廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

数少ない作品の中の1つ

2024年04月08日 | Jazz LP (Argo)

Red Rodney / Returns  ( 米 Argo LP 643 )


40年代からプロとして活動し、パーカーの傍にいることができたという僥倖に恵まれたにも関わらず、ドラッグで身を持ち崩し、50~60年代は
その足跡がまともに残せなかったレッド・ロドニー。アルバムは12インチは3枚しか残っておらず、上手いトランペッターだっただけに何とも
残念なことだ。

シカゴのローカルメンバーをバックに録音されたこのアルバムはハードバップの豊かな香りが立ち込める名作。ビッグバンドや裏方の活動が主で
自己のリーダー作を持たないビリー・ルートを迎えた2管編成の王道で、このレーベルのイメージにはそぐわない程の本格的なハードバップを
聴かせる。パウエルの名演を想い出す "Shaw Nuff" で幕が開き、緩急自在な曲を並べる構成も見事でこのアルバムは非常によくできている。

テナーのビリー・ルートの存在感が大きく、この人抜きにはこのアルバムは語れない。太くマイルドな音色、適切な音量とスピード感、自己主張を
控えた演奏なのにそういう美点が彼の存在を大きく前に押し出す。この優れたテナーを軸に、無名のバックのトリオも堅牢な演奏を聴かせて
音楽を支える。メンバーに恵まれたロドニーも非常によく歌う見事な演奏に終始する。どこからどう聴いても、これは傑作だとわかるだろう。

これほどのアルバムが作れるのに、アルバム数が少ないというのは惜しいことである。「リターンズ」というタイトルが付くアルバムは例外なく
麻薬禍でシーンから一時消えたミュージシャンの復帰作に付けられるもので、本来は不名誉なものだ。アート・ペッパー、デクスター・ゴードン、
ハワード・マギー、と数え始めればキリがないが、ジャズが一番よかった50年代後半に本来であればもっとたくさんのアルバムを出せたはずなのに
と悔やまれる人は多い。貧しく、教養もなく、モラルも低い層がこの音楽をやっていたということだけど、そういうことが信じられないくらいに
残された音楽は素晴らしい。ジャズというのは不思議な音楽だとつくづく思う。



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Argoレーベルの良さが感じられる

2024年02月10日 | Jazz LP (Argo)

Norman Simmons / Norman Simmons Trio  ( 米 Argo Records LP-607 )


ノーマン・シモンズはシカゴのローカル・ミュージシャンで、かの地を訪れたミュージシャンの受け皿として共演したり、著名な歌手の歌伴を
務めたりしていた。野心を持ってニューヨークへ出て、ということはしなかったようで、そのため50年代のリーダー作はこの1枚しか残っていない。

これと言って特徴のあるピアノが聴けるわけではなく、ごくごく普通に小気味よく明るい演奏に終始している。他の名の知れた歌伴ピアニストたち
なんかと共通するところが感じられる。フレーズが平易でわかりやすく、タッチも柔らかく、穏やかな表情だ。他のアーティストたちと熾烈な
競争して生き残っていくというような生活とは無縁の、地に足のついた演奏活動をしていたのだろうなと想像することができる。

ARGOには似たようなタイプにジョン・ヤングなんかがいて、あちらは複数枚のリーダー作が残っているのに、このシモンズは1枚のみという
何とも控えめな足跡で、このレーベルであれば言えばいくらでもアルバムは出してくれただろうに、何とももったいないことである。
私は知らなかったのだが、80年代以降になるとポツリポツリとリーダー作が出ているようなので、機会があれば聴いてみたい。

ARGOというレーベルにはこういう地元シカゴ中心で活動していた演奏家のアルバムが数多くある。彼らはいわゆるビッグネームではなく、
日本ではマイナーとかB級とかの形容詞で語られるけれど、別に本人たちはそういうのはどうでもよかったのではないか。
彼らの演奏をレコードを通して聴く限りでは、迷いなく自分の信じる音楽を心地良さそうに演奏している。その中から彼らの見ていた風景や
暮らしていた日々の生活の様子などが透けて見えるような気がする。街のざわめきや風の匂いや交わしていた会話などを感じるような気がする。
ARGOレーベルはそういう当時のシカゴの雰囲気を上手く切り取ってくれたと思う。このレーベルはそこがいい。



