廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

20年後の再評価を期待して

2016年07月31日 | Jazz LP (RCA)

Sonny Rollins / The Standard  ( 米 RCA Victor LPM-3355 )


もう、最悪である。 何が最悪って、このジャケットデザインはないだろう。 更に音源に鋏を入れたり、勝手にフェイドアウトさせる始末。 おかげで
クズ盤扱いになっている。 でも、このRCA時代のロリンズは最高にいいのだ。 クラシックなんかも同じだが、アメリカの大手レーベルのモノづくりの
手抜き加減の酷さは目に余るものがある。 アーティストは訴訟を起こしてもいいんじゃないかと思う。 そのせいで自身の作品が正しく評価されないのだ。

ロリンズの唯一無二の魅力は、テナーを「楽器を吹く」という行為としての制約から解放して操ることができたことで、その結果テナーの音が肉声のよう
でもあり、まるで歌っているかのように聴こえるということになっている。 そして、その技のピークがこの時期なのだと思う。 プレスティッジ時代は
あくまでもテナーが誰よりも上手く吹けた時期であり、ブルーノートやコンテンポラリー時代になると楽器から徐々に解放される軌跡が克明に記録され、
このRCA時代にそれが完成された形で残されている。 ウィリアムズバーグ橋での研鑽の様子が目に浮かぶような内容だ。

私はFacebookでお気に入りの音楽家としてロリンズを登録しているから、毎日のように彼の現在の元気に活動している様子が配信されているのを見る。
もうすぐ90歳になろうかというその姿は以前よりも小さくなってしまったかのようだけど、それでもとても元気そうに見えるのは何より嬉しい。

いつまでたっても、このRCA諸作と例えばプレスティッジ諸作を比較してどちらが優れているか、というような類の話しかできないようでは困る。 
クラシック愛好家はフルトヴェングラーのブラームスとゲルギエフのブラームスを同じ熱意で聴くけれど、今のジャズ愛好家の多くはそうはなれない。
でも20年後にはそういう世代は(私も含めて)全滅して一掃されているだろうから、その時にジャズを巡る状況が大きく変わる可能性はまだ残っている。
その頃には人々の作品への評価が今とは違う景色になっていることを期待したい。 それがこの素晴らしい音楽が生き残っていける唯一の道だから。



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ゲッツとモードとヴァン・ゲルダー

2016年07月30日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Sweet Rain  ( 米 Verve V-8693 )


この作品には2つの重要なポイントがある。 1つはルディ・ヴァン・ゲルダーがゲッツを録った数少ない録音であること、もう1つは珍しく正面切って
モードをやっていること。 

SP末期にプレスティッジに録音したものをLP12インチに切り直した時にRVGがリマスタリングをしているけれど、オリジナル録音をRVGが手掛けたのは
60年代後半のヴァーヴ作品のほんの数枚だけで、その中でもワンホーンの主流派ジャズの作品は確かこれだけのはずだ。 まあ、ゲッツのサウンドと
RVGの作る音はさほど相性がいい訳ではないからとりたてて騒ぐこともないけれど、それでもこの組み合わせは貴重だし、チック・コリアのピアノの音が
およそチックらしくない、まるで別人のピアノの音になっているのも面白い。 この時期のヴァーヴ盤はどれも音のいいものばかりだけれど、この盤は
RVG特有の全体的に淡く霞がかったようなサウンドが音圧高く鳴り響く。

"Kind Of Blue" はハードバップとの対比のためにモードと言われていただけで、あれから10年経ったこの頃のジャズはもうモードとは当然言わない
けれど、60年代前半をボサノヴァで過ごしたゲッツの場合はアルバムとしてはここでようやくモードの作品が登場したような印象になる。
アルバム・セールスを気にしたクリード・テイラーの指示で "O Grande Amor" や "Con Alma" もやったりしているけれど、もちろんこの作品の主題は
"Litha" であり、"Windows" だ。 そして、チックが書いたこれらの曲やそれを演奏するメンバーたちは、当時のマイルス・クインテットの音楽から
100%影響を受けている。 もはや、アナザー・マイルス・バンドと言ってもいいくらいだ。 チックの書くコード進行はまるでショーターのそれだし、
バンドとして演奏される芯の力強さはマイルスのバンドのそれに酷似している。 これは真似しようとしてできることでは当然ないことで、ゲッツだから
できた技だと思う。 掴みどころのない "WIndows" の難解なコード進行を何の苦もなく吹いて行く様はとにかく圧巻だ。

ジャケットデザインやヴァーヴというレーベルの印象からソフトでマイルドな作品と誤解されがちだが、これはスタン・ゲッツのディスコグラフィーの中では
最もハードコアな作品の1つだろう。 誰もが知っている有名作だが、本当にこれを理解して楽しめている人はおそらくあまりいないと思う。


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ジャズ・ギターの傑作がまた1つ

2016年07月24日 | Jazz LP

和田 直 / Coco's Blues  ( 日 Three Blind Mice TBM-12 )


私は日本のジャズをあまり積極的には聴かない。 うまく言えないが、どうも近親憎悪的な嫌悪感が先にたってしまう。 「和ジャズ」なんて言葉も嫌いだし、
そんなものがかつてブームになったということもちょっと理解し難い。 だからDUに行ってもその手のコーナーはいつも素通りするのだが、フェイスで
飾られたこのアルバムを見て、思わず手に取ってしまった。 ネックを握る左手がカッコよかったからである。 左手がカッコいいギタリストはギターが
上手い、というのはギター小僧なら誰でも知っている常識なのだ。

この和田 直というギタリストが有名な人なのかどうかはまったくわからないし、スリー・ブラインド・マイスというレーベル名を聞いてもブレイキーの
アルバムしか連想できない門外漢だけど、このアルバムはとても好みの内容だった。 特に、"Sick Thomas" という曲に出くわしたのは嬉しかった。
この曲は、かつて村上龍が司会を務めた「Ryu's Bar」というTV番組の中でBGMとしてよく流れていた曲だ。 テーマ部のリフがカッコいいのだ。

ケニー・バレルのスタイルを消化したブルース演奏が全曲で聴けて、これがとにかくいい。 異邦人が弾くのでブルース臭がなく、所詮はなんちゃって
ブルースだけど、それが却ってクールな感じでとてもいい。 少なくともハーブ・エリスなんかが弾くブルースなんかよりは、こちらのほうが遥かにいい。
ジャズ・ギターのアルバムとしては、最上級の出来だと思う。 

ただ惜しいのが、2曲で冴えないアルトとトランペットが入って、全体の足を引っ張っているところだ。 特に "Billie's Bounce" ではアルトが
ドルフィーの物真似をしていて「どうだ、凄いだろう」と言いたげなところがシラけてしまう。 アルバムコンセプトに全然合っておらず、なんでこんな
ことをしているのかよくわからない。 ギター・カルテットだけでは単調になってしまうということでアクセントとして管を入れたんだろうけど、ギターの
演奏がここまで素晴らしいんだから、こんなことをする必要はまったくなかったと思う。

ピアノを外したギター・トリオで正面切ってもう1度アルバムを作って頂けないだろうかと切望したくなる、これは素晴らしい作品だった。



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シルヴィア・シムズの秀作

2016年07月20日 | Jazz LP (Vocal)

Sylvia Simms / Sylvia Is !  ( 米 Prestige PR 7439 )


シナトラが「最高のサルーン・シンガー」と絶賛したシルヴィア・シムズがプレスティッジに残したこのアルバムはギター・トリオがバッキングをつける。
ジャズ・スタンダードはケニー・バレル、ボサノヴァはバッキー・ピッツァレリが受け持っているが、ケニー・バレルが抜群の出来だ。 これを聴く限り、
ヴォーカルの伴奏はジョー・パスやジム・ホールよりもケニー・バレルのほうが上手い。 静かで奥行きのある空間を作り出し、シルヴィアが伸び伸びと
歌える場を提供している。 一聴してすぐにケニー・バレルとわかる褐色の澄んだトーンが夜の深い時間の雰囲気を醸し出している。

シルヴィアの声質は美声ではないが、実直に歌うことで相手の心に迫ろうとする。 その声をRVGが深いエコーを効かせた素晴らしい録音で録っており、
リッチで高級なサウンドが愉しめる。

時代の流行りを受けてボサノヴァのスタンダードも歌っているが、"How Insensitive" の揺蕩うような旋律を上手くコントロールしながら進めていく様は
素晴らしく、軽く流されがちなボサノヴァも非常に手応えのある音楽になっている。 

3大レーベルはヴォーカルをさほど熱心には録らなかったけれど、残された数少ない作品はその厳しい選球眼に耐えただけあって、よく出来た内容のものが
多い。 そしてジャズ専門レーベルらしく、バックの演奏陣にも一流どころを使って、単なる歌伴ではない本格的なジャズに仕上げられている。 
このアルバムは、その最も良い見本だと思う。


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ジャズの本の難しさ

2016年07月18日 | Jazz LP (Epic)

Johnny Coles / The Warm Sound  ( 米 Epic LA 16015 )


先日、1時間ほど時間を潰す必要があったので本屋で色々立ち読みをしていたら、近年出版された名盤100選本の中にこのアルバムが載っていた。
現在の視点で名盤100選を見直したらどういう内容になるんだろうとちょっと興味があって手に取ったのだが、相変わらずこういうアルバムを取り上げて
いるのか、とひどくがっかりして本を閉じた。 当然、その本は買わなかった。

このレコードは稀少盤だが、名盤ではないと思う。 トランペットの音は美しくもなくたどたどしいし、ケニー・ドリューのピアノも気の抜けたビールの
ように散漫な感じだ。 全体的に纏まりのないバラバラなアンサンブルで、リズム感も乏しく、音楽が死んでいる。 誰かの演奏が別の誰かにいい影響を
与えて名演になって、というジャズならではの生々しさもない。 正直、両面続けて聴くのはとても無理だ。

ところが、このレコードは違う観点でなら価値のあるレコードだと褒めることができる。 それは稀少盤であるということ、そしてモノラルプレスの
音がなかなかいいということで、コレクターには値千金の価値があるということだ。 「激レア」と称される割には、状態の悪い盤を含めて24時間365日
市場で流通しているブルーノートなんかとは違い、このレコードは状態の悪いものですらまったく流通しない、言葉本来の意味での稀少盤。
デイヴ・ベイリーの作品はセカンド・レーベルがあったり他国プレスもあったりで発売当時にそこそこ売れた形跡があるけれど、このレコードはそもそもの
弾数がメジャーレーベルにも関わらず極端に少なかったらしい。 まあ、この内容ではそれも当然だろうと思う。 

だから、蒐集家がこのレコードを褒めるのは極めて正しい。 この作品の意味をちゃんとわかっている。 蒐集家にとって重要なのは「音楽」ではなく
「所有」だから、稀少であることが内容を当然凌駕するし、値段の高いレコードのほうが安いレコードよりもいいレコードだと考える。 欲望に忠実な分、
レコードへの評価基準が明確だ。 ところが、名盤100選を執筆しようかという人(なのか、出版社の編集方針なのか)の評価基準は曖昧でよくわからない
ことが多い。 頭数を揃えなければいけなかったから取り敢えずメンバーに入れただけなのかもしれないけれど、これを名盤として扱うような本はやっぱり
買う気が失せる。 

ジャズの本は作るのが難しいんだなと思う。 もうここのところ、DUの "Jazz Perspective" もまったくつまらなくなってしまって、もはや買う気も起きず
立ち読みだけで済ましてしまっているし、ジャズ愛好家の読書生活は寂しい日々が続いている。 


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Balck Hawk で過ごす週末の夜

2016年07月16日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / In Person At The Blackhawk, San Francisco  ( 米 Columbia C2L 20 )


サン・フランシスコのナイトクラブ "ブラック・ホーク" でマイルスがライヴ・レコーディングをしたのは1961年4月。 コルトレーンやエヴァンスらが
いなくなってしまって、次の新しいコンセプトの機が熟すまでのぽっかりと穴の開いた時期ということで、まああまり評判のよろしくない作品ではある。

マイルス自身、ハンク・モブレーの凡庸さにうんざりしていたし、鎌状赤血球貧血からくる股関節の炎症の痛みに悩まされていたりもして、まあ冴えない
時期だった。 狭い屋内に録音機材がたくさん運び込まれたことで気が散って演奏に集中できなかったし、曲が終わるたびにスタッフがステージの機材の
ところにやってきて録音レベルの調整をするものだから、それですっかり調子が狂ってしまった。

マイルスはモブレーへのダメ出しをしているが、私にはバックのピアノトリオの退屈さの方が気になる。 ジミー・コブの刻むダルいリズムはそれまでの
マイルスの作品の中の彼とはまるで別人のようだし、ウィントン・ケリーも指はよく動いているけれど、その演奏はマンネリ感の中に埋没している。
演奏自体に何か問題があるということではないけれど、マイルスの作品として捉えた場合、やはり「らしくない」作品と言わざるを得ない。

でも、じゃあだからと言って、このレコードを処分するかというと、そういう気にはなれない。 イマイチだなあ、と思いながらも割とよく聴くのだ。
理由はよくわからないけれど、どうやら私はこのアルバムが気に入っている。 だって、一週間が終わり、金曜や土曜の夜にこんなライヴが観れたら
どんなにいいだろう、と思ってしまう。 どれほど疲れていても、クラブの入り口に大きな電飾で "Now Miles Davis" なんて書かれてあったら、
それはもう最高の週末の夜じゃないか。 そんなことを考えながら、自分が "ブラック・ホーク" の扉の前に立っているところを想像してしまう。
そしてそのドアを開けると、中からマイルス・クインテットのサウンドが飛び出してきて、やがて私の身体を包み込んでいく。 

それだけでもう十分じゃないか、と思うからかもしれない。







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全てを否定したら

2016年07月09日 | Free Jazz

Derek Bailey / Lot 74 - Solo Improvisations ( 英 INCUS 12 )


不思議なもので、数多く残されたソロ作品はそれぞれ内容が違っている。 その違いがちゃんと聴き分けられるんだから、私も相当しつこくベイリーを
聴いてきたということなんだろう。 私のデレク・ベイリーを聴く動機になっているのは、知らないものへの興味であり、理解できないものを理解したい、
というこの1点に尽きている。 音楽を聴くという行為は、言い換えれば「既知のものを咀嚼する」行為だ。 でも、いくら "Kind Of Blue" が名作だから
と言っても、毎日聴くことはない。 そんなの飽き飽きするし、冗談じゃない。 ところが、ベイリーの演奏は何度聴いてもそのフレーズを覚えるという
ことなんてあり得ない。 覚えられる人も世の中にはいるのかもしれないけれど、私には無理だ。 だから、デレク・ベイリーの演奏は私にとっては永遠に
未知なるものであり、だからこそこうやってしつこく聴いているんだろう。 

ベイリーの演奏は、まず、大きなコンプレックスからスタートしている。 それは、「本場のジャズを真似てもしかたがない」というコンプレックスだ。
この人は、最後の最後まで、このコンプレックスが振り払えなかった。 ナイーブなのにも程があるだろうと呆れてしまうけれど、結局は全てがそこからの
逃走の軌跡だったんだと思う。

そのために既成の音楽的要素の全てを否定し尽くした上で、その極北の地に立つ最高のギタリストでありたいという想いだけが彼を支えていた。
ギターで彼の出しているような音を出すこと自体は簡単なことだ。 ただ、それを18分間もまったく同じやり方をせずに弾き続けることは不可能だ。
気が遠くなるような訓練がなければ絶対にできない。 苦行の上にだけ成り立つ演奏だからこそ、それがわかる人から崇拝されているのであって、
一聴して難解そうな音楽をやっているからではない。 こういう音を出したかったのではなく、全てを否定したらこれしか残らなかったのだ。

この作品はそれまでのソロ作品よりもラディカルな要素が強く、フィードバック奏法をやったり彼自身のヴォイスが入ったりする。 羅列される音たちの
相関関係の無さはますます顕著になっているし、空間を意識する度合いもより高くなっている。 彼のソロ作品の中では硬派な1枚と言っていい。
 
CDとどれくらい音が違うのか興味があって、売れ残りのレコードに手を出してみた。 これが初版なのかどうかは知識がないのでよくわからないが、
特に音がいいというほどではないにせよ、やはり出てくる音場の立体感や粒度のきめ細やかさはレコードのほうが優っている。 気長に安い出物に
出くわすのを待って聴いていこうかという感じだ。


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Black Hawk のブルーベック、デスモンド

2016年07月09日 | jazz LP (Fantasy)

Dave Brubeck Quartet / Jazz at the Black Hawk  ( 米Fantasy 3-210 )


サン・フランシスコの有名なナイトクラブ "ブラック・ホーク" でのライブ演奏を収めたものだが、これがなかなかいい。 

この頃のカルテットはまだベースとドラムスが地元のローカル・ミュージシャンで、録音によってメンバーが入れ替わったりしていたこともあり、実質的には
ブルーベックとデスモンドの2人のバンドという感じだった。 ブルーベックはこの頃から既にスイングしない縦乗りの奏法をしていて、デスモンドも
そのスタイルや音色がこの時点で完成しており、どこから聴いてもブルーベック・カルテットになっている。

コロンビアに移籍した途端に上品で取り澄ましたような演奏が目立つようになるけれど、このファンタジー時代はもっと音楽が生き生きとしていて、
親密で、時に粗削りで、とてもいいと思う。 西海岸のバンドなのにつまらない編曲などには目もくれず、きちんとアドリブ主体のジャズを志向した
おかげで、白人らしいあっさり感とジャズ本来の楽しさや躍動感がうまくブレンドした独自性を獲得している。 

ファンタジーのカッテイングも音圧が高く、音楽がダイナミックに伝わってきて、レコードで聴く至福を味わえる。 やさぐれた感じのジャケットデザインも
内容とマッチしていて、いい感じだ。

ブラックホークは何と言ってもマイルスの録音で有名なクラブで、一体どんなに立派な所なのかと思いきや、実際は驚くほどこじんまりとした建屋だ。
収容キャパも100~200人くらいだそうで、満員の時は小さなステージと客席の境はないに等しい感じになる。 それは遠く離れた小島に住む私達には
信じ難い距離感で、そういう情報を見る度にジャズという音楽へのどうしようもない距離の遠さを思い知らされる。 我々は所詮は部外者なのだ。





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初心者に勧めるレコードはどれにする?

2016年07月03日 | Jazz雑記
ネットを見ていたら、高校時代の同級生の姿を見かけた。 アマチュア・トロンボーン奏者としていろんなバンドに顔を出しながら、都内のライヴハウスや
イベントで演奏活動している様子が書かれていた。 そうか、やっぱりまだトロンボーンを吹いているんだな、とずいぶん懐かしい気分になった。

高校時代の私はロックに夢中だった。 クラスに同じ趣味の友人が何人かいて、毎日飽きもせず音楽の話ばかりしていた。 自分の好きなアルバムを学校に
持ってきては、みんなで交換し合って聴いて、翌日あーだこーだと感想を言い合う、楽しい毎日だった。 確か2年の時だったと思うが、ジョー・ジャクソンが
"Body And Soul Tour" で来日して、私は友人と2人でコンサートを観に行った。 2人ともその少し前に発売されたこのアルバムに心酔していたのだ。




そして翌日の休み時間に如何に昨日のコンサートが素晴らしかったかを興奮しながら仲間内で話していると、あのレコード・ジャケットはソニー・ロリンズ
というジャズの人のレコード・ジャケットのパクリなんだよ、とその中の1人が教えてくれた。 彼は軽音楽部でトロンボーンを吹いていて、大学は早稲田に
行って "ハイソ(ハイ・ソサエティー・オーケストラ)" に入るんだ、というのが口癖だった。 翌日、彼はレコードの入った袋を私のところに持ってきて、
「これ、昨日言ってたやつだから、聴いてみて」と貸してくれた。 その袋の中に入っていたのは、この4枚だった。





2週間ほど借りて家で何度も聴いたけれど、その時は当然よくわからなかった。 マイルスやコルトレーンはとにかく暗いなあと思ったし、ハービーは
うるさくて刺々しい感じで1度しか聴けなかった。 唯一、ロリンズだけはジョー・ジャクソンがお手本にしたという刷り込みもあって繰り返し聴いた。
そして、その粗削りで豪放な音楽を聴くたびに、徐々に惹かれるものを感じるようになった。

これが、私のジャズ初体験だった。 

しかし、今考えるとよくもまあこの4枚をジャズなんか聴いたこともなかった私に当てがったものだ、と思う。 ジャズの歴史を創ったこれらはもはや
聖書のようなものだけど、初体験のガキにこんなものが本当に理解できるとでも思ったのだろうか。 それに、彼もあの年代でよくこんなものを聴いて
いたな、と今更ながら感心してしまう。

ジャズを知らない人から、何かお薦めのアルバムを、と頼まれることはよくあるだろう。 その時、何を選べばいいだろう? これはなかなか楽しくて、
そして難しい問題だ。 薦める相手にも依るんだろうけど、やっぱりジャズの楽しさや美しさを簡単に感じられるものがいいんじゃないだろうか。
例えば、こんな感じで。

① Bill Evans / Waltz For Debby
② Dave Brubeck / Time Out
③ Curtis Fuller / Blues-ette
④ Art Pepper / Meets The Rhythm Section
⑤ Cannonball Adderley / Somethin' Else


でも、先日、会社の先輩から何かいいのを、と頼まれた私は、こんなラインナップを献上した。

① Albert Ayler / My Name Is "Albert Ayler"
② Peter Brotzmann / Machine Gun
③ Cecil Taylor / Dark To Themselves
④ Ornette Coleman / Chappaqua Suit

外国企業の偉い人なんかは教養としてこういうのを聴いていたりするから、いつかきっと夜の席かなんかで役に立ちますよ、と言って渡した。
その後まだ逢ってないので、どういう感想を持ったのかは知らない。 ハードロックの超マニアの人だから、大丈夫だったとは思うけれど。


ネットによると、私にジャズの聖典を授けてくれたその友人はその後ちゃんと早稲田に進み、ハイソに入ったとのことだった。 私はと言えば、3年になって
彼とは別のクラスになった後もレコード屋に足繁く通って、その当時はまだ普通に新品として売られていたブルーノートの東芝の重量盤を買い漁るように
なって、ジャズという音楽にのめり込むようになっていった。 その頃の想い出は、今でも鮮明に心に残っている。



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普段着のデスモンド

2016年07月02日 | Jazz LP (Verve)

Gerry Mulligan Pau Desmond Quartet  ( 米 Verve MGV-8246 )


ノーマン・グランツはどうしてもポール・デスモンドを録りたかったが、デスモンドが既に契約していた大手レーベルとの権利関係が邪魔して思うように
手が出せず、リーダー作は諦めて、既契約側の権利を犯さないことを保証するマリガンとの一時的なセッション形式という形で妥協せざるを得なかった。
本当はもっとレコードを作りたかっただろうし、我々も聴きたかったけれど、こればかりは仕方がない。 ミュージシャンが待遇に恵まれた大手との契約を
望むのは当たり前だが、そこではレーベル側の意向である売れるレコードを作ることが最優先になるので、一部のビッグネーム達を除いて、我々のような
コアなマニアが満足できる作品は残りにくい。 例えばデスモンドのRCAの諸作は傑作揃いだけどやはり少しポピュラー色が強く、もっと素のジャズを
やっている姿も聴いてみたいと思ってしまう。 そういう時にジャズ専門レーベルにレコードが残っているといいんだけれど、この人はそういうレーベルに
単身リーダー作をほとんど残さなかった。

ここで聴かれるデスモンドの音色にはいつもの美麗さはない。 この時期のヴァーヴらしい、ざらっとして色落ちしたデニムのような質感の音色だ。
ブルーベックとやっている時のような取り澄ました感もなく、かなりラフに吹いている。 ピアノレスなので、管楽器の絡み合いがよくわかる。
曲目もオリジナル曲がメインなのでメロディーなどに気を取られることもなく、演奏そのものを純粋に聴くことができる。 あまり聴き慣れていないと
これがポール・デスモンドだとは一聴しただけでは気が付かないかもしれない。

こういう普段着のままのような姿のデスモンドは他では聴けないだろう。 気心の知れたマリガンとの共演だったからかもしれないが、意外な一面が
みられる珍しい作品だと思う。 昔聴いた時はデスモンドらしさの感じられない内容にがっかりしたものだが、今聴き返してみると、邪念のない自然な
演奏でじっくりと付き合うことができる内容だったんだなということがわかる。 ちょっと口幅ったい言い方かもしれないが、ベテラン向きのレコード
なのかもしれない。



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