廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

何か特別な力

2016年09月25日 | Jazz LP (Vocal)

Ethel Ennis / Sings Lullbys For Losers  ( 米 Jubilee LP-1021 )


エセル・エニスはサラ・ヴォーンの正統な後継者として1955年の23歳の時にジュビリーからデビューしている。 この作品は評判が良かったようで、
マイナー・レーベルのジャズ・ヴォーカルにしては珍しく版を重ねてプレスされているし、シングル・カットも1枚出ている。 そして、その後すぐに
大手レーベルに引き抜かれてコンスタントに作品を出す機会に恵まれ、2000年代以降もジャズ・シンガーとして仕事を続けている。

貧しい家庭に生まれ育ったので、15歳の時からクラブでピアノの弾き語りをして家計を助けていたという。 この作品が23歳のデビュー作だというのが
信じられないくらいのあまりの落ち着き払った様子に最初は驚かされるけれど、ここに来るまでは随分苦労してきたんだろう。

ハンク・ジョーンズ、ケニー・クラークのピアノトリオにリズムギターを加えたカルテットが伴奏をつけるが、これが終始控えめな歌伴に徹していて、非常に
静かで落ち着いた雰囲気が素晴らしい。 そこに彼女のクセのない伸びやかな歌声が入ってくると部屋の中の空気が一変するのがわかる。 そのくらい、
この人の歌声には何か特別な力がある。

若い黒人女性らしい声質がみずみずしく捉えられている録音も見事だし、バート・ゴールドブラットの写真もこのアルバムの真夜中のムードをうまく表現しており、
どの角度から見ても優れた作品になっている。 優れた歌声にはどんな楽器もかなわないなあ、と思わせられる数少ないヴォーカルアルバムだと思う。




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小編成によるバラード集

2016年09月24日 | Jazz LP (Vocal)

Frank Sinatra / Close To You  ( 米 Capitol W 789 )


最近、シナトラのレコードをあまり見かけなくなったような気がする。 昔はどこのレコード屋に行ってもそこそこの値段が付けられて、コロンビア、
キャピトル、リプリーズの各代表作が在庫として並んでいたものだ。 まあ、売れていたのかどうかはよくわからないけど、そういうこととは関係なく、
まるで彼のレコードを在庫として揃えておくのはレコード屋としての矜持である、という暗黙の了解のようなものがあったかのようだった。 何というか、
そういう光景こそが正統派の中古ジャズ廃盤屋としての風格だったような気がする。 在庫界の重鎮として常に睨みを利かせ、店内の秩序を保っていた。
それによって、他の在庫品たちは安心して棚の中で客がやってくるのを待つことができた。

そんなシナトラの作品の中でもこのレコードは稀少扱いされていて、他のレコードよりも大体高い値段が付けられていた。 だから、当時は手が出せなかったが、
今は10分の1以下の値段になっていて、私に見つけられるのを棚の中で静かに待っていた。 

キャピトル専属のレコーディングオーケストラの中から生まれたハリウッド弦楽四重奏団を中核に数本の管楽器を加えただけの小編成でバックを固めて
バラードばかりを集めた、とても落ち着いた内容のレコードだ。 キャピトル時代のシナトラと言えば、ネルソン・リドルやビリー・メイのフルバンドを
バックにスインギーに声量豊かに歌っているイメージがあるけれど、だからこそこういう静かなバラード集は人目につかなかったのかもしれない。

シナトラの歌はどこまでも真っすぐで、聴いていくうちに自分の中の知らず知らずのうちに歪んでしまったところが矯正されていくような感覚を覚える。
他の歌手の歌にはそういうところがなく、そういう意味でもこの人のレコードは「正しいレコード」だなあ、という感慨を覚えるのだ。



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まるで映画の一コマ

2016年09月22日 | Jazz LP (United Artists)

Howard McGhee / Nobody's Knows You When You're Down And Out  ( 米 United Artists UAJ 14028 )


