梅さんのかわら版.umelog

甲州市~甘草屋敷

"ハンセン病~魂の俳句”

2019-07-09 15:56:34 | 俳句&短歌

一つ見つからなかった良縁地蔵は、竹林に鎮座していた。
長谷寺にある三つの良縁地蔵はすべて見つけることが出来た。

さて、今日、ハンセン病訴訟の勝訴が確定した。
これは、元ハンセン病患者の家族への賠償である。
患者自身は既に、ハンセン病補償法が成立している。
家族にとっても長い戦いだっただろう…

ハンセン病と俳句はかかわりが深い。俳句を作ることにより、
生かされた来たという、一人の俳人を紹介したい。

村越化石さん
昭和13年(16歳)の時に ハンセン病の宣告を受ける。
治療のため郷里を 離れ上京。東京で治療に専念するが、
その療養施設の国立療養所 栗生楽泉園で俳句と出会う。

≪生い立ちは誰も健やか龍の玉≫  平成 12 年作
 生い立ちは誰もみな健やかであったのだ。生きることのいとしさ、ありがたさ、
 命の尊さを改めて思い起こしての句。

≪除夜の湯に肌触れあへり生くるべし≫  昭和 25 年作
新年への希望。ハンセン病の特効薬プロミンの開発により、療友と共に奇跡的な
薬効に浴して一年。生命感を初めて見いだし、決意を詠んだ句。

≪生きねばや鳥とて雪を払ひ立つ≫  昭和 46 年作
この年、両目を失明する。日常はぼつかなかった。

≪寒餅や最後の癩の詩つよかれ≫  昭和 31 年作
最後のハンセン病患者になるのを願い、その覚悟で作った句。

村越化石さんの俳句の師匠は俳人「大野林火」である。
心の 俳句を作りなさい」という、その師の教えを胸に刻んで
、あるがままを受け入れる境地に至る。
ここに至るまでには、どんなにか、嘆きや苦しだことだろう。
世の中を恨んだことだろう。
しかし、その苦しみを超越した生命の尊厳、力強さを詠み、
いつしか「魂の俳人」と呼ばれるようになった。
生涯に、91歳で亡くなるまで10冊の句集を編んでいる。
umeさんは全部の句集を読んではいないが、角川俳句賞や
俳人協会賞などを受賞し、なんと蛇笏賞も受賞している。
その魂の俳句を、読んでみたいと思う。