼女のアルバム探しの日々はこれからも続く。

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ギル・エヴァンス色に染まる

2018年06月09日 | Jazz LP (Impuise!)

Gil Evans Orchestra / Into The Hot  ( 米 Impulse A-9 )


隣接する時期のセシル・テイラーの録音と言えば、これもそうだ。 ギル・エヴァンスの強い推薦でインパルスにも録音する機会を得たが、さすがにテイラーだけで
1枚を作る許可は下りなかったようで、ジョン・キャリシの曲を取り上げたセッションとの折衷となっている。

ジミー・ライオンズとアーチー・シュエップの2管を加えたクインテットでの演奏だが、冒頭のテーマ部にあたる箇所にギル・エヴァンスのペンの痕跡がある。
そういう箇所はさほど長くはないが、それでも明らかにギルの暗示がかかっていて、これが重要なアクセントになっている。 たった数小節のことであっても、
それが楽曲の印象を決定付ける。

ここでのテイラーは比較的おとなしい。 まだ爆発するような演奏は見られず、あくまでピアニスティックに弾いている。 そこには上質な気品すら漂う。
ライオンズの美音は素晴らしく、フレーズもおとなしめ、シェップもまだまだ控えめに吹いており、全体的に音楽としての剛性感は高く、纏まりもいい。

ギル・エヴァンスはテイラーのことを優れたピアニストであり作曲家だと思うと言っていて、私にはその意味がよくわかる。 この頃の彼の音楽には楽曲にX線を
照射すると骨格が透けて見えるんじゃないかという感じが確かにある。 ギル・エヴァンスの色に染まったテイラーの音楽は、どこか幸せそうに見える。

残り半分はジョン・キャリシの楽曲を多管アンサンブルが演奏するが、これも素晴らしい出来だ。 キャリシは "Israel" の作曲者として有名だが、ここでも
第三世界の豊潤なイメージを持った楽曲を提供している。 トランペッターとしてクロード・ソーンヒル楽団にいた頃にギルと知り合い、その後は彼のオケの
常設メンバーとして地味に活動している。

どの楽曲もがギル・エヴァンス色に濃厚に染まっていて、それが楽曲のコンセプトと見事に溶け合っている。 フィル・ウッズら管楽器のメンバーもそれを
しっかりと踏まえた演奏に奉仕しており、誰にも似ていない唯一無二の孤高の音楽を刻んでいる。 

まったく違う内容を持った2つのメンバー構成が交互に織りなすギル・エヴァンスの世界に陶酔させられるアルバムとして、これは忘れ難い1枚になっている。
ヴァン・ゲルダーの録音も深みのある空間表現が際立っていて、音楽の素晴らしさをより引き立てている。 すべてにおいて、非の打ち所がない。


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トム・ウィルソンの自負と苦心 ~その2~

2018年06月03日 | Jazz LP (United Artists)

Cecil Talor / Hard Driving Jazz  ( 米 United Artists UAL 4014 )


セシル・テイラーをもっと多くの人に訴求するためにトム・ウィルソンが最初に考えたのは、有名人気アーテイストの力を借りようということだった。
ジョン・コルトレーン、ケニー・ドーハムというシーンの中心にいた2人を連れてきて、"The Cecil Taylor Quintet" としてアルバムが制作された。
尚、コルトレーンは契約関係に配慮して、"blue train" という変名で表記されている。 これじゃ、聴く前からバレバレだけど。

2人のソロ演奏の背後でテイラーがコードを使ってバッキングを取る、という驚きの演奏が聴ける。 こんなセシル・テイラーが聴けるのはこのアルバムくらい
なのではないだろうか。 自身のソロ・スペースでは精一杯破壊されたコードをまき散らすけれど、演奏できる小節数が短く、本来の持ち味は出し切れない。

コルトレーンはプレスティッジからアトランティックへ移籍しようとしていた時期で、そのプレイは自信に満ち溢れて力強く、1年後の "Giant Steps" を
予感させる雰囲気がある。 演奏自体はオーソドックスなスタイルだが既に独特のムードを発散し始めていて、それがこの特異なセッションの方向性に
一応はマッチしている。

