廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

サムシン・エルス前夜の演奏

2024年12月08日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Julian "Cannonball" Adderley / Sophisticated Swing  ( 米 EmArcy Records MG-36110 )


キャノンボール・アダレイのレコードデビューはサヴォイだが、本格的なキャリアのスタートにあたりどのレーベルと契約すればいいかマイルスの家に行って相談したところ、
マイルスからはアーティストの自由にやらせてくれるブルーノートを勧められたが、なぜかその忠告を聞かずエマーシーと契約する。が、エマーシーはジャズに関しては
経験が浅く、キャノンボールは駄作を連発する。アルバム毎に企画を変えて吹き込みをさせたが、それは一般的にジャズというのはこういうものだろうという形式から入った
企画であって、キャノンボールの個性ありきのものではなかったせいだろうと思う。

そんな中で唯一キャノンボール・マナーのハードバップ全開な演奏がこのアルバム。ジュニア・マンス、サム・ジョーンズ、ジミー・コブの溌剌としたリズム・セクションのバックで
キャノンボールの野太いアルトが吠えまくる。吠えるけど、そこにはこの人らしい品の良さがある。そういうところはマイルスやエヴァンスと共通しており、いずれこの3人が
合流するのは運命だったのかと思ってしまう。

この1年後に "Somethin' Else" を録音することになるが、その音楽的飛躍はエマーシー時代の多くのアルバムからは想像できない。ただ、このアルバムを聴いているとその下地は
もともとあったんだなということはわかるし、キャノンボールはこういう型にはまらないやり方でこそ活きるのだなということが再確認できる。彼がマイルスの助言に従って
エマーシーではなくブルーノートと長期契約していたらジャズ界はどうなっていたかなと思うけど、時計の針は巻き戻せない。意味の良くわからない手抜きジャケットのせいで
あまり認知されないレコードだけど、このレーベルの中ではこれがあればキャノンボールは一先ずはいいだろうと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロイ・ヘインズとサラ・ヴォーン

2024年11月17日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Sarah Vaughan / Swingin' Easy  ( 米 Emercy Records MG-36109 )


ロイ・ヘインズの訃報に接した。99歳、死因は伝えられていないようだ。

彼のキャリアを眺めていると、サラ・ヴォーンと一緒に活動していた時期が長いのがわかる。サラと最初にレコーディングしたのは1947年のレスター・ヤングを含めたもので、
53年からは彼女の専属バックを務めるようになった。翌54年にサラがエマーシーと契約して録音を始めると彼の演奏もエマーシーで聴けるようになる。その時期の代表作が
このアルバムやミスター・ケリーでのライヴになる。

このアルバムはサラの素晴らしい歌唱が聴ける極めつけの名盤だが、バックがピアノ・トリオなのでロイのドラムが非常にクリアに聞えて、彼の演奏を堪能するのにも
うってつけのアルバムだ。ゆったりとスイングする曲からしっとりとしたバラードまでがいい塩梅で収録されていて、音質も素晴らしい。54年のジョン・マラチのピアノ
トリオによる録音と56年のジミー・ジョーンズのピアノ・トリオによる録音がカップリングされているが、どちらも素晴らしい。ロイのブラシ音が生々しく聴ける曲が多く、
サラが気持ちよさそうに歌っているのが印象的で、中でも "Words Can't Describe" の深い情感が最高だ。

ロイ・ヘインズのドラムは同時代の有名ドラマーたちの個性ある演奏と比べるとかなりオーセンティックな感じで、ヴォーカリストや管楽器奏者たちの個性がよく引き立つ。
だからこそ、あらゆる演奏者たちが彼を指名したのだろう。私たちは意図せずとも必ずどこかで彼のドラムを聴くことになる。誰かのアルバムの裏ジャケットを見て、
ドラムの名前が彼になっていると「おっ、ロイ・ヘインズじゃん」と呟いたことがある人は多いのではないか。彼はそういう人だった。

彼はその晩年まで精力的にアルバムを制作しており、生涯を通じて第一級のドラマーとしてジャズを支えてくれた。ご冥福を祈りたい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミルト・ジャクソンとワン・ホーン(1)

