廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

未だに謎が解けないレコード

2024年09月16日 | Jazz LP

The Hank Babgy Soultet / Opus One  ( 米 Protone Hi-Fi Records And Recorded Rapes HBS-133 )


ユニオンのセールに出ているのを見て、そう言えばもう何年も聴いていないなあと思い出して久しぶりに棚から取り出してきたレコード。買った当時はよく聴いていたが、
この手のレコードは飽きるとまったく聴かなくなってしまう。おそらく10年振りくらいに聴き返してみると、やはり感銘を受ける内容であることを確認できた。

リーダーの名前も知らなければ他のメンバーもまったく知らない、おそらくはローカル・ミュージシャンの集団で、レーベルも他にジャズのレコードを出してはいないらしく、
とにかく謎だらけのレコードでこういうのは非常に珍しい。にも関わらず、モノラルとステレオの両方をリリースしているらしく、64年という時期を考えれば当然なのだが、
それにしてもその入念な販売状況からもしかしたらこの演奏を残すためにわざわざ立ち上げられたのか?と勘ぐってしまうほどだ。とにかく音が凄くいい。

そういう謎だらけにもかかわらず、欧州ジャズのような楽曲の雰囲気や演奏レベルの異様なまでの高さから一体これは何なのだ?と聴いていいて訳が分からなくなる。
それでも楽曲の出来は当時の欧州ジャズなんかよりも遥かに上回っていて凄いとしかいいようがないし、演奏も誰か名うての名人が覆面で演奏してるのかと思うような
レベルだが、ジャケットの裏面を見ると彼らの写真が載っていてそういうことでもないらしい。

そういう何が何だかさっぱりわからないところが常に居心地の悪さを誘発するが、それでも呆気にとられながらもあっという間に全編を聴かされてしまう。このレコードが
日本で「発見」されたときはそのモーダルでメロウな雰囲気が大ウケしたようだが、大事なのは最後まで一気に聴かせるその勢いだろう。当時のジャズの主流からは外れた
ところでこういう音楽が演奏されていたという事実が驚異的だし、こういう音楽が発売当時に評価されなかったのは当時のジャズ・ジャーナリズムの荒廃ぶりを物語っている。

無名のローカル・ミュージシャンたちが作ったレコードといえばアーゴのレコード群を思い出すけれど、それらとはまったく違う質感の演奏で、アメリカのジャズの層の厚さを
思い知らされることになる。そういうレコードだから稀少盤になってしまうのも無理もないが、ただこれは弾数が少なくて珍しいだけの中身のない稀少盤ではない。
手元にあるのはモノラルプレスなので、これがステレオプレスで再発されたらおそらくは買ってしまうだろうと思う。



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ハービー・ハンコックのデビュー

2024年07月29日 | Jazz LP

Herbie Hancock / Jammin' With Herbie Hancock  ( 米 tcb Records TCB 1006 )


ハービー・ハンコックのプロ・デビューはドナルド・バードとペッパー・アダムスの双頭コンボに加わったところから始まっている。その時の記録は
ワーウィック・レーベルから1枚のアルバムとしてだけ残されたが、このセッションには別テイクが残っており、それらがワーウィックが倒産後に
こういう形で1970年に流出した。この頃は既にビッグ・ネームとなっていたハンコックの名前を使ってこっそりと売りに出された半ば海賊盤の
ようなリリースだったようだが、これはワーウィック盤を愛する人にとっては聴き逃せない内容となっている。

著作権に抵触しないように各楽曲の曲名はすべて別の名前に変えられていて、更に原盤には収録されなかったスタンダードも含めて、これと
ワーウィック盤の2枚を聴くことで、この時のセッションの全容が把握できるようになっている。各曲はテーマ部の管楽器のパートはカット
されていて、ハービーのソロから始まるように編集されており、なかなか手の込んだ隠蔽の跡が見て取れる。

