湯島聖堂から通称「湯島天神」こと「湯島天満宮」に向かう。学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れる場所だ。
境内の手水舎で、手や口を漱ぎ清める。
せっかく立ち寄ったので、本殿に参拝する。
湯島天神社の男坂を下ったところに江戸三十三観音札所第七番の心城院という寺がある。ここには、見所が三つもありゆっくり立ち寄ってしまった。
その1 江戸名水 美髪・厄除「柳の井」
この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。 気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり。と記され、この名水により大正大震災の時、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守ったため、 当時の東京市長から感謝状を受けたとも記されている。江戸の名水という事で、少し飲んでから、髪の毛を塗らしてみる。今後髪にご利益があるといいのだが。
その2 「水琴窟」
柄杓で汲んだ水を玉砂利に流し、竹筒に耳を当てると澄んだ綺麗な音が聞こえる。都会の中でこんな澄んだ音が聞けるなんて素晴らしい。この音は是非聴いてみる価値がある。音を記録しようと動画で録って見た。かろうじて聞こえるのだが、回りの声で聴きづらい。果たしてみなさんは聴き取れるだろうか?
その3 「弁財天 放生池」
作家の久保田万太郎がこの池の亀を眺めて「きさらぎや 亀の子寺の 畳替」と一句詠んだ。と記されている。元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、いまも「亀の子寺」として親しまれているという。亀が気持ち良さそうに橋を渡っており、「柳の井」「水琴窟」とともに都会の谷間のような場所の涼しげな空間であった。
心城院から少し行くと、すぐに上野不忍池に出る。蓮の花で埋め尽くされた池が見事だ。池の向こうに高層ビルが立ち並んでいる風景は、何か異質な感じはするが、それでもオアシスにいるような気分になる。
不忍池には、「駅伝の碑」があった。1917年(大正6年)4月27日から3日間にわたり「東海道駅伝徒歩競争」が開催された。京都の三条大橋から上野不忍池までの508kmを23区間に分けて走ったことを記念して建てられた石碑である。これを契機として、3年後の大正9年に 箱根駅伝が誕生したそうだ。
そして、その先が上野公園の西郷どんの銅像である。ここもチェックポイントなのでみんなで記念写真を撮る。
直下には、UENO3153(さいごうさん)と記された建物があった。
浅草に入っていくと、いよいよスカイツリーの全体像が見えてきた。
御馴染み浅草雷門が、最後のチェックポイントである。
隅田川の袂からは、アサヒビール本社の琥珀色のビルと巨大な金色のオブジェがスカイツリーと共に見える。特に金色のオブジェは「う○こ」と多くの人が思い込んでいるようだが、本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」とされているとのことだ。くれぐれも誤解なきようにしておかねばならない。
オブジェを見たあと隅田川沿いをしばらく走り、桜橋を渡って反対側の堤防を走る。言問橋から牛嶋神社を通る。牛嶋神社の境内では、新婚さんが写真撮影中だった。うーん!なかなかいい感じである。
そして、いよいよゴールのスカイツリーである。既に雨は上がり快晴となっていた。午後14時50分にスカイツリー下の「おしなり橋」に到着する。記念のゴール写真を一緒に走った仲間たちと一緒に撮る。
これは、いろんな場所から撮ったスカイツリーの写真。
ゴール後は、墨田区総合体育館の風呂に入る。風呂の後に食べたアイスは、その名もズバリ「東京スカイツリーアイス」だ。冷たくて美味しかった。
風呂の後は、ほとんどのメンバーが懇親会に参加して約3時間の食べ放題、飲み放題の宴会となった。とにかく、朝から晩まで東京観光と賑やかな懇親会で楽しい一日だった。
境内の手水舎で、手や口を漱ぎ清める。
せっかく立ち寄ったので、本殿に参拝する。
湯島天神社の男坂を下ったところに江戸三十三観音札所第七番の心城院という寺がある。ここには、見所が三つもありゆっくり立ち寄ってしまった。
その1 江戸名水 美髪・厄除「柳の井」
この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ、垢落ちる。 気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり。と記され、この名水により大正大震災の時、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守ったため、 当時の東京市長から感謝状を受けたとも記されている。江戸の名水という事で、少し飲んでから、髪の毛を塗らしてみる。今後髪にご利益があるといいのだが。
その2 「水琴窟」
柄杓で汲んだ水を玉砂利に流し、竹筒に耳を当てると澄んだ綺麗な音が聞こえる。都会の中でこんな澄んだ音が聞けるなんて素晴らしい。この音は是非聴いてみる価値がある。音を記録しようと動画で録って見た。かろうじて聞こえるのだが、回りの声で聴きづらい。果たしてみなさんは聴き取れるだろうか?
その3 「弁財天 放生池」
作家の久保田万太郎がこの池の亀を眺めて「きさらぎや 亀の子寺の 畳替」と一句詠んだ。と記されている。元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、いまも「亀の子寺」として親しまれているという。亀が気持ち良さそうに橋を渡っており、「柳の井」「水琴窟」とともに都会の谷間のような場所の涼しげな空間であった。
心城院から少し行くと、すぐに上野不忍池に出る。蓮の花で埋め尽くされた池が見事だ。池の向こうに高層ビルが立ち並んでいる風景は、何か異質な感じはするが、それでもオアシスにいるような気分になる。
不忍池には、「駅伝の碑」があった。1917年(大正6年)4月27日から3日間にわたり「東海道駅伝徒歩競争」が開催された。京都の三条大橋から上野不忍池までの508kmを23区間に分けて走ったことを記念して建てられた石碑である。これを契機として、3年後の大正9年に 箱根駅伝が誕生したそうだ。
そして、その先が上野公園の西郷どんの銅像である。ここもチェックポイントなのでみんなで記念写真を撮る。
直下には、UENO3153(さいごうさん)と記された建物があった。
浅草に入っていくと、いよいよスカイツリーの全体像が見えてきた。
御馴染み浅草雷門が、最後のチェックポイントである。
隅田川の袂からは、アサヒビール本社の琥珀色のビルと巨大な金色のオブジェがスカイツリーと共に見える。特に金色のオブジェは「う○こ」と多くの人が思い込んでいるようだが、本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」とされているとのことだ。くれぐれも誤解なきようにしておかねばならない。
オブジェを見たあと隅田川沿いをしばらく走り、桜橋を渡って反対側の堤防を走る。言問橋から牛嶋神社を通る。牛嶋神社の境内では、新婚さんが写真撮影中だった。うーん!なかなかいい感じである。
そして、いよいよゴールのスカイツリーである。既に雨は上がり快晴となっていた。午後14時50分にスカイツリー下の「おしなり橋」に到着する。記念のゴール写真を一緒に走った仲間たちと一緒に撮る。
これは、いろんな場所から撮ったスカイツリーの写真。
ゴール後は、墨田区総合体育館の風呂に入る。風呂の後に食べたアイスは、その名もズバリ「東京スカイツリーアイス」だ。冷たくて美味しかった。
風呂の後は、ほとんどのメンバーが懇親会に参加して約3時間の食べ放題、飲み放題の宴会となった。とにかく、朝から晩まで東京観光と賑やかな懇親会で楽しい一日だった。