廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

CoolというよりMatureなヴァーヴ期

2025年03月22日 | Jazz LP (Verve)

Lee Konitz / Very Cool  ( 米 Verve Records MG V-8209 )


ヴァーヴ期のコニッツは "ウォーム" だと言われることが多いが、実際はアルバムによって表情がかなり異なっていて、簡単にそういう一言では括れない。
トランペットとの2管編成であることやげんなりするジャケットからこのアルバムまで丁寧に聴く人はそんなに多くはないだろうが、このアルバムは非常に出来がいい。
全編がトリスターノ・マナーとなっていて、言わばストーリーヴィル時代の音楽の発展形が記録されているのだが、時間の経過が音楽を更に成熟させているからだ。

コニッツは1953年頃からサル・モスカ、ピーター・インドらトリスターノ門下生たちをバンドを組んでおり、そのメンバーでストーリーヴィルに録音を残したが、
このバンドはその後もしばらくは活動を続けていて、1955年には同じくトリスターノの下で学んだトランペット奏者のドン・フェラーラも参加し、バードランド、カフェ・
ボヘミア、ハーフノートなどのジャズ・クラブで盛んに演奏した。その成果がこのアルバムにいい形で集約されている。

A面にはフェラーラが書いたオリジナルが2曲置かれているがこれがトリスターノ楽派の内容で、コニッツがストーリーヴィル時代にやった音楽そのままだ。門下生であれば
誰が書いても同じような曲になるのが面白い。B面には "Billie's Bounce" が当たり前のように置かれているが、これがパーカーから遠く離れた独特のスタイルで演奏されており、
パーカーを相対化することでトリスターノの音楽が発展していったことが端的によくわかる。

コニッツの音色はストーリーヴィル時代のそれと酷似しており、硬質で厳しい表情も交えながら素晴らしいソロを取っている。時代が進んだ分だけストーリーヴィルの
レコードよりも録音がいいこともあり、アルトの鳴りの良さがうまく捉えられていると思う。その骨太さが音楽全体をしっかりと支えて、トリスターノの匂いを薄めて
バンドとしての自立した音楽へと成熟させているところが何よりも素晴らしい。

それにしても。このジャケット、どうにかならなかったのか。ウイリアム・クラクストンが撮った写真だとはとても信じられない。



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都会の孤独と喧騒

2025年03月08日 | Jazz LP (Verve)

Kenny Burrell / Asphalt Canyon Suite  ( 米 Verve Records V6-8773 )


ケニー・バレルはギター好きの私にとっては名盤だらけでどれを聴いても存分に楽しめるアーティストの1人だが、ヴァーヴ後期の中でも特に好きなものの1枚がこれ。
バックが大編成なものは純ジャズではないと敬遠されるが、そうやって聴かれることがないまま時が過ぎ、いつまで経っても評価されずに埋もれていくアルバムの
何と多いことか。ヴァーヴ後期には、エヴァンスを除いて、そういうアルバムが多数眠っている。

タイトルからもわかる通り、都市生活者の孤独を静かに語るようなこのアルバムにはバレル特有の切ない音色の効果もあり、寂寥感に満ちた音楽が詰まっている。
A面のすべてを使い切る組曲ではバックのオーケストラの伴奏は極限まで控えめでデリケートにサポートしていて、孤独な人々の独白を邪魔しない。
メロディーは憂いを帯びて優しく切なく響き、まるで孤高の映像作家が残した単館公開用映画のようなモノクロの情景が流れていく。
B面になると孤独の時間が過ぎて街が眠りから覚め、人々が黙々と動き出す時間が始まる。各々がそれぞれの目的地に向かって寡黙に動き出す様が映し出される。
そうやって極めて情景的な音楽で全編が構成されている。

特に複雑なことや高度なことをやらなくても、これだけ聴いている人の心を動かすことができる音楽があるのだということが端的に提示されているところが素晴らしい。
バックの演奏が過度な主張をせず、ケニー・バレルが常に中央にいて、彼にすべてを語らせるという建付けがよかったのだろうと思う。

アルバム冒頭、最初の1音でケニー・バレルとわかるその音色はまるで琥珀のよう。また、どのパッセージも如何にもバレルらしい旋律で、聴いていて嬉しくなる。
ブルーノートの頃の演奏は若く、まだまだという感じだったが、この頃になるともう演奏は円熟味を増して、これ以上ないくらいに落ち着いた風格が漂う。
最初のピークはこの頃だったんだろうと思う。


ジャケットの裏面が、これまた泣かせるのだ。







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カイ・ウィンデイングはこれだった

2025年01月25日 | Jazz LP (Verve)

