石垣島のホテルの朝食は、なんと朝から海鮮丼だ。あらかじめスタッフが用意したシートに、海鮮丼のネタ、トッピング、ご飯の銘柄、醤油の種類等をチェックして渡すシステムである。ネタは12種類もあり、選択に迷うが、なんとかチェックを入れてスタッフに渡すと、厨房にいる寿司職人が希望通りの海鮮丼を作ってくれるのである。しかも、それ以外にサラダやてんぷら、漬物、フルーツ、味噌汁もバイキング形式で取ることが出来る。
これが、自分が頼んだ海鮮丼。まさに朝から贅沢な朝食になった。
さて、石垣港から西表島への定期船に乗る。西表島には二つの航路があり、西表島の上原港と大原港に向かう二つだ。マラソンのスタート地点に近いのは上原港なのだが、北風が強いと欠航になることが多く、この日も欠航になってしまい、風の影響の少ない大原港への定期船に乗り、大原港で下船する。
大原港からは、上原港近くのマラソン会場に行く直行バスが出ており、そのバスに乗って会場に向かう。
1時間ほどでマラソン会場に到着する。既に大勢のランナーで賑わっていた。
中に入っていくと、やまねこ帽子を被った可愛い女の子たちが、帽子を売りに来た。みんな、やまねこ帽子と子供たちの売り込みが気に入って、我も我もと買い込む。
買い込んだやまねこ帽子を被って、ヤマネコ君と記念撮影だ。
受付会場は、上原小学校となっており、校庭にはヤギが飼われている。
受付を済ませてから、この日に泊まる民宿の人にお迎えを頼み、一旦宿に帰り荷物を置いていく。マラソンのスタートは、12時40分からなので、しばらく休憩してから、会場に戻る。我々の参加種目は全員23キロで、参加者は600名近くだ。大会委員長の挨拶などを聞き、スタートを待つ。
12時40分。スタートとなり、結構早いペースで走り出す。フルマラソンやウルトラマラソンとは違い、最初からハイペースな流れなので、付いていくのがいささか苦しい。
コース上からは、牛が放し飼いされている風景も見え、のどかな感じだ。
天気は薄曇りで、この時期としては涼しくて走りやすい。
浦内橋を渡ると、マングローブ林やヤエヤマヤシの群落が見える。
橋の上では、みんな写真を撮っていく。
子午線モニュメント。1997年、西表島に123度45分6・789秒の子午線が通っていることが発見され、「子午線のモニュメント」が建てられたそうだ。何故か、あわもり君も一緒に写っていた。
「おーりたぼーりょー!(また来てくださいね)」と地元の方言で応援してくれる。
西表漁港が見えてくると、8キロくらいだ。
10キロくらいで西表トンネルの中を通過する。
11.5キロの折り返し地点だ。これからは同じ道を戻っていく。
沿道のブーゲンビリアが満開だ。
残り1キロ地点。晴れてきて暑くなってきたが、残り僅かだと思い頑張る。
そして、ゴール。タイムは、2時間30分ほどだった。
仲間のHさんは、年代別で第1位。さすがだ。
Hさんを入れて、表彰台で記念撮影。
午後6時からは、ふれあいパーティーがあり、ほとんどのランナーが残っている。竹富町体育協会会長の挨拶でパーティーが始まった。
その後、来賓の挨拶や舞踊が行われた後、ランナーお待ちかねのサバニの登場だ。サバニとは、琉球列島で漁や運搬に使われていた木造の舟のことだ。そして、サバニの上には山盛りの刺身が乗っかっている。
サバニの前には、あっという間にものすごい人だかりとなり、刺身の状況を撮るのも一苦労だったが、決死の思いで何とか撮ることが出来た。
しかし、写真を撮れたものの、刺身を取ることはとんでもない状況だ。押し合いへし合いでなかなかサバニに近寄ることができない。まさに人間の本性を垣間見た感じだ。
喧噪が終わり、サバニの上に残ったのは、刺身のつまとフルーツのみ。ほとんど刺身を取ることはできなかった。
そして、そのあとに登場したのはスペシャルゲストの“ティンクティンク”だ。“ティンクティンク”は、りんけんバンドの照屋林賢氏がプロデュースする沖縄県の女性音楽ユニット。紅型の衣装で登場し、三線、三板、太鼓を演奏する。グループ名は沖縄方言で三線の音を表現する擬声語に由来するそうだが、最初グループ名を聞いたときは、ピンクピンクだと思い込んでいた。この大会では、過去にはBEGINや夏川りみがゲストで登場したらしい。
“ティンクティンク”の演奏に合わせて、メンバーたちも踊り出す。
その後の抽選会では、誰一人当たることなく、がっかりして会場を後にする。ただ、あとでわかった事だが、その後も抽選会があり、残っていれば何か当たったかもしれない。
ただ、良かったことは、ゲストの“ティンクティンク”が我々の宿と同じだったらしく、宿で一緒になり、ちゃっかり記念写真を取れたことだった。
参考.マラソンのコースマップ
「2020西表島マラソンツアー:3日目西表島ピナイサーラの滝カヌー&トレッキング」に続く。
これが、自分が頼んだ海鮮丼。まさに朝から贅沢な朝食になった。
さて、石垣港から西表島への定期船に乗る。西表島には二つの航路があり、西表島の上原港と大原港に向かう二つだ。マラソンのスタート地点に近いのは上原港なのだが、北風が強いと欠航になることが多く、この日も欠航になってしまい、風の影響の少ない大原港への定期船に乗り、大原港で下船する。
大原港からは、上原港近くのマラソン会場に行く直行バスが出ており、そのバスに乗って会場に向かう。
1時間ほどでマラソン会場に到着する。既に大勢のランナーで賑わっていた。
中に入っていくと、やまねこ帽子を被った可愛い女の子たちが、帽子を売りに来た。みんな、やまねこ帽子と子供たちの売り込みが気に入って、我も我もと買い込む。
買い込んだやまねこ帽子を被って、ヤマネコ君と記念撮影だ。
受付会場は、上原小学校となっており、校庭にはヤギが飼われている。
受付を済ませてから、この日に泊まる民宿の人にお迎えを頼み、一旦宿に帰り荷物を置いていく。マラソンのスタートは、12時40分からなので、しばらく休憩してから、会場に戻る。我々の参加種目は全員23キロで、参加者は600名近くだ。大会委員長の挨拶などを聞き、スタートを待つ。
12時40分。スタートとなり、結構早いペースで走り出す。フルマラソンやウルトラマラソンとは違い、最初からハイペースな流れなので、付いていくのがいささか苦しい。
コース上からは、牛が放し飼いされている風景も見え、のどかな感じだ。
天気は薄曇りで、この時期としては涼しくて走りやすい。
浦内橋を渡ると、マングローブ林やヤエヤマヤシの群落が見える。
橋の上では、みんな写真を撮っていく。
子午線モニュメント。1997年、西表島に123度45分6・789秒の子午線が通っていることが発見され、「子午線のモニュメント」が建てられたそうだ。何故か、あわもり君も一緒に写っていた。
「おーりたぼーりょー!(また来てくださいね)」と地元の方言で応援してくれる。
西表漁港が見えてくると、8キロくらいだ。
10キロくらいで西表トンネルの中を通過する。
11.5キロの折り返し地点だ。これからは同じ道を戻っていく。
沿道のブーゲンビリアが満開だ。
残り1キロ地点。晴れてきて暑くなってきたが、残り僅かだと思い頑張る。
そして、ゴール。タイムは、2時間30分ほどだった。
仲間のHさんは、年代別で第1位。さすがだ。
Hさんを入れて、表彰台で記念撮影。
午後6時からは、ふれあいパーティーがあり、ほとんどのランナーが残っている。竹富町体育協会会長の挨拶でパーティーが始まった。
その後、来賓の挨拶や舞踊が行われた後、ランナーお待ちかねのサバニの登場だ。サバニとは、琉球列島で漁や運搬に使われていた木造の舟のことだ。そして、サバニの上には山盛りの刺身が乗っかっている。
サバニの前には、あっという間にものすごい人だかりとなり、刺身の状況を撮るのも一苦労だったが、決死の思いで何とか撮ることが出来た。
しかし、写真を撮れたものの、刺身を取ることはとんでもない状況だ。押し合いへし合いでなかなかサバニに近寄ることができない。まさに人間の本性を垣間見た感じだ。
喧噪が終わり、サバニの上に残ったのは、刺身のつまとフルーツのみ。ほとんど刺身を取ることはできなかった。
そして、そのあとに登場したのはスペシャルゲストの“ティンクティンク”だ。“ティンクティンク”は、りんけんバンドの照屋林賢氏がプロデュースする沖縄県の女性音楽ユニット。紅型の衣装で登場し、三線、三板、太鼓を演奏する。グループ名は沖縄方言で三線の音を表現する擬声語に由来するそうだが、最初グループ名を聞いたときは、ピンクピンクだと思い込んでいた。この大会では、過去にはBEGINや夏川りみがゲストで登場したらしい。
“ティンクティンク”の演奏に合わせて、メンバーたちも踊り出す。
その後の抽選会では、誰一人当たることなく、がっかりして会場を後にする。ただ、あとでわかった事だが、その後も抽選会があり、残っていれば何か当たったかもしれない。
ただ、良かったことは、ゲストの“ティンクティンク”が我々の宿と同じだったらしく、宿で一緒になり、ちゃっかり記念写真を取れたことだった。
参考.マラソンのコースマップ
「2020西表島マラソンツアー:3日目西表島ピナイサーラの滝カヌー&トレッキング」に続く。