今回でいよいよ東海道ランの最終日となった。草津から大津を経て一気に京都の三条大橋まで行く予定だ。8時半頃には草津駅に到着していたのだが、神奈川のHさんがなかなか来ないのでしばらく待つ。Hさんがやっと到着したところで、草津駅前で写真を撮って8人でスタートする。
天気予報では晴れるということだったが、直前まで雨が降っていて気温も非常に低く寒かった。そのうち晴れてくるだろうということで、とりあえずカッパは着なかった。
草津宿は、東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する場所だ。
草津には本陣が現存し、国の史跡に指定されている。現存する本陣としては最大級だという。本陣内は一般公開されているので、さっそく中を見学していく。「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残っているそうだ。
湯殿。大名などの主客専用の風呂だ。お湯は近くの釜で沸かし、ここまで湯を運び入れたという。
上段の間。主客専用の間で本陣の中で最も格式が高い部屋だ。
楽座館では、いろいろな歴史的資料を見ることができる。
本陣を出て、しばらく進む。
草津宿街道交流館では、浮世絵摺り体験ができる。4色の色を重ねて摺っていくと素晴らしい浮世絵が出来上がった。
旅の体験コーナーでは、旅装束を身につけ江戸時代の旅を体験できる。
草津宿のマンホール蓋。
上北池公園にある野路の一里塚。白地に大きな赤い文字の一里塚は、なんだか興がそがれる。
この野路の玉川は、平安時代末から有名になった歌所で玉のような清水が湧き出たという故事から歌に詠まれた。また萩の名所として「萩の玉川」とも言われ浮世絵名所絵図などに伝えられている。
弁天池。この辺りの農業用水の溜め池として重要な池で中央には島が浮いている。石橋を渡って島へ行ってみる。
島には弁天様が祀られていた。
東海道立場跡。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名である。かつては、月輪池の畔に立場が置かれ茶屋等の店が軒を連ねていた。月輪という名は水面に映った美しい月の姿から名づけられたとの一説があり、東海道中の風光明媚な名所だったのだろうが、今は水も枯れていてそんな面影は見えない。
石材屋さんの前に「左・旧東海道」「右・瀬田唐橋」と彫られた碑がある。大きな猫の石像に目が惹かれたが、まずは左に進む。
「たにしあめ」の文字の興味を惹かれ、どんな飴か見ていく。たにしを原料にした飴なのか興味津々で店に入ってみる。
店の人にどんな飴なのか聞いてみると、たにしは原料のことではなく、そのたにしのような飴の形からだということだった。一袋買って食べてみると、味はニッキ風味の黒糖飴で、舐めるとニッキの味が強烈で辛さがすごい。大人向きの飴であることは間違いない。
瀬田唐橋に到着する。
橋の向こうには大きな琵琶湖が広がっている。
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしか方法はなく、瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であった。そのため「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうだ。
石山駅近くでちょうどお昼となり、昼食休憩することにした。すぐ目の前にあったうどん屋に入ると8人で満員となり、ほぼ貸し切り状態となった。
お腹も膨れたところで、ちょっと足を延ばして琵琶湖の畔まで行ってみる。琵琶湖の北西にある比良山系の山々は白い雪に覆われていた。
JR膳所駅の北にある義仲寺。その名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来している。
この後、さらに京都に向かって進む。
「2018東海道ラン:大津~京都」に続く。
天気予報では晴れるということだったが、直前まで雨が降っていて気温も非常に低く寒かった。そのうち晴れてくるだろうということで、とりあえずカッパは着なかった。
草津宿は、東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する場所だ。
草津には本陣が現存し、国の史跡に指定されている。現存する本陣としては最大級だという。本陣内は一般公開されているので、さっそく中を見学していく。「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残っているそうだ。
湯殿。大名などの主客専用の風呂だ。お湯は近くの釜で沸かし、ここまで湯を運び入れたという。
上段の間。主客専用の間で本陣の中で最も格式が高い部屋だ。
楽座館では、いろいろな歴史的資料を見ることができる。
本陣を出て、しばらく進む。
草津宿街道交流館では、浮世絵摺り体験ができる。4色の色を重ねて摺っていくと素晴らしい浮世絵が出来上がった。
旅の体験コーナーでは、旅装束を身につけ江戸時代の旅を体験できる。
草津宿のマンホール蓋。
上北池公園にある野路の一里塚。白地に大きな赤い文字の一里塚は、なんだか興がそがれる。
この野路の玉川は、平安時代末から有名になった歌所で玉のような清水が湧き出たという故事から歌に詠まれた。また萩の名所として「萩の玉川」とも言われ浮世絵名所絵図などに伝えられている。
弁天池。この辺りの農業用水の溜め池として重要な池で中央には島が浮いている。石橋を渡って島へ行ってみる。
島には弁天様が祀られていた。
東海道立場跡。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名である。かつては、月輪池の畔に立場が置かれ茶屋等の店が軒を連ねていた。月輪という名は水面に映った美しい月の姿から名づけられたとの一説があり、東海道中の風光明媚な名所だったのだろうが、今は水も枯れていてそんな面影は見えない。
石材屋さんの前に「左・旧東海道」「右・瀬田唐橋」と彫られた碑がある。大きな猫の石像に目が惹かれたが、まずは左に進む。
「たにしあめ」の文字の興味を惹かれ、どんな飴か見ていく。たにしを原料にした飴なのか興味津々で店に入ってみる。
店の人にどんな飴なのか聞いてみると、たにしは原料のことではなく、そのたにしのような飴の形からだということだった。一袋買って食べてみると、味はニッキ風味の黒糖飴で、舐めるとニッキの味が強烈で辛さがすごい。大人向きの飴であることは間違いない。
瀬田唐橋に到着する。
橋の向こうには大きな琵琶湖が広がっている。
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしか方法はなく、瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であった。そのため「唐橋を制する者は天下を制す」と言われたそうだ。
石山駅近くでちょうどお昼となり、昼食休憩することにした。すぐ目の前にあったうどん屋に入ると8人で満員となり、ほぼ貸し切り状態となった。
お腹も膨れたところで、ちょっと足を延ばして琵琶湖の畔まで行ってみる。琵琶湖の北西にある比良山系の山々は白い雪に覆われていた。
JR膳所駅の北にある義仲寺。その名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来している。
この後、さらに京都に向かって進む。
「2018東海道ラン:大津~京都」に続く。