ハワード・マギーのトランペットのサウンド(特にオープンホーン)はマイルスのそれとよく似ているけれど、もちろんマギーのほうが先輩だから、お手本に
したのはマイルスのほうなんだろう。 マイルスがニューヨークに出てきて最も心酔したのはフレディ・ウェブスターだったけれど、この人は録音がまともな
形では残っていないから、そもそもどんなサウンドだったのかがよくわからない。

ビ・バップの奏者としてスタートしたけれど、ハード・バップの時代になってもニュー・ジャズの時代になっても柔軟に適応できた稀有な人で、音楽家としても
演奏家としても優秀だった。 麻薬の問題さえなければ、きっともっと大きな存在になっていただろうと思う。

それでもアルバムはポツリポツリと残っていて、私はこの作品が一番好きだ。 プロコム・ハルムのようなオルガン・サウンドを背景に、伸びやかで望郷的な音で
小品を歌い紡いていく。 秋の日の夕暮れを思わせるような切ない雰囲気に彩られた内容で、忘れ難い印象が残る。 メロディーの歌い方も上手くて、
音楽をより音楽らしく奏でることのできる人だった。 

映画会社のサントラ配給レーベルらしく、質屋のショウウィンドウをトランペットケースを持って力なく覗き込む姿はまるで映画のワンシーンのようだ。
レコードとしての意匠がジャズのそれというよりはサウンドトラックのもので、そこが他のレーベルとは違う手応えがあり、異彩を放っていると思う。
"アンダーカレント" といい、ズートのパリ録音といい、数こそ少なかったけれど優れたレコードを作ったとてもいい会社だった。



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爽やかさと同時に記録された孤独

2016年09月19日 | Jazz LP (Verve)

Bud Powell / Blues In The Closet  ( 米 Verve MGV-8218 )


若い頃にこれを初めて聴いた時はてっきりライヴ演奏だとばかり思っていた。 演奏の背後で聴こえる人の声がやたらと賑やかで、えらく盛り上がってるなあ、
随分観客との距離が近いライヴハウスだったんだなあと思っていた。 それは安い中古の日本盤だったけどライナーノートや帯が欠損していて、この賑やかな
声の主がパウエル本人のものだなんて想像すらできなかったのだ。

そして、レイ・ブラウンのベースを聴いたのもこのレコードが初めてだった。 "52番街のテーマ" で出てくるベース・ソロの部分が物凄い速弾きなのに、
リズムが乱れずに正確で音粒が見事に揃っているのに驚愕した。 

オシー・ジョンソンのブラッシュワークも見事で、トリオの演奏をグイグイとスィングさせる。 モダンジャズの巨匠2人と比較しても何の遜色もない。 
トリオとしての纏まりや躍動感の要として、これ以上ない仕事をしている。

パウエルは指の腹で打鍵するので、元々ピアノの音がつぶれたように響く。 更に晩年は体重が大幅に増えたので、それがそのまま音に加重されていて
独特の響き方になっている。 晩年のパウエルのピアノが音が濁っているように聴こえるのはそれが原因だけど、このセッションは体調がよかったようで、
非常に運指がなめらかでフレーズも弾んでおり、全体的に爽快感が漂っている。 それをしっかりと下支えするレイ・ブラウンとオシー・ジョンソンの
素晴らしい演奏も合わせて、各楽器のサウンドが鮮度よく録音されている。

40年代に自身の最高の演奏スタイルを確立してしまった後、20年間何も変わることなくただひたすらバップを演奏し続けた所々の記録をこうやってレコード
として聴くと、変わらなかったことや変われなかったことや変わろうとしなかったことの哀しみのようなものが迫ってくる。 パウエルの音楽は巨大だったから
時代や周りの変化を一切寄せ付けなかったようなところがあるけれど、そういう佇まいの中にある寂しさのようなものもここには記録されている。



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"Young" を集めた古き良き時代

2016年09月17日 | Jazz LP (Vocal)

Rosemary Clooney / While We're Young  ( 米 Columbia CL 6297 )


