11月17日。火曜日。快晴。
今朝は
いつものように
朝ウォーキング。
早朝の・・・ 『落葉』
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当たり前のことといえ
同じ落ち葉の色が、 昨夕の落ち葉の色と、 まるで違います。
人も、朝陽を浴びるのと夕陽を浴びるのとでは、大きな違いが出てくるのかしら?
なんて考えました。
どの朝も夕暮れを迎えて、 新しい明日を迎える。
木の葉も吹き飛ばされて、 新しい実を結ぶ。
人も微笑みながら今日を終え、 新しい明日を迎えたい。
イエスの『御言葉』が思い出されます。
『はっきり言っておきます。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。』 ヨハネ福音書1章:24~25節
イエスは、自分の命を手放し犠牲となり、 『新しい民』を生みました。
私たちは、自分の命を手放し神に任せるなら、 神から『永遠の命』を受けます。
今日は、穏やかな一日、ちょっぴり哲学する一日でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月17日。年間第三十三火曜日。
『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』
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1207年。 エリザベトは、ハンガリー王国・王女として生まれる。
4歳のとき。 ドイツのテューリンゲン伯爵の子息ルートヴィヒと婚約。
将来皇后としての必要な教育を身につけるため、
ヘルマン伯の城で教育された。
エリザベトは、幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもあったが、
ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護されました。
1221年。14歳。 結婚。 1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育した。
そしていっそう祈りと節制に励む一方、 貧しい人や病人を見舞った。
1227年。20歳。 十字軍の遠征中の夫の病死。
夫の兄弟たちは、後継者として立とうとして、 エリザベトと子どもたちを城外に追放した。
エリザベトと子供たちは、苦しい立場に置かれた。
しかし、幸いなことに、教皇のとりなしによって、子どもが後継者として認められました。
その後。 エリザベトは、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、
祈りと黙想に専念し、 清貧の生活を送り、
持っている財産で病院を建て、そこで病者や貧しい人びとの世話をしました。
1231年。24歳。 マールブルクで死去。 24年の生涯を閉じた。
エリザベトは、ドイツの人びとから親しまれている聖人のひとりであり、
ドイツにはその名を取った病院や施設が多い。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『そこで、主は右側にいる人たちに言う。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、 用意されている国を受け継ぎなさい。
わたしが飢えているときに食べさせてくれた。 病気のときに見舞いに来てくれた。
わたしの兄弟である最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25章34-40節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスはエリコに入り、 町を通っておられた。
そこにザアカイという人がいた。
この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
イエスがどんな人か見ようとしたが、
背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、
走って先回りし、 いちじく桑の木に登った。
そこを通り過ぎようとしておられたからである。
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イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで降りて来て、 喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
しかし、ザアカイは立ち上がって、 主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
イエスは言われた。
「この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」』
ルカ福音書 19章1-10節
イエスは、
『失われたものを捜して、救うために』
神からこの世に派遣されたのです。
『失われたもの』とは、アダムが禁断の木の実を食べて楽園・神の国からこの世に追放された、『人類』のことです。
イエスは、その人類を、御自分の犠牲によって償い、故郷・神の国に戻すために、この世に派遣されたのです。
ザアカイは、
徴税人の頭であり、地位は高かったのですが、皆から嫌われていました。
人をだまして仕事をしていたので、罪人と呼ばれ、宗教上でも破門され、
寂しい人でした。
そんなザアカイは、
イエスは罪人をも迎え入れる人であるとの噂を聞き、
どうしてもイエスに会いたかったのです。
人目を避けるように、先回りをして、木に登りました。
イエス様は、
木に登っているザアカイを見て、泊まることをお願いしたのです。
ザアカイは、
罪人の自宅に人を、ましてイエス様を迎え入れることなど、想像できませんでした。
初めて自分を認めてくれ、迎え入れてくれる、 『イエスの愛』 に触れたのです。
愛されていることを知って、 『改心』する決心をしたのです。
『改心』の『しるし』として、お人の損害を4倍にして賠償する約束をしたのです。
イエス様は、
ザアカイの『素直さ』を知っておられたのでしょう。
どんな人をも、その人の『良いところ』を見ておられるのです。
私たちも、
イエス様を心にお迎えして
新たにされて
『新しい民』となりたいものです。
そうして
お人の良いところを見ながら
皆と仲良く過ごしたいものですね。
『今日の祈願』
『恵み豊かな神よ、
聖エリザベトにならって愛の業を行い、
共に永遠の喜びに入ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちの小さな行いが、お人の喜びになると嬉しいですね。
コロナ禍の中で、実行してまいりましょう。 お元気で!
