廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

物憂げなムードに包まれたサウンドトラック

2019年09月29日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Blue World  ( Impulse B003015801 )


あまりの良さに驚いている。 これはレコードだけでは物足りない、CDも買ってiPodに入れなきゃ、ということですっかり散財してしまった。

カナダの国立映画製作庁からの要請でフランス系カナダ人映画監督の前衛映画のサウンドトラックとして1964年にヴァン・ゲルダー・スタジオで
録音されたものだそうで、全曲新規録音だったとのこと。 コルトレーンがサントラを? ということで、まずは驚いてしまった。

とにかく、"Naima" の出来が素晴らしい。 コルトーン自身の演奏はオリジナルヴァージョンとさほど違いはないけれど、バックのマッコイ・トリオが
浮遊する背景を見事に描き出していて、聴き惚れてしまう。 マイルスのバックでハービー・ハンコックらがやった幻想的な演奏にそっくりだ。
音数を減らし、リズム感を崩し、コードの中にセンスのいい装飾音を入れて複雑な響きを作っている。 元々のこの曲に込めた想いがようやくここで
表現されたように思える。

サントラということもあり、基本的にはどの曲もテーマ部の演奏だけでクローズする形なのでこの時期特有のコルトレーンの難解さはない。 どの楽曲
も短く、それが聴き易さを担保する。 そういう意味では音楽の建付けの印象はマイルスの "死刑台のエレベーター" と似ている。 テイク数の多い
"Village Blues" もわかりやすいブルース形式のシンプルさが好ましい。

アルバムタイトルの "Blue Worlld" は "Out Of This World" を下敷きにした曲で、原曲の暗いムードが殺されることなく上手く演奏されており、
この曲だけはコルトレーンの複雑なアドリブが少し挿入されているが、これも前衛映画には相応しかったのではないだろうか。

ジャズ・ミュージシャンは映画のサントラを本当に上手く作るなあ、と改めて感動する。 アルバム全体が物憂げで深い影で覆われた一糸乱れぬ
統一したムードで貫かれていて、1つの世界観が音楽としてここに作り上げられている。 未だ観ぬ映画の内容でさえ想像できてしまうような、そして
もはや観る必要すら感じさせないくらいの、強固な世界観がここにはある。

元々ジャズという音楽は雰囲気を重視する音楽だが、演奏家が自身の主張を取り下げて映像の世界に入って行くと、こうも素晴らしい融合が可能となる
というところにジャズと映像の根本的な親和性の高さというか、ある種の同一性のようなものが感じられる。 ジャズを聴いて深夜の都会の風景を
イメージしたりすることは日常的にあることだが、それはこの音楽が持っているそういう特質に起因するのだろう。

コルトレーンの優しさや素直さや抱えていた影のようなものが無防備に表面化していて、音楽の質感は非常にナイーブ。 同レーベルの名盤の誉れ高い
"Ballads" なんかよりも遥かに深い抒情性を感じる音楽だと思う。 これは、必聴。 音質も良好で、心配無用。


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深夜の待合いベンチに座って

2019年09月28日 | Jazz LP (Dawn)

Zoot Sims / Goes To Jazzville  ( 米 Dawn DLP 1115 )


個人的な長年の懸案盤、諦めかけていた頃になってようやくかぜひきではないきれいなものにぶつかった。 これはかぜひきが多く、現物を確認
しないと買えないので時間がかかった。 Dawnのもう1枚の "The Modern Art Of" はどこにでも転がっているが、こちらは弾数自体が少なく、
現物を手にする機会が全然ない。 おまけに値段も安かったので、言うことなしである。

ズートはその音色と語り口が魅力なのでワンホーンで聴きたいアーティストだが、これは無名のトランペッターがおとなしい演奏で寄り添う感じなので
あまり気にせずに聴ける。 ブルックマイヤーとやったほうは古いスタイルの野暮ったい音楽で退屈な内容だが、こちらはもう少しモダンに寄った内容
なので、すっきりとしている。

