11月5日。木曜日。晴れ。
明日は『聖書通読会』
『聖書100週間』
今日は午前も午後も・・・ 『復習 と 予習』
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聖書100週間を初めて以来4冊目の聖書。馴染みます。
聖書の言葉をひたすら読み・・・その新しい意味を発見するのです。
読み続けるとき・・・御言葉の方から、その意味を明かしてくれるくれるときがある。
”降ってくる!” そんな時があります。
”あぁ、こういうことだったのか!” という具合で、
御言葉が生きたものとなっていくのです。
小さな小花の中に『全世界』が含まれているように
短い『御言葉』の中に、 深い内容、 『全世界』を発見するのです。
ちっぽけな私が、絶対的なものにつながっている、壮大な存在であることが分かるのです。
もう40年近くも変わることなく繰り返される木曜日の一日です。
今日も又、有り難く、聖書三昧の一日でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月5日。年間第三十一木曜日。
『今日の入祭唱』
『主はわたしの支えとなり、
わたしを広い所に導き出し、助けとなり
喜び迎えてくださる。』
詩編 18章19&20節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとして イエスに近寄って来た。
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すると、
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
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「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
と不平を言いだした。
そこで、
イエスは次のたとえを話された。
「あなたがたの中に、 百匹の羊を持っている人がいて、
その一匹を見失ったとすれば、
九十九匹を野原に残して、 見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、
喜んでその羊を担いで、家に帰り、
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友達や近所の人々を呼び集めて、
『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
と言うであろう。
言っておくが、
このように、悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
言っておくが、
このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」』
ルカ福音書 15章1-10節
今日もイエス様は『たとえ話』をなさいます。
その意味はこういうことでしょうか?
神が、ひたすら私たち人間の『悔い改め』を待ち続けておられる姿、が書かれています。
『迷える羊』である私たち一人一人を探して、助けてくださるというのです。
私たち一人一人は、
99人の正しい人ではなく、 失われた一匹の羊のような存在なのです。
『迷える羊』で、
弱く、はかなく、至らなく、絶えず『改心』が必要な者なのです。
神は、
ありのままの人間一人一人を その弱さを含めて、愛してくださるのです。
人間が自分の弱さを認めて、神の愛を信じて・・・神のもとへ戻って来るのを待っているのです。
『迷える羊』:人間一人ひとりの『神のもとへの帰還』は、 神の何よりの喜びなのです。
私たちも、
99人の正しい者ではなく
弱い一人の罪人であることを認め、
と同時に、
神にはかけがいのない存在であること
ありのままで神から愛されていることを信じて、
神のもとへまいりましょう。
神様を喜ばせましょう。
『今日の祈願』
『全能の神よ
主の御言葉で養われ、 喜びに満たされたわたしたちが、
キリストのいのちのうちに、日々成長することができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は古典はお好きですか? 温故知新といいますよね。
古きを知って、今をより理解できるということでしょうか。 お元気で!
明日は『聖書通読会』
『聖書100週間』
今日は午前も午後も・・・ 『復習 と 予習』
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聖書100週間を初めて以来4冊目の聖書。馴染みます。
聖書の言葉をひたすら読み・・・その新しい意味を発見するのです。
読み続けるとき・・・御言葉の方から、その意味を明かしてくれるくれるときがある。
”降ってくる!” そんな時があります。
”あぁ、こういうことだったのか!” という具合で、
御言葉が生きたものとなっていくのです。
小さな小花の中に『全世界』が含まれているように
短い『御言葉』の中に、 深い内容、 『全世界』を発見するのです。
ちっぽけな私が、絶対的なものにつながっている、壮大な存在であることが分かるのです。
もう40年近くも変わることなく繰り返される木曜日の一日です。
今日も又、有り難く、聖書三昧の一日でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月5日。年間第三十一木曜日。
『今日の入祭唱』
『主はわたしの支えとなり、
わたしを広い所に導き出し、助けとなり
喜び迎えてくださる。』
詩編 18章19&20節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとして イエスに近寄って来た。
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すると、
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
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「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
と不平を言いだした。
そこで、
イエスは次のたとえを話された。
「あなたがたの中に、 百匹の羊を持っている人がいて、
その一匹を見失ったとすれば、
九十九匹を野原に残して、 見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、
喜んでその羊を担いで、家に帰り、
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友達や近所の人々を呼び集めて、
『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
と言うであろう。
言っておくが、
このように、悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
言っておくが、
このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」』
ルカ福音書 15章1-10節
今日もイエス様は『たとえ話』をなさいます。
その意味はこういうことでしょうか?
神が、ひたすら私たち人間の『悔い改め』を待ち続けておられる姿、が書かれています。
『迷える羊』である私たち一人一人を探して、助けてくださるというのです。
私たち一人一人は、
99人の正しい人ではなく、 失われた一匹の羊のような存在なのです。
『迷える羊』で、
弱く、はかなく、至らなく、絶えず『改心』が必要な者なのです。
神は、
ありのままの人間一人一人を その弱さを含めて、愛してくださるのです。
人間が自分の弱さを認めて、神の愛を信じて・・・神のもとへ戻って来るのを待っているのです。
『迷える羊』:人間一人ひとりの『神のもとへの帰還』は、 神の何よりの喜びなのです。
私たちも、
99人の正しい者ではなく
弱い一人の罪人であることを認め、
と同時に、
神にはかけがいのない存在であること
ありのままで神から愛されていることを信じて、
神のもとへまいりましょう。
神様を喜ばせましょう。
『今日の祈願』
『全能の神よ
主の御言葉で養われ、 喜びに満たされたわたしたちが、
キリストのいのちのうちに、日々成長することができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は古典はお好きですか? 温故知新といいますよね。
古きを知って、今をより理解できるということでしょうか。 お元気で!