廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

慎ましいベース

2023年10月29日 | Jazz LP(Vee Jay)

Leroy Vinnegar / Jazz's Great "Walker"  ( 米 Vee Jay Records VJLPS 2502 )


「ベースの音が凄い」と騒がれたり、「ベースのプレイが凄い」と言われるレコードはよくあるが、このアルバムが取り上げられることはない。
"サキ・コロ" での演奏が褒められたり、コンテンポラリーのリーダー作が有難がられはするけれど、このアルバムが褒められることはない。
これはリロイ・ヴィネガーのそういう気の毒なアルバム。

オーソドックスなピアノ・トリオだが、ピアノはマイク・メルヴォイン、ドラムはビル・グッドウィンという無名な面々というのがおそらくは
その原因ではないかと思われる。演奏のありのままを何の先入観もなく享受するというのはなかなか難しいことだから、仕方ないのかもしれない。

無名のピアニストとドラムながらも演奏は非常にしっかりとしていて、ピアノ・トリオの音楽として上質な出来で、これが意外な拾い物だ。
曲想を生かした演奏が素晴らしく、メロディアスな楽曲はしっとりと聴かせるし、"You'd Be" なんかは名演と言っていい。単なる添え物としての
ピアノではなく、ピアノ・トリオの一級品としての顔を持っている。

当然ながらヴィネガーのリーダー作だから彼のベースがよくわかるような建付けになっているが、不自然にベースの音を強調させるような
作為はされておらず、あくまでも自然に彼のベース・ラインが浮き彫りになるような演奏とサウンドで仕上げられているところがよい。
ヴィネガーと言えば "ウォーキング・ベース" の第一人者というのが一般的な定説だが、それはここでも聴かれるようなイン・テンポで音楽を
グイッと前へと駆動する力があるからだろう。これ見よがしなソロをとって音楽の自然な流れを損なうようなことは好まなかった。
そういうところが素敵な人だったと思う。


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分水嶺となったアルバム

2023年09月16日 | Jazz LP(Vee Jay)

Wynton Kelly / Kelly Great  ( 米 Vee Jay Records LP 1016 )


昔からウィントン・ケリーの代表作の中の1枚に挙げられてきたが、その言い分には違和感を感じざるを得ない。どちらかというと、彼の限界を
露呈したアルバムだろうと思う。

レッド・ガーランドの正当な後継者としてマイルスのバンドに迎えられたが、タイミングとしては遅過ぎた。マイルスの音楽の発展の過程上、
ケリーではそれを支えることが困難だったことは明らかで、それは当時のアルバムを聴けば明白だ。"Kind Of Blue" から "My funny Valentine" ~
"Four & More" までの間の数年間はマイルスの音楽は1歩後退した時期で、結局それはハンク・モブレーやウィントン・ケリーというマイルスの
音楽を次の時代へとドライヴすることが出来なかったメンバーしかいなかったことに原因がある。この時期に録音された "王子様" は素晴らしい
演奏であることは間違いないけれど、マイルスの音楽の軌跡からみれば停滞した内容で、当時のメンバーではあれが精一杯だった。

同じことがこのアルバムにも言える。ここでの音楽上のリーダーはショーターだが、ショーターの新しさとケリーの感覚はまったく嚙み合って
いない。冒頭の "Wrinkles" はケリーのオリジナル曲だが、このベタなブルース感がアルバムの中では激しく浮いている。全体の雰囲気の中では
明らかにミスマッチで別の楽曲に差し替えるべきだったと思うけど、一応はケリーのリーダー作だからそういう訳にもいかなかったのだろう。
そして、その前時代感をショーターが別の色に上書きする。彼の演奏がケリーの個性を別のものへと書き換えるのだ。

このアルバムのショーターは凄まじく、彼の当時のリーダー作を上回る存在感で音楽を制圧する。そしてそれを煽っているリー・モーガンも
ベスト・プレイで応える。モーガンも新しい音楽が出来た人だったので、この2人の組み合わせは間違いない。更にそこにフィリー・ジョーが
制約から解かれたキレッキレのドラミングで支えるからバンドとしての音楽の高揚感は圧巻で、ウィントン・ケリーの軸からという視点から
離れて見れば、このアルバムは傑作中の傑作という評価が相応しい。そして、アルバムの最後は如何にもショーターが書きそうな憂いに満ちた
バラードで幕は下りる。

ウィントン・ケリーは、この後はこのフォーマットではアルバムを作らなかった。自身の武器であるスイング感を生かしたピアノトリオを軸に
マイ・ペースで活動していく。このアルバムを聴くたびに、おそらくはそういう道へと進むことを決めさせたのがこのアルバムだったのでは
ないかと思ってしまうのだ。


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フランク・ストロージャーがいたユニット

2023年04月16日 | Jazz LP(Vee Jay)

Walter Perkins' MJT + Ⅲ ( 米 Vee Jay VJLP - 1013 )


ウォルター・パーキンスと言えば、まずはアーマッド・ジャマル・トリオを思い出すことになるけど、あまり知られていないながらも
この "MJT+Ⅲ" というレギュラー・グループを一時期率いていた。ベースのボブ・クランショウと彼が双頭リーダーとなり、ハロルド・メイバーンの
ピアノ、フランク・ストロージャーのアルト、ウィリー・トーマスのトランペットという2管編成で上質なハードバップを演奏した。

