廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

モンク・トリビュート ~その9~

2017年08月27日 | Jazz LP (Prestige)

Thelonious Monk / Thelonious Monk  ( 米 Prestige LP 7053 )


レコードとしては2枚の10インチ盤をコンパイルしたもので、1つはフランク・フォスター、レイ・コープランドの2管を加えて1954年にヴァン・ゲルダーが録ったもの、
もう1つはソニー・ロリンズ、ジュリアス・ワトキンスの2管を加えてニューヨークのスタジオで1953年にダグ・ホーキンスが録ったもの。 それらをヴァン・ゲルダーが
リマスターして12インチとして発売し直した。 だから、A面とB面では音の質感が全然違うし、モンクのピアノの弾き方も違う。

53年のロリンズとのセッションでは、モンクは割と普通のハード・バップのピアノを弾いている。 音階は独特な使い方をしているけれど、間の取り方なんかは
普通のピアニストと変わらない弾き方をしていて、まったく知らずにこれを聴けばモンクだとはわからないかもしれない。 ロリンズもまだ未熟で大人しく、
彼らしさがまったく感じられない演奏になっている。 アドリブ部は記憶には残らず、不思議なテーマの合奏だけが印象に残るような有様だ。

これに比べて、54年のフォスターとのセッションはまるで別人の演奏で、モンクはようやくモンクとしてその姿をを現したかのようなピアノを弾いている。
フランク・フォスターもテナーの音を太く大きく鳴らす演奏で驚かされる。 ジャケットにロリンズよりもこの人の名前が前に書かれているのはここでの演奏の
出来の差によるものなんだなあということがよくわかる。 当然、このA面のほうが音がいい。
 
演奏者全員がまだ若かった頃の録音だが、そこにはハード・バップの濃い空気にむせかえるような独特の雰囲気があり、そういう空気感がレコードを再生すると
音と同時に溢れ出してくるような感じがする。 どの曲も演奏時間は短く、アドリブを堪能するというタイプの演奏ではないけれど、モンクの作った奇妙で
風変わりな音楽を賑やかに奏でるだけで十分に楽しく聴けるところがいい。 ジャズという音楽がもともと持っている型破りで自由な要素の、1つの具体的な事例
として、モンクの音楽はそこに在ったのだだろう。 いろんなミュージシャンたちが寄ってたかって演奏しても楽曲の魅力が擦り減ることはなく、却って
鍛えられて強度が増し、その音楽は確固たるものへと変わっていったのだと思う。 その過程の中の1つとして記録されたのがこのレコードなのだ。

プレスティッジはモンクを管楽器奏者のバック・ミュージシャンとして使うことのほうが多く、看板アーティストとしては扱わなかった唯一のレーベル。
それだけモンクのレコードは売れなかったということなんだろうけど、もう少し我慢して録音を残しておいてくれれば良かったのにと思う。 モンクにせよ、
エルモ・ホープにせよ、ブルーノートから早々に引き抜くところまではよかったけれど、使い捨てるのがあまりにも早かった。 時期的にもリズムから逸脱する
モンク独特の弾き方が固まりかけた頃だったのだから、面白い作品がいくらでも残せたに違いない。 そういう意味で、プレスティッジの罪過は大きい。


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モンク・トリビュート ~その8~

2017年08月26日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / The Unique  ( 米 Riverside RLP 12-209 )


セロニアス・モンクを世間に再発見させるためにキープニューズが最初にやったのは、「わかりやすいモンク」のアルバムを制作することだった。
ところが、結果から見ると、これはあまり上手くいかなかった。 エリントン集が大人し過ぎる演奏に終始したからか、第2作のこのスタンダード集では
モンク本来の個性がフルに発揮された演奏の側に倒されていて、スタンダード集としては却ってわかりにくい内容になっている。

モンクはかなりやりたい放題の演奏をしているけれど、それと同時に細心の注意を払って音階を丁寧に外しているのもよくわかる。 ピアノの弾き方がどことなく
たどたどしく聴こえるのは下手だからではなく、常に意識的に音階を外しているからどうしても流暢な弾き方にはならないのだ。 それにしても、徹頭徹尾、
破たんすることなく音を外していくその集中力は素晴らしい。 それに、よく聴けば細かいところに色んなこだわりも見て取れる。

例えば、インストの演奏で "Tea For Two" をヴァースから始めるのは珍しい。 この曲はヴァースのメロディーが本編よりも美しいという、ちょっと変わった
構造をしているけど、そういうところをきちんと取り込んでいる。 また、ここで選ばれた曲はどれも旧い時代の曲ばかりで、ちょっとでも手を抜くと全体が
退屈な雰囲気に堕してしまうけれど、ここにはそういうところは微塵もなく、非常に新鮮な音楽に化粧直しされている。 そういうグリップの仕方も上手い。
モンクの作品の中ではあまり評価されているとは言えないけれど、私にはかなりよくできた演奏に思える。 第一、モンクがピアノトリオという形式で臨んだ
完全スタンダード集はこれ1枚だけなのだ。 そういう意味でも、このアルバムは "ユニーク" だと言える。

尚、このレコードも先のエリントン集と同じく、ヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されたにもかかわらず、RVGはカッティングしていない。 音の傾向は
エリントン集と同じで、ピアノはピアノ本来の音の自然な色合いと響きを放っていて、私にはこのほうが好ましい。 この音のほうが音楽により没頭できる。



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モンク・トリビュート ~その7~

2017年08月20日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / Monk's Music  ( 米 Riverside RLP 12-242 )


リヴァーサイドに移籍して世間に「わかりやすいモンク」の名刺を作って配り終えた後、制作陣は本格的にモンクの音楽をスタートさせた。
管楽器奏者を集めて、モンクのやりたいようにやらせた "ブリリアント・コーナーズ" が予想以上に評判がよかったので、同様の形式で組まれたのがこの
セッションだったのだろう。

音楽は賑やかに始まるけれど、聴けばわかる通り、管楽器奏者たちの演奏はボロボロだ。 全員が覚束ない感じで、どこから自分が入ればいいのかすらもわからない。
いざ吹き始めても、モンクの曲のコード進行の中では上手くフレーズが組み立てられない。 自分の中に貯めてあるストック・フレーズがここでは一切通用しない。
過去に共演歴があるコールマン・ホーキンスだけは何とか乗り切っているけど、後の3人は誰一人まともに演奏しきれていない。 モンクのピアノが不規則に
鳴っている中でモンクの曲を演奏するのは、プロのミュージシャンですら困難なのだということがよくわかる。 何も訓練せずに無重力空間に投げ出された人のように
ただもがくだけで、成すすべが何もない。 全員がプライドをへし折られたに違いない。

でも、私はこのガタガタ感がたまらなく好きだ。 まるで正規録音の前のリハーサル風景のようなざっくり感がとても好きなのだ。 プレーヤー1人1人の
素の姿が剥き出しで、その生々しい肌触りがこんなにも直に伝わってくる作品は珍しい。 観賞用音楽としては失格かもしれないけど、ジャズという音楽の
ザラザラしたところに直接触っているようなこの感触はリヴァーサイド時代特有のものだと思う。

それにしても、多管楽器によるモンクの楽曲の演奏は重層的な魅力があって、味わい深い。 モンク特有のヒップなテーマ部のフレーズを管楽器が重奏すると、
これらの楽曲が途端に異国の祝祭的な妖しい魅力を放ち出す。 だから、私は飽きることなくモンクのレコードを聴くのかもしれない。



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モンク・トリビュート ~その6~

2017年08月19日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / Thelonious Alone In San Francisco  ( 米 Riverside RLP 12-312 )


セロニアス・モンクのソロ・ピアノ集は4枚あるけれど、このアルバムがいろんな意味で1番バランスがとれている。

ここでのモンクは楽曲のメロディーをあまりいじらずに、非常にストレートに弾いている。 装飾的に手癖を使っているけれど、あくまでも控えめにであって、
どの曲もメロディーを前面に押し出して、というかほぼメロディーだけを無心に繰り返し繰り返し弾いている。 このアプローチはモンクとしてはかなり珍しい。
だから、聴いていて難しいという印象が全くなく、音楽が素直に心の中に入って来る。 

次に、アルバムに収録された曲の選び方がとてもいい。 自作のオリジナル曲の中からメロディーが判りやすく美しいものを取り上げている。 そして、それらの
合間に1930年代にヒットした旧いメロディアスな歌を何気なく入れている。 ここのところの塩梅は絶妙だと思う。 おかげでアルバム全体の印象がほんのりと
甘くノスタルジーな雰囲気に包まれている。 辛口の作風が多いモンクには異例の内容だ。

更に、リヴァーサイドのモノラル録音が自然な感じでいい。 個性の強いエンジニアの音ではなく、ピアノの音を何も手を加えずに録って、何もいじらずに
そのままカッティングしたような素朴な音作りが好ましい。 その音を通してモンクの心情までもがこちらに直に伝わってくるような気がするのも、あながち
錯覚ではないだろうと思う。

最後のおまけとして、このレコードは初版であっても入手は難しくなく割と簡単に手に入るし、値段も高くない。 気に入っている盤なのでステレオプレスも
聴いてみたいと思っているけど、どちらかというとそっちのほうがあまり見かけない気がする。

もし、普段ジャズを聴かない誰かからセロニアス・モンクのお薦めは? と訊かれたら、私なら迷わずこのアルバムを推したい。 カラッと晴れた日の青空のような
空気感の中でモンクのおだやかな旋律が流れるこのレコードなら、間違いなく気に入ってもらえると思う。


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モンク・トリビュート ~その5~

2017年08月18日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / Criss-Cross  ( 米 Columbia CL 2038 )


モンクが演奏する、モンク・クラシック集とも言える内容。 "Hackensack"、"Criss-Crorss"、"Eronel"、"Rhythm-A-Ning"、"Think Of One"、
これらはどれもモンクが若い頃に書いた曲だ。 コロンビア第2弾とは言え、新しいグループの試運転として選ばれたのかもしれない。 このアルバムは
どの曲も非常に力のこもった演奏になっているのが特徴で、この後に始まる新しい展望はまだ見られないけれど、コロンビアに残されたアルバムの中では
一番ハードバップの余熱と残り香がある。 

各曲の演奏時間は短めに抑えられていて、一筆書きのようにさっと演奏は終わるけれど、その分集中力が非常に高くて聴き応えがある。 モンクのピアノの
音の響きもこのアルバムが1番印象に残る。 "Don't Blame Me" はソロで演奏されるけど、非常に透明感の高い演奏で、彼が残した歌物のスタンダードの
ソロ演奏ではこれが1番いい出来かもしれない。 メロディーと並走して鳴らされるズレたハーモニーの響き方が素晴らしくて、聴き惚れてしまう。
3大レーベルを渡り歩く中でやってきたモンク流ハードバップの最後の「締め」のような雰囲気が漂う。 時間を遡って聴いていくことで、初めてそういう
印象を持った。

コロンビアの作品の1番の特徴は何と言ってもチャーリー・ラウズがいたということだ。 そもそも、この人がレギュラー・メンバーになった経緯がよくわからず、
これが以前から知りたいと思っていた疑問の1つだった。 それまでの大物管楽器奏者たちとは「競演」だったが、ラウズになって初めて「共演」となっている。
気難しかったモンクがラウズを選んだ理由が知りたいし、ラウズもどういう気持ちで傍にいたのかも知りたい。 彼はモンクの音楽を1番理解した女房役という
言われ方をするけど、レコードから聴きとれる印象だけで言うと、コロンビア時代のモンクの音楽のある程度はラウズの力に依るんじゃないかと思う。
少なくとも裏で支えたという控えめなレベルではないだろう。 目立たない叙情派のテナーだった彼がモンクの音楽にこれほど程までにうまく溶け込んだのは、
ラウズ自身の優れたミュージシャンシップがあったからとは言え、改めて驚いてしまう。 一見水と油に思える個性が、融和というよりは不思議なコラージュ
として音楽を作り出す様は、ブルーベックとデスモンドのそれのようでもある。 音楽というものの成り立ち方の不思議を見る思いがする。

アルバムの最後に置かれた "Crepuscule With Nellie" の演奏が終わった後に、満足そうに会話する複数の声が収録されている。 
きっとこれはモンクとラウズの短いやりとりだったんじゃないだろうか。


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モンク・トリビュート ~その4~

2017年08月17日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / It's Monk's Time  ( 米 Columbia CL 2184 )


ストライド奏法で "Lulu's Back In Town" が賑やかに始まる。 やがてチャーリー・ラウズのパートになるとグッと時代感は下がってきてモダンの演奏になる。
ブッチ・ウォーレンのベースがしっかりと鳴って、演奏の屋台骨を作り出す。 最後はモンクに戻り、カデンツァ風に幕を閉じる。 旧き良き時代と新しい時代が
同居し、互いに行ったり来たりを繰り返す。 モンクの世界の1つの典型が判りやすい形で提示されている。 これをピアノ・ソロやトリオで表現するのは難しい。
チャーリー・ラウズの存在意義は大きいのだ。

"Brake's Sake" なんて、曲中で完全和音が鳴ることなんてただの1度もない。 最初から最後まで、すべてのフレーズが音階から外れている。 ここまで
徹底した脱調性の音楽はこれまでのポピュラー音楽の世界にはきっとなかったに違いない。 B面の半分を占めるこの曲がこのアルバムの中核を成している。
ラウズが途中でフレーズのアイディアが尽きてしまって、困ったように同じフレーズをただ何度も繰り返すようになって、仕方なくモンクがパートを引き継ぐ
様子がなんだか可笑しい。

でも、モンクの調性のねじれ方には、どこか可愛らしいところがある。 幼い子供がおもちゃの楽器を機嫌よく叩いているような邪気のなさがあって、それが
不協和音の通常の不快さを大きく緩和している。 それに加えてピアノの弾き方もたどたどしいから、こういう所も子供の遊戯性を感じさせる。 セシル・テイラーも
真っ青の脱調性の世界にもかかわらず多くの人々から支持されるのは、そういう幼い子供の無邪気な戯れを見るよう気持ちにさせられるからじゃないだろうか。

コロンビア時代のモンクの音楽は自作の新しいオリジナル曲をレコードごとに取り入れながらも、チャーリー・ラウズのすっきりとモダンなテナーとコロンビアの
完成したリッチな音場感のおかげで、非常に洗練されたものになっている。 彼は彼なりに新しい音楽に取り組んでいたのだ。 それを理解してあげたい。
彼は決して停滞なんかしていなかったのだ。


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モンク・トリビュート ~その3~

2017年08月16日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / Misterioso (Recorded on Tour)  ( 米 Columbia CL 2416 )


ここには6種類のコンサートからセレクトされた8曲が収録されている。 それがどういう基準やコンセプトで選曲されたのかはよくわからないが、モンクの
オリジナル曲が5曲、スタンダードが3曲という配分になっていることから、一応はモンクが好きな人にもそうでない人にも聴いてもらえるように配慮された
設計になっている。 こういう人為的な切り貼りを不快に思う向きもあるかもしれないけど、テオ・マセロが何か良からぬことを考えて編集した訳がないだろうし、
わざわざ出来の悪い演奏にお金を払って我慢しながら聴く必要もないんだから、ライヴのベスト・テイク集だと考えて聴けばいい。

現にこのアルバムに収録された演奏は、そのどれもが非常によく出来たものばかりであることは一聴すればすぐにわかる。 冒頭の "Well You Needn't" から
リズム良く跳ねるような演奏が始まる。 チャーリー・ラウズのテナーの音がとてもいい。 ベン・ライリーのドラムがうまく曲をドライヴする。
"Light Blue" の奇妙なテーマが、何かのための行進曲のように左右に身体を大きく揺すりながらゆったりと進んで行く。 "All The Things You Are" を
演っているのがすごく珍しい。 モンクがこの曲を弾いているのは他に聴いたことがない。 

そうやって聴き進めていくにつれて、まるでセロニアス・モンク・カルテットのありふれた日常のスナップショットを見ているような気分になる。 何の野心もなく、
いつものようにいつものレパートリーを演奏していく。 どれもしっかりと手慣れた演奏になっていて、彼らはライヴ・バンドだったんだなあと思う。
コロンビアはなぜか時々こういう素朴なアルバムを差し込んでくる。 マイルスにもブルーベックにもファーマーにも、こういうアルバムがある。

これらのライヴは63~65年に行われたものだが、当時はフリー・ジャズが大型ハリケーンのように全米のあらゆるものをなぎ倒していた時代で、そんな中で
これらの演奏はきっと牧歌的に響いたことだろう。 聴衆の暖かく大きな拍手が、彼らがどういう立ち位置で迎えられていたを物語っている。 そういう期待の中で
モンクたちは裏切らない演奏を生真面目に披露しているのだ。 これはしみじみと聴かせる、いいアルバムだと思う。 


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モンク・トリビュート ~その2~

2017年08月15日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / Underground  ( 米 Columbia CS 9632 )


"Ugly Beauty" というモンクのオリジナル曲に心奪われる。 モンクの特徴的なメロディー、つまりメロディーの音階が上がる際に聴き手の想像する音の
半音低いところに着地する音の置き方、がいかにもこの人らしい。 新曲のオリジナルなのに、そのせいでどこかで聴いたことがある曲のようにも思える。
そういうモンクズ・メロディーを、チャーリー・ラウズの柔らかいテナーが何度もリフレインする。 これがすごく効いている。 モンクは管楽器奏者に対して
メロディーをしっかり吹くように常に指示していた。 そして、そのメロディーに対して自分がユニゾンで追従することによってモンクズ・ミュージック独自の
アンサンブルが産み出せると考えていた。 これが、コロンビア時代の演奏がマンネリに聴こえる主な要因になっている。 ラウズはそういうモンクの指示に
常に忠実に従った。 ここは新しい実験をする場ではなく、あくまでモンクの世界を描くための場であるとでも云うように。 そこはまるで周囲を高い壁でグルリと
囲まれた小さな侯国であるかのようだ。

"Boo Boo's Birthday" も、同種のメロディーを同様の手法によって描かれている。 モンクのオリジナル曲が鳴り始めると、私たちはそういう不思議な
場所へと連れて行かれる。 ジャズがどうのこうの、という話などはとっくに超越している。 コロンビア時代のモンクの音楽の意味は、おそらくはそういう
オリジナル曲で固めた何枚かのアルバムによって築かれた寓話や戯画のような世界観を観ることにある。 コロンビアとの契約によって決められた枚数の
レコードを作る必要があったので、継ぎ接ぎで編集されたライヴ盤やお馴染みのスタンダード集もリリースされた。 そのせいで我々は目移りして気が散って
しまうけれど、リヴァーサイドの "ブリリアント・コーナーズ" が途中まで造りかけた「バベルの塔」だとすれば、コロンビアのこの アンダーグラウンド" を含む
何枚かのアルバムは、モンクの内的世界が現実世界に具現化した、なぜか邪魔ばかり入って中々辿り着くことができない、雪深く閉ざされた「城」である。

モンクがコロンビア時代に発表したオリジナル曲はその後にスタンダード化しなかった。 それ以降のジャズ・ミュージシャンたちが取り上げなかったからだ。
彼らはなぜ、40~50年代のミュージシャンたちがこぞってモンクを勉強して自分のモノにしたように、60年代のモンクを演奏してこなかったのだろう。
レコード会社のプロデューサーたちは、なぜミュージシャンにそういう提案をしてこなかったのだろう。 みんな、他のことに忙しかったのだろうか。
でも、今からでも決して遅くはない。 コロンビア時代のモンクの楽曲に光を当てて欲しいと願わずにはいられない。


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モンク・トリビュート ~その1~

2017年08月13日 | Jazz LP (国内盤)
今年はセロニアス・モンクの生誕100周年だというのに、どうも世間では盛り上がっていないようで何だかつまらない。 こんなことでいいのかと思うけど、
文句ばかり言ってても仕方ないので、一人でささやかなお祝いをしよう。

ただお祝いと言っても、私に出来ることは手持ちのアルバムのことをボソボソと語ることくらい。 別にモンクのコアなファンでもないし、コンプリートを目指す
コレクターでもないから、家にあるレコードはたかが知れている。 目の前に広がる中古レコードの広大な海を前にして、気が向いて、タイミングが会えば
手にしてきたという程度なので、不完全な記録にしかならない。 でも、一度棚卸するにはちょうどいい機会かもしれないなと思う。

これまで取り上げてきたアルバムは除外して、まだ触れていないものを時間を遡る形で書いていく。 ジャズという音楽と自身の生涯を重ね合わせるようにして
生きたモンクの晩年は、ジャズの在り様と同様に寂しいものだった。 だから、旧いものから時系列に進めるよりは、一番良かった時代を目指して遡るほうが
ハッピーな形で終われるような気がする。 終わりよければ、すべてよし。 それが私なりのモンクへの敬意と愛情の表し方なのだ。


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Thelonious Monk / In Tokyo  ( 日 東芝音楽工業 Express EP-8010 )


セロニアス・モンクは1963年から70年代初頭にかけて複数回来日しているが、これは1970年10月に「第2回 ニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパン」
に参加したモンク・カルテットが東京厚生年金ホールで演奏したライヴを収録したもので、最後の2曲は宮間利之とニュー・ハードとの共演になっている。
この時のカルテットはテナーが Paul Geffreys、ベースが Larry Redley、ドラムが Lenny McBrowne というメンバーで、これが最後のレギュラー・カルテットだった。 
このメンバーによる演奏については、私はこれ以外には聴いたことがない。

モンクはこの数年後に演奏から遠のいてしまう訳だけど、ここではそんなことが信じられないくらい闊達な演奏をしている。 "Don't Blame Me" では、
長尺なソロ演奏まで披露している。 それは今までと何も変わらないモンクの演奏になっている。 新しいバックのメンバーも破たんのないなめらかで
上手な演奏で、モンクの音楽の雰囲気やエッセンスを最大限に生かす我を抑えた対応をしており、十分な満足感を覚えることがことができる。
日本のビッグバンドをバックに配しても何を気にするでもなく、モンクは唸り声をあげながら力強い打鍵で弾き切っていく。 

この中では "Evidence" が1番の名演だ。 長い演奏で全員のソロ・スペースをたっぷりと取って1人1人がしっかりと主張しながらも、全体の調和がとれていて、
音楽的な成熟の極みを感じる。 テナーを常設にしたレギュラーカルテットになって以降はマンネリだと言われるけど、注意深く聴いていくとその音楽が徐々に
バンドサウンドとして纏まり、熟していっているのがわかるはずだ。 そこにはマイルスのような劇的な飛躍はないかもしれない。 でも、浮き沈みの激しい
ジャズの世界で自分の世界観を披露できる場を持ち、それを見守ってくれる大勢の人がいたなんて素晴らしいことじゃないかと思う。

この演奏の音源自体は珍しいものではないけれど、掲載のレコードは東芝が最初に発売する際に権利関係の問題がクリアになっていなかったためにリリース直前に
回収したという曰くつきの初版のもの。 結局、1978年になってFar Eastレーベルからようやくレギュラー版が正式発売されるというドタバタがあった。 
音質も十分によくて、観客の存在を後退させてステージ上の演奏をしっかりと前面に押し出したミキシングが功を奏し、演奏が生々しい状態で体験できる。

ビッグバンドがモンクの代表作を手の込んだアレンジでしっかりと演奏するなど、当時の日本側の手厚い応対ぶりが手に取るようにわかり、きっとモンク自身も
満足したのでないだろうか。 でなければ、あれほど頻繁には来日することもなかっただろう。 日本の先達がきちんと厚遇してくれて、よかったと思う。


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夏休みの安レコ

2017年08月13日 | Jazz LP (安レコ)



やっと夏休みに入ったけど、天気が悪く、気分もスッキリしない。 だからという訳でもないけど、ブラブラとレコードを漁る。
どこも如何にも夏のセールが終わった跡、という感じの無残な荒れ様だったけど、安レコのコーナーはそういのとは無縁のフレッシュさだ。 
3枚とも3ケタ台。





イタリアの Soul Note は質の高い作品が多く、録音もいい良質なレーベル。 後期アンドリュー・ヒルの良さに開眼したので、当然拾っておく。
この値段の安さが彼の人気の無さを表している。 彼はブルーノートでちょっと頑張り過ぎた。 そのせいで、リスナーから敬遠されるようになってしまった。





日本制作のソロ・ピアノ集。 例のDENONのPCM録音シリーズだが、個人的にはこの技術は楽器の音の線が細く、音楽が痩せて聴こえるのであまり好きではない。
でも、このレコードではそういう傾向は感じられず、違和感なく聴くことができた。 良くも悪くも日本人が作りそうな作品だが、彼のソロ作品は数が少なく、
もしかしたらこれだけなのかもしれない。 





昔はゴロゴロ転がっていたけど、今ではほとんど見かけることもなくなった。 だから懐かしくて、つい手に取った。
12インチシングルは音がいいと言うけど、果たしてどうなんだろう、これから聴くのが愉しみだ。


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コンディションと値段と残り時間

2017年08月12日 | Jazz LP (Verve)

Wes Montgomery / Smokin' At The Half Note  ( 米 Verve V-8633 )


最近猟盤している中で気が付くことがある。 それは、レアではないよく出回るレコードに関しては、どうやら値付けに際しては盤質よりもジャケットの状態が
重視されているんじゃないか、ということだ。

ジャケットの顔が汚れていると、盤がどれだけきれいであっても高い値段が付いていないものが多い。 逆に盤に傷があっても、ジャケットの顔がきれいだと
変に高い値段が付いたりしている。 なんでこのレコードがこんなに高いの?と驚きながらよく見てみると、ジャケットが物凄くきれいだからだということが
わかったりする。

盤とジャケットの両方がきれいなのが一番いいに決まっているけれど、現実問題としては両方が満足できる状態のものは少ない。 気長に待てばいつかそのうちに
きれいなものに出会うかもしれないけれど、だんだん残り時間が少なくなってきている身としてはあまり悠長に構えていられなくなってきた。 私の場合は
コレクションのために買っているわけではないので、身体が健康なうちにできるだけたくさん聴いておきたいから、どこかで線を引く必要があるのだ。

ウェスのこのレコードはRVGのカッティングなのでステレオよりはモノラルのほうがいいだろうと思ってモノラル盤を探していたけれど、ありふれたレコード
なのにもかかわらずモノラルの弾数がやたらと少なく、且つジャケットのきれいなものが全然見つからない。 何度か見送っているうちに、気が付くと年単位で
時間が過ぎてしまっている。 さすがにこれはまずい、ということで今週見かけたものを拾ってきた。 盤面は無傷できれいなのだが、ジャケットの顔が
擦れていてお世辞にもいい状態とは言えない。 でも、これでも今まで見てきた中では一番マシだったし、値段も安かった。

私はレコードを買う際、見た目の傷よりもノイズの出方を重視する。 ノイズには全然気にならない種類のノイズと、絶対に我慢できない種類のノイズの
2種類がある。 だから、どんなにレアでジャケットがきれいでも、後者のノイズがあるレコードは買わないし、試聴で把握しきれなかった盤を買ってしまったら、
さっさと処分する。 だから、最近の値段の傾向は私にとっては有難い。

昔はDUに出回るような盤はコレクターが状態の悪いものを処分したものだからきれいなものがない、というのが暗黙の了解だったところがあったけれど、
最近はまったくそんなことはなくなっていて、盤質に問題ないものがたくさん流通している。 おまけに大半のものは値段が大幅に下がっているので、
ずいぶん買いやすくなった。 若い女の子が1人でレコードを掘っている姿も今じゃ珍しくなくなっているし、中古市場はよくなっているんじゃないだろうか。


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静かな生誕100周年 ~その2~

2017年08月11日 | Jazz LP (Verve)

Ella Fitzgeraid / Like Someone In Love  ( 米 Verve MGV 4004 )


これも最近知ったことだけど、エラ・フィッツジェラルドも今年が生誕100周年なんだそうだ。 彼女の誕生日は4月25日だから、とっくに過ぎてしまっている。
私の場合はいつもこうだ。 何をやってもいつだって時すでに遅し、大体が手遅れなのだ。

私はエラの声には特に魅力を感じないから普段はあまり聴くことはないけれど、それでも何枚かは好きな作品はある。 これは地味な佳曲を自然な表情でもって
穏やかで素直に歌ったバラード集で、風に吹かれてカーテンがゆったりと揺れているような雰囲気が味わえる。 スタン・ゲッツがソロでオブリガートをつける曲が
何曲かあるけれど、全部ではないしどれも控えめな演奏なので、それはあまり期待せずに聴いたほうがいい。

力を入れずに、それでいて丁寧に歌っていく様子が見事で、何も趣向を凝らしていないようでいて実は隅から隅まで神経が行き届いている。 時速300km/hで
走れるフェラーリが制限速度でゆったりと青山通りを走っているような余裕を感じる。 それでいて、軽やかで後を引かない口当たりを愉しめる。
当たり前だけど、実力がなければこんなことはできない。 スキャットやダイナミックな歌という側面ばかりに光が当たりがちだけれど、そういうのとは全く違った
趣がこの作品にはある。

歌声の雰囲気も、他のゴージャズでファビュラスなアルバム群とは違う。 元々が黒人歌手らしくないストレートな声質だけど、ここでは技巧を排した歌い方を
しているので、より伸びやかで素朴な手触り感もある。 先入観からこの人が苦手に思うようなら、まずはこれを聴いてみるのがいいと思う。
ジャケット・デザインの印象を裏切らない内容に満足できるのではないだろうか。


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豪華で孤独なパリ録音

2017年08月07日 | Jazz LP (Riverside)

Don Byas / April In Paris  ( 米 Battle BS 96121 )


デトロイトのレコード店オーナーのジョー・フォン・バトルがゴスペルやR&B専門レーベルとして1948年に立ち上げたマイナー・レーベルをリヴァーサイドの
オーナーだったビル・グロアーが1962年に買い取ったせいで、このレコードはジャケットも盤もリヴァーサイド仕様の造りになっている。 録音は1962年5月に
パリで行われていて、フランスの管弦楽団が豪華なバックを付けているが、なぜこれをリヴァーサイドからではなくバトル・レーベルのほうから出したのかは
よくわからない。 そのせいで、この作品はジャズ・ファンの意識からは大抵の場合抜け落ちている。

全編が歌物のゆったりとしたスタンダードのバラードで、一本調子ではあるけれど深みのある雄大な音楽になっている。 コールマン・ホーキンスや
ベニー・カーターからの影響を隠さないスタイルで朗々と謳う様が素晴らしい。 あの小柄な身体つきからは想像できない大きく深いトーンだ。
この音さえ聴ければ、アドリブとか音楽の形式みたいなものはどうでもいいな、と思う。 例えそれがムード音楽の一歩手前のような内容であっても。
早い時期に欧州に移住してアメリカには戻らなかった彼の孤独がその音楽に強く作用しているのがよくわかる。 そういう雰囲気を聴く音楽だ。

このレコードにはモノラルとステレオの2種類があるけれど、ステレオの方が音の鮮度が高く、音場感にも奥行きがあってずっといい。 最近は60年代に
入ってからの録音のものはモノラルプレスよりもステレオプレスのほうがずっといい、と感じることが多い。 モノラルプレスのレコードはオーディオの未熟さや
アラを隠してくれるから総じていい音だと多くの人に好まれるけれど、こういうステレオ技術が成熟する前にプレスされたステレオ盤がいい雰囲気で鳴った時に
感じる魅力には代えがたいものがあるなあと最近つくづく思うようになった。 そうなってくると音楽鑑賞の幅もグッと拡がっていくような気がする。
もちろん、それに合わせてお財布の口もグッと開いてしまうんだけれど。


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問題山積のプレスティッジ

2017年08月06日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis / Cookin'  ( 米 Prestige PRLP 7094 )


先日、ヤフオクでこのレコードのフラットディスクがかなりの高額で落札されていたのには驚いた。 

このレコードには確かにフラットディスクがあるんだけど、私見ではこのフラットはこのレコードの初版ではないと思う。 このフラット盤は材質が軽石や
発砲スチロールのようなスカスカの軽い素材で出来ていて、実際に手で持ってみると直感的にこれはバッタもんだと感じる。 プレスティッジのレコードで
こういう素材を使っている盤は他には見たことがなく、なぜこの番号のフラットだけに使われたのかはよくわからない。

更にこの番号にはレーベルのB面の最後の曲が "Just Squeeze Me" と誤植されたものと、"When Lights Are Low" と修正されたものの2種類があって、
件のフラット盤には後者の修正版が使われていた。 誤植のほうが先発で、修正は後発、と考える方が常識的なので、やはりフラットは初版ではないのだろう。

プレスティッジは他にもマトリクス表記の問題やジャケットの体裁の問題なんかがあって、何が正解なのかがよくわかっていない。 そして一番マズいのは
それらと音質の因果関係がまったくわからない、ということだ。 そういう状態の中で、「オリジナル」と一括りにされて一様に高い値段で売られていることに
誰も違和感を覚えないというのが不思議だ。 ブルーノートの場合はあれだけ細部にこだわるのに、プレスティッジに対しては急に大らかになる。
まあ、これだけ値段が高いと複数枚買って聴き比べるなんてことは普通の人にはできないから、こればかりは仕方ないのかもしれないけれど。

このアルバムは "My Funny Valentine" がマイルスの生涯の中でも最も優れた演奏の1つだけど、それ以外の演奏は集中力の欠いた散漫な出来でつまらない。
この4部作はそういう風に曲単位で出来不出来の落差がはっきりしていて、出来のいいものが4枚に万遍なく配置されている。 だから、結局のところ我々は
4枚すべてを聴かざるを得ない。 それに加えて何が初版かもよくわからないんだから、あまり高い値段で取引するのは考え物ではないだろうか。 
中古の値段は市場見合いと言うかもしれないけど、売り手が一定の操作をしている事実はあるんだから、売る側も注意して欲しいと思う。


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真っ当な名盤

2017年08月05日 | Jazz LP (Contemporary)

Art Pepper Meets The Rhythm Section  ( 米 Contemporary C 3532 )


ここ数か月間の記事を振り返ると、世間一般からは全く褒められることのないレコードばかりを愛でてきた。 今後もその姿勢は変わらないと思うけれど、
似た傾向が続くと自分でもさすがに飽きてくる。 その辺りのバランスを取るためにも、たまにはド定番にも手を出す必要に駆られてくる。

私が初めて買ったアート・ペッパーのレコードがこれだった。 もちろん中古の国内盤で、DU新宿店の地下1Fにジャズフロアがあった学生時代のことだ。
当時は復帰後に来日してライヴレコーディングしたビクター盤が新品として普通に売られていたけど、50年代のカタログはどれも廃盤になっていて、更に
今ほどオリジナルもたくさん流通していなかったから国内盤とはいえ手放す人も少なく、中古でも弾数はさほど多くはなかったように思うが、このタイトルに
限ってはよく見かけた。

初期アート・ペッパーが人気があるのはアルトが艶やかな音色で、その音楽が甘く口当たりがいいからだけど、そんな中でこれは4人が極めて高度な技術で
互角に張り合った最も演奏力の際立った力作。 それが入門したての初心者にもウケるような憂いのある洗練さをまとっているところに本当の凄さがある。

だから私も一聴してすぐにハマったわけだけど、その時も今も、A-1 "You'd Be~" の冒頭イントロのガーランドの右手のシングルノートとフィリー・ジョーの
殺気だったブラシワークにヤられてしまう。 私にとってこのレコードの1番のピークはこの開始早々のイントロであって、その後は "Imagination" が
終わったあたりから緩やかに興奮は醒めていく。

バラードも少なく、楽曲面での魅力は他の盤に比べるといささか見劣りがする(このレコードのB面が死ぬほど好きだという人はあまりいないだろう)にも
かかわらず、稀代の名盤となっているのはひとえに演奏力の凄さからに他ならない。 世の中には「これのどこが?」と言いたくなるような名盤がたくさんある
けれど、そういう意味ではこれは正真正銘の真っ当な名盤だ。

レコードの溝が擦り減るくらいに何度も聴いてきた演奏なので、もはや新鮮味などはどこにも残っていないけれど、この盤から出てくる「立った」演奏の凄さが
擦り減ることはこの先もないだろう。


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