4日目は、いよいよ今回のメインイベントの父島一周マラニックである。約35キロのアップダウンの激しいコースである。前半だけでも、100m前後のアップダウンが8回くらい続くのだ。しばらく前の週間天気予報では、小笠原滞在中ずっと曇り時々雨の予報で晴れ間が見えないのかとあきらめていたのだが、急激に天気が回復し、朝からいい天気になっていた。小笠原のポニンブルー(ボニンとは、小笠原諸島の英語名に由来している)の海が見られることに期待が高まっていた。今回の参加者15名全員が集まり、民宿前で記念撮影だ。
スタート前の景気づけにクラッカーを打ち上げる。
午前8時、期待を膨らませ全員がそれぞれのペースでスタートする。
父島のメインストリートを南下する。まだ、平坦な道だ。
二見港には、ちょうど日本の豪華クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす(Pacific Venus)」が停泊していた。たまたま、小笠原諸島のクルーズで立ち寄っていたらしい。日本籍で2番目に大きなクルーズ客船だそうだ。
坂を上り、次に見えた浜のほうを見ると、沖合いに廃船が見えた。戦時中に沈没したのだろうか、長い間放置されたままとなっているようだ。
沿道民家のブーゲンビリアの花が美しい。
ちょっと道から外れると、ジャングルのように木が生い茂っている。
境浦を通過する。海の色が青くなってきた。これが、噂に聞くポニンブルーの海なのだろう。
歩道を走っていても、いかにも南国らしい雰囲気だ。
扇浦の直ぐ近くに「無人島発見の碑」があるというので、少し寄り道する。山を少し上がって行くと、トーチカが見えた。トーチカとは戦時中の防御陣地のことだが、小笠原諸島にはこんな戦争の跡がいたるところに残っているのだ。
さて、トーチカの反対側に「無人島発見の碑」がある。小笠原貞頼という人物が、文禄2年(1593)に南海の島を発見して、徳川家康から「小笠原島」と命名したという事が書かれている。
扇浦に戻り、洲崎まで走る。ここへ行くには一山越える事になる。岩が多い浜だ。
洲崎からコペペ海岸への分岐まで戻り、坂を下ってコペペ海岸まで走る。ギルバート諸島出身の「コペペ」じいさんが住んでいたことからその名がついた「コペペ海岸」。これぞ小笠原の海だといわんばかりの、美しい浜が広がっている。シュノーケリングには最適の海だ。
コペペ海岸から、また山を登る。
急な階段を下りていく。
白い砂浜の小港海岸が見えてきた。
こんどは、急な下りだ。
小港海岸の砂浜を歩く。ここは、2日目のナイトツアーで立ち寄った浜だ。
この先が、森林生態系保護地域となり、靴底の泥や付着物をブラシマットで落とした後、ボックスの中にある粘着テープ付きのコロコロでズボンの裾や体に付いている付着物(植物の種や昆虫の卵他)を入念に落とす。自然観察員の女性の指示で、全員同様の処置が行なわれた。
またしても山を登ると、後方には美しい小港海岸が見える。
中山峠に続く岩の尾根道を進む。下のほうには、ノヤギの群れが見える。ところどころでメーっという鳴き声が聞こえてくる。
中山峠に到着。
ポニンブルーの海を見ながら更に先に進む。
岩の上で、若い二人の山ガールが歓声を上げていた。
ブタ海岸に到着する。米軍統治時代、食料としてブタを繁殖させるため、この海岸にブタを放し飼いにしたことからブタ海岸と呼ばれるらしい。
小さい川を渡る。
川を渡ったところで東京都レンジャーの女性に出会う。小笠原に配置された自然保護員で動植物の持ち込み持ち出しの検査や移入種対策への協力と観光業者への指導を行なっているそうだ。
またしても、アップダウンの道を乗り越え、ジョンビーチに到着する。小笠原に数あるビーチの中でもジニービーチと並び最も美しいといわれるのがこの「ジョンビーチ」である。このビーチの周辺は石灰岩で出来ており、浜辺の砂浜も眩しいばかりの白色である。スタートしてここまでで13キロだが、時間は3時間ほどかかった。
ジョンビーチの隣にあるジニービーチは、陸上から入るのが禁止となっているので、ジョンビーチから中山峠に向けて折り返す。この先も何度もアップダウンが続く。
小港海岸の分岐地点まで戻ると、自然遊歩道が終り舗装道路のほうに入っていく。ほぼ17キロ近くとなり半分近くまできた。すでに12時を過ぎ、お腹も減ったが水分も底をつきかけていた。道中、コンビニもなければ自販機も何にもない。ある程度はザックに背負っていたものの、飲食物の補給が急務だった。
2012小笠原ネイチャーマラニック「4日目父島一周後半」に続く。
スタート前の景気づけにクラッカーを打ち上げる。
午前8時、期待を膨らませ全員がそれぞれのペースでスタートする。
父島のメインストリートを南下する。まだ、平坦な道だ。
二見港には、ちょうど日本の豪華クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす(Pacific Venus)」が停泊していた。たまたま、小笠原諸島のクルーズで立ち寄っていたらしい。日本籍で2番目に大きなクルーズ客船だそうだ。
坂を上り、次に見えた浜のほうを見ると、沖合いに廃船が見えた。戦時中に沈没したのだろうか、長い間放置されたままとなっているようだ。
沿道民家のブーゲンビリアの花が美しい。
ちょっと道から外れると、ジャングルのように木が生い茂っている。
境浦を通過する。海の色が青くなってきた。これが、噂に聞くポニンブルーの海なのだろう。
歩道を走っていても、いかにも南国らしい雰囲気だ。
扇浦の直ぐ近くに「無人島発見の碑」があるというので、少し寄り道する。山を少し上がって行くと、トーチカが見えた。トーチカとは戦時中の防御陣地のことだが、小笠原諸島にはこんな戦争の跡がいたるところに残っているのだ。
さて、トーチカの反対側に「無人島発見の碑」がある。小笠原貞頼という人物が、文禄2年(1593)に南海の島を発見して、徳川家康から「小笠原島」と命名したという事が書かれている。
扇浦に戻り、洲崎まで走る。ここへ行くには一山越える事になる。岩が多い浜だ。
洲崎からコペペ海岸への分岐まで戻り、坂を下ってコペペ海岸まで走る。ギルバート諸島出身の「コペペ」じいさんが住んでいたことからその名がついた「コペペ海岸」。これぞ小笠原の海だといわんばかりの、美しい浜が広がっている。シュノーケリングには最適の海だ。
コペペ海岸から、また山を登る。
急な階段を下りていく。
白い砂浜の小港海岸が見えてきた。
こんどは、急な下りだ。
小港海岸の砂浜を歩く。ここは、2日目のナイトツアーで立ち寄った浜だ。
この先が、森林生態系保護地域となり、靴底の泥や付着物をブラシマットで落とした後、ボックスの中にある粘着テープ付きのコロコロでズボンの裾や体に付いている付着物(植物の種や昆虫の卵他)を入念に落とす。自然観察員の女性の指示で、全員同様の処置が行なわれた。
またしても山を登ると、後方には美しい小港海岸が見える。
中山峠に続く岩の尾根道を進む。下のほうには、ノヤギの群れが見える。ところどころでメーっという鳴き声が聞こえてくる。
中山峠に到着。
ポニンブルーの海を見ながら更に先に進む。
岩の上で、若い二人の山ガールが歓声を上げていた。
ブタ海岸に到着する。米軍統治時代、食料としてブタを繁殖させるため、この海岸にブタを放し飼いにしたことからブタ海岸と呼ばれるらしい。
小さい川を渡る。
川を渡ったところで東京都レンジャーの女性に出会う。小笠原に配置された自然保護員で動植物の持ち込み持ち出しの検査や移入種対策への協力と観光業者への指導を行なっているそうだ。
またしても、アップダウンの道を乗り越え、ジョンビーチに到着する。小笠原に数あるビーチの中でもジニービーチと並び最も美しいといわれるのがこの「ジョンビーチ」である。このビーチの周辺は石灰岩で出来ており、浜辺の砂浜も眩しいばかりの白色である。スタートしてここまでで13キロだが、時間は3時間ほどかかった。
ジョンビーチの隣にあるジニービーチは、陸上から入るのが禁止となっているので、ジョンビーチから中山峠に向けて折り返す。この先も何度もアップダウンが続く。
小港海岸の分岐地点まで戻ると、自然遊歩道が終り舗装道路のほうに入っていく。ほぼ17キロ近くとなり半分近くまできた。すでに12時を過ぎ、お腹も減ったが水分も底をつきかけていた。道中、コンビニもなければ自販機も何にもない。ある程度はザックに背負っていたものの、飲食物の補給が急務だった。
2012小笠原ネイチャーマラニック「4日目父島一周後半」に続く。