問題はドーハムで、彼だけが相変わらずの何の進歩もないバップ・トランペットを吹いている。 ウィルソンからは普段通りに演ってくれていいという指示が
あったのかもしれないけれど、それにしてももう少し何かしらの工夫があってもよかったんじゃないかと思う。 この人の音楽家としての力量の無さが
悪い形でモロに出てしまっている。

スタンダードが2曲、チャック・イスラエルが書いたパーカーの "Ah-Leu-Cha" に似たオリジナル曲、ドーハムが書いたオリジナル・ブルース、という構成で、
主流派の器の中でテイラーがどう演奏するかが試された作品だが、テイラーはその枠組みを壊そうとはせず、あくまでも法定速度を守った巡行に徹している。

正統派の管楽器とコードレスなピアノ、という対比の構図はチャーリー・ラウズがいたモンク・カルテットのそれと似ている。 その類似は形だけに留まらず、
サウンドの妙なる響きにまで及んでいるけど、常設グループとしての溶け合ったモンク・グループの音楽とは違い、この刹那的なスタジオ・セッションには
そういう纏まりはあるはずもない。 本来必要な時間的な積み重ねを無視した演奏は当然ながら中途半端な結果に終わる訳だが、それでもウィルソンは
プロデューサーとしてこのセッションが必要だと思ったのだろうし、セシル・テイラー自身も逆らうことなくそれに従っている。 この2人の間にはそういう
信頼関係があったのだろうということが偲ばれる。 だから、これを単にちぐはくな失敗作として切り捨てる既設の多くの観賞態度には感心できない。

ひとつ気になるのは、このモノラル・プレスの音場感の悪さ。 このアルバムは同じタイミングでステレオ・プレスが "Stereo Drive" というタイトルで
併行発売されていて、もしかしたらそちらの方が音はいいのかもしれない。 ちょっと興味があるので、ぼちぼちと探したいと思う。

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トム・ウィルソンの自負と苦心

2018年06月02日 | Jazz LP (United Artists)

Cecil Taylor Trio and Quintet / Love For Sale  ( 米 United Artists UAL 4046 )


トランジション・レーベルを興したトム・ウィルソンはレーベル倒産後に一時期ユナイテッド・アーティスツ・レーベルに身を寄せたが、その時にセシル・テイラーの
レコードを2枚作っている。 自らの手でトランジションから公式デビューさせてその才能を世に問うた、彼自身思い入れのあるアーティストだ。 
ウィルソンがUAにいた時期は短かったが、その際に最も力を入れたのがテイラーのレコード制作だった。 そして、そこには何とかしてテイラーの才能を
世間に広く認知させようとした、プロデューサーとしての自負と苦心の跡が見て取れる。

ピアノトリオで演奏したコール・ポーターが書いた3つのスタンダードが収録されているが、この3曲には普通の意味でのスタンダード演奏の要素は皆無で、
一般的には何の曲を演奏しているのかはわからないだろう。 "Get Out of Town" には主題メロディーは一切出てこないし、"I Love Paris" は主題の
ワンフレーズの1/4程度、"Love For Sale" では1/2程度が辛うじて出てくるだけだ。 アルバムタイトルに "Love For Sale" が使われたのは、
おそらくこれだけが辛うじて何の曲を演っているのかがわかるからだろう。

ネイドリンガーのベースとコリンズのドラムが作る一定のリズムの上を、テイラーのピアノが流れていく。 誰も聴いたことがないであろう未知のフレーズが
きらきらと粒立ちのいい輝きを放ちながら鍵盤の上を舞い、零れ落ちていく。 何を弾いているのかはわからなくても、上手く弾けているのかがわからなくても、
そこには言葉を失いながらも聴き入ってしまう何かが宿っているのはよくわかる。 

どうせならB面もピアノトリオで演ってくれたらよかったのにと思いながらビル・バロンとテッド・カーソンの2管入りを聴くと、これはこれで良くて、
バロンとカーソンのオーソドックでノーマルでマイナー感漂う演奏が不思議とテイラーとの親和性の高さを見せる。 彼らのやや覚束ない演奏が音楽を
鈍く中和しているようなところがある。 ジミー・ライオンズのうるさく尖った演奏が苦手な人でも、これならずっと聴きやすいのではないだろうか。

レコーディングの機会にあまり恵まれなかった時期のとても貴重な記録として、現代の我々にとっては値千金のアルバムと言っていい。 
トム・ウィルソンはやはり優れたプロデューサーだったのだと思う。 

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