クリスマス前の最後の週末は、毎年浜石岳忘年トレイル&ランを開催している。今回で5回目となったが、5回目にして初めて一日雨模様の天気になってしまった。ラン友たちと一緒に浜石岳から雪を被った富士山の姿を見たかったのだが、結構酷く降る予想もあり、浜石岳まで山道を進むのは危険と判断し、今回初めてコース変更して旧東海道を蒲原あたりまで走って帰るコースにした。当初、30名近くメンバーが集まっていたのだが、直近になって、故障のため走れない等の理由でキャンセルという人が続出して、当日になって集まったのは20名程度となってしまった。完全に雨というのにも関わらず集まってくれた人たちには感謝に堪えない。
外は雨なので、駿河健康ランドの地下にあるフィットネスクラブのスタジオを借りて、スタート前の集合写真を撮る。
スタジオレッスンを受けているようなイメージで体を動かす人も…。
玄関を出ると外はすでに大降りの雨。カッパを着たり傘を差しながらスタートする。
墓地の間の階段を登り、薩埵峠に向かう。
いつもの薩埵峠のビューポイントで記念撮影。全く富士山は見えない。
由比宿に入ると急階段のお寺があり、階段を上ってお寺の本堂に向かう。この宝積寺は、福井県にある曹洞宗大本山・永平寺の直系の寺院になるらしい。高台にあるので、晴れていれば、駿河湾や富士山の景色が素晴らしいはずだ。
東海道名主の館「小池邸」。小池邸は由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋だ。明治期に建てられたもので、建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、当時の寺尾地域の民家の面影、建物の外回りの石垣は100年前の美しさをそのままに残している。町内を散策される人々の休憩場所として開放されているので、中に入ってみる。
さざれ石が奥の座卓の上に置かれている。
奥の庭にも立ち寄る。水琴窟の音色が涼やかだった。
東海道由比宿おもしろ宿場館前。以前は、弥次さん喜多さんを模したひょうきんな顔をした人形が入り口にあったが、今は弥次さんか喜多さん(区別がつかない)のどちらか一人しかいない。二人揃って展示してほしいものだ。
東海道広重美術館の前のお堀には、たくさんのカメが飼育されている。右側にあるのは、由井正雪の生家と伝えられている染物屋だ。
東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に開館した東海道広重美術館。江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の名を冠した日本で最初の美術館で、収蔵品は、広重の代表的な東海道シリーズ『東海道五拾三次之内』、『東海道五十三次』、『東海道五十三次之内』など、風景版画の名品だ。
朝が早く、小腹がすいてきたので、中の休憩所でお菓子などをみんなで摘まむ。
11時。蒲原宿に入る。
志田家住宅主屋。志田家は蒲原宿内で米・塩・油等を扱っていたが、江戸後期には醤油の醸造も手がけるようになり、昭和初期まで「やまろく醤油」の商品名で製造・販売していた日本における初期の工場だ。主屋内は店の間・中の間・居間・と続き、「通り土間1列型」の典型的な町屋形式になっている。ここも無料で公開されているので、見学していく。
さらに先に進むと、レトロモダンな洋風町家 「旧五十嵐歯科医院」(旧五十嵐邸)だ。大正3年に、当時の当主故五十嵐準氏が歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。その後昭和15年ごろまでに、西側・東側部分をそれぞれ増築し、現在の形になった。平成12年には、旧来の町家の特徴を残しながら外観が洋風というユニークな造形が評価され、国の有形登録文化財となっている。
面白そうな建物なので、ここも中に入って見学していく。
敷地中央にある機械は、水を二階に送り出すためのポンプだ。歯の治療室は二階にあり、大量の水が必要になるために作られたそうだ。当時としては、かなり先進的な設備だったのだろう
二階の日当りのいい一室が、歯の治療室として使われていた。隣には技工室が備えられている。当時は、前の方には家もなく、海が見える場所で景色を見ながら歯を治療するというのが売りだったのかもしれない。
和風の待合室〈光顕の間〉の富士山と松林の欄間。NHKのロングラン番組「美の壺」で 、この欄間が紹介されたそうだ。
スタートして2時間半くらいとなり、この辺りで引き返すことにした。健脚のメンバー数人は、さらに富士川あたりまで走って行ったようだ。
残ったメンバーで引き返す途中で、珍しいものを食べさせてあげたいというNさんの案内で、ある魚屋さんによる。ここでちょっと摘まんでみたのは“イルカのスマシ”だ。蒲原や由比周辺でよく食べられている郷土食で、イルカの背びれや尾びれをスライスして茹でて2日間、水に浸して塩漬けにした物。凄い弾力があってグニュグニュしているので、別名「蒲原ゴム」とも呼ばれているという。塩味が付いているので、何も付けずそのまま食べられ、酒の肴にもってこいだ。
これがもとの部分。これを見ると、元の姿が浮かんできて食べちゃっていいのかなあと思ったが、郷土食としてこの辺りでは普通に食べられているそうだ。
13:15。駿河健康ランドにゴール。今回は、雨に濡れたので早めにゴールしてお風呂に入りたいというメンバーばかり。夕方から忘年会を予定していたが、早めに繰り上げて15時から開催することにした。駿河健康ランドの12階にある展望レストランを貸し切りだ。
2時間ほどで忘年会を終わると、1階のカラオケルームで二次会を開催。時間に余裕のあるメンバーが10人ほど残り2時間たっぷりカラオケを楽しんだ。
今回でこの企画は終わりにしようかという気持ちにもなっていたが、来年こそは浜石岳からの富士山をちゃんと見たいという声がみんなから上がったので、来年も継続して続けることにした。来年はすっきりと冬晴れの天気になってほしい。
参考1.今回のコースマップ
参考2.今回の高低図(走行距離22.2キロ)
外は雨なので、駿河健康ランドの地下にあるフィットネスクラブのスタジオを借りて、スタート前の集合写真を撮る。
スタジオレッスンを受けているようなイメージで体を動かす人も…。
玄関を出ると外はすでに大降りの雨。カッパを着たり傘を差しながらスタートする。
墓地の間の階段を登り、薩埵峠に向かう。
いつもの薩埵峠のビューポイントで記念撮影。全く富士山は見えない。
由比宿に入ると急階段のお寺があり、階段を上ってお寺の本堂に向かう。この宝積寺は、福井県にある曹洞宗大本山・永平寺の直系の寺院になるらしい。高台にあるので、晴れていれば、駿河湾や富士山の景色が素晴らしいはずだ。
東海道名主の館「小池邸」。小池邸は由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋だ。明治期に建てられたもので、建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、当時の寺尾地域の民家の面影、建物の外回りの石垣は100年前の美しさをそのままに残している。町内を散策される人々の休憩場所として開放されているので、中に入ってみる。
さざれ石が奥の座卓の上に置かれている。
奥の庭にも立ち寄る。水琴窟の音色が涼やかだった。
東海道由比宿おもしろ宿場館前。以前は、弥次さん喜多さんを模したひょうきんな顔をした人形が入り口にあったが、今は弥次さんか喜多さん(区別がつかない)のどちらか一人しかいない。二人揃って展示してほしいものだ。
東海道広重美術館の前のお堀には、たくさんのカメが飼育されている。右側にあるのは、由井正雪の生家と伝えられている染物屋だ。
東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に開館した東海道広重美術館。江戸時代の浮世絵師・歌川広重(1797-1858)の名を冠した日本で最初の美術館で、収蔵品は、広重の代表的な東海道シリーズ『東海道五拾三次之内』、『東海道五十三次』、『東海道五十三次之内』など、風景版画の名品だ。
朝が早く、小腹がすいてきたので、中の休憩所でお菓子などをみんなで摘まむ。
11時。蒲原宿に入る。
志田家住宅主屋。志田家は蒲原宿内で米・塩・油等を扱っていたが、江戸後期には醤油の醸造も手がけるようになり、昭和初期まで「やまろく醤油」の商品名で製造・販売していた日本における初期の工場だ。主屋内は店の間・中の間・居間・と続き、「通り土間1列型」の典型的な町屋形式になっている。ここも無料で公開されているので、見学していく。
さらに先に進むと、レトロモダンな洋風町家 「旧五十嵐歯科医院」(旧五十嵐邸)だ。大正3年に、当時の当主故五十嵐準氏が歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。その後昭和15年ごろまでに、西側・東側部分をそれぞれ増築し、現在の形になった。平成12年には、旧来の町家の特徴を残しながら外観が洋風というユニークな造形が評価され、国の有形登録文化財となっている。
面白そうな建物なので、ここも中に入って見学していく。
敷地中央にある機械は、水を二階に送り出すためのポンプだ。歯の治療室は二階にあり、大量の水が必要になるために作られたそうだ。当時としては、かなり先進的な設備だったのだろう
二階の日当りのいい一室が、歯の治療室として使われていた。隣には技工室が備えられている。当時は、前の方には家もなく、海が見える場所で景色を見ながら歯を治療するというのが売りだったのかもしれない。
和風の待合室〈光顕の間〉の富士山と松林の欄間。NHKのロングラン番組「美の壺」で 、この欄間が紹介されたそうだ。
スタートして2時間半くらいとなり、この辺りで引き返すことにした。健脚のメンバー数人は、さらに富士川あたりまで走って行ったようだ。
残ったメンバーで引き返す途中で、珍しいものを食べさせてあげたいというNさんの案内で、ある魚屋さんによる。ここでちょっと摘まんでみたのは“イルカのスマシ”だ。蒲原や由比周辺でよく食べられている郷土食で、イルカの背びれや尾びれをスライスして茹でて2日間、水に浸して塩漬けにした物。凄い弾力があってグニュグニュしているので、別名「蒲原ゴム」とも呼ばれているという。塩味が付いているので、何も付けずそのまま食べられ、酒の肴にもってこいだ。
これがもとの部分。これを見ると、元の姿が浮かんできて食べちゃっていいのかなあと思ったが、郷土食としてこの辺りでは普通に食べられているそうだ。
13:15。駿河健康ランドにゴール。今回は、雨に濡れたので早めにゴールしてお風呂に入りたいというメンバーばかり。夕方から忘年会を予定していたが、早めに繰り上げて15時から開催することにした。駿河健康ランドの12階にある展望レストランを貸し切りだ。
2時間ほどで忘年会を終わると、1階のカラオケルームで二次会を開催。時間に余裕のあるメンバーが10人ほど残り2時間たっぷりカラオケを楽しんだ。
今回でこの企画は終わりにしようかという気持ちにもなっていたが、来年こそは浜石岳からの富士山をちゃんと見たいという声がみんなから上がったので、来年も継続して続けることにした。来年はすっきりと冬晴れの天気になってほしい。
参考1.今回のコースマップ
参考2.今回の高低図(走行距離22.2キロ)