Kai Winding / Solo  ( 米 Verve Records V-8525 )


カイ・ウィンデイングという人がジャズ愛好家からどのような評価をされているのかよくわからないが、大方の人は無視しているんじゃないだろうか。
というか、正確に言うと、好き/嫌いになる前に評価しにくいタイプのレコードばかりで、正直、手に余る存在というところだろう。

一番ポピュラーな "Jay & Kai" だって、ただでさえ取っつきにくいトロンボーンが2本で絡み合うということで敬遠されがちだろうし、聴いたところで違いもよくわからず、
という感じかもしれない。ただ、実際はそんなことはなく、よく聴けば2本のトロンボーンの音色はまったく違っていて、鼻のつまったようなくぐもった音色の方がJ.J.で、
大きく張りのあるビッグ・トーンの方がカイである。フレーズもJ.J.の方が歌うようになめらかで自然な感じなのに対して、カイの方は音圧一発という感じだ。

そんな訳で過小評価という以前に評価対象外となっているカイ・ウィンディングだが、彼の等身大の良さがわかるレコードにぶつかった。その名もずばり "Solo" という。
このアルバムのいいところは全編ワン・ホーンであること、音楽はメイン・ストリームど真ん中、音が非常に良い、という3拍子が揃っているところに加えて、とどめは
値段が安いということだ。私が拾ったのは680円で、このレコードの立ち位置というものをよく表している。

ピアノ・トリオに数曲でディック・ガルシアのギターが加わりながらバックを務める。ピアノはロス・トンプキンスで、この人はジョー・ニューマンのコーラル盤や
ジャック・シェルドンのジャズ・ウェスト盤でピアノを弾いていたデトロイトのピアニスト。そういうシブいメンツに支えられながら、カイのトロンボーンがまるで
落雷のような音圧で鳴り響くなかなかすごい演奏になっている。とにかく、このレコードは耳が痛くなるくらい音圧が高い。

ロリンズが吹いて有名になった "How Are Things in Glocca Morra" のアップ・ビートで始まり、他にもセンスのいい選曲が並ぶ。フレーズは起伏に富んだイマジネイティヴな
ものでダレるところはまったくない。トロンボーンはサックスやトランペットに負けることのないリード楽器だということがよくわかる。モダン・トロンボーンのワン・ホーン
はそもそも数が少ないので、そういう意味でもこれは貴重な1枚と言える。



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小ネタ集(Clef、Norgran編)

2024年03月23日 | Jazz LP (Verve)
最近レコード屋に行ってお店のご主人と話しをしていると、例外なく村上春樹さんの「デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界」の
話しがまるで口裏を合わせたかのように出てくる。それぞれの文脈は違えどこれだけ複数の人から同時にこの話題が出てくるのだから、その
影響力はさすがだなあと思う。「じゃあ、クレフやノーグランのレコードは売れてます?」と訊くと、そこは意外とそうでもないらしい。
まあ、買う側も「本は本だし」ということでそこは冷静なのかもしれない。

DSMと言えばクレフやノーグランのレコードということになるけど、このレーベルのレコードについては昔から疑問に思っていることがあって、
それが長年未解決のままで残っている。

1.番号あり/なしのジャケットは2作品だけなのか?

下のスタン・ゲッツとパーカーのレコードは、ジャケットの表面左上に「MG X-XXX」というレコード番号が書かれているものと書かれていない
ものの2種類があって、書かれていないタイプが初出だとされている。

 


 

きっと「やっべぇ、うっかり番号を入れるの忘れちゃったよ、まあ次から入れておけばいいよね、誰も気が付かないでしょ」みたいな感じだった
のだろうと思うけど、こういうのはよくわかるのである。だから番号なしが先というのはそうなのかなと私も思うんだけど、こういうのはこの
2タイトルだけなのか?というのがいつも疑問に思うこと。私自身はDSMジャケットなら何でも買うというタイプではないので、これ以外のものが
どうなっているのかがよくわからない。


2."Jazz Series" ロゴのあり/なしはどちらが初出か

クレフ・レーベルには同一タイトルでトランペッターのイラストの腰あたりに "Jazz Series" というロゴがあるものとないものがある。
レーベル下部の "Jazz At The Philharmonic" ロゴについては最近よく言及されるけど、この"Jazz Series" についてはどちらが先なのだろう。

スタン・ゲッツの2枚の10インチには、この "Jazz Series" ロゴがあるものとないものが存在して、私はないタイプのほうが先だったのだろうと
思ったから、わざわざそちらを探して買った。