今では俳優ジョージ・クルーニーの叔母としても知られるようになったローズマリー・クルーニーだが、若い頃はハリウッド女優にも負けない美貌を誇り、
レコードもたくさん作った。 お世辞にも美声とは言えず、歌い方もジャズの唱法ではなく普通のポピュラー歌手のそれだが、50年代前半の王道である
フル・バンドをバックに丁寧に朗々と歌っているものはなかなか聴き応えがある。

このレコードは "young" という言葉がタイトルに入る曲ばかりを集めたものだが、バックで演奏するストリングス入りのフル・オーケストラが非常に
ノスタルジックでシルキーな質感で、これに耳を奪われる。 目一杯お金をかけたゴージャズで夢見るようなサウンドが心地よい。

アート・ファーマーもアーゴ盤で取り上げた "Younger Than Springtime" がとてもいい。 これを聴くと、ファーマーのメロディーの歌い方は
歌手の歌い方と一緒なんだなということがわかる。 当時は他のインスト奏者は取り上げなかったけど、すごくいい曲だ。

写真映えする美貌を活かしたジャケットデザインも良く、当時のポップ・アートの趣味の良さが伺える。 ビートルズもプレスリーもいない、ジャズが
一般大衆向けのマス・ポピュラー音楽だった頃の、一番いいところを切り取った一コマとして残された可愛らしい小さなレコード。 コロンビアのエンジ
レーベルは基本的にSP録音音源のLPフォーマットへの切り直し用に使われたものだけど、これはその端境期の録音で音質もとてもいい。



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ソニー・ロリンズ最高のライヴ

2016年09月11日 | jazz LP (Metro Jazz)

Sonny Rollins / At Music Inn  ( 米 Metro Jazz E1011 )


"ミュージック・イン" は1950年代からマサチューセッツ州レノックスにあった音楽学校だが、学校といってもジュリアードやバークリーのような筋金入りの
アカデミーではなく、もっと庶民向けに広く開かれた雰囲気の学校で、MJQのジョン・ルイスが校長を務めた。 一流ミュージシャンを多く招いて
コンサートを開いたり、音楽愛好家が気軽に集まって音楽談義をする音楽サロンとしても機能していたらしい。 ジョン・ルイスの計らいで、オーネットや
ドン・チェリーらも奨学金を貰ってここのサマー・スクールに参加している。

そういう頻繁に行われていたコンサートにロリンズが招かれてMJQと一緒に演奏したものがレコードと残されており、ミルト・ジャクソンが入っているものは
契約上の縛りがあるのでアトランティックから出され、ミルトが抜けたピアノトリオをバックにしたものがこのメトロ・ジャズに収められた。 1958年8月の
演奏だが、これはディスコグラフィー的に見ればブルーノートの "Newk's Time" とコンテンポラリーの "Contemporary Leaders" の間にあり、
ちょうどロリンズがピークを迎えていた時期にあたる。

これが、とにかくすごい演奏なのだ。 ワンホーンの4曲が収録されているが、10km先まで届くのではないかと思えるような豪放な音が鳴り続け、開封したての
ゴムボールが大きく弧を描いてバウンドするようなフレーズが滾々と湧き出し、人の喋り声のような豊かな表情をもった吹き方でとにかく圧倒される。
評価の固まったヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴより、こちらのほうがはるかにいい。 ヴァンガードのほうは高音域帯にフレーズが集中していて
腰が高い感じの演奏だが、こちらの演奏は低音域の深いところで演奏しており、重量感がまったく違う。

また、レコードから出てくる音の質感も対照的で、ヴァンガードのほうは奥行き感のない平面的で鮮度の低い籠った音であるのに対して、こちらは会場の
ホールトーン全体が丸ごと録られていて、その中でロリンズの重低音が鮮度高く陰影深く鳴っており、オーディオ的な快楽度の高さでもヴァンガード盤は
この盤の足許にも及ばない。 楽器の音が立っていて、音圧も高く、ボリュームを普段より下げないと音が大き過ぎて聴けない。

余白にテディー・エドワーズの演奏が2曲含まれていて、演奏自体は悪くないのだが、ロリンズの後では気の毒なくらい分が悪い。 
この時期のロリンズは本当に無敵だった。 聴けばわかる。


