廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ほどほどのジャズ

2024年11月24日 | Jazz LP (Savoy)

Lenny Hambro / Mambo Hambro  ( 米 Savoy Records MG-15031 )


レコードに頼るしかない我々のような日本人にとって、レニー・ハンブロのようなミュージシャンの実像は掴みにくい。リーダー作は私の知る限りでは3枚で、それらからは
彼の音楽的主張のようなものは感じ取れないので尚更である。でもWikipediaにはその生涯がかなり細かく書かれていて、アメリカではそれなりに知られた存在だったのかも
しれない。グレン・ミラー・オーケストラ時代が長かったようだが、マチートらとラテン音楽に手を染めていたこともあったようで、このデビュー作はコンガやティンバレス
をバックにエディー・バートと共にラテン音楽にどっぷりと浸った音楽をやっている。

よく鳴るアルトで朗々とメロディーを吹き流す姿がよく捉えられており、早い時期から演奏が上手かったことがわかる。リズム感がよく、テナーに近い太い音色で堂々と
歌う様は見事だが、ジャズ好きのスコープからは少し外れる音楽なので食感は微妙。一口にラテン音楽と言ってもその種類は多岐に渡るわけで、ここで演奏されているのは
マンボ系の音楽。ジャズと比較するとその官能性のようなものが顕著で、それがラテン音楽の本質なんだろうなあということがわかる。それに比べるとジャズというのは
かなりインテレクチュアルで構造性に寄った音楽なのだということを実感する。





Lenny Hambro / The Nature Of Things  ( 米 Epic Records LN 3361 )


一般的に彼のアルバムとして一番よく知られているのはこのアルバムだろう。ワンホーンの美音滴る演奏でスタンダード中心の選曲が万人受けする、如何にもエピックが
作りそうなアルバム。私自身はバックのウエストコースト形式の伴奏がハンブロの東海岸的哀感とはミスマッチで全体的には惜しい作りだと思っているが、あまり拘りなく
聴けば非常に口当たりのよい上質な内容だ。フィル・ウッズやチャーリー・ラウズらがこのレーベルに残したアルバムと同じコンセプトで作られていて、メジャーレーベルの
きちんとしたマーケティング戦略に乗っかった作風である。

上手い演奏をした人だったが、これ以上に踏み込んだ音楽はやらなかったためレコードもここ止まりだった。コロンビアにも1枚あるが、そちらは駄作で聴く気になれない。
硬派なレーベルでジャズに本腰を入れた演奏を聴いてみたかったと思う。



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小ネタ集(Savoyのセカンドレーベルはダメなのか)

2024年05月06日 | Jazz LP (Savoy)



Curtis Fuller / Imagination  ( 米 Savoy Records MG 12144 )


結論から言うとダメではなく、全然アリである。なぜなら、音がまったく同じだからだ。

上段があずきレーベルでセカンド、下段がマルーンレーベルでオリジナルということになるが、どちらにも手書きでRVGとX20の刻印がある。
盤の違いはオリジナルには浅い溝からあることと貼られているレーベルの種類が違うというだけで、それ以外は特に違いはない。
ジャケットのデザインは大幅に変更されているがどちらもなんだかなあというデザインであるところは一緒で、頼りない感じの作りも同じだ。

音は、当たり前ながら、どちらも同じ音が出てくる。典型的なサヴォイのヴァン・ゲルダーの音で、鮮度のいい音で聴ける。
ヴァン・ゲルダー・サウンドと一口で括られることが多いけれど実はそうではない。ブルーノートのRVG、プレスティッジのRVG、サヴォイのRVG、
インパルスのRVGは皆それぞれ音が違う。ヴァン・ゲルダーはレーベル毎に音質を変えており、且つ同一レーベル内では音質を揃えている。
意図してレーベル・カラーというものを作っていたということで、こういうところにこの人の感性と技術力の卓越性があった。

セカンド・レーベルをきちんと聴いていくと「オリジナルが1番音がいい」という言説は正しくないということがわかってくる。



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ミルト・ジャクソンとワンホーン(2)

2024年04月28日 | Jazz LP (Savoy)
Milt Jackson, Frank Wess / Opus De Jazz  ( 米 Savoy Records MG 12036 )
 
 
ミルト・ジャクソンとワンホーンによる代表作ということになると、やはりこれが筆頭ということになる。フルートをホーンという言葉で扱っていいのか
どうかは微妙な気もするけれど、ジャズの世界では毛嫌いされるフルートでここまで素晴らしい作品となったのはほとんど奇跡のように思える。
 