2024年04月22日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Milt Jackson / In A New Setting  ( 米 Limelight LM 82006 )


繊細で上質でブルージーなミルト・ジャクソンは、意外とワン・ホーンがよく合う。本来であればそういう持ち味を味わうにはシンプルな構成の方が
良さそうなものだが、管楽器が1本入ることでその分音楽に幅ができるからかもしれない。リード楽器でもあり、和音楽器でもあるこの不思議な
音色を持つ楽器はある時は背景として、ある時は相方として管楽器に寄り添う。その理想形の1つがミルト・ジャクソンのアルバム群の中にある。

マッコイ・タイナー、ボブ・クランショウが参加しているところがいかにも60年代だが、メインストリーム・ジャズながら音楽が古臭くないところが
こういうメンバーに依るところなんだろう。でも、音楽が60年代の箍が外れた感じはなく、しっかりとメインストリームに漬かっているのは
ジミー・ヒースという中庸のサックス奏者のおかげだろうと思う。誰一人尖ったことをやろうとはせず、ミルト・ジャクソンという大物を立てながら
足並みを揃えて演奏を進めていく。

静かな楽曲ではマッコイのピアノの音色が美しく、まるでコルトレーンの "Ballads" のような雰囲気があるし、マイナー・キーのアップテンポな
楽曲ではまるでルパン三世のサントラかと思わせるような粋な演奏を聴かせる。そんな風に、このアルバムは何より音楽が素晴らしい。
おそらくはロックの影響か、各楽曲の演奏時間が短く設定されており、途中でフェイド・アウトするような編集を施されたものもあったりして、
もっと聴きたいという気持ちを搔き立てながらもダレることなく小気味よくサクサクと進んでいき、これも悪くない。

頑固な50年代のジャズに固執することなく、もっと軽やかにステップを踏むような感じが何とも爽快で、それでいて注意深く聴くととても高度な
演奏力に支えられていることがよくわかる、素晴らしい内容だ。ライムライトはいいレコードを作った。このレコードは私のお気に入り。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるトランペッターの進化

2024年03月02日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Joe Godon / Introducing Joe Gordon  ( 米 Emercy Records MG-36025 )


ジョー・ゴードンは1963年に寝煙草が原因の火事で亡くなっている。リーダー作はこの1954年吹き込みのデビュー作を含めて2枚しかないので
一般的知名度は限りなく低いが、サイドマンとしてはコンスタントに演奏が残っていて、当時は有能な演奏家として評価されていた。
大体がこの "Introducing~" というタイトルで登場する人は将来を嘱望されていたケースが多く、その早すぎる死は惜しまれる。

プロとして活動を始めたのが1947年ということだからまったくの新人というわけではなく、そろそろリーダー作を作ってもいいのでは、という
ことで吹き込まれたのだろう。演奏は堂々としたものであり、ラッパもよく鳴っている。1954年と言えばビ・バップがハード・バップへと移行
しつつあった端境期で、このアルバムも様式としてはハード・バップだが、まだ形式的な成熟は見られず、生まれて間もない不安定さの中を
ビ・バップの荒々しい演奏スタイルで進むという内容で、クリフォード・ブラウンがアート・ブレイキーのバンドにいた時の音楽にそっくりだ。
ここにもブレイキーが参加しているので、まさにアート・ブレイキー・クインテットと言われても何も違和感がない内容だ。

クインシー・ジョーンズが作曲した曲を多く取り上げているのがこのアルバムの特徴で、なぜそういうメニューにしたのかはよくわからないが、
スタンダードをまったく入れずに1枚のアルバムを作るところにこの人の音楽上の信念が伺える。そのおかげで非常に硬派な音楽になっていて、
筋金入りの本当のジャズ好きだけに好まれるようなアルバムになっていると思う。そんな中でもクインシー作の "Bouse Bier" が憂いのある
マイナーキーの佳曲で、素晴らしい出来だ。