この盤で面白いのは、セロニアス・モンクの "Bye Ya" をやっているところ。 ズートがモンクの曲をやっているのは、これ以外には私にはすぐには
出てこない。 録音の多い人だからどこかでやっているのかもしれないけれど、少なくとも私には他には思いつかない。 どうやら本人の音楽嗜好には
合わなかったらしく、ビッグネームとしては珍しくモンクの曲を取り上げない人だった。 "Bye Ya" の演奏もモンクの曲想を表現しようという意図は
感じられない。

全曲を通して柔らかくしなやかな質感が良く、心に残る音楽になっている。 "Ill Wind" のしんみりとした抒情感が素晴らしく、ズートのバラード
演奏の極みが聴ける。 ナロー・レンジの音場感もこの音楽の雰囲気にはよく合っていて、却って好ましい。 ジャケットの深夜の駅の待合室らしい
風景はこの音楽の雰囲気をそのまま表現していて見事だ。 演奏のために次の街へと行くミュージシャンの生活の様子がこの音楽の中から立ち現れて
くるようだ。 アナログ盤にはそういうノスタルジーを掻き立ててくれる何かがある。


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過去を清算した特殊なアルバム

2019年09月23日 | jazz LP (Atlantic)

John Coltrane / Giant Steps  ( 米 Atlantic 1311 )


1958年に最初のピークを迎えたコルトレーンをまるで待ち構えていたかのように、翌年になると重要な録音が2つ続くことになる。 1つは3~4月録音の
"Kind Of Blue" 、もう1つは5月録音の "Giant Steps" である。 前者はジャズの歴史の潮目を変え、後者はコルトレーンの音楽の方向を変えた。
おそらくは本人ですら想像もしていなかった方向へと。

時間の流れの中で見てみると、このアルバムはそれまでの作品とはまったく異質な内容で、これ以降もこの路線に続くものは見られない。 あまりに
突然現れたという印象だ。 そういう意味で、このアルバムは自身の音楽観の移り変わりの中で自然に出てきたというよりは、ある特定の意図をもって
作られたんじゃないかという気がする。

この演奏を聴いていて感じるのは、この背後に積み上げられたであろう膨大な練習量だ。 もはやその場のアドリブというよりは、事前に準備されて
練習し尽した既定ラインの披露という感じだ。 そう思わせるくらいかっちりとし過ぎているので、何だかジャズっぽくない雰囲気すら漂っている。
なぜここまで完成度の高さにこだわったのか。

私にはこのアルバムの背後にソニー・ロリンズの姿が透けて見える。 ロリンズのサキソフォン・コロッサスも恐ろしい程の完成度の高さを誇るけど、
このアルバムと同じようにあまりにかっちりとし過ぎていて、そこが面白くない。 ただ、ロリンズの方はその背後に周到に用意された準備の跡は
感じられない。 あくまでもその場で自然発露的に演奏されていて、そこにロリンズの怖ろしさがある。 一方、コルトレーンは自分がそうではない
ことがよくわかっていたから、あのアルバムに匹敵するものを作るには念入りな準備と気の遠くなるような練習が必要だと考えたのではないか。
サックスの吹き方もロリンズに似た箇所が幾度となく出てくる。

それまで散々演奏が下手だと叩かれて悔しい思いをしてきた彼には、思うように吹くことができる今こそ、過去の自分を清算する必要があった。
そのためには自分の永遠の憧れであるロリンズの、あのアルバムに匹敵するものを作る必要がある。 そこで演奏不可能と思われる曲を書き、
それを難なく吹けるようになるまでひたすら練習し、満を持してトミー・フラナガンを連れてきたのだ。 そういう戦略に沿って作られた非常に
特殊なアルバムだったのだと思う。

インパルスに移った後はもうここで演奏した曲は顧みることもなく、コルトレーンにとっても一過性の作品だったことは明らか。 インパルス期の
アドリブ全開のスタイルでこれらの楽曲をやらなかったのは、コルトレーンの意識の中には元々ここにはアドリブの要素が希薄だという感覚が
あったからではないか、と邪推してしまう。 それほどここには一分の隙も見られない。


このレコードは貧弱な音でしか鳴らないアトランティック盤の中では珍しく楽器の音がクリアで高い音圧で鳴る。 尤も空間表現は全くダメで、
立体感や奥行きを感じることはできないけれど、それでもこのレーベルとしてはまずまずの部類に入る。 CDもまずまずの音で聴くことができるから、
元の録音が良かったようだ。 アトランティックはカタログ内容は非常に立派だが、そういう面では面倒臭い。


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プレスティッジ発 最終列車

2019年09月22日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / The Last Trane  ( 米 Prestige PRLP 7378 )


プレスティッジとしては一番最後に発売されたレコードでありながら、録音は57年8月、58年1月、3月の3つのセッションの残飯整理という訳の
分からない形態だが、これも演奏内容がとても素晴らしい出来。 ちょうど57年から58年へとまたがる演奏で、やはり57年の演奏は技術的には
かなり落ちることがはっきりとわかる。 それに比べて58年の演奏は完成しており、奇しくもコルトレーンの演奏の分水嶺が捉えられた格好に
なっていて、瓢箪から駒的なアルバムとしてコルトレーンを知る上では価値がある。

このアルバムのハイライトはB面トップの "By The Numbers"。 ガーランド・トリオがバックで支えるスロー・ブルースだが、これを聴いていると
コルトレーンはガーランドにサポートしてもらえて本当に良かったなあと思う。 演奏が安定せず波があったコルトレーンをこのガーランドたちが
どれほど上手く支えてきたことか。 ガーランドやチェンバースはコルトレーンの成長を一番近くで見守っていたから、こういう成熟した演奏を
するコルトレーンを見て、さぞ嬉しかっただろう。 ガーランドが発する都会的なブルースの雰囲気が堪らない1曲となっている。

RVGの仕事が冴えているのもこのアルバムのいいところで、"Come Rain Or Come Shine" でのテナーサックスの音色のブライトな輝きといい、
ルイス・ヘイズのシンバルの音といい、金属が鳴る音の素晴らしさは圧巻。 音のいいレコードとしても高い価値がある。

このアルバムが発売された1965年は、コルトレーンが "Ascension" を作った年。 時代の変化についていけなかったプレスティッジ最後の花火が
この "最終列車" だったというのは何か象徴的なものを感じるが、それでもある意味では最も良かったと言っていい58年のコルトレーンの姿を
埋没させることなく世に出せたことは良かった。 これらの演奏を聴くことで、翌年に作られる "Kind Of Blue" の重みがより深く理解できる。


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マイルスへの感謝のメッセージ

2019年09月21日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / Bahia  ( 米 Prestige PR 7353 )


コルトレーンの演奏力が急にステップアップしたのは1958年頃だと思う。 人気のある "Blue Trane" は57年9月の録音だが、この時の演奏は
それまでのたどたどしさは無くなったものの、フレージングには未熟さが残っていて、脱皮手前くらいの出来だと思う。 ところが58年初夏の頃に
なると出てくるフレーズが急に上手くなり、ワンパターンだった処理の仕方は影を潜め、本当に歌っているような感じになってくる。 そしてその
タイミングでコルトレーンのプレスティッジのレコードはリアルタイムで製作されなくなり、数年後までリリースはお預けになるようになった。
おそらくアトランティックへの移籍話が出始めて、プレスティッジはレコード化を止めていたのだろう。 

やがてコルトレーンはアトランティックで快作を連発するようになり、プレスティッジも慌てて貯め込んでいた58年以降の録音をレコード化して
リリースし始める。 そういう訳でコルトレーンが普通のスタイルで普通の音楽をやっていた一番の名演は、プレスティッジの事後処理的制作の
レコードの中に集約されることになった。 プレスティッジ時代は出来の落ちる頃のレコードばかりになぜか人気が集中して値段が高騰し、
出来のいい時期のレコードはあまり人気が無く、先の物と比べれば値段が抑えられているということになっているのは何とも皮肉なことだ。 

この "Bahia" も "至上の愛" の翌年にリリースされており、58年7月と12月の2つのセッションのコンピレーションという手抜き具合いだから、
誰からも有難がられないレコードになっているが、演奏の素晴らしさは折り紙付きだ。 特に、ウィルバー・ハーデンとのコンビネーションは
抜群に良く、バックもガーランド・トリオでこれ以上はない布陣と言っていい。 

このアルバムのハイライトは "Something I Dreamed Last Night" で、究極のバラード演奏となっている。 マイルスのマラソンセッションでは
吹かせてもらえず、指を咥えて見ているしかなかった悔しさの借りをここで返したのだろう。 マイルスとはまた違うアプローチではあるけれど、
コルトレーン・バラードの完成形がこの時期に出来上がったことがよくわかる。 コルトレーンはこの演奏をマイルスに聴いてもらいたかったんじゃ
ないだろうか。 私はこんなに成長しましたよ、というマイルスへの感謝のメッセージがこの演奏から聴こえてくるような気がする。


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好感度の高いピアノトリオ

2019年09月16日 | Jazz LP (Mode)

Joanne Grauer / Joanne Grauer Trio  ( 米 Mode MOD-LP-113 )


アルバム1枚残して消えた人だから・・・と情報を求めて調べてみると、意外にも色んな記事に出くわして驚いた。 いわゆるジャズ・アルバムはこの1枚
だけのようだが、その後幅広く活動していてジャンルにとらわれない作品も少し残していたりしているようで、この後の足跡がわかってしまう。
美人は得だ。 放っておいても誰かがフォローしてくれる。

大方の女性のピアニストがそうであるように、彼女もピアノの基礎がしっかりとした弾き方をしているのがよくわかる。 このアルバム録音時はまだ
10代だったそうだが、演奏が安定しているのが凄いところだ。 フレーズに迷いがないし、ジャズの雰囲気を上手く出していてそんな若い歳だとは
とても思えない。 もちろん、この人だけの何かを感じるところまでいっているとは思わないけれど、これだけ弾ければまずは立派だと思う。

非常に清潔感漂う音楽で、それがいいか悪いかはともかく、聴いていくうちに好感度がどんどん上がっていく。 ウェストコースト臭さはなく、
いい意味で中庸的だし、何より新鮮な感じがあってそこがいい。 収録された曲が平凡なので、もっといろんな楽曲を弾いてもらいたかったし、
違うレーベルの音でも聴いてみたかった。

1枚の作品でそのアーティストを知るのは難しいが、彼女の場合はこのアルバムの出来がいいので愛好家にはいい印象が残っているのではないかと思う。
MODEレーベルのレコードは特定のものを除けばどれも安いし流通量も多いので、このアルバムも変なプレミアが付かずにすんでよかった。
ピアノトリオを気軽に愉しむのにはうってつけのいいレコードだと思う。


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スティーヴ・レイシーの存在感

2019年09月15日 | Jazz LP (ABC-Paramount)

Tom Stewart / Sextte / Quintette  ( 米 ABC-Paramount ABC-117 )


アメリカのテレビ放送局であるABCのレコード部門として1955年にスタートしたこのレーベルは後に Impulse! を設立したりして実はアメリカの
ジャズには深いゆかりのあるレーベルだが、ことレコードマニアには魅力のないレーベルらしく、レコードは総じて安レコである。 まあ、何となく
ABCが余技の一環でレコード部門を作っちゃいました的な運営だったし、カタログ内容も穏やかで中産階級向けということもあり、しかたないのかも
しれない。 ただそういう肩の力が抜けた欲の無さから、他のレーベルではあまり見られない種類のタイトルが並んでいたりする。

テナー・ホルンという珍しい楽器を扱うトム・スチュワートも唯一のリーダー作をここに残していて、これがとても趣味の良い内容で素晴らしい。
収録されている楽曲からもわかる通り、古き良き時代のノスタルジックな雰囲気に満ちた音楽だが、ちょっと驚くのがスティーヴ・レイシーが
普通の演奏をしていることで、これがすごくいい。 楽器の構成上サックスの音が大きく聴こえて目立つが、濁りの無いきれいな音色で穏やかに
フレーズを紡いでいて、演奏の核になっている。 この楽器がなければ地味な音楽のままで終わってしまっていただろうけど、レイシーの演奏が
入ることでキリッと締まり、モダン寄りの垢抜けたスマートさを纏うことができた。 楽器一つで音楽がこうも変わるのかと驚いてしまう。

スチュワートのテナー・ホルンはまるでトロンボーンのような音色で軽やかでなめらかなフレーズが心地よい。 どの楽器もそうだが、自己主張をせず
全員で気持ちを合わせるかのように演奏をしている匙加減が絶妙だ。 強く印象に残るというようなタイプの音楽ではないけれど、聴くたびにすごく
いい音楽だなと感銘を覚える。 チェット・ベイカーが歌った "Let's Get Lost" が入っているのがうれしい。

アメリカという広大な国のどこかでいつも誰かが演奏しているであろう音楽で、何もマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンだけがジャズを
作っていった訳ではないのだということが実感できる。 ジャズは裾野の広い音楽で、レコードも無数にある。 そのすべてを聴くことは叶わない
けれど、できる範囲で名も無きアルバムを1つずつ聴いていくのは愉しい。


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グルダの本気

2019年09月14日 | Jazz LP (RCA)

Friedrich Gulda / At Birdland  ( 仏 Decca LK 4188 )


グルダがジャズを始めたのは単なる気まぐれではなく、本気で転向しようとしていたらしい。 ただ、周囲に猛反対されて、二足の草鞋を履くという
ところで妥協した。 音楽の本場ヨーロッパの人々から見れば、ジャズなんて・・・という感覚だったのだろう。 長い歳月をかけて丁寧に磨き上げ
られた音楽を聴いている感性からすれば、こんなガサツな音楽は聴くに堪えないのかもしれない。

それでもグルダは持ち前の型破りな性格から、アメリカに乗り込んでニューヨークの一流クラブで当時のトップクラスのメンバーたちと一緒に堂々と
ライヴをやってしまう。 このライヴを聴けばグルダが演奏を心から愉しんでいたのがよくわかるし、他のメンバーたちもグルダが書いたスコアの
レベルの高い建付けをとても上手く演奏していて、彼らの他のアルバムでは聴けないような質感の高いジャズに仕上がっている。

普段は地味過ぎてその実力がさっぱりわからないアーロン・ベルやニック・スタビュラスが非常に弾けた演奏をしていて、まるで別人のようだ。
アイドリース・スリーマン、ジミー・クリーヴランド、セルダン・パウエル、フィル・ウッズという4管も目の覚めるような演奏をしている。 彼らは
グルダが用意した高級な器に臆することなく対峙していて、ウッズは別にしても他のメンバーたちは日頃十分な実力を発揮できていなかったんじゃ
ないかとすら思えてくる。

B面トップの "Air From Other Planets" なんて、これは本当にライヴ演奏なのか?と疑いたくなるような完成度の高さだし、ピアノトリオで
演奏される "Night In Tunisia" は完全クラシックマナーで弾き切ってしまうグルダのピアノが痛快極まりない。 どの楽曲も聴き所満載で、
普通のジャズアルバムでは聴くことができないタイプの、それでいて濃厚なアメリカのジャズを聴くことができる。 このアルバムは面白い。

オリジナルはアメリカのRCA Victor盤だが、欧州ではグルダはデッカと契約していたのでアメリカ以外の国ではデッカレーベルから発売されている。


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Nakatini Serenade

2019年09月08日 | Jazz LP (Prestige)

John Coltrane / The Believer  ( 米 Prestige PR7292 )


カル・マッセイの名前が私の心に刻まれたのは、このアルバムに収録された "Nakatini Serenade" を聴いたときだった。 哀感と祝祭感が入り混じる
メロディーに魅せられる、1度聴くと忘れることができない素晴らしい楽曲で、これを書いたカル・マッセイという人はどういう人なんだろうと思った。

コルトレーンは無骨で不器用な人だけど、楽曲の素直な理解とそれをそのままメロディーにすることができる才能があって、だからプレスティッジ時代の
彼のスタンダードやバラード演奏はどれも素晴らしい。 コルトレーンがいつまでも人々から聴かれるのは、彼のそういう特質のおかげだろうと思う。
インパルス時代になって激しい演奏へと変わっていっても、彼の音楽にはどこか心に残る不思議なところがあって、その正体はきっと楽曲を素直に自分の
中に取り込んでその魅力と同化することができたからなんじゃないかと思う。 それこそがコルトレーンの最大の武器だったのだと思う。

そういう美質が素晴らしい楽曲に出会うと、当然そこには名演が生まれる。 私がプレスティッジ時代で最も好きな演奏がこれだ。 バラードでもない
のに、溢れ出て止まらない哀感に胸が熱くなる。 ドナルド・バードの輝かしいトーン、ルイス・ヘイズのシンバルが祝祭的なムードを盛り上げる中、
コルトレーンの奏でるメロディーやアドリブラインが楽曲を作り上げていく様は一介のジャズの演奏などとうに超越している。

1958年の録音でこれはコルトレーンの演奏力が一皮むけた時期にあたり、フレーズは逞しく安定しているし、バックはガーランドとチェンバースの鉄板
コンビで演奏としては完璧だ。 更にRVGの録音やカッティングも見事で、非常に音のいいレコードになっている。 A面のミッドテンポのブルースから
哀感たっぷりのハイライトに続き、最後は静謐なバラードで閉じるアルバム構成も非の打ち所がない。

コルトレーンとマッセイがどういう関係だったのかはよくわからないけれど、一般的には知られていなかったであろうこんな素晴らしい楽曲を収録に
持ち込んでくるくらいだから、おそらくは親交があったに違いないと思う。 残念なのはプレスティジが録音の5年後に消化試合扱いでリリースした
ことで、そのせいでこのアルバムはコルトレーンの中では人目に触れることが少ない位置にいることだ。 ガーランドもそうだったが、契約を盾にして
たくさん録音させておきながらアルバムリリースを真面目にしなかったところがこのレーベルのダメなところだった。 コルトレーンもガーランドも
どの演奏も確かに似たり寄ったりで変化には乏しいからそんなにアルバムをたくさん出してもなあというのがあったのだろうとは思うけれど、それでも
1つ1つの演奏自体は他を寄せ付けないレベルだったのだから、50年代の間にアルバムリリースするべきだった。 そうしていれば後世の名盤の序列も
変わっていただろうと思う。

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大物たちの陰に隠れて復刻された唯一の作品

2019年09月07日 | Jazz LP

Cal Massey / Blues To Coltrane  ( 英 Pure Pleasure Records CJS 9029 )


新譜、復刻を問わずアナログがリリースされる現在の状況は大変喜ばしい。 アナログブームという風潮が作られて、昔は100円で転がっていた
中古国内盤が1万円近い値段で売られているという困ったオマケは付いてきたとは言え、それでもレコードが流通している風景は我々世代にとっては
嬉しいことだ。 しかも、最近の復刻盤のクオリティーの高さには驚かされる。 40年近くレコードマニアとして生きてきた私の眼から見ても、何の
抵抗もなく買おうという気にさせられる。 オリジナルと比較してどうのこうのと言う気にならない、別のプロダクトとして完成していると思う。

そんな中、大物たちの未発表作の宣伝に愛好家の眼が向けられている裏で、ひっそりと復刻されていたレコードがあった。 カル・マッセイである。
1961年にCandidレーベルに吹き込まれながらもオクラ入りになり、本人の死後、1987年にドイツのブラック・ライオンからようやくリリースされた
ということらしい。 道理でこれまでCandid盤を見たことがなかったわけだ、と今更ながら納得した。 

演奏家としての評価より作曲家としての評価が高いけれど、それは作品が流通しておらず、単に本人の演奏に触れる機会がないからだろう。 彼の
作曲した曲はいろんなところでいろんな人が演奏しており、ミュージシャンには愛されていたのが伺われる。 私もこのいい曲は誰が書いたんだと
見てみるとカル・マッセイだったということがあって、それでずっと心の中で引っ掛かっていた存在だったのだ。

ジャケット写真の印象からピアニストだとばかり思っていたがトランペッターだったということが今ごろわかるような始末だが、派手さはないものの、
心に残る演奏をしていることがわかる。 タイトルからもわかる通り、王道のブルース基調の楽曲が並んでいるが、特にコルトレーンの影がさしている
ような印象は受けない。 これはコルトレーンを意識した音楽ということではなく、おそらく互いに友人として親交があった2人の親愛の情を表した
タイトルだったのではないかと思う。 

3管編成の普通のジャズでわかりやすい内容だが、メンバーの中に際立った演奏力を誇示する人がいないため、全体的には地味な演奏になっている。
全然悪くない良い演奏だと思うけど、61年という時代に売り出すにはいささか地味過ぎるということで発売が見送られたんじゃないだろうか。
Candidは尖ったミュージシャンを擁するレーベルだった。 もしそうだとしたら、本人はさぞ気落ちしただろうと気の毒になる。 別のレーベルなら
普通にリリースされていたに違いない。

そういうことを想いながら、私はしみじみと聴いている。 人知れず密かに復刻されたことに感謝したい。


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現地の雰囲気に飲み込まれて戸惑うパーカー

2019年09月01日 | Jazz LP

Charlie Parker / Charlie Parker in Sweden 1950  ( Sweden Sonet SLP 27 )


1950年11月、パーカーはスウェーデンへ1週間の演奏旅行に出かけた。 現地での歓迎ぶりは大変なものであったようで、エピソードはたくさん残って
いる。 パーカー自身も体調がよかったらしく、毎日精力的にいろんなところに出かけて行って演奏をした。 その様子の一部は録音されて、現地の
レーベルからリリースされている。 一般的にはOktavレーベルがレギュラー盤のオリジナルとされているけれど、このSonet盤も同時期の発売で、
こちらは1,000枚の限定プレスでシリアル番号が振ってあり、手許のものは No.518。 

ロルフ・エリクソンがサポートする2管クインテットでのライヴだが、私の印象ではパーカーの演奏はフレーズにいつものキレがなく、少し散漫な演奏を
しているように聴こえる。 音量は相変わらず圧巻のボリュームで凄まじいものがあるけど、どうも聴いた後に残る印象が弱い。 当時のインタビュー
記事によると、パーカーは現地メンバーの演奏に飲み込まれてしまうことがあって(理由はよくわからない)、本人は不機嫌になることがあったらしい。
想像するに、普通ならみんなパーカーが主役で彼を立てる演奏するところを、現地メンバーは巨匠との夢の共演ということでバトル的に互角の演奏を
したんじゃないだろうか。 だから、いつもと勝手が違ってパーカーには戸惑いがあったのかもしれない。

大きな劇場のステージで演奏しているのを遠い場所から録音したようなサウンドで、残響過多でフォーカスもボケボケの音場感。そんな中でパーカーの
音は大きく鳴っているけれど、お世辞にも音がいいとは言えない。 当時の雰囲気を味わうことができると言う程度で、上述の通り演奏もさほどいい
とは言えないことから、パーカー・フリーク向けのレコードということでいい。 特にOktav盤は稀少ということで昔から値段が高いけれど、ハード
コレクター以外は手を出す必要はまったくないと思う。 

ブートの数の多さは群を抜いているためもっとパーカーの演奏が聴きたいとなった場合にはついいろんなものに手を出してしまうけれど、概ねこういう
感じだから、高額なものには注意したほうがいいように思う。 音が悪くても演奏が良ければまだいいが、演奏までダメとなると泣くに泣けない。

この時のパーカーのスウェーデン滞在は大変大きな話題になったけれど、実は現地のジャズ界はスタン・ゲッツらが当時やっていた例のクール・ジャズが
流行の先端となっていて、パーカーの音楽が同国に影響を与えることはなかった。 華々しい歓待も来訪への一時的な反応であって、ビ・バップは既に
過去のものになっていた。 今思えばこれはパーカーの音楽の神通力にも陰りが出始めたことが露呈した象徴的な演奏旅行だったのかもしれない。


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