この時の演奏は5人が5人とも何の屈託もなく実に気持ち良さそうに伸び伸びと演奏しており、彼らの爽やかな心象風景がきれいに描かれている
ところが1番の魅力。何と気持ちのいい若者たちだろう、とこちらの心が洗われるような爽快感のある音楽であるところが素晴らしい。

ハービーの演奏から始まる楽曲を聴いていると、ハービーはデビュー当時から既にハービー・ハンコックだったんだなあということがわかる。
それまでのピアニストたちとはまったく違うタッチ、新鮮なフレーズ、そのどれもがバド・パウエルの呪縛とは無縁のまったく新しい語法で、
このピアノを聴いたドナルド・バードは新しい時代の扉が開くのを感じたのではないだろうか。

このアルバムは1970年にリリースされているが、既に大スターとなっていたハービーにあやかっての作り方となっていて紛らわしい。
ただ、音質は良好で音楽はしっかりと楽しめる。後年スペインのFresh Soundsから色違いのジャケットでVol.2という体裁で出されたはずだが、
あちらは音質が期待できないのでこれで聴くのが1番いいのだろう。








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たった1枚のリーダー作(2)

2024年06月23日 | Jazz LP

Richard Williams / New Horn In Town  ( 米 Candid Records CJM8003 )


リチャード・ウィリアムスの演奏はいろんなところで聴くことはできるけれど、リーダー作はこの1枚しかない。しかもそれがキャンディドなんて
日陰のレーベルだったこともあり、ここまでたどり着ける人はあまりいない。でも、たどり着けた人は幸いである。何と言ってもこのアルバムは
最高に素晴らしい作品だからだ。ビッグバンドを渡り歩いたそのキャリアが影響したのかもしれないけど、一時期ミンガスのグループにいたことが
あって、その縁でミンガスがキャンディッドへ紹介したとも言われているけど、その辺りの経緯はよくわからない。

共演しているメンバーも彼と同じようなタイプの人たち、つまり実力はあるのにリーダー作には恵まれなかった人たちばかりが見事に揃っていて、
よくもまあここまで、という感じなんだけど、だからこそ一層このクオリティーの高さには驚くことになる。昔はこのアルバムの良さはそこそこ
知られていたが、今では完全に忘れられた感がある。

よく鳴るトランペットだが、ただ音が大きいだけではなく、優雅で内省的な響きを帯びていて抒情感が濃厚な音色。音程も正確で運指もなめらか。
それらの美点は2曲のバラードで真価を発揮する。よく歌うメロディーで心を奪われる至高の名演だ。その他の楽曲でもトランペットの音色が
印象的で、単なるストレートなハードバップには終わらずワンランク格上げされた音楽になったような感じだ。そこが素晴らしい。

このアルバムは1960年の9月にニューヨークで録音されているが、それはこういう粋なハードバップの演奏ができるのはギリギリの時期だった。
もはや独自の個性が求められる時代であり、いくら音楽が良質であってもそれが他人を押しのけるようなものでないと生き残れないような状況
だったせいでこの後が続かなかったんだろうと思う。このアルバムを聴いていると押しつけがましさのない素直さを感じるけど、こういう人柄の
良さだけではアルバムを作ることは許されなかったのではないだろうか。そう思うと何とも切ない気持ちになる。



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マリアーノの肖像に相応しい

2024年01月27日 | Jazz LP

Charlie Mariano / A Portrait Of Charlie Mariano  ( 米 Regina Records LPRS-286 )


ラージ・アンサンブルやストリングスをバックに朗々と吹く、というのはアルト奏者にとっては1つのステータス若しくは憧れだったのかもしれない。
パーカーが確立したこのスタイルを踏襲した人は多く、アート・ペッパー、ポール・デスモンドやフィル・ウッズもやったが、このマリアーノも例外
ではなかった。レコーディングには金がかかるので誰でもやらせてもらえる訳ではなく、エスタブリッシュメントにしか叶わないアルバムだが、
その割には一般的に人気がない。

マリアーノは最高のトーンで自由自在に歌っていて、素晴らしい。単なるスタンダード集ではなく自作も持ち込み、音楽的な深みを出している。
ドン・セベスキーのスコアも甘さは排除されていて引き締まっており、アルトを邪魔しない。ジャケットの印象からくる抽象性のようなものもなく、
音楽全体が親しみやすく、最後まで飽きずに聴くことができる。

マリアーノの良さはアルトの見本のような適度の甘さとよく抜けるビッグ・トーンで優し気でなめらかなフレーズを紡いていくところだと思うけど、
このアルバムではその美点がそのまま反映されていて、素晴らしい出来だ。ワンホーン・カルテットなんかだと気を抜くと単調になりがちだが、
この作品は構成要素がそれなりに多く複雑でもあるので、そういう背景の中では彼の美質はより際立ってくる。タイトルの「チャーリー・マリ
アーノの肖像」というのはこのアルバムの内容を上手く表していると思う。

モノラルプレスも同時リリースされているが、このアルバムはステレオプレスが圧倒する。楽器の艶やかさや音場感の拡がりがひと味違う。



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サル・サルヴァドールの最高傑作はこれか

2024年01月13日 | Jazz LP

Sal Salvador / Starfingers  ( 米 Bee Hive Records BH 7002 )


サル・サルヴァドールと言えばキャピトルやベツレヘムにレコードが残っていてエサ箱ではお馴染みの人だが、これがどれを聴いてもつまらない。
フィンガリングはなめらかでソツなく上手いギターだが、自身の音楽として確立されているものがなく、聴き処がない。結局持っていてもまったく
聴くことはなく棚の肥やしになるだけなので、レコードが我が家の棚に残ることはなかった。ところがこの「その筋の人的ジャケット」の
レコードを聴いてぶっ飛んだ。これがサイコーにいい。

サルヴァドールが目当てでではなく、私の好きなエディ・バートが参加していること、"Nica's Dream" や "Sometime Ago" など好きな曲が入っている
ことなどから聴いてみたのだが、これが抜群にいい。よく見るとメル・ルイスがドラムを叩いており、このドラミングが凄いことになっている。
デレク・スミスのピアノがこんなにみずみずしいなんて知らなかったし、ペッパー・アダムス直系のブリグノラのバリトンも硬質で音楽をキリっと
引き締める。サム・ジョーンズのベースもブンブンと唸るし、参加メンバー全員が見事な演奏をしながら音楽が1つにまとまっていく。

サルヴァドールの音色が如何にも70年代風のイカしたサウンドで、これが完全に病みつきになる。アップな曲でのカッコよさはもちろんだが、
バラードでもメロウで艶めかしい。ベツレヘム時代の型にはまった退屈さからは抜け出していて、生き生きとした音楽に様変わりしている。
ジャズがアメリカの主流の音楽ではなくなったこの時代に、50年代に活躍していたミュージシャンたちが一皮むけた音楽を展開できるように
なったというのは何とも皮肉なことだ。

レコードとしての風格に欠けることから相手にされない時代の作品だが、中身は超一流。見直されるといいのにと思う。



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最後の残り火

2023年10月08日 | Jazz LP

New York Jazz Sextet / Group Therapy   ( Scepter Records SLP 526 )


トロンボーン奏者のトム・マッキントッシュがプロデューサーとなり、アート・ファーマー、ジェームス・ムーディー、トミー・フラナガンらと
1965年に録音したアルバムで、グループ名を名乗っているが単発のセッションだったようだ。
60年代前半のフリー・ジャズ・ムーヴメントの反動でかつての主力メンバーたちがこうして主流派の音楽で巻き返しを図る動きがあったが、
1度壊れてしまったものが元に戻ることはなく、下火のまま消えていくことになるが、その残り火の記録がこうして残っている。

片面4曲と楽曲が短くなり、アドリブの面積も減り、ジャズという音楽の聴かせ所が変わってきている。"Giant Steps" に女性ヴォーカルの
スキャットを被せるなんてコルトレーンが聴いたら腰を抜かしそうなアレンジをしているのも、人々が求めるところが変わってきていることへの
対応だったのだろう。全体的になまめかしい雰囲気が漂うようなアレンジが施されており、50年代のジャズとは明らかに異質な感じがあるが、
それでもファーマーのフリューゲルホーンはなめらかにスモーキーで、このメンバーの要になっている。

時代の空気感や変化に敏感に反応した音楽になっているところに現場のミュージシャンたちの感受性の良さを感じる。このメンバーらしく、
押しつけがましさのないところがいいのではないか。こういうタイプの音楽はこのあたりが最後になるのだろうけど、それでもこうして
レコードとして残されたのはよかったと思う。

ステレオとモノラルの併売になっていたが、モノラルで聴くと音楽に精気がなく、ダメな感じ。こういうところにも時代の違いを感じる。








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新鮮な感覚が支える傑作

2023年08月12日 | Jazz LP

Clark Terry, Bob Brookmeyer / Tonight  ( 米 Mainstream Records S/6043 )


クラーク・テリーとボブ・ブルックマイヤーというパッとしない2人のフロントでガン無視されるアルバムだが、これは傑作。

クラーク・テリーに限らず、エリントニアン達は楽団から離れてアルバムを作るときは音楽の指向性がはっきりとせず、聴いていて唸るような
ものはほとんどないし、ブルックマイヤーもモダンになり切れず、いつも大抵はもどかしい。そんな2人の弱点を補ったのがロジャー・ケラウェイ、
ビル・クロウ、デイヴ・ベイリーの3人のバックで、非常に新鮮な感覚によるタイトな演奏がこのアルバムの大きな肝になっている。ややもすると
「伝統に回帰した」演奏へとレイドバックしがちなこの2人をグイっと現代に引き戻して、同時代の中に立たせることが出来た。グループの演奏で
バックのトリオが如何に大事かということがこれを聴くと本当によくわかる。

元々演奏家としては超一流の2人が伸びやかで輝かしい音色で吹くアドリブ・ラインはどれも冴えわたっている。フレーズの受け渡しも見事で、
一体感が半端ない。管楽器のジャズの快楽を全身で浴びることができる。

このレコードは音がとてもよく、ビル・クロウのベースの凄さがよくわかる。深いトーンで鋭く切り込んでいく様子がわかって痺れる。
デイヴ・ベイリーの音数を抑えた的確なサポート、ケラウェイのピアノの新しい感覚、すべてが手に取るようにわかる。

ハービー・ハンコックの楽曲を取り上げるなど、アルバム作りの企画としても丁寧に考えられており、きちんと正対して聴くべきアルバムだと思う。



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素晴らしいピアノ・アルバム

2023年06月19日 | Jazz LP

Roger Kellaway / A Jazz Portrait Of Roger Kellaway  ( 米 Regina Records LPR-298 )


Reginaレーベルのこの "Portrait In Jazz" シリーズはジャケットの趣味が悪く、まったく手に取る気になれないものばかりだけど、これは聴けば
驚く傑作。新しい才能に出会った時に感じるあの独特の興奮が脳内を駆け巡る。

硬質なタッチと斬新なフレーズで構成される演奏は素晴らしく、耳を奪われる。自作の楽曲が多いがどれもセンスがよく、音楽的な才能も十分。
その高いレベルのピアニズムには鮮やかな輝きがあり、ピアノ音楽の愉楽がぎっしりと詰まっている。

ピアノ・トリオ、ジム・ホールが加わったカルテット、ソロのバリエーションがあり、飽きることがない。ベースとドラムの記載がなく、公式には
誰が演奏しているかは不明だが、ベン・タッカーやスティーヴ・スワロウ、デイヴ・ベイリーの名前が挙がっている。デイヴ・ベイリーは違うんじゃ
ないかなと思うが、ベースの2人はどうもそれっぽい。それくらいベースの存在感が強い。

シドニー・ベシェの古い楽曲を取り上げたり、ロック・テイストの曲もあったりと音楽の振れ幅も大きく、単純なジャズ・ピアノではないところが
ミソで、それらが浮き上がることなく上手くブレンドされている。硬派な切れ味と抒情性のバランスもよく、とにかく圧倒される。