"Jazz Series" ロゴがないタイプが先だと思ったのにはいくつか理由がある。

・ロゴなしタイプの方が圧倒的に数が少ない
・パーカーを例に取ると、"S/T" はクレフがオリジナルで "Jazz Series" ロゴはないが、"South Of The Border" はマーキュリーが初出でクレフは
 セカンドとなり、"Jazz Series"ロゴがある




・バド・パウエルの "Moods" のように、クレフの前身であるマーキュリーにはこのロゴはない。このレーベルはマーキュリー→クレフ→ヴァーヴ
 という変遷を辿るので、クレフの最初はマーキュリーのデザインをそのまま流用したのだろうと推測できる。




但し、このロゴがあってもなくても、盤の材質や形状、質感には何も違いはないし、音質もまったく一緒。なので、この件は特にこだわる
必要はない、というのが私の結論である。


3."Big Band" にはマーキュリー・レーベルが本当にあるのか

パーカーの "Big Band" の初出はマーキュリー・レーベルだという話があるが、私は40年近くレコード漁りをしていて、1度も見たことがない。
このレコードは愛聴盤なので見かけると必ずチェックしてきたが、そのすべてがクレフだった。本当にあるのだろうか?

また、村上さんはこのレコードを「10インチ盤」と書かれているが、これは12インチの間違いで、そこはご愛敬。そういう勘違いも含めて
レコードの話は楽しいのである。





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秋吉敏子の貴重な50年代ライヴ

2024年02月18日 | Jazz LP (Verve)

Toshiko Akiyoshi & Leon Sash / At Newport  ( 米 Verve Records MG V-8236 )


ジョージ・ウェインによって1954年に始められたニューポート・ジャズ・フェスティヴァルは現在も続いているのだから驚かされる。真夏の野外で
催されるというのは我々の凝り固まったジャズというイメージには凡そ合わないが、アメリカはそういう価値観ではないのだろう。当時としては
画期的だったようで、1958年には「真夏の夜のジャズ」として映画化もされる。原題には "Night" という単語はなく、「或る夏の日」というのが
正確な訳になる。

ノーマン・グランツの秘蔵っ子だった秋吉敏子もピアノ・トリオとして出演しており、その様子がこのレコードに収められている。写真で見ると
和装だったようで、真夏の野外なのに何とも気の毒なことだが、映画の中に出てくる観客はあまり暑そうな様子はなく、中には上着を着ている
人も多くいるから、日本にような蒸し暑さはなかったのかもしれない。

可愛らしい声で曲名を紹介しながら演奏しているところは生真面目な日本人らしいが、その演奏は骨太なもので、当時の彼女の演奏スタイルが
よくわかる内容となっている。彼女の演奏を聴いていると、ジャズというのは1音1音に思いを込めて演奏する音楽なんだなということを思い
知らされる。そういう音と音の無数の繋がりが大きなうねりとなって聴き手の心を揺さぶるのだ。50年代の彼女の演奏が聴けるレコードは
さほど多く残っているわけではないから、これは重要な一枚と言える。

ヴァーブのこのシリーズには裏面のレオン・サッシュのようにこのレーベルでは他には聴けない多くのアーティストの演奏が含まれていて、
そのどれもが貴重な記録となっている。ドナルド・バードのジャズ・ラボとセシル・テイラーの演奏が含まれたものがよく知られているが、
それ以外の組み合わせも面白く聴くことができる。



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音の中に潜む何か

2024年02月03日 | Jazz LP (Verve)

Charlie Parker / Big Band  ( 米 Clef Records MG C-609 )


チャーリー・マリアーノやドン・セベスキーらが先のアルバムを制作した際、当然ながらこのアルバムのことが年頭にあっただろうと思う。
パーカーが残したアルバムの中でも屈指の1枚としてその頂は音楽家の前に聳え立つ。それでも録音しようとしたのだから、マリアーノも
大したものだと思うが、さすがにこれと比べるのは酷というものだ。

ノーマン・グランツは興行師だったのでアルバム制作にも優れた企画力を発揮して、その結果、他のレーベルでは聴けないようなタイプの
アルバムが残っている。ストリングスやビッグバンドをバックにソリストに吹かせるというのもステージジャズの発想だけど、こういうのは
3大レーベルでは考えられない。結局ヴァーヴのこれらの形が雛型として後々真似されていくが、その原型がパーカーだったというのが
凄かったというわけだ。