今朝は
いつものように
朝ウォーキング。
早朝の・・・ 『落葉』
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当たり前のことといえ
同じ落ち葉の色が、 昨夕の落ち葉の色と、 まるで違います。
人も、朝陽を浴びるのと夕陽を浴びるのとでは、大きな違いが出てくるのかしら?
なんて考えました。
どの朝も夕暮れを迎えて、 新しい明日を迎える。
木の葉も吹き飛ばされて、 新しい実を結ぶ。
人も微笑みながら今日を終え、 新しい明日を迎えたい。
イエスの『御言葉』が思い出されます。
『はっきり言っておきます。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。』 ヨハネ福音書1章:24~25節
イエスは、自分の命を手放し犠牲となり、 『新しい民』を生みました。
私たちは、自分の命を手放し神に任せるなら、 神から『永遠の命』を受けます。
今日は、穏やかな一日、ちょっぴり哲学する一日でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月17日。年間第三十三火曜日。
『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』
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1207年。 エリザベトは、ハンガリー王国・王女として生まれる。
4歳のとき。 ドイツのテューリンゲン伯爵の子息ルートヴィヒと婚約。
将来皇后としての必要な教育を身につけるため、
ヘルマン伯の城で教育された。
エリザベトは、幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもあったが、
ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護されました。
1221年。14歳。 結婚。 1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育した。
そしていっそう祈りと節制に励む一方、 貧しい人や病人を見舞った。
1227年。20歳。 十字軍の遠征中の夫の病死。
夫の兄弟たちは、後継者として立とうとして、 エリザベトと子どもたちを城外に追放した。
エリザベトと子供たちは、苦しい立場に置かれた。
しかし、幸いなことに、教皇のとりなしによって、子どもが後継者として認められました。
その後。 エリザベトは、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、
祈りと黙想に専念し、 清貧の生活を送り、
持っている財産で病院を建て、そこで病者や貧しい人びとの世話をしました。
1231年。24歳。 マールブルクで死去。 24年の生涯を閉じた。
エリザベトは、ドイツの人びとから親しまれている聖人のひとりであり、
ドイツにはその名を取った病院や施設が多い。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『そこで、主は右側にいる人たちに言う。
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、 用意されている国を受け継ぎなさい。
わたしが飢えているときに食べさせてくれた。 病気のときに見舞いに来てくれた。
わたしの兄弟である最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25章34-40節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスはエリコに入り、 町を通っておられた。
そこにザアカイという人がいた。
この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
イエスがどんな人か見ようとしたが、
背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、
走って先回りし、 いちじく桑の木に登った。
そこを通り過ぎようとしておられたからである。
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イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで降りて来て、 喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
しかし、ザアカイは立ち上がって、 主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
イエスは言われた。
「この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」』
ルカ福音書 19章1-10節
イエスは、
『失われたものを捜して、救うために』
神からこの世に派遣されたのです。
『失われたもの』とは、アダムが禁断の木の実を食べて楽園・神の国からこの世に追放された、『人類』のことです。
イエスは、その人類を、御自分の犠牲によって償い、故郷・神の国に戻すために、この世に派遣されたのです。
ザアカイは、
徴税人の頭であり、地位は高かったのですが、皆から嫌われていました。
人をだまして仕事をしていたので、罪人と呼ばれ、宗教上でも破門され、
寂しい人でした。
そんなザアカイは、
イエスは罪人をも迎え入れる人であるとの噂を聞き、
どうしてもイエスに会いたかったのです。
人目を避けるように、先回りをして、木に登りました。
イエス様は、
木に登っているザアカイを見て、泊まることをお願いしたのです。
ザアカイは、
罪人の自宅に人を、ましてイエス様を迎え入れることなど、想像できませんでした。
初めて自分を認めてくれ、迎え入れてくれる、 『イエスの愛』 に触れたのです。
愛されていることを知って、 『改心』する決心をしたのです。
『改心』の『しるし』として、お人の損害を4倍にして賠償する約束をしたのです。
イエス様は、
ザアカイの『素直さ』を知っておられたのでしょう。
どんな人をも、その人の『良いところ』を見ておられるのです。
私たちも、
イエス様を心にお迎えして
新たにされて
『新しい民』となりたいものです。
そうして
お人の良いところを見ながら
皆と仲良く過ごしたいものですね。
『今日の祈願』
『恵み豊かな神よ、
聖エリザベトにならって愛の業を行い、
共に永遠の喜びに入ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちの小さな行いが、お人の喜びになると嬉しいですね。
コロナ禍の中で、実行してまいりましょう。 お元気で!