廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

食わず嫌いは直さなければ

2019年04月30日 | Jazz LP (Mode)

Marty Paich / Marty Paich Trio  ( 米 Mode MOD LP 105 )


最近のヘビロテNo.1はこの安レコ。 マーティー・ペイチをピアニストという目線でまともに聴いたのは最近のことで、これが驚いてしまった。
食わず嫌いは直さなければいけないと自戒しているつもりだけど、どうやら聴き逃しているものはまだたくさんありそうだ。

MODEレーベルのレコードは大量に流通していてエサ箱の常連だから、値段は高くない。 それでも触手が伸びないのは私がウェスト・コースト・ジャズが
嫌いだからに他ならない。 聴かないレコードは買ってもしかたがない。 それに加えて、彼の書いたホーン・アンサンブルのアレンジが嫌いだから
というのもある。 この人が書くスコアは教科書的凡庸さでまったく面白くない。 息子の方が遥かに才能があると思う。 そういう先入観が邪魔して
これまで手に取ることなくきたが、値段の安さに負けて試聴してみると、イメージとは違うピアノが鳴りだして驚くことになった。

意外に重たい音で、口数も少ないところが気に入った。 このレーベルのサウンドはカラカラに乾いた軽いものが多い印象があるけれど、このピアノは
音が濡れている。 雨上がりの後、アスファルトに溜まった水溜まりに映る街の風景を見ているような気分になる。 レッド・ミッチェルのベースも
メル・ルイスのドラムも重い。 しっとりとしたサウンドで、演奏も非常に落ち着いている。 こんなに素晴らしい演奏だとは思わなかった。

よく知られているように、このレーベルのレコードは程度の差はあるにしても基本的にカゼをひいている。 だから現物を試聴しなければ買えない。
このレコードも疵はないのに所々で薄くチリチリいう。 こだわるならカゼをひいていないものを気長に探せばいいのだろうけど、私はこれ以上は
深追いしないでおこうと思う。 このレコードに関してはそういう話に終始するよりは、内容の素晴らしさを語るべきだと思うからだ。


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リヴァーサイド傍系レーベルの謎

2019年04月29日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / A Harry Warren Showcase  ( 米 Judson L 3004 )


リヴァーサイドはいくつか傍系レーベルを持っていて、本流のアーティストがスピンアウト的にアルバムを残していたりする。 この傍系レーベルの基準や
運営方針みたいなものはイマイチよくわからないけれど、どうやら本流は正統派のハードバップで、そこから少し外れるようなポップス的なものや
ニュージャズ的な感覚のものは傍系で、という感じで使い分けていたらしい。 ただ、その振り分けもかなり曖昧な感じで厳格なものではなかったようだ。

この Judson というレーベルはいくつかある傍系の中では最もジャズから遠い音楽を収録していたもので、聞いたことのないアーティストのレコードが
少しばかりリリースされているけど、その中でなぜかケニー・ドリューのアルバムが2枚残っている。 ハリー・ウォーレンやハロルド・アーレンの作った
スタンダードをウィルバー・ウェアとのデュオでカクテル・ピアノ・スタイルでさらっと弾き流していて、明らかにBGM目的で作られた内容だ。

50年代の主要レーベルでこういうジャズというスタイルを通してBGM風の音楽をレコードとして出していたのは実は珍しくて、時代を先取りしたような
感じがある。 当時の各レーベルはガチンコなジャズのレコードを作るのが当たり前で、こういうビジネスライクなレコードをリリースするというのは
近年のジャズ・ビジネスの匂いがして、リヴァーサイドの共同経営者だったビル・グラウアーの意向だったのかもしれない。 プレスティッジにも Moodsville
シリーズがあるけど、あれはラウンジ・ミュージックというのではなくもっとどっぷりとしたジャズになっていて、雰囲気は全然違う。 プレスティッジの
XXXXvilleシリーズは当時のアメリカのリスナーの特定のジャンルに特化したレコードが聴きたいというニーズを反映して作られたものという感じだが、
リヴァーサイドの場合はレーベル側から人々に生活スタイルを逆提案するようなところがあって、まるで現代のオシャレ系雑誌のそれを彷彿とさせる。 
いずれにせよ、こういう傍系レーベルの運営には当時のアメリカ社会の人々の生活感が垣間見えるようなところがあって、なかなか興味深い。

そういうレーベルの意向を汲んでのことか、元々そういう資質があったのか、ケニー・ドリューは軽い音楽に徹した演奏に終始している。 これを聴いて
思い出すのは、80年代に日本のBaystateレーベルが作った "By Request" シリーズだ。 コアなジャズファンからは軽蔑されるああいう一連の仕事も
実はリスナーの間には常に一定のニーズがあり、初心者にジャズを紹介するという役割も果たしており、レコード会社のマーケティングは決して間違っては
いないだろうと思う。 実際のところ、ちゃんと聴いてみるとしっかりとした正統派のジャズになっていて、私は案外嫌いじゃない。


そんなわけで、このレコードの音楽には特にそれ以上話すべきところはない。 前置きが長くなり過ぎたけれど、本題はこのレコードの初版はどれ?
ということである。 写真のレーベルはいわゆるリヴァーサイドの "小レーベル" だけど、このレコードには "大レーベル" も存在するのだ。
で、どちらがオリジナルなの? というマニアな疑問が出てくる。

見かける頻度は大レーベルのほうが圧倒的に多く、もう処分して手許にはないから記憶は不確かだけど、大レーベルのランアウト部分にはパテント番号が
あったように思う。 家にある写真の小レーベルにはパテント番号がなく、手書きで RLP 12 813 と書かれたものが上から横線で消されて、L-3004 が
手書きで追記されている。 つまり、このレコードは当初は本流レーベルのRLP規格で出される予定だったが途中でJudsonからのリリースに変わった、
ということで、こういうのは割とよくある話である。

安いレコードなので一時期大小両方を持っていて、聴き比べたら小レーベルのほうがピアノが生音に近い感じだったので大レーベルのほうは処分した。
もちろん聴き比べてみて初めて気が付く程度の差でしかないレベルだったけれど、果たしてどちらが初出なのだろう。 そもそも、リヴァーサイド本体の
青大レーベルと青小レーベルの件だって、あのタイトルは青大がオリジナル、このタイトルは青小がオリジナル、という今の定説の根拠が私にはイマイチ
よくわからない。 昔からそう言われているから「ふーん、そうなのか」という程度の理解でしかないのだ。 また、ユニオンの廃盤セールリストにはよく
「PAT番号あり」という記載があるけど、パテント番号はオリジナルの根拠にはならないだろう。 あれも何の意図で記載しているのかよくわからない。

プレスティッジも難しいけれど、リヴァーサイドもいろいろと難しい。

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最も美しい "ポーギーとベス" の1つ

2019年04月28日 | Jazz LP (Verve)

Ella Fitzgerald And Louis Armstrong / Porgy & Bess  ( 米 Verve MG V-4011-2 )


たくさんのレコーディングが残っているこの "Porgy & Bess" の中でも、マイルスのコロンビア盤とこのエラのアルバムは双璧だろうと思う。
どちらも全曲版ではないけれど主要な曲は網羅されていて、これを聴けばこのフォーク・オペラの素晴らしさは享受できるようになっている。
特にマイルスの方は当時のアメリカでは彼のアルバムの中では最も売れたアルバムになっていて、そのことからもこれらの楽曲が如何に
アメリカでは愛されていたかが伺える。

人種差別と格差に苦しむ社会の様相を描いたシリアスな内容だが、残された音楽の美しさは不変で、それはこの先も変わることはないだろう。
どの曲にも通底する格調高い高貴さは他を寄せ付けない。ハリウッドの映画や舞台が全盛だった頃にもたくさんの音楽が量産されて
スタンダードになったけれど、ガーシュインのこれらの楽曲はさすがに格が違う。それがこのアルバムを聴くととてもよくわかる。

全盛期のエラの歌唱は圧倒的で、正にディーヴァという言葉に相応しい。 "Summertime" で彼女が歌い始めると、聴いている側は全身に鳥肌が立つ。
相手役のサッチモもエラの存在感の巨大さの前では小さく見えてしまう。豪華な装丁のジャケットのライナーノーツで、ノーマン・グランツは
この "Porgy & Bess" の歌詞と音楽を正しく理解して歌えるのはエラしかいないという確信をもって彼女を選んだと説明していて、その見立てが
正しかったことを流れてくる音楽が見事に証明している。

ラッセル・ガルシアのスコアとオーケストラの演奏も素晴らしく、仮に2人の歌が無くても何も問題なく鑑賞できるレベル。そこに無敵のヴォーカルが
入っているのだから、これ以上の作品は今後出ることはもうないのではないか。かと言って小難しく近寄り難い内容では決してなく、分かりやすくて
みずみずしく、非常に美しい音楽になっているのが良い。 レコードは2枚組だけど曲数はさほど多くはなく、分量としてもちょうどいいくらいだ。

こうやって古いレコードばかり聴いているのは退化した嗜好だと言われるかもしれないけど、それはまったく違う。ガーシュインの傑作を最も美しく
歌ったアルバムがたまたまこれだったから、これを好んで聴いているに過ぎない。 そして最も良い音で再生されるメディアがこのレコードだから、
これで聴いているというだけのことだ。このヴァーヴ盤の音の良さは格別なものがある。


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ダイナ・ショアは素晴らしい

2019年04月27日 | Jazz LP (Vocal)

Dinah Shore / Dinah Sings, Previn Plays  ( 米 Capitol T-1422 )


私が唯一聴かないジャンルが、白人の美人女性ヴォーカル。 私はゲイではないし、クラシックの女性声楽は好んで聴くし、TVの歌番組も女性アイドルが
歌う箇所しか観ないから、白人美人女性自体が嫌いということではなく、単純に音楽としての魅力を感じないからなんだろうと思う。 なぜ魅力を感じない
のかは自分でもよくわからない。

但し、単発でこれはいいと思うアルバムはもちろんあって、このダイナ・ショアのアルバムはその1枚。 彼女のいいところは、色香の押し売りをしない
清楚さ。 一歩引いたところに立って、素直な発声で普通に歌う。 その自然さが音楽を際立たせるから、こちらもいつの間にか聴き入ってしまう。
「私を見て!」という感じで迫ってこないから、こちらがもっとよく見ようと近づいていく感じになるのかもしれない。

副題にもあるように、真夜中に静かにそっと歌われるような雰囲気のアルバムで、とても素晴らしい。 何より、アンドレ・プレヴィンとそのトリオの
抑制が効いた演奏が圧巻。 必要最小限の音数と音量でダイナ・ショアに寄り添う。 どちらも雰囲気だけでやり過ごすのではなく、圧倒的な力で音楽を
知的にコントロールしているからこそ、の仕上がりが心を打つ。 そういう意味では、単なるヴォーカル作品というよりは、緻密に演奏されたインスト
アルバムの質感に通じるところがある。 そういうところに惹かれるのかもしれない。


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短信~クラリネットが映える演奏

2019年04月24日 | Jazz LP (Bethlehem)



クラリネット、アコーディオン、ギター、ベースという構成で、こういうのはまず相手にされない。

でも、実はこれが傑作。 とにかく、クラリネットの上手さにうっとりする。

まるでクラシックのクラリネットを聴いているかのよう。 

そのせいか、基礎のしっかりとしたジャズという感じで、これが何とも素晴らしい。

音質も良好で、いいレコードだと思う。


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静かなインタープレイ

2019年04月21日 | Jazz LP (Verve)

The Jimmy Giuffre 3 / Fusion  ( 米 Verve V-8397 )


とにかく不器用な人だったなあ、と思う。 私がこの人を知ったのは学生時代に観た「真夏の夜のジャズ」だったけれど、あの "The Train And The River"を
聴きながら、「ジャズをこんな風にカントリーっぽく演奏してもいいんだ」とユルい衝撃を受けた。 つまり、難解なものに仕立てて格上げするのではなく、
わかりやすい方へ寄せて異化するという逆転の発想にちょっと驚いた。 上品なスーツを着て、スタン・ゲッツを少し男前にしたような顔で懸命にサックスを
吹く彼の姿はとても印象的だった。 それからアトランティック盤を探してよく聴いたけど、クールでもなく室内楽的でもない、また違うタイプのジャズの
世界があることを知った。

だから、後にこういう現代音楽風なことをやっていたことを知っても特に違和感はなかった。 この人ならそうなっても全然おかしくないと納得できた。
いわゆるフリージャズとは違う質感で、もっとナチュラルな感覚で演奏されていると思う。 ジャケットの裏面の本人の解説で、今まで以上に演奏家の
間にインタープレイが必要であることを痛感したから、と制作の動機を説明しているけれど、ポール・ブレイ、スティーヴ・スワローとのなめらかな纏まりは
上手くいっている。 そして、この纏まり感はブルックマイヤー、ジム・ホールとのトリオが持っていたものと基本的には同質で、更にそれを推し進めた
ものだということもわかる。

ジュフリーのクラリネットは終始穏やかな表情で断片的なテーマ部を噛み砕きながら自由に漂う。 ポール・ブレイも適切な音数で寄り添い、スワローの
ベースが重く硬質な音で全体をがっしりと支えている。 全体的に非常に穏やかで典雅で柔和な表情の静かな音楽で、これはとてもいい。 ヴァーヴには
この半年後に同じメンバーで録音された "Thesis" というアルバムもあるけれど、そちらは私にはあまりピンとこなかった。

ジュフリーはゲッツやズートらと一緒にウディ・ハーマン楽団を支えた白人テナーの先頭集団にいた人だけど、王道のストレートなジャズ・アルバムを
ほとんど作らず、そのカタログには一癖も二癖もある作品が並ぶ。 そのせいでまともに聴かれることもなく、評価もされていないのは残念だと思う。

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2019年4月13日 Record Store Day その2

2019年04月20日 | Jazz LP (Verve)

Charlie Parker / Charlie Parker with Strings :The Altanate Takes  ( Verve B002967101 )


私の今回のRSDの本命はこれだった。 CDでは既に未発表曲17曲が出ていたそうだが、今回はそのうちの13曲がレコード・デビューしたとのことで、
CDでは聴く気にはなれない音源だからこれはマストバイだった。 安っぽい作りのジャケット、薄手の盤、の割に3,780円というのは割高感があるけど、
まあ、しかたがない。 ハードコレクターが70年代以降のオリジナル盤に興味を示さないのはこういう作りのチープさが原因の1つになっている訳で、
現代のレコード産業もブームを盛り上げたいならこういうところの手抜きはしちゃいかんと思う。 ノヴェルティーとしてのカラーワックスなんか
どうでもいいし、大体この趣味の悪い色は何なんだろう。

それでもこれを買ったのは、もちろんパーカーだからである。 大衆に迎合したヒモ付きだとバカにされようが、パーカーのウィズ・ストリングスは彼の
作品の中でも屈指の出来。 パーカーの魅力が全く伝わってこないダイヤル・セッションなんか別に聴かなくてもいいけど、ウィズ・ストリングスなら
全てを余すところなく聴きたい。

肝心の音質についてはエヴァンスのレコードのような歯切れの悪い言い方をする必要はなく、単純に良好な仕上がりだ。 古い録音なのでハイファイとは
言えないのはどうしようもないけれど、それでもその古さが深い郷愁を誘う効果があって心地よい。 聴いていて、不自然さが全くない見事な音だ。
そのおかげで、音楽に集中できる。

正規盤に収められた楽曲の別テイクは、やはりアドリブのイマジネーション不足だったり、フレーズの単調さが目に付く。 でも、それでもパーカーの
演奏だ、ただ事ではない内容になっている。 リッチなトーン、聴いたことがない旋律、深いリズム感。 レコードの中でパーカーが生きている。

SP時代の巨匠たちの録音はLPに切り直された際に別テイクも並べて収録されることがあって評判が悪いけれど、パーカーなら全然OK。 この人なら
どんなフレーズでもすべて聴きたい。 当時のレコード製作者たちもみんなそう思っていたんだと思う。 彼らもいちファンだったのだ。
その想いがたくさんの録音音源を生み、こうして日の目を見るのは素晴らしいことだと思う。 既にこの世にはいない敬愛する巨匠たちが新作を
リリースすることはできない以上、こういう形でしか新しい演奏を聴くことはできない。 音楽を愛するのであれば、音楽を聴こう。


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2019年4月13日 Record Store Day その1

2019年04月14日 | Jazz LP (復刻盤)

Bill Evans / Evans In England  ( Resonance Records HLP 9037 )


昨日は出かける用事があったので、ついでに新宿に寄って Racord Store Day してきた。 当日にレコード屋に行くのは今年が初めてである。
事前に当たりを付けておいた2枚を拾って帰って来た。 しかし、趣旨はわかるけれど、直接店に行かなきゃ買えないというのはいささか難儀である。
平日なら仕事帰りに寄れば済むけど、休日だとわざわざ出かけなければいけない。 しかも街は尋常ならざる人混みである。 休みの日にわざわざ
新宿や渋谷なんかに出かけたくない。 

1枚目は今年のハイライト、ビル・エヴァンス。 最近の傾向を考えるときっとたくさん売れるんだろう、他のタイトルとはケタ違いの在庫量だった。
2枚組で7,452円というのは高過ぎる。 新品2枚組は4,000円と昔から相場は決まっている。 買うかどうかギリギリまで踏ん切りがつかなかったけど、
現物を見るとやはり抗えない。 


レゾナンスのエヴァンスのレコードには重要な未発表の演奏を世に送り出すという使命があるから仕方のないことだが、良い演奏も良くない演奏も全てが
収録されている。 だからアルバムを通して聴くと全体の印象の平均点はどうしても下がってしまう。 レゾナンスはそこを理解して評価する必要がある。
リヴァーサイドのヴァンガード・ライヴだって、たくさんある演奏の中の最もいい部分だけをセレクトして編まれたから世紀の名盤になったのであって、
あの公演すべてをごった煮にしてリリースしていたら、今のような名声はなかっただろう。 アルバムというのは、そういうものだ。

だからこれはわざわざレコードで買うよりはCDで買った方がいいのかもしれないと思う。 そうすれば自分だけの "Evans In England" を作って
楽しむことができる。 

1969年12月の録音で時代相応の音質だが、現代のマスタリング技術のおかげで音の質感はかなり健闘しているとは思う。 69年当時にリリースされて
いたら、もっとプアな音質だっただろう。 聴いていて気付くことは、まずピアノの音があまりきれいとは言えないこと。 アコースティック・ピアノ
らしくなく、ちょっとエレピっぽい感じがする瞬間が多々ある。 何が原因なのかはよくわからないけど観客の拍手の音もそうなので、PAの問題なのか、
録音機材の問題なのか、クラブの音響の問題なのか。 それと聴いている位置とステージの距離が少し離れているような印象がある。 端的に言うと、
さほど高音質という印象ではない。 "Waltz For Debby" のイントロや "Turn Out The Sttars" ではテープの傷みで音がグニャリと歪む箇所がある。

演奏は全体的に粗っぽいなという印象だ。 最初はイイ感じで進んでいても、後半からタガが外れて弾き散らすようになり、最後は乱舞の様で終わる
という曲がいくつかある。 ライヴだからこういうのは普通のことだと思うけれど、レコードに収録する必要はないなという曲があるのは確か。
みんなが期待する "My Foolish Herat" ~ "Waltz For Debby" は、正直言ってあまりよくない。

それとは対照的に、素晴らしい演奏も当然ある。 "Sugar Plum"、"The Two Lonely People"、”Elsa"、"What Are You Doing For The Rest Of Your Life"、
"Turn Out The Stars"、"Re:Person I Knew"、"So What"、"Midnight Mood" など、主にDisk2に素晴らしい演奏が集中している。 これらの曲で
エヴァンスは思索的なピアノを弾いている。 "So What" も独特な雰囲気が上手く出ている。 いいトラックは文句なく素晴らしい。

期待値が非常に高い状態で聴き始めるので最初はいろんなアラが目に付きがちだが、冷静に考えると今まで聴いたことのないエヴァンスの演奏がLPで
2枚分も聴ける凄さにはただ感謝しかない。 並みのアーティストではなく、あのビル・エヴァンスの演奏なのだ。 多少の瑕疵など、どうでもいい。

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ミッシング・リンクを埋めるアルバム

2019年04月13日 | Jazz LP (United Artists)

Bob Brookmeyer & Bill Evans / The Ivory Hunters  ( 米 United Artists UAL-3044 )


ボブ・ブルックマイヤーがピアノを弾いているのが珍しいけれど、特に違和感はない。 作曲や編曲ができる人だから、当然ピアノをやっていたんだろう
というのは容易に想像がつく。 ピアノは競争率が高い世界だから、プロとして喰っていくには別の道を行かなければということでバルブ・トロンボーン
なんてニッチな楽器を選んだのかもしれない。 そのおかげか、早くから名前が売れて活躍できたんだからよかったと思う。

ただ、やっぱりビル・エヴァンスと並んで弾くと、その力量の落差はあまりに大きい。 これは1959年3月の録音で、エヴァンスは "Digs" と "Portrait" の
間にあたる時期ということで、ちょうどエヴァンスのピアノスタイルは完成しようとしていた。 エヴァンスのアルバムだけを聴いていると、"Digs" と
"Portrait" の作品としての格の違いには唐突感があるけれど、そのミッシング・リンクを埋めるのがちょうどこのアルバムになるのかもしれない。

エヴァンスはもうどこから聴いても我々にはなじみ深いエヴァンスのピアノを弾いていて、コードにおける独特のハーモニー感覚もレガートなフレーズも
タメの効いたタイム感も、ピーク期に向かって駆け上がろうとしているのが手に取るようにわかる。 

ブルックマイヤーはかなりエヴァンスの弾き方に影響されていて、一聴するとどちらが弾いているのかわからないかもしれない。 でも、フレーズの処理が
至る所でやはり平凡で、簡単にネタばれする。 ただ、雰囲気はよく似ているから連弾していても全然うるさくなく、とても聴き易い仕上がりになっている
のは結果的に良かったのではないかと思う。 これで変な自己主張をしていたらバランスが崩れて聴けたもんじゃないと思うけど、その辺りの匙加減は
さすがに良くわかっていたようだ。

ピアノの感性の新しさが際立つ様子と比べて、コニー・ケイとパーシー・ヒースの上質だが保守的な演奏はやはり徐々に方向感のズレが感じられるように
なってきている。 エヴァンスが新しいパートナーたちを探したのは当然の成り行きだったのがよくわかる。 それでも、このアルバムはエヴァンスの
ことをよく知っている人が聴けば、そこかしこに深い趣きを聴き取ることができるだろう。 

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アーゴの確かな目線、スペシャルな傑作

2019年04月07日 | Jazz LP (Argo)

Zoot Sims / ZOOT  ( 米 Argo LP 608 )


若い頃から既に老成した雰囲気を持っている人って結構いる。 大体の場合、10代の頃から "おっさん" という有難くないあだ名を付けられたりする。
でも、年を取って久し振りに会うと昔と全然変わってないなあということになり、逆に若い頃はシュッとした男前だったのに今じゃ老けて見る影もなく
劣化したのもいたりして、果たしてどちらがいいんだろうという話になったりする。 

ズート・シムズもおそらくは前者のタイプだったんじゃないかと想像する。 初期プレスティッジの頃から大人びたプレイで頭一つとび出ていて、以降
晩年までスタイルも音楽も高値安定を維持し続けたような印象だろう。 パブロ時代にようやく実年齢が演奏に追い付いたかな、という感じだ。

ただ、このアーゴ盤をじっくりと聴いていると、そういう俯瞰した時の粗い印象の中でもやはり若々しい勢いとみずみずしい感覚で吹いているなあと
いうことに気が付くようになった。 演奏があまりに上手過ぎてサックスが音楽の中に見事に溶け込んでいるから普段はあまり考えないけれど、
高音域帯を中心にフレーズを構成して弾むようなノリで明るい表情を作っているのはこの時期ならではだと思う。 

スタン・ゲッツのバンドでは雑な所が目立って興を削いでいたジョン・ウィリアムスもここではとても丁寧な演奏をしていて、音楽が上手くまとまるのに
貢献している。 4人が余裕で処理できる範囲内のスピード感に抑えているところがこのアルバムにゆとりの感覚をもたらしているようなところがあり、
それが作品を成功に導いている。 ズートには2管編成のアルバムが多いけれど、この人の語り口を味わうにはこういうワンホーン以外は考えられない。

アーゴに唯一残したアルバムで彼の魅力が最大限に伝わるような内容になっているのはおそらくは偶然ではない。 アルバム制作陣は何をするべきかが
わかっていたのだろう。 選曲も他レーベルのものとは一味違っていて、他のアルバムでは代替が効かないスペシャルな1枚となっている。

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アーゴ・レーベルの確かな視線、普通の素晴らしさ

2019年04月06日 | Jazz LP (Argo)

Kenny Burrell / A Night At The Vanguard  ( 米 Argo LP 655 )


昔のジャズ・ギターはフルアコを使い、エフェクターも通さずトレブルも絞って弾いたりアンプを使わずマイクで拾っていたので、ピアノや管楽器が入ると
ギターの音が埋没してしまう。 だから、こういうピアノレストリオの演奏で聴くのが理想的だ。 この時代に1曲を通して途切れることなく延々と
フレーズを紡ぎ、なめらかに流れるように音楽を創ったギタリストは他にはあまりいなかったように思う。 タル・ファーローも長距離走者的にギターを
弾き続ける人だが、余程弦高を高くして強いテンションにしていたのか音がブツブツと硬く途切れがちで、バレルとはタイプが全く違う。

ミュージシャンにとって、ライヴハウスで特に構えることもなく普段通りに演奏するのは当たり前の日常だったろう。 その何気ない日常を上手く切り取った
このアルバムはケニー・バレルの最良の姿を捉えている。 事前に入念に準備し、スタジオに入って打ち合わせやリハーサルをして録音するのもいいだろう。
でも、素の姿をありのまま楽しめるこういうアルバムはバレルのバップ期のアルバムの中では他にはあまり見られず、私にはこの時代のベストショットに
思えるのだ。

冒頭の "All Night Long" の何とカッコいいことか。 リチャード・デイヴィス、ロイ・ヘインズがバックというのも泣かせる。 濃厚な夜の雰囲気、
クラブの淡い熱気とくつろぎに満ちた様子、何もかもが理想的な塩梅で録られている。 アーゴ・レーベルの確かな目線があったからこそ生まれた
作品だと言っていい。 普通であることが、こんなにも素晴らしい。

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