このアルバムでは管楽器と弦楽器がミックスされたオーケストラ形式のバックが付くが、その背景の圧力にドライヴされて吹くパーカーが圧巻。
スピード、フレーズの美しさ、楽器の音圧のどれをとっても最高の出来で、ヴァーヴの録音ではこれが演奏力では最も素晴らしい。
音の中に怪物が潜んでいて、空間に解き放たれた途端に姿を現して暴れ出すのを目撃するような衝撃がある。

でも、そういうグロテスクイメージだけで終わることがないのがこの人の凄さで、その音はこの上なく優雅で上質な音色でコーティングされて、
なぜこんなにもと思うくらい美しいメローディーで歌われて最上の音楽へと昇華されている。そこが他のアーティストたちとは決定的に違った。

アルトサックスというあの小さな楽器でこれほどまでに大きな音を出し、大勢のバックミュージシャンたちをも制圧してしまう様子がここには
記録されていて、聴くたびに言葉を失ってしまう。



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後にも先にも例を見ない作品

2023年11月05日 | Jazz LP (Verve)

Ella Fitzgerald / Sings The George And Ira Gershwin Song Books  ( 米 Verve Recods MG V-4029-5 )


昔、車のCMで使われたエラの歌う "Someone To Watch Over Me" が画面の優雅な映像とマッチしていて素晴らしく、聴き惚れた。
しっとりと濡れて情感がこもった歌が本当に素晴らしくて、短い時間の歌声だったにもかかわらず釘付けになった。
その歌声がここに収録されている。

5枚組の豪華なボックス仕様で、EPが1枚、ハードカヴァーの解説書、ベルナール・ブュフェの絵画シートが5枚入った、狂気すら感じる装丁。
ピカソのコレクターとしても知られるノーマン・グランツの究極の仕事である。そして、その激しい情熱を彼から引き出したのがエラの歌唱。
1人の歌手のアルバムで5枚組というのは後にも先にも例がない。それはこの2人だからこそできたことだし、5枚を途中で飽きることなく
聴き続けることができることは奇跡に近いことである。

この録音は正に彼女の最高峰。エラはこれ以上ない繊細さで全てを抑制していて、一分の隙も見せない。声には透明感と艶があり、真っ直ぐに
伸びて何キロも先へと届きそう。それでいてコロラトゥーラのようでもあり、子守歌のようでもあり、ガーシュインの世界観を超えた彼女の
世界が拡がっていく様は圧巻以外のなにものでもない。単なるジャズ・ヴォーカルというような言葉では到底語れない作品なのである。

全部を聴いてもいいし、この中から自分のお気に入りの曲、例えば "Oh, Lady Be Good" なんかをセレクトとして街中に連れ出せば、世の中の
景色は違って見える。作品としての凄さを享受しながらも、もっと身近な存在として彼女の歌声は聴き手を慰撫してくれる。










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ジャズ本来のスリル

2023年02月04日 | Jazz LP (Verve)

Dizzy Gillespie, Stan Getz, Sonny Stitt / For Musicians Only   ( 米 Verve MG V-8198 )


冒頭の "Be Bop" からソニー・スティットのアルトが爆発する、只事では済まない恐ろしいアルバムである。スタン・ゲッツも "Focus" で見せた
ほの暗い怪演で真っ向から対抗する。ディジーも抑制の効いた切れるような演奏で猛スピードでぶっ飛ばす。3人がそうやってソロを回していく
様子がとにかく凄まじい。A面はまるで嵐のように過ぎ去っていく。

B面に行くとギアが一段シフトダウンして、今度はトルクが深く効いて身体ごとグイっと前へと持っていかれるような演奏で、こちらもA面に
負けず劣らず。スティットのアルトが歌って歌って、歌いまくる。ディジーの抑えた演奏が圧巻で、破たんが一切なく、リー・モーガンが3人
いても敵わないようなパーフェクトな演奏を聴かせる。何と言うコントロール加減だろう。

このアルバムの白眉はソニー・スティットで、「パーカーに似ている」と言われた所以はここにあるんだなと納得させるキレッキレのアルトが
脳天に突き刺さる。自己名義のアルバムでは聴くことができない、別人へと豹変したちょっと怖さを感じるような演奏をしている。
このアルバム全体を聴いて感じる興奮や高揚感は、コルトレーンの "Ascension" にも通じる。ジャズという音楽が原初的に持っていたであろう
スリルがこんなにも無防備な形で提示されているケースは、なかなか他には思い出せない。

アルバム・タイトル通り、職人としての技を競い合うというコンセプトに徹しているところが素晴らしいが、それでもよくある只のジャム・
セッションには終わらず、非常に高度で豊かな音楽性も同時に感じることができるという、アルバムとして奇跡的な仕上がりになっているのは、
やはりスタン・ゲッツの存在の影響だろうと思う。この時期の彼の音色にはどこか文学的な匂いがあって、そのフレーズが加わることで
やかましい騒音になりがちな音の塊たちは音楽を取り戻し、音楽が音楽であり続けるのだ。

