廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ワンホーン・アルバムの難しさ

2024年12月14日 | Jazz LP (Riverside)

Clifford Jordan / Bearcat  ( 米 Jazzland JLP-69 )


これと言って特徴もなく、聴き手に印象を残さないミュージシャンはB級と呼ばれるが、このクリフ・ジョーダンはその最たる人かもしれない。ジャズを深く聴いていけば
いずれは必ずぶつかる名前だが万人を納得させる名盤は残しておらず、大抵の場合その名前は知っているけれど特に好きでも嫌いでもないという感想に落ち着く。

テナーの音は太く芯があり、肺活量を目一杯使い切るかのような力強い演奏は頼もしさを感じるが、表情の豊かさに欠け、一本調子で単調、中音域帯に音が集中するので、
聴いていてすぐに飽きが来る。だからこういうワンホーンのアルバムはあまり面白くないというのが正直なところだ。この人はサックスを自分で吹く人にはその豪胆な
演奏から大変好かれるだろうけど、一般の音楽リスナーがレコードで聴いて特に楽しい人ではないだろうと思う。シダー・ウォルトは好きなピアニストだが、ここでは演奏に
隙間を感じるところがあって、バンド・サウンドが少しスカスカした居心地の悪さも感じる。

ただ、このアルバムはジャケットが私好みで、その1点だけで手元に置いているレコードだ。上半身だけをトリミングした不思議なデザインをモノクロで纏め、錆びた赤色の
文字でタイトルを入れた渋さが何とも言えない。じっくりと眺めれば眺めるほど深い趣を感じる素晴らしいジャケットで、レコードとしての有難みが増している。

管楽器、特にサックスのワンホーン・アルバムというのは本当に難しいものだと思う。ただ上手く吹けばそれでいいということにはならず、そこには何かがないと聴き手の
心には何も残らない。その何かを果てしなく求めるのがレコード漁りという趣味なのではないだろうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

処分前の備忘録として

2024年10月14日 | Jazz LP (Riverside)

Dexter Gordon / The Resurgence Of Dexter Gordon  ( 米 Jazzland JLP 29 )


無類のデックス好きの私も、長年記事にするのを躊躇していて手をこまねいていたのがこのアルバム。ドラッグが原因で50年代にまともな記録を残せなかったデックスが
出所後にブルーノートと契約する直前の隙間を縫ってジャズランドに1枚だけ残したのがこのアルバム。1960年10月13日、ロザンゼルスで録音されている。

デックスの演奏自体は何も悪いところはないのだが、如何せんアルバムとしての出来が悪い。3管編成というデックスにしては異色のフォーマットだが、音楽的な纏まりが
なく、散漫な感じで聴きどころがない。デクスター・ゴードンのリーダー作ということでハードバップを意図した企画だったはずだが、トランペットとトロンボーンが
無名の演奏者で力が弱く、ハードバップとして成立していない。演奏されている楽曲も出来が悪く、音楽的な印象がまったく残らない。

セクステットにしたのは第一線に復帰して間もないデックスを補助するための配慮だったのだろうと思うが、それが裏目に出たように思える。本来はワンホーンで朗々と
吹いていくところにこの人の持ち味があるわけだが、それがここでは封印されているのでデックスのアルバムを聴いているという実感が何もなく、凡庸な3管ジャズを
聴いているというだけに終始する。かと言って、ほかの奏者の演奏に聴きどころがあるわけでもないので、こちらの集中力もすぐに途切れてしまう。

裏ジャケットのライナーノートには伝説の巨人をレーベルに迎えられた喜びが書かれているが、残念ながら後味の悪いアルバムとなってしまった。これは完全に企画ミス
だったと言えるだろう。どうせならレーベルお抱えだったウィントン・ケリーのピアノトリオをバックにワンホーンでスタンダードをやればもっといいアルバムになった
はずだと思う。デックスが収監されていた施設が西海岸だったということも、彼を生かしたアルバムが作れなかった背景にある。50年代にわずかに2枚だけ残された
アルバムもレコードとしての有難みは別にして、内容はデックス本来のポテンシャルが十二分に発揮されたものとは言い難く、これはジャズの歴史における重大な損失の
1つに数えられる。この穴を埋めようとして60年代にはブルーノートに一連の傑作を残すわけだが、あの演奏は本来なら50年代に残されていたはずの演奏だった。
他の契約アーティストたちがみんな60年代という新しい時代に向けた音楽を模索していた中、デックスだけが威風堂々と50年代のジャズを録音していたわけだから。

そんなわけで、このアルバムは聴くことがまったくないので処分しようと思ったが、その前に記録だけは残しておこうということでここに記しておくこととなった。
古いサヴォイの録音やダイヤルへの録音も同様に好きになれず随分前に処分したが、そちらは記録に残しておくのを失念しており、その反省を踏まえての今回の記事
ということで。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

R.I.P Benny Golson

2024年09月28日 | Jazz LP (Riverside)

Benny Golson / The Other Side Of Benny Golson  ( 米 Riverside Records RLP12-290 )


ベニー・ゴルソンの訃報が飛び込んできて、「そうか、残念だな」と悲しい気持ちでレコード棚を眺めた1週間だった。

薄々気付いてはいたけれどゴルソン絡みのレコードはたくさん棚の中にあって、果たしてどれを献花として手向ければいいかよくわからなかった。一番彼らしいレコードは
一体どれなのか、私が一番好きなレコードはどれなのか。でも、これまでに結構彼のレコードは取り上げてきているし、同じものをまた取り出してくるのも芸がない。

このアルバムは彼の代表作というほどの重みはないけれど、よく出来ているアルバムだ。アザー・サイドというタイトルはどういう意味で付けられたのかよくわからない。
彼が書いた有名な曲は外してそれ以外を取り上げているということなのか、ハーモニー重視ではなく標準的なハードバップ・スタイルの演奏だからということなのか、
いずれにしてもあまり目を引くとこはない地味な位置付けにあるように思う。でも、RVGのような特定の色付けはされていないリヴァーサイドらしいナチュラルなサウンドが
ゴルソンのサックスの音色を割と的確に捉えているし、親しい相棒のカーティス・フラーとの演奏ということで鉄板のスタイルは揺るぎない。このアルバムを聴けば、彼の
テナーがモゴモゴしているという批判には当たらないことがよくわかるだろう。フィリー・ジョーのドラムがいい具合に効いていて、音楽が踊っている。

レコード棚を漁っていて気が付いたけど、ゴルソンはマイナーなレーベルは別にしてほとんどのレーベルに録音、若しくは何らかの形で関与している。おそらくまったく
縁がなかったのはパシフィック・ジャズくらいではないだろうか。そう考えると、彼の存在の重みやジャズの世界への貢献度合いがよくわかってくる。彼がいなかったら
ハードバップという音楽にはこれほどの色彩の豊かさはなかっただろうし、映画やミュージカルの楽曲をスタンダードという形で導入した流れと互角に張り合った楽曲を
書くことができた筆頭の人だった。私がハードバップという音楽に一番惹かれたのは結局のところ、彼の作ったハーモニーだったり彼の書いたメロディーだったのだ。

彼を失った悲しみの中でのささやかな慰めは彼が最後に来日した際の演奏を間近で観ることができたことだ。半年後にコロナ禍で世界が一変するなどとは想像すら出来なかった
あの頃、また日本に来てくれたら観に行こうと楽しみにしていたのだが、あれが最後になってしまった。それでも、あの時のステージでの演奏や彼がステージの上で語った
ブラウニーの話は今でもよく憶えているし、その温かい人柄の温もりは私の中にしっかりと残っていて、この先も消えることはないだろう。

彼の残したレコードはまだまだ他にもあるから、これからも折を見て取り上げていければと思う。彼の音楽を忘れることはないのだから。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Left Alone の名唱

2024年09月01日 | Jazz LP (Riverside)

Teri Thornton / Devil May Care  ( 米 Riverside Records RLP 12-352 )


リヴァーサイドが作ったヴォーカル作品はどれも1級品で唸らされるものばかりだが、これもそういう1枚。
テリー・ソーントンはデトロイト生まれで50年代から地元でキャリアをスタートさせていて、コロンビアからも何枚かリリースしてはいるものの
作品には恵まれず、広くその名前を知られることはなかった。声質や音楽のタイプは違うけれど、デラ・リースやダコタ・ステイトンなんかと
その存在のイメージが被る。実力と人気・知名度のバランスが悪い。

ジャズ専門レーベルのいいところはバックを務めるミュージシャンが豪華なところだろう。レーベルゆかりのミュージシャンがざくざくと参加
していて、その演奏を聴くだけでも価値がある。このアルバムもクラーク・テリー、セルドン・パウエル、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、
ジミー・コブらが参加していて、この時期特有のリヴァーサイド・ジャズの濃厚な雰囲気が立ち込める。

若い頃のデイオンヌ・ワーウィックに少し似た声質でしっかりとしたタッチで歌っていく。選曲が通好みでなかなかシブくていい。
そして、何といってもこのアルバムの目玉はビリー・ホリデイの "Left Alone" が収録されているところだ。ビリー自身はレコードに収録しなかった
のでこの曲を歌唱として聴けるアルバムはそれだけで価値があるが、なぜかどの歌手もまったく収録していない。畏れ多かったのか、それとも
何か別の理由があったのか、そのあたりの事情はよくわからない。ジャッキー・マクリーンの演奏をイメージすると少しその違いに戸惑うかも
しれないが、それでもこの曲特有の哀感にヤラれる。

ゴージャスなオーケストラをバックに歌うものもいいが、こういう我々が普段よく聴いているミュージシャンたちの演奏に囲まれて歌っている
アルバムには格別の良さがある。ヴォーカルと各楽器が等価の存在として不可分に絡み合いながら音楽が築かれていくところが素晴らしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小ネタ集(Riversideのセカンドレーベルはダメなのか)

2024年05月03日 | Jazz LP (Riverside)



Wes Montgomery / The Incredible Jazz Guitar Of Wes Montgomery  ( 米 Riverside Records RLP12-320 )


結論から言うとダメではなく、全然アリである。なぜなら、音はまったく同じだからだ。

ウェス・モンゴメリーの "インクレディブル" を例にすると、上段が青大レーベルでセカンド、下段が青小レーベルでオリジナルだが、青小レーベル
には BILL GRAUER PRODUCTIONS の後にINC.ロゴの入るものがあってそれが青小レーベルのセカンドプレスになるので、厳密に言うと青大
レーベルはサードプレスくらいになる。

この2つを比べてみると、違いがあるのは盤の材質というか仕上げが少し違っていることと貼られているレーベルが違うくらいで、ジャケットは
まったく同じものが使われている。だからレコードを実際に手に取って見てみると、その質感はほとんど同じで何も変わらない。青大は2年後の
リリースということになっているが、製造自体はそんなには離れていないんじゃないかと思う。

で、肝心の音質だが、これがまったく同じ音。注意深く聴き比べてみるけど、まったく同じ音質だ。タイトルによっては違うものもあるかも
しれないが、エヴァンスの "ポートレート" も以前青大を持っていて聴き比べていたがまったく同じ音だったから、おそらくは多くのタイトルで
同様だろうと思う。これはプレスティッジのN.Y.CレーベルとNJレーベルでも同じことが言える。

この2つの価格差はおよそ7~8倍。今はオリジナルの価格が以前の2~3倍になっていて、すべてのタイトルをオリジナルで聴くのは不可能だから、
セカンドであっても躊躇することなく聴けばいいと思う。50年代のレーベルは概ねどれもオリジナルとセカンドの製造時期は隣接していて、同じ
マスターテープを使い、同じ技師がカッティングしているケースがほとんど。現在ネットやSNSでさかんに語られている "オリジナル神話" は
レコード人口の増加に伴い話の内容が雑になってきていて質も劣化しているので、自分の耳で確かめるのが1番いい。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズ・ピアノとしての弱さ

2023年05月28日 | Jazz LP (Riverside)

Randy Weston / Trio And Solo  ( 米 Riverside RLP 12-227 )


お洒落なスーツにオレンジ色のシャツ、背後にはクラシック・カー、とわざわざこのアルバムジャケット用に写真を撮っている。リヴァーサイドは
カタログの初期にランディー・ウェストンのアルバムを立て続けに出していて、異例とも言える好待遇をしている。彼のレコード・デビューは
このリヴァーサイドだったようなので、キープニューズの新人発掘力の賜物だったのかもしれない。他のレーベルがまだ手を付けていない才能を
紹介するというのはレーベルにとっては大事なパブリシティーになるだろうし、当時三顧の礼をもって迎えたセロニアス・モンクとよく似た個性を
持つこのピアニストは、キープニューズの眼には大きな逸材として映ったのかもしれない。

ただ、このリヴァーサイドとの契約が終わった後はあまりパッとはしなかった。彼は長生きして、生涯ジャズ・ピアニストとして活動して
たくさんの作品を残したけれど、ジャズ・ファンからの評価とは無縁だった。モンクとよく似た間の取り方やフレーズを弾くが、あそこまで
徹底はしておらず、個性としては弱かったことは否めない。モンクが古いラグタイムやブギウギを基盤にしていたのに対して、この人の場合は
そういうリズム感の面が弱く、ジャズっぽくない。だからモンクはどんなにねじれていても常にジャズの核心に触れた音楽になっていたけど、
この人はそういう中心からは大きく離れた外縁部付近にいて、そういうところが一般的なファンには届かなかったのだろうと思う。

このアルバムはA面がブレイキーらとのトリオ、B面はソロ演奏で彼のピアノがよく堪能できる内容となっているが、流麗・闊達とは言えない
ピアニストとして弱さが浮き彫りになっている。ただ、そうは言いながらもレコード自体はこうして手元に残っているのだから、私自身は
嫌いではないということなんだろう。頻繁に聴くというわけではないにしても、たまに聴いてみるかと取り出すことがあるのだから。

録音はハッケンサックのヴァン・ゲルダー・スタジオだが、モンクのレコードと同様にRVG刻印がない。当時のリヴァーサイドのレコードは
これが標準だったのかもしれない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィリー・ジョーの最高傑作

2023年05月01日 | Jazz LP (Riverside)

Philly Joe Jones / Drums Around The World  ( 米 Riverside RLP 12-302 )


フィリー・ジョー・ジョーンズはリヴァーサイドに3枚のリーダー作を残しているが、このアルバムがダントツで出来がいい。
おそらく、こんなに豪華なメンバーが集まって演奏をしたアルバムは他のどこにもないのではないだろうか。ドラマーとして多くの管楽器奏者を
支えてきたこの人のためなら、ということで集まったメンバーたちは当時のジャズ・シーンを支えていた重要なメンツばかりで驚かされる。

冒頭のリー・モーガンのソロが爆発してキャノンボールに渡すところなんてもう最高にカッコいい。このアルバムでのモーガンとキャノンボールは
最高の演奏を聴かせるが、これはやはりフィリー・ジョーのドラミングが背後から彼らを煽り立ててくるからだろう。管楽器のアンサンブルは切れ味
抜群で凄まじく、聴いていると頭がクラクラする。

ドラマーのリーダー作ということでドラミングにスポットが当たる箇所が多いが、大きくうねるような流れと強弱のバランス、フロア・タムを多用
した豊かな低音部など、飽きることなく聴かせる。こういう風にソロが鑑賞に堪えうるところがアート・ブレイキーやマックス・ローチとは全然違う。
フィリー・ジョーはブレイキーやローチなどの前時代のドラマーたちとトニー・ウィリアムスら次世代とをつなぐ架け橋をしたんだなということが
これを聴いているとよくわかる。

ベニー・ゴルソンがいるのでアンサブルのスコアもカッコよく、音楽的な充実度も素晴らしい。演奏の凄さとしっかり両立している。
"Stablemates" はマイルスの演奏とこれが双頭の出来だ。

おまけに、このアルバムは音が素晴らしい。ジャック・ヒギンズがリーヴス・スタジオで録った録音だが、楽器の音の鮮度が高く生々しいし、
ほの暗く深い残響感がニューヨークの夜を思わせる。全体を覆う管楽器の深い重層感と疾走感がジョニー・グリフィンの "Little Giants" とよく似た
雰囲気だが、こちらのほうがよりスマートで都会的な洗練さを感じる。リヴァーサイドは時たまこういう大化けするアルバムを作った。
私はジャズ喫茶が嫌いで行かないけれど、これだけはああいう大音量で聴ける環境で聴きたいと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これも傑作

2022年10月30日 | Jazz LP (Riverside)

Sal Nistico Quintet / Comin' On Up !  ( 米 Riverside RM 457 )


マンジョーネ兄弟のバンドは当時無名の若者たちで構成されていたけど、その中でテナーを吹いていたのがサル・ニスティコだった。
19歳でバンドに加わり2年間活動を共にしたが、そこでのプレイが認められたのだろう、リヴァーサイドに2枚の自己名義アルバムを残している。
ソロ第2作のこのアルバムはバリー・ハリス、ボブ・クランショウらリヴァーサイドお抱えのピアノ・トリオがバックを支える、如何にもこのレーベル
らしい滋味溢れるカラーに染まった傑作に仕上がっている。

冒頭はパーカーの "Cheryl" で幕が開き、ビ・バップのムードで始まる。太くどっしりとしたテナーの音色がよく映える演奏で、ジャズの濃厚な匂いが
部屋に充満するが、2曲目になるとユーロ・ロマネスクな楽曲へと変わり、まるでダスコ・ゴイコヴィッチのアルバムのような雰囲気に一変。
その後も陽気なカリプソ調な楽曲だったり、翳りのあるスタンダードだったり、と何とも引き出しの多い展開になる。

それが散漫な印象にはならず一本筋が通った纏まりの良さがあるのは、ニスティコの太い幹の大樹のようなテナーのおかげだ。21歳の若者が
吹いているとは思えない落ち着きと上手さで、音楽が非常に引き締まっている。リーダー作がなかったトランペットのサル・アミコもデリケートな
フレーズを紡ぐいい演奏で楽曲の幅を拡げているし、バリー・ハリスもフラナガンのような趣味の良いサポートをしており、それらが一体となって
上質な音楽に仕上がった。最後はマイルスの若い頃の楽曲 "Down" で締め括られて、うまく着地する。このアルバムはとてもいい。

3大レーベルの中でこの時期にこういう無名の白人の若い演奏家のアルバムを作っていたのはリヴァーサイドだけだった。ブルーノートは
新主流派を牽引しようとしていたし、プレスティッジはソウル・ジャズへ舵を切ろうとしていた。白人ミュージシャンは発表の場がなく、
埋もれたままで終わった人たちも多かったのだろう。そんな中でセールスの見込みもない若者に機会を与えたリヴァーサイドは偉かったが、
その期待に満点以上で応えた彼らも立派だった。時代が変わる節目のど真ん中にいた若者たちが、その時に何をやろうとしていたかを捉えた、
これは本当に貴重な記録なのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は大傑作

2022年10月25日 | Jazz LP (Riverside)

The Jazz Brothers / Spring Fever  ( 米 Riverside RLP 405 )


当時、リヴァーサイドの新人発掘担当をしていたキャノンボール・アダレイに見出された無名のチャック・マンジョーネは兄のギャスパールと
"The Jazz Brothers" を名乗ってデビュー、リヴァーサイドにアルバムを3枚残している。半年ごとに立て続けに録音していることから、
期待の新人だったようだ。

メンバーは全員無名の若手で、何とも溌剌とした気持ちのいい演奏をしていて、くたびれた大人の澱んだ心を浄化してくれるようだ。
若者らしく、アルバムを出すごとに音楽が眼に見えて進化しているのが凄いが、最終作であるこのアルバムが実は大傑作に仕上がっている。
それまでのアルバムと様子がまったく違っていて、少し欧州ジャズっぽい雰囲気が漂う。

バンドとしての纏まりの良さが格段に進歩していてリズム感も抜群だが、ただ勢いに任せるだけではなく十分な間を生かせるようになっており、
静寂をうまく表現する瞬間が随所に見られる。そこにチャックの濡れたラッパの音が切なげに鳴り響く様が圧巻。"朝日のように爽やかに" では
マイルスとギル・エヴァンスが "Dear Old Stockholm" でやったアレンジを取り込んで恐ろしくカッコよく仕上げていて、こういうところが
欧州の若者たち、例えば The Diamond Five のような若者たち、がジャズへの憧れを抱いて演奏した感覚と共通している。如何にも50年代の
ジャズを聴いて育ちました、という感じがストレートに出ていて、そういう飾り気のない素直さが聴いている私の心を打つ。

デビュー・アルバムのいささか肩に力の入った硬さなどはここでは皆無で、メンバーたちの余裕のある一体感や演奏のキレの良さは素晴らしく、
こんなにも短い期間でここまで成長するのかということに軽い嫉妬混じりの羨ましさを感じずにはいられない。

タレント・スカウトのキャノンボールはいい仕事をしたが、期待に応えた5人の若者たちも立派だった。この素晴らしい勢いがここでプツリと
途切れてしまうのが何とも惜しいが、それでもこうして傑作が残ったというのは有難いことだった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナット・アダレイは歌う(3)

2022年08月12日 | Jazz LP (Riverside)

Nat Adderley / In The Bag  ( 米 Jazzland JLP 975 )


ナット・アダレイが1962年にニュー・オーリンズへ演奏旅行へ出かけた時に現地で初めて聴いた地元ミュージシャンたちの演奏に感銘を受けて、
彼らとレコーディングしたいということになり、このアルバムは誕生した。普通なら彼らを本場ニューヨークへ呼び寄せてレコーディング
するのが定石だが、大抵の場合、レコーディングに慣れていない若者たちは大都会の雰囲気に呑まれてしまい、自分たちの個性を十分発揮
できないままで終わってしまう。そのことをよく知っていたナットは、まず、キャノンボールとサム・ジョーンズの3人でニューヨークで
アルバムの準備を整えてから再度ニュー・オーリンズへ乗り込み、このアルバムのレコーディングをした。

アルバムの表紙にその時の3名の名前が列記されているところからも、ナット・アダレイの思い入れの強さが十分に伝わってくる。オリン・
キープニューズによると、これはニュー・オーリンズで録音されたおそらく初めてのモダン・ジャズのアルバムではないか、とのことだ。

何と言ってもこの中ではエリス・マルサリスの名前に目を惹かれるわけだが、その他の2名のことはよくわからない。テナーのパーリリアトは
ジャズ・ミュージシャンとしては喰っていけず、タクシードライバーをしていたらしく、35歳で病死している。気の毒な話だ。

演奏を聴いて驚くのは、このテナーの力強さとピアノの音色の新鮮さ。テナーはストレートな吹き方で音が深く、前へと力強く押し出して
きて、これが素晴らしい。とてもいいテナー奏者であることがよくわかる。そしてエリス・マルサリスのピアノも打鍵がしっかりとしていて、
その音色も濁らずクリアだ。それまでのキャノンボール兄弟のアルバムの中では聴いたことのないような音色で、新しい雰囲気を感じる。
リズム感も正確で非常に落ち着いた佇まいで見事だ。

音楽はしっかりとしたハード・バップで、ニュー・オーリンズ・ジャズの要素はまったくない。これはおそらく、ニュー・オーリンズの連中だって
こんなに上手くモダンをやれるんだよ、ということをキャノンボールたちが世に示したかったのではないだろうか。そうすることで彼らにも
もっと仕事が回ってくるだろう、という計らいだったんじゃないかと思う。ただ、なかなかそううまくはいかなったわけだが。アダレイ兄弟は
どちらかと言うと控えめな演奏に終始していて、3人にしっかりと演奏をさせるような構成にしている。演奏時間はテナーが一番長い。

そんな中で、ナット・アダレイはやはりよく歌っている。用意されたバラードでは幻想的な素晴らしい演奏を披露していて、彼が一流の
バラード奏者であることがよくわかるし、アップな曲でもアドリブ・ラインが明快でこれは上手い演奏だなと感銘を受ける。

アダレイ兄弟たちの仲間を思いやる優しさに溢れたアルバムで、単に演奏が素晴らしいということだけではなく、そういう面にも感動させられる。
ナット・アダレイはとてもいいアルバムを残してくれた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナット・アダレイは歌う(2)

2022年08月07日 | Jazz LP (Riverside)

Nat Adderley / Naturally !  ( 米 Jazzland JLP 47 )


A面がジョー・ザビヌルのトリオ、B面がウィントン・ケリー、チェンバース、フィリー・ジョーのマイルス・バンドという豪華なバックで固めた
硬派で超本格派の内容。コルネットのワン・ホーン・アルバム自体が珍しいのに、更にこういう面子というのはおそらくこれが唯一ではないか。
こういうメンバーの影響か、私の知る限り、これが最もストレートど真ん中の胸をすくようなハード・バップだ。

冒頭からなめらかで澄み渡った音色で伸びやかに歌う。明るい曲調で、聴いていると胸の中のつかえが取れていく。わかりやすい、屈託のない
音楽が続き、なんと心地よいことか。その素直さや実直さにただひたすら感心してしまう。これはきっとナット・アダレイという人の人柄
そのものなんだろうな、ということがしみじみと感じられる。彼のアルバムに私が惹かれるのは、きっとそういうところなんだと思う。

ザビヌルはバップのピアニストとしては凡庸で何の聴き所もないけれど、このアルバムではそういうところがナットの実像を際立たせる
ことになっていて、ピアノ自体は上手いので裏方としては十分な仕事をしている。ルイス・ヘイズもツボを抑えたドラミングで安定感が高く、
バンドとしての纏まり感は素晴らしい。

ウィントン・ケリーのサイドになると、音楽は更に躍動する。ピアノは雄弁に語り、ブラシが音楽を大きく揺らす。やはりこの3人の演奏は独特だ。
2曲目の "Image" はソニー・レッドの曲だが、コード展開がマイルスっぽくて、マイルスのアルバムに入っていてもおかしくないような演奏である。
人が変われば、音楽もガラリと変わる。

聴いていくうちに、ナット・アダレイという人の優しいパーソナリティーが映し出された上質な音楽に心奪われていることに気付く。
演奏者と聴き手が近い距離感を保つことができる、とても良いアルバムだと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナット・アダレイは歌う

2022年07月31日 | Jazz LP (Riverside)

Nat Adderley / Little Big Horn  ( 米 Riverside RM 474 )


ナット・アダレイは、実際のところ、まったく評価されていない。演奏家としても、音楽家としても、コレクター的見地からしても。
彼のプレイが素晴らしいと褒められることはまずないし、"Work Song" というヒット曲があるにも関わらずその作曲力や音楽を創る力を
評価されることもないし、レア盤として羨望の眼差しを集めるアルバムもない。有名な割にここまでないないずくしの人も珍しい。

コルネットというシブい楽器をファーストとしていたこと、兄のキャノンボールの影に隠れがちであったこと、ジャズ界では比較的メジャーな
レーベルを渡り歩くことができたこと(もちろん、これはラッキーなこと)などが原因のように思えるけど、それにしてもあんまりだと思う。
録音の機会には恵まれてアルバムがたくさん残っているので、そのすべてを聴くところまではいけないけれど、いくつか聴いた範囲ではどれも
聴き応えがあったし、印象的なものも多い。

このアルバムはジュニア・マンスのトリオにジム・ホール、ケニー・バレルが交互に加わったところにワン・ホーンで取り組んだもので、
ナットの実像がよくわかる作品だ。

彼のコルネットは音に濁りがなく澄んでいて、非常に伸びやか。コルネットはトランンペットと音色は変わらないが、構造上、管が一重巻きの
トランペットに対して二重巻きとなっているから大きさが一回り小さく、小柄なナットには扱いやすかったのだろう。楽器のコントロールが
よく効いている感じがする。

そして印象的なのは、彼のフレーズはどれも非常によく歌っているということだ。アップテンポの曲もスローな曲も実によく歌っている。
ミュートを付けて静かに流れる "Loneliness" やタイトル曲での雰囲気はマイルスばり。全体的にバリバリとアドリブを披露することを避け、
ライトなタッチで吹き流しているのが特徴的だが、それがこの人の音色の良さや歌心を際立たせることに一役買っている。

スタンダードは入れず全曲自作で臨んでいるけど、メキシカンなものもあればジャズ・ロックっぽいものもあるなど、変化に富んだ内容で
全編通して飽きさせない。それだけ引き出しが多かったということで、感性が豊かだったということの現れだろうと思う。
どの楽曲もセンスよく纏まっていて、好感度が高い。

バックのメンバーもいい意味で肩の力が抜けてリラックスした、それでいて手堅いサポートをしており、全体が上手く纏まった
素晴らしい演奏に終始していて、両面聴き通した後に「ああ、いいアルバムを聴いたな」という心地良い余韻が残る。
これは持っていることが嬉しくなる、幸せなアルバムなのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若き日の別顔

2022年07月23日 | Jazz LP (Riverside)

Chuck Mangione / Recuerdo  ( 米 Jazzland AM 84 )


チャック・マンジョーネと言えば、奇妙な帽子を被った長髪の男がラッパを抱えて能天気に笑っている姿を反射的に思い出す。
実際に抱えているのはフリューゲルホーンで、彼の大ヒット作の "Feel So Good" でもその甘い音色を聴くことができるが、ジャズの愛好家
からはこういうのはジャズから脱落した音楽として嫌われる。だから、それをやっているマンジョーネ自身も相手にされない。

そんな彼も、デビューした時はリヴァーサイドに籍を置き、短い期間ながらもハード・バップをやっていた。兄弟名義がメインだったが、
こうして本人名義のアルバムも残している。ウィントン・ケリーのトリオをバックにした本格的な内容で、これがなかなか聴かせる。

サックス奏者のジョー・ロマーノとの2管編成だが、冒頭のタイトル曲のダーク・ムード漂う曲想をミュート・トランペットの切ない音色が
物悲しく歌い、このアルバムの核になっている。ビ・バップ調の曲もあれば、渋めのスタンダード、マイルスへの敬意としての "Solar" など、
一筋縄ではいかない凝った構成で、かなりよく考えられた内容だ。ウォーレン=ゴードンの "I Had The Craziest Dream" での抒情感は
その若さに似合わない成熟感があり、彼がこの時点で既に優れた音楽家であったことを証明している。

純度の高いストレート・ジャズであり、ロマーノの好演も手伝って、変な色の付いていない好感度の高い内容だ。アドリブ・ラインもよく
歌っており、演奏もしっかりとしている。ウィントン・ケリーのトリオもいつもの明るい音色でバンド・サウンドのカラーに貢献している。

1962年の録音当時、彼は22歳。人生はこれからで夢はたくさんあっただろうが、主流派ジャズは既に瓦解して水は枯れており、
これをやるには残念ながら遅すぎた。もちろん、それは彼の責任ではなく、運が悪かったに過ぎない。ジャズの仕事は激減しており、
ここでは喰うことすらままならなかっただろう。もう10年早く生まれていれば黄金期に一端のトランペッターとしてキャリアを蓄えて
来たる60年代を乗り越えることもできたかもしれないが、経験の蓄積がない状態では路線変更せざるを得なかったのかもしれない。
だから、その後の彼の仕事を簡単に馬鹿にする気にはなれないのである。

後年の姿からは想像できない、この暗い影の中からほんのりと浮かび上がる彼の顔を見ていると、湧き上がってくる憐憫の情を
抑えることができず、つい同情的に聴いてしまう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヴァーサイドの見識の高さが生んだ傑作

2022年07月10日 | Jazz LP (Riverside)

Billie Poole / Confessin' The Blues  ( 米 Riverside RM 458 )


リヴァーサイドにはポチポツとヴォーカルアルバムが残っているが、そのどれもが深く唸らされるものばかりだ。ネームヴァリュー先行で
アルバムを作ったのではなく、本当に実力のある人だけを取り上げており、その見識の高さには頭が下がる。その最右翼はマーク・マーフィーの
2作だが、その次に続くのはこのビリー・プールあたりだろう。

ダイナ・ワシントンの声質とサラ・ヴォーンの伸びやかな唱法をミックスしたような感じだが、持ち味はもっとすっきりさっぱりしていて、
その真っ直ぐな歌唱が聴き手の心にストレートに刺さってくる。問答無用に上手い歌で、これはもう敵わないなあという感じである。
歌の上手さというのは神から与えられたギフトであることがよくわかる。

ジュニア・マンスのピアノ・トリオにケニー・バレルが入ったバックの演奏が最高の仕上がりで、ミッドナイト・ブルーそのもの。
この時の収録の流れで、この4人の演奏だけでアルバムを1枚作って欲しかった。

ディープなブルースがメインでマーク・マーフィーのアルバムと同じコンセプトだけど、管楽器がいないのでもっと静かで穏やかな時間が流れる。
あまりのインパクトの強さで、一旦こういうのを聴いてしまうと、なかなか他のヴォーカルアルバムに手が伸びにくくなるのが唯一の難点か。
50年代末に欧州で評価されたために大陸を行ったり来たりしていたせいで、アルバムがリヴァーサイドの2作しか残っていないなのが残念である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャノンボール・バンドの凄み(2)

2022年05月15日 | Jazz LP (Riverside)

The Cannonball Adderley Sextet / In New York  ( 米 Riverside RLP 404 )


キャノンボールのセクステット名義で出ているアルバムは4枚だが、そのどれもがライヴ・アルバム。その理由について、オリン・キープニューズは
近年のテープ録音機やマイクの性能の大幅な向上でライヴ会場の興奮の様子がそれまで以上に上手く録れるようになったことを挙げている。
特にキャノンボールのバンドの演奏に対するオーディエンスの熱狂は凄まじく、この様子を録ることがキャノンボールの音楽の本質を把握するのに
1番相応しいのだ、と。

彼がそう考える契機となったのがラティーフが加わる前の1959年10月のサン・フランシスコのライヴハウス "The Jazz Workshop" での
クインテットのライヴ録音だった。当時のサン・フランシスコには彼の基準に適う録音機材が揃った録音スタジオがなかったので、仕方なく
ライヴハウスに機材を持ち込んで録音をしたのだが、このアルバムが見事にヒットした。これが彼のアルバム作りの方向性を決めることになった。

考えてみれば、この時期のリヴァーサイドにはライヴ・アルバムの傑作が多い。ビル・エヴァンスのヴァンガード・ライヴもこうした背景をもとに
生まれたということになるのだから、これもキャノンボールとの縁ということになるのかもしれない。物事は見えない糸で繋がっている。

このアルバムも非常に多彩な内容だ。ジミー・ヒース作の名曲 "Gemini" 、旧き良きビッグバンド時代を再現したような重奏のしっかりとしたもの、
映画 "フレンチ・コネクション" の中で流れていたような水面下で悪事が進行している様子を予感させるようなダークな曲想のものなど。
皆それぞれがコンセプトの明確な楽曲ばかりで、1回のライヴでここまで満足させられるセット・リストはまずないだろう。そして、どの演奏も
本当に上手くて、観る側に熱が入るのは当然だ。こんなライヴなら私も観たかった。キープニューズの考えは正しかったと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする