

Jullian "Cannonball" Adderley / Presenting Cannonball ( 米 Savoy MG 12018 )
音楽に限らず、文化・芸術の分野において、デビュー作にはそのアーティストの本当の姿が写っている、と言う。
普通はその人の代表作と言われるものから入って、それが気に入れば他の作品にも手を拡げ、やがてはデビュー作に触れることになる。
そして、確かにそうだな、と感じることが多いのは事実だろう。
私の場合も例外ではなく、最初に聴いたのは "Somethin' Else" で、その後はリヴァーサイドで、というお決まりのコースだったが、
40年近く経ってようやく初リーダー作へとたどり着いた。理由は簡単で、このレコードが珍しいからである。
ハンク・ジョーンズ、ポール・チェンバース、ケニー・クラークというベストな布陣の下、上質で優雅にゆったりとスィングする音楽で、
この人の見た目からはなかなか想像し難い清潔な質感で貫かれている。後に時代の要請もあってファンキーの権化のような扱いを
受ける時期もあったけど、あくまでもキャノンボールの本質はこのアルバムやマイルスとの共演の時に見せた上品さにあると思う。
とにかく彼のアルトが始まると、場の空気が一変するのが凄い。張りのある大きな音であるにもかかわらず、どこか一歩下がったような
おしとやかさがあり、フレーズがゆったりとバウンドするような抑揚を持ちながら優雅に歌われていく。こんなアルトは他の誰にも吹けなかった。
フロリダからニューヨークに兄弟揃って出てきて、仲良く活動する様も可愛らしい。ナットも安定した演奏をしており、アルバムの出来に
貢献している。B-2の "Caribbean Cutie" で聴かせる制御の効いた2人のユニゾンは素晴らしい。
そして、最後は何とも優雅に舞う "Flamingo" で幕が降りる。この構成は、後の "Somethin' Else" に引き継がれる。曲の数、各曲の色付けなど
そっくりなのだ。あのアルバムは実質的にはマイルスのアルバムだ、なんて言われるけど、私はそうは思わない。もちろん、その存在感は
絶大だけれど、あくまでもアルバムの建付けはキャノンボール自身のものであることは、このデビュー作が証明している。
フロリダで音楽教師をしていたという彼のインテリジェンスがこのアルバムを支えている。
この後、兄弟は揃ってマイルスの家を訪れて、どのレーベルと契約するべきかについて教えを乞うている。マイルスはアーティストに
自由にやらせてくれるブルーノートを勧めたけれど、なぜか彼らはエマーシーを選んでしまい、その後しばらくは低迷してしまう。
やくざなプレスティッジを推さなかったのには笑ってしまうけれど、マイルスの予言は当たっていた。先輩の助言には従うものである。