嬉しいことに、このアルバムは音がすごくいい。サウンドが安定しないヴァーヴ・レーベルの中でも間違いなくトップランクの音質で、
楽器の輝きが他のタイトルとは全然違う。Vee Jayレーベルのような輝かしいモノラル・サウンドで、3人の巨匠の存在感の重さが際立つ
素晴らしい音場感だ。



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ノーマン・グランツの巨匠趣味には困ったものだが・・・

2023年01月29日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz, Gerry Mulligan, Harry Edison, Louis Bellson and The Oscar Peterson Trio / Jazz Giants '58  ( 米 Verve MG V-8248 )


ノーマン・グランツの巨匠趣味には困ったものである。ビッグ・バンドが華やかだった時代のスター・プレーヤーたちをメインに置いた彼のレコード
制作のポリシーは徹底していたし、その精力振りは驚異的だった。パーカーやパウエル、ビリー・ホリデイやスタン・ゲッツのレコードがたくさん
残ったのはよかったが、オスカー・ピーターソンやJ.A.T.P.のレコードが大量生産されたのはちょっとなあ、と思う。ピーターソンに全く興味のない
私からすればそれらは(申し訳ないけれど)無用の長物の山に過ぎず、見ていてうんざりさせられる。

彼は人種差別を受けていた非白人たちを支援するために "Jazz At The Philharmonic" と銘打った大きな劇場に観客を大勢集めてジャズを聴かせる
一大イベントを打ち上げて成功を収めた大興行主だったわけだけど、それと並行して大して儲からないレコード事業も行っていた。J.A.T.P.は資金
集めが目的だったから出演者は集客力のあるビッグ・ネームが集められ、そういうメンバーたちのレコードを熱心に作った。そこにはグランツの
趣味が色濃く反映されていて、そういう意味では彼の作ったレコードはどれも趣味性が高く、レコードとしての品質が高かったのは間違いない。

ただ、それらはニューヨークを中心にした東海岸の研ぎ澄まされた先鋭さとは別世界の、ある意味では弛緩した音楽だった。盛りの過ぎた大物
ミュージシャンをスタジオに集めてジャム・セッションをさせたが、そこには新しい音楽への志向はなく、よく言えば成熟した、裏を返せば退屈な
音楽の大量生産だった。それらはクラブなどでその場だけのものとして聴く分にはゴージャスで楽しかっただろうが、じゃあレコードとして家で
繰り返し聴いて楽しいかというと、残念ながらなかなかそうはいかない。買って帰って、盤質チェックを兼ねて1回通して聴いてみて、あとは
棚の肥やしとして場所だけとってしまう存在となりがちなんじゃないだろうか。

そんなわけで私はこのレーベルの初期のものは特定のアーティストしか聴かないし、大物を寄せ集めした企画ものはまったく聴かないのだけれど、
例外的にこのアルバムは中々出来がいいと思っている。やはりスタン・ゲッツの存在が大きく、彼が良かった頃の演奏が中心的存在となっている
ところが、このアルバムを他のアルバム群と一線を画す要素となっている。ゲッツがいるとやはり音楽はモダン寄りの感覚に近づくようになり、
退屈さから紙一重でうまく回避できているように思う。



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敬意に満ちた寡黙なアルバム

2023年01月14日 | Jazz LP (Verve)

Ed Thigpen / Out Of The Storm  ( 米 Verve V-8663 )


縁の下の力持ちとして表に出ることはほとんどなかったエド・シグペンは、クリード・テイラーの粋な計らいでこうしてリーダー作を残している。
面白いのはハービー・ハンコック、ロン・カーターという飛ぶ鳥を落とす勢いだった若手と、クラーク•テリー、ケニー・バレルというシブい
メンバーの混成チームとなっているところ。単なるご褒美セッションということではなく、明らかに独自の音楽をやろうという企画だったことが
伺える。ノーマン・グランツならこうはならなかっただろう。

スタンダードは1曲もなく、本人のオリジナルをメインに構成された意欲的なプログラム。シグペンのドラミングが随所で前面に押し出されて、
ドラマーのリーダー作らしい作りになってる。古いタイプのスタイルの曲もあれば、66年という時代を反映したニュー・ジャズっぽい演奏もある。
クラーク・テリーが意外にも振れ幅の大きいスタイルで対応しており、これには驚かされる。アルバム・タイトル曲なんてミステリアスな雰囲気が
濃厚なかっこいい楽曲に仕上がっており、最高である。

