fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

北上川の白鳥

2013年02月10日 | 日記

          

 数年前鳥インフルエンザが流行してから、川岸でエサをやってはいけないということになっています。ゴメンね。

   

 魚がいるのでしょうか。

  

 去ってゆく白鳥。鴨の声が何かの笛のようにヒョロヒョロと響いていました。白鳥の鳴き声は、機械の軋みのようです。


『ホトトギス雑詠句評会抄』(稲畑汀子監修)-小学館

2013年02月09日 | 本の紹介

               

 このごろ紐解いています。パラパラとめくって、目についたところを読むという読み方。

 例えば「ホトトギス」大正15年12月号の句〈秋耕やあらはの墓に手向花  秋桜子〉という句について、高野素十が解釈をし、作者である秋桜子が虚子に促され自句を語り、そして最後に虚子が言及します。やはり虚子がどういっているのかが、肝心なところ。この句に対しては、これだけの景色及び感じを表そうとするにはよほど数多い言葉を費やさなければならぬのを巧みに17文字にしている。しかもできあがった句を見ると何等言葉に無理がなくてしかもその場合の情景がきわめて透明に描かれている点を偉とせねばならぬ。~とあります。

 ふうん、なるほど。と思い、ここで本を閉じます。机の上に置いておいて、たまにこうやって読んでいる本です。しかしこの本を買ったのはだいぶ前、『ホトトギス巻頭句集』というのも同時に買ったのですが、一冊3000円。よく買ったなあ。(今ならアマゾンの中古で安く買えますね)「もとをとる」という考えは好きではないのですが、せっかく持っているのだから、勉強しなくては。

 


『天のシーソー』(安東みきえ)ーポプラ文庫

2013年02月08日 | 本の紹介

    (P[あ]5-1)天のシーソー

『頭のうちどころが悪かった熊の話』でブレイクした安東みきえさんの初期作品、その文庫化です。カバーの絵が酒井駒子さん、解説が梨木香歩さんという豪華版。いえ、なによりその中身が色あせてなく、読んで心地よい作品です。いいなあ、こういうの。とつくづく思いました。小学五年生ミオと妹ヒナコを軸に、ミオの視点での短編集です。文庫化にあたり、ヒナコ視点の数年後の姉妹の物語が書き下ろしで加わっています。

 どの短編もいいのですが、「ひとしずくの海」の鮮烈な印象と、浮遊感がたまりません。

 このシリーズは、児童文学作家さんの作品を次々に文庫化しています。季節風の大先輩である越水利江子さんの『忍剣花百姫伝』シリーズ(活劇ファンタジー)、濱野京子さんの『トーキョークロスロード』(坪田穣治賞受賞作)、村山早紀さんの『コンビニたそがれ堂』シリーズ、大島真寿美さんの『空はきんいろ』も好きな作品です。文庫になることで、一般書の棚に並んで大人の方が手にする機会が増えたらいいなとも思います。


学校帰り

2013年02月07日 | 日記

 氷を持って楽しそう。テーブルみたいだ、剣みたいだと騒いでいました。家まで持って帰るのだそうです。

        

 でも先日テレビニュースで、「○○まつり」と幟をたてて、自治体が子ども対象に雪遊びをしているのが流れていました。やっているのは、ソリ遊び。アナウンサーが「ひっぱるほうの勢いが余って、ソリから転げ落ちる子どももいました」とか言って、その映像が流れています。「大勢の子どもたちが~」と言っているわりに、その雪の広場で楽しんでいる親子の数はたいしたことない。たしかに映し出されている子どもは楽しそうだし、笑顔がある。でもこれってニュースになるようなことなの? お膳立てしないとこうやって遊べないの? と、おばさんは思ってしまいました。

 町の公園は、せいぜいネコの足跡があるだけ。たっぷり積もった雪は、子どもにとって最高の遊び道具のはずなのに。

 私が子どものころは、「マンガばっかり読んで」とか言われたかな? つまりその時代その時代で、子どもはちゃんと遊んでいるはずだとは思うのだけど。でもなあ、なんかなあ。子どものいない雪景色は寂しいなあと思っていて、上のような子と出会うと嬉しくなるのです。

 ひさしぶりに画像の加工をしようとしたのですが、上のようにするのにやけに時間がかかってしまいました。すぐ忘れてしまう。宛名ラベルを作りたいのですが、差し込み印刷の方法もすっかり忘れてしまっていました。また教えてもらわなきゃ……。

              


ワイパー

2013年02月06日 | 日記

             

 車のワイパーは、必ずこうやってあげておきます。先日出かけたところ、帰りに助手席側のワイパーが動かなくなっていて……。雪はどんどん降っているし、あせりました。運転席側でなくてよかったと思いながら、なんとか帰宅。晴れてから車屋さんに行ったところ、ネジがゆるんでいただけでした。

 

 ガレージなんてないので、農作業小屋の廂の下に、耕耘機、草刈り機、テーラー(ってどういう意味だろ)、猫車たちと並んでいます。


雪かきという重労働

2013年02月05日 | 日記

              

 結局このスノーダンプが効率がいいのかなあ。モットーは、〈くたびれたらやめる〉です。なので、それほどはやっていません。うちの前の公道は除雪車がはいってきませんが、おとなりのご主人が朝6時くらいから、ずーーっとやってくださっています。このスノーダンプのコツも教えていただきました。


立春

2013年02月04日 | 俳句

 立春の雑草園の草ごよみ     山口青邨 

 山口青邨は、岩手出身の俳人です。

 祖母山も傾山も夕立かな

 銀杏散るまつただ中に法科あり 

 などの句が有名。秋桜子などと東大俳句会をやっていました。虚子の弟子である4S(水原秋桜子、加藤楸邨、高野素十、阿波野青畝)とらと共に活躍します。「夏草」という俳誌を盛岡で創刊。生前すごした家屋が、今北上市にある詩歌文学館の一角に移築されていいます。その名も「雑草園」。だいぶ前に一度いき、

 家も木も越してきたるや如雨露の水   あぶみ

 という句を作りました。家だけではなく木も移築されたとのことです。暖かくなったらまた行ってみましょうか。

                      

  友人のみゆきさんがご自身のサイトhttp://members3.jcom.home.ne.jp/rhapsody-miyuki/で、この手作りカレンダーの間違いさがしをして、当たった人にはカレンダープレゼントと書いていたので必死に間違いをさがして、いただきました。(いただいたのは、間違いは修正されています)自宅でパソコン教室を開いていて、こうして私の撮った写真を載せると、彼女の写真のきれいさがよくわかります。この愛犬メルちゃんのカレンダー、机の向こうの壁に貼り、癒してもらっています。

 *よくみなさんが他のサイトを紹介するときURLをそのままじゃなく(上みたいに)、そのサイト名をクリックすればいいようにしてらっしゃるけど、あれってどうやるのでしょうか。どなたか教えてください。

 

 


賢治の「下の畑」・高村光太郎筆の「雨ニモマケズ」の詩碑

2013年02月03日 | 日記

           

 この黒板のあった羅須地人協会の建物は、現在花巻農業高校の敷地内に移築されていますが、本来はこの地、北上市よりのへんぴなところにありました。

所在地 花巻市桜町4丁目 羅須地人協会跡

 今はもう畑もありませんが。

  「雨ニモマケズ」の詩碑

 高村光太郎筆の碑があり、この下には賢治の遺骨の一部もあるそうです。そのためでしょうか、脇には「供物などはご遠慮ください」とありました。

  死後発見された有名な手帖

 この詩の「サウイフモノニ私ハナリタイ」のそういう人について、辻桃子童子主宰が「童子」紙面で書いてくださいました。花巻出身の斎藤宋次郎という、クリスチャンだったため迫害されながら信仰を貫いた方です。賢治はこの人と交流があり尊敬していたということで、「銀河鉄道の夜」のカンパネルラが「おっかさんは私を許してくれるだろうか」と繰り返すのも、斎藤宋次郎がクリスチャンだということで、娘がいじめられ、それがもとで死んでしまったということが賢治の中で大きく残っていたのではないかということです。ジョバンニは父親が投獄されていて、友人にいじめられていました。なぜ投獄されていたのかということが物語には書かれていないのです。これは思想上のことだったのでは? 、斎藤宋次郎の影が登場人物のあちこちに見え隠れしていると考えると、とてもしっくりとくるのです。


『季節風』 2013年春号

2013年02月02日 | 本の紹介

         

ずっしり厚い一冊。内容もびっしりです。年に一度の大会での各分科会からの推薦作品が掲載され、投稿作品からは3作の掲載です。投稿作品に対して一作一作編集委員の選評が載っています。これが、すごい。掲載された完成度の高い3作品に対してのあさのあつこ代表の厳しいコメントには襟を正す思いになります。ひとつ例をあげると「このラストにしないために、人は物語を書くのではないでしょうか。作者は○○(主人公)ともっと本気で向かい合うべきです。そうすれば○○にしかできないラストがうまれてくるはずです」うーん。この作品、ホントに描写力抜群のものなのです。でも、そこのレベルを求められるほどの力があるということ。

 かつてこの大会推薦作だったものが、そのまま出版されているものがあることを思うと、この季節風は原石のようなものだと思います。横沢彰さんの「スウィング」、升井純子さんの「空打ちブルース」(講談社児童文学新人賞)、にしがきようこさんの『ピアチェーレ』(椋鳩十文学賞)、堀米薫さんの「林業少年」も近々出版! 

 今号から私は書評委員として、本の紹介をしています。今でも迷っているのは、書評ってなんなのか? 書評委員なのだから、たんなる本の紹介ではないものを書くべきなのか、ということです。通常新聞や雑誌にはよく本の紹介がありますが、あれは書評とは違うのですものね。それを読んだ人が、その本を読みたくなったらOK.で、評論というのは、その本を考察すること……。そんなことできません。

 『逢魔ヶ時の物語』(巣山ひとみ・学研)を取りあげ、書かせていただいたのですが、今号では季評(これも、つまり「季節風」の評論という意味か?)で、海光哲さんが、10冊の本を読み解き、「行き詰まる文学と児童文学の行方」というまさに評論を書いてらっしゃいました。そこに『逢魔ヶ時の物語』も入っていて、私の書いたものと比較させていただき、なるほど、私は作品の要素に焦点を当て、海光さんは物語が伝えようとしているものに焦点を当てています。とても参考になりました。

 また大会の感想として、上原孝一郎さんが(お会いしたこともなく、どんな方なのか全くわかりません)書かれていたことが、とてもとてもよかったです。「感想をいくら積んだところで、それは合評会にはならない。合評会の醍醐味は、人の作品を語る中で、自分の論理や作品世界を高めていくことにある。また人から語られる言葉を受け止めることによって、自分の論理や作品世界を再構築していくことである」「他の人の作品について語ることは、同時に自分の作品について語ることだった。他の人の言葉に耳を傾けることは、同時に自分の作品について耳を傾けることだった」 

 いや、松弥龍さんの「てまり物語」のやさしさや(ぜひ一冊の本になりますように)、佐渡を舞台にした力作「じいちゃんおお経の本」(高田由紀子さん。これも完成度が高い)や、井嶋敦子さんの詩「汽笛」の一節のきらめきや(敦子さん、現在毎日小学生新聞で「小児病棟504号室」連載中!)、ナンセンス児童文学の旗手近江屋一朗さん(今年集英社みらい文庫でデビュー)の「うそうそラブレター」や、まだまだ語り尽くせずすみません。

 


『ねこのたからさがし』(さえぐさひろこ)ー鈴木出版

2013年02月01日 | 本の紹介

                    ねこの たからさがし 低学年向け

 子どものころ育った家は、猫が常時数匹いるところでした。他に犬はもちろん、サルがいたり(ホント)、一時的に動物を預けられる家のようになっていました。タヌキ、カラス、リス、ワニ、ハムスター、ウサギ。思い出せるだけでも、そんな感じ。ただ犬猫以外は、逃亡していなくなったり、短い期間で死んでしまったり……。(動物愛護の方には叱られそうなこともありました。でも私は子どものころのそういう経験から、動物を飼うということはきれいごとではないという考えを持っています。いろいろな場合がありますけどね)

 猫はとにかく、常にいて、ゴロゴロといつも膝にいて、寝るときもいつもいっしょでした。私は子供心に猫は何か考えている。猫と話しができたらいいな。と真剣に思っていました。そのときの気持ちが童話を書くときのベースになっているといっても過言ではありません。ですから、この本を小学校1、2年のころの私が読んだら、きっとニマニマするだろうなと思いました。冒頭で主人公のひとりゆうくたんが、ガガジジジジ……と傘の先をひきずって歩くところも好きです。さて、ネコは宝をさがしだすことができるのか? ネコはなぜか大阪弁です。そこもおかしい。読んだ子どもが主人公と同化して楽しめる本です。