11月16日。月曜日。晴れ。
今日は
日の出ではなく・・・
『日没』
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美しさに大いに感動です
今日の散歩は、 いつもの日の出時ではなく、 例外的な日の入り時です。
朝と夕では、景色がまるで違います。 それぞれに美しいのです。
早朝の『躍動』 に対して 夕方の『沈着』 ということでしょうか。
『始まり』 と 『終わり』 の違いは大きい。
色にすれば、赤と紫、の違いです。
違いが、とても新鮮に感じるのです。
樹木は
紅葉を終えて・・・
『落ち葉』
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カラフル です。
落ち葉だろうか? ビー玉だろうか?
若々しく美しかった紅葉が、 落ち葉となって最後の輝きを見せます。
人もこういうことなのでしょう。
それぞれの年代が持つそれぞれの輝きを見せて、最後にはさよならを告げていく。
そして。
友人からは・・・
『絵はがき』
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病だけがお友達(笑)の私から
『美しい日本の秋』をあなたに!
いつかおしゃべりさせてくださいね。
と書かれてありました。
今日も、 人それぞれの秋が更けていきました。
コロナ禍でのおしゃべりは、 便利な携帯電話がありがたいですね。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月16日。年間第三十三月曜日。
『主よ、 あなたの御言葉は、 わたしの道の光。
わたしの歩みを照らす灯。』
詩編 119章105節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスが エリコに近づかれたとき、
ある盲人 が道端に座って物乞いをしていた。
群衆が通って行くのを耳にして、
「これは、いったい何事ですか」 と尋ねた。
「ナザレのイエスのお通りだ」 と知らせると、
..
彼は、 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 と叫んだ。
先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、
ますます、 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」 と叫び続けた。
イエスは立ち止まって、 盲人をそばに連れて来るように命じられた。
彼が近づくと、
イエスはお尋ねになった。 「何をしてほしいのか。」
盲人は、 「主よ、目が見えるようになりたいのです」 と言った。
そこで、
イエスは言われた。 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。
これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。』
ルカ福音書 18章35-43節
今日はこんな風に考えました。
イエス様と盲人の話は、
イエスの『本当の姿』を見る目が あるか? ないか? と問うているのです。
又。
イエスへの信仰を持つ者は、決して『あきらめない姿』で表われる。
という話です。
盲人は、
信仰者として、
『ダビデの子イエスよ』、『主よ』、 とイエスに語りかけます。
『ダビデの子』、『主』、と呼びかけることは、イエスを『メシア・救い主』として認め、信仰している『しるし』です。
又。
反対されても、 『ますます』主を求めて、 『諦めない信仰』 を表わしました。
一方。
弟子たちは、
イエスと共に行動し、イエスと寝起きを共にしても、
『イエスの本当の姿』 を理解しきれませんでした。 信仰はまだ浅いものでした。
『目が見える』ということは、 『イエスへの信仰』が生まれたということです。
私たちも、
先が見えないような苦しみ
に陥ることがあります。
それでも
『信仰の目』をもって
どこまでも、決して諦めることなく、
イエスに従ってまいりたいものですね。
『今日の祈願』
『喜びの源である神よ、
わたしたちを救いの喜びで満たし、 真理の光のうちに導いてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中でも、普段と違う行動をしてみたりしながら・・・
小さな楽しみを見つけてまいりましょう。 お元気で!
今日は
日の出ではなく・・・
『日没』
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美しさに大いに感動です
今日の散歩は、 いつもの日の出時ではなく、 例外的な日の入り時です。
朝と夕では、景色がまるで違います。 それぞれに美しいのです。
早朝の『躍動』 に対して 夕方の『沈着』 ということでしょうか。
『始まり』 と 『終わり』 の違いは大きい。
色にすれば、赤と紫、の違いです。
違いが、とても新鮮に感じるのです。
樹木は
紅葉を終えて・・・
『落ち葉』
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カラフル です。
落ち葉だろうか? ビー玉だろうか?
若々しく美しかった紅葉が、 落ち葉となって最後の輝きを見せます。
人もこういうことなのでしょう。
それぞれの年代が持つそれぞれの輝きを見せて、最後にはさよならを告げていく。
そして。
友人からは・・・
『絵はがき』
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『美しい日本の秋』をあなたに!
いつかおしゃべりさせてくださいね。
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と書かれてありました。
今日も、 人それぞれの秋が更けていきました。
コロナ禍でのおしゃべりは、 便利な携帯電話がありがたいですね。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月16日。年間第三十三月曜日。
『主よ、 あなたの御言葉は、 わたしの道の光。
わたしの歩みを照らす灯。』
詩編 119章105節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスが エリコに近づかれたとき、
ある盲人 が道端に座って物乞いをしていた。
群衆が通って行くのを耳にして、
「これは、いったい何事ですか」 と尋ねた。
「ナザレのイエスのお通りだ」 と知らせると、
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彼は、 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 と叫んだ。
先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、
ますます、 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」 と叫び続けた。
イエスは立ち止まって、 盲人をそばに連れて来るように命じられた。
彼が近づくと、
イエスはお尋ねになった。 「何をしてほしいのか。」
盲人は、 「主よ、目が見えるようになりたいのです」 と言った。
そこで、
イエスは言われた。 「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」
盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。
これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。』
ルカ福音書 18章35-43節
今日はこんな風に考えました。
イエス様と盲人の話は、
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又。
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という話です。
盲人は、
信仰者として、
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『ダビデの子』、『主』、と呼びかけることは、イエスを『メシア・救い主』として認め、信仰している『しるし』です。
又。
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一方。
弟子たちは、
イエスと共に行動し、イエスと寝起きを共にしても、
『イエスの本当の姿』 を理解しきれませんでした。 信仰はまだ浅いものでした。
『目が見える』ということは、 『イエスへの信仰』が生まれたということです。
私たちも、
先が見えないような苦しみ
に陥ることがあります。
それでも
『信仰の目』をもって
どこまでも、決して諦めることなく、
イエスに従ってまいりたいものですね。
『今日の祈願』
『喜びの源である神よ、
わたしたちを救いの喜びで満たし、 真理の光のうちに導いてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中でも、普段と違う行動をしてみたりしながら・・・
小さな楽しみを見つけてまいりましょう。 お元気で!