マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

晩秋の哲学の一日 そして 『聖エリザベト修道女 記念日』・・・『人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』

2020-11-17 06:00:00 | 私のこと
11月17日。火曜日。快晴。

今朝は
いつものように
朝ウォーキング。

       早朝の・・・      『落葉』
    
      当たり前のことといえ 
          同じ落ち葉の色が、 昨夕の落ち葉の色と、 まるで違います。
            
   人も、朝陽を浴びるのと夕陽を浴びるのとでは、大きな違いが出てくるのかしら?
                                  なんて考えました。

          どの朝も夕暮れを迎えて、 新しい明日を迎える。
          木の葉も吹き飛ばされて、 新しい実を結ぶ。
       人も微笑みながら今日を終え、 新しい明日を迎えたい。

  
 イエスの『御言葉』が思い出されます。

   『はっきり言っておきます。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
         だが、死ねば、多くの実を結ぶ。』 
ヨハネ福音書1章:24~25節

       イエスは、自分の命を手放し犠牲となり、 『新しい民』を生みました。
    私たちは、自分の命を手放し神に任せるなら、 神から『永遠の命』を受けます。


        今日は、穏やかな一日、ちょっぴり哲学する一日でした。
                       感謝!感謝!


そして。

今日は11月17日。年間第三十三火曜日。

    『聖エリザベト(ハンガリー)修道女 記念日』
   


 1207年。  エリザベトは、ハンガリー王国・王女としてまれる。
4歳のとき。  ドイツのテューリンゲン伯爵の子息ルートヴィヒと婚約。
          将来皇后としての必要な教育を身につけるため、
            ヘルマン伯の城で教育された。

  エリザベトは、幼いときから敬虔であり、宮廷内の批判を受けることもあったが、
       ヘルマン伯とルートヴィヒによって大切に保護されました。

1221年。14歳。 結婚。 1男2女をもうけ、子どもたちをよく教育した。
         そしていっそう祈りと節制に励む一方、 貧しい人や病人を見舞った。

1227年。20歳。 十字軍の遠征中の夫の病死。

   夫の兄弟たちは、後継者として立とうとして、 エリザベトと子どもたちを城外に追放した。
      エリザベトと子供たちは、苦しい立場に置かれた。
    しかし、幸いなことに、教皇のとりなしによって、子どもが後継者として認められました。

      その後。 エリザベトは、宮廷から退き、聖フランシスコの第三会に入り、
             祈りと黙想に専念し、  清貧の生活を送り、
      持っている財産で病院を建て、そこで病者や貧しい人びとの世話をしました。

1231年。24歳。 マールブルクで死去。 24年の生涯を閉じた。

      エリザベトは、ドイツの人びとから親しまれている聖人のひとりであり、
           ドイツにはその名を取った病院や施設が多い。
               『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

  『そこで、主は右側にいる人たちに言う。
 「さあ、わたしの父に祝福された人たち、 用意されている国を受け継ぎなさい。
 わたしが飢えているときに食べさせてくれた。 病気のときに見舞いに来てくれた。
わたしの兄弟である最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。』

           マタイ福音書 25章34-40節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 イエスはエリコに入り、 町を通っておられた。
      そこにザアカイという人がいた。
     この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

イエスがどんな人か見ようとしたが、
    背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、
      走って先回りし、 いちじく桑の木に登った。
      そこを通り過ぎようとしておられたからである。
 
    イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
      「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
     今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」


ザアカイは急いで降りて来て、 喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。
     「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

しかし、ザアカイは立ち上がって、 主に言った。
    「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
 また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」


イエスは言われた。
       「この人もアブラハムの子なのだから。
   人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」』

           ルカ福音書 19章1-10節


    イエスは、
      『失われたものを捜して、救うために』
          神からこの世に派遣されたのです。
    『失われたもの』とは、アダムが禁断の木の実を食べて楽園・神の国からこの世に追放された、『人類』のことです。
     イエスは、その人類を、御自分の犠牲によって償い、故郷・神の国に戻すために、この世に派遣されたのです。


    ザアカイは、
    徴税人の頭であり、地位は高かったのですが、皆から嫌われていました。
    人をだまして仕事をしていたので、罪人と呼ばれ、宗教上でも破門され、
          寂しい人でした。

     そんなザアカイは、
      イエスは罪人をも迎え入れる人であるとの噂を聞き、
        どうしてもイエスに会いたかったのです。
      人目を避けるように、先回りをして、木に登りました。

    イエス様は、
      木に登っているザアカイを見て、泊まることをお願いしたのです。
    ザアカイは、
      罪人の自宅に人を、ましてイエス様を迎え入れることなど、想像できませんでした。
 初めて自分を認めてくれ、迎え入れてくれる、 『イエスの愛』 に触れたのです。
      愛されていることを知って、 『改心』する決心をしたのです。
  『改心』の『しるし』として、お人の損害を4倍にして賠償する約束をしたのです。

    イエス様は、
       ザアカイの『素直さ』を知っておられたのでしょう。
       どんな人をも、その人の『良いところ』を見ておられるのです。


私たちも、
イエス様を心にお迎えして
新たにされて
『新しい民』となりたいものです。
そうして
お人の良いところを見ながら
皆と仲良く過ごしたいものですね。


『今日の祈願』

   『恵み豊かな神よ、
      聖エリザベトにならって愛の業を行い、
   共に永遠の喜びに入ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちの小さな行いが、お人の喜びになると嬉しいですね。
コロナ禍の中で、実行してまいりましょう。 お元気で!