その成功の原因はとにかくフランク・ウェスがフルートを丁寧に静かに吹いたことに尽きる。そしてなぜフランク・ウェスがそんな風に静かに吹いたかと
いうと、収録された全曲が静かで穏やかなテンポで設定されたからだ。こういう雰囲気の中ではフルートでがなり立てる必要がそもそもなかった。
 
フルートは大きな音を出すようには設計されていないので、元々ジャズには向いていない。なのでジャズの中で大きな音で感情的に吹こうとすると
風切り音になってしまう。それはこの楽器本来の音ではないから、耳障りで不快な騒音としか感じられなくなる。それがわかっているから、ここでは
フルートがその本来の美しい音色を発揮できるよう静かな楽曲が選ばれている。
 
その最たるものが "You Leave Me Breathless" で、この曲を初めて聴いた時の衝撃は凄まじいものがあった。深淵の奥底から立ち昇ってくるその幽玄さは
ジャズというにはあまりに異質で、それでいて目が眩むような美しさを放っている。Opus という単語を使っていることからもわかるように、音楽的な
質の高さに制作側も驚いたのだろうと思う。
 
そして、ここで展開される音楽の総仕上げをするのがヴァン・ゲルダー。クールな残響感で全体を大きく覆い、楽器の音色の美しさを最大限に引き出した
録音と再生は単なる技術論で語るにはあまりに芸術的で、ここでの彼は録音技師としてではなく音楽の創造に携わった芸術家の1人として語るに相応しい。
 
 
 
 
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サヴォイに咲いた徒花

2023年10月01日 | Jazz LP (Savoy)

The Bob Freedman Trio / Piano Moods  ( Savoy Records MG 15040 )


サヴォイはピアノ・トリオのレコードを作るのが下手だった。ジャズ専門レーベルであれば、必ずと言っていいほどレーベルの軸となるような
ピアニストを抱えて、アルバムを量産しながらそのピアニストを育てたものだが、サヴォイの場合はそういう姿勢がなく、場当たり的な対応しか
していない。それはおそらくオジー・カデナの音楽嗜好に依るものだったのだろう。どうやらピアノ・トリオがあまり好きではなかったようだ。

このボブ・フリードマンの場合もそうで、この10インチ盤を1枚作っただけでその後は放り出してしまっている。ジャケット裏面のライナーノートに
カデナ自身がフリードマンの紹介を寄稿しているが、そこまでだった。そのせいでフリードマンのレコードはこれ1枚しか残っておらず、本人は
晩年まで音楽活動していたようだが、結局、世に広く知られることはなかった。

ありふれたスタンダードをゆったりとムーディーに弾き流すだけの内容で、一見、ラウンジ・ピアノのようだが、注意深く聴くとハーモニーの
みずみずしさや打鍵の的確さなどに見るべきところがある。もう少し丁寧にプロデュースしてアルバムをもっとしっかり作っておけばメジャーに
なれたのではないかと思うと残念だ。レコード会社はアルバムをリリースすることでアーティストを一人前にするという役割や機能を担っている
のだから、その責任を自覚して活動しなくてはいけないが、このレーベルはそういう姿勢に欠けていた。これはその徒花のようなレコードの1枚。



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孤独なテナー

2022年10月09日 | Jazz LP (Savoy)

Bill Barron / Modern Windows  ( 米 Savoy MG-12163 )


テッド・カーソンのキャリア初期に相棒として活動を共にしたのがビル・バロン。ハード・バップの終焉時期に出てきたので、彼がやった音楽は
いわゆるニュー・ジャズ、冒頭の出だしはローランド・カークかと思うような感じで始まる。硬く独特なトーンでメロディー感の希薄なフレーズを
ぎこちなく紡ぐ。テッド・カーソンとバリトンのジェイ・キャメロンも同様のプレイで、全体的に捉えどころのない音楽が続くけど、それは決して
不快な感じではなく、この時代に固有の手探りで次のジャズを模索する様子が刻まれている。

ピアノは当然ケニー・バロンで、既に抒情的な演奏スタイルが出来上がっていて、彼のピアノが始まると清涼な空気が流れる。ピアノの音色も
これ以前にはいなかった優しく澄んだ独特なもので、耳を奪われる。その雰囲気はここでやっている音楽にはいささか馴染まないながらも、
その後の彼の活躍を知っている我々の眼から見ると「こんな時期からもう」という驚きを感じずにはいられない。