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R.I.P アーマッド・ジャマル

2023年04月23日 | Jazz LP (Argo)

Ahmad Jamal / Portfolio Of Ahmad Jamal  ( 米 Argo LP 2638 )


アーマッド・ジャマルが92歳で逝去したが、SNSでは海外からの哀悼のコメントはたくさん流れているのに比して、日本からの惜しむ声は
圧倒的に少ない。チック・コリアやショーターの時とは大違いだ。それが不憫で、申し訳ないとさえ思えるので、こうしてアーマッド・ジャマル
のことを書いている。

マイルス・デイヴィスの逸話があるので、ジャズが好きなら誰しも1度はジャマルの音楽を聴いているはずだ。恭しい気持ちを抱きながら
最初はレコードを聴いただろう。ところが実際に聴いてみると、それがイメージとはかなりかけ離れていることに戸惑うことになる。
あのマイルスが一目置いたのだから、もっと深みのある凄い音楽だと思っていたのだが、というのが大方の感想だったのではないだろうか。

日本人は変に真面目というか、音楽を気軽にリラックスして聴くことが苦手だ。きちんと正座して、オーディオ・セットと正対して聴かないと
音楽を聴いた気がしないし、そうしないとアーティストに申し訳ないという罪悪感すら覚えてしまう。そして、そういう意識の延長で、
軽い音楽を軽蔑したり、いろんな要素がブレンドされた音楽は純粋じゃないと眉を顰める。

音楽家にはいろんなタイプがいて、5年とか10年という短い期間に将来の種までも含めて自分のすべてを燃焼させて燃え尽きる人がいる一方で、
早い時期に完成させた自身のスタイル(そしてそれはしばしば他の誰にも真似できない傑出したものであることが多い)を緩やかに相似させながら
息の長い音楽活動を続ける人もいる。どちらがいいとか悪いということではなく、単に生き方が違うというだけのことだが、前者のほうが芸術家
としての生き方に相応しいという価値観が相変わらずある。

アーマッド・ジャマルは軽い音楽をやった人で、デビュー時で既にその独自性は確立されており、以降はその延長線上で活動を行った。
生活している地元を離れるのを好まず、大作を作ろうという野心もなく、自身の内なる声に従って音楽を演奏した。我々レコードマニアの視界に
入るのは初期のアーゴやエピック時代だが、それらはどのアルバムを聴いても基本的には同じような内容で、特に違いがない。
音数少なく、間を大きくとった演奏で、ライヴ録音ではそれが特に顕著だ。お客はリラックスして聴いていて、会場の楽しそうな雰囲気が
よく伝わってくる。そこにはジャマルの音楽の楽しみ方のお手本が示されているような気がする。私たちもそれでいいではないか、と思う。



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ケニー・バレル3部作と呼びたい1枚

2022年08月27日 | Jazz LP (Argo)

Kenny Burrell / The Tender Gender  ( 米 Cadet LPS 772 )


Argoレーベルは1965年にCadetと名前を変えているが、このアルバムは1966年4月にニューヨークで録音されている。RCA Studioで録音され、
レコードもRCAでプレスされたので品質がよく、音もいい。

リチャード・ワイアンズのピアノ・トリオをバックに歌いまくるバレルは、まるでワン・ホーン・カルテットのような雰囲気。ブルース・フィーリングが
ベースになっているけれど、時代の空気も流れ込んでいて、明るくポップなところもある。普段はガンガン鳴らすワイアンズのピアノも、ここでは
バレルのバッキングに徹していて、決してギターを邪魔しない。全体の纏まり感はとてもいい。

そんな中を流れるバレルのギターの音色がざっくりとした質感で素晴らしい。増幅されたフルアコの音色がギターの快楽を感じさせてくれる。
お約束の無伴奏ソロによるスタンダードも、いつものバレルらしい解釈。ギターっていいな、と思う。自作の楽曲が多く、そのどれもが聴かせる
メロディーを持ったいい曲ばかりなのも嬉しい。

同時代のジャズ・ギタリストたちの中では、最もオーソドックスな弾き方をするのがケニー・バレルだと思う。決して技巧に走らず、常に歌うことを
優先しているから、曲芸的バカテクを期待する向きには合わないかもしれないけれど、これがジャズ・ギターなのだ。管の入らない編成で聴くと、
全編に渡って彼の演奏を堪能できて、満足度が高い。

アーゴのヴァンガードでのライヴ盤、ファンタジーのヴァン・ゲルダー盤と並ぶ、バレルのギター3部作と呼びたい1枚。素晴らしい。



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黙って愛でていたいアルバム

2020年04月08日 | Jazz LP (Argo)

Art Farmer / Perception  ( 米 Argo LP-738 )


Argoレーベルのアート・ファーマーと言えば何と言っても "Art" があって、私も大好きなアルバムだけど、でも本音を言うとこの "Perception" の方が
ずっと身近な存在であり続けてきた。これは本当にアート・ファーマーらしい、奥ゆかしくて滋味溢れる静かなる傑作。
フリューゲルホーン1本で謳われる楽曲はどれも穏やかな表情をしている。柔らかい笑みに溢れていて、こんな幸福なアルバムが他にあるだろうか。

ハロルド・メイバーンらバックのピアノ・トリオも自己主張を抑えたデリケートなサポートに徹しており、ファーマーと見事な一体感を作っている。
とにかく全編に渡って優しい歌が溢れていて、こんなのはアート・ファーマーにしか作れない。

フリューゲルホーンをここまで前面に押し出して自在に操り、アルバムを作った例は他にはあまりないのではないだろうか。他のトランペット奏者も
この楽器を使うけれど、大抵は変化球としての位置付けで、アルバムにアクセントを付けるのが狙いだ。でも、ファーマーはこの楽器をメインにする
ことが多く、トランペットと同格で扱う。元々彼のトランペットの音色もくすんだトーンなので、時には聴き分けがつかなくなるくらいだ。
他の奏者が使うと鼻につくこともあるけれど、ファーマーの場合はあまりに同化していて、あざとさは全くない。

ケチを付けるところが何一つない、完璧なアルバムだと思うけれど、このアルバムは声高に称賛したくない。あくまで静かに、黙って愛でたい。
名盤100選にも載せたくない。そういうのは似つかわしくない。だから、これまでブログには載せなかったのだ。そういうタイプの作品だと思う。


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あるレコードのことが気に入ると・・・

2019年06月16日 | Jazz LP (Argo)

Max Roach / Max  ( 米 Argo LP 623 )


何とも図々しいタイトルである。 そして、例によって、間抜けなジャケットデザイン。 当然、35年間ガン無視で来たわけだけど、よく調べて見ると
このアルバムはフロントがケニー・ドーハム、ハンク・モブレーという興味を引く顔ぶれであることがわかり、これは1度聴かねばということになった。

名前を見ただけでどういう演奏なのかは簡単に想像できて、実際に聴いてみるとまさにそのまんまの演奏だが、これがなかなか渋みが効いた良い内容だ。
ドーハムは抜けのいい音で抑制したフレーズを吹き、モブレーはいつものマイルドな音色で音楽の全景を淡く染めていく。 この2人は相性がいい。

ゆったりとした曲の印象が強く残り、全体を通してとてもいい雰囲気が溢れている。 アップテンポの曲では相変わらずローチ君の自己主張がウザいけど、
それを除けばこのアルバムは上質でマイルドな質感が素晴らしい。 ちょっと悔しいが、これは気に入ってしまった。 

ローチ君のドラムの特徴である音量の大きめなハイハットが刻む正確なリズムも、よくよく考えればタイムキーパーとしてのドラマーとしては優れている
ということだ。 おかずが多くて技をひけらかすようなところが癇に障るし、ソロパートでの味気無さは観賞上の必要性のなさを増々助長するものでしか
ないけれど、どうもこの男は共演者に助けられて良いアルバムを作ることに長けていたようだ。 だから、嫌い嫌いと言いながらも、こうやって聴いて
しまうことになるのである。

更に厄介なことに、変に気に入ってしまったものだからレーベルデザインが2種類あることにも気付いてしまい、気になって両方聴いてしまうという
愚行を冒してしまう。





この2つの盤のデッドワックス部のマトリクスの記載には違いがある。 Side-1を例にとると、

写真1枚目 : J08P_1147_1(機械打ち)        A1(機械打ち)Ⅰ(機械打ち)
写真2枚名 : J08P_1147_1(機械打ち)△848(手書き)A2(機械打ち)Ⅰ(機械打ち)

ジャケットも盤のプレス形状も同じなのでどちらも同時期の生産だと思うが、音質は2枚目のほうが全体的に残響感が効いていて、この音楽の特質が
より強調されているような印象を受ける。 それに比べて1枚目のほうは残響感が微妙に弱い分、楽器の音の輪郭がくっきりしているような感じだ。
こうして聴き比べると、直感的にマスタリング自体が違うような印象を受ける。 音の鮮度はどちらも同じなので、後先の問題ではなさそうだ。
Argoの場合は、経験的に言って、レーベルのデザインや形状が違うとマスタリングも違っているんじゃないかというのが個人的な印象である。

どちらもそれぞれに良さがあるので、結局このアルバムは2枚ともレコード棚の中に仲良く並んで収まっている。 ここまで手間をかけさせるくらい、
私はこのレコードが気に入っているということなんだろう。


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アーゴの確かな目線、スペシャルな傑作

2019年04月07日 | Jazz LP (Argo)

Zoot Sims / ZOOT  ( 米 Argo LP 608 )


若い頃から既に老成した雰囲気を持っている人って結構いる。 大体の場合、10代の頃から "おっさん" という有難くないあだ名を付けられたりする。
でも、年を取って久し振りに会うと昔と全然変わってないなあということになり、逆に若い頃はシュッとした男前だったのに今じゃ老けて見る影もなく
劣化したのもいたりして、果たしてどちらがいいんだろうという話になったりする。 

ズート・シムズもおそらくは前者のタイプだったんじゃないかと想像する。 初期プレスティッジの頃から大人びたプレイで頭一つとび出ていて、以降
晩年までスタイルも音楽も高値安定を維持し続けたような印象だろう。 パブロ時代にようやく実年齢が演奏に追い付いたかな、という感じだ。

ただ、このアーゴ盤をじっくりと聴いていると、そういう俯瞰した時の粗い印象の中でもやはり若々しい勢いとみずみずしい感覚で吹いているなあと
いうことに気が付くようになった。 演奏があまりに上手過ぎてサックスが音楽の中に見事に溶け込んでいるから普段はあまり考えないけれど、
高音域帯を中心にフレーズを構成して弾むようなノリで明るい表情を作っているのはこの時期ならではだと思う。 

スタン・ゲッツのバンドでは雑な所が目立って興を削いでいたジョン・ウィリアムスもここではとても丁寧な演奏をしていて、音楽が上手くまとまるのに
貢献している。 4人が余裕で処理できる範囲内のスピード感に抑えているところがこのアルバムにゆとりの感覚をもたらしているようなところがあり、
それが作品を成功に導いている。 ズートには2管編成のアルバムが多いけれど、この人の語り口を味わうにはこういうワンホーン以外は考えられない。

アーゴに唯一残したアルバムで彼の魅力が最大限に伝わるような内容になっているのはおそらくは偶然ではない。 アルバム制作陣は何をするべきかが
わかっていたのだろう。 選曲も他レーベルのものとは一味違っていて、他のアルバムでは代替が効かないスペシャルな1枚となっている。

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アーゴ・レーベルの確かな視線、普通の素晴らしさ

2019年04月06日 | Jazz LP (Argo)

Kenny Burrell / A Night At The Vanguard  ( 米 Argo LP 655 )


昔のジャズ・ギターはフルアコを使い、エフェクターも通さずトレブルも絞って弾いたりアンプを使わずマイクで拾っていたので、ピアノや管楽器が入ると
ギターの音が埋没してしまう。 だから、こういうピアノレストリオの演奏で聴くのが理想的だ。 この時代に1曲を通して途切れることなく延々と
フレーズを紡ぎ、なめらかに流れるように音楽を創ったギタリストは他にはあまりいなかったように思う。 タル・ファーローも長距離走者的にギターを
弾き続ける人だが、余程弦高を高くして強いテンションにしていたのか音がブツブツと硬く途切れがちで、バレルとはタイプが全く違う。

ミュージシャンにとって、ライヴハウスで特に構えることもなく普段通りに演奏するのは当たり前の日常だったろう。 その何気ない日常を上手く切り取った
このアルバムはケニー・バレルの最良の姿を捉えている。 事前に入念に準備し、スタジオに入って打ち合わせやリハーサルをして録音するのもいいだろう。
でも、素の姿をありのまま楽しめるこういうアルバムはバレルのバップ期のアルバムの中では他にはあまり見られず、私にはこの時代のベストショットに
思えるのだ。

冒頭の "All Night Long" の何とカッコいいことか。 リチャード・デイヴィス、ロイ・ヘインズがバックというのも泣かせる。 濃厚な夜の雰囲気、
クラブの淡い熱気とくつろぎに満ちた様子、何もかもが理想的な塩梅で録られている。 アーゴ・レーベルの確かな目線があったからこそ生まれた
作品だと言っていい。 普通であることが、こんなにも素晴らしい。

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バリー・ハリスのパーカー集

2019年03月31日 | Jazz LP (Argo)

Barry Harris / Breakin' It Up  ( 米 Argo LP 644 )


バリー・ハリスの遅すぎるデビュー・リーダー作がチャーリー・パーカー集だったというのは、彼の音楽観をよく表していて、如何にもこの人らしい。
世に無数に存在するパーカー集の中でも、このアルバムが醸し出す雰囲気はパーカーの音楽が持っていた抒情的な側面を非常に上手く再現していて、
筆頭の出来の1つに挙げていい。 冒頭の "All The Thing You Are" が放つエレガントな芳香はパーカーが吹いた "Bird of Paradise" の雰囲気そのもの。
バリー・ハリスはピアノの技術で聴かせるのではなく音楽の建付けの上手さで聴かせる。 彼が言いたかったのはそういうことだったんじゃないだろうか。

"Embraceable You" ではデューク・ジョーダンが弾いたイントロのフレーズを踏襲していて、先人への敬意も忘れない。 ジョーダンとはまた一味違った
淡い情感で原曲の世界を描いていく。 パリで開かれる国際ジャズフェスティバルへ出演するために取ったパスポートをに因んで、"I Got Rhythm" の
コード進行を使って作った曲 "Passport" なんかも取り上げていて、マニアを喜ばせる選曲が嬉しい。 自作のブルースもいい塩梅で配置されていて、
捨て曲なしの内容が素晴らしい。

50年代に作られたピアノ・トリオのアルバムとしては、これは別格に好きだ。 このアルバムに漂う独特の風格は他の何にも代えがたいものがある。
その後リヴァーサイドと契約してたくさんのリーダー作を出せるようになったのは良かったと思うけれど、それらはどれもバリー・ハリスらしさは
希薄なような気がする。 バリー・ハリスらしい重いタッチでゆったりと歩を進めるこのデビュー作こそが、彼がジャズ界を渡り歩く際のパスポート
となったのはおそらく間違いない。 アーゴは地味なレーベルにも関わらず、そのアーティストの最良の姿を捉えることができた不思議な力があった。
地方都市に根を下ろすアーティストを大事にするというレーベルポリシーがその力を産み出していたのかもしれない。

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行き着いた先の傑作

2018年10月13日 | Jazz LP (Argo)

Sonny Stitt / S/T  ( 米 Argo LP 629 )


ヴァーヴやルーストは一通り聴いたがどれもピンとこず、自分にはスティットは合わないままなのかと諦めかけていたところでこれに行き着いた。
これはとてもいい。

バックのラムゼイ・ルイス・トリオとの融合感が高くて、ゆったりと伸びやかに吹いている。 隅々まで神経が行き届いていて、とても丁寧なプレイだ。
アルトとテナーを持ち替えながらの演奏だけど、テナーになっても技術的に落ちないので、全体に統一感がある。 楽器がよく鳴っていて、音もきれいだ。

それに、他のレーベルでの演奏よりも落ち着きがあるに感じる。 バラードを演奏しているわけではないのに、そういう音楽を聴いているような感覚に
なってくる。 録音時のスティットの心持ちがそういう感じだったのだろう、それが演奏を通して聴き手に伝わってくるようだ。

それに何より、このレコードは音が抜群にいい。 アーゴでこんなに楽器の音が輝かしい張りと音色で鳴るものは他にあまり記憶にない。 程よい残響感が
空間を上手く演出していて、演奏が生々しい。 こういう音で聴けば、ジャズという音楽の良さがより一層よくわかる。

演奏の質自体はルースト時代とは変わってはいないけれど、再生時の音場感が演奏の微妙なニュアンスを浮かび上がらせて聴き手の心を動かすことがあって、
このアーゴ盤にはそういうところが顕著だ。 ルースト盤では音圧はあるけれど平面的で一本調子に聴こえた演奏が、こちらはもっと自然な感じで楽しめる。 
廃盤価格としてはルースト盤の1/4であるアーゴ盤の方が圧倒的に感動が大きいのだから、中古レコードというのはいくつになっても難しい。


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文物と日用品の違い

2018年09月30日 | Jazz LP (Argo)

Sandy Mosse, Ira Shulman, Eddie Baker / Chicago Scene  ( 米 Argo LP 609 )


50年代のアメリカのジャズ・シーンの中心はニューヨークとロサンジェルスだった訳だが、それ以外の地方都市でも多くのミュージシャンが盛んに
演奏していた。 当時はジャズを聴かせるナイト・クラブが全米に無数にあったし、2大都市ではTV・ラジオ放送や映画のサントラなどで
ジャズ・ミュージシャンの重要が多く、彼らはどこにいても仕事はいくらでもあった。 特別な野心に燃える者は2大都市へ行き、
そうでない者は地元を拠点に活動していた。

"Argo" というレーベルはシカゴのチェス・レコードのジャズ部門として始まったわけだが、レーベルのアイデンティティーとして地方都市で
活動する演奏家を大事にして、レコーディングの機会を提供した。 アーマッド・ジャマルにしろラムゼイ・ルイスにしろ、このレーベルが
レコードを作っていなければ幻のピアニストで終わっていたかもしれない。

その流れの一環で、お膝元であるシカゴで地道に活動していた演奏家を集めて作ったのがこのレコードということらしい。ライナーノートには
各メンバーを1人ずつ名前を挙げて丁寧に紹介するなど、愛情のこもった作りになっている。 レーベル・ポリシーの結晶のようなレコードと
言っていい。

ただ、2テナー、トランペットの3管にギターを加えたセプテットの演奏だが、これがおそろしく凡庸な内容だ。冒頭からラストまで同じような
ミドルテンポの演奏が続き、緩急が無くユルくて浅い単調な音楽が続く。 聴き終わった後に思い返してみても、どんな音楽だったのかが
思い出せないくらいだ。各人の演奏はどれもしっかりしていて、立派なプロの演奏ではあるけれど、音楽的な感動は見出せない。

でも、まあレギュラー・グループだったわけではないし、みんなフラッと集まってその場の打ち合わせだけで普段通りに演奏しただけなのだろう。
最初から何か特別な作品を作るためのレコーディングではなかったのだから、こんなものなのかもしれない。

音質もこのレーベルのモノラル録音のごく平均的なレベルで、そういう面でもパッとしない。奥行き感や立体感はなく、残響感も乏しい。
褒められるところは、唯一、ジャケット・デザインだけといっていい。ブルーノートを想わせる、夜の街を表現した意匠は素晴らしい。

当時のシカゴという街の、毎日繰り返されていた風景の1枚を切り取ったらこういう感じだった、ということだったのかもしれない。
アメリカのレコードにはこういう作品がたくさんある。こういう所が欧州やその他の地域のレコードにはない、アメリカ独特の特徴だ。
アメリカ以外の地域の演奏家は常に「新しい作品を創る」という気概を以って取り組んだが、アメリカでは普段着のまま録音されたものが多い。
ジャズという音楽が文物だった人たちと日用品だった人たちの違いがこういうところに現れている。


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才能を生かそうとしないピアニストの肖像

2016年12月18日 | Jazz LP (Argo)

Ahmad Jamal / Chamber Music Of The New Jazz  ( 米 Argo Creative No.602 )


マイルスとの件を引き合いに出されなければ語られることがないように、実はあまりきちんとこの人自身の音楽が語られることは少ない。 そもそも、
現在に至るまでの膨大な数のアルバムをちゃんと聴いている人なんてほとんどいないのではないだろうか。 50年代に残されたアーゴやエピックの
レコードを少し摘まんで、そこで終わり。 私の場合はもっとひどくて、エピックの作品すら聴いたことがないし、これからも聴く気にはなれないだろう。
はっきり言って、つまらないのだ。 このアルバムは "New Rhumba" が名曲だから辛うじて手許に残っているだけで、聴くときも1曲目が終わったら
後は惰性でA面が終わるまで流して、それで棚にしまってしまう。 

ドラムレスにギターが加わったトリオ形式だが、レイ・クロフォードのホーンライクなギターが実質的には演奏をリードする建付けとなっていて、ジャマルの
ピアノはオブリガートに回る比率が高い。 確かにこの人のピアノは黒人ジャズピアノらしくない清潔感の高いきれいな音で、奏でる旋律もバップからは
解放されていて、ハービーやキースの演奏を先取りしているようなところがある。 マイルスが惚れたのはそういう新鮮な感覚に対してであったのに、
ああいう風に弾け、と言われたガーランドは少し誤解していたんじゃないかと思う。 私がジャマルを聴いたのはマイルス・コンボを聴いた後だったが
(多くの人がそうだろう)、ガーランドと比べてみて、なんだ、全然違うじゃないか、と思ったものだ。

私の知る限りではトリオ形式にこだわり、ホーン奏者などの録音に客演することはなかったようだが、そういう頑なに保守的な態度が明らかにこの人の
音楽的な発展を阻害していて、作品をつまらないものにしてしまっている。 せっかく他の人にはない優れた感覚と確かな技術があるのに、それを生かそう
とする姿勢がなかったのは残念だし、これでは芸術家とはとても呼べない。

このレコードはパロット・レーベルがオリジナルなので、このアーゴ盤はセカンドレーベル・リリースになる。 パロットは1952年に設立されて1956年に
倒産したシカゴのマイナーレーベルで、SPやEPで主にブルースのレコードを細々とリリースしていた。 たまに見かけるパロット盤のほうはどれも状態が悪く、
買う気になれない。 まあ、内容も内容なので、安いアーゴ盤で十分である。


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フォー・フレッシュメンも真っ青

2016年12月10日 | Jazz LP (Argo)

Dick Lane Quartet / Without Sauce  ( Argo Creative No. 605 )


フォー・フレッシュメンも真っ青のハイパー・コーラスで疾走する様が心地よい衝撃を与えてくれる。 ビーチ・ボーイズを筆頭に、フォー・フレッシュメンの
広範囲に渡る影響力の大きさをここでも改めて思い知らされることになる。 

甘ったるいバラードなどは排し、テンポのいい楽曲ばかりで全編通しているのでダレるところがなく、それが非常に好ましい。 コーラスのバラード曲は
上手く仕上げるのは難しいので、そういうリスクを最初から排除しているのは正しい判断だと思う。 "Bye Bye Blackbird" や "That Old Feeling"
のような古い曲も目の覚めるような新鮮な響きに塗り替えられており、才気豊かな勢いみたいなものを感じることができる。

コーラス(和声)はすべての音楽に共通する最も重要な要素の1つ。 グレゴリアン・チャントを持ち出すまでもなく、その起源は音楽発祥の時点にまで遡る。
そういう原始の姿のまま生き残り続けるコーラスという形態はいつの時代においても人々の心に響くものだし、近年では The Real Group などの極めて
優れたグループを生み出し続けている。 このディック・レーン・カルテットも、そういう系譜に名前を残すべき素晴らしいコーラス・グループだと思う。

Argo初期のボート・レーベルのこのディスクは音質も良く、くっきりとクリアで音圧の高いサウンドでこの素晴らしいコーラスを再生してくれる。
音楽的な満足度の高さと高品質な音場感が上手く結びついて、豊かな時間を過ごせることを約束してくれる隠れた傑作。

--------------------------------------

今週はUS買い付けロー・プライス品が少し品出しされていて、5枚ほど拾ってくることができた。 これはその中の1枚。 安いなあ、とため息をつきながら
帰ってきた。 ただ値段が安いだけの品揃えではないところに意味がある。 愉しい漁盤はまだまだ続く。


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静かな朝に聴き比べると・・・

2016年01月02日 | Jazz LP (Argo)


Art Farmer / ART  ( Argo LP 678 )


年明けの静かな朝、最初に聴くのに相応しいのは何かと考えてみるとこれしか思いつきませんでした。

今ではとても好きなこの作品、実は若い頃はまったく良さがわかりませんでした。 名盤100選には必ず出てくる定番中の定番なので当然早い時期に
聴きましたが、バラードアルバムを期待していたのに全体的にミドルテンポのものがメインだったことにがっかりしたし、「リリカルな演奏」という話
だったにも関わらず意外にざらっとした粗削りな質感で、それはその時に私が求めていたものとは大分違ったからです。 

ところがその後時間を置いて聴き直してみると、そのざらっとしたところが逆に良くて、それからは手放せない愛聴盤になった。 トミー・フラナガンの
トリオも世評で言われるほどいい演奏をしている訳ではないのですが、それがかえってファーマーのトランペットの語り口の上手さを対比させることに
なっていて、ますますワンホーンとしての魅力が引き立っているようなところがあります。 そういう演奏の細部がわかるようになったのは、状態のいい
オリジナル盤を聴いたことがきっかけでした。

ただ、このレコードのモノラル盤のレーベルにはグレイと黒の2種類があって、昔からどちらがオリジナルなのかという話が絶えない。 25年くらい前は
黒のほうがオリジナルだとみんな言っていましたが、最近はグレイがオリジナルでいいということになっている。 まあ、はっきりしない訳です。
そこでこの2種類を改めて聴き比べしてみると、いくつが気が付くことがありました。

私が演奏の良さに気が付いたのはグレイのほうを聴いた時です。 こちらはトランペットの音が大きく前に出ていて、音のかすれ具合なんかも生々しく、
ファーマーが吹く息の風圧を感じることができるような質感があります。 それに比べてバックのピアノトリオは位置的に少し奥に引っ込んだ感じで、
ピアノの音も少しくぐもったような音で、そのせいでファーマーのトランペットがすごく映える音場感になっている。

一方、黒のほうは4人が並んで演奏しているようなバランス感です。 トランペットの音はこちらのほうが粒子がきめ細かく、そのせいで音そのものに
光沢があるような感じでこちらのほうが客観的にはきれいな音ですが、風圧を感じるような勢いは少し後退しています。 ピアノの音もシンバルの音も
同じ傾向で、こちらのほうが音自体はきれいな音です。 ただ、全体的に纏まりがいい分、演奏の魅力があまり伝わってこない印象です。

これらは聴き比べてみて初めて気が付いたことですが、聴き比べるとその違いが割とよくわかります。 それに、そこまで分析的に聴かなくても、
直感的にグレイのほうがいい演奏に聴こえる、という印象を持つのではないでしょうか。

どうもこの色の違いは製造時の部材余剰の都合などではなく、意図的に使い分けているんじゃないかという気がします。 どちらかが初版で、もう片方は
マスターが劣化して質感が変わっている、という種類の違いではなく、マスターそのものが2種類存在したんじゃないかという感じなのです。 盤の製造
過程の中での話ではなく、ミキシング自体が微妙に違っている感じです。

黒はプレス枚数が極端に少なかったらしくて見かけることが滅多になく、これが「黒の方がオリジナルじゃないか」という風説の元になっていて話を
ややこしくしているのですが、私の感覚では黒の方は間違ったマスターを使ったプレスだったのですぐに製造を止めて、かといって廃棄しなけれいけない
ほど音質に問題があるわけじゃないので(実際問題、当時こんなことに気が付く人なんていなかったに違いない)、レギュラープレスのグレイと識別する
ために色を黒に変えてこっそり発売して売り逃げた、という程度の話だったんじゃないかという気がします。

従って、「DGグレイがオリジナル」という現状認識は正しくて、音楽重視ならグレイ、稀少性重視なら黒、という持ち方をここに提案致します。
(正月早々一体何を書いてるんだ、と呆れながらも、備忘録として削除せずにアップすることにしました。)


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