これがデビュー作で、以降たくさんの作品を残しているがあまりパッとしなかったのは残念。でも、このアルバムの出来の良さがそういうところを
帳消しにしてくれる。ピアノ・トリオの名作の系譜に残る作品だ。







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バカラックが亡くなった夜に聴いたアルバム

2023年02月11日 | Jazz LP

Hampton Hawes / High In The Sky  ( 米 Vault SPL-9010 )


全編に漂うほのかに暗い情感に、ハンプトン・ホーズと言う人の内面がにじみ出ているのを強く感じる。50年代にコンテンポラリーで確立した
リズミカルで明るいピアノ・トリオの顔とはまるで別人の、憂鬱で斜め下に目線を落としたような物憂げな表情。

ブロック・コードはあまり使わず、マイナー・キーのメロディーを延々と紡いでいく弾き方に変化していて、B面の "Carmel" から "Spanish Girl" に
かけて流れ出てくる情感は、まるでキースのスタンダーズ・トリオを聴いているかのような錯覚すら覚える。そういう意味では、ここで聴かれる
演奏は現代ピアノ・トリオがやっている音楽を10年以上先取りしていたのかもしれない。短くコンパクトにまとめた演奏とは違い、こんこんと
湧き出てくるフレーズをどこまでも追い続けていくように一心不乱にピアノを弾いている様子にこちらも聴き入ってしまう。

彼はピアノの音色で聴かせるタイプのピアニストではなかったので、その名前を聴いても好きなフレーズが頭をよぎるようなことはないが、
曲の造形を作るのが上手かったので、演奏した楽曲が1つの形として明確に手触り感があり、それが記憶に残る。演奏の仕方が変わっても
そういうところは変わることはなく、ここでも演奏された曲はどれもその質感がしっかりと残るので、このアルバムは名盤として記憶される
ことになる。

一昨日亡くなってしまったバート・バカラックの "The Look Of Love" が聴きたくて久し振りに取り出してきたが、やはりこのアルバムは
ハンプトン・ホーズの傑作の1枚であることを再確認することとなった。バカラックの名曲が霞むほど、彼が書いたオリジナルの楽曲は
どれも素晴らしく、その独自の境地に達した演奏はいつまでも色褪せないものだった。



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セシル・ペインとデューク・ジョーダン(4)

2022年12月16日 | Jazz LP

Cecil Payne / S/T  ( 米 Signal S1203 )


セシル・ペインとデューク・ジョーダンがレコード上で共演し始めたのはこの辺りからか。この2人が組んだ演奏には独特の翳りがあって、
そこにどうしようもなく惹かれる。それはレーベルが違っても変わることはないから、どのレコードを聴いても愉しいのである。

ジョーダンと組む前はランディ・ウェストンと組んでいたが、そこでもウェストンの一癖ある音楽性に上手く合わせていたから、
このバリトン奏者は自身の個性を前に出すというよりは、共演相手とうまく融和しながら音楽を展開する方が得意だったのだろう。
おそらくはそのせいでリーダー作が少なかったのだろうと思う。こういうアーティストをキャッチアップするのがうまかったリヴァーサイド
あたりがリーダー作を残してくれていればよかったのだが、そこからも漏れてしまったのは何とも運が悪いというか。

デューク・ジョーダン、トミー・ポッター、アート・テイラーという趣味の良いトリオをバックに、ワン・ホーンとケニー・ドーハムとの二管で
臨んだ演奏は、覇気と憂いが絶妙にブレンドされた傑作に仕上がっている。バリトンという重厚な楽器をデフォルメすることなく、まるで
クラリネットやアルトを吹いているかのように、とてもナチュラルに吹いていく。

バックのピアノ・トリオの演奏の優美さが際立っていて、それがこのアルバムを一流の内容に格上げさせている。ジョーダンがバックでつける
ハーモニーは美しく、それが管楽器奏者のイマジネーションを大きく膨らませているのがよくわかる。ペインのアドリブラインが豊かなのは
ジョーダンのハーモニーが場を先導することで演奏できる空間が大きく拡がるからだろう。そして、アート・テイラーのこれ以上ないくらい
適切な音数のドラミング。アップテンポでも音楽がうるさくないのは、偏にこのトリオのおかげだ。