ただ、この人はこういう荒々しい演奏だけには留まらなかった。この後、西海岸へ移って活動をするのだが、そこで音楽的な進化を遂げる。
そこがこの人の評価ポイントであり、素晴らしいところだったと思う。今回この人を取り上げたのはそのことを書きたかったからに他ならない。
このアルバムはそのイントロである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライムライトという語感に沿う音楽

2023年05月08日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Milt Jackson / Born Free  ( 米 Limelight LM-82045 )


1966年12月の録音だが、この頃になるとハードバップは完全に蒸発してその姿は見えなくなり、ジャズ界にはまったく違う風が吹くようになる。
主にこの時代を20代として過ごした若者たちによってその新しい風は吹かされていて、30代の大人たちは何とか上手く乗り切っていたが、
ミルト・ジャクソンのような40代になるとなかなか厳しかったようだ。色々と試行錯誤していたが、根っからの新しい音楽にはなり切れなかった。
ただ、そういうニュー・タイプは難しくても、かつてやっていたメロディー重視の音楽をベースにそれを発展させるタイプになると、このアルバムの
ように独自の良さが発揮されるものも現れ始める。

盟友のジミー・ヒース、当時は期待された若者の1人だったジミー・オーウェンズをフロントに迎えて、美しいメロディーを持った曲やジャズメンの
優れたオリジナル曲を集めて、アドリブは抑えてメロディーを聴かせるスマートな演奏に徹したところがうまく成功した。音楽のタイプは少し違う
けれど、マリガンの "Night Lights" なんかと同じ方向を志向したタイプの内容で、それがイージー・リスニングに堕ちずにきちんとジャズになっている
ところがさすがの仕上がりだと思う。

このアルバムで初めて聴いた曲も多いが、中でも "We Dwell In Our Hearts" という曲がとてもいい。この曲が聴きたくてこのアルバムを手にする
ことが多いが、そういう楽曲が入っているアルバムは幸せだなと思う。

このライムライトというレーベルはマーキュリーの傍系だが、その名の通り、ソフトな音楽を提供することがコンセプトだったようだ。
かつての大物たちが数は少ないながらもアルバムを残していて、中には傑作と言っていいような出来のものもある。盤に貼られたレーベルの
左上にあるちっちゃなドラマーのデザインが可愛く、いつもこれを見るとほっこりとした気持ちになる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セシル・ペインとデューク・ジョーダン(5)

2023年03月12日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Rolf Ericson / And His All American Stars  ( 米 Emercy MG-36106 )


れっきとしたロルフ・エリクソンのリーダーセッションなのに、タイトルをこうせざるを得ないほど2人の音楽に支配された内容になっている。
そのおかげで、このアルバムは非常に優れたアメリカのハード・バップの名盤に仕上がった。

ロルフ・エリクソンは1947年から約10年間、アメリカで活動している。ジャズを志すならアメリカに行かねば、ということだったのだろうか、
チャーリー・バーネットやウディー・ハーマンのオーケストラで研鑽を積み、その後は西海岸へ行き、様々なセッションや録音に参加している。
そして1956年の春にスエーデンに戻り、当時渡欧中だったジョーダンやペインらとすぐにスタジオに入り、これらの録音をした。

現地ではメトロノーム社から7インチ盤が同年にリリースされたが、この時に未発表だった曲を加えて57年には英国Nixa、58年にはアメリカの
エマーシーから12インチとしてリリースされた。エマーシーは欧州のレーベルと提携して各社の音源を積極的にアメリカでリリースするなど、
優秀なレコード会社だったのだ。

エリクソンはトランペット奏者としては凡庸。音色はよく鳴りはするものの特徴はないし、アドリブがイマジネイティヴということもないし、
フレーズがよく歌うということもない。この人ならでは、というところは何もないけれど、ここでの演奏は音楽全体の勢いに上手く乗っており、
音楽の仕上がりの良さに大きく貢献している。デューク・ジョーダンの憂いの深いピアノがよく響き、セシル・ペインのずっしりと重いバリトンが
よく歌い、演奏全体は非常に重量感のある手応えで素晴らしい。このレコードは音もよく、すべてが理想的だ。エマーシーというレーベルは
いろんなタイプの演奏をカバーしているのでレーベルとしての統一した印象が持ちにくく、そういうところで損をしているけれど、これは
正真正銘の良質なハードバップで、デューク・ジョーダン色に染まっているところは Charlie Parker Recordsレーベルの "危険な関係" に雰囲気が
似ている。あのレコードが好きなら、これもお宝の一枚となるだろう。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルソン・カラーに染まった佳作(2)