ビル・バロンのテナーの音は不思議と心に残るところがあって、その硬質で記憶には残りにくい音楽とは相反して彼のテナーの質感だけは
しっかりと自分の中に残る。だから、彼が50年代にハード・バップのアルバムを作っていれば、それはきっといい出来だったに違いない。
ただそうはならず、こういういびつな形の音楽の中で彼のテナーは孤独に鳴るしかなかった。

60年代はジャズをやるには難しい時期で、みんなが暗中模索だったし、脱落していくものも多かった。レコードを作っても売れるわけでもなく、
安いギャラで日々ライヴ活動をして生活していたが、その仕事もどんどん減っていき、ついにはジャズだけでは食えなくなる。それは今の時代も
さほど変わらないのかもしれないけど、ついこの前までは先人たちが普通にやっていてみんなが喜んで聴いていた音楽が、今は誰からも求められ
なくなり、それでもそういう状況の中でジャズ・ミュージシャンとして生きていくのはさぞかしキツかっただろう。そんな時期に作られたこういう
アルバムは人気もなく、今ではエサ箱の中で安い値段で転がることになる。そういう様子を見るとなんだか気の毒になって、そういうものをポツ
ポツと拾っては、当時の彼らの心情を想いながらひっそりとレコードを聴くのである。


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レーベルは変われど演奏は変わらず

2022年04月10日 | Jazz LP (Savoy)

Curtis Fuller  / The Curtis Fuller Jazztet With Benny Golson  ( 米 Savoy MG-12143 )


トランペットがアート・ファーマーからリー・モーガンに変わったジャズテットとしての演奏だが、この辺りはすべてベニー・ゴルソン人脈
だから、聴く前からどういう演奏なのかはわかるし、実際、その通りの演奏が繰り広げられる。

ファーマーのくすんだ音色がモーガンに置き換わって大丈夫なのか?と心配になるが、面白いことにモーガンはテーマ部のアンサンブルには
加わらず、ゴルソンとフラーの2管だけでテーマを受け持つ曲が多く、そのおかげでジャズテットとしての音楽が維持されている。
ゴルソン・ハーモニーを基調にしたスモーキーな雰囲気が全体に濃厚に漂い、よく考えられているのがわかる。

ピアノがウィントン・ケリーというのもミソで、他の作品に比べると鮮度が高く清廉な感じがする。この人にしか出せない明るく澄んだ音色が
よく効いていて、音楽を一段上へと押し上げるのに貢献している。チャーリー・パーシップのドラムのキレの良さも抜群。

マイナー・キーの楽曲が多く、彫りの深い翳りを帯びた雰囲気に仕上がっていて、すべての人に愛される理想的なジャズとなっている。
録音はヴァン・ゲルダーだが、ここでのサウンドはサヴォイのメリハリの効いたRVGではなく、蒼くくすんだブルーノートのRVGだ。
程よい残響感の中で、憂いに満ちた音楽が鳴り響いている。

私がこれを拾ったのは6年前。盤は新品同様、ジャケットもPost Box表記の無い初版で当時は6千円くらいだったが、近年は全く出てこなくなった。
ユニオンのジャズ担当も「高額買取の中に入れても入って来なくなった」とボヤいており、レコード不足は灯りが見える気配がない。



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サヴォイの良心

2022年04月03日 | Jazz LP (Savoy)

Eddie Bert / Encore  ( 米 Savoy MG-12019 )


白人版ベニー・グリーンとでも言うような持ち味がエディー・バートの良さだろうと思う。サックスやトランペットと張り合うべく
バリバリと吹くことなんて特に興味はないよ、という感じで、のんびりと伸びやかなトーンで横糸を張る。

数少ないリーダー作を出していたのは50年代で、基本的にはビッグ・バンドの中での活動がメインだったようだ。
そんな感じだったから認知度は低く、誰からも相手にされない。まあ、しかたないかなとは思う。
きっと、本人もそんなことはどうでもよかったんじゃないだろうか。
でも、私はこの人のアルバムが結構好きで、事あるごとに引っ張り出してきて聴く。

この人の音色は芯があって、バンド・サウンドの中でも埋もれることがなく、しっかりとよく聴こえる。だから、アルバム1枚を
聴き終えると、「エディー・バートのトロンボーンの音」というものがちゃんと頭の中に残るのだ。ぼやけがちな他の奏者とは
そういうところが違う。カーティス・フラーなんてその真逆で、聴いた傍からその演奏の印象が薄れていくから、大違いである。

このアルバムはピアノレスのワンホーン・セッションと、J.R.モンテローズやハンク・ジョーンズらとの2管セッションの2種類が
収録されている。ワンホーンのほうは陽だまりの中で心地よくうたた寝するような穏やかな演奏で、2管セッションの方は
マイルドで上品なハード・バップ、と表情がはっきりと分かれている。

2管の方はモンテローズがいい演奏をしていて、強い印象を残す。ブツブツと途切れる例の吹き方ではなく、しっかりとフレーズを
紡いでよく歌っている。サヴォイのヴァン・ゲルダーらしい残響の効いた音場感の中で少し甲高いトーンがよく響いている。
楽曲も適度な哀感が漂っていて、印象に残る。この時の演奏は "Montage" の方にも分けて収録されているが、1枚にまとめるべきだった。
モンテローズが主役を喰っている感じがするが、それでもこの2人の相性は非常によく、ジャケットの仲良さそうな雰囲気そのまま。

何度も言って来たことだが、サヴォイはいいアルバムを作る。オジー・カデナという人がセンスがあったのだろう。
サヴォイの良心の結晶のようなアルバムである。



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名ユニットのデビュー作

2022年03月20日 | Jazz LP (Savoy)

J.J. Johnson, Kai Winding / Jay & Kai  ( 米 Savoy MG-15038, 15048 )


ディキシーランドでは主役の一角を担っていたトロンボーンもバップのような音楽には不向きとされていた中、ブレイクスルーさせたのが
JJジョンソンだった。そこに目を付けたサヴォイのオジー・カデナが敢えて白人のカイ・ウィンディングを連れてきてコンピを組ませたのが
Jay & Kai というユニットで、これが当たった。いろんなレーベルにレコードを残し、晩年も事あるごとに共演している。

このユニットのデビューアルバムがサヴォイの2枚の10インチで、同時にジュークボック用にEPも切られていて、積極的に売り出そうと
していたのが伺える。ジャケット・デザインもリード・マイルスとバート・ゴールドブラッドを足して2で割ったようなセンスで、当時の
雰囲気がよく伝わってくる、とてもいいジャケットだ。

音が明るく雄弁なフレーズのほうがカイで、少しくぐもったようなマイルドな音色がジェイジェイで、2人の個性はきちんと聴き分けできる。
この2人の作る音楽はいい意味で軽快で、パシフィック時代のマリガンのピアノレス・コンボの質感とよく似ている。深刻にならず、ラジオ
などから流れてくると思わず身体が揺れてメロディーに合わせて口ずさんでしまうようなところがあり、そこが良かったのだろう。
明るく上質なムードに溢れていて、尖った音楽だったバップ系の中ではホッと一息つけるような心地よさがとてもいい。

ただ、終始そういう牧歌的な雰囲気だったかと言えばそうでもなくて、注目すべき演奏も含まれている。このセッションはベースを当時の
サヴォイのハウス・ベーシストだったミンガスが担当しているが、1曲、彼が書いた "Reflections, Scene Ⅱ, Act Ⅲ"が演奏されており、
これが圧巻の仕上がりになっている。

2管による不気味なイントロの導入から無軌道なピアノのフレーズが絡まり、心象風景のような環境音楽のような抽象画タッチの楽曲が
仕上げられていく。当時のジャズとしては異色の楽曲で、さすがはミンガス、と唸せる素晴らしさ。柔らかい不協和のハーモニーは
エリントンの匂いがほんのりと漂い、非常に印象的な楽曲として異彩を放っている。

そういう音楽的にも満足度の高い内容に加えて録音も見事で、言うことなしのアルバムとなっている。不思議なのはVol.1はRVG刻印があり、
音も非常にヴィヴィッドだが、Vol.2には刻印がなく、音質がややぼやけていること。古い10インチなのでセカンド・プレスというわけでは
ないと思うけど、RVGも忙しくて手が回らなかったのか、理由は定かではない。



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幻の歌手、バディー・スチュワート

2022年01月22日 | Jazz LP (Savoy)

Charlie Ventura / East Of Sues  ( 米 Regent MG-6064 )


このレコードはある1点においてのみ、非常に貴重で存在意義のあるレコードである。主役のチャーリー・ヴェンチュラには申し訳ないけど、
そこには彼の出番はない。

それは、バディー・スチュワートの歌が聴けることである。彼は40年代初頭にクロード・ソーンヒル楽団のザ・スノーフレークスのメンバーとして
活躍し、2年の兵役を経てジーン・クルーパー楽団のザ・Gノーターズにも参加、その後49年にこのヴェンチュラのバンドでソロで数曲歌い、
カイ・ウェイテイング、チャーリー・バーネット楽団などを渡り歩いたが、50年にニュー・メキシコで家族共々自動車事故に会い、亡くなっている。

こういう経歴だからソロ・アルバムは残しておらず、その大半が単発のSP録音のみで纏まった形で聴くことはできない。スノーフレークスや
Gノーターズのレコードが残っていないというのは本当に残念なことなんだけど、そのせいもあって、彼の名前は知る人ぞ知るという存在で
幻の歌手となっている。だから、数曲とは言え、彼の独唱が聴けるこのレコードは有難い存在なのだ。

ハンサムな声質でクセのないストレートな歌い方をする人で、ヴォーカル好きならば1度聴くと忘れられない。器楽的なスキャットも披露して
いるが、"Pennies From Heaven" で見せるバラード唱法は心に響く。アルバムを残して欲しかったなと思う。

チャーリー・ヴェンチュラは古いタイプの音楽に終始した人で、このバンドの音楽も取り立ててどうこうと言うところはない。
朗らかで穏やかな音楽で、彼の喋り口調のサックスもいつも通り。その伴奏を背景にバディー・スチュワートの歌はよく際立つ。
ジャケットの表に彼の名前は出てこず、あくまでもエンターテイメントとしてのアクセントの意味での登場という扱いだが、
私には彼の歌があるこそ、というレコードになっている。


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実にシブい良作

2022年01月17日 | Jazz LP (Savoy)

Charlie Byrd / Blues For Night People  ( 米 Savoy MG-12116 )


ジャケットデザインで損をしているが、最高にイカしたアルバムだ。
1,000円で拾ったセカンドを聴いて気に入ったので初版を探していたが、680円で転がっているのを見つけて、新年早々縁起がいい。

裏ジャケットに "Spanish Guitar" と記載されていることからガット・ギターを弾いているようだが、音色の粒立ちが良く、素晴らしい。
バックはベースとドラムスのみのシンプルな構成になっているのがいい。キーター・ベッツにガス・ジョンソンなんて、泣かせる顔ぶれだ。

タイトルの通り、深夜の雰囲気に溢れた落ち着いてシブい内容だ。A面は組曲になっていて、First Show~2:00A.M.~4 O'Clock Funkという
建付けの下、穏やかな演奏が流れて行く。ベッツの重低音がよく響くサウンドになっていて、これが非常に効いている。
安定したリズムに支えられて、バードのギターがよく歌っている。ケニー・バレルのアルバムなんかよりもブルージーで、意外な拾い物だと思う。

後にスタン・ゲッツと組んで "Jazz Samba" をリリースするなど、南米音楽のイメージが強いかもしれないが、ここでは滋味溢れるジャズを
展開している。自作を持ちこんでのアルバム制作であり、本人も気合いが入っていた様子が伺える。コマーシャルな音楽もこなしたが、
案外、こういうのが彼の本音だったのかもしれない。

サヴォイは良いレコードを作る。3大レーベルのような肩に力の入ったアルバムとは少し次元の違う、ジャズが本当に好きなマニアの心を
いい感じでくすぐってくれるアルバムが多い。このタイトルもこのレーベルを代表する1枚の中に加えても全然いい良作だと思う。



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シンデレラ・ストーリーが生んだ無名の新人たちからの挨拶状

2021年08月01日 | Jazz LP (Savoy)

Kenny Clarke / Bohemia After Dark  ( 米 Savoy MG 12017 )


1955年7月14日に初リーダー作を作ることになった1ヵ月前に、キャノンボールはレコーディング・デビューをサヴォイで果たしている。
ケニー・クラーク名義になっているが、このレコーディングが行われたのはキャノンボールが契機になっていて、この時の話はシンデレラ・
ストーリーとして今に語り継がれている。

1955年6月のある夜、オスカー・ペティフォードは自身のバンドを率いてカフェ・ボヘミアで演奏することになっていたが、メンバーの1人、
ジェローム・リチャードソンが行方不明でバンドに欠員が出た。ちょうど観客の中にチャーリー・ラウズがいたので、彼にバンドに参加するように
声を掛けたが、ラウズはテナーを持っていなかった。この時、偶然にも店内にアダレイ兄弟が楽器を携えてライヴを観に来ていて、
ラウズはフロリダで共演経験があって彼らとは顔見知りだったため、キャノンボールにステージに上がってみないか、と声を掛けたのだ。

彼は二つ返事でステージに上がったが、オスカーはどこの誰かも分からない素人が加わったことにムッとし、1曲目の "I'll Remenber April"
を通常よりもずっと速いテンポで始めた。このド素人をステージから引きずり降ろそうとしたわけだ。ところが、パーカーのレコードで
この曲を勉強していたキャノンボールはこれを楽々とやってのけてしまう。

2曲目は自身が夜の帳が降りたカフェ・ボヘミアの光景を想って作曲した "Bohemia After Dark" で、この曲のテーマ部は吹くのが難しい
メロディーラインだったが、ここでもキャノンボールのアルトが火を吹いた。これにはオスカーもすっかり感激してしまい、
キャノンボールにライブの最後まで残るように頼み、彼の演奏で観客が熱狂することになった。

この時のギグの噂はまるで山火事のようにニューヨーク界隈に伝わることとなり、ケニー・クラークがすぐにオジー・カデナに連絡を取って、
レコーディングが用意されることとなった。この年の3月にパーカーが死去し、誰もが第2のパーカーの登場を心待ちにしていたのだ。
ある晩、フィル・ウッズがクラブで演奏したら、ジャッキー・マクリーンが血相を変えてやってきて「凄いやつが現れたぞ」と言って
ウッズをカフェ・ボヘミアへと引っ張って行くと、そこではキャノンボールが演奏していて、2人は固唾を飲んでそれを聴いていたという。

このギグの後、キャノンボールはオスカーのバンドに加わり演奏していたので、レコーディングはこのバンドのメンバーを採用することに
なったが、オスカーがメンバーだったホレス・シルヴァーを外すように要求したので(理由はよくわからない)、オジー・カデナがこれを
拒否して逆にオスカー自身をレコーディングから外すことに決めた。じゃあ、ということで、ケニー・クラークが代わりにカフェ・ボヘミアで
ピアノ・トリオのベースを担当していたまだ無名の20歳の痩せた若者を連れて来た。これが、あのポール・チェンバースだったのだ。

更に、ここに22歳の無名の新人トランペッターだったドナルド・バードを加えることになった。つまり、このアルバムは当時はまったくの
無名で、やがてはジャズ界を背負って立つことになる4名の新人(ジュリアン、ナット、チェンバース、バード)を世間にお披露目するために
先輩たちの粋な計らいで制作されたものだったのだ。こういう話になると日本ではアルフレッド・ライオンのことばかり取り上げられるけど、
実はそうではない。マイルスやロリンズを育てたワインストックにしろ、エヴァンスやウェスを育てたキープニュースにしろ、当時のジャズ・
レーベルのオーナーたちにはそういう熱い志があった。だからこそ、私たちは今、こうして素晴らしいレコードを聴くことができる。
このレコードは、ポール・チェンバースとドナルド・バードのレコーディング・デビュー作にもなった。

オスカーを外したことに後ろめたさが残ったメンバーたちは、予定していた "Sweet Georgia Brown" のメロディーに一部手を加えて、
"With Apologies To Oscar" というタイトルを付けて、B-2へ収録した。なんだか、これも泣かせる話である。

こういう経緯から生まれた内容なので、ここでの演奏はみんな活き活きとした勢いはあるけど、まだまだ個性の発芽は見られず、
平均的なジャム・セッションの域を出ていない。やはり、キャノンボールの演奏が頭一つ跳び抜けているけど、管楽器が多いので、
それぞれの見せ場を設ける設定だから、これはまあ仕方ない。そんな中、アルバム最後に置かれた "We'll Be Together Again" では
ナット・アダレイがワン・ホーンで切々と歌い上げて、アルバムの幕は閉じられる。それはまるでタイトルが示すように
「いずれまたどこかで、みんなで集まって演奏しよう」と言っているかのようで、切なく心に響き、深い余韻を残す。



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本当の姿が写る初リーダー作

2021年07月31日 | Jazz LP (Savoy)

Jullian "Cannonball" Adderley / Presenting Cannonball  ( 米 Savoy MG 12018 )


音楽に限らず、文化・芸術の分野において、デビュー作にはそのアーティストの本当の姿が写っている、と言う。
普通はその人の代表作と言われるものから入って、それが気に入れば他の作品にも手を拡げ、やがてはデビュー作に触れることになる。
そして、確かにそうだな、と感じることが多いのは事実だろう。

私の場合も例外ではなく、最初に聴いたのは "Somethin' Else" で、その後はリヴァーサイドで、というお決まりのコースだったが、
40年近く経ってようやく初リーダー作へとたどり着いた。理由は簡単で、このレコードが珍しいからである。

ハンク・ジョーンズ、ポール・チェンバース、ケニー・クラークというベストな布陣の下、上質で優雅にゆったりとスィングする音楽で、
この人の見た目からはなかなか想像し難い清潔な質感で貫かれている。後に時代の要請もあってファンキーの権化のような扱いを
受ける時期もあったけど、あくまでもキャノンボールの本質はこのアルバムやマイルスとの共演の時に見せた上品さにあると思う。

とにかく彼のアルトが始まると、場の空気が一変するのが凄い。張りのある大きな音であるにもかかわらず、どこか一歩下がったような
おしとやかさがあり、フレーズがゆったりとバウンドするような抑揚を持ちながら優雅に歌われていく。こんなアルトは他の誰にも吹けなかった。

フロリダからニューヨークに兄弟揃って出てきて、仲良く活動する様も可愛らしい。ナットも安定した演奏をしており、アルバムの出来に
貢献している。B-2の "Caribbean Cutie" で聴かせる制御の効いた2人のユニゾンは素晴らしい。

そして、最後は何とも優雅に舞う "Flamingo" で幕が降りる。この構成は、後の "Somethin' Else" に引き継がれる。曲の数、各曲の色付けなど
そっくりなのだ。あのアルバムは実質的にはマイルスのアルバムだ、なんて言われるけど、私はそうは思わない。もちろん、その存在感は
絶大だけれど、あくまでもアルバムの建付けはキャノンボール自身のものであることは、このデビュー作が証明している。
フロリダで音楽教師をしていたという彼のインテリジェンスがこのアルバムを支えている。

この後、兄弟は揃ってマイルスの家を訪れて、どのレーベルと契約するべきかについて教えを乞うている。マイルスはアーティストに
自由にやらせてくれるブルーノートを勧めたけれど、なぜか彼らはエマーシーを選んでしまい、その後しばらくは低迷してしまう。
やくざなプレスティッジを推さなかったのには笑ってしまうけれど、マイルスの予言は当たっていた。先輩の助言には従うものである。



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芸術性を感じるジャズ

2021年03月20日 | Jazz LP (Savoy)

Curtis Fuller / Blues-stte  ( 米 Savoy MG 12141 )


猟盤は変わらず不調で、完全にネタ切れである。しかたがないので手持ちのレコードを細々と聴く日々が続いている。
でも、さすがにどれも耳タコ状態で、もはや新鮮な感想など湧いてくることもないが、ブログを放置するのも何なのでいまさら盤を取り上げる。

間違いなく素晴らしい作品で、非の打ちようがない。メロデイアスで、仄暗いムードで、ハード・バップ芸術の頂点にあるアルバムだろう。
ゴルソン・ハーモニーの究極形が聴けるし、フラナガンのピアノの良さが際立っているし、素晴らしいところは無数にあるが、
そういう個々の要素を超えた全体のあまりに完璧な形が芸術として成立しているのが素晴らしい。芸術性を感じるジャズなのだ。

RVGカッティングの音も完璧だし、未だに何なのかよくわからないジャケット・デザインも見慣れればそれなりに愛着も湧いてくるし、
モノ作りとしての出来も申し分ない。

有名な2曲以外も出来が良くて、私はB面トップの "Minor Vamp" が好きで、いつもB面から聴く。テーマ部がカッコいいのだ。
収録された楽曲がどれも魅力的だし、演奏も高度で圧倒される。

そんな訳で長く聴き続けてきたアルバムだが、唯一の問題は聴き過ぎてしまったことによる新鮮味の無さ。
もう現時点では聴いてもよく知っているその素晴らしさをただ確認するだけの作業になり、アルバムには何の罪もないにもかかわらず、
良さよりもつまらなさが先に立ってしまう。いまさらの名盤の宿命だが、そこがなんともやりきれなく、複雑な気持ちにさせられる。


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初期の習作

2020年04月24日 | Jazz LP (Savoy)

Paul Bley / Footloose !  ( 米 Savoy MG 12182 )


1962年当時のインテリ白人の眼にフリーがどのように映っていたかがよくわかる演奏。冒頭にオーネットの曲を置いてこのアルバムのコンセプトを
説明しているわけだけど、結局、このオーネットの楽曲が一番わかりやすい演奏になっている。残りはカーラ・ブレイと自作を並べているが、
オーネットとブレイ夫妻の楽曲にはその骨格に大きな隔たりがある。ブレイ夫妻の楽曲は抽象的・内向的で、オーネットの楽曲は土着的・祝祭的で、
フリー・ジャズに対する感性がまったく違う。

このあと、ポール・ブレイはしばらく抽象音楽の世界を彷徨うことになるわけだけれど、このアルバムはまだ習作の域を超えていない。
旋律を丁寧に弾いている楽曲もあり、かなりの部分を手探りで進めている。正解のない世界で、ゆらゆらと浮遊している。

それに比べると、スティーヴ・スワローとラ・ロッカは迷いのないしっかりとした演奏をしており、ブレイの頼りなさとは対照的だ。リズム・キープを
するという大義名分の下で、適切な遊びを入れながら演奏を進めている。そのため、トリオの音楽としてはかなりがっしりとしている。

サヴォイはアーティストの自由な意向を尊重していたフシがあるレーベルで、オールド・タイムなものからニュー・ジャズまで、割と何でも寛容に
受け入れている。だから、ブレイのこういう演奏もポツンと残っているわけだ。ただ、これは売れなかったんじゃないだろうか。この後が続かない。
それがどういう内容であれ、聴き手にわかりやすく聴かせるのがあまり上手くはなかった人で、ここでもその傾向は出ている。こちらが理解しよう
とかなりの努力をしないと、なかなかその意図が汲み取りにくい音楽と言えるかもしれない。


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ウィルバー・ハーデンのことを語ろう(3)

2020年02月11日 | Jazz LP (Savoy)

Wilbur Harden / Jazz Way Out  ( 米 Savoy MG-12131 )


1958年6月のセッションがまとめられたコルトレーンとのザヴォイ・セッション最後のアルバム。アルバムが違っても "Tangakyika Strut" と収録日は
同じなので、演奏の質感は何も変わらない。良質この上ないハードバップが聴ける。

おそらくこの一連のセッションはコルトレーンを録りたかったサヴォイがプレスティッジとの契約が邪魔をしてコルトレーン名義に出来なかったために
リーダーレスとして発売したのだろうと思うけれど、その際にコルトレーンがウィルバー・ハーデンをパートナーに指名したというのは興味深い。
コルトレーンはこの時期にプレスティッジに残した録音でもハーデンを指名していて、よほど気に入っていたことがわかる。彼はマイルスと同様、
共演者や取り上げる楽曲に対して慧眼を発揮した。ハーデンが病気で体調を崩さなかったら、コルトレーンが高名になっていくのと歩調を合わせて、
あのコルトレーンが共演に選んだということで注目されていったことだろう。そう思うと何とも残念だ。

この6月のセッションではハーデンの出番はいささか控え目になっている。こういうタイプの演奏では、やはり我が強い奏者が表立って目立つ。
カーティス・フラーの野暮ったいソロを聴くよりはハーデンの美しい音色を聴くほうがずっといいに決まっているけれど、ハーデンは終始控え目だ。
競争の激しいこの世界で、これではやっていくのは難しかったかもしれない。

それでも、サヴォイは最後に彼のためにソロ録音を用意してくれた。9月の終わりに、ハーデンはワン・ホーンで "The King And I" を吹き込む。
これは彼の代表作であると同時に、トランペットによるワン・ホーン・アルバムの最高傑作の1つとなった。見る人はちゃんと見ているということだ。
このアルバムは、廃盤界の並みいるラッパの超高額盤たちが束になっても敵わない、他を寄せ付けぬ孤高の存在として私の中では君臨し続ける。

ワン・ホーンで彼の美音を浴びる快楽に勝るものはないけれど、こういう多管編成の中でも彼の美音は相対化されて際立ち、彼の存在がより鮮明に
浮き上がってくる。一連のサヴォイ録音を聴いていると、本当に得難いミュージシャンだったんだなということが身に染みて感じられるのだ。

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