廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

常に自分の傍にあった音楽

2020年04月30日 | Jazz LP

Toots Thilemans / Quiet Evenings  ( 日本 Epic 25-3P-302 )


私が一番好きなトゥーツ・シールマンスのアルバムはこれで、オランダのCBSが1980年に制作、原題は "Collage" というタイトルで出ているが、
日本では昔からこのジャケットで出されているので、我々にはこちらの方がなじみ深い。学生時代からの愛聴盤で、もう自分の血肉となっている
感がある。これを聴く時は、もう音楽を聴くというよりは、自分の記憶のページをめくっていくような感覚になってしまっている。

このアルバムに辿り着いたのは、当時からジョニー・マンデルの "いそしぎのテーマ" が好きで、この曲が入っている音盤を片っ端から買っていた時に
出会った。あまりの素晴らしさに感極まったものだ。未だにこれ以上の演奏には出会ったことがない。

客観的に見れば時代を反映したイージーリスニングの作りになっているけれど、バックのアレンジと演奏が非常に品が良く、逆にこうじゃなきゃ
いけないでしょ、という感じだ。それに、このアルバムはベースにペデルセン、ドラムにアレックス・リールを採用していて、土台はしっかりと
ジャズの作りになっているところがミソだ。ペデルセンのベースが随所で効いており、これがとてもいい。

選曲も良くて、究極にロマンティックなアルバムになっている。更に録音が良くて、トゥーツのハーモニカの音色がこれ以上ない美音で録れている。
こんなきれいなハーモニカの音色は聴いたことがない。

このアルバムが自分の人生の中でいつも傍にあったことは幸せなことだった、と思う。あまりに自分の中で深く繋がってしまっているので、
なかなかうまく説明できないが、いろんな局面で自分を支えてくれたアルバムで、この先もずっと聴き続けていくことになるだろう。


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神々の本気

2020年04月29日 | Jazz LP (Columbia)

Herbie Hancock, Dexter Gordon, 他 / 'Round Midnight ~ Original Motion Picture Soundtrack  ( 米 Columbia C 40464 )


この映画が公開された時、私は封切をちゃんと観に行った。もう随分昔のことになる。新宿歌舞伎町の一番奥にある、噴水を中心にして小さな
ターミナル状に映画館が取り囲んだ中の一画だったと思う。映画自体は可もなく不可もなく、ストーリーももうほとんど覚えていない。
当時はここに出演しているビッグ・ネームたちの多くは普通に音楽活動していたし、さほど彼らの出演自体も有難みは薄かったように思う。
ただ、デックスだけは別で、あまり表に顔を出さないこの人がまさか、という驚きをもって迎えられたように記憶している。
伝説のミュージシャンを地でいくような感じだった。

まだジャズを聴き出してそれほど時間も経っていない駆け出しのファンだった私はすぐにサントラ盤を買って聴いていたけれど、当時はどの楽曲も
短く刈り込まれて大雑把な演奏に思えて、まあこんなもんか、という感じで接していた。ところが、それから少し時間が経ったある時期を境にして
ここで聴ける演奏の凄さがわかるようになり、今では頻繁に聴く愛聴盤になっている。

ハービー・ハンコックが音楽監督として全体を制御、適材適所で見事な采配を振るっている。彼自身のプレイも素晴らしく、マイルスのバンドに
いた頃のアコースティック・ハービーの透徹した演奏が素晴らしい。

ハイライトの1つはやはりデックスで、"Body and Soul" では彼がこの曲をやる際に昔からやっているイントロのフレーズから始まって、最後まで
原曲のメロディーをまったく使わずにバラードを朗々と吹き切る。同じコード進行上で別メロディーの楽曲のように展開しながら、どこか遠くで
"Body and Soul" の聴き慣れたメロディーが同時に鳴っているような、パーカーやエヴァンスが多用したパラドキシカルな演奏が圧巻だ。

ゴルソンではなくケニー:ドーハムが書いた方の "Fair Weather" をチェット・ベイカーが気怠く内省的に歌い、ハービーが伴奏を付ける。
こんな夢のような組み合わせ、他では考えられないではないか。

また、ハービー、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスのトリオにボビー・マクファーリンがマイルスのミュート・トランペットの役割として
加わる "Round Midnight" と "Chan's Song" は、敢えて大袈裟に言うなら、現代の巨匠たちがジャズという偉大な音楽へ捧げた祈りのような演奏だ。
静かな演奏なのに、トニーのドラムのなんと凄いことか。

映画のサウンドトラックという肩書などどうでもいい。ジャズの神々が集まって本気を出した、凄まじい演奏の記録である。


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晩年のチェットを支えた人たちの気持ちが込められたアルバム

2020年04月27日 | Jazz LP (Paddle Wheel)

Chet Baker / Four ~ Chet Baker in Tokyo  ( 独 Paddle Wheel K28P 6495 )


晩年のチェットの最良の姿を捉えた傑作の1つだが、「晩年のチェットは素晴らしい」のは当たり前として、このアルバムが特に傑出しているのは、
チェットの音楽観を完璧に表現するハロルド・ダンコ率いるバックのトリオのおかげだ。このトリオ抜きでこの素晴らしい音楽は成立しない。

そう思いながらも、ハロルド・ダンコのアルバムは1枚も聴いたことがないことに気が付いた。ここでのピアノのタッチからヨーロッパの人だとばかり
思っていたが、アメリカの人だということも最近になって知った。端正なタッチで美しい音のピアノを弾く人だ。いずれ猟盤生活の日々が再開したら
ぼちぼちと探してみなければなるまい。

チェットは晩年になってマイルスの楽曲を頻繁に取り上げた。ここでも往年の名曲を元気に演奏している。年老いて枯れたチェットがマイルスの曲を
好んでやっているというところに感じ入るものがある。それはまるでマイルスに向かって何かを語りかけているかのように思える。

"Broken Wing" や "I'm A Fool To Want You" の何かの深淵を覗き込むような表現に慄きながらも、繊細極まる上質な質感にこれがライヴ演奏なのか、
と信じ難い気持ちになる。遠くから包み込むように湧き上がる観客の拍手が、会場のいい雰囲気を醸し出している。

独特の美しいジャケットの意匠、素晴らしい音場感など、内容以外の部分でも満点の仕上がりで、世界に誇るべきメイド・イン・ジャパン。
チェットを最後まで愛し続けた日本人だからこそ出来た、本当に素晴らしいアルバムである。



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ラス・フリーマン・カルテット

2020年04月26日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Russ Freeman / Russ Freeman and Chet Baker, "Quartet"  ( 米 Pacific Jazz PJ-1232 )


世間ではなぜか誤解されているようだけれど、このレコードはチェット・ベイカーのレコードではない。ラス・フリーマンのレコードだ。

筆頭に記載されているのはラス・フリーマンだし、収録されているのは2曲を除き、すべてが彼の書いたオリジナル作。裏面の写真も彼が先頭だ。
タイトルやジャケットにチェットが入っているのは、当時の彼の人気にあやかってのことだろう。その方がレコードが売れるからだ。

内容もチェット・ベイカーの音楽とはほど遠く、普通の西海岸の乾いた軽快なジャズで、やはりシェリー・マンが入るとこういう音楽になるんだなあ
と思う。そういう意味では、この人は西海岸のアート・ブレイキーと言っていいかもしれない。音楽を自分色に染めてしまう。

ラス・フリーマンはシカゴ生まれだが、西海岸でクラシック音楽の教育を受けていて、音楽の基礎がある人。オリジナル曲にも優れたものがあり、
キース・ジャレットが "Paris Concert" で取り上げた "The Wind" が最高傑作。あの物悲しく美しい曲を聴けば、このピアニストの実像が少しは
理解できるのではないだろうか。このアルバムでも "Summer Sketch" のような印象的な楽曲を残しており、チェットやペッパーの単なる伴奏者
という認識だけで終わらせてはいけない人だと思う。

一連のパシフィック・ジャズ・レーベルでの録音が一段落した後は、ジャズ界の大きな変化に伴って西海岸のジャズは見る影もなく衰退する。
その影響でラス・フリーマンの姿はレコードの世界からはしばらく消えてしまう。映画やTVなどの産業は盛んな地域だったから、音楽の仕事は
いくらでもあっただろうけど、ジャズ・ピアニストとしてカムバックするのは80年代以降になってからだった。

有名な割には、あまり正しくは理解されていない人だろうと思う。我々にはごく限られた枚数のアルバムでしか聴くことができないわけだがら、
もう少し丁寧に聴いていきたい。


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普通の青年だった頃

2020年04月25日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Chet Baker / Jazz At Ann Arbor  ( 米 Pacific Jazz PJ 1203 )


ラス・フリーマンはチェット・ベイカーの想い出としてこんなことを語っている。「彼の歌をいいと思ったことは特にないけれど、それでも彼は
普通の奴だった。」同じバンドで演奏して、傍で見ていた割には随分素っ気ない言い方だけど、チェットのことを知る人の多くが似たような
印象を持っているようだ。アイドル的人気を得たこともある有名な人だったけど、素顔は意外に普通の人だった、と。

このライヴを聴いていると、確かにそうだったのかもしれないな、と思う。曲と曲の間の本人のMCも含めて、気負ったところのない、自然体で
素朴なステージだ。歌は入っていないけれど、チェットのトランペットは何だか歌を歌っているような感じで鳴っている。

ワンホーンでシンプルにスタンダードやメンバーのオリジナル曲を一筆書きのように吹き流すだけの演奏だが、不思議と心に残る演奏だ。
正規の音楽教育を受けたこともなく、譜面もまともに読めなかったにもかかわらず、プロとして活動を開始してさほど時間がかからずに大きな
成功が転がり込んできた幸運に恵まれながらも、そういう状況に我を忘れるようなこともなく、どことなく戸惑いながらも淡々と音楽活動を
やっていたような感じで、そういう人柄がこの人の音楽にはよく反映されている。当時、ライバルとしていつも比較されていたマイルスとは
こういうところが随分違う。

パシフィック・ジャズに残されたアルバムの中では、歌物を除くと、このアルバムに一番愛着があるかもしれない。スタジオ録音のものよりも、
よりチェット・ベイカーが身近に感じられるような気がするし、演奏も安定していて、最初から最後の1曲まで飽きることなく楽しめる。


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初期の習作

2020年04月24日 | Jazz LP (Savoy)

Paul Bley / Footloose !  ( 米 Savoy MG 12182 )


1962年当時のインテリ白人の眼にフリーがどのように映っていたかがよくわかる演奏。冒頭にオーネットの曲を置いてこのアルバムのコンセプトを
説明しているわけだけど、結局、このオーネットの楽曲が一番わかりやすい演奏になっている。残りはカーラ・ブレイと自作を並べているが、
オーネットとブレイ夫妻の楽曲にはその骨格に大きな隔たりがある。ブレイ夫妻の楽曲は抽象的・内向的で、オーネットの楽曲は土着的・祝祭的で、
フリー・ジャズに対する感性がまったく違う。

このあと、ポール・ブレイはしばらく抽象音楽の世界を彷徨うことになるわけだけれど、このアルバムはまだ習作の域を超えていない。
旋律を丁寧に弾いている楽曲もあり、かなりの部分を手探りで進めている。正解のない世界で、ゆらゆらと浮遊している。

それに比べると、スティーヴ・スワローとラ・ロッカは迷いのないしっかりとした演奏をしており、ブレイの頼りなさとは対照的だ。リズム・キープを
するという大義名分の下で、適切な遊びを入れながら演奏を進めている。そのため、トリオの音楽としてはかなりがっしりとしている。

サヴォイはアーティストの自由な意向を尊重していたフシがあるレーベルで、オールド・タイムなものからニュー・ジャズまで、割と何でも寛容に
受け入れている。だから、ブレイのこういう演奏もポツンと残っているわけだ。ただ、これは売れなかったんじゃないだろうか。この後が続かない。
それがどういう内容であれ、聴き手にわかりやすく聴かせるのがあまり上手くはなかった人で、ここでもその傾向は出ている。こちらが理解しよう
とかなりの努力をしないと、なかなかその意図が汲み取りにくい音楽と言えるかもしれない。


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ホレス・シルヴァーの真価を補完するアルバム

2020年04月23日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

The Mastersounds / Play Compositions Of Horace Silver At The Jazz Workshop  ( 米 World Pacific WP 1284 )


ホレス・シルヴァーの音楽は日本人の心には響かないらしい。優れた作曲家として佳作をいくつも書いているにもかかわらず、作曲家として語られる
ことは皆無だ。なぜだかはわからないが、ジャズの世界ではミュージシャンをプレイヤーとしてしか見ようとしない傾向が強い。元々使われる楽曲は
単なるヴィークルであって、アドリブが音楽の中心だからかもしれない。でも、音楽なのだから、楽曲の良し悪しは重要なことだと思う。

そういう傾向があるから、音楽への評価も実際に演奏されている内容よりも、参加しているミュージシャンの名前に左右される。ハンク・モブレーが
参加しているから、ソニー・クラークが参加しているから、という話がメインになりがちで、彼らの演奏パートにのみスポットが向けられて、肝心の
音楽全体の賞味はどこかへ置き去りになることが多い。だから、有名人が入っていないと見向きもしないし、まともに鑑賞もしないし、楽しむことも
できない、ということになる。名前に頼らなければ、興味も持てないし、何も語れない。

そういう感じだから、このグループが陽の目を見ることはないんだろうし、このアルバムも興味を持って聴かれることはないんだろうと思う。
せいぜい、パシフィック・ジャズ・レーベルの完全コレクションを目論むコレクターが最後に仕方なく買う、というのが関の山なのかもしれない。
なんとも気の毒な話だ。

シルヴァーの代表作である "Nica's Dream" や "Doodlin'" も入っているけれど、このアルバムを聴けば "Enchantment" が素敵な曲だということを
再認識できるし、"Buhaina" という知られざる楽曲(私はブルーノートの10インチを聴かないので、この曲を知らなかった)がオリジナルの
ヴァージョンの粗く稚拙な印象を大きく覆す洗練された楽曲へと様変わりしていることに驚かされる。この楽曲のポテンシャルを上手く掴み
取った演奏で、このグループのセンスの良さがよく出ている。

ブルーノートのレコードだけを聴いてホレス・シルヴァーを理解した気でいるのは、おそらくは大きな間違いである。


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静かに雨が降る夜に

2020年04月22日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

The Mastersounds / Ballads & Blues  ( 米 World Pacific WLP )


バディ・モンゴメリーは50年代後半から60年代初めにかけてザ・マスターサウンズとモンゴメリー・ブラザーズという2つのグループを併行して
走らせていた。マスターサウンズはM.J.Qやミルト・ジャクソン・カルテットを意識していたようだが、そこからクラシックの要素を取り払い、
ベースをエレクトリックにすることでもっとモダンなバンドへと発展させている。

このグループは過度なブルース・フィーリングに溺れることもないし、特定の傾向に偏重することもない。淡麗でスッキリとした口当たりの
洗練された感覚がとてもいい。全体のバランス感に優れていて、聴いた後の満足感は高い。

腕に覚えのあるメンツが集まってざっくりと演奏するセッションではなく、グループとしての演奏なので、全体のバランスを十分意識した
デザインが施されていて、それでいて各人の演奏は闊達でしっかりとしている。よく考えられたグループだと思う。

このアルバムのジャケットは、収録された演奏の雰囲気をうまく表現している。これは静かに雨が降る夜に一人で聴くといい。
そういう情景がよく似合う、いいレコードだ。


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グランツの期待に応えた素晴らしい仕上がり

2020年04月21日 | Jazz LP (Verve)

秋吉敏子 / The Many Sides Of Toshiko  ( 米 Verve MG V-8273 )


Storyville盤を月とするなら、こちらは太陽のようなアルバム。スタンダードをプログラムのメインに据えた、真っ向勝負の傑作。バド・パウエルの
作品群を除いて、ヴァーヴが作ったピアノ・トリオのアルバムでは3指に入る出来だと思う。この時期に活躍したパウエル・マナーのピアニストたち
とは一線を画した新鮮な感覚でピアノを全力で弾き切っている様が圧倒的に素晴らしい。

我々にとっては無名のベース(ジョン・チェリコ)とドラム(ジョン・ハナ)の演奏の上手さに驚かされる。単なるピアノの添え物としてではなく、
まったくの互角の演奏をしているので、音楽の躍動感がハンパない。チェリコのベースはレイ・ブラウンだけが第一人者ではないことを教えて
くれるし、ハナのブラシ・ワークは音楽に魂を吹き込んでいる。演奏の質は奏者の有名・無名は関係ない。そこで聴ける音楽がすべてである。

スタンダードは誰かの物真似ではなく、しっかりと独自の演奏をしているし、それに留まらずにオリジナルの楽曲も取り入れていて、内容の新鮮さを
常に意識した作りになっている。アルバム制作にあたり、入念な準備がされている。

レコードの音も完成したモノラル・サウンドが素晴らしく、輪郭が明確でソリッドな音が分離よく鳴っていて、このトリオの実力を余すところなく
伝えてくれる。ヴァーヴのサウンドは全般的に平面的で面白味のない傾向にあるけれど、それでもこのアルバムは演奏の良さががきちんと
伝わってくる。

そういう風に丁寧に作られたことがよくわかるアルバムで、それは秋吉敏子が受けていた厚遇の度合いが、枚数こそ少ないものの、当時ヴァーヴが
契約していた他の多くのアーティストたちと同じだった、という事実を物語っている。その期待に応えた、素晴らしいアルバムだ。


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新緑のような若い才気

2020年04月20日 | Jazz LP (Storyville)

秋吉敏子 / Toshiko  ( 米 Storyville STLP 912 )


このアルバムを聴くと、いつもエヴァンスの "Everybody Digs Bill Evans" を思い出す。才能溢れる若いミュージシャンが世に打って出る際に創造する
真面目で真剣な音楽だけが持つ、ある独特の雰囲気がよく似ているからだ。それはデビュー後まもない、ごく短い時期にしか現れない特質なのかも
しれない。しかし、それは必ず現れる。そして、それがうまく記録されることは稀だ。だからこのアルバムが残っていることは貴重なのだ。
それはまるでみずみずしい新緑に覆われた若い樹木のようだ。

バド・パウエルのようなピアノを弾く日本人女性がいる、とノーマン・グランツを驚かせた秋吉敏子が「それだけではないぞ」と実力をみせつける。
緩急自在にフレーズを操り、単純なハード・バップのピアノ・トリオには終わらない。オリジナル曲でみせる憂いや複雑な曲想が控え目ながらも
克明に刻まれている。このアルバムはヴァーヴ盤には収録されなかったそこが聴き所になる。単なる興行師では終わらなかったジョージ・ウェイン
のアルバム作りの上手さがキラリと光る。

ポール・チェンバースやエド・シグペンがバックにいる、ということがなぜか嬉しい気持ちにさせてくれる。このトリオの演奏には不自然なところは
何もない。ブラインドで聴けば、長年活動を共にした常設のトリオか、と感じる向きもあるだろう。そういう演奏だ。

あの時代に単身で渡米し、現地で生きたジャズを学び、共に演奏したこの人の前で「和ジャズ」という言葉を使う者はいないだろう。
秋吉敏子は、その言葉の不適切さを教えてくれる。


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わかりやすい編集で再確認する

2020年04月19日 | Jazz LP

Eric Dolphy / Conversations  ( 米 FM FM-LP-308 )


私にはその良さがわからないエリック・ドルフィーだが、これは何かのついでに拾ったレコード。後発のVee Jay期プレスのようなので安かった。
私にとってドルフィーのレコードは教材的位置付けなので、ある程度の音質で聴ければそれでいい。これはやたらと音がいい。

この作品がファンの間でどういう評価になっているのかはよくわからない。他の有名なアルバムほどは言及されていないようなので、あまり評価
されていないのかもしれない。その理由は何なんだろう、興味はその1点に集約された。

A面の2曲は多管編成の祝祭的な雰囲気が満載で、ローランド・カークのレコードを想わせる。陽気な表情で演奏は進んでいく。アンサンブルを重視
した内容で、各リード奏者が持ち場で個性を発揮する。ウッディ・ショウだけが少し浮いているような印象があるが、それ以外はみんなドルフィーに
合わせた奏法をしていて、纏まりはいい。ただ、やはり曲想と各プレイの噛み合わせは悪く、これは私の感性には合わない。

B面は一転してムードが変わり、バス・クラとベースのデュオ、そして無伴奏アルトのブレイクで、こちらが本懐なのかもしれない。
ただ、どちらの曲も大人しい演奏で、アブストラクトな印象はなく、非常に端正で整ったプレイだ。出てくるフレーズはいつものドルフィーの
それだが、気迫で押し切るところがなく、芸術的に仕上げようと狙った感じで、ここで評価が分かれそうだ。こちらは悪くない、と思う。

A面は音楽を重視、B面は演奏を重視した編集という意図なんだろうと理解できる。そう考えた場合に、やはりドルフィーの考える音楽には共感が
持てないんだな、ということを再確認することになる。古い素材や曲想をドルフィー自身のスタイルで演奏するという狙いはよくわかるけれど、
その結果については「ちょっと違うよな」という感じで納得感は得られない。

一方、B面のような演奏力を前面に持ってきたものについては、なるほど、と腑に落ちるものはあり、いい悪いははともかく、ドルフィーの演奏だな
ということで違和感がないし、上手い演奏だなと思う。

ただ、いくら演奏が卓越していても、音楽としての感動を得ることができなければそれ以上気持ちが動くことはない。このレコードのわかりやすい
編集のおかげで、そのことを再確認することができる。私自身、ドルフィーの良さが理解できる日は果たしてやってくるのだろうか。



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前衛派の本音

2020年04月18日 | Jazz LP (70年代)

Chico Freeman / Spirit Sensitive  ( 米 India Navigation IN-1045 )


70年代後半という時代は、若い黒人がジャズ・ミュージシャンとして一旗あげるには前衛ジャズをやらざるを得ない、そういう時代だったのでは
ないだろうか。特に、シカゴで生まれ育った場合、それは避けようがない環境だったに違いない。好むと好まざるにかかわらず、物心ついた頃
にはすでに自分の家に置かれた家具のように、当たり前にそういう状況に取り囲まれていたんだと想像できる。

だから、チコ・フリーマンが前衛派として頭角を現したのも当然の成り行きだったのだと思う。でも、この人はある時期に前衛派から降りて、
その結果「牙が抜けた」と酷評され、ファンから見放されて、やがては過去の人となった。芸能というのは難しい。

でも、まだ全盛だった時期に急にこういうアルバムをリリースしていることからもわかるように、本人の中には迷いがあったのではないだろうか。
おそらくはアルバム・セールスのことを考えてのことだったとは思うけれど、それにしてもここまでストレートなバラード・アルバムが出てくるとは
誰も考えなかっただろう。前衛の人がたまに作るこういう作品には、どこか部分的にはフリーキーな要素が混ざるのが常だけど、このアルバムには
そういう箇所は皆無で、100%ピュアなバラード・アルバムとして徹底されている。

彼のテナー奏者としての技術力の高さが実感できる内容で、これは本当に上手いテナーだと理屈抜きでわかる。そういうテナーを当時の一流メンバー
が支えるのだから名盤になるのは当たり前で、尚且つレコードとしても極めて音質がいいから、これは必携の一枚。70年代のジャズが嫌いな人も、
さすがにこれは褒めることになるだろう。中でも、セシル・マクビーのベースは圧巻だ。

涙なしには聴けない "Close To You Alone" は、アート・ペッパーと双璧を成す名演。とても余技として作った作品だとは思えるはずもなく、
こちらが本音だったのではないか、と勘繰らざるを得ない。


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リー・コニッツ 7つのルール

2020年04月17日 | Jazz LP (Prestige)

Lee Konitz / With Tristano, Marsh & Bauer  ( 米 Prestige PRLP 7004 )


リー・コニッツのアルバムをいろいろ聴いていくと、そこにはいくつかのルールが存在することに気が付く。

第1のルール:ジャズはインプロヴィゼーションがすべてである
 ジャズという音楽はインプロヴィゼーションの音楽である、ということを宣言して、それを隅々まで徹底すること。まず最初にこれがある。
 インプロヴィゼーションを展開する上でスタンダードのコード進行は必要だったが、テーマは必要なかった。だから、曲の出だしから最後まで
 全編がオリジナルのアドリブ・ラインで構成されることになった。

第2のルール:メロディーが最も大事である
 コニッツは音楽の中ではメロディーが最も重要だと考えていた。だから、インプロヴィゼーションとしてどんなフレーズを吹いたとしても、
 必ずメロディーからは離れなかった。共演者と長いユニゾンを取るのも、ハーモニーよりもメロディーが大事だからだし、リズム感を犠牲に
 して長いアドリブ・ラインを吹くのも、リズムよりメロディーが優先すると考えていたから。コニッツの演奏はいつもリズム感が悪いけれど、
 それにはちゃんとした理由がある。

第3のルール:楽器の音色にはこだわらない
 コニッツにとって楽器の音色はさほど重要ではない。ノン・ビブラートのひんやりとした音色の時もあれば、太くマイルドな音色の時もあるし、
 かすれたようなペラペラの薄い音の場合もある。テナーを吹く時もアルトのようなイメージで吹くし、と楽器で鳴らす音に必要以上の拘りを
 見せなかった。初期コニッツの音にはクールなイメージがあって、たいていの人がこの音のファンだが、初期のレコードをよく聴くと実際は
 楽曲毎に音色が違っていることがわかる。音色の魅力だけで音楽を聴かせるつもりが元々ないので、音色の心地よさでしか音楽が聴けない
 リスナーには後期コニッツの演奏が理解できない。

第4のルール:フリーはやらない
 既成のコード進行は表現の幅を縛るのでコード進行から解放するためにフリー・ジャズをやる、という主張は単なる甘えた泣き言。
 フリーやアヴァンギャルドはコニッツにはピンボケの所為。制約の中でどこまで制約を超えることができるかがジャズの意味だと考えた。

第5のルール:ビ・バップこそがジャズの神髄
 コニッツの音楽のベースには常にビ・バップがあった。インプロヴィゼーションの音楽とは、すなわちビ・バップのことだった。
 コニッツにとってハード・バップは生ぬるくて、上手く自身を表現できなかった。ヴァーヴ期の演奏がこれにあたる。

第6のルール:チャーリー・パーカーから遠く離れる
 コニッツは自宅の壁にパーカーの写真を1枚だけ飾っていた。彼にとってパーカーは手の届かない永遠の存在。トリスターノからも、
 とにかくパーカーの音楽を聴け、と繰り返し教えらえた。だからこそパーカーは聖域であり、その後を追うことはしなかった。
 パーカーからどれだけ遠くに居続けることができるか、が彼の演奏のテーマだった。

第7のルール:常に1人でいること
 彼は生涯自己のグループを持たなかった。固定されたメンバーでの演奏がもたらすマンネリ感を避けるために、その時々で最も重要だと
 考える演奏者を選び、共演することで自身の音楽を更新し続けた。

これからの大半のことが、公式デビュー作であるプレスティッジのこの演奏の中に既に予言されている。最初から自分に厳しい人だった。
そして、それを生涯貫いた人だったと思う。だから、私はリー・コニッツを尊敬していたし、それはこれからもきっと変わらない。


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身を任せるしかない美しさ

2020年04月16日 | jazz LP (Fantasy)

Bill Evans / I Will Say Goodbye  ( 米 Fantasy F-9593 )


昔(30年ほど前)は、マニアの間でビル・エヴァンスの晩年の作品は今ほどは評価されていなかった。エヴァンスと言えばリヴァーサイド時代で、
それ以外は聴く必要がないという雰囲気があった。イージーリスニングに堕した、という認識があったように思う。それを思うと、今は多くの
人が晩年のエヴァンスをしっかりと聴いて評価するようになっていて、とてもいいことだと思う。そういう面ではリスナーは昔より健全になって
いるように感じる。

"You Must Believe In Spring" へと繋がるこのアルバムの素晴らしさは今更議論の余地などあるわけがないけれど、年季の入った硬派な愛好家にとって、
こういうアルバムを素直に受け入れることができるかどうかは意外とハードルが高く、一種の試金石になっているんじゃないだろうか。こんな軟弱な
音楽に果たして肩入れしていいのだろうか、という疑問が湧いてくる人は少なからずいるだろう。

ここで聴けるエヴァンスのピアノについて分析的な聴き方をするのは、さすがにナンセンスだと思う。彼の生涯の詳細な軌跡を知り、作品の多くを
長年聴いてきた我々にとって、この時点でこういう作品が出てきたというのは当然の成り行きだということが既によくわかっている。だから、この
アルバムを前にすると、ある種の無力感に襲われる。この美しさに身を任せる以外、できることは他に何もないと感じるからだ。

如何にもミシェル・ルグランらしい表題曲の美しさに陶酔しながらも、私はジョニー・マンデルの "Seascape" に心奪われる。マンデルにしか書けない
独特の美しい旋律を、エヴァンスは豊かなハーモニーを付けながら情感を込めて弾いていく。そのメロディーは、ただひたすら美しい。


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ジャズへの敬意

2020年04月15日 | Jazz LP (70年代)

Buddy Tate Meets Dollar Brand  ( 米 Chiaroscuro CR-165 )


アート・ペッパーの "ミーツ・ザ・リズム・セクション" と同じ構造を取ったアルバムで、当時の第一線で活躍していたピアノ以下のメンバーが、分野の
違うサックス奏者を迎えて、その音楽性に合わせて録音した傑作。ペッパーの方はベテラン3人が若いアルトを大きく支えたが、こちらは若い3人が
老齢のサックスの後をついていく逆の形になっている。

ダラー・ブランドらがバディ・テイトの一挙手一投足を常に注意深く見ながら、彼の音楽に懸命に合わせて演奏している様子が手に取るようにわかる。
大先輩に無理強いをするのではなく、あくまで彼のスタイルに自分達を溶け込ませていく姿勢が素晴らしいし、これが非常にうまくいっている。
このアルバムのいいところは、4人が懐古調の演奏にならず、あくまで1977年当時の感性でメインストリームのジャズを演奏できているところだ。
古いタイプのジャズを現代の感覚できちんと演奏することで、ジャズという音楽へ敬意を表したのではないだろうか。

バディ・テイトはアート・テイタムと共演したベン・ウェブスターのようなゆったりとした大らかな演奏に終始しており、そういう演奏をすることを
可能にした3人のリズム・セクションは立派である。ピアノは多くを語らず、立場をわきまえた演奏をしており、テナーにスポットライトがあたる
ようにしている。そういう心遣いに溢れているのがひしひしとよくわかる。セシル・マクビーのベースも期待通りの粒立ちのいい音で音楽を支えて
おり、音楽が活き活きとしている。

収録されたスタンダードがディープな情感溢れるバラード演奏となっていて、これが強烈な印象を残す。テイトにはバラード・プレイヤーの印象は
ないけれど、ベテランの風格漂う貫禄の演奏をしている。

そして、何よりこのアルバムを名盤に押し上げているのが音質の良さだ。このレーベルのことはよく知らないけれど、ビックリさせられるような
高音質で、とても77年制作のアルバムだとは思えない。楽器の音が生々しくクリアで、残響もうまく捉えられていて、とにかく驚かされる。


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