Jan Garbarek / Afric Pepperbird ( 西独 ECM 1007 )
ECMの栄光のナンバー7を背負った作品として、その筋のファンには親しまれている。 レーベルを立ち上げてまだ間もないこの時期、アイヒャーは音楽の
内容には何も口出ししなかった。 この作品に関してはすべてガルバレクのコンセプトで音楽が形成され、メンバーたちはオスロの美術館を借り切って
録音したがったが、外部からのノイズが入ってくるのを嫌ったアイヒャーが唯一ダメ出しして、スタジオで録音させている。
砂漠やサバンナや密林、そこで営まれる生を想起させる民族音楽的な内容で、これを無理にECMやジャズと絡めて解釈するのは無意味だし、フリージャズ
という言葉を持ち出す必要すらない。 自分たちの音楽を模索するにあたり、1度音楽の原始の姿に立ち返ろうという発想だったのではないだろうか。
当時、オスロにはドン・チェリーやジョージ・ラッセルが一時的に住んでいて、このガルバレクの若いバンドメンバーたちは多大な影響を受けた訳だけど、
だからと言って彼らがリディアン・クロマティック・コンセプトをどこまで理解したのかはよくわからないし、ここで聴かれる楽曲がファソラシドレミファが
基調になっているのかどうかなんてこともよくわからない(少なくとも私には)。
知的レベルの高い有能な若者がそういうカウンターセオリーに惹かれるのは当然のことだし、無批判に世の中に迎合するその他大勢から受け入れられない
のも仕方がないことかもしれない。 でも、そういう多様性の受容と新しい価値の創造を目指したECMとこの若者たちの出会いは「邂逅」と言うべきこと
だったんだろうし、ECMというレーベルやガルバレクという稀代の音楽家に好意を持てる人なら、ここで聴かれる内容が、例えそれが一過性のものでしか
なかったのだとしても、その時期の彼らには必要不可欠なものだったのだという暖かい眼差しで見つめることは可能だろうと思う。
生々しいベースの重い音が不気味な基音となって進む中、ギターの常道から外れた破音とテナーの制御されたフラジオが予期せぬ効果を上げている。
音楽的には明らかにサイケデリック・プログレ・ロックという印象で、ジャズという入り口から入ると迷子になるけど、ロックの側から入っていくと意外に
すんなりと納まるところに納まるような感じである。 そういう意味でも、若者たちが創った若者らしい音楽だと思う。