アルバムは4枚残していて、最初のアルバムはメンバーが違っていて演奏が地味だが、2枚目となるこのアルバムからはメンバーが固定されて
管楽器演奏のレベルが格段に跳ね上がる。演奏がしっかりとしていてどれも聴き応えがあるが、音楽的にはこのアルバムが一番出来がいい。

フランク・ストロージャーはリーダー作を作る機会にあまり恵まれなかったせいで過小評価されているが、抜群に上手いアルト奏者で定番の
ビッグ・ネームたちと比べても何も遜色がない人。このグループの演奏でも中核的存在を担っていて、彼の演奏を聴くにはうってつけの内容だ。

コロンビア時代のセロニアス・モンクやキース・ジャレットのスタンダーズのように、アルバムをたくさん残してもマンネリだとか金太郎飴だとか
言われたりすることもあるけれど、それでも音楽家はできるだけたくさんアルバムを残すべきだと思う。アーティストというのは、結局のところ、
作品を通じてでしかその実像を知りようがないからだ。それが満足できるものであっても、そうでなくても、作品があって初めて話がスタートする
のであって、それがなければどうにもならない。

そういう意味ではこのMJT+Ⅲのアルバムはストロージャーを聴くためのものと言っていいけれど、他では聴けないウィリー・トーマスという
なかなかしっかりとした演奏を聴かせるトランペッターを知ることができるという点でもありがたいものだ。ストロージャー同様、楽器がよく
なっており、フレーズもしっかりとしていて、バンド・サウンドを強固なものするのに大きく貢献している。彼らの演奏を聴いていると、どことなく
アート・ファーマーとジジ・グライスのユニットの演奏を思い出す。音楽の傾向は少し似ている。

アルトとトランペットの2管編成というのはパーカー&ガレスピーを起源にして脈々と流れる系譜の1つであるけど、このグループの演奏も
その中にしっかりと足跡を残しているといっていい。このアルバムも名盤の風格はないかもしれないけど、聴けば印象に残るいい出来である。



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R.I.P Wayne Shorter

2023年03月04日 | Jazz LP(Vee Jay)

Wayne Shorter / Wayning Moments  ( 米 Vee Jay VJLP 3029 )


想えば若い頃から既に巨匠の雰囲気が漂う不思議な人だった。外見の風貌にもそんなところがあったが、何より彼が演奏に参加した途端、
音楽からはそれまで聴き慣れたものとはどこか違うムードが漂った。演奏そのものは革新的だったというわけではなく、どちらと言えば
オーソドックスなプレイの側に立脚していたけれど、操る言語はそれまでのテナー奏者とは明らかに違っていたし、演奏から発せられる
匂いのようなものが独特で、それがその音楽を今まで見たことが無いような色彩に染めてしまうようなところがあった。

だから、ウェイン・ショーターの魅力とは何か、を語るのは難しい。そして、その難しいという点にこそ彼の魅力の核心があったように思う。
簡単に言葉で説明できる特徴ではなく、その「妖しさ」のような抽象性に惹かれるのだ。

そういう妖しいムードはマイルスの下ではっきりと開花するわけだけど、それ以前の演奏でも既に十分過ぎるほど染み出ていて、
アート・ブレイキーだろうが、ウィントン・ケリーだろうが、そのリーダーのそれまでの音楽をひっくり返してしまうような内容にしてしまう。
ただ、そういうムードも「何となく」という適当さではなく、若い頃に受けた音楽教育が基礎部分に硬い岩盤のように横たわっており、
音楽そのものを堅牢なものにしている。理論的な抽象性というか、冷酷に徹底された妖しさのようなものに貫かれているのが見て取れる。
だから彼はフリーやアヴァンギャルドに走る必要がなかったし、常にシーンの中央にいることができたのだろうと思う。時点時点で常に
何をすればいいのかがわかっていたような全能感があったような印象があり、そういうところも不思議だった。

彼のアルバムは近年のものも含めて基本的にはどれも好きだが、その中でも1番好きなのはこの若い頃のレコードだ。フレディ・ハバードとの
2管編成で、エディ・ヒギンズら格下とも思えるバックとの釣り合いが悪いのではと思いきや、これが何とも新緑の芽吹きを想わせるような
新鮮でみずみずしい演奏になっていて、聴くたびに深い感銘を受ける。

難解さは皆無のわかりやすい音楽で、ちょうどコルトレーンのプレスティッジ時代に相当するような作品だ。ただその音楽は既に完成度が
非常に高く、ほんのりと漂う妖しさがそれまでのハードバップとは一線を画す見事なアルバムとなっている。テナーのプレイはコルトレーンの
影響をまだ色濃く感じるところがあるが、音色は大きくなめらかで素晴らしい。彼の普通のジャズアルバムとしてはこれが完成形だった。

20年ほど前に来日して野外のスタジアムで演奏した彼を見たが、大きな身体で音数少なく慎重に選びながら吹くその演奏はマイルスの吹き方に
よく似ていた。やはり、彼はマイルス・チルドレンなんだなあと思ったことを憶えている。

R.I.P ウェイン・ショーター。これからもあなたの音楽を聴き続ける。



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