2022年07月18日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jimmy Cleveland / Rhythm Crazy  ( 米 EmArcy MGE-26003 )


この第4作もゴルソンとファーマーが加わり、アレンジはゴルソンのものとジジ・グライスのものが混在している。
第1作や第3作のアーニー・ウィルキンス・オンリーの編曲と雰囲気が違うのは一聴してすぐにわかる。

どこが違うかというと、楽曲が持つ良さがより魅力的に引き立つような編曲に沿って各人の演奏が一直線に進んでいるということに尽きる。
変な小細工が感じられず、非常にストレート。そこにヴィヴィッドや柔らかいハーモニーが施されているから、楽曲に美しい輝きがある。
ジャズの場合、アレンジはマイナス要因と捉えられがちだけど、上手くやれば音楽はより豊かなものへと格上げされる。
ハンク・ジョーンズがピアノを弾いているのも、全体がデリケートに仕上がっている要因の1つだ。

アップ・テンポの曲はキレのいい演奏が素晴らしく、スローな曲では幻想的な美しさが表現されおり、全編を通して質の高い音楽になっている。
その一番いい見本が "Our Delight" で、この曲がこんなにいい曲だとはこれを聴くまでは思っていなかった。彼らが演奏するとただのビ・バップの
単調な曲ではなく、美しい名曲に様変わりする。タッド・ダメロンの頭の中では、きっとこんな風に聴こえていたんだろうなと思う。
これを聴くだけでもこのレコードは買う価値がある。

こんな素晴らしい音楽が詰まったレコードがあまり聴かれていないというのは本当にもったいない。もっと広く聴かれるようになればいいのに、
と思う。そうすればジャズという音楽が好きになる人がもっと増えるだろう。レーベル・デザインも可愛らしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルソン・カラーに染まった佳作

2022年07月17日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jimmy Cleveland / Cleveland Style  ( 米 EmArcy MG 36126 )


ジミー・クリーヴランドはその名前はいろんなところで目にするから我々にはお馴染みのトロンボーン奏者だが、リーダー作は意外にも少なく、
私の知る限りではエマーシーに残された4枚だけ。このレーベルはジャズのレーベルとしてはカタログ数は多いものの決定的名盤と言われるものが
多くなく、かなり格下の扱いになっている。そのため、そのアルバムは埋もれがちで、クリーヴランドの場合も例外ではない。

彼のアルバムが見向きされないのはどのアルバムも多管編成になっているからだ。多管編成は形式が優先されて音楽が定型化されがちなので
とにかく嫌われるわけだが、そこで重要になるのがアンサンブルのアレンジということになってくる。このアレンジにベニー・ゴルソンや
ギル・エヴァンスが絡んでくるとその様相は一変するが、彼の4枚のリーダー作のうち、2枚はベニー・ゴルソンンが絡んでいてこれが傑作、
残りの2枚はゴルソンが絡まないので駄作、というわかりやすい構造になっている。

第2作のこのアルバムはゴルソンやファーマーが加わり、アレンジはゴルソンのものとアーニー・ウィルキンスのものが混在する。
ウィルキンスのアレンジは面白くないことが多いが、このアルバムはゴルソンが演奏に入っていることからその雰囲気がジャズテットっぽく
なっていて、非常にいい仕上がりになっている。

チューバが通奏低音を受け持つことでハーモニーやアンサンブルがしっかりと安定していて、柔らかく上質な質感となっている。
各人のソロも1級品の出来で、クリーヴランドの演奏はカーティス・フラーなんかよりもずっと上手い。これだけの腕前であれば、誰かいい
テナー奏者の相棒を見つけていればトップクラスのコンボを立ち上げることもできただろうに、そういう面では残念だった。

アレンジの形式感が前面には出ておらず、そこが好ましい。通常の2管編成くらいの自由闊達なジャズとあまり変わらない雰囲気があり、
そこにゴルソン&ファーマーのくすんだ色彩感が施されているから、ハード・バップ好きには堪えられない音楽になっている。
知る人がいないが故の無冠の傑作と言っていい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

R.I.P Johnny Mandel

2020年07月05日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Oscar Peterson / Blues Etude  ( 米 Limelight LM82039 )


普段は買わないことにしているオスカー・ピーターソンのレコードを拾ったのは、"いそしぎ" が入っているからだ。ジョニー・マンデルが亡くなった
というニュースを先週聞いたところで、悲しい気分の中で見かけたから拾う気になった。

私がジャズのスタンダードの中で最も好きなのがこの人が作曲した一連の傑作群で、その独特の切ないメロディーは聴くたびに心の中に何かを
残していった。これらの楽曲の演奏であれば、それが誰が演奏しているものであっても、好きになった。特に好きな演奏家や歌手ではなくても、
マンデルの楽曲であれば、それは心に染みた。

ピーターソンは原曲には出てこないコードを取り入れて、より物悲しい雰囲気に仕上げている。こういうところは手慣れたもので、さすがだと思う。
こういうアレンジをしているのは他では聴いたことがない。この曲が入っているというだけで、このアルバムが好きになってしまう。

これからもいろんなアルバムを聴く中で、マンデルの楽曲が入っていればうれしい気持ちで聴くことになるだろう。そういう特別な存在だった。

R.I.P ジョニー・マンデル、素晴らしい楽曲をありがとう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短い記録で辿る足跡

2020年04月14日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

John Williams / The John Williams Trio  ( 米 EmArcy MG 36061 )


若い頃に聴いてまったくいいとは思わなかった盤を今改めて聴き直すと、その良さがわかるようになっているものが結構出てくる。もちろんそれは
いいことなんだけど、それはまるで無限ループのようで、これじゃいつまでたってもレコード漁りの終着点が見えてこない。若い頃には若いなりの
聴き方をしていたんだろうし、オヤジにはオヤジ的聴き方があるのだろう。昔はこだわっていたポイントも今はどうでもいいと感じることも多く、
受け入れ方が寛容になったのは間違いないと思う。

このジョン・ウィリアムスのアルバムも、昔はつまらないピアノ・トリオの典型だと思っていた。当時は一聴してすぐに誰が弾いているかがわかる、
エスタブリッシュメントが好きだった。だから、こういうピアノは存在価値がないと思っていた。ところが、今頃になってよくよく聴き直して
みると、そうではないということがじわじわと身に染みてわかるようになっているのに気が付く。

お馴染みのスタンダードがズラリと並んだ構成だけど、それらのメロディーをすべて崩して、周到に回避して弾いている。当時はそれが気に入らな
かったんだな、ということがわかるようになる。ジャズのピアノトリオといえば、スタンダードをメロディアスに弾いてくれればそれが最上だと
思っていた。そういう単純な感性で聴いていたのだから、こういう一捻りした演奏に反応できるわけがない。

1956年頃にこういう演奏をやっていたというのは、かなり時代を先取りしている。この人なりによく考えて、真剣に取り組んでいたことがわかる。
このアルバムを聴いて、スタンダードを取り上げたピアノトリオのアルバムだという印象は残らない。こういう演奏をしたのは、当時参加していた
スタン・ゲッツのバンドでの経験が影響しているようだ。スタンダードの解釈と発展のさせ方がゲッツやブルックマイヤーら管楽器奏者の発想に
近いと思う。ゲッツのようにメロディーを再構築するところまではいっていないけれど、アプローチは同じだ。

残念なのは、この人の音楽の記録はここで途絶えてしまうこと。このアルバムではまだ完成途上だった音楽がどのような着地をしたか、の確認を
する術がない。何があったのかよくわからないけれど、アルバムが残っていない。この続きを聴いてみたかったと思う。

ちなみに、この人は映画音楽の大家のジョン・ウィリアムス( John Towner Williams, 1932年ニューヨーク生まれ)とは別人。こちらも若い頃ジャズ・
ピアノをやっていたから、アメリカ人ですら時々間違える。本件のジョンは John Thomas Williams で、1929年ヴァーモント生まれ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初のピーク期に隣接した名唱

2019年10月12日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Sarah Vaughan / The Divine Sarah Sings  ( 米 Mercury MG 25213 )


サラ・ヴォーンの歌手としての最初のピークは1948~53年のコロンビア期だが、54年からマーキュリーに移籍した後も有名なブラウニーとの録音も含めて
たくさんのレコードを作っている。 その中でもコロンビア期に隣接する時期に録音されたこのアルバムは特に出色の出来になっている。

サラにしかできない帯域の広さを活かした声量を屈指して歌われる曲はどれも素晴らしい。 こんなに歌がしなやかに形を変えながら羽根のように軽く
漂っていくのは彼女にしかできない芸当だ。 聴いているうちにそれが人によって歌われているということすら忘れてしまう。

たくさんレコードがあるのはいいことだが、そのすべてが傑作と言ってしまうのは手抜き工事だ。 彼女の歌はどれも満点だが、その歌の素晴らしさと
互角に張り合えるバックの演奏がなければ、アルバムとしての聴き応えは無い。 ヴォーカルのアルバムはそこが難しいと思う。 その点、このアルバム
は彼女の歌を邪魔せず上手くサポートできていて、その歌唱の素晴らしさが浮き彫りになっている。 コロンビア期に確立した柔らかく伸びやかな唱法が
まだ色濃く残っている時期の良さを上手くパッケージできている。

ルックスの印象が人気や評価を左右する女性ヴォーカルの世界で彼女の人気は低いままである。 でも、私はそれくらいでちょうどいいと思っている。
そのおかげで彼女のレコードは安く、いつでも好きなだけ買って聴くことができるのだ。 私にとって、サラ・ヴォーンは女性ヴォーカルの世界では
不動の絶対的エース。 その位置付けは30年以上変わることはない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビリー・ミッチェルを探して

2019年07月14日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Billy Mitchell / A Little Juicy  ( 米 Smash BL 7666 )


ビリー・ミッチェルのテナーの音は私の好みなので彼が入っている演奏を聴くのは好きなのだが、如何せんレコードの数が少ない。 ビッグバンドでの
活動がメインだったせいもあったのだろうけど、リーダー作の少なさは致命傷で、まとまってその演奏が聴ける作品が少ないのだから評価しようがない。
他人名義のアルバムの中で彼の演奏が出てくるとその良さに驚かされて彼の作品を探すことになるわけだけど、リーダー作がほとんど残っていないことが
わかってガッカリする。

そんな中でMercuryの傍系であるスマッシュ・レーベルに残された貴重なリーダー作の1枚がこれになるわけだが、サド・ジョーンズを迎えて彼の自作曲
ばかりを演奏しているから、ミッチェルのリーダー作という感じがしない。 演奏パートもサドの方が多いから、なおさらそう感じてしまう。
一方、サド・ジョーンズ自身もトランペット奏者としては地味な感じだから、このアルバムの地味さはなおさら拍車がかかる。

それでもリチャード・ワイアンドやケニー・バレルらバックの演奏がしっかりしているおかげで、演奏全体はとても聴き応えがある。 両面通して聴くと、
いい演奏だったなという印象が残るから不思議だ。 ユニークな作風のサド・ジョーンズの楽曲の影響もあって、ありふれたセッションという退屈さとも
無縁だ。 聴けば聴くほど、いい演奏じゃないかという印象は確かなものになっていく。 特に、アルバム最後に置かれた "Kids Are Pretty People" の
慈愛に満ちたおだやかな表情は素晴らしい。

ビリー・ミッチェルの演奏を聴くという意味では喰い足りない感はあるけれど、それでも音楽としての満足感は十分残る。 マーキュリー傍系なので
プレス品質も良く音質も良好だ。 手持ちの盤はモノラルだが、録音時期を考えるとステレオ録音だったはずだから、ステレオプレスも聴いてみたい。
おそらくそちらのほうが音質はさらにいいだろうと思う。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベニー・ゴルソンの復習

2019年07月06日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Clifford Brown / Study In Brown  ( 米 EmArcy MG 36037 )


ブルーノート東京のステージでベニー・ゴルソンはなぜあんなにブラウニーの話をたくさんしたんだろう、ということがずっと気にかかっている。
"I Remember Clifford" へのイントロダクションだと言えばそれまでだけど、印象としては単にそれだけのことではなかったように思える。

自分のことを語る際にとにかく自分の話ばかりする人には閉口させられるものだけれど、自分以外の話をする人なら一緒にその物の見方や世界観を
経験することでその人のことを知ることができるというのはよくあることで、そのほうがよりその人に接近できるものだ。 ベニー・ゴルソンは
後者のタイプの人だったようで、彼が語るブラウニーの姿を通して我々は彼のことをより深く知ることができたのかもしれない。

フィラデルフィアのクラブでジャム・セッションをしていた時に見知らぬ若者がやってきてトランペットを吹き出したのを聴いて「一体、何者だ?」と
とにかく驚いた、と笑いながら2人の出会いの様子を語っていたゴルソンは幸せそうな顔をしていた。 25歳で亡くなってしまったブラウニーには
ジャズ界によくある人物評伝がほとんどなくて、有名な割にはその人物像はあまりはっきりしない。 だから、彼にゆかりのあった人たちが語る話は
それが例え断片的なものであったとしても貴重である。 そして、ブラウニーのことを語る人たちは一様に幸福な表情を浮かべるようだ。

コナン・ドイルの「緋色の研究」に引っ掛けたタイトルのこのアルバムはブラウニーのトップに位置付けられる作品だが、私の場合は聴く頻度は低い。
アレンジがかっちりとし過ぎていて、いささか堅苦しい。 間違えて買ってしまったサイズの小さいワイシャツを無理して着て1日を過ごした時の
ような気分が残ってしまう。 演奏レベルは間違いなくトップランクだと思うけれど、愛着のあるなしはそれだけで決まるものではない。

とにかく演奏が凄い、という話でしか語られることがないせいで固定観念化したブラウニーのイメージは、彼の音楽へのパターン化した印象を人々に
非常に強く縛り付けているように思う。 でも、ゴルソンが語る彼の想い出を聴きながら、ブラウニーがかつて確かにこの世にいて、ゴルソンと共に
過ごした日々があったんだなあという実感がじわじわと湧いてくるのを感じた時、私の中のブラウニーの作品への印象も少し変わったような気がする。

来年の来日を心待ちにながらベニー・ゴルソンの復習をしていく過程の中で、ブラウニーのことも少し聴き直してみるのも悪くないかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルソン・ハーモニーの極み

2019年06月09日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Art Farmer - Benny Golson Jazztet / Here and Now  ( 米 Mercury MG 20698 )


ゴルソンがトランペットやトロンボーンと一緒にゴルソン・ハーモニーを施してやった演奏はジャズテット名義であろうがなかろうが、実にたくさんある。
メンツの組合せは様々で、リー・モーガンの時もあればブルー・ミッチェルの時もあるけれど、やはりその真価を発揮するのはゴルソンと同系統の音色を
持つファーマーやカーティス・フラーの時だろう。 ゴルソンは演奏には加わらずスコアだけを提供する場合もあるけれど、なぜかそういう時の演奏には
ゴルソン・ハーモニーの雰囲気は希薄になる。 つまり、あの独特のムードはゴルソンのテナーの音自体が重要なキーになっているのかもしれない。

そういう意味で、ゴルソン、ファーマー、トロンボーンの3管が揃うこのアルバムはゴルソン・ハーモニーの淡い霧に煙る最も素晴らしい内容になっている。
トロンボーンはグラシャン・モンカーⅢ世で、おそらく契約の関係で参加できないフラーの代用だったらしく、完全にハーモニー要員扱いで彼のソロは
最後の自作曲以外ではほとんどない。 それでもトロンボーンの音色があるのとないのではハーモニーの豊かさが全く違うので、その存在意義は大きい。

ゴルソンは取り上げる楽曲のセンスも良く、ここでも緩急のバランスがいい名曲が並んでいて、両面通して聴いた後には心地よい満足感が残る。
マーキュリーのこの時期の録音は完成されていて、音質も最高の仕上がりになっている。 

頻繁に聴くという訳ではないにせよ、30年間聴き続けても飽きることがないのだから、これはもう自分の中では座右の銘の1枚になっていると言っていい。
ジャズテット名義のアルバムは出来不出来の差があって、中にはつまらないものもあるけれど、これは間違いなくゴルソン・サウンドの極みの1つが聴ける
アルバムだ。 ありがたいことに稀少盤ではないので、誰でも気軽に聴けるというところも素晴らしい。 本当の名盤はこうでなくてはいけない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マックス・ローチという男

2019年03月03日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Max Roach +4 / On The Chicago Scene  ( 米 Emercy MG 36132 )


知れば知るほど嫌いになるのがマックス・ローチという男だが、そのレコードを無視できるかというとなかなかそうもいかない。 この男、なぜか共演者に
恵まれていて、レコードとしては聴かずに素通りすることができないのである。 幸いにもブラウニーとやった作品以外は安いので、気が向いた時などに
拾っているが、困ったことにドラムの箇所を除くと演奏がいいものがあったりする。 それらの中でやはり群を抜いているのが、ブッカー・リトルと
ジョージ・コールマンがいた時のアルバムだ。 この2人の優秀さにケチを付ける人はいないだろうけど、その2人が揃って聴けるというところにマックス・
ローチのアルバム群の重要な価値がある。 これが無ければ、私自身は決して手を出すことはなかった。

このアルバムは確かブッカー・リトルの初レコーディングアルバムだったはずで、ロリンズがローチのバンドを去る際にドーハムの後任として推薦した、
というような話だったと思う。 もともとはシカゴ音楽院でクラシックを学んでいた正統派だから、技術的には既に完成していた。 50年代の有名な
トランペッターたちの誰にも似ておらず、どちらかというと現代の演奏家たちに通じるスタイルをこの時期にやっていて、その超時代感が驚異だった。

ジョージ・コールマンもマイルスのバンドに入る前の演奏だが、既に最初の全盛期かと思わせるような素晴らしい演奏をしている。 強い音圧や息の長い
フレーズ感のような身体的な圧倒感はないけれど、魅力的な音色となめらかで上手いフレージングに惹きつけられる。

こうして絡み合いながらも交互に立ち現れてくる2管の演奏は素晴らしくてどんな名盤にも負けない出来だけれど、問題はマックス・ローチの平坦なドラム・
ソロが長々と続くパートが出てきて、急にシラケてしまうことだ。 あまりの居心地の悪さに「ドラム・ソロって音楽に必要ないよな?」と思ってしまう
けれど、よく考えるとそんなことはなくて、スティーヴ・ガッドのソロなら永遠に聴いていたいのだから、結局ローチのソロがつまらないだけなのだ。

この人は「歌うようなドラム」と称えられるそうだけれど、私はそう感じたことは1度もない。 のっぺりと平坦で無味乾燥なものにしか思えない。
生で聴けばもしかしたら違う印象なのかもしれないけれど、それは叶わないことであって、レコードで聴くしかない以上はその感想しか持ちようがない。
リズムキーパーとしてはタイトで優秀だと思うけれど、ソロに関しては正直言って要らない。 ただこのレコードは彼名義なのだから、これは我慢する
しかないのだ。 リトルとコールマンの素晴らしい演奏に接するための代償だと諦めて、渋々聴いている。

不可解な言動もいろいろあったりしてどうもいい印象が持てないが、少なくとも彼の周りには優れたミュージシャンが常時いたことは間違いない。
ドラムという楽器は他の楽器と比べてやる人が相対的に少なくて引く手あまただったという事情はあっただろうけど、それにしてもなぜこんなにも
リーダー作を多く持つことができたのかが不思議でならない。

でも、そうやって文句ばかり言いながらもこのアルバムは好きでよく聴いているのだから、俺は本当にマックス・ローチが嫌いなのか?という疑問も
出始めている。 イヤよイヤよも好きのうち、だったらどうしよう、嫌だなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする