廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

2015年を振り返る

2015年12月30日 | Jazz雑記
2015年は自分にとってどういう年だったか。 それは、これまでで一番フリーを聴いて、更にECMというレーベルを再発見した、そういう年でした。
興味の対象がそれらに集中したので主流派ジャズの名盤には全く手が回りませんでしたが、それでもそれまで知らなかった自分にとっての新しい音楽に
たっぷり出会えたという意味では充実した音楽鑑賞生活だったと思います。 1年間そういう境遇に居させてもらえた、ということに感謝したいです。






先週末に新宿ジャズ館で行われたフリー特集の残滓の中から、セシル・テイラー先生のFMPを大人買い。 夏の特集には出遅れて手に入れられなかったし、
また半年先まで繰り越すのは嫌だったので、思い切って売れ残っていたものを全部拾いました。 ボーナス月だからできる荒業です。

セシル・テイラーの音楽についての日本のジャーナリズムの対応は非常にいい加減で、特に80年代以降の録音や活動についてはほぼ無視されている。
その代わりに個人のブログやHPに優れたサイトがいくつかあるので、それらを参考にしながら自分なりにボチボチと聴いていこうと思っています。
私の感覚では、セシル・テイラーの音楽は時間が経つにつれて良くなっていっています。 だから、後半の音楽を聴かないという手はないのです。





12月の賑やかな廃盤セールの陰でこっそりと新品が少量再入荷されていたのを見逃さずに、しっかりと確保。 廃盤CDセールに出れば高値過ぎてとても
手が出せず、ただ指を咥えて眺めているしかなかったので、これは嬉しかった。

30数年のジャズマニア生活の中で、1番克服するのに時間がかかった最難関の1人が、このデレク・ベイリー。 今は取り敢えず普通に聴いていますが、
これまでの経緯から愛憎入り混じるところが今でもあります。 こんなの簡単じゃん、最高だよ、なんて嘘八百を並べてイキるつもりは全くありません。
本当にちゃんと聴けているのかどうか今でも迷いがありますが、そういう混乱も含めてブログの中でも触れていこうと思います。



一方、ECMはレコードの音の凄さに打ちのめされて買い進めた結果、現時点で35枚が手許にあります。 これも色々と奥が深い世界でなかなか面白い。
まだ待ち行列ができている状態ですが、既に処分したものも何枚かあるので総括としてはそちらの記録を残しておきます。 好きな方には大変申し訳ない
のですが、当然、悪口大会です。




・GaryPeacock / Tales Of Another
  スタンダーズの前身としての録音なので期待しましたが、3人の筋トレを観ているようで、ここから音楽は聴こえてこなかった。
  スタンダーズのイメージが邪魔していたのは間違いないのであまりフェアーとは言えませんが、それを払拭する輝きは感じられなかった。

・Dave Holland, Barre Phillips / Music For Two Basses
  とにかく、楽器が全く鳴っていない。 そういう音楽なのだ、と言われればそれまでですが、それがどんなジャンルであれ、楽器がきちんと鳴って
  いないのは個人的には我慢できません。 デイヴ・ホランドというマエストロにこんな演奏させるのは酷いです。 正直に言って、これは聴く価値は
  ないと思いました。

・Gary Burton, Steve Swallow / Hotel Hello
  傑作 "Matchbook" とセット販売されたので期待しましたが、ゲイリー・バートンの悪い側面が出てしまったという印象でした。 私はこの人の
  フラワーチルドレン的ロック魂がとても苦手なので、これはたぶん個人的な嗜好の問題だと思います。

・Richard Beirach / Hubris
  以前も書きましたが、ただ綺麗なだけで、何度聴いても音楽的な感動はやってこなかった。




・Ralph Towner / Blue Sun
  シンセサイザーなど全ての楽器を1人でこなした力作ですが、それが悪い方に出てしまったのでは? と思いました。 音楽の魅力の重要な要素に
  「複数の個性を持った人が集まることで生まれる多様性の良さ」があると思いますが、ここには当然それがなく、全体がモノトーンで単調です。 
  好きなアーティストなのでえこひいきしたいところですが、全部聴き通すのはちょっと辛かった。

・Ralph Towner, Gary Burton / Slide Show
  "Matchbook" の再来なるか、と当然期待しますが、明らかに集中力やテンションが落ちていて、いいとこなし。 ものすごく残念です。

・Pat Metheny Group
  今の私にはちょっと甘くポップ過ぎて・・・ もっと若い時に聴いとくんだった、そういう意味で失敗でした。 音楽は非常によく出来ていると思います。

・Pat Metheny / Rejoicing
  C.ヘイデン、B.ヒギンズとの鉄壁ギタートリオで、オーネットの曲を複数やっているのでとても期待しましたが、B面のギターシンセの爆音にゲンナリ。
  A面はいい演奏なだけに、こういうパッケージングの仕方がまったく理解できない。 アバンギャルドがやりたいのであれば、それだけに徹した
  我儘作品を作ったら? と思うのですが、それじゃ売れないから、ということだったのかもしれません。





昨日の仕事納めの帰りに「まだ売れ残っているかも」と思い、途中下車してDU下北沢店へ行くと、ちゃんと売れ残っていました。 これは夏のセールで
出ていたものですが、内容が内容だし値段も高いということで、ずっと売れ残っていたのです。 私の知る限りではECMの中古レコードの中では2番目に
高額なものです。 背文字ありのジャケットもあるので何度か版は重ねられているのだとは思いますが、初版はなぜか高値が付きます。 年末のカウント
ダウンセールの対象で40%オフということで、ようやくこれで4桁台になります。 飽きっぽい性分なので、いつかフリーもECMも飽きて聴かなくなる日が
来ると思いますが、ちょうどこの2つの要素を併せ持つこのアルバムを買うのは今しかない、ということで持って帰りました。 まるで今年1年を象徴する
かのような、最後の1枚になりました。


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うまくCD化されないキューンの傑作

2015年12月27日 | ECM

Stev Kuhn, Sheila Jordan / Playground  ( 西独 ECM 1159 )


これを聴いた時は衝撃でした。 そして、これがスティーヴ・キューンの最高傑作だということがすぐにわかった。
そういうのは、理屈抜きに、直感的にわかるものです。

スティーヴ・キューンのトリオにシーラ・ジョーダンが加わったカルテットのスタジオ録音。 非常に雄大でドラマチックな音楽で、全体が大きくうねるように
展開される素晴らしい内容です。 シーラのヴォーカルは目立つことなく、歌を歌っているというよりも大きな曲想を邪魔せずその一部として組み込まれた
感じで、楽器群の中に上手く溶け込んでいます。 そうやって、4人の音楽が一体となってより大きなものになっていく様子が克明に記録されている。

楽曲の根底にはアメリカのフォークソングが見え隠れしますが、それがモードジャズの雰囲気でうまく蒸留されていて、極上のムードが溢れ出ています。
ECMのこれまでの作品は無理に小難しくヨーロピアンに仕立てたようなところがありましたが、この作品はアメリカの音楽に回帰したところがよかった
んじゃないでしょうか。 ニューヨークのコロンビアスタジオでの録音ですが、きちんとECMサウンドとしてミキシングされているので音質は見事で、
流れ出る空気はひんやりとした冷たく、曲想を最大限に活かすような大きく拡がる音場感が非常に心地よい。

有無を言わさないような力がある傑作です。 知名度がないのが本当にもったいない。




Steve Kuhn / Last Years Waltz  ( 西独 ECM 1213 )


プレイグラウンドと同じメンバーで同じコンセプトによる、ファット・チューズデイでのライヴ録音。 先のアルバムとは曲目はまったく違っているし、
ライヴらしくスタンダードもやっているにも関わらず、前作と共通する雰囲気があるのが驚きです。 普通のジャズのライヴアルバムとは明らかに一線を
画した不思議なムードがあります。

当然シーラ・ジョーダンはよりのびのびと歌ってはいますが、それでも音楽全体をきちんと意識しており、雰囲気をぶち壊すようなこともせず、賢い人だなと
思います。 ボブ・モーゼスのブラシも気持ちよく鳴っており、歯切れよく小気味良いリズムとリリカルなピアノが上手く同居する見事な演奏です。
年季の入った愛好家にも褒める人が多い、こちらも傑作です。


ところが、こんなに素晴らしい2作品なのに、CD化がされていません。 正確に言うと、プレイグラウンドは少し前に別の作品とセットになって3枚組の
セット物としてCD化されましたが、他の2作品があまり好きではない私にとっては余計な付属のついたものなんか買いたくない。 独立した形でリリース
して欲しいし、どうせセットにするならこのライヴとのセットが正しいはずなのに、どうもCDに関してECMのやることはよくわかりません。

iPodに入れて通勤の際にも聴きたいと思っているのですが、ラスト・イヤーズ・ワルツのほうはアイヒャー自身がプロデュースしていないので、もしかしたら
今後もCD化はされないのかもしれません。 少しは日本のサラリーマンのことも考えて欲しい。


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30年振りに聴き直す

2015年12月26日 | Jazz LP (Prestige)

The Modern Jazz Quartet / Concorde  ( Prestige PRLP 7005 )


1年程前から、そろそろMJQをもう1度ちゃんと聴き直さなきゃいけないな、と折に触れて思うようになりました。 なぜかはよくわかりません。
急にそういう想いが頭をよぎるようになったものの、レコード屋に行くといつもそんなことは忘れてしまってなかなか実現する機会がなかったのですが、
ここのところの手がすべったもの買いの中で、懐かしいタイトルを見つけました。 でも、栄光のプレスティッジのナンバー5なのに4,000円というのは、
手がすべったというよりも、それだけもう人気が無いということなのかもしれません。

初めてこれを聴いたのは、20歳の時。 当時読んでいた「名盤百選」にこれと "Django" が載っていたからです。 でも、その時は「何だ、これ?」という
感じでした。 その頃私がジャズに求めていたのはもっと荒々しく激しいもので、そういうものとは真逆の音楽に呆れてしまった。 だから、1度聴いた
だけでレコードは処分して、それ以来まったく聴かなくなってしまいました。

でも、音楽と過ごす生活も大きく一巡して、ついでに年も取ると、若い頃はダメだったのに今はすんなりと聴けるようになってくるものが出てきます。
30年振りに改めて聴くと、よくできた音楽だったんだなということがわかります。 特にこのプレスティッジ時代は題材をジャズの曲に絞っている所が
良くて、意外にジャズっぽい雰囲気が強く残っています。 以前はそういうところには全然気が付かなかった。

50年代の前半に黒人がこういう音楽をやるには相当の勇気と覚悟が必要だったはずで、嫌な思いもたくさんしたでしょう。 にもかかわらず、20年以上
ブレることなくやり続けたのはすごいことだと思うし、その尖がった姿勢は後のフリー運動なんかを先取りしていたような気すらしてきます。 
誰かの真似ではない、自分だけの音楽をやるのだという強い意志がなければできないことです。 クラシックの室内楽的な、というようなところではなく、
フリージャズなんかと同じで、その生きざまのようなものを聴く音楽なんだろうなと思います。 

アトランティック・レーベルに残された "Last Concert" を聴くと、聴衆が叫び声をあげて熱狂的に拍手している様子が収められています。 以前は
理解できなかったその興奮も、今はよくわかる気がします。 私も後追いながら、たくさん残された作品をぼちぼちと聴いていこうと思います。


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久し振りに感銘を受けたピアノトリオ

2015年12月23日 | Jazz LP

Debbie Poryes / Trio  ( 蘭 Timeless SJP 203 )


聴き出したらこれが止まらなくなって、結局他のレコードはそっちのけで1日中こればかり聴くことになってしまいました。 それくらい、いいです。

この作品のことは何となく知ってはいたのですが、ジャケットのデザインの印象や近年の録音物であることから、私の苦手なキレイ系なんだろうと勝手に
思い込んでいてこれまでは積極的な興味が持てませんでした。しかし、先日のCD化でオランダのタイムレスの作品だということを知り、このレーベルなら
大丈夫かもしれない、とちょうど思い直していたところです。

本人の公式HPを見ると、ミュージシャンと教師の2足のわらじで忙しく充実した日々を送って来たようで、レコードやCDでしかその音楽を知ることしか
できない我々には、今週末(December 26, 2015)にオークランドでコンサートをやるという案内をただ羨ましい想いで読むことしかできないのが残念です。

このアルバムは欧州滞在中の1982年にオランダで録音された彼女の第一作。 愛らしいワルツ "Sweet Georgie Fame" で始まるのがうれしい。
ベースに主旋律をとらせてピアノはオブリガートにまわるという控えめな幕開きが象徴するように、非常にデリケートなピアノを弾く人です。
音数もあまり多くはとらず、気持ち物足りないかな、というところがもっと聴きたいというふうに繋がっていくようなところがあります。

古い歌物のスタンダードをやる場合はやはりその「歌」をどこまで魅力的に演奏して聴かせられるかが一番大事だと思いますが、ここで取り上げられた
数曲はどれも「歌」の部分を大事にした演奏で、そういう意味ではアメリカのピアノトリオの伝統的な長所がきちんと受け継がれていて、さらに上質な
スイング感もある。 だから一聴すると現代風の真新しい質感であっても、注意深く聴くと黄金期のジャズに通じる良さを感じることができるのです。

