最近、介護日記みたいになってきた。
ここは、猫ブログだというのに、すみません。
でも今回も、かずこの巻です、すみません。
おはようございます。
ここ数日、かずこさんは興奮状態だった。
元気というより、興奮状態。
そして、ついに、かずこさんは一人で家から飛び出した。
昨日のこと、私は昼休憩を終え、仕事を始めた。
その途端、父から電話が鳴った。
「こんなとこに居りたくないと言って、出てく準備しとるわ。
もう手が付けられん。」
私は、とりあえず、
「すぐ行く」とだけ伝えて、会社を早退した。
運転しながら、かずこをどう止めるか?どう落ち着かせるかを考えていた。
そして、父へ電話を掛けた。
「父さん、機嫌よく出してあげて。私が追跡するから心配しないで。
母さんに、一度、失敗させよう。
独りで出たって、何もできやしないってことを体験させた方がいいわ。」
そう言うと、父は
「うん。俺、ウンチが出そうだて。」
と言って、電話をぷつっと切った。
私は車内で叫んだ。
「なんなんだよ、父さんったら。ほんと、なんなんだよ。
あたしもなんだよぉー」
私も、若干の便意を感じていたのだ。
なんという無慈悲なタイミングだろうか。
親子そろって、この無慈悲だ。
「神も仏もあったもんじゃねー!」
私は、そう吐き捨てた。
急いで駐車場へ車を停め、かずこさんを探した。
かずこさんは、駅に向かって歩いていた。
「母さん、どこへ行くの?」
後ろから声を掛けると、かずこさんは
「わぁ、びっくりした!お前か。わしはパチンコ行くんや。」
「歩いて?」
パチンコ屋へは、とても歩いて行ける距離ではない。
「すぐ、そこやもん。歩いて行く。わしは行ける。
お前は戻れ。暑いで倒れるぞ。」
雲さえない晴天の昼下がり、日差しは肌を突き刺す。
私は黙って、かずこさんの後に着いて歩いた。
トボトボ歩きながら、かずこさんは独り言のように呟いている。
「あんなとこに居りたない。
わしは、自分の行きたい所へ行くんや。あんなとこは嫌や。」
かずこさんは、いつ頃からか、自分の家を『あんなとこ』と言うようになった。
ピラピラしたレースの付いたベッド。
真っ赤なベルベッドのカーテン。
猫足のチェスト。
かずこ自身で編んだ、ニットの敷物。
全て、かずこさんが選んだ。
かずこさんご自慢の部屋のはずが、
今のかずこさんには『あんなとこ』に見えるのだろうか。
私は、空を見上げた。
憎らしいくらい晴れている。
暑いといより、もはや痛い。そして腹も痛くなってきた。
今頃、父さんはトイレでスッキリしているのだろうか。
この私が、今、無慈悲層の最下位に零れ落ちてしまう寸前であることに、腹が立ってきた。
「母さん、まだ歩くかい?」
そろそろ戻らなければ、まずいと思うほど、私達は家から離れていた。
1キロは歩いただろうか。
かずこさんの足がよれてきている。
それでも、かずこさんは
「もうちょっとや。あそこへ行けば友達もおるしな。」
かずこさんは、パチンコ屋へ行けば、友達がいると言う。
確かに、毎日のように通っていた昔は居たかもしれない。
負けていると、缶コーヒーを差し入れてくれる程度の友達だ。
大音量の中で、簡単な言葉を交わす友達だ。
かずこさんは、そんな友達に会うべく、
この炎天下の元、歩き続けているというのか。
私は、切なくなった。
かずこさんに「一度失敗させる」つもりで歩いていた気持ちが、
一瞬吹き去った風と共に飛んで行ってしまった。
「ほぉ、涼しい風やな。」
「そうだね。風は涼しいね。」
こうなったら、どこまでも歩いて行こう。
かずこさんの行きたい所へ、一緒に歩こうと決めた。
どうにも便意が我慢できなかったら、
「あたし、そこらへんで野糞するわ。」と思わず言葉に出していた。
「なんや、お前。うんこしたいんか?」
「う・・・うん」
「ほんなら、あそこまで歩くか?野っぱらのとこまで」
かずこさんの指さす『あそこ』は、目測で300メートル以上だ。
とても間に合うとは思えない。
「大丈夫。垂れ流したっていいもん。」
「ほうやな。間に合わなんだら、ほれでもええわな。」
かずこさんが、そう言って、ふっと笑った。
それでも、私達は目的地へとダメもとで歩いて行く。
目的地は、もはやパチンコ屋ではない。
野糞のできる野っぱらだ。
すれ違う人は、一人もいない。
こんな暑い日に、
辺りは野糞する当てしか思い当たらないような、
何もない道を歩いているのは、私達だけだ。
「汗、びっしゃびっしゃや。」
「うん、私も~。」
1列に並んで歩いていたはずが、いつしか2人並んで
笑顔で歩いていた。
暑さで、どうにかなっている人みたいだ。
いや、どうにかなっていたのだろう。
そして、私はもう一度、聞いてみた。
「母さん、どこへ行きたいの?」
すると、かずこさんは立ち止まって、宣言するかのように言った。
「わしは、関(母の実家)に行く。」
今、かずこさんは孤独なんだ。
自分の愛する、あの部屋にいたって、心が休まらない。
認知症の自覚なんてない。
それなのに、皆が寄ってたかって、自分から大事なものを取り上げて行く。
かずこさんは、そんな全てと戦っている。
独りで。
私は思った。
行ったらあかん。
親に会いたいということは、死ぬという事だ。
まだ、行ったらあかん。
あともう少し、私はかずこさんと歩いていたいと、心底思った。
だから、
「そろそろ、帰ろっか?」
と、かずこさんに伝え、くるりと来た道へ振り返った。
吹く風に背を向けて、私達は溜息を付いた。
「すごく歩いてきちゃったな~」と。
そして、私はギリ間に合った。