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物憂げな独白

2016年09月10日 | Free Jazz

Peter Brotzmann / Nothing To Say : A Suit Of Breathless Motion, Dedicated To Oscar Wilde  ( 独 FMP CD 73 )


あまり見かけない珍しいブロッツマンの作品があったので、すかさずゲット。 1994年9月にベルリンで録音された無伴奏ソロだ。
複数種の管楽器を曲ごとに使い分けており、飽きさせない構成になっている。

オスカー・ワイルドに捧げる、という副題の通り、ワイルドの詩や戯曲から得た印象をブロッツマン風に描いた作品だが、ワイルドのことはほとんど何も
知らない(ドリアン・グレイや幸福な王子くらいしか読んだことがない)私にはこれが如何にもワイルドから得たインスピレーションなのかどうかは
さっぱりわからない。

耽美派文学の先駆者に捧げた作品ということもあって、全体的にはいつもの激情は影を潜め、物憂げな独白という様相を呈している。
ゆったりとした穏やかな表情の演奏が多く、こういう姿は珍しい。 抒情的ですらある。 自身の語法で何事かを語りかけてくる。
フリー系の怪物としてスタートした彼だが、ある時期を境にそういうフォームからは脱皮して1人の芸術家として我々の前に立ちはだかるようになった。
この作品も明らかに1つの自立、独立して完成された芸術品としての佇まいがあって、そういうものを見た時に共通して受ける感銘がある。

あまりの多作ぶりに鑑賞が追いきれないが、それでも丁寧に聴いていくとやみくもにリリースされているわけではなく、留まることのない自身の内的活動を
うまく作品化することに長けていただけなんだろうということもわかってくる。 本気で対峙するにはこちらもすべてを投げ出してかからないといけない巨峰だが、
私にはとてもそこまでできる覚悟はなく、こうやってちまちまと中古を漁ってはこそこそと聴くのが関の山だ。

それでも、あきらめることなく、これからもぼちぼちと聴き続けていくことになるのだろう。 それだけは今のところはっきりとしている。


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東西ミックスの味

2016年09月04日 | Jazz LP (Jubilee)

Herb Geller / Fire In The West  ( 米 Jubilee JLP 1044 )


苦手な西海岸モノだが、ハーブ・ゲラーはあまりちゃんと聴いたことがなかったし、安値で転がっていたのでダメもとで聴いてみることに。
ケニー・ドーハム、ハロルド・ランドを加えたセクステットで、ルー・レヴィー、レイ・ブラウン、ローレンス・マラブルという珍しい顔合わせになっている。

予想通り、アレンジが施された軽快でコンパクトな演奏だが、アレンジ自体はさほどガチガチではなく、各人のアドリブパートではそれぞれがしっかりと
演奏しているので、思ったよりも聴き応えがあった。 ベニー・カーターがアイドルだったというだけあって、ハーブ・ゲラーのアルトは太い音でなめらかに
流れていく。 直感や閃きに頼るタイプではなく、ある程度のシナリオを前提にしたようなフレーズになっている。

自身のリーダー作なんだからもっと前に出てしっかりと吹けばいいのに、そうはなっていない。 とにかく、ハロルド・ランドの硬質で重心の低いテナーと
ルー・レヴィーの見事なソロばかりが印象に強く残る。 これじゃ一体誰がリーダーなのかよくわからない。 まあ、こうやってソロを出すまでにいろんな
ビッグバンドで仕事をしてきた人なので、公平にソロを取れるアレンジをするのが本人には当たり前だったのかもしれない。

このアルバムを作るにあたり、当初はドラムはフランク・バトラーがやる予定だった。 ところがリハーサルをやる約束の時間になってもバトラーは現れない。
せっかく招いたドーハムの手前もあり、急遽マラブルをスタジオに呼んでリハーサルを行い、本番もバトラーはクビにしてマラブルでやることになった。
それを知ったバトラーは怒り、レコーディングの2か月後のある日、ゲラーが自宅に帰ると窓ガラスがこじ開けられてTVやシャツや現金が無くなっていた。
ちょうどその頃マイルスのバンドがLAに来ていて、フィリー・ジョーがゲラーの家にやって来て「フランク・バトラーがお前ん家のTVを持ってるぞ」と
教えてくれた。 そして、しばらくしてバトラーは窃盗の常習者として逮捕・投獄された。 このアルバムにはそういう裏話がある。

