愛媛での最終日は、飛行機の出発まで半日ちょっとあり、松山市内を観光することにしていた。松山の観光名所といえば、松山城、道後温泉、石手寺などだが、どれも行ったことがあり、今回は、まだ行ったことがなくてそれほど時間がかからない場所に行くことにした。
ホテルでの朝食を済ませ、歩いて出かける。前日のマラソン会場の松山城公園内を抜け、県庁を過ぎると、「坂の上の雲ミュージアム」の入口が見えてきた。開館時間の午前9時前だったので、入口で少し待つ。
「坂の上の雲ミュージアム」は、司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアムだ。この小説で描かれたのは、松山出身の秋山好古、秋山真之、正岡子規の3人の主人公だ。日本騎兵を育て上げた秋山好古、日本海軍の戦術を確立した秋山真之、そして俳句・短歌の革新を成し遂げた正岡子規という文明開化から日清・日露戦争までの約30年間の日本と明治という時代の礎を築いた3人をいきいきと描いた物語である。NHKのドラマにもなり、多くの人がこの作品の名前を聞いたことがあるはずだ。
入口で、マラソンのゼッケンを見せると無料で入場することができた。これも愛媛マラソンのおもてなしの一つだ。「坂の上の雲ミュージアム」は有名な建築家の設計によるもので、三角形という大胆な形状で地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造りだ。館内の移動はゆるやかなスロープを歩いていく。坂を上がっていくようなイメージを狙ったものだろうか。
ドラマに出演した本木雅弘や香川照之のパネルもある。
館内では、産経新聞連載記事の壁面展示や、主人公たちの直筆資料、その他主人公たちの生き方が感じられるような展示が行われている。
「坂の上の雲ミュージアム」の大きなガラス窓越しから、森の中にフランス風の洋館が見える。国の重要文化財に指定されている「萬翠荘」だ。
「坂の上の雲ミュージアム」を出ると、先ほどの洋館がどうしても気になってしまう。すぐ隣なので、こちらにも寄っていくことにする。
「萬翠荘」は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものだ。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方は、必ず立ち寄られたという。
ここは、「謁見の間」。豪華なシャンデリア、大理石の暖炉、ベルギー製の大鏡など贅を尽くした部屋だ。
こちらは、「晩餐の間」。水晶でできたシャンデリアは圧巻だ。
2階には、昭和天皇の肖像画が飾られている。
萬翠荘の1/30模型。
外に出て、もう一度建物の外観を眺めてみた。何度見ても素敵な洋館だ。
萬翠荘から下った森の中には、正岡子規が幼少時代に囲碁をあそんだと言われる石版と囲碁ができる東屋がある。
次に向かったのは、やはり道後温泉だ。路面電車に乗って道後温泉駅で下車する。
駅前にある坊ちゃん列車には、大勢の観光客がカメラを向けていた。
商店街の入口前には、坊ちゃんカラクリ時計があり、人力車も立ち並んでいる。
せっかく道後温泉に来たから温泉に入らないわけにはいかない。本館には何度も入っているので、姉妹湯である「椿の湯」に入ることにした。愛媛マラソン参加でもらった無料入浴券もある。「椿の湯」の名前の由来は、その昔、聖徳太子が行啓されたとき椿が枝をさしかわすように生い茂っている当時の温泉郷の見事な光景を、まるで天寿国にいるようであると讃えたことだという。
本館のように、浴衣やお茶菓子が出るような休憩所はなく、市民が気楽に入浴できるような雰囲気の温泉だった。
お昼は、名物の鯛めしにする。
道後温泉からは、愛媛空港に向かうリムジンバスが運行されており、それに乗って空港に向かい、予定通り無事帰宅することができた。3日間とも、予想外にいい天気となり良い旅となった。
ホテルでの朝食を済ませ、歩いて出かける。前日のマラソン会場の松山城公園内を抜け、県庁を過ぎると、「坂の上の雲ミュージアム」の入口が見えてきた。開館時間の午前9時前だったので、入口で少し待つ。
「坂の上の雲ミュージアム」は、司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアムだ。この小説で描かれたのは、松山出身の秋山好古、秋山真之、正岡子規の3人の主人公だ。日本騎兵を育て上げた秋山好古、日本海軍の戦術を確立した秋山真之、そして俳句・短歌の革新を成し遂げた正岡子規という文明開化から日清・日露戦争までの約30年間の日本と明治という時代の礎を築いた3人をいきいきと描いた物語である。NHKのドラマにもなり、多くの人がこの作品の名前を聞いたことがあるはずだ。
入口で、マラソンのゼッケンを見せると無料で入場することができた。これも愛媛マラソンのおもてなしの一つだ。「坂の上の雲ミュージアム」は有名な建築家の設計によるもので、三角形という大胆な形状で地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造りだ。館内の移動はゆるやかなスロープを歩いていく。坂を上がっていくようなイメージを狙ったものだろうか。
ドラマに出演した本木雅弘や香川照之のパネルもある。
館内では、産経新聞連載記事の壁面展示や、主人公たちの直筆資料、その他主人公たちの生き方が感じられるような展示が行われている。
「坂の上の雲ミュージアム」の大きなガラス窓越しから、森の中にフランス風の洋館が見える。国の重要文化財に指定されている「萬翠荘」だ。
「坂の上の雲ミュージアム」を出ると、先ほどの洋館がどうしても気になってしまう。すぐ隣なので、こちらにも寄っていくことにする。
「萬翠荘」は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものだ。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方は、必ず立ち寄られたという。
ここは、「謁見の間」。豪華なシャンデリア、大理石の暖炉、ベルギー製の大鏡など贅を尽くした部屋だ。
こちらは、「晩餐の間」。水晶でできたシャンデリアは圧巻だ。
2階には、昭和天皇の肖像画が飾られている。
萬翠荘の1/30模型。
外に出て、もう一度建物の外観を眺めてみた。何度見ても素敵な洋館だ。
萬翠荘から下った森の中には、正岡子規が幼少時代に囲碁をあそんだと言われる石版と囲碁ができる東屋がある。
次に向かったのは、やはり道後温泉だ。路面電車に乗って道後温泉駅で下車する。
駅前にある坊ちゃん列車には、大勢の観光客がカメラを向けていた。
商店街の入口前には、坊ちゃんカラクリ時計があり、人力車も立ち並んでいる。
せっかく道後温泉に来たから温泉に入らないわけにはいかない。本館には何度も入っているので、姉妹湯である「椿の湯」に入ることにした。愛媛マラソン参加でもらった無料入浴券もある。「椿の湯」の名前の由来は、その昔、聖徳太子が行啓されたとき椿が枝をさしかわすように生い茂っている当時の温泉郷の見事な光景を、まるで天寿国にいるようであると讃えたことだという。
本館のように、浴衣やお茶菓子が出るような休憩所はなく、市民が気楽に入浴できるような雰囲気の温泉だった。
お昼は、名物の鯛めしにする。
道後温泉からは、愛媛空港に向かうリムジンバスが運行されており、それに乗って空港に向かい、予定通り無事帰宅することができた。3日間とも、予想外にいい天気となり良い旅となった。