おまけに、残響豊かということではないのですが、音質がとてもよく、特にドラムの音の自然さにはちょっと驚きました。 演奏自体はピアノに負けない
くらい繊細なドラミングをしているのですが、何気ないシンバルの響きやスティックやブラシがドラムヘッドに触れる瞬間の音が本当に自然に録られていて、
目の前にドラムセットがあるような錯覚をおぼえるくらいです。 初めて聴くピアノトリオでこんなに感銘を受けたのは、本当に久し振りのことでした。


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手がすべったレコードやCDたち

2015年12月23日 | Jazz雑記
DUの年末恒例の廃盤セールもようやく峠を越えて一段落したようで、昨日・一昨日は店内も落ち着いた様子で、心なしか店員さんたちも燃え尽きた後の
気怠い虚脱感に覆われたような感じでした。 何はともあれ、お疲れさまでした。 残すは大晦日、あと少しですので頑張って下さい。

このセールのために秋に買取強化施策を打つので、セールの時にはブログに載る高額盤以外にもたくさんのレコードが出てきます。 そして、その中には
平常時よりもかなり安い値段が付けられた、「ちょっと手がすべった」レコードが混ざっています。 

高額なレコードの値付けばかりしているとベテランの店員さんだってさすがに金額の感覚は麻痺してくるだろうし、オリジナルなんだけど定番モノで稀少
ではないレコードなんかだとだんだん面倒臭くなってくるし、いい加減疲れているし、ということで「もうこれくらいでええわ」とかなりテキトーな値段に
してしまうんじゃないでしょうか。 あれだけ大量のレコードを期日までに商品化しなきゃいけないんだから、まあ当然です。

だから、私はこの「手がすべった」レコードに狙いを定めます。 次々と供給される大量の新着の中に、本当の掘り出し物がこの時期にはあるのです。
この2日間での成果はこんな感じでした。 




どちらも2,000円+消費税。 アル・ヘイグはUK SPOTLITEの初版。 この有名なレコードを実はこれまで聴いたことがなかったので、ちょうどよかった。
デビー・ポーリスは先日CD化されたのを見逃したらあっという間に品切れになっていて、こちらもちょうどよかった。 ピアノトリオの値ごろ感はあまり
よくわかっていませんが、たぶん平常時よりは安いんじゃないでしょうか。 

今、デビー・ポーリスを聴きながらこれを書いていますが、想像以上に素晴らしい演奏で、これはいい買い物だったと思います。




どちらも900円+消費税。 セシル・テイラー先生のFMPは全て廃盤なのでフリー特集のセールだとこの3倍になるし、そもそも全く見かけない。
これはかなり嬉しい。




3枚とも1,600円+消費税。 先日、コメント欄で他の作品もいいですよと教えて頂いて、うーん、そうなのか、と思っていたところでした。
バブル期の値段を知らないのでどのくらいの落差があるのかはよくわかりませんが、かなり安いはずです。 どれも状態は良好。




そして今回の白眉はこれで、2,000円+消費税。 盤もジャケットもニア・ミント。 平常時にこの値段になることは絶対にない。
ハービーの最高傑作がこんな値段で買えるとは思いませんでした。 きれいなのをずっと探していたので、これが1番うれしかった。
初版は各楽器の音がとても太く、音圧も高く、素晴らしい。


DUさんは、もしかしたら遊び心で、わざと手をすべらせてくれているのかもしれません。 そうなのだとしたら、その想い、しっかりと受け止めましたよ。


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知情の優れたバランス

2015年12月20日 | Jazz LP (Verve)

Junior Mance / Junior  ( Verve MG V-8319 )


このレコードを買った時に、面白い話を聞きました。 

あるコレクターが、このレコードのオリジナルはけしからん、と鼻息が荒い。 どういうこと? と尋ねると、レイ・ブラウンのベースの音が小さくて、
ブンブンと鳴らないのだ、と言う。 だからオリジナルを4回買い替えた、でも結局どれもブンブン鳴らない、その後いろいろ聴き比べた結果、国内盤の
初版のペラジャケのやつが一番ベースの音が大きくてよかった、と言う。 それって、単に音がぼやけてただけなんじゃないの? と聴きかえしてみたけど、
いや、あれはちゃんと鳴っていた、ということだった。

そう言われてみれば確かにブンブンとは鳴っていないかもしれないけれど、それでも十分にくっきりとした音で、バランス的には丁度いいんじゃないか、
と思います。 レイ・ブラウンと言えば歯切れのいいビッグトーンというイメージが強いので、そういうものを期待する気持ちはよくわかりますが、
あくまでもこのアルバムの主役はジュニア・マンスなんだから、これくらいのバランスにするのが常識的には正しいんじゃないでしょうか。 ヴァーヴは
もともと録音の良さで売っているレーベルではないですが、その中でもこのアルバムは珍しく音は良いほうだと思います。 少なくとも、うちの装置から
出てくるピアノとベースの音は4枚も買わなきゃいけないような感じではなく、とてもいい音です。

このレコードはA面がスタンダード・サイド、B面がブルース・サイドとなっていて、今まで見てきた限りではB面に傷が集中している盤が多かった。
それだけB面の出来がいいということで、例えば1曲目の "Small Fry" はレイのベースラインが見事で、先のような不満は別に感じません。 
全体的に非常に抑制が効いた知と情のバランスに優れた演奏になっていて、この時期に作られたピアノトリオものの中でも屈指の出来だと思います。

ただ、意地悪いことを言えば、この演奏はこの人の本来の資質からしたら少しお行儀が良すぎたのかもしれません。 現に、愛好家の間ではこの後に続く
作品ができなかったのはなんでかねえ、という話にいつもなります。 本人が聞くとムッとする話でしょうが、いい作品を残すというのはそれだけ難しい
ということなんだろうと思います。


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フランソワ・テュスクに関するお願い

2015年12月19日 | Free Jazz
先週書いたフランソワ・テュスクの記事を見たフランス人のフリージャズ研究家からコンタクトがありました。 テュスクの記事をツィッターでリツイート
して下さった方がいて、それを見たその研究家(以下、P氏)がこのサイトにやって来られて、日本語がわからないので筆者にアクセスできないと別の
日本のツイッター仲間の方に相談し、その方がこちらに連絡をして下さったという、一昔前なら考えられないような情報の伝達ルートです。
仲介して下さったお二方には深謝申し上げます。 ありがとうございました。

最初はフェイクかと思いましたが、メールの文面がフランス人には珍しい非常に丁寧な英文で内容も極めて礼儀正しく、これはガチだなということが
すぐにわかったので、私も真面目に対応することにしました。

P氏はフリージャズのことをいろいろ研究されているそうです。 ちょうど今はフランソワ・テュスクのことをメインに研究しているところで、その中で
アルバム "Intercommunal Music" はかつて日本でも1度プレスされたことがあるということを知り、日本のレコードには評論家が書いたライナーノーツが
ついているからその内容がぜひ知りたいとずっと探してきたが、これが非常にレアでまったく見つからなかった、あなたのそのレコードにはライナーノーツが
付いているか? という話でした。

もちろんついてますよ、と引きの写真をつけて返事を返したら、そう、これこれ、長い間探したよ、MASAHIKO YUH(悠 雅彦氏)が書いているのか、
でもこの写真だと全体的に字が潰れていてよくわからない、と言う。 うちにはスキャナーなんて気の利いたものはないから、ローテクだけどコピーを
とって郵送しようか? と返事を返した後、一応できるだけ読める大きさで写真を撮ってみるか、と順番にブロックごとに撮ってメールで送ってみたら、
フォトショップで上手くコラージュできたよ、とこんなのを送ってきました。





すごいね、まるで現代美術の作品みたいだ、と笑い合った後で、彼からこんな相談がありました。

"あなたの知り合いで古いスイング・ジャーナル誌をたくさん持っている人はいないだろうか? テュスクのこの "Intercommunal Music" や他のタイトルが
日本で発売された際にディスク・レビューが掲載されていたかもしれない、もしそれが載っていればぜひ読みたい。 更に、それ以外の他にテュスクの記事が
あればそれも読みたい。 また、アルバート・アイラーのことも研究していて、例えば、アイラーは1971年に日本にツアーに行く計画をしていたという噂が
あるんだけれど、それが本当だったのかどうかの答えを日本のジャーナリズムは持っていないだろうか?"

アイラーの来日計画のことなんて初めて聞いたし、そもそもスイング・ジャーナルのことなんてよく知ってるよな、と驚いてしまいます。
こういう感じで、なかなか本格的に研究しているようです。

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そこで、これを読んで下さっている皆さまにお願いがございます。 

60年代~70年代頃の古いスイング・ジャーナル誌やジャズ批評誌、他の音楽雑誌をお持ちの方で、その中にテュスクに関するディスク・レビューやその音楽に
関する評論、またアイラーの来日計画に関する記述などがあるものをお持ちであれば、コメント欄からご一報頂けないでしょうか?
例えば、"Intercommunal Music" は1973年にビクター音楽産業から発売されています。 彼の他のアルバムタイトルももしかしたら日本で過去に発売されて
いる可能性もあります。 P氏はテュスクのことをできるだけ多面的に研究したいそうで、フランスでは手に入れることが不可能な日本固有の様々な情報が
入手できるととてもありがたい、と言っています。 もちろん、雑誌以外の情報でも結構です。
何かお心当たりがあるようでしたら、ご一報いただけると嬉しいです。 よろしくお願い致します。

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今週のP氏との会話はここまでです。 彼は私が眠っている時間にメールを送って来て、翌朝私はコーヒーを呑みながらそれに返事を書いて、という感じの
のんびりしたやり取りなのです。 また何かありましたら、ご紹介させて頂きます。


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季節と音楽

2015年12月13日 | Jazz LP (Europe)

Jan Johansson / Jazz Pa Svenska  ( Megafon MFLP S4 )


今年の秋は気温の高い日が多くて、東京の街では木々が十分に紅葉することなく12月を迎えています。 本来、季節と音楽というのは密接な関係があって、
その季節に聴くのに相応しい音楽というのは必ずあると思うのですが、こうも日々の季節感が希薄になってくると、冬が来たらこれを聴こうと大切に
とっておいたレコードを取り出すことをうっかり忘れてしまいそうになります。 そうならないように、このレコードは12月に入ったら棚から出して、
レコードプレーヤーの傍に置いておくようにしました。

スウェーデンのピアニスト、ヤン・ヨハンソンがベース奏者とデュオでスウェーデンの古い民謡ばかりを取り上げたこのアルバムは、国や人種を超えて
懐かしさを感じる穏やかで優しいメロディーの曲ばかりが収録された傑作。 我々には馴染みのない曲ばかりですが、どの曲も "Dear Old Stockholm"
を想わせるような心の琴線に触れる旋律で、そういう曲をピアノとベースだけで、音数少なく、静かに、静かに、本当に静かに紡いでいきます。

ヤン・ヨハンソンのピアノには誰かの物真似ではない自身のオリジナリティーがあって、輪郭のはっきりした粒立ちのいいタッチと冷たく透き通った音が
際立った、なかなか聴かせるピアノです。 だからこういう楽曲をやるのにはうってつけだと思うし、自身のルーツにもなっているであろう母国の音楽を
とても繊細な形でジャズに取り込んだことが成功しています。 才能ある人による企画の勝利です。

寒い冬の早朝に聴いてもいいし、早く暮れる夕刻に聴いてもいい。 1日のうちのできるだけ静かな時間帯を選んで、そこで少しステレオの音量を上げて
聴くと、幸せな気持ちになります。 立体感のある録音も素晴らしく、部屋の中に豊かな音場感が大きく拡がっていきます。

スウェーデン本国では25万枚を超える異例のベストセラーを記録した有名なレコードです。 人口が1千万人弱の国で25万枚超と言うのは、日本で言えば
今年の芥川賞作品「火花」以上の大ヒットということになるわけで、当然ながらレコードは大量に存在するのでとても安く買うことができるし、ちゃんと
CDにもなっていて入手も容易です。



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フランスのフリージャズ

2015年12月12日 | Free Jazz

Francois Tusques / Intercommunal Music  ( 日 ビクター RCA-6097 )


最近ハマっているのが、このフランソワ・テュスク。 これを聴いて、想定外の良さに驚きました。

まず、全体的にピアノを中心にした音楽的な構造がしっかりしていて、全楽器のアンサンブルの緻密さや集約の仕方がどこかクラシックのオーケストを
思わせるのにビックリ。 オクテットなので全体の音も分厚く、どの楽器もきれいに鳴っています。 フリーのグループ演奏は普通アンサンブルのことなんて
誰も考えないものですが、これは誰かアレンジャーが付いているんじゃないのかと思ってしまうくらいアウトラインがしっかりとしている。 かといって
予定調和なところはなく、どの楽器もしっかりとしたフリーインプロをやっています。

よくよく聴いてみると、テュスクのピアノが所々でメロディアスなテーマリフのようなものを弾いていて、これが音楽がカオスに陥るのを防いでいるのだ
ということがわかります。 無軌道なフリーではなく、古風な形式とフリーインプロヴィゼーションが不可解に共存している。

この作品はエリカ・ハギンズという黒人解放運動を行っていた22歳のアメリカの女性黒人活動家への共鳴から作られたものです。 だから当時のアメリカの
共産主義への粗い弾圧の仕方に強い嫌悪感を持った同国のフリージャズ演奏家たちとの共演になっています。 そういう政治的イデオロギーが作品の主要な
動機であるにも関わらず、テュスクの音楽的素養が十分に生かされたある意味で洗練のようなものすら感じさせるものになっており、音楽にそういうものを
持ち込むと途端につまらなくなるという定説を覆すような仕上がりです。 これは素直に素晴らしいと思います。





これは1973年にビクター音楽産業から出された国内盤ですが、見開きジャケットも厚手の盤もコストがかかったとても丁寧なつくりです。 
かつてはこういう作品もきちんとリリースされていたんだなあ、と感心します。




Francois Tusques / Piano Dazibao  ( 仏 Futura Records GER 14 )


1970年に自宅で録音されたピアノ・ソロによる作品。 これがまったくフリージャズらしくない作品で、まるでキースがソロ・コンサートの中で時々見せる
"無調の時間" によく似た音楽になっています。 アルバム全体の最下層に流れているのが古いラグタイムやブギ・ウギのモチーフで、その上に様々なものを
積み重ねて構成されていて、他のフリーのピアニストたちのソロ・ピアノとはまったく違う作風です。 

"Dazibao" というのは、中国の文化革命時代に毛沢東の言葉を伝えるために発行された「大字報」という壁新聞のこと。 それがこの意外なほど平易な
ピアノソロの音楽とどうリンクするのかはよくわかりません。 父親がレジスタンス運動をやっていたせいで抑圧された幼年時代を送ったそうですが、
本人は筋金入りの共産主義者というよりは、どちらかと言えば既存の体制そのものへ反抗すること自体が目的であって、革命家への共感や共産主義への
傾倒というのはあくまでもそういう後天的に芽生えた反抗気質を表現する手段の一つだったような印象を受けます。


フランソワ・テュスクはフランスで初めてフリージャズのアルバムを出した人としてその名を語られる人ですが、こうやって聴いてみると、本質的には
根っからのフリージャズの人という訳ではないんだなということがよくわかります。 この人がフランスのフリーの全てということではないにしても、
それでも国ごとにこうも質感が違うのか、ということにも色々と考えさせられるものがあります。 アメリカのフリーとの違いは言うに及ばす、ドイツの
それとも、イギリスのそれとも、オランダのそれとも違い、フランス産はもっと音楽的芳香が色濃く残るようです。 その違いが面白い。


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ベルリン・フィルの本拠地で

2015年12月06日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / In Berlin  ( 独 CBS S 62 976 )


マイルスが残したライヴアルバムの中で、私が一番好きな作品はこれです。 マイルスの作品群に優劣なんてないけど、これには他のライヴにはない
独特の雰囲気が漂っていて、それが何にも代えがたい。 1964年9月にベルリン・フィルハーモニー・ホールで行われたライヴですが、ここは1963年に
完成したばかりで、何といってもベルリン・フィルのために作られたホールなので、マイルスたちの気合いの入り方も普段とは違っていたんでしょう。

ピットを中心にして客席がすり鉢状に周りをぐるりと囲む形態は今でこそ珍しくないものの、当時はこのホールが世界初で、十数年前に実際に
ここの席に座ってブラームスを聴きましたが、その大きく開かれた空間に鳴り渡る音響の発散の仕方や美しさは他のホールとは明らかに違っていたし、
何よりも目の前に拡がる独特の風景に圧倒されます。 建設の前に行われた設計コンペティションで応募されてきたたくさんの案の中からカラヤンが
「音楽家としての立場」でこの設計案を強く推して、事実上その意見でこの形態の採用が決まったのですが、新しもの好きのカラヤンらしい発想が
功を奏したわけです。 きっと、マイルスのこのコンサートも、事前に当時の常任指揮者だったカラヤンの了解を取り付けた上で行われたんでしょう。
もしかしたら、これが竣工後に行われた初のジャズ・コンサートだったかもしれません。





とにかく、冒頭の "Milestone" の凄まじさ。 激しさだけではなく荘厳な美しさをも併せ持つこの演奏に勝てる他の演奏はちょっと思いつかない。
マイルスの作品の中で聴けるトニーのドラムはこれが最高だし、ハービーのコードの美しさやショーターのダークなソロも圧倒的です。
ここに収録されたすべての曲が凄く、どの瞬間も聞き逃せない。 

マイルスがこの時期のライヴで取り上げた曲はいつも同じ曲ばかりでしたが、それはきっと曲を聴かせたかったのではなく、このメンバーたちの演奏力を
聴かせたかったからだろうと思います。 毎回違う曲目にしてメンバーたちの演奏への集中力が散漫になるのを避けたかったんじゃないでしょうか。 
若いメンバーたちは同じ曲の演奏を重ねるごとに観客に曲を聴かせることへの気遣いから解放されて、凄みを増していったんでしょう。

この録音は元々メンバーたちも知らされずに行われたもので、当時のドイツの人々はこんな凄いジャズの演奏は聴いたことなどなかったに違いなく、
慌てて急遽発売されることになったためにこのドイツCBS盤がオリジナルで、当時のアメリカではリリースされませんでした。 
ドイツのレコーディング技術なら本来はもっと素晴らしい音で録音できたはずですが、準備不足で十分ではない音質になってしまったのは残念です。
でも、そんなことでこのアルバムの価値が揺らぐことはまったくないと思います。


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残り物には福があった、かも

2015年12月05日 | ECM

Mal Waldron Trio / Free At Last  ( 西独 ECM 1001 )


ECMのレコードを買うようになって自然と自分の中で出来上がったルールがあって、それは高いものには手を出さない、ということ。 具体的には、
「高くても2,000円台まで」という基準を作ってその範囲内でこれまではやってきましたが、今回はその掟を破って Jazz Tokyo の売れ残りに
手を出しました。 ECMファンからはレーベルカラーには全くそぐわないその内容に評価が芳しくなく、逆にECMにこだわりのない人からは「硬派で
カッコいい」と言われることも多く、その賛否の分かれ方にずっと興味を惹かれていたからです。 ECMファンと言えるほど強い愛着がある訳でもなく、
こだわりがないと言うほど無関心ではない今の自分は評価の難しそうなこれをどう感じるだろうか、という好奇心がそのハードルを越えさせました。

結果から言うと、才気ある音楽だとは思えないけれど、なぜかどこか惹かれるところがある、という感じです。

もともとマル・ウォルドロンは特に好きでもないし、感心したこともありません。 ピアノが上手くないのは明らかで、そのせいでスイングしない
硬直した演奏しかできないんだろうと思っていたし、この作品を聴いた今でもその認識は特に変わりません。 というか、その認識はやはり正しいんだな
とさえ思います。 だから、この人にピアニズムの感動を求めてはいけないんだと思います。 そういう聴き方をすると、この人はただ嫌われるだけで
終わってしまう。

ところが、この人が作りだす音楽を細部にこだわらずに大きく丸ごと受け止めてみると、一見ぶっきらぼうな印象なのに、実際はかなりデリケートで
親密さもあって、聴いているこちらへ何かを伝えようとしているのを感じ取ることができる。 自分の殻に閉じこもろうとはせず、不器用ながらも
自分の作り上げた音楽をこちらへ丁寧に聴かせようとしているのを感じます。 それが「どこか惹かれる」と感じる部分なのかもしれません。

モンクの影響があるのかそれともわざと意識しているのかはわかりませんが、そういう音使いやフレーズの脱線をしてみたり、モールス信号的な打鍵を
してみたりするのは技術の拙さをカヴァーしようということなんだろうし、楽曲のテーマ部があるのかないのかわからないようなつくりも当時の流行を
踏襲してのことだろうし、といろいろ工夫していることが見て取れるので、マルとしては手抜きをせずに臨んだ録音だったんでしょう。

まだサウンドポリシーが定まっていなかった時期の録音なので例の心地好い残響感をまとってはいませんが、1969年の録音とは思えないくらいに
さすがに他とは一線を画す際立った録音の良さで、そのクリアさがこの人のそういうわかりにくさを解きほぐす手助けをしてくれています。
私はこの音質は気に入りました。

ピアノのレコードなのにピアノ自体の快楽の無さには目を瞑れ、というのはおかしな話かもしれません。 でも、この人の音楽の良さに気付くには
私の場合はそういう聴き方をしなければいけませんでした。 こういう面倒な作業を自分の中でできるようになるのも、年の功なのかもしれません。






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