ジュビリーは東海岸のレーベルだから、このレコードも西海岸特有の乾いたサウンドではなく、東海岸のレーベルらしい腰回りの太い音がする。
そのせいもあって、音楽の建付けは西海岸のジャズなのにも関わらず、聴いていてそういう感じがあまりしないミスマッチ感がちょっと面白い。
レーベルカラーというのは不思議なものだ、と思いつつも、そういうものを凌駕するほどの個性や力はなかったんだなと切ない気持ちにもさせられる。

愛妻ロレイン・ゲラーが30歳の若さで肺水腫で亡くなり、すっかり気落ちした彼はスタン・ゲッツの助言などもあり、渡欧してドイツに移住してNDRオケなど
地元のビッグバンドに席を得て、アメリカには戻らなかった。 渡欧する直前、バードランドでブッカー・リトル、スコット・ラ・ファロらと演奏する話があったが、
落ち込んでいたこともあってそれを蹴ってしまった、あの時東海岸に行って彼らとバードランドに出ていれば自分はジャズの世界でもっと有名になっていたかも
しれない、と晩年に語っているけど、このアルバムを聴いた限りでは「さあ、それはどうかなあ?」というのが正直なところかもしれない。


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「いそしぎ」の名演

2016年09月03日 | Jazz LP (国内盤)

Art Pepper / Besame Mucho ~ Live in Tokyo  ( 日 ビクター音楽産業 JVC VIJ-8372 )


1979年7月に来日したアート・ペッパーが東京の郵便貯金ホールで行ったライヴ演奏の中から、自身で選んだ曲で編まれた日本オリジナル作品。
復帰後は日本のファンからの熱いラブコールを受けて何度も来日して日本オリジナルのアルバムをたくさん残したが、それらの中で最も好きなのがこのアルバムだ。

若い頃のいくつかの優れた作品が忘れられない多くの人々が復帰後の彼に執拗に作品を作らせたものの、以前とは雰囲気が変わった内容に誰もが戸惑った。
長いブランクのせいでまだ調子が戻っていないだけだろう、次こそはあの輝かしい美音が聴けるに違いない、としつこくまるで鞭を打つように録音させた。
でも、そうやって追いかければ追いかける程遠のいていく逃げ水のように、アート・ペッパーは捕まえられない。 それが晩年の彼と聴衆の関係だった。

アート・ペッパー独特の節まわし、つまりフレーズのすべてを吹き切らず、遠回しに遠慮がちに語るような語り口はここでも変わらず聴ける。 音量も大きく、
豊かで、熱を帯びている。 黄金色のサックスが照明の中に浮かび上がってキラキラと輝いているのが目に浮かぶようだ。

そして、このアルバムが他のものと一線を画しているのが "The Shadow Of Your Smile" の素晴らしいバラード演奏だ。 元々バラード演奏が
際立っていた人だけど、ここでは若い頃にはなかった深みが加わっている。 原曲の哀感を最大限に活かした切ない表情に言葉を失ってしまう。

復帰後のペッパーを支え続けたジョージ・ケイブルスも常に寄り添うようにデリケートな演奏に終始している。 聴衆の熱狂ぶりも凄くて、晩年のペッパーは
本当に多くの人に支えられたのだということがこの作品1枚からでも読み取れる。

加えて、ビクターのこのレコードはとても音がいい。 豊かなステレオ感とクリア過ぎる程クリアな空気感が高い音圧で再生されて、この時の演奏の
素晴らしさをヴィヴィッドに伝えてくれる。 ホールの残響感も上手く生きていて、ビクターはよく頑張ったと思う。

後期のアート・ペッパーはつまらない、という世評などは相手にせず、この素晴らしい演奏を純粋に愉しむといい。 愉しんだ者が勝ち、なのだ。


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