ドーハムが加わると音楽の雰囲気はパッと明るく華やかになる。ドーハムの音色がきれいで、バリトンもそれに釣られるかのように朗らかになる。
演奏に波があるドーハムだが、ここでの演奏は素晴らしい。落ち着いたタンギングでフレーズのリズム感が安定していて、演奏に覇気がある。
それでいてペインの演奏を邪魔することなく、自分の立ち位置を明確にした演奏で、誰もがベストな演奏でペインを支えているのだ。
こんなにいいレコードが作れて、セシル・ペインもさぞうれしかっただろう。



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セシル・ペインとデューク・ジョーダン(3)

2022年12月11日 | Jazz LP

Cecil Payne / "The Connection" Composed By Cecil Payne And Kenny Drew  ( 米 Charlie Parker Records PLP-806 )


前衛ミュージカル "The Connection" のオリジナル・スコアを書いたのはフレディ・レッドだったが、このミュージカルが再演された際に
セシル・ペインとケニー・ドリューが新たなスコアを書きおろした。その新たな楽曲をペイン、クラーク・テリー、ベニー・グリーンの
セクステットで録音したのがこのアルバムで、私の知る限りではこれらの楽曲バージョンはこのアルバムでしか聴けない。
麻薬がテーマのこの演劇の音楽を最初に演奏したメンツが本物のジャンキーたちだったことから、そのイメージを払拭するためのリ・スコア
だったのかもしれない。

劇中音楽であることから各楽曲はメロディーラインがしっかりとしていて、音楽としての纏まりがよく、聴いていて楽しい。フレディー・レッドの
楽曲ほどキャッチーではないけれど、どの楽曲も表情が豊かで朗らかなムードに溢れている。私はこのミュージカルを観たことはないのでどういう
あらすじなのかは知らないが、これらの演奏を聴いた限りはどうやら暗い話ではないようである。

バリトン、トランペット、トロンボーンという重奏は厚みと重みがあってとても聴き応えがある。ピアノはドリューではなくデューク・ジョーダン
が担当していて、ここでも彼の音色の魅力が一役かっている。ドリューの無味無臭のピアノではこういうコクのような味わいはなかっただろう。

ペインのバリトンはキレが良く勢いがあって、素晴らしい演奏だ。他の2名の管楽器とは一枚も二枚も上手の存在感を放つ。これらのスコアは
こうやって演奏するんだぞ、とでも言うかのように、しっかりと自身の手のうちに収まった確信に基づいた演奏であることを感じる。

映画「危険な関係」の劇中音楽の正当な権利をアート・ブレイキーの手から取り戻すために、このレーベルでデューク・ジョーダンらの演奏で
アルバムを作ったように、ドリス・パーカーはこの音楽の権利を守るために先手を打ってセシル・ペインに演奏させたのだろう。ジャケットの
裏面には彼女の執筆した短文が載せられていることからも、このアルバムは彼女の肝入りだったようだ。製作者のミュージシャンへの愛と
演奏者の音楽への想いが詰まったとても良いアルバムに仕上がっている。


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セシル・ペインとデューク・ジョーダン(2)

2022年12月03日 | Jazz LP

Cecil Payne / Performing Charlie Parker Music ( 米 Charlie Parker Records PLP-801 )


ここではクラーク・テリーを加えたクインテットでパーカーが好んでやっていた楽曲を取り上げている。ロン・カーターがベースを担当していて、
アルコをやったりソロをとったりと存在感が他のベース奏者とは違いがある。クラーク・テリーの演奏が冴えなくて全体の足を引っ張っているが、
ペインとジョーダンは変わらず闊達な演奏をしている。このレーベルとは切っても切れないパーカーの音楽をかつての共演者がやるという、
企画としては当然の流れからくるアルバムだ。

ペインはバリトンだとは思えないくらい軽快な演奏をしていて、他のバリトン奏者たちとの個性の違いを見せている。元々はピート・ブラウンに
師事してアルトを吹いていたそうだから、なるほどと腑に落ちる演奏だ。ビ・バップでもハード・バップでも難なくこなせるのは立派だ。

このアルバムはこのレーベルにしては珍しいことに音質があまり良くないが、そんな中でもデューク・ジョーダンのピアノの音色は彼らしい
琥珀色のような凛とした色彩を帯びていて、印象に残る。裏ジャケットのライナー・ノートはペインのかつての盟友であるランディ・ウェストンが
書いているが、その中で彼はジョーダンのピアノのことを「彼の音色は、まるで雲間から陽が差して鳥たちが歌い出す中降り始める天気雨の
雨だれを想わせる」と形容していて、そのピアノが心象風景を想起させるというデューク・ジョーダンという人の特性を見抜いている。

音楽家たちがこうしてパーカーの音楽集をやるのは珍しくはないが、それはパーカーは演奏力だけに長けていたわけではなく、そこには豊かな
音楽性も兼ね備えられていたということであり、それがパーカーが人々の心の中にいつまでも残り続ける理由なのだろう。その音楽の価値を
守るためにわざわざこのレーベルが未亡人によって立ち上げられて、そこの主要な専属契約としてセシル・ペインとデューク・ジョーダンが
選ばれたのは最適な人選だったのだと思う。他のレーベルでは決して味わえない、滋味深い音楽を聴くことができる。



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セシル・ペインとデューク・ジョーダン

2022年11月27日 | Jazz LP

Duke Jordan and Sadik Hakim / East And West Of Jazz  ( 米 Charlie Parker Records PLP-805 )


セシル・ペインとデューク・ジョーダンは一時期コンビを組んでいた。実力と才能がありながら日陰者としての道を歩いたこの2人が寄り添うように
活動を共にしたのは、ある意味必然だったのかもしれない。そんな彼らの音楽には一貫して慈しむような優しさが満ち溢れていて、そういう所が
この2人の人柄を偲ばせるところがあり、私は昔から大好きだった。

彼らの活動の記録はどれもマイナー・レーベルに残されていて、これまた光が届かない所でひっそりと息づいている。何から何まで恵まれなかった
というか、そういうところすら如何にも彼ららしいと言うべきなのか。2人ともビ・バップ期から活動してチャーリー・パーカーを目の前で見ていた
から、そういう縁でこのレーベルが声をかけたのだろう。すべては繋がっている。

ジョニー・コールズが加わったクインテットという貴重なフォーマットで演奏された5つの楽曲はどれも素晴らしい。ジョアン・モスカテルと言う人が
作曲した美しいバラードで始まり、パーカー、ジョーダンとモスカテルの共作、ペイン、ジョーダンが書いたオリジナル曲が収録されているが、
パーカーの "Dexterity" 以外はリリカルで切ないメロディーの楽曲ばかりで、深い郷愁を誘う音楽に泣けてくる。それらはメジャー・キーで作られて
いて、明るい曲調なのにノスタルジックで切ない、というところがすごい。全体的にデューク・ジョーダン特有のそういう音楽観が支配的で、
他の2名が書いた曲もジョーダンの音楽観に影響を受けている。

セシル・ペインのバリトンもずっしりと重い音で、それでいてメロディーをよく歌っており、情感の表現が見事だ。ただ重低音を出して音楽的効果
をもたらせばそれでいいというバリトンの既定の役割から楽器を解放し、ソロとして美しく歌うことができるのだと証明してみせている。

5人の演奏の纏まりも見事で、美しい旋律を高度な次元で演奏しきっており、最高級の音楽として仕上げている傑作だと思う。
裏面のサディック・ハキムの演奏も見事な内容だが、それが霞んでしまうくらいの出来だ。


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チューリッヒのある夜の出来事

2022年11月06日 | Jazz LP

Curtis Fuller / Jazz Conference Abroad  ( 米 Smash SRS 67034 )


1961年3月、カーティス・フラーはクインシー・ジョーンズのビッグバンドと共にスイスへ演奏旅行に出かけた。2週間の滞在は大成功だったが、
チューリッヒでのある晩のコンサートが終わった後にバンドのメンバー数名がコンサート・ホールに残ってレコーティングしたのが、このアルバム
になる。一聴するとライヴ録音のように聴こえるが、観客は帰った後なので、拍手や歓声はなく単なるホール録音ということになるが、収録数が
足りなかったのか、"Stolen Moments" だけはライヴ音源が使われいる。

熱いライヴの余韻が残った中での録音だったせいか、非常に生き生きとして躍動感のある演奏が圧巻。綺羅星のごとく豪華なメンバー10名による
ジャム・セッション形式の演奏で、テーマ部の合奏が終わると順番にソロを回していくが、これが全員素晴らしい演奏に終始していて圧倒される。
中でも、フィル・ウッズ、フレディー・ハバードの演奏が群を抜いている。2人とも音量が豊かで楽器の音がきれいなので、こういう多数の中でも
圧倒的に目立つ。吹きまくっている、という表現が相応しいくらい、思う存分吹いてる。

タイトルに "Ambassadors" という言葉が使われているように、このツアーはジャズ未開の地だった欧州へジャズを紹介する意味もあったのだろう。
メンバーたちにはそういう意識に裏打ちされた自負と熱い想いがあったかのような、素晴らしい演奏だ。カーティス・フラーがリーダー扱いされて
いるのも、当時の彼の業界の中での位置付けを物語っている。このアルバムにはそういういろんな背景が透けて見える。

大きなホールでの録音だったようで、ホールトーンがリッチに響く高音質な録音も素晴らしい。このレコードを聴いて最初にヤラれるのはこの
音の良さだろう。スイスには元々クラシック音楽の環境がきちんと整っているので、おそらくそれがよかったのだろうと思う。

こんなに素晴らしいレコードなのに、盤もジャケットも新品同様で500円で転がっていた。定番の大名盤の値段は青天井で値段が高騰していく一方
で、こういう本当にいいレコードは益々忘れ去られていく。



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ステレオ盤の圧勝

2022年10月22日 | Jazz LP

Jimmy Raney / Two Jims And Zoot  ( 米 Mainstream S / 6013 )


このレコードはモノラル盤が多く流通しているが、とにかく音がこもっていて音楽の良さがさっぱりわからず、残念なレコードの筆頭だった。
シブいメンツが揃った内容的には最高であるはずのレコードだが、まあ、音が悪い。ズートが入った盤なのに何とも残念だよなあということで、
エサ箱で見かける度に手にとっては見るものの「これ、音が悪いんだよなあ」とため息をついて、後ろ髪を引かれつつも毎回スルーしていた。

ところが、あまり見かけないステレオ盤が転がっていたので拾ってみると、これが音が良くてびっくり、目から鱗が落ちた。
ジミー・レイニーは右チャネル、ジム・ホールとズートは左チャネル、スティーヴ・スワロウとオジー・ジョンソンは真ん中、というよくある
中抜けのサウンドだけど、スピーカーから出る音は違和感なく定位しており、なにより楽器の音がハイファイでクリア。
特にいいのはズートで、深みのある淡くまろやかな音色がサイコーである。60年代のズートの演奏では、これが最も音がいいのではないか。

ツイン・ギターによる粗い網目の中をズートのテナーが悠々と揺蕩うように泳いでいく。ピアノレスなので全体が落ち着いた雰囲気で、
ひんやりと冷たい空気が漂う。趣味の良い人たちが夜中に集まって、静かに語り合っているような親密なムードがとてもいい。

知らない楽曲が多い中、ジム・ホール作の "All Across The City" の寂寥感に泣かされる。短く儚い演奏だが、ズートにしか出来ない究極のバラード
演奏が心に染みる。モノラルではわからなかったこのレコードの真価が、ステレオ盤を聴くことでようやくわかった。


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