エド・シグペンと言えば、まずは黄金期のオスカー・ピーターソン・トリオということになるだろうし、それ以外にも彼が参加した録音は多く、
あちこちでその名前は見かけることになるが、スポットが当たることはなく寡黙な存在という印象だ。でもこうして聴いてみるとドラマーとしての
矜持は十分感じられるし、名だたる面々が敬意をもって支えていることがよくわかる。それは、余計なことを言わずにしっかりとジャズの世界を
下支えしてきたことに対する敬意であり、そういう気持ちがこの音楽には込められている。そこが何とも清々しい。



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違和感の正体

2022年11月20日 | Jazz LP (Verve)

Bud Powell / Jazz Giant  ( 米 Norgran MG N-1063 )


私はこのレコードの音にずっと違和感を覚えていた。買ったのは10年前だから、10年の間、違和感を抱き続けてきたことになる。

違和感の正体はピアノの音。このレコードから流れてくるピアノの音は潰れていて、平面的だ。まるで壁に投げつけられて潰れたトマトのように。
その音は濁っていて、輪郭も滲んでいる。全体的な音場感自体はSP録音の割にはいい方なのだが、如何せん、ピアノの音がピアノらしくない。

古い録音でもちゃんとピアノらしい音で鳴るものはいくらでもあるので、本来は録音時期はあまり関係ない。このレコードの音には少し人工的な
操作が感じられて、そこがどうも引っ掛かる。

バド・パウエルのような人、つまり、美しいメロディーの曲が書ける感受性があり、体重をかけて打鍵し、煌びやかな運指で速いパッセージを
弾く人がピアノをどんな音で鳴らすかについて、私には大体のところは想像ができる。もちろん楽器は弾く人によってみんな違う音が出るから、
ぴったりと正確にではないとは思うけど、それでもおそらくこういう感じの音を鳴らしていたんだろう、ということは見当がつく。だから、この
レコードから聴こえる音はそのイメージからはほど遠く、私は長らくそのギャップを乗り越えられなかった。

だから、このレコードのことは語る気にはなれなかった。ここに収録された演奏は、パウエルが残したものの中では間違いなく最高の出来である。
"Tempus Fugue-It" や "I'll Keep Loving You" に感じる、激しく溢れて止まらぬ情感とその裏に潜む冷たく何かを見つめる目線が危ういバランスで
均衡を保っている様が恐ろしい。にもかかわらず、このピアノの音への違和感がこの演奏を語ることにこれまでずっとブレーキをかけ続けてきた。

ところが、最近手に入れた10インチの方を聴いて、ようやく霧が晴れて視界がはっきりとしたような気がした。




Bud Powell / Piano  ( 米 Clef MG C-502 )


33回転としては、これは4th プレスくらい。初版はマーキュリー・レーベルの102で、短い時期に何度かプレスし直されている。おそらく当時はまだ
33回転の制作技術が未熟で品質が安定せず、試行錯誤を繰り返していたのだろう。だから10インチのマーキュリー盤は数が少なく、材質も粗悪で
現存するものは劣化が激しい。私はそんなマーキュリー盤が嫌いなので(スカ盤だから)敢えてクレフ盤を探す。クレフはマーキュリーとは違い、
硬質で重い材質で溝が深く切られているので、多少傷があってもノイズが出ない。

こちらの盤から出てくるピアノの音は古いながらもちゃんとグランド・ピアノの音だ。12インチよりもピアノがピアノらしい音で鳴っている。
そのおかげで、"I'll Keep Loving You" のロマン的曲想がより明確になっているし、パウエルがこの曲に込めた想いがもっとはっきりと伝わってくる。
こちらで聴くほうが、私には音楽的に豊かに思える。

この10インチはピアノの音が前面に大きく立ち、ベースとドラムの音は後ろに引っ込んでいてあまり聴こえない。それに比べて、12インチは
ベースとドラムの音を前に出しており、マスタリングがやり直されていることがよくわかる。だから、ピアノ・トリオとしての一体感を聴くので
あれば12インチ、パウエルのピアニズムを聴くのであれば10インチ、ということになるだろう。私がパウエルのレコードを聴くのは、この
孤独なピアニストの奏でるピアノそのものが聴きたいからなので、これからはこの10インチで聴いていくことになるだろう。こちらのほうが、
彼のことをより近くに感じることができるような気がする。



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ブラックホークが産み出す名演

2022年11月13日 | Jazz LP (Verve)

Cal Tjader / Saturday Night Sunday Night At The Blackhawk, San Francisco  ( 米 Verve V6-8459 )


例えばウィントン・ケリーの "Kelly at Midnight" のように毎週セールに出てくるレコードもあれば、安レコであるにも関わらずまったく見かけない
レコードもある。ウィントン・ケリーのレコードを手放す人の気持ちはよくわかるし、このカル・ジェイダーのレコードを手放さない人の気持ちも
よくわかる。何回か聴いてすぐに飽きるものは持っていてもしかたがないんだし、何度聴いてもいいものはやっぱり手許に置いておきたいものだ。

カル・ジェイダーのレコードはクセの強いものが多くてなかなか買うのが難しいと思うけれど、このアルバムは王道ストレートな内容でとてもいい。
バックのピアノ・トリオは完全に無名の人たちだけど演奏に過不足なくジェイダーを下支えしている。その上をなんともなめらかでメロディアスな
ヴィブラフォンが歌うように流れて行く。涼やかで美しい音色が素晴らしい。週末の夜にこんな演奏が聴けるなんて、なんと素晴らしいことだろう。

サン・フランシスコのブラックホークでのライヴだが、ここで録音された演奏には名演が多く、東のヴィレッジ・ヴァンガード、西のブラックホーク
という感じだ。名演を産み出す何かがあったのかもしれないなあと思う。

ベースの音がしっかりと鳴るサウンドが心地よく、音質面も良好。何より、ジャケットの雰囲気がいい。飾っておきたくなる。
凝ったことや難しいことは何もしておらず、ありがちな室内楽みたいな雰囲気もなく、まったくの普段着の演奏だが、そこがいい。
良質なストレート・ジャズが聴ける佳作である。


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ライヴ本来の音場感

2022年03月27日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Getz Au Go Go  ( 米 Verve V6-8600 )


昨日、新宿で拾った安レコ。そう言えばステレオ盤は聴いたことがなかったなあと思い、値段の安さにも負けて手に取ったが、
これが聴いてみて目から鱗が落ちた。家にあるモノラル盤とはまるで音場感が違う。

ライヴハウスの奥行きや空間があまりにリアルで、聴いていてビビってしまうくらい生々しい。アストラット・ジルベルトの歌声の
透明感も凄く、ゲッツのテナーもピッタリと定位しており、この透き通った空気感は一体何なんだと思うくらい。

このアルバムは64年5月のカフェ・オー・ゴー・ゴーでの録音と、同年10月のカーネギー・ホールでの録音の2つがミックスされていて、
前者の録音はカーネギー・ホールのものと比較するとデッドで当然音場感が落ちる。ステレオ盤が本領を発揮するのは後者の方。
全10曲中4曲がカーネギー・ホールのものだが、この4曲の違いが顕著なのである。ステレオ盤の後にモノラル盤を聴くと、
その音場感のいびつさが気になるようになる。

モダンジャズは50年代が最盛期でレコードはモノラル録音がメインだった時代だから、マニアの頭の中には「ステレオ盤は再発盤」
という刷り込みがあって、それがモノラル崇拝を生んでいる。でも、移行期を経た60年代はステレオ録音に切り替わっているんだから、
ステレオ盤の方が音が自然なのは当たり前。聴き手の頭の中がなかなか切り替わらないだけなのだ。

ヴァン・ゲルダー刻印があるけど、これがどう影響しているのかはよくわからない。MGM盤でこだわるべきなのはモノラルで聴くか、
ステレオで聴くか、である。そして、この盤は明らかにステレオ盤で聴くべきだろう。

このステレオ盤を聴いていてもう1つ気がついたのは、アストラットは "Getz / Gilbert" の時よりも歌が上手くなったんだなということ。
あの時の歌は素人感丸出しだったが、ここでは一端の歌手の歌い方になっている。そういうところもよくわかるようになる。

この演奏はいつどこで録音されたのかには諸説ある。上記データ以外に、すべて8月19日にカフェ・オー・ゴー・ゴーでの録音だったとか、
疑似ライヴだった(確かに拍手が不自然)、という話だが、私が聴いた感じでは音場感が明らかに2種類に分かれていることから、
上記データが正しいのだろうという立場だ。カーネギー・ホールには3つのホールがあるから、おそらく小さいホールを使ったのだろう。



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ボブ・ブルックマイヤーの実力

2022年01月29日 | Jazz LP (Verve)

Bob Brookmeyer Orchestra / Gloomy Sunday and Other Bright Moments  ( 米 Verve V6-8455 )


ボブ・ブルックマイヤーの生涯を眺めていると、ソリストとしての活動と同等か、若しくはそれ以上の割合で実際はビッグ・バンドの仕事に
携わっていたんだなということがわかる。ビッグ・バンド後進国の日本ではこの形態は評価されないし、聴く人も少ないから、彼のそういう
側面がまともに取り上げられることはないし、そもそもトロンボーンも人気がないから、高名な割には彼の実像を把握している人はあまり
いないのではないか。せいぜい、ゲッツの横で一時期バルブ・トロンボーンで何かモソモソ言っていた人、くらいの認識が関の山だろう。

自分名義のラージ・アンサンブルを持たなかったせいもあって、彼のそういう一面はほとんど知られていない。ディスコグラフィーを見ても
彼の名前で出ているのはスモール・コンボが多いので止むを得ないのかもしれないが、このアルバムは珍しく彼名義のラージ・アンサンブルだ。

まだ本人以外のスコアも取り入れて勉強中の身であることがわかるが、元々クロード・ソーンヒル楽団の席に座っていたわけだから、
この時点でいずれはアレンジャーとして身を立てるつもりだったのだと思う。マリア・シュナイダーも彼の下で勉強したのだから、
アメリカのラージ・アンサンブルの血脈は太い。

A面はラルフ・バーンズ、ゲイリー・マクファーランド、アル・コーン、エディー・ソーターがアレンジ、B面がボブ本人によるアレンジ。
冒頭のバーンズによる "Caravan" が滅法カッコいい。これはもう、完全にルパン三世の世界である。ビッグ・バンドが見せるキレのある
疾走感を聴くのは、ジャズの最大の快楽の1つだと言っていい。

先人達の描く世界に比べて、ボブのアレンジはよりカラフルな景色が拡がるような感じだ。管楽器の重奏の響きはやはりソーンヒルの
それと似ており、随所にその影響を感じる。アクセントの強弱の付け方などもA面のものよりもずっとデリケートでより多用されている。
こうして聴き比べると、彼の描く世界はよりモダンで多彩な色彩感に溢れているのがすごくよくわかる。楽曲のスケールはより大きく、
それでいて威圧的にはならず、より緻密でデリケートだ。ビッグ・バンド・ジャズにはその系譜の影響もあり、どこかに踊る音楽の要素が
込められているものだが、彼のアレンジはあくまでも聴かせることを最優先にしたようなところがあり、程よい知性の匂いがある。

彼のアレンジャーとしての位置付けが1つのスクールとなっているのはその筋の人々にはよく知られていることだが、これを聴けば、
「なるほど」と腑に落ちるものがある。もっと他のアルバムを聴いてみたい、と思わせるには十分の内容である。



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明るいムードのクリスマス

2021年12月11日 | Jazz LP (Verve)

Ella Fitzgerald / Ella Wishes You A Swinging Christmas  (米 Verve MG V-4042)


タイトルが示す通り、フランク・デ・ヴォル指揮のビッグ・バンドをバックにエラが歌う明るく朗らかなクリスマス・ソング集。
家族や親戚、親しい友人が集まる夜の団欒のために、人混みで賑わう市場で食糧や飲み物を買い込んでいる時に感じる、
慌ただしくも幸せな気分を表現しているという感じだろう。

クリスマスには対立する2つのイメージがあるように思う。大勢で賑やかに祝うクリスマスと、大切な人・教会などで静かに祝うクリスマス。
暖かい家で家族や友人と共に過ごすクリスマスと、寒空の下で一人孤独に過ごすクリスマス。
このアルバムは言うまでもなく、前者の明るいムードのクリスマスだ。

エラもスタジオ録音らしく落ち着いた様子でわかりやすく歌い、とても聴き易い。唯一の欠点はバックのビッグバンドのアレンジが凡庸で
つまらないことだが、エラの上手い歌がその欠点をかなりの面でカバーしていると言っていいだろう。個人的にはもっとしっとりとした
ストリングスのアレンジで聴きたかったが、こういう明るい雰囲気も悪くはない。おちゃらけた幼稚な装飾を入れたりすることなく、
至ってストレートなジャズのアレンジとなっているのがまずまずよかったと思う。

ジャケットに描かれた馬はまるでピカソがキュビズムの時代に描いた馬のようで、如何にもパブロ・ピカソを愛したノーマン・グランツらしい。
音質も良好で、観賞する上では何も問題ない。

エラは丁寧ではあるが思い入れたっぷりという感じではなく、意外とさらりと歌っているので、聴いた後にあまり音楽的な余韻が残らない。
そこが惜しいかなと思う。せっかくのクリスマス・アルバムなんだから、もう少し特別感があってもよかった。


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