廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

サド・ジョーンズを堪能できるアルバム

2022年04月17日 | jazz LP (Metro Jazz)

The Jones Brothers / Keepin' Up With The Joneses  ( 米 MetroJazz E1003 )


サド、ハンク、エルヴィンの3兄弟にエディー・ジョーンズを加えたワンホーン・カルテットがアイシャム・ジョーンズやサドの楽曲を
演奏する、というジョーンズ尽くしの洒落の効いたアルバム。単なるおふざけアルバムのように思われているかもしれないが、
私が最も好きなサド・ジョーンズのアルバムがこれである。

トランペットやフリューゲルホーンを持ち替えながらサドのプレイが最も堪能できるのがこのアルバムのいいところだ。
プレーヤーとして評価されることのない彼の演奏力がこんなにも素晴らしいということがとてもよくわかる。

アイシャム・ジョーンズは20世紀前半に活躍したミュージシャンで、"It Had To Be You"、"On The Alamo"、"There Is No Greater Love"
のような陽気なスタンダードを書いた人。サドはゴリゴリのハード・バップをやるようなタイプではないので、そういう意味でも
アイシャムの書いた曲は彼の音楽性に親和性がある。

ハンク・ジョーンズの上質なピアノが全編に渡って効いており、全体が非常に上品なジャズに仕上がっている。
エルヴィンのブラシが音楽を心地よく揺らしており、素晴らしい。全体的に音数が少なく、隙間感で聴かせる音楽になっている。

おまけに、このレコードは物凄く音がいい。ひんやりとした広い空間の中で、輪郭のくっきりとした彫りの深い楽器の音が心地いい。
内容、音質とも深い満足感に浸れる素晴らしいレコードである。



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象を放つ

2020年08月22日 | jazz LP (Metro Jazz)

The Mitchells with Andre Previn / Get Those Elephants Out'a Here  ( 米 Metro Jazz E 1012 )


こういうアメリカ流のウィットは、日本人の我々にはなかなか伝わらない。何かの背景があったとしても、ずいぶんと時間も経っていて
とうに何のことかわからなくなっている。「象たちをここから解き放て!」と言われたって、何のこっちゃ?である。
レッド・ミッチェル、ホワイティ・ミッチェルの兄弟にブルー・ミッチェルを加えて "ザ・ミッチェルズ” としてみたり、レナード・フェザーは
何を考えているのかよくわからない。大体、この人は評論の文章も分かりにくく、取っ付きにくい人である。

ただ、そういうパッケージの仕方はともかく、内容は感じのいい、イカした音楽である。アンドレ・プレヴィン、ペッパー・アダムス、フランク・
レハク(アル・コーンの渦巻きドーンに参加しているトロンボーン)、フランキー・ダンロップと一流メンバーを集めて、軽やかで朗らかで、
それでいてツボを押さえた音楽を演奏している。

ペッパー・アダムスのバリトンの深い音色が強烈で、これが音楽をグッと絞めている。この起用は正解だった。プレヴィンも余裕の演奏で、
センスのいいフレーズで音楽を色付けし、ブルー・ミッチェルの独特の音色も印象的。各人が最適な演奏を持ち寄っており、上質なジャズを
聴くことができる見事なアルバムだ。そういう意味では、レナード・フェザーの采配は適切だったのだろう。

管楽器の演奏の良さに耳が行くが、アルバム最後に置かれた管抜きのピアノトリオの演奏が小粋な仕上がりで、こういう演奏でアルバムが
締め括られるのもセンスがいい。

このレコードは音も良く、聴いていて楽しい。誰からも相手にされないレコードなので、当然、安レコでもある。
しめしめ、と一人ほくそ笑みながら拾って帰ってきて、これはアタリだよ、と小躍りできる良いレコードだ。


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トロンボーンの重奏の美しさ

2018年08月17日 | jazz LP (Metro Jazz)

Melba Liston / And Her 'Bones  ( 米 Metro Jazz E1013 )


メルバ・リストンという名前はジャズ愛好家なら誰もがよく知るところだけれど、さて、その演奏は? というと思い浮かべることができないのが普通ではないか。
彼女のリーダー作はこれ1枚しかないし、スモールコンボに参加して演奏したレコードもほぼ残っていない。 だから、彼女が実際にどんな演奏をしたのかを
知る人はほとんどいないのが実態だと思う。

このアルバムも4トロンボーンで彼女のアレンジしたスコアを演奏するという内容で、どれが彼女の演奏かは定かではない。 おそらくは最初のソロ、若しくは
最も目立つソロが彼女なんだろう、と想像するのが関の山だ。 トロンボーンだけの重奏によるレコードは過去にもいくつかあって、これだけが珍しいということは
ないけれど、こんなに柔らかくしなやかな重奏はちょっと珍しい。 自身がトロンボーン奏者だからこそ、この楽器の特徴を熟知したアレンジが書けるのだ。

A面ラストの "Wonder Why" はビル・エヴァンスが愛した切ないバラードだが、このソロは全編がおそらく彼女の演奏だ。 真っ直ぐに伸びるロングトーンで
この曲の美しい旋律を歌っている。 残る3人のボーンズたちは柔らかい重奏で彼女のソロを静かに支えている。 とても美しい演奏だ。

そして、このアルバムのもう1つのハイライトはレイ・ブライアントのピアノ。 こんなに生き生きと弾むピアノは彼のリーダー作の中でも聴いたことがない。
歯切れのいいリズムの楽曲での彼のピアノは本当に素晴らしい。

取り回しの難しい楽器群による演奏なのに、全体の流れが実にスムーズでつっかえたり停滞する箇所なく音楽が流れて行くのは驚異的だ。 この楽器特有の
美しい重奏と傑出したリズム感で、音楽が輝いているように思える。 このアルバムは間違いなく傑作である。


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実力が発揮された1枚

2018年06月16日 | jazz LP (Metro Jazz)

Pete Jolly / Impossible  ( 米 Metro Jazz E1014 )


若い頃はピート・ジョリーとジミー・ロウルズの区別がつかなくて、あれ、どっちがどっちだっけ? ということがしばしばあった。 どちらも有名な代表作や
誰もが認める名盤がなく、音楽を聴くというよりはレコードを買うことしか眼中になかった当時の私にはこういう演奏家をまともに認知することはできなかった
のだろうと思う。 

一般的には軽い演奏をする人というイメージだけで話は終わっているだろうけど、これを聴けば案外そうでもないということがわかるはずで、しっかりと
ピアニスティックに弾いている。 フレーズの作り方も個性的で、手垢の付いたスタンダードも一捻りすることで退屈さから上手く逃れている。
弾き流しているようなところもなく、かなり力の入ったレコーディングとして臨んだようだ。

メキシコ・シティで歩行中に自動車事故に巻き込まれて42歳の若さで亡くなったベーシストのラルフ・ペーニャとのデュオという形式で、風通しが良く、
すっきりとまとまったサウンドもとても好ましい。 ベースの音もきれいに録れていて、2つの楽器の絡み合いの上手さがしっかりと聴ける。

BGM的に軽く聴き流すようなタイプの音楽ではなく、オーディオセットの前できちんと正対して聴くのが相応しい、本格的なピアノ・デュオだ。
この人のカタログ・ラインナップを見るとオーセンティックなジャズ専門レーベルへの録音がなく、その実力からすると本人もそういう状況にあまり満足して
いなかったのではないかと想像してしまう。 ここらで起死回生の一発を、という想いがあったのかもしれない。 そのくらい、丁寧に作られている。

しかし運の悪いことに、メトロ・ジャズというレーベル自体があまりに地味で、人々の目に留まることも叶わなかったようだ。 どこまでもツイてない。
何だか地味な存在でいることを義務付けられたかのようだ。 でも、それでもピート・ジョリーを知ろうと思うなら、これから聴くといい。
この人の素の姿が捉えられていると思う。


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秋吉敏子でございます・・・

2016年12月04日 | jazz LP (Metro Jazz)

秋吉敏子 / United Notios with Toshiko And Her International Jazz Sextet  ( 米 Metro Jazz E 1001 )


「秋吉敏子でございます。 わたくしのインターナショナル・セクステットをご紹介致します・・・」というアナウンスで始まり、"My Name is・・・" という
各人の自己紹介が続く、異色のオープニング。 国籍の違うメンバーを集めたところにレナード・フェザーの企画の目的があったらしい。 

不思議なことに、やはりどことなく無国籍風の特定の色をもたない雰囲気になっている。 アクの強い人を避けた人選になっているからかもしれないが、
お愛想程度の主題の後に順番に公正にソロの出番が回って来る建付けの中で、各人の演奏の個性が短いながらもきちんと提示される律儀な内容だ。
7人編成だから普通はセプテットだけど、ここでは秋吉敏子+6人という名乗り方になっている。 彼女の特別待遇が実際のところどういう意味があったのかは
よくわからない。 敗戦後十数年で戦勝国アメリカに単身やってきた日本人女性がバップ流ピアノを弾いている姿は、果たしてどう見られていたのだろう。

音楽的には典型的な白人ジャズで、あっさりとした中庸な音楽。 ルネ・トーマやロルフ・キューンの参加が目を引くけれど、ナット・アダレイやボビー・
ジャスパーも存在感を見せていて、枠組みの中から逸脱することなくきれいに収まっている。 熱気がある訳でもなく、何か新しい試みがある訳でもない。
ただ、それぞれが淡々と自分の持ち味を披露していく。 みんな演奏は上手いから、優等生が通う名門校の休み時間のおだやかな雑談のような感じだ。

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今週は年末セール対応で忙しかったのか、ロー・プライス品の新しい品出しはされておらず、未開封のダンボール箱がまだずらりと並べられたままだった。
ちょっとがっかりしながらミドル・プライスの今週の新着品を覗いたら、これがあった。 昔は筋金入りのマニアから好まれたレコードだったのでそれなりの
値段がついて私には手が出せなかったけど、今回は2,160円。 安いなあ、レコードが。 おかげで昔は聴けなかったこういう作品が聴けるようになった。
最近は名前は知っているけど聴いたことがないままになっていた作品が続々と安価で聴けるようになって、私のミュージック・ライフは充実している。
愉しい漁盤生活が続いている。


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ロリンズ 至高の演奏

2016年10月10日 | jazz LP (Metro Jazz)

Sonny Rollins / And The Big Brass  ( 米 MetroJazz E 1002 )


やっぱり、レコードというのは聴くべき人のところへちゃんとやって来るんだなあと思う。 ミュージック・インでのライヴに開眼した途端、メトロジャズの
もう1枚が目の前に現れる。

1958年のN.Yでの2種類のスタジオ録音が収録されている。 1つはアーニー・ウィルキンス率いる多管編成のラージグループをバックにしたもの、もう1つは
ピアノレス・トリオによるもの。 どちらも私の好きなスタイルで、こんなに美味しいレコードはない。

ビッグブラス・サイドではナット・アダレイのコルネットとルネ・トーマのギターがソロをとる箇所があり、各々が存在感をみせる。 ロリンズはバックの
厚みのあるサウンドの中でも埋没することなく、7人の管楽器群よりも大きな音で彼らを軽く凌駕していく。 こうやって他の管楽器奏者と直接対比することで
ロリンズの音色が如何に傑出したものであるかがよくわかる。 このスタイルでソリストの個性が逆に際立って音楽的に成功したのはパーカーとロリンズだけだ。

ピアノレス・サイドは当時のロリンズのメインコンセプトだったスタイルで、もうこれ以上ないくらい自由に何にも制約されることなく歌う姿が録られている。
フレーズは弾力に富み、次から次へと溢れてきて止まらない。 音階も一か所に固まることなく、低域から高域まで自在に操る。 最後の "Body And Soul"は
無伴奏ソロ。 ピアノレスの考え方をさらに推し進めた究極の姿で、サックス1本なのにたくさんの楽器による伴奏が付いているかのような豊かな音楽に
なっているのが驚異的だ。 実際には鳴っていない音まで聴こえてくるこの感覚は一体なんだろう。

このディスクも録音・再生が非常に良く、モノラルなのにステレオのような音場感で楽器の音が鮮度高く分離よく鳴る。 ヴァン・ゲルダーやデュナンだけが
優れたエンジニアだったというわけではないし、ブルーノートやコンテンポラリーばかりが名演だったわけでもない。 ブランド志向に囚われず音楽を
愉しめるようになれれば、ジャズはもっと親密な音楽になるだろう。



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ソニー・ロリンズ最高のライヴ

2016年09月11日 | jazz LP (Metro Jazz)

Sonny Rollins / At Music Inn  ( 米 Metro Jazz E1011 )


"ミュージック・イン" は1950年代からマサチューセッツ州レノックスにあった音楽学校だが、学校といってもジュリアードやバークリーのような筋金入りの
アカデミーではなく、もっと庶民向けに広く開かれた雰囲気の学校で、MJQのジョン・ルイスが校長を務めた。 一流ミュージシャンを多く招いて
コンサートを開いたり、音楽愛好家が気軽に集まって音楽談義をする音楽サロンとしても機能していたらしい。 ジョン・ルイスの計らいで、オーネットや
ドン・チェリーらも奨学金を貰ってここのサマー・スクールに参加している。

そういう頻繁に行われていたコンサートにロリンズが招かれてMJQと一緒に演奏したものがレコードと残されており、ミルト・ジャクソンが入っているものは
契約上の縛りがあるのでアトランティックから出され、ミルトが抜けたピアノトリオをバックにしたものがこのメトロ・ジャズに収められた。 1958年8月の
演奏だが、これはディスコグラフィー的に見ればブルーノートの "Newk's Time" とコンテンポラリーの "Contemporary Leaders" の間にあり、
ちょうどロリンズがピークを迎えていた時期にあたる。

これが、とにかくすごい演奏なのだ。 ワンホーンの4曲が収録されているが、10km先まで届くのではないかと思えるような豪放な音が鳴り続け、開封したての
ゴムボールが大きく弧を描いてバウンドするようなフレーズが滾々と湧き出し、人の喋り声のような豊かな表情をもった吹き方でとにかく圧倒される。
評価の固まったヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴより、こちらのほうがはるかにいい。 ヴァンガードのほうは高音域帯にフレーズが集中していて
腰が高い感じの演奏だが、こちらの演奏は低音域の深いところで演奏しており、重量感がまったく違う。

また、レコードから出てくる音の質感も対照的で、ヴァンガードのほうは奥行き感のない平面的で鮮度の低い籠った音であるのに対して、こちらは会場の
ホールトーン全体が丸ごと録られていて、その中でロリンズの重低音が鮮度高く陰影深く鳴っており、オーディオ的な快楽度の高さでもヴァンガード盤は
この盤の足許にも及ばない。 楽器の音が立っていて、音圧も高く、ボリュームを普段より下げないと音が大き過ぎて聴けない。

余白にテディー・エドワーズの演奏が2曲含まれていて、演奏自体は悪くないのだが、ロリンズの後では気の毒なくらい分が悪い。 
この時期のロリンズは本当に無敵だった。 聴